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鳩山首相退陣:挫折から光明を

 首相の交代は日本の年中行事になった。

 4年間で4人。いずれも首相経験者の孫か息子だ。政治家の頂点に立つ首相の質が落ちたのは、世襲を許す選挙制度や政党のリーダー養成力に問題があるのか。それとも日本人全体の能力が落ちてしまったのか。

 とりわけ鳩山由紀夫首相は民主党の事実上の創業者であり、歴史的な政権交代の期待を一身に担った。

 それが普天間飛行場移設問題で目を覆うばかりの迷走を繰り広げたあげくに、自ら「自分が身を引くことが国益につながる」としれっと言う始末だ。これだけ自虐的な表現を使い、国民に謝った首相も過去に例をみない。

 ただ、大切なのは深い失望の中でも、8カ月半の鳩山政権の検証と反省から政権交代の意味を問い直し、日本政治に光明を見いだすことではないか。

 あえて首相の意地を探せば、小沢一郎幹事長に「あなたも辞めろ」と迫る場面だった。

 内閣支持率の低下は、小沢氏の「政治とカネ」問題にも大きな原因がある。小沢氏の党も巻き込んだ検察との戦いは、政権のエネルギーを消耗させた。首相の母親からの資金提供問題と合わせて、政権の不信感につながってしまった。

 関係者の国会招致も行われないのは自民党時代にもなかったことだ。本来、クリーンさを売り物にした民主党が「政治とカネ」問題にここまで鈍感になったのは、小沢氏に対する恐怖感からだろう。

 容易ではないが、旧田中派的な体質を持つ小沢氏を超える信念と迫力を、民主党議員は胸に刻むべきだ。

 「脱官僚」のスローガンのもとで官僚を使いこなさなかったために、統治能力が弱まったことも鳩山政権の崩壊を早めた。

 高給をとり退職金を繰り返し受けとる天下り官僚問題と、政策の立案過程での官僚の使い方の問題を混同してしまった。

 安全保障政策や90年比25%削減を打ち出した温室効果ガス削減問題、消費税と向き合う財政問題など国家的なテーマでの戦略の構築ができなかった。結局、法的根拠が与えられなかった国家戦略局は機能しなかった。

 「政権交代とは何か」の定義さえ定まらず、自民党政権を否定するところからスタートした鳩山政権だった。首相個人の資質問題に特化せず、新しいリーダーの下でこの挫折を教訓にしなければ、政権交代の価値は無になってしまう。【政治部長・小菅洋人】

毎日新聞 2010年6月3日 1時27分(最終更新 6月3日 1時40分)

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