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2003年 10月23日 琉球放送ラジオに「民謡で今日拝なびら=みんようで ちゅう うがなびら」なる番組がある。「拝なびら」は、出会う人の顔を拝するという意味。人間、息災であるからこそ、出会いがあるわけで、この言葉は、昼夜問わず、出会いの挨拶ことばとして交わされる。おはよう。こんにちは。こんばんは。いずれも「今日拝なびら」でいいのである。 番組のスタートは昭和36年<1961年>2月。午後3時から4時半の枠であった。 3時としたのは、八つ時<おやつ>にあてたもので、沖縄ではこの時間を「3時茶=さんじ じゃー」といい、働く人たちはそれぞれの場で、しばし、その手を休めてお茶にするからだ。 「でぃー汗入ってぃ んーだな」 「さあ、お茶にしよう。ひと汗入れよう」である。 当初、タイトルは「お国言葉で今日拝なびら」。ラジオ編成課長外間朝貴氏<ほかま ちょうき。故人>の発案で番組化された。一方には、 「真っ昼間から民謡かいナ」の声もあった。この意見は、いわゆる大和化発想の意見で、歌三絃を暮らしの一部として共有している沖縄人は、すんなりと番組を受け入れた。 月曜日から土曜日まで帯の90分。 出演者=大宜見小太郎<故人>。親泊元清。八木政男。佐川昌夫<故人>。高安六郎。高安勝男<故人>。中山幸四郎<故人>。島正太郎<故人>。三津田明<故人>。北村三郎。森田豊一の沖縄芝居の男優陣。さらに、北島角子。吉田妙子。伊良波冴子の女優陣。舞踊家多嘉良和枝。歌者金城洋子らがコンビを組んでいた。この布陣は、番組を高視聴率に導く大きな要因になった。 琉球放送ラジオがJRN<ジャパン・ラジオ・ネットワーク>に加盟するようになって「お国言葉で今日拝なびら」も一変する。TBSラジオの人気番組「全国子ども相談室」が、それまでの4時半の放送を4時に繰り上げたため「お国言葉で今日拝なびら」は、否応なしに放送時間を短縮せざるを得なかった。それを期に出演者も八木政男<火・木>、北島角子<月・水・金。現在は月・水>が担当。曜日も土曜日を除いた。さらに、スタート当時からの当番組のプロデューサーだった上原直彦がアナデューサー<造語。アナウンサー・プロデューサーの略>を張り、イレギュラーで放送タレント末吉りえが入り、現在に至っている。 ハガキによるリクエストを主に古謡、俗謡、新民謡を共有仕合っている。今風のオキナワン・ミュージックも時には放送するが、それは他番組で取り扱い、当番組では基本的に<三絃>を用いた<島うた>を重視している。このことは、当番組の<こだわり>特長と言える。年間約3000枚余のハガキを消化してい、今期は正月5日からハガキ採用。10月23日現在、2630枚ほどを電波に乗せている。 *北中城村大城××番地=米須清光さんは、40年来ハガキを送り続けている方で、勤務先のOK給油所を常に記載。PRしたとして社長表彰を受けたほどのご常連である。 *玉城村親慶原○○番地=吉田みゆきさんも米須さんに負けず劣らず、熱心な方。島うたファンの間では知らない人はいない。玉城村では殊に有名になり、そのせいで「同村公民館長に抜擢された」・・・・というウワサ。しかし、私は「公民館長就任は彼女の実力であって、番組の後押しではなかろう」と、理解している。 *沖縄市古謝××番地=小橋川秀子さんも長い付き合い。番組絡みの公演、講演や公開録音、録画の際の彼女の口コミは絶大なもの。彼女の姿が見えない会場は<不入り>のジンクスがある。 琉球放送は2004年10月1日で創立50周年。 「民謡で今日拝なびら」も43年目に入った。その間、多くの歌者がこの番組を通ってビッグになっていった。新しい島うたも何百曲と生んできた。「さんしんの日=3月4日」をはじめ、三絃文化に貢献した。 使い古された言葉だが、続けることの力を感じないわけにはいかない。「マンネリ!」の声もある。が、かつて、当番組に出演した水戸黄門こと西村晃さんの言葉は、担当者に勇気をもたらした。 「マンネリ!結構。時の風を吹き込みながら、マンネリをお続けなさい」 沖縄の午後3時。「うしうし節」の三絃演奏に乗って、ラジオからは沖縄口と島うたが飛び交い、島人の心を今日も染めている。 |
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2003年10月分 |
週刊上原直彦(105)<愛称・芸名・ペンネーム> |
週刊上原直彦(104)<ラジオ・島うた・43年> |
週刊上原直彦(103)<要り目=いりみ> |
週刊上原直彦(102)<誰とめでるか名月> |
週刊上原直彦(101)<生年祝い・かじまやー> |