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[17147] 【習作】東方虚無迷子(ゼロの使い魔×東方Project)
Name: 萌葱◆02766864 ID:f25df175
Date: 2010/06/02 22:22
注、東方旧作の設定と矛盾している箇所があります。






幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ。


パドルを漕ぐ音だけが、その池に響いていた。
空は真っ暗。二つの月は厚い雲に隠れている。
虫の鳴き声も聞こえない静かな夜。耳が痛いほど静かな夜だった。
パドルを漕いでいるのは、だいたい六歳ぐらいだろう、大変可愛らしい少女である。
こんな真夜中にひとり、小舟を漕いでいるのにはそぐわない人物であることだけは間違いない。
少女の名は、ルイズという。

彼女は、ひとりになりたかった。
父と顔を合わせたくない。
母と顔を合わせたくない。
姉たちと顔を合わせたくない。
召使とも顔を合わせたくない。

そんな時は、いつも屋敷の中にあるこの小さな(しかし中庭にあるにしては大きな)池に向かうのだ。
そこはルイズだけの秘密の場所。
彼女が、唯一ひとりになれる場所だった。

「いやよ、いやよ、いやよ」

そう呟き続けているルイズ。
両親に厳しく叱られるのも、長姉に怒鳴られるのも、次姉に優しくされるのも、召使に陰口をたたかれるのも。
ただ、ただ、ただ、ただ、すべてを拒否していたルイズ。
誰とも会いたくないと思ったルイズ。
そうするためにはどうしたらよいのか?
子供ながらに考えたルイズは、一つの答えを見付けた。

(遠い国に行ければ、もう会うこともないのかな?)

まことに浅慮で、子供らしい考えの末に出された答えである。
よく考えればいろいろな問題があるのだが、社会に出たことのないルイズは、そんなことには気が付かない。
もっとも、そんなことを願っても叶うことがないことは、薄々気付いているルイズ。
そんなことが出来るはずがない。出来るはずがないのだ。

(でも……もしも、魔法が使えなくても怒られないところにいけたら)

想像だけは自由であるが、知らないことは思うことすら出来ない。
そんな国をルイズは知らなかった。
ハルケギニアは、魔法使い――メイジと呼ばれる貴族達が支配している世界だ。
魔法の使えない貴族は、存在する意義がない。いや違う、存在してはいけない。
だから自分は、この世界にはいたくない。
いては、みんなの迷惑になってしまうのだから、ここで生きててはならないのだ。
ルイズは、心のどこかでそう思っていた。
そんな彼女は、周りの様子に気が付いていない。
池に濛々と霧が立ちこめているのをしらずに、ルイズは小舟を進ませている。

その想いが、ルイズを『越境』させることになったのか?
それは、境界を支配する者にしか分からない。



おかしい。
ルイズは、異常に気が付いた。
少し考え事をしていたのだが、それでもこれだけ進めば池の中央にたどり着くはずだ。
ところが中央にあるはずの小島が見えずに、ただ深い霧が立ちこめるだけである。
こんなに深い霧が発生したことは、ルイズが生きてきた今までで一度もない。

「おかしい」

自分の声で改めて呟く。
進もう、と決めたルイズ。
止まっていてもなにも変わらないだろう、とパドルを必死に漕ぎ始めた。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

小舟の上にいるルイズが聞こえるのは、自分の息切れの音だけ。
怖い。そう思った。
後ろからナニカがついてくる。
水の中から、自分を引きずり込むために、ナニカが手を出す隙を窺っている。
ナニカの気配を感じた。ナニカの影を見た。ナニカの唸り声を聞いた。ナニカの生臭い匂いを嗅いだ。
すべてがルイズの五感を狂わせ、幼い少女の頭から冷静さを奪い去っていく。

「ひぃ、ひぃ、ひぃ、ひぃ」

自分が半ばパニックになっていることに、気が付いていないルイズ。
慌てて、パドルをガシャガシャと無駄な力を入れて漕いでいた。
ルイズは、なにも気が付かない。
そんなことをせずとも、どんどん小舟のスピードが増していることに。
次第に、左右の幅が狭くなっていることに。

そう……池だったはずが、流れの緩やかな川に変化しているのだ。

そしてある境を超えた時、ルイズはお尻に冷たい感触を感じた。
べっちょりと濡れたそれは、水以外の何物でもない。
粗相をしたと思って、すぐに否定したルイズ。
慌てて立ちあがり、小舟の底を見てみると水があった。
浸水しているのだ。

「嘘? 嘘!」

自らの小さな手で、水を掻き出そうとするルイズだったが、そんなものでは応急処置にもならない。

「なんでよ。穴なんて空いてないじゃないのよ!!」

そう叫びながら、死に物狂いに手を動かしているルイズだったが、どんどん小舟が沈んでいくのは止められない。
水を全部掻き出すのは無理だと覚ったルイズは、水の中に飛び込んで泳ごうかと考えた。
しかし、その水面を見たルイズは、そんな考えをすぐに捨て去ることにした。
幼いながらの直感で知ったのだ。ここはただの川ではないと。
ここで泳ごうなど、自ら地獄へ飛び込むことと同じだと。

自分は、ここで死ぬのだと確信したルイズ。
最後だと思ったルイズは、静かに泣いている。
何で泣いているのか?
本人にも、それは分からなかった。

そのまま目を閉じたルイズは、ジッと全身が冷たい水に包まれ、底知れない水面の底に落ちていくのを待っていた。
その時、不意にルイズの体がふわっと浮き上がった。
驚いて目を開いてみると、誰かが自分の腋に手を入れて持ち上げているのだ。
次に見えたのは、その誰かの右手が持っている大きな鎌だった。
人の首だろうと、簡単に刈り取ることが出来そうな切れ味を想像させる、荘厳で無慈悲な鎌である。
顔を上げると、そこには不思議な服を着た女性がいた。

「いやはや、驚いたもんだ。生きている人間が、三途の川を渡っているんだからねぇ」

その女性は、ルイズを見ながらそう言った。
そうして、晴れやかに笑った。
気持ちの良い笑みである。
赤毛がふわふわと躍っているのを、ルイズは呆然としながら見ていた。



「到着……っと」

赤毛の女性が、すとんと地面に降り立った。
そしてそのまま、ルイズを持っていた手を下ろして地面に立たせる。

「ふう」

手をぱんぱんと景気よく払っている女性。
ルイズは、そんな彼女に勇気を出して声を掛けることにした。
まずは、彼女の名前を聞いてみよう。

「あ、あのう……ってキャッ!!」

その瞬間、ルイズの頭上に稲妻が奔った。
目の前の赤毛の女性が、目にも止まらぬ速さでルイズに拳骨を食らわせたのだ。

「……痛い」
「まったく、あんたは何で沈む船の上で目を瞑っていたのさ。
ここで死んでも構わないって、そんなこと思ってたのかい?」

女性の目が、真っ直ぐにルイズを貫いている。
なんとなく居心地が悪いルイズは、目を逸らしながら口を開いた。
するとすぐに、二発目の拳骨が飛んでくる。

「話す時は、相手の目を見てさ」
「いたたた……」

ズキズキと痛む頭を触りながら、ルイズは女を軽くにらんだ。
もう一度、拳を振り上げた女。
慌ててルイズは謝った。あんな痛い思いは、二度とごめんである。

「そうそう、子供は素直が一番の美徳だよ」
「うう、わかったわよ」

さて、それでルイズが何故目を瞑ったのかに関しては、赤毛の女性の言う通りだった。
それを聞いた女は、頬を掻きながらやれやれと呟いた。

「あんたね。死ねば終わりだと思っているだろ」

頷いたルイズ。そりゃそうだ。人間が死んだら、なにも語れない。
死後の世界を知っている者なんていないのだ。
それなのに、それなのに、彼女は、

「いいかい。死んでもその苦しみは消えないんだよ。
誕は罪。生は罰。つまり自身を殺すことは、罰から逃げ出すこと。
それ自体が大きな罪ってことなんだ。それを、免れることは決して出来ない。
あんたの苦しみは、その罪を喰らい尽くして、もっともっと大きく育っちまう。
そうなったら大変だ。地獄でどれだけの責め苦を味合わされることになるのやら。
矛盾だろう? 生きることは罰なのに、死ぬこともまた罰の始まりである、なんてさ。
まっ、個人的には、最後まで足掻いてみるのがおすすめだねぇ。そっちのほうが、あたいの仕事も少なくなるしさ」

まるで、そのすべてを見てきたように語っていた。
もっとも、幼いルイズには、その内容の一割程度も理解してはいないのだが。
ルイズは不意に、目の前の彼女が人以外の別のナニカに見えた。
最初は、変わった服を着たメイジなのかな、と思っていた。
とても珍しいが、鎌を杖にしているメイジも、世界中でひとりぐらいはいるのだろうと。
そんなルイズの訝しげな視線から、自分がまだ何物なのかを言っていないことに気付いた女。

「ああ、そう言えばまだ名乗ってもなけりゃ、あんたの名前も知らないんだねぇ。
あたいは小野塚小町。姓は小野塚、名は小町。ここいらで船頭を生業としている、ちんけな死神さ」
「ひえぇ! 死神ぃ?」

幼いルイズでも、死神がどんな存在かは知っていた。
生命の死を司る神であり、出来れば関わりたくない存在である。

「そんなに恐がらなくても、別にその首を刈ろうなんて思っちゃいないよ。
そんなことをしても、仕事が増えるだけだしね。この仕事は嫌いじゃないが、働きすぎる気はないんだ」

我ながら不良だねぇ、と小町は豪快に笑った。それはもう、気持ちよさそうに笑っていた。
死神といえば、陰気くさい印象を持っていたルイズだったが、そんな偏見を吹き飛ばすように小町は笑った。
そういえば、何で彼女が死神だなんてことを信じたのか?
ルイズはそんな疑問を思ったのだが、すぐに気にしないことにした。

「じゃあコマチは、怖くない死神なんだ」

大きな鎌を持っていて、生死について妙なことを語ったのだ。
ルイズは、それだけで信じた。
子供は素直が一番――そんなルイズを見た小町は、満足そうに頷いたのだった。



ルイズの話を聞いた小町は、正直にいえば困惑していた。
魔法の使える者、メイジが支配する世界ハルケギニア。
その世界のトリステインという国にある、公爵家の生まれだという少女ルイズ。

(あれま。外の世界で、いったい何時の間に魔法が復権したんだい?)

ふむ、と考えてみてみるも答えのでない小町は、考えるのをスパッとやめてしまった。
切り替えの早さが、彼女の自慢なのである。

(……それにしても、何とも凄い子だねぇ)

ここ、三途の川の辺は、此岸と彼岸の境界にある。
その事実が意味することとはつまり、この空間そのものが曖昧な状態であるということだ。
この世でもあり、あの世でもある。この世ではなく、あの世でもない。
肉体は、世界に引きずられる。
陰の気が満ちた世界なら、どれだけ陽気な人間だろうとも言葉数が少なくなっていき、
逆に陽の気が満ちれば、次第にお祭り好きの陽気な性格になっていくだろう。
そして、ここ三途の川の空気は、普通の人間には毒にしかならない。
死の気に引きずられるためである。
しかし、ルイズにはそんな様子が微塵も感じられない。
そのような死の気配に敏感な小町が見ても、まったく影響していないように見えるのだ。
それは、彼女の内に秘める桁外れの魔力のおかげである。

(ああ、凄い子だねぇ)

その事実に、微かな暗雲を感じ取ってしまう小町。
人間の枠を外れた才能や力は、その者を幸にも不幸にもしてしまうだろう。

(いや、それはわたしが考えることじゃないか……)

それは当人の問題であり、一介の死神が出しゃばることではない。

「さて、それじゃああんたはどうするんだい?」

今一番の問題は、それだった。

「元の何だっけ……ハルケギニアだったっけ? そこに戻りたいんだろう?」

目を逸らしたルイズ。
彼女は、自分でもどうしたいのか分かっていないのだ。
あそこに戻ったって、自分は疎まれているだけなのだと思っているルイズ。
それでも、悲しくなるのはなんでだろう?
涙が出るのは、いったいどうしてだろう?
ルイズが涙を流しているのを見た小町は、何ともいえない顔つきをした。

「まったく泣くな泣くな。ほらほら、鬱々してても良いことないさ」

小町は少し考えると、両手を自分の頭に持っていった。

「なぁルイズ。どうしてあたいは、こうやって髪を二つくくってると思う?」
「……わかんない」
「これは尻尾なんだ。長く生きた妖怪ってのは、どんどん尻尾が増えるのさ。
それであたいは、尻尾二つ分の強さだと自負してるって訳で……うん、平たく言えば願掛けだってことだよ」

そう言った小町は、その髪を結っていた髪留めを外した。
そしてその内の一つで、ルイズの髪を器用に馬の尻尾のようにまとめる小町。

「よっと、これでルイズも一尾って寸法だ。
だから泣きやまないと駄目だよ。あんたはさっきよりも、強くなったんだからね」

小町がしたことは、たったそれだけだった。
そして、ただそれだけで、ルイズは泣きやんでいた。
まるで魔法だ。こんなにも胸の中を占めていた悲しみが、どこかへ溶けて消えていったのだ。
この人は、凄い人なのかもしれない。ルイズは素直にそう思った。

「どっちにしても、外来人は博麗神社へが決まりだし、連れて行くしかないか。
まあ、ここは幻想郷じゃないけど似たようなもんだしねぇ」
「幻想郷?」
「そうさ、幻想郷だよ。
悪辣で、無慈悲で、そしてなにより、時代に取り残された哀れな負け犬達の最後の楽園。それが幻想郷さ」

小町は心の底から愉快そうに、そう宣言した。



小町がルイズを抱えて、幻想郷へ飛んでいく。
恐がっているルイズに、ずっと話しかけて恐怖から気を逸らしている小町の様子は、どこか年の離れた姉のようだった。

そんな、ふたりを影から見ていた人物がいる。

「やれやれ、あの子も一端の口を利くようになったものね。
それでもね小町。あなたの説法に合格点は与えられないわ。甘く見ても40点。
どれほど真理をついても、相手に伝わらない説法は、それだけで失格なのですよ。
幼いあの子には、あなたの言いたいことの半分も伝わっていないでしょうに。
そう、あなたは自分の物差で物事を考えすぎる」

その言葉とは裏腹に、満足そうな表情のまま彼女は仕事場に帰っていった。



「うわぁ~~」

ルイズは今、真っ青に広がる大空を、小町の手を借りて飛んでいた。
空一面の青。点々と白い雲。雄大と佇む黄色い太陽。
竜籠に乗って、はるか上空からの風景を楽しんだことがあるルイズでも、素直に感嘆するぐらい幻想郷は美しいのだ。
どうしてこんなに美しいのか? それを小町に聞いてみると、彼女はあっさりと答えを言ってくれた。

「簡単だよその答えは。この世界が幻想だからさ。
現実なんかより空想のほうが綺麗だってのは、一片の曇りもない真実なんだよ」

そう言って小町は、ぐるんととんぼ返り。
そのまま、びゅんびゅんと風を切りながら吹っ飛んでいく。

「きゃああ!」
「はっは、気持ちいいねぇ」

確かに心地よい風が、体全身に吹き抜けて気持ちよかった。
肉体に溜まっている毒が、抜けていくような感じがする。

「おおっと、思ってたより早くついちゃったね」

その建物を見た小町は、ゆっくりとそこの境内に降り立った。
無数の木々に囲まれた、ルイズからすれば奇妙な建物が悠然とそこにはある。

「ここが博麗神社さ」

神社とは一体なんだろう? とルイズは素直に分からないことを聞いてみた。

「そうだね……神様を崇める施設っていう説明が分かりやすいかな?」

首をひねりながら、そう説明した小町。

「……教会と一緒なの?」
「何だ、教会を知っているのかい。それなら話は早い」

祀ってる神様が違うだけさ、と小町が適当にルイズに言って、神社の説明は終わる。
分からないような、分かるような。そんな微妙な感じのルイズを無視して、小町の説明は続く。

「さて、ここが幻想郷と外との出入り口なんだが……なんか変だね?」

神社の中を覗いた小町が、不思議そうな顔をする。

「ちょっと待ってなルイズ。あんまり、歩き回らないでここにいてくれよ。
ここら辺には、人を食べるバケモノがいっぱい彷徨いてるからね」
「た、た、食べるぅ!?」

ビクンと立ち上がるルイズを笑いながら、小町は神社の中に入っていった。
ひとり取り残されたルイズは、辺りをきょろきょろ見渡してみる。
小町と一緒だった時は、緑一色だなぁとしか思ってなかった森だが、
今あらためてひとりで見ると、なにやら不気味なものが蠢いているような感じがした。
そんな時だった。

ガサ。

……確かに聞こえた。

ガサガサ。

いやいや、絶対に空耳のはず……よね?

ガサガサガサ。

「コマッ!!」

もう駄目だと、小町を呼ぼうとしたルイズだったが、
突然彼女の口が、森から飛び出た影によって塞がれてしまった。

「ふぅぅぅ!! ふがふががが!!」
「ちょっと!! 落ち着きなさいよ」

人の声だ。
それだけでも、ちょっと落ち着いてきたルイズ。
前をよく見てみると、自分と同い年ぐらいの女の子が立っていた。
真っ黒な髪を伸ばして、奇妙な服を着ている可愛い子だった。

「早く、こっちに来なさいよ。ばれちゃうじゃない」

その女の子は、ルイズを引っ張って森の中に入っていく。
いやいやいや、そこは人食いのバケモノが、と首を横に振って抵抗するルイズを見た少女は一言、
「妖怪なんていないわよ」と言い放った。

「そんなの、あんたがどっかに行かないための方便じゃない。
それぐらいのことも分からないって、あんた間抜けなのね」

森の中に入ってルイズを離した少女。
彼女は、呆れたようにルイズを見ていた。

「ふ、ふん。絶対いないなんて断言できないでしょ!」
「……まぁ、別にいたって怖くないけど」

そう呟いた少女は、うーんと背伸びをした。

「ねぇあんたって外来人よね?」

そう言えば、さっき小町もそんなことを言っていたことを思いだしたルイズだったが、
それをそのまま伝えることも癪だと感じて、誤魔化してみることにした。

「さあどうなのかしらねぇ……。
それよりも、あんたはいったい何者なのよ?
妙な紅白の服を着て、いったいなんの用なのよ?」
「ああ、私は巫女見習い。
それでこの服は、巫女が着る服。
それよりも誤魔化さないでよ。そんなピンク頭の人間なんて、初めて見たんだからね」
「ピ、ピ、ピ、言うに事欠いてピンク頭!!」

この色は、偉大な母から受継いだだとか何とか、いろいろと声を張り上げているルイズを呆れて見ている少女。

「いやねぇ……最近、修行ばっかでつまんないのよ。
別に修行しなくても大丈夫って言ってるのにさぁ……どう思うピンク頭?」

その時、ルイズは彼女が超が幾つもつくほどのマイペースであることを覚った。

「別に知らないわよ紅白女」

半分、いやほぼ100%嫌味で言ったルイズだったが、どうも彼女には通じなかったようである。

「そりゃそうか。素人に分かるわけがないのは当然ね。
それじゃあ、何かして遊んでみましょうよ。
わたしって、同じ年代の子と遊んだことがないのよ実は」

あっけらかんとしている少女を見ていると、なんだかルイズは頭が痛くなってきた。
なんだこの女は、何事にも縛られていない感じがする。
自由すぎて疲れてくるのだ。

「とは言うものの、よく話に聞く隠れんぼとか駆けっことかしても、わたしから離れたあんたが妖怪に食べられそうだからね……」
「そうね。もっと安全な遊びをしましょう」

もうめんどくさくなってきたルイズは、適当に話を合わせながら小町を待とうと思っていた。
というか、そもそもいるじゃん妖怪。
ここ危険じゃん。

「それじゃあお手玉はどう?」
「お手玉?」

ルイズの疑問に答えないまま、少女はボールのような物を懐から取りだす。
それは布の袋で、その中には硬い豆のような物が入っていた。
これをお手玉というらしい。いくつかのお手玉をまとめて手に持った少女が、ゆっくりと口を開いた。
そこから紡がれるのは唄。穏やかに、それでいて心地よい拍子で歌われる中、少女が次々とお手玉を上空に投げ出していく。
右手から一個お手玉を上げ、それと同時に素早くもう一個また上げて、どんどんその動作を繰り返していく。
もちろん最初に上げたお手玉は落ちていくのだが、それをうまく捕まえるのは左手だ。
そして、左手はすぐに右手までお手玉を送り出していく。それを何度も繰り返す。繰り返す。繰り返す。

お手玉で出来る無限のループ。永遠に続く輪廻の輪。
世界の摂理なんてものは、こんな子供の遊びにこそ秘められているのかもしれない。
もっとも、今のルイズにはそんなことなどどうでもよい。
なんか、紅白の巫女見習いが光って見えたのが羨ましかった。



「今度はそっちがしてみる?」
「……うん」
「最初は二つで挑戦する方がお勧め。それに唄も歌わない方がいいかもね。
そんなことしてたら、集中できなくて失敗しそうだしあなた」

ルイズは少女からお手玉をもらうと、先ほどの彼女のようなポーズを取った。
そして、「えい!」という掛け声とともにお手玉を一個、宙に放り投げる。

(その後すぐにっ!)

もう一個を同じように投げたルイズ。
しかし、その時すでに彼女は失敗を犯していた。

(って、最初に投げたお手玉はどこ?)

一回目のお手玉を放り出す力が強すぎたのだ。
お手玉を見失ってしまって、視線をあっちこっちにやるルイズ。
そんな彼女の頭の上に、ポテッとそれは落ちた。

「ナイスキャッチね。あははは」

ちょこんと乗っかったのは、もちろんお手玉。
それを見た紅白娘が、我慢しきれずに笑っている。
プルプルと震えだすルイズ。

「ええーい、なんなのよこれ、つまんないじゃないの!!」
「ははは、別に怒ること無いじゃないのよ。
……それあげるわ。練習しておきなさい」
「ええ? なんでよ?」

どうも彼女自身にも、なんでそんなことを言ったのかは、分からなかったようだ。

「そうねぇ、なんか勿体ないじゃない。
お手玉ぐらい出来なくちゃ、生きてても人生損してるって感じでしょ?」

言い返してやりたい気持ちのルイズであるが、どうにも効果的な言葉が思いつけなかった。
それでもなにも言わないのは、絶対に我慢ならなかったルイズは、適当に記憶にある言葉を選んだ。

「ふん、生きてて損するわけ無いでしょ。生きてるだけで丸儲けなのよ」

小町は、死んでも罪は消えない。もっと大きくなると言っていた。
つまり、死んだらもっと罪が大きくなるのなら、出来るだけ生きてたほうが得なのかな、とルイズは何となく思ったのだ。
それを聞いた少女は、感心したのか「へぇー」と声を漏らした。

「なるほどねぇ……そういう考え方もあるのね。
でもそれだと、やっぱりお手玉ぐらい楽しめないと損じゃないの?」
「うっ!」

減らず口を、とルイズがさらに何かを言い返そうとした時、少女の顔つきが変わった。

「あ! やっばー。多分、もう話し合い終わってるわね」

紅白の少女は、何かを察したのかいきなり慌てだした。
それをボケッと見ているルイズ。

「それじゃあ、ちょっと修行に戻らなくちゃいけないから、また会いましょうね。
ああ、あとわたしと遊んだことは言わないようにお願いするわ」

急いで森の中を突っ切っていく少女。

「ちょ、ちょっと、これどうしたらいいのよ!?」

残ったお手玉二つを掲げるルイズに、豆粒のように小さくなっている少女から返事が聞こえた。

「今度会う時までに、上手くなってなさい」

そのまま少女は去っていった。

「はあ、なんなのよあいつ?」

お手玉を見たルイズは、なんだかとんでもない奴と顔を合わせていたのだと、今初めて知ったのだった。



「まったく駄目じゃないか!」

元の場所に戻ると、怒った小町に拳骨を食らった。
不条理だ、ああ、まったく不条理である。
これが幻想郷なのか。不意にルイズは、そんなことを思うのだった。



少女はいつもの修行場まで戻る間に、先ほどまで会っていた人のことを考えていた。
不思議な女の子だった。何となくここにいるみんなとは、違う空気を纏っている感じの少女だった。

「それにしても、生きるのは丸儲け……ね。
なんだか気に入ったわ。生きてるだけで儲けもの、ふふふ」

少女は物心付いた時から、博麗の巫女としての修行ばかりしていた。
特に最近は、先代の力が衰えただかで、修行付けの毎日である。
その名が持つ重さは、幼いながらも理解できる。
でもやはり、それだけでは満足できない自分がいることもまた確かだった。

ああ、早く一人前になりたい。
そうして、あとは自分勝手に生きていくのだ。
儲けて、儲けて、儲けまくってやるのだ。
例えばそう――

「友達とお手玉で、遊んだりなんかしてね」



「まったく運がないねぇルイズは。
まさか巫女の代替わりの最中に、こっちに来るなんてさぁ」

ルイズは、また小町に抱えられて空を飛んでいた。
幻想郷の空は、先ほどよりも少し薄暗くなっていて、どこからともなく恐怖の色が滲み出ている。

「それにハルケギニアなんて、どこにあるのかも知らないってきたもんだ。
っと、ああ別に帰れないってことじゃないよルイズ。
あそこに偶然いた胡散臭い妖怪様が、特別に探してくれるって話だからねぇ」
「胡散臭い妖怪?」
「まあ、あいつのことはどうでもいいとして、問題は住む場所だ。
今日明日には見付けられないって、あいつが言ってたのは本当みたいだから、それまでをどうしたらいいものか?」

悩んでいる小町。
そんな小町を見たルイズは、思った通りのことを素直に口にした。

「わたしは、小町のところがいい」

それを聞いた小町は、苦い笑みを浮かべる。

「それは駄目だよ。わたしは死神。
死神のわたしが、そこまで手を貸すわけにはいかないねぇ。
そもそも、ここまであんたに手を貸してる段階でけっこうやばいんだ」

そう言った小町を見たルイズは、自分が彼女に迷惑をかけていることにようやく気が付いた。

「別に気にすることじゃないよルイズ。
あたいが好き勝手やってるだけなんだからね。
それよりも、やっぱり人間の里が一番安全かな……おっ! あいつは……」

空を飛んでいる小町は、魔法の森へ続く道をすたすたと歩いている人物を見付ける。
その人物について思い出した彼女は、無意識の内にほくそ笑んでいた。

(ふんふん、あいつは確か……なかなか適任かもしれないねぇ)
「ここらで一回、降りるよルイズ」

獲物を狙う鷹のように、急加速をする小町。
歩いている人物は、すぐに誰かが降りてこようとしているのを察して、どんなことにも対応できるよう身構える。
しかし、それが自分に敵意がないことを知ると、あっさりと警戒をといていた。

小町に掴まったままのルイズは、降りた先に立っている眼光鋭い美少女を見た。
金色の髪を肩まで伸ばし、肌は白磁のように白い。
どことなく人形を思わせる、作り物めいた美貌の持ち主である。

「やあ、久しぶりだねぇ。今日も元気に生地獄を足掻いてるかい?」
「何よ、お迎えに来たって言うつもりなの。
もしそうなら……おもいっきり抵抗させてもらうけど」
「おいおい、お前さん仙人にでもなるつもりかい。
そうじゃなかったら、ちゃんと寿命を認めてくたばった方が後々お得だよ」

からかっているようでいて本気のような小町に、金髪の少女は嫌そうな顔をする。

「こんなところで死神と問答する気はないわ。
いったいなんの用なのよ……って誰よその子?」

そこで初めて、小町が抱えている人間に気が付いた彼女。

「そうそう、今日はちょっと彼女のことでお願いがあるんだ」
「このわたしに?」
「そうだよ、七色の人形遣い。
この子をちょっと預かってほしいんだ」

小町はそう言うと、ルイズを彼女の目の前に下ろした。
露骨に嫌そうな顔をする女。
そんな彼女に、小町がこうなった説明を話し始める。
心配そうなルイズの視線を受けながらも、七色の人形遣いと呼ばれた女性は、なんだかんだで真面目に話を聞いているのだった。



「事情は分かったわよ。
それで、このわたしに頼むっていうことにした理由はなんなのよ?」

ルイズに起こったことを聞いた彼女は、多少の同情を含んだ視線を本人に向けながらも、そんな疑問を口にした。
どうやら彼女、基本的に性根は優しいようである。

「今の幻想郷じゃあ、あんたぐらいだからさ。人間に友好的な魔法使いはね」

魔法使いという言葉を聞いたルイズは驚きながらも、複雑そうに彼女を見た。

「……まさか、この子に魔法を教えろっていいたいの?」
「いや、なんか魔法使いの間では、弟子を一人前に育てられたら達人だ、みたいな決まりがあるんだろう?」
「それは間違った与太話よ。各々の魔法使いがそれぞれの道を往くのに、一律の位階なんてつけられるわけがないの。
弟子を育てやすい一般的な魔法系統もあれば、誰も学ぼうともしない、事実上オンリーワンになってる魔法もあるのよ」

それを聞いた小町は、困ったように頭を掻いた。

「それにしてもハルケギニアね……ねぇルイズっていったかしら?
もしよければ、あなたの世界の魔法について話を聞かせてくれないかしら」
(くいついた!)

ニヤリとしそうな顔を無理矢理に押し込めて、小町はあくまで普通の表情をしている。
しかし、その心の内では、自分の狙いが間違っていなかったことに安堵していた。
魔法使いという種族は、揃いも揃って未知のモノへの探求心が馬鹿みたいに高いという特徴がある。
そんな内のひとりである彼女が、ハルケギニアというあの妖怪の賢者ですら知らなかった世界の魔法に、興味を持たないわけがないのだ。
どんな小さな情報でも聞き逃さないよう、彼女は根ほり葉ほりルイズを問い質していった。

「なるほどね。火水風土という四つの属性は、ある意味ではオーソドックスではあるけれど。
それでも精神力、マナを使わないでオドしか使わないようにしているには、何らかの意図があってのこと?
うーん……そうすると、杖を用意するという形式にも、何らかの意味が含まれていることになる……。
いやいや、そもそもブリミルというメイジの正体が不明なのよ……彼の使ったという虚無もだけど……」

彼女は、小町やルイズを視線を気にせず、ハルケギニアの魔法に関して自分なりに追及していた。

「おいおい魔法使いさん。ちょっといいかい?」

さすがに呆れた小町が、彼女の意識を現実に引き戻す。

「あ、ああ、どうしたの?」
「はぁ……ルイズの面倒は見てくれるんだろ?」

そこでようやく女は、自分が魔法使いとしての悪癖を晒していることに気が付いた。

「……ふぅ、ええ構わないわ」

そう言った彼女が、ルイズの目を見詰めた。

「わたしの名前は、アリス・マーガトロイド。
人形を操る程度の魔法使いよ。よろしくねルイズ」

自己紹介をしたアリスの後ろから、小さくて可愛らしい人形が数体現れて、
ルイズを歓迎するかのように、踊りを披露し始める。

「うわぁ、すごぉーい!!」

その華麗な舞いに感動するルイズを見て、少しだけ得意げになるアリス。
だが、思わずルイズが言った言葉に、

「こんな可愛いゴーレム見たことない!!」

アリスはおもいっきりずっこけた。
ついでに人形達も転んでいる。

「ゴーレム!! あなた今ゴーレムって言ったわね!!」

ルイズに詰め寄っていくアリス。
あれ、わたし何か間違ったこと言ったの?
不安で視線が定まらないルイズに、アリスは蕩々と言い聞かせた。

「いい? 不細工で下品なゴーレムと、わたしの可愛い人形(ドール)達を間違えるなんて二度と許さないからね!!」
「は、はい」
「じゃあ質問ね。彼女はなに?」

アリスは躍っていた一体の人形を、ルイズの前に差し出す。

「ドールです」
「違う。あなたの言葉には格調が足りないわ。
もっと、誇りと慈しみと愛しさを込めて言いなさい。
ドールマスターを目指すのには、ドールにたいする海よりも深く、空よりも広い愛が必要なのよルイズ」
(えっと、別にドールマスターなんてのには興味がないんだけど……)
「返事は!」
「は、はい!!」

その返事に満足したのか、うんうんと頷くアリス。
そんなアリスを見て、なんだかとんでもないことになったと思うルイズ。
小町は、ふたりを見てひとり満足そうに笑っている。
すでに幻想郷の太陽は落ちかけており、世界を染めているのは真っ赤な夕焼けと後の闇黒。
それでも小町は感じたのだ。ルイズの歩む先には、透き通った青空が広がっているのだと。

「それじゃあね、失礼させてもらうよ」

もうそろそろ帰らないと、さすがに上司から大目玉を食らうだろう。
あの優しいお人なら、こちらの事情も酌んでくれるだろうとは思う。
それでも、なるべく怒られる可能性を減らしたいのが人情(死神ではあるが)である。
そして、これ以上ルイズが自分といてもいいことはない。そう小町は考えていた。

「あっ……」

後ろを向いた小町を見て、無意識の内に呟いていたルイズ。
未練の糸。心細さの吐息。信頼の鎖。
死神は、そんなモノに縛られてはならない。影響されてはならない。
死は、あらゆる生命に与えられる絶対的な運命。
死こそ、世界の絶対的平等を象徴するモノである。
つまりそれを司る死神もまた、あらゆるモノに対して平等でなければならない。
誰かのために力を尽くすことなど、あってはならないのだ。
だから小町は、一度もルイズを見なかった。

ルイズは、彼女の本当の気持ちを察することは出来ない。
捨てられたのか? それも、分からない。
それでも、わたしはまたひとりになったのかも、とは思った。
家でもそうだった。
魔法の使えない自分は、いつもひとりだった。
優しくしてくれる人もいたが、その優しさが刃となって自分の胸に突き刺さるように感じたのは、何時頃だったのだろうか。
小町は、本当にわたしのことを考えてくれて、わたしなんかのために助けてくれたのだ。
でも、やっぱりひとりになった。
ルイズは、自分の目から涙が出ていることに気がつかない。

アリスは、そんなルイズを見て苛つきを感じた。
そして、そんなことを感じる自分自身を不思議だとも思った。

(孤独なのね)

それは、アリス自身にも当てはまるのかもしれない。
魔法の森の奥でひとり、完全な自立人形を作ることを目標としている自分。
誰かが訪ねてくることはほとんどない。
たまたま迷い込んだ人間を家に入れても、交流なんてなにもない。
人里まで行き人形劇をすることもあるが、
それも所詮技術の向上が目的であり、それが済み次第すぐに帰ってしまう。

彼女もまた孤独だった。
不意にアリスの中に浮かんだ疑問。

何故、人形を操ろうなどと思ったのか?
何故、完全な自己を持った人形を生み出そうと思ったのか?

すでに過ぎ去りし過去となり、忘れ去られた答え。
アリスは、自分でも何でか分からないが人形を操作していた。

「はへ?」

アリスが両手を持ち上げる。

次の瞬間、並んでいた人形以外にも、次々とアリスの荷物から人形たちが駆け出していく。
彼女たち? は揃ってルイズの前に並ぶと、深々と一礼。

そして……『それ』が始まった。

これから始まるのはそう――『歌劇』である。

――冴え渡るトランペット。

――響き合う弦楽四重奏。

――ティンパニが舞台を盛り上げ。

――人形達が人生の素晴らしさを熱演する。

ただの草むらの中が、超一流の集う歴史ある劇場になっていた。
どこまでも優雅で熱情。あまりにも過激で荘厳。
ミニチュアサイズの楽器なのに、その音色には魂が揺すぶられるほどの凄みがある。
人形しかいないはずなのに、その演技には人間臭さが満ちあふれている。

そう、それはただ単純に――素晴らしかった。

「うわぁぁぁぁ~~」

ルイズは夢中になってそれを、聞き、見て、感じていた。
両親と行った名門といわれている劇団なんて、それこそ比べるのもおこがましいぐらい、彼女たちは凄かった。
先ほどまでルイズの心を占めていた悲しさ、寂しさはすでに消え去っており、
年頃の少女らしい気持ちのいい笑みを浮かべた、普通の女の子がそこにはいた。
それを見たアリスは、自分でもよく分からないが、とても満足な気分になっていたのだった。



「楽しんで頂けたましたか、お嬢様?」

アリスとその人形達が、仰々しく頭を下げた。

「うんうん、すごいすごい。すごかったよアリス。
なんか、人間みたいだったみんな。可愛かった」

そのルイズの言葉を聞いた人形が喜んでいるのを、アリスは彼女たちを操るための魔力の糸を通して感じ取った。
嬉しいことを言ってくれるわね。そんなことを思いながらも、アリスはもうすっかり日が落ちていることに気が付く。

「あらあら、こんなに暗くなっちゃってるわね。
すぐに家に帰って休みましょうか」

そう言いながらテキパキと、人形達を片付けていくアリス。
もちろん、人形本体に命じているだけで、傍目ではアリスは見ているだけである。
ルイズは、ほんの少しだけ暗い顔をした。

「ねぇアリス。本当は迷惑なんじゃないの?」

先ほどの小町のことを思い出したのだ。

「ん、そうねぇ。本音を言うと煩わしいのもあるわよ」

それを聞いて、ますますルイズの顔が下を向いていく。

「でもね、ルイズにはいろいろ興味深い話を聞けたから。
魔法使いはねルイズ。等価の法則ってのを重視するものなの。少なくとも伝統的な魔法使いはね。
必ずもらったら、同じだけの価値のものを返さなければならない。魔法を使うにも、精神力なり何なりが必要でしょ。
それで、ルイズにはかなりのものを教えてもらったから、世話ぐらい遠慮することはないのよ」

ルイズが見たところ、アリスは本当のことを言っているようだった。

「それに、あなたは魔法が使いたいんでしょ?
だったら、わたしが教えてあげるから、素直についてきなさいよ」
「えっ、本当にいいの?……本当に使えるの?」

ルイズは、不安でしょうがないのだろう。
これで使えなかったら、本当に魔法の才能がないことになってしまうのだから。
それが不憫だと、アリスは思った。
ルイズに背を向けて、帰り道を歩き出したアリスが口を開いた。

「大丈夫だと思うわよ。だってそれだけの魔力を持っているのよ」
「そうなの?」
「ほんとよ。昔のわたしなんかより、とんでもない魔力量なんだもの。
それよりも問題は、教えられる時間がどれ位かよ。
死神の話じゃ、あのスキマ妖怪に話をつけてるみたいだから、それほど時間の余裕はないようね。
……ああそんなに心配そうな顔をしない。なんとかものになるようにするから」
「……よろしくアリス」

アリスは、ルイズに背を向けたまま、ビシッと右手の人差し指を一本立てて、

「アリス……じゃないわよ。マスターって言いなさい」

と注意する。

「は、はいマスター!!」

慌てて元気に返事をすると、ルイズは先に行く師の後ろをトコトコとついていった。



アリスの家は、なんてことのないごく普通の洋館だった。
こんな変なところ(幻想郷)にあるのだから、神社みたいに見たことのない建物なんじゃないかと思っていたルイズは拍子抜けしてしまう。
その中も、いたるところに人形がある点を除けば、まあ多少ごちゃごちゃしているがおかしな所はない。

「お茶が入ったわよ」

ルイズの目の前には、ふわふわ浮きながらトレイを持つ人形の姿。
それこそ生きているように、ルイズへ紅茶を持ってきてくれる。
一口、飲んでみたルイズ。

「……普通の味」
「まあね。特別な茶葉は使ってないから」

アリスも一口紅茶を味わった。

「いつも通りの味ね」

人形に煎れさせる以上、早々味が変わるはずがないのだ。
どんなに生きているように見えても、あくまで人形なのである。

「それで、ルイズはどんな魔法を使いたいの?
だいたいの系統は把握しているから、何とかなると思うけど……」

ルイズは、キッと紅茶を煎れてくれた人形を見る。
頭の中に浮かぶのは、あの幻想的な演劇だった。

「マスターみたいな人形遣いになりたい」

ルイズは、魔法が使えるならどんなものでもいいのだ。
それならば、『あれ』をみんなに見せてあげたい。
あれを見てくれれば、きっと笑ってくれるんだ。
絶対に認めてくれるんだ。
そうルイズは信じていた。

「そう……それでいいんなら、わたしは構わないけど」

アリスは、はたして彼女に人形遣いとしての才能があるのだろうか、という疑問を抱いていた。
あれだけの魔力があるのだ。それこそ、彼女の故郷であるハルケギニアの魔法に似ているものを選んだほうがいいはず。
そう思いはしたが、しかし、アリスは反対しなかった。
魔法の上達に一番必要なのは何かというと――それに恋をすることだ。
魔法に恋をして、恋心を持ち続け、それが愛に変わる時に初めて、相手はその力を委ねてくれる。
大切なのは想い。ならば、ルイズの想いの強さに懸けるだけである。

「それじゃあ、勉強は明日から始めましょうか。
今日はいろいろあったから、もう眠たいんじゃないの?」
「うん」

うーん、と背伸びをしたアリスは、人形達にベッドメイクを任せるべく、魔力の糸に力を入れた。
テキパキと作業をする人形達。
なんて便利な魔法なんだろう。そうルイズは思っていた。

「さてと、準備は出来たようね。
ベットは一つしかないから、一緒に寝ましょう」

そう言って、寝間着に着替えるため服を脱いでいくアリスは、
それを聞いて戸惑っているルイズを見て、ある問題に気が付いた。

今着ている服しか、ルイズは持っていないのだ。

アリスの持っている服で、彼女が着られる物はない。
その時、ルイズが口を開いた。

「大丈夫、いつも寝る時は下着だから」
「そう、よかったわ。でもいくつか服を用意しなくちゃね」

着替えたアリスは、ルイズと一緒に毛布の中に潜り込んだ。
部屋にはまだ明かりがついていたが、すぐに人形がランプの火を消す。
真っ暗な部屋の中、アリスの耳にルイズの寝息が聞こえてきた。
やはり疲れていたのだろう。ルイズを起こさないよう、小さく苦笑するアリス。

アリスは彼女について考える。

アリスの家がある魔法の森は、ただの森ではない。
幻惑作用のある茸。妖の気配を放つ木々。
それらが寄り集まった、とびっきりの『魔』が凝縮された森なのだ。
妖怪ですら好んで近寄らないこの森でただの人間は、普通に空気を吸い込むだけで体調を崩す。
しかし、ルイズにはその兆候は見られない。
それほど、『魔』と相性がいいのだろうか?
真っ暗な中、アリスはうっすらと目を開けて、寝ているルイズを盗み見た。
よく分からないのが本音だ。
魔力が多いのは確かである。

そんなことを考えていると、ルイズにある変化が起こった。

「……ひぐっ」

泣いているのだ。
眠りにつきながらも、涙を流しているルイズ。
それを見たアリスは、ルイズが愛されていたのだと理解した。
幼いがため愛されていることには気付いていないが、それでも心の奥底ではそのことを知っていたのだ。
そして、夢の中でそれを失ってしまったかもしれないことに恐怖し、そして悲しんでいる。

(まったくもって人間ね)

いろいろな感情がない交ぜになったアリスは、数体の人形を操る。
それは、寝ているルイズまで飛んでいくと、彼女の涙を拭った。
そしてそのまま、ルイズの頭を撫で、指を握り、体をぴったりくっつける。

(でも、こんな風にしている自分も人間みたいじゃないアリス?)

アリスは、自分自身に問い掛ける。
こうやって睡眠を取っているのもそう。
毎日食事を食べているのもそう。

妖怪になりきれていないアリスは、そんな自分を情けなく思い、そして、どこかで嬉しく思っている。
そんな間にも、夜は更けていく。



ルイズは結局、ハルケギニアに戻れたのか?
結論から言えば、それは無理だった。

一週間後、ルイズとアリスの前にある妖怪が現れる。
まことに胡散臭い美女であった。

「残念ながらハルケギニアという世界は、どこにも見当たりません」

彼女は、まったく残念そうではない顔つきで、そう言った。
ルイズは泣いた。最初の夜の比ではないぐらいに泣き続けた。

それでは、そのままルイズの涙は止まらなかったのかといえば、それは違う。
人間には、適応力というものがある。
どんな過酷な環境においていかれても、ある程度そこで過ごせば、その世界に適応できるのだ。



ルイズが迷い込んで約十年が経ったある日、幻想郷を見渡せる神社の一角のことである。
ひとりの妖精と、ひとりの人間が戦っていた。

スペルカードルール。

人間が唯一、幻想に生きる存在と対等に戦える方法だ。

妖精が宣誓する。

「これであたいが最強だって」

凍符「パーフェクトフリーズ」

襲いかかる氷の弾幕。
それをギリギリでかわすのは、桃色の髪の少女。
やがて嵐は過ぎ去る。その時こそ、彼女の反撃の時である。

「今度こそあんたと決着をつける!!」

剣士人形「炎髪灼眼のフレイムドール」

燃えるような赤い髪と目を持つ人形が、「轟」と飛び出した。
それを応援するのは、下で酒盛りをしていた紅白の巫女と白黒の魔法使い。



どうもこうも、元気でやっているのは間違いないようである。





後書き

ルイズの使うスペカ案。

鎧人形「鋼のリビングドール」

偶像人形「小生意気なバッドドール」

猛獣人形「小さき牙のタイガードール」

実力的には⑨と終生のライバル程度の力。



[17147] 東方虚穴界 一話(東方虚無迷子の続き)
Name: 萌葱◆02766864 ID:f25df175
Date: 2010/03/16 23:51
今、博麗神社で行なわれているのは、どう考えても酒宴であることは間違いない。
がやがやと、騒ぎ立てる少女達。そのほとんどが人間ではなかった。
その過半数を占めるのは妖怪。数は少ないが、日本古来からの八百万の神や天人、亡霊などの姿も確認できる。
神様はまあよいとして、妖怪や亡霊が神社内でどうどうと宴会をするのはどうなのか?
そもそも、神社の境内でお酒を飲むこと自体が褒められたことではないだろうか?
まあ、それも仕方がないのかもしれない。なにしろ、

「ほらルイズ、駆け付け三杯よ」

ここの主が、進んでお酒を勧めているのだから。

「駆け付けって……別に遅れてないじゃない」

そう言いながらも、ルイズはグラスを持ってぐいっと乳白色の液体を飲んだ。
どぶろく特有の甘みが口の中で広がり、えも言われぬ心地よい感覚がルイズの全身を奔りぬける。

「負けた罰よ、罰」
「……それを言わないでよ霊夢」

ニヤニヤ笑っているこの神社の主、博麗霊夢を見ながらまた一口。

「ぷはぁ、って霊夢も飲みなさい。ほらほら」

霊夢の持っているコップに、注がれるお酒。
ふたりがそれで乾杯しようとした時、横から割って入る人物がいた。

「負けた傷を癒すのは、百薬の長だけってわけだな」
「何よ魔理沙」

正しく魔法使いといった格好の少女、霧雨魔理沙が気持ちよさそうにグラスを傾けている。
現在、アリスの家から巣立ったルイズは、魔理沙の霧雨魔法店に居候させてもらっていた。
つまりは大家と下宿人という関係なのだが、彼女たちにそのような雰囲気は見られない。
実は、実質的な店の切り盛りはルイズが担当していて、
さらに言えば、家事諸々もほとんどルイズが担っているために、居候という立場からの上下関係など有り得ないのである。

「また負けて、これでチルノに何連敗してるんだルイズ?」
「はぁ……えーと十や二十までは数えてたけど……」

そう言って落ち込んだルイズ。
霊夢と魔理沙は、二人顔を合わせて苦笑い。

「なに落ち込んでるのよ。生きてるだけで丸儲けでしょ」
「そうだそうだ。いつか勝てるさルイズ」

無理矢理盛り上げようとするふたり。

(駄目よ駄目よルイズ!!
こんなウジウジしてたら申し訳ないわよ)

「ようし、今度こそ勝つわよ!!」
「その息だぜルイズ」

三人揃って、持っている杯を掲げて乾杯。
グイッと一杯飲み干したルイズは、幸せな気分に浸っていた。

(変わった奴らだけど、やっぱりこいつら……)

しみじみと親友のことを思っていると、遠くから聞き慣れた声が聞こえてくる。

「すごーい、チルノちゃん!!」
「へへん。あんな人間、百人束になっても負けっこないわよ。
なんたって、あたい最強だからね。あーっはっはっはっはっ!!」

ああ鬱になりそう。
再びうなだれるルイズだった。



「それにしても、今日の宴会はずいぶん集まったわね」

ルイズは片手に酒の入ったコップを持ちながら、辺りを見渡して呟いた。

「ああ、そうだな。幹事なのに気付かなかったぜ。っと枝豆いただきだぜ!」
「はいはい、勝手に持っていきなさい」

魔理沙が素早い手つきで、目の前に盛られている枝豆を掴めるだけ持っていくのを、霊夢が呆れながら見ているそんな光景。
なんというか、このふたり宴会の度に同じようなやりとりをやっているな、とルイズは思いながら改めて参加者を眺めていた。


ある一角で、優雅にワインを嗜んでいるのは、吸血鬼とその一行。

冥界の亡霊嬢がかなりの深酒をさせたのか、半人半霊の庭師は奇妙な剣舞を始めだす。

竹林のお姫様は、自分の従者達と物静かに夜空の三日月を愛でている。

その横で、鬼が天狗や河童を取巻きにして、酒樽片手にがやがやと騒いで回り。

守矢の神社の風祝は、自身が信仰する二柱の神にしこたま飲まされ酩酊状態。

宴会の時だけ地上に出てくるようになった地獄の連中が、地下では見られない星空をつまみに楽しんでいる。

最近、人間の里の近くに建立された命蓮寺の連中が、酒を飲んでいるのはいいのだろうか?


「……ほんとに勢揃いね」
「まぁまぁ、少ないより多い方がいいだろ」

まあその通り、とルイズが頷き魔理沙にお酒を注いでもらった時だった。

それが現れたのは。



「なによこれ?」

それは、鏡のようなものだった。
ハッキリしているのは、なにやら光のようなものが寄り集まって形成されたらしきこれが、尋常のものではないことだけである。
その異変は、すぐに宴会全体に伝わった。
その場にいる人間、妖怪、神、妖精など各々がそれを調べてみたが、皆揃って首をかしげるだけだった。
当然の如く、妖精には誰も期待していない。
中には、何かに気が付いて眉をひそめた者もいるが、彼女らはそのことについて話すつもりはないようだ。

「よし! このままじゃ埒があかないぜ。思い切って触ってみようぜ」

魔理沙が、今にもそれに突っ込みそうなポーズを取りつつそう言った。
呆れて止めようとするルイズだったが、その役割を成したのは別の者である。

「あら、喚ばれているのはあなたじゃないわよ」

上空から聞こえる声。
みんなの目がその方向に向くと、そこには奇妙なスキマに腰掛ける金髪の美女の姿。

「紫じゃない。そういえば、今日はさっきまでいなかったわね」

霊夢に声をかけられた彼女――スキマ妖怪の八雲紫は、ふわりと浮き上がると優雅にその鏡の前に降り立った。

「それは、異世界への扉よ霊夢」

その紫の言葉に、おおぉと反応を示す宴会の参加者達。
境界を操るという彼女の力を考えたら、それを疑う必要はないだろう。

「こんなちんけなものが?」

吸血鬼が疑いつつも興味深げに覗けば、

「ひゃらら、いせきゃいだってかにゃこしゃま」

相当酔っぱらっているのか、それに頭から突っ込もうとする風祝を必死に止める神様達。

「なにを目的に、こんなところに扉を開いたのかしら?」

喘息持ちの魔法使いがそう疑問を呟いたら、それに答えたのはスキマ妖怪。

「ふふ、これは向こうの世界の魔法使いが、使い魔を喚び出すためのゲートなのよ」

そう言って彼女は、持っていた日傘の先をルイズに突きつける。

「喚ばれているのはルイズ……あなたよ」

信じられないといった面持ちで、自分を指差したルイズ。

「確かに、ルイズの目の前に現れたわね」

霊夢が先ほどのことを思い出してそう言うと、魔理沙もそうだったなと同意する。

「マジでそうなの紫?」

もちろんと頷いた紫。

「そんな面倒なことに関わりたくないわよ」

人形遣いとしての修行や、妥当チルノを目指すルイズには、赤の他人様の使い魔をする暇などないのだ。
周りの妖怪達は、そんな彼女にブーイングの嵐を浴びせかける。
その騒ぎの所為で、ルイズは影でこそこそとする魔理沙に気付けなかった。
それにルイズには、何か気に掛かることがあったのだ。

「……でも、なんかそんな話を聞いたことがあるのよね」

あれはそう……ずっと昔だったはず、と記憶を探ってみるルイズ。
そんな彼女を尻目に、周りにいる人外達がにわかに騒ぎ始めた。
ざざざと、どこかの神話みたいに二つに分かれて一本の道が出来る。

「んーとあれは……ってどうしたの?」

ようやくそれに気が付いたルイズが振り向くと、その道の先にいる魔理沙が見えた。

「ま、魔理沙!!」

彼女のやろうとしていることを瞬時に理解したルイズは、急いでそこから離れようとした。
ルイズのすぐ近くに座っている霊夢が、そんな彼女を見てポツリと呟く。

「諦めなさいルイズ」

そんな声を前で聞いていた魔理沙が、ニヤリと笑って一枚のカードを見せつける。

彗星「ブレイジングスター」

もちろん周りにいる者達は、それを見る前に有効範囲から離れている。
彼らの中には、それに轢かれた者も多いのだから、その反応も当然だろう。
魔理沙が後ろに向けているマジックアイテム、ミニ八卦炉が火を噴いた。
その魔力の猛りにただすべてを乗せ、

「いやぁっほう~~~~!!」

叫びと共に、普通の魔法使いが驀進する。
そのまま、必死に逃げているルイズと、呆れつつ座っていた霊夢の首根っこを掴まえて、

「いざ往かん。まだ見ぬ異世界!!」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「ふう、向こうにもお茶があればいいけど」

三人揃ってゲートに突入した。

その瞬間、霊夢は誰にも分からないほどさりげなく、それでいてしっかりと八雲紫を見ていた。
まるで何かを探っているような視線に対して、紫は見る者を不安にさせるような笑みを浮かべる。
それを確認した霊夢は、改めて目の前の鏡を見つめた。

そのまま、彼女たちは幻想郷から消えてしまったのである。


ゲートを潜るその時、世界と世界の間にある境界線上では、何人たりともその空間を認識することはできない。
霧雨魔理沙もルイズも、電池が止まった時計の秒針のようにピクリともしない。
しかし、霊夢だけが彼女自身の力のおかげなのか、辛うじてその凍りついた世界を見ることができた。
そこで霊夢は感じた。

(なにこれ……誰かに見られている?)

それを探ろうとした霊夢だったが、少しばかり時間が足りないようだ。
目の前には、光り輝く出口が見える。
その輝きに包まれる中、霊夢はその感じた気配に疑問を抱いていた。


(あの神々しい気配……どこかで似たようなものを感じた気がする……)

そして彼女たちは、向こうの世界に飛び抜けていった。



ゲートを抜け出て意識を取り戻したルイズは、いきなり正面に子供が立っていることに気が付いた。
目を見開きつつ、驚くより早く親友に怒鳴り散らす。

「魔理沙ぁぁっ! 止めてぇぇぇ!!」
「って、おおーーーっと」

グイッと体をひねって、またがっている箒を無理矢理横に向けることで、進行方向を反らす魔理沙。
纏っている魔力が、地面をがりがりと削り取っている中、三人は少年の目と鼻の先で止まった。

「ぜぇぜぇぜぇ、まったくいい加減にしてよね魔理沙。
……っとちょっとあなた大丈夫なの? 怪我はない?」

息を切らせながらもルイズは、正面にいた少年が怪我をしていないのか確かめる。
いきなり、目の前にあれが迫ったのだ。少年は腰が抜けたのか、地面に座り込んでいた。
その彼の顔を見て、ルイズは思わず眉をひそめた。
どこかで見たことがある顔だ。
一方、魔理沙と霊夢はその少年のことはルイズに任せて、自分たちの状況を確認していた。

「ふう、危なかったぜ」
「なんか、いっぱい周りにいるわね」

霊夢が言った通り、ルイズ達を囲むように同年代の男女が立っている。
彼らの内、唯一の大人が霊夢達の所まで走ってきた。

「おーい、大丈夫かルイス君?」

ルイス――そのどこかで聞いたことがある、似たような名前に疑問を持った三人。
その時、その桃色のブロンドをショートにまとめた少年が立ち上がった。

「ミ、ミ、ミ、ミスタ・コルベール!
一体、どうなっているんですか!? 使い魔が三人も出てきました!!
というか、人間なんですけどどうしたらいいんですか!?」
「落ち着きたまえ、ミスタ・ヴァリエール。
この現状をどう解釈するかはともかく、彼女らの内のひとりと契約しなくてはならないのは間違いないんだ」

その禿散らかした男性――コルベールの発言は、ルイズを一種のパニックに陥れた。

(はい? ヴァリエール……ですって?)

面白そうに彼らの話を横から聞いている魔理沙や、ぼうっと空を見ている霊夢を尻目に、
ルイズは恐る恐る彼らに声をかけてみる。

「ちょっといいかしら、そこのあなたさっきヴァリエールって言ったの?」

少年は、そんなルイズを見て何か思うところがあるのか、混乱したような様子で返事がでない。
それを見たコルベールが、慌ててフォローする。

「ええそうです。トリステインのヴァリエール公爵家の御長子。ルイス・ド・ラ・ヴァリエールですが」

トリステイン!!
ヴァリエール!!

ルイズの頭の中では、はるか過去すでに忘れ去っていた言葉の数々が、甦り始めていた。

(サモン・サーヴァント!! これかぁ~~)

なんだって今更、とルイズは頭を抱えてがっくりと落ち込んでしまう。
そんな彼女の反応を不思議に思いながら、コルベールは召喚された三人に声をかけた。

「ええと、それであなた達は一体何者なんですか?」

ただ、ゲートから現れたのだったらそんな質問はしないのだが、
彼女たちはほうきにまたがり空を斬り裂きながら、もの凄い勢いで突進してきたのである。

「私は博麗霊夢。名前通りの博麗神社の巫女よ」
「霧雨魔理沙。普通の魔法使いだぜ」

霊夢の巫女という名称に関しては、コルベールには聞き覚えがなかったが、魔理沙という少女の名乗りは無視することが出来ない。
普通の魔法使い。つまりはメイジということなのか?
訝しげな視線で魔理沙を見ていたコルベールは、最後のひとりの名前を聞いていないことに気が付いた。

「君は?」
「……ええそうね、名乗らなくてはね。
私の名前はルイズ。未熟な人形遣いのルイズよ」

自ら未熟と名乗る彼女に、微妙な興味を抱いたコルベール。
しかし、この場にそんな彼よりももっと大きな反応を人物がいた。

ルイスである。

「ルイズ!! やっぱりだ。あんたルイズ姉さんだろ!!」

いきなりルイズに詰め寄った少年。
その時初めてルイズは、少年の顔を見て感じた疑問が理解できた。
少年の顔が自分と瓜二つなのだ。
男と女という違いがあるが、それにしては似すぎている。
やはりこの少年は――

「昔、神隠しにあったルイズ姉さんなんでしょう!?」

魔理沙と霊夢は、興味津々な視線でふたりを見ている。
なんとかしてよ、という目線をふたりに送るが、そんな効果は期待できないなとも考えているルイズ。
ルイズは、この場で素直に姉ですと名乗ることは出来なかった。
今更なのだ。幻想郷で過ごした十年という歳月は、少女にとってとても大きなものになっていた。

「ち、違うわよ。私はこんなところ知らないわよ」
「嘘だろ。弟の俺には分かるんだ」

なおも詰め寄るルイスを止めたのは、意外にも霧雨魔理沙だった。

「おおっと、ちょっと待ちな少年。
こいつは昔からの私の親友だぜ。それこそ生まれた時からのな」
「な! きっと口裏を合わせてるんだろ!」

もちろん嘘だぜ、とは言わずに舌を出した魔理沙。
魔理沙自身も、家族といろいろな言い表せない関係があるために、ルイズをフォローせずにはいられなかったのだ。

「まあまあ、落ち着きなさいルイス君。
それよりも、使い魔の契約を進めなくてはいけませんよ」

コルベールが、頭に血の上ったルイスをなだめる。

「……そうですね」

ルイスも、これ以上言っても仕方がないと思ったのか、これ以上ルイズを問いつめるのはやめることにした。
そして、召喚した三人の少女をよく見る。

「それで誰と契約したらいいんですか?」
「それは……ええっと」

悩むコルベール。
そんな時、これまで口を開かなかった霊夢が突然話し出した。

「ねぇ……あれを見てよ」

霊夢が指を差したその方向をコルベールが見てみると、そこには、

「ええっと、まだ残ってますね」

いまだにゲートが光り輝いていたのだ。

「ええっと先生。こういう場合はどうしたら?」

これまでにない事態に、ルイスの質問に答えられないコルベール。
こんな彼の目の前で、さらに現状を混沌に突き落とす出来事が起こってしまう。
そのゲートから手が出てきたのだ。
最初は右手、次に左足と、誰かがこちらに出てこようとしていた。

その人物の体が全部出てきたのを見たルイズは、思わず溜息をついてしまう。

「はぁ? なんであんたが??」

彼女を見た魔理沙は思わず口笛を吹き、霊夢も呆れたように両手を上げた。

「ふん、異世界っていうからには、空が真っ赤だったりするのかと思ったが、まったく普通じゃないか。
つまんないぞ。つまんないぞ。二回言ったのだから、お前らなんとかしろ」

えらそうに小さな体で精一杯背伸びをして、周りの人間達を赤い目で睨み付ける。

「レミリア・スカーレット」

ルイズに呼ばれた彼女は、ニヤッと不敵な笑みを浮かべる。
永遠に幼い紅き月は、異世界だろうとその高慢そうな態度を崩すことはない。
背中の大きな翼から煙を出しながらも。

そして、ゲートは依然としてその場に浮かび続けていた。
まるで、まだその役割を終えていないのだというばかりに。









後書きという言い訳

何故続いた?
このままでは、ゼロ魔クロスの意味ないじゃんってツッコミがはいるもんだと思っていたから。
まあ、ちびちびと更新していきます。



[17147] 東方虚穴界 二話
Name: 萌葱◆02766864 ID:f25df175
Date: 2010/03/17 23:22
真夜中の幻想郷の空を、三人の女性が飛んでいた。
暗くもどこか吸い込まれそうな光景は、不思議と恐怖よりも美しさを感じさせた。
しかし、その三人には、この景色を味わう余裕はないようである。

「あのうよかったんですか? お嬢様をひとりで行かせて」

大陸風の衣装を身に纏い、すらりと背の高い赤毛のロングヘアの女性が、目の前を飛んでいる銀髪の女性に声をかけた。

「本音を言えば、もちろん一緒について行きたかったけど。
あの場でそれぞれの勢力の内、ひとりずつだけが行くことに話が決まっちゃったから仕方がないわね」

そう言って、ふうっと溜息をついたメイド服を着た銀髪の女性。

「お嬢様が、あの場で引くわけがないのはまあしょうがないとはいえ、日傘を持たせずに行かせるなんて。
まったくもって従者失格よ私」

まあまあと、赤毛の女性がメイドを慰めていると、彼女たちの視界に大きな湖が見えた。

「まったくレミィには困ったものだけど、それよりも問題は妹様のことよ。
上手く説明しないと、ちょっと面倒なことになるわよ」

そう呟いたのは、菫のような儚げで影のよく似合う少女である。
彼女の言葉を聞いた、ふたりは一緒に溜息をつく。

そんな彼女たちが、飛んでいる高度を落としていく。
大地に降りる三人の前に現れたのは、今では主のいなくなってしまった館である。
紅魔館――その洋館はそう呼ばれていた。



三人が紅魔館の正門を潜った。
いつもなら、だらだらと働いている妖精達がいるはずだが、
今回は予想すらしていない人物がそこにいた。

「あら、ずいぶん遅かったね」

少女が、大きなロビーの真ん中に堂々と立っている。
別にその光景自体に、不思議なところはなにひとつない。
レトロな雰囲気を持つ紅魔館に、その愛らしい少女はよく似合っていた。
ただ、問題はその少女自身だった。

蜂蜜のような黄色の滑らかな髪と、姉と瓜二つの紅い瞳。
背中には、七色に光る奇妙な翼。

そんな翼を持つ少女は、ひとりしかこの幻想郷にはいない。

「ど、どうされたのですか?」

メイドが、恐る恐る少女に声をかけた。
その言葉に、ニヤリと笑った彼女。

「ねえ、さっき妖精に聞いたんだけど、お姉様が異世界に行ったのは本当なの?」

それを聞いたメイドは、ぎらりと睨むだけで殺せそうな視線を、端にいる妖精達を向けた。
宴会で色々あったため先に紅魔館に帰したのだが、それが徒となってしまったようだ。

「ええ、その通りです」

それを聞いた少女が、満足そうに笑みを浮かべた。

「そうなの……あいつがいなくなったのは本当なんだ」

あいつ――いつもの彼女なら、この様な場では絶対に言うことがない言葉だ。
思わず、銀髪のメイドはそれを注意しそうになった。

「!」

妹様と言おうとして、その瞬間とっさに口を閉じたメイド。
彼女の目の前では、紅い目の少女がニヤニヤと笑っている。
ギリギリだった。女はその直感から、妹様と口走っていたら自分の胴体が真っ二つに破壊されていたことを予感していた。
自分のこめかみに、汗が一筋流れていたのを感じる。

「さすがね咲夜は」
「ありがとうございます。フラン様」
「フフ、それじゃあ自分の部屋に戻るわね」

そう言ったフランドール・スカーレットは、
今日まで自室があった地下ではなく、階段を上に向かっていく。
それを黙って見ていた三人。
やがて、フランの姿が完全に消えると、それぞれが視線を交差させた。

「あのう、これって?」

赤毛の女性、紅美鈴が疑問を口に出すと、

「クーデターね」

パチュリー・ノーレッジが、フランの行動を一言で表わした。
それを重々しく頷くことで、紅魔館を乗っ取られたのを認めるのは十六夜咲夜。

「美鈴はいつも通り門番と花壇の管理を。
パチュリー様も、いつも通りの対応をお願いします」

そう言った咲夜に、美鈴は戸惑いながらも、そしてパチュリーは素直に頷いた。
彼女たちは、それぞれ自分の部屋に戻っていく。
残されたのは、十六夜咲夜ひとりだけ。
何故、紅美鈴は戸惑いつつもなにも言わなかったのか。
何故、パチュリー・ノーレッジは黙って咲夜に従ったのか。

『咲夜……みんなのことは任せたわよ』

自分の主が、異世界に旅立つ前に残した言葉。
みんなの中には、当然のように妹であるフランドールのことも含まれているだろう。

(妹様を傷つけないように、そして反乱も阻止する……それしかないわね)

こんな問題を解くぐらいなら、月のお姫様が出す難問を解いた方が楽だな、と咲夜は思う。
やれやれと大袈裟に両手を上げると、咲夜は明日からの準備をするために歩いていく。
その顔に浮かぶのは、あくまで余裕を感じさせる笑みである。
そんな彼女にこそ、美鈴やパチュリーが無条件の信頼を示したのだ。
咲夜はこの屋敷においては、不可能なことなど何一つ無い。

なぜなら、彼女は完全で瀟洒な従者であるからである。



一方、その主であるレミリア・スカーレットはというと。

「おいルイズ。もちろん、面白いものを見付けているんだろうね。私のために」

そんなことを、ルイズに向かって言っていた。
ルイズは呆れて、やれやれと溜息をつく。

「そんなことを言う前に、ほらあんたの自慢の翼から煙が出てるわよ」
「ああそうだった。まったく強すぎるのは罪なんだな……」

その後に彼女は続けてこう言った。

「……日光に弱いという弱点がないと、私達は完璧すぎるのよ……吸血鬼というのはね」

それを聞いたコルベールとルイスは、驚きのあまり一瞬呼吸するのを忘れてしまう。
吸血鬼――ハルケギニアでは、最悪の妖魔と恐れられている種族だ。
最初、レミリアのことをその翼から翼人の一種かと思っていたコルベール。
しかし、彼女はハッキリと吸血鬼と言った。
翼の生えている吸血鬼など見たことも聞いたこともないが、それでも本人がそう言ったのだ。

「くっ! 貴様!!」

この場には、コルベールだけがいるわけではない。
護るべき生徒達がいるのだ。
いざとなれば、使うまいと決めていた禁忌の魔法で彼女を殺す。
そのコルベールの殺気のこもった視線を受けてレミリアは、

「クゥハッハッハッハッハッハッ!!」

取るに足らないものだと嘲笑う。

「見ろお前ら。これが人間だぞ。
この脅えと敵意とちっぽけな勇気が混ざり合った視線こそ、
貴様ら人間が、我ら誇り高き夜の一族に向けるべき感情だぞ。
見習っておきなさいよ。特にルイズ、お前がね」

感極まったようで、演説めいた口調になっているレミリア。
というか日光を浴び続けて、どんどん翼から煙がでているのはいいのだろうか?

「えらそうなこと言わないでよ、ちみっこ吸血鬼。
人の血飲む時に、だらだらと自分の服真っ赤に染めるような奴を、どうやって恐がるのよ。
だいたい煙止まってないようだけど、大丈夫なのかしらお嬢様?」

ルイズの明らかにバカにするような口調。
それを聞いたレミリアは、ムスッとした顔をして、

「とりゃ」

ルイズの鳩尾にチョップを入れた。
うぐう、と俯せに崩れ落ちるルイズ。

「ふん、貴様などにこのレミリア様の気品が分かるわけもないか」

そう呟いたレミリアは、くるりと回ってコルベール達のほうを見る。

「それでだ、あんたらにひとつ頼みたいことが、ってキャァァァァ!」

コルベール達の目の前で、レミリアの小さな体が吹っ飛んだ。

「ルイズゥ~~!!」

すぐに起きあがったレミリアが、自分を蹴飛ばした張本人に飛びかかる。
もちろん、それはルイズである。

そのままふたりはもみくちゃになりながら、徒手空拳で戦い出す。
ルイズが下段蹴りを放てば、レミリアはフワッと浮かんで吸血鬼の力を込めたパンチを放つ。
それをガードしてダメージを最小限にすると、そのまま浮いたレミリアにハイキックを食らわせるルイズ。

そんなふたりを見ている霊夢と魔理沙は、二人してどうしたもんかを悩んでいた。

「まったくこいつらは。こんなところでまでやりあう必要ないじゃないの。
血の気が盛んというか……どうしようかしら魔理沙?」
「黙って見てるしかないんじゃないか? それより、ルイズも強くなったもんだな。
あのレミリアと肉弾戦で互角だぜ。互角。身体強化の魔法だけは上手いんだよなぁルイズ」
「まあ、日光の下で弱ってる吸血鬼相手だけどね。
そう言えば、ルイズってこんな動きが出来るのに、どうしてあんなに弾幕ごっこが弱いのよ?」

その霊夢の言葉を聞いた魔理沙は、意外そうな顔をした。

「ああ、それはまずルイズは空を飛ぶのが苦手だってことがある。
それと、あいつ人形で戦うんだが、どうも不器用すぎて人形操作が下手らしいんだ。
アリスが嘆いてたぜ。あの子には絶望的に才能がないって」
「へぇ~~」

分かったのか分からないのか、そんな気の抜けた返事をする霊夢。
そんな彼女を見る魔理沙は、霊夢には分からないだろうなぁ、と思っていた。
そのふたりに呼びかける声があった。

「……すまないが君たち」

霊夢と魔理沙は、自分たちを呼ぶ声が聞こえたのでそちらに向いてみる。
そこに立っていたのは、あの年上の男性――コルベールである。

「あの吸血鬼という少女のことですが?」
「レミリアのことか? あいつなら別に危険じゃないぞ。なぁ霊夢?」
「危険といえばそうだけどね」

頭を振るコルベール。

「いやいや、吸血鬼は危険だと思うのですが。
一度、群衆の中に紛れると手がつけられないのですぞ」

魔理沙は、コルベールの言葉に微かな疑問を抱いた。
彼女の知っている吸血鬼は、スカーレット姉妹のみである。
そのふたりがふたりとも、人混みに隠れると厄介な性質か?
違うとしか答えられない。それこそ正反対だろう。
隠れるということはせずに、正々堂々と真っ正面からいきそうな奴らだ。
魔理沙は、彼に吸血鬼について説明してくれとお願いした。

吸血鬼は、最悪の妖魔である。

吸血鬼は、人と見分けがつかず、魔法を用いてもその正体を見破ることは出来ない。

吸血鬼は、太陽の光に弱い。

吸血鬼は、血を吸って殺した人間を屍肉鬼(グール)として操ることが出来る。

それを聞いた魔理沙は、何故か妙に感心してしまった。
その吸血鬼像がレミリア達とまるで違うのだ。

「ええっとな……まずレミリアは人と簡単に見分けがつく。
人にはあんな翼はないだろ? それで、日光に弱いには弱いんだ。
煙がでてるのは、光で灼かれているからだが……。
うーん、この前の月で、太陽の神様の光浴びたのにちょっと焦げただけなんだよな。
なんだか、焦臭い匂いを嗅ぎ取った気がするぜ」
「はぁ……」
「それでレミリアは、あんまり血を吸わない。
グラス一杯ぐらいで満足するって話しだ。お子様だからな。
それに吸われたからといって、操られることはない」

その魔理沙の説明を、ひとつひとつ吟味していくコルベール。

「……なるほど、同じなのは名称だけですか。
ん? それではあなた方は一体どこから来たんですか?」

吸血鬼という言葉の意味がここまで違うと、彼女たちがハルケギニアの存在であることすら疑わしい。
それこそ、東方の出身なのか? そう思いさえしていたコルベール。

「それはだな……っておお決着がついたか」

魔理沙の言う通りだと、そちらを向いたコルベールはすぐに分かった。
ルイズが俯せに倒れていて、その顔に片足を上げ右手を突き上げているレミリア。

「思い知ったかハァーハッハッハッ!!」

高笑いしているレミリアは、まるでゲームで勝った子供のようである。
事実、ルイズとの殴り合いは彼女にとって遊びなのだ。
ルイズが全力での勝負なのに対して、レミリアは全力を尽くしていなかった。
人間相手に全力で殴り合うということは、レミリア・スカーレットにとって屈辱なのである。
しかし、ルイズの蹴りは思いの外、レミリア・スカーレットの小さな肉体にダメージを与えていたようだ。

「おっとっと」

崩れ落ちる足。大地を噛みしめている感覚が消えていく。
魔理沙達が見ている前で、レミリアはルイズと重なるように倒れてしまった。
ぜぇぜぇ、と喘ぎながら魔理沙を睨み付けたレミリアは、いつもと変わらないように口を開いた。

「おい、ちょっと忌々しいコレを遮るもの出してよ」

お天道様を指差して、にがにがしく言葉に出したレミリア
明らかに人にものを頼む態度ではないが、それに関してはいつものことであるので、魔理沙は気にはしない。
それにしても、やはり日光は有効なのだろうか?
そんなことを考えていると、レミリアを照らしている陽の光が遮られた。

「あれ?」

それは日傘だ。
レミリアが昼間に出かける際によく使う、洒落ているフェミニンな日傘。
それを持っているのはいつもなら、レミリアの忠実なる僕である十六夜咲夜である。
しかし、魔理沙達の前にいる人物は彼女ではなかった。

「あらあら、吸血鬼の命を救ってしまったようね私」
「ちっ、なんで貴様がいるんだ宇宙人」

彼女たちの前に現れたのは、美しく聡明な笑みの奥に狂気を隠す女。
月の頭脳――八意永琳だった。



「ほら自分で持ちなさい。私はあなたに忠する心なんて、グルーオンひとつ持ちあわせてないわよ」

わけの分からない言葉を言いながら、レミリアに日傘を差し出す永琳。
それを遠慮なくぶんどったレミリアは、剣呑な目つきで彼女を睨み付けた。

「これだからバカは困るわね。誰にも通じない言葉は、それだけで無価値ってことを知らないんだから」
「それを言う前に、自分自身の無知を自省するのが先じゃないかしらね」

なにおう、と真っ正面からガンをつけるレミリア。
それに対して、永琳はいつもの如く泰然としている。
そして、さらにわけの分からない登場人物が出てきて、わたわたしているコルベール達。

「ちょっと待ちなさいよ。そもそも、どうしてあんた達がいるのよ?」

ルイズ、魔理沙、霊夢の中で一番沸点が低いのは霊夢である。
紅白の巫女が、ふたりの間に入るように進んで睨みを効かせた。

両手を上げて、一歩引いたのは永琳。
それを見たレミリアもまた、フンとそっぽを向いた。

「おーいルイズ。大丈夫か?」

その間に魔理沙が、倒れているルイズを起こしに掛かった。
すぐに目を擦りながら、ルイズが意識を取り戻す。
覚醒したルイズは、自分が負けたことを知ると深い溜息をついた。

「ハハ、負け犬の溜息だな」

それを笑い飛ばす吸血鬼。
負けた以上は、なにを言われても我慢するだけ。
しかし、吸血鬼の言葉には我慢できたが、さすがに月の頭脳がいつの間にかそこにいたことには驚いたようだ。

「な、な、な、なんで永琳あんたがここにいるのよ!?」

ルイズの驚きを聞いた永琳は、口に手を当てつつレミリアを見る。

「なるほど、そこの吸血鬼が説明していなかったのね。
まったく……あなたが先に説明するからと、最初に飛び込んだのに」

みんなの目がレミリアに集中する。

「ふん、なんで私がこんなめんどくさい事をしなくちゃならない!
それに最初に飛び込むのは、このレミリア様の特権なんだって最初から決まっているのよ!!」

まったく悪びれていないレミリアに、そんなことは想定済みだったのか永琳は表情を崩しはしなかった。

永琳が説明を始める。

最初は八雲紫の提案だった。

「どうかしら? 愉快な幻想郷の住民の皆様。
ここには、異世界へ行ける扉があります……興味が湧きません?」

さらに、八雲紫の胡散臭げな誘いは続いた。

「今日までの間、皆様には幻想郷の発展のため多大な労力をいただきましたわ。
そこで今回は、向こうの世界へのちょっとしたバカンスでもどうかと思いまして。
そうですね、だいたい一ヶ月ぐらい向こうに行くのはどうでしょうか?
そして一ヶ月が経ったら、必ず迎えに行きますことを約束しましょう」

胡散臭い!!――ルイズ達三人が、共通して浮かべた言葉である。

そこで、八雲紫はひとつだけ条件を付けたそうだ。
行くのは、強力な力を持つ存在であること。
向こうで退治でもされたら、たまったもんじゃない。
そして、ひとつの勢力から、ひとりだけ行くこと。
幻想郷のパワーバランスが崩れたら、八雲紫としても面倒なのだ。

「なるほどねぇ。それでレミリアがきたってわけ」

ルイズは呆れながらも、何となくレミリアについては納得した。
このお子様吸血鬼は、単純な好奇心だけで異世界に行くことも十分考えられる。
しかしだ。八意永琳――彼女がここにいることは有り得ないと、ルイズは思っている。

例えば十六夜咲夜。
彼女がその主であるレミリアから命じられれば、異世界に行くこともあり得るとは思う。
しかし、八意永琳だけは有り得ない。
万が一、主である蓬莱山輝夜が命じたと仮定しても、絶対に了承しないだろう。
それだけは、ルイズにもハッキリと断言できる。
本人にも、そんな自分については理解しているのだろう。
ルイズ達の疑い深い視線に晒されながらも、永琳は素知らぬ顔。

「もうそろそろ、三人目が来るわよ」

永琳がそう言った。
そう言うからには、ゲートに注目するしかないルイズ達。
コルベールは、え! まだ来るの? という顔をして、
ルイスや他の生徒達などは、さすがに話しについてこれなくなって放心状態。

その時、この場につーんとした強烈な匂いが立ちこめた。
ルイズ達には、ある意味でおなじみの匂い。酒だ。

はたして、ゲートから出てきたのは。

「ふ、ふにゃはらてて……」

おぼつかない足取り。定まっていない視線。
真っ赤に染まりきった頬。口から漂うのはアルコールの香り。

「なんだ、妖夢じゃない」

魂魄妖夢――冥界の白玉楼の庭師である半人半霊の剣士だ。

「ずいぶん酔っぱらっているわね」
「幽々子に、アホみたいに飲まされてたからな」

霊夢と魔理沙が、呆れながら彼女を見ていると、妖夢が一歩力強く前に出た。

「異世界にお住まいの皆様方!!」

いきなり酔いを感じさせない大声で、何かを言いだした妖夢。

「私、魂魄妖夢は婿殿を募集しております!!
私と一緒に庭師をしてくれるどなたか、よろしくお願いいたします!!」

「はぁ?」

さすがに月の頭脳も、この展開は想像すらしていなかったようである。
唖然としている彼女らの前で、満足したのかばたんと前屈みに倒れる魂魄妖夢。

それを見ていた、最後にゲートを潜った鬼が呟く。

「まったく悪酔いしちゃってさ。もっと酒は美味しく飲もうや」

グイッと持っていた酒を飲んだ伊吹萃香の後ろで、
役目を終えたとばかりに幻想郷と繋がっていたゲートは消えていた。








ルイス――正真正銘ルイズの弟。平行世界の男ルイズとかではない。

レミリア――コルベール達には、カリスマ溢れる姿を見せようとしているが、ルイズが絡むと途端にお子様になる。

永琳――もちろん腹に一物有り。

妖夢――もちろん幽々子の仕業。

萃香――もちろんお酒が目当て。

紫――もちろん胡散臭いのがデフォ仕様。



[17147] 東方虚穴界 三話
Name: 萌葱◆02766864 ID:c0f91c93
Date: 2010/03/26 00:59
「僕と結婚しよう妖夢」

魂魄妖夢は困っていた。
それはそれは、普通の人間よりちょっぴり長い人生の中でも、一位二位を争うほど困っていた。

それが始まったのは起床の時である。
微かに奔る痛みによって、魂魄妖夢は夢の中から揺り戻された。
寝起きのハッキリとしない意識で、これは深酒のための二日酔いだなと思いながら体を起こした妖夢は、
そこがいつもの自室ではないことに気が付き一瞬止まってしまう。

「……ええっと」

ここはどこなのか?
自分が住んでいる白玉楼ではない。
となると、昨日宴会があった博麗神社か?
いや、こんな洋風の部屋はあそこにはない。
洋館となると、紅い吸血鬼の紅魔館ぐらいだろうが、
そうなると何故私がそんなところで寝る羽目になるのだろうか。

「そうだ!」

慌てて何かを探す妖夢。
そして彼女は、ベッド横のサイドテーブルにおいてある楼観剣と白楼剣を見付けて、ホッと息をついた。
立ち上がって、いつも通りに腰に装着する。
やはりこれがないと安心できない、と落ち着きを取り戻した妖夢は、改めて気合いを入れると部屋を出た。
最優先での目的は、ここがどこかを知ること。そして主である幽々子様の居場所だ。

そして、話は冒頭に戻ることになる。

「僕と結婚しよう妖夢」

妖夢の前で自信満々にそう言ったのは、冥界はおろか幻想郷でも早々見ないタイプの少年だった。
育ちが良さが見てとれる品のある顔と、少しばかり小太りな金髪の少年である。
それにしても、意味が分からない。

「……みょん」
「えっ? OKだって言ったのかい僕の妖夢」

自信満々の彼の顔が、非常に不愉快だ。
なにが僕の妖夢だ、非常に不愉快だ。

とは考えているものの、魂魄妖夢はいきなり暴力を振るうような喧嘩っ早い性格ではない。
彼女は、師の教えを思い出していた。
そして、それを実戦した妖夢。

剣伎「桜花閃々」

スペルカード戦ではないため、宣言こそしていない。
しかし、それこそ正に魂魄妖夢の庭師としての伎が生み出した絶伎である。
少年には、彼女が刀を抜いた瞬間を見ることは出来なかった。
その刀身が振るわれた軌道も、自分の横を通り抜ける魂魄妖夢の姿も認識することが出来ない。
彼が知ることが出来たことは、刀を鞘に収める音と――

「キャァァァァァ!!」

自分の服が斬り刻まれていたことだけだった。

「妖怪が鍛えた楼観剣は、服だってなかなか斬れるぞ!!」

少年が女みたいな悲鳴をあげながら、この場を離れていく。
それを軽蔑の目で見ていた妖夢は、彼を追うことはしなかった。
背中を向ける者を斬るほど、彼女は外道ではない。

「詰まらないものを斬ってしまいました」

なんの感慨もなく、そう呟いた妖夢。
そのまま彼女は、少年が走り去った方向の逆に向かって歩いていく。
そちらの方から微かではあるが、ある香りが漂っているのを感じたからだ。

(きっとそこに幽々子様がいる!! 間違いない)

それは食欲を誘う、美味しそうな料理の匂い。
妖夢が自らの主に抱いている認識は……まあその通りなのだった。

そして、ちょうど廊下の角を通るその時、妖夢はある人物とばったり鉢合わせしてしまうことになる。
桃色の髪を見た妖夢は、反射的に知り合いの名前を口走っていた。

「えっとルイズ……の弟?」
「それは、よく分かりませんけど……おはようございます、僕はルイスといいます」



ルイスは、自分の名前が嫌いだった。

彼は周りから、掛け値なしの天才であると認識されている。
自分自身でも、己の才能は他を圧倒していると思っているルイス。
なにしろわずか九歳にして、メイジとして最高峰のスクウェアクラスとなったのだ。
六千年の永い歴史の中でも、類を見ない正に最高級のダイヤモンドのような才能。
それ故に異例の若さで、トリステイン魔法学院への入学が認められているほどである。

しかし、本人はそんな自分が幸せだとは思ってはいない。
彼にはルイズという姉がいた。
『いる』ではなく『いた』である。
彼は生まれてから今まで、一度も姉であるルイズを見たことがなかった。
幼いころのことである。
神隠しにあったがごとく、屋敷から消え去ってしまったのだ。
家族がそれこそすべての力を絞り尽くしても、少女の影すら見付けることは出来なかった。
それから、すぐ身籠もったのがルイスである。
ルイズとルイス。ルイスは幼いころから、自分をそう名付けた両親の思惑が透けて見えていた。

代償品なのだろう。

ルイスは、父や母、姉たちが大好きだった。
愛していた。しかし、同時に怖くもあった。
もし、ひょっこりルイズ姉さんが帰ってきたら?
そんなことを考えるだけで、体がぶるぶると震えてくる。

そして、その恐れは確かなものとして、彼の目の前に突きつけられることになった。

ルイスは、学院の廊下をひとりで歩いていた。
寝起きの頭ががんがんと痛むのを我慢しながら、朝食を取るため食堂まで向かっているルイス。
朝に弱い彼は歩きながら、昨日のサモン・サーヴァントで起こったことについて考える。
目の前に現れた、自分と瓜二つのルイズと名乗る女性は、はたして自分の姉なのだろうか?
本人は否定しているが、自分の第六感は彼女との血のつながりを認めているように感じた。
そんなことを考えながらルイスが歩いていると、廊下の角でばったりとある少女と鉢合わせした。
それは、泥酔状態で現れ、とんでもないことを宣言して、すぐに酔い潰れてしまった少女である。

「あ!」
「えっとルイズ……の弟?」

やはり、あのルイズは自分の姉なのか?
そう思いながらも、挨拶を忘れないルイスは礼儀正しい少年なのだろう。

「それは、よく分かりませんけど……おはようございます、僕はルイスといいます」

銀髪の少女は、ルイスの真っ直ぐな声の挨拶を聞くと、挨拶をしていない自分を恥じたようである。
わずかに頬を紅く染めながらも、少女が挨拶を返す。

「失礼した。私の名前は魂魄妖夢。白玉楼の庭師です」

彼女がした背筋の伸びた礼を見たルイスも、つられて頭を下げる。
それにしても、とルイスは目を凝らしてそれを見た。
妖夢の後ろに浮いている、白いあれは何なのだろうか?

「ここは一体どこなのですか?」

疑り深そうな目をしながら、妖夢はそう聞いてみた。
師匠の教え、『真実は斬って知るもの』と教えられてはいるが、こんな子供を斬るのは忍びない妖夢。

「ここはトリステイン魔法学院ですが……」

そう答えて、さらに昨日の経緯について説明しようとするルイス。
しかし、どう説明すればいいのだろう、と考えて彼は頭を抱えてしまう。
はたして、自分が説明して彼女が納得してくれるのか?
……いや、自分が悩む必要などないのだ。
説明すべきは、同郷の彼女たちの責任である事に、ルイスは気が付いた。

「ええっと、ちょっとついてきてもらってもいいですか?
僕が説明するよりも、あなたと一緒に来た人達が話した方が、納得しやすいと思いますし」
「……分かりました」

ずいぶん大人びているなぁ、などとルイスのことを思いながらも、妖夢は気に掛かったことを聞いてみる。

「一緒に来たとはどういう意味ですか?」
「それも含めて、説明してくれると思います」

ペコペコと貴族の誇りも関係なく、頭を下げるルイス。

(……まあ悪い感じはしないか)

そう感じた妖夢は、素直に彼についていくことにした。



「ここは……食堂ですね」

妖夢の目の前には、大広間が広がっていて、三台の長いテーブルが置かれているのが見えている。
百人は優に座れるだろうそこには、見た目は自分と同い年ぐらいの少年少女が座っていた。

「ええそうです、ここがアルヴィーズの食堂です……何かおかしいですね?」

いつもなら、各々がそれぞれ仲の良い者と話したりして時間を潰しているのだが、
今日に限っては、何故かある方向をみんながじっと見ているのだ。

(ああ、多分彼女のお仲間だな)

そう思いつつ、ルイスもその方向を覗いてみて、自分の予想は半分だけ当たっていることを知った。
そのふたりを中心に、そこだけがポツリと空白の空間が生まれていた。
何か危険物がそこにはあり、生徒達はそれに恐怖するが故に近づけないような感じを受けるルイス。

そのふたりの内ひとりは、ルイスも知っている人物? である。
いつの間にか最後に現れてあんな事をしでかした、二本の大きな角の生えている少女。

伊吹萃香――自らを最強の鬼であると言い放った異形。

そんな彼女が、ある人物と酒を酌み交わしていた。
あれはいったい誰なのだろうか?
ルイスは、その青い髪の男性を学院で見たことがなかった。
髪の色と同じ青い髭を生やしていて、同性でも思わず目を引く美貌。
そしてなにより、その言い表せない威圧感によって、彼がただ者ではないことを直感させる。
年齢は、三十代前半だろうか?
もっと年上かもしれないし、二十代と言っても通じるぐらいの逞しい肉体の持ち主である。

そんな彼の持っているコップに、伊吹萃香が酒を注いでいる。
それをグイッと飲み込んだ男は、かぁ~~、と心の底から気持ちよさそうに息を吐いた。

不思議がっているルイスではあるが、その隣の妖夢は、ようやく見付けた知り合いに早く話を聞きたいらしい。
その青髪の男が何者だろうとお構いなしに、ずんずんと萃香の所まで進んでいく。
仕方なしに、ルイスも妖夢の後ろについていった。

「伊吹萃香! 説明して下さい。ここは一体どこなんですか!!」
「おー妖夢じゃん。ようやく起きたのかい。
まったく、もうちょっと酒に強くならなきゃねぇ。今のままだと、あの亡霊の従者は務まらないよ」

酒臭い息を撒き散らしながら、妖夢に話しかけた萃香。
周りにいる者達が、その匂いに顔を顰めている中、妖夢はどんどんと彼女たちの元に近づいていく。
そんな妖夢を、あの青髪の男が興味深げに観察している。

「早く説明して下さい!! お嬢様、幽々子様はどこにいるんですか!?」
「ああ、あいつはこっちには来てないね。
って別にお前が心配する必要もないだろ。だって幽々子の方が強いんだからさ」

ますます声を張り上げる妖夢に、冷静に切り返す萃香。
どちらが酒を飲んでいるのか、分からなくなる光景。
萃香の言うことはその通りなのだが、やはり妖夢としては、それでも己の役割を全うしなければならないと思っていた。

「ちょっと落ち着いて下さい妖夢さん」

ルイスは、なんで自分ばかり外れくじを引かされるんだ、と思いながらも妖夢を止めに入ることにした。
周りの生徒達は、最後まで静観の構えなのは想像に難くない。青髪の男もニヤニヤふたりを見ているだけ。
そのルイスを見た萃香が、親しげに右手を挙げた。

「やっほールイス。おはようさん」
「おはようございます伊吹さん」
「いやだから、とっととここがどこだか説明して下さい!!」

その時、あの青髪の男の視線が、妖夢からルイスへ向き直っていることに、ルイス本人が気が付いた。

「……あのう、一体どなたですか?」

恐る恐る、そう聞いたルイス。
男は、その気味の悪い笑みを浮かべたまま口を開いた。

「ジョゼフだ。そういうお主は、ラ・ヴァリエールのルイスだろう?
あの我が弟にして麒麟児と呼ばれた、シャルルを超えるという真の天才。
その名声、ガリアまで轟いているぞ」

その言葉だけで、ルイスには彼の正体が分かってしまった。

ジョゼフという名前。

ガリアという国名。

弟の名が、麒麟児と呼ばれたというシャルル。

十中八九間違いない。
すぐにルイスは膝をついて、頭を垂れた。

「あ、あなたは、ガリア国王であらせられますか?」
「王などくだらん名称ではあるが、それを否定は出来ないなまったく」

つまらなそうに肯定したジョゼフ。

「何故この様なところへ?」
「だから言っただろう。王など、この世で一番くだらない仕事だとな。
暇で暇でしょうがないから、ぶらりと旅をしていたところだ。
……それで、こんなうまい酒が飲めたのだ。まったく人生は面白いな」

萃香に向かってコップを掲げたジョゼフ。
嬉しそうに萃香も、持っている瓢箪を持ち上げる。
萃香に詰め寄っている妖夢は、無視されるだけだった。
くじけないぞ、くじけないぞ、と呟いている妖夢。
そんな彼女をみんな無視しつつ、ジョゼフが、ルイスに顔を上げるようにと口を開いた。

「ふむ、なるほどな……」

ルイスの顔を覗き込んだジョゼフ。
そして彼は、自分にしか聞こえない声で、何かを呟いた。

「あのう? 何か仰いましたか?」
「いや、なんでもない」

そんな時だった。

「あれ、妖夢起きたんだ?」

いきなり自分の名前を呼ばれた妖夢は、その声の方へ顔を向けてみる。
するとそこには、馴染みのある顔がいくつか並んでいた。

「ああ! ルイズに魔理沙、霊夢と永遠亭の薬師と……紅魔館の吸血鬼まで!」

ルイスがそちらに顔を向けてみれば、確かに自分が召喚したことになっている彼女たちである
ルイズ達は、妖夢と萃香におはようと朝の挨拶をすると、萃香は陽気に、妖夢は戸惑いながらも、挨拶を返した。
これでようやく説明してくれると、喜び勇んだ妖夢。

「あ、あのう、一体ここはどこなんですか? 今の状況はなんなんですか?」
「ああそれはね……ってなんなのよあんた?」

ところがどっこい。ルイズが説明しようとした矢先、この場にいるただひとりの男、ジョゼフが奇妙な行動をした。
ルイズに近寄って、じっくりと彼女の顔を覗き込んだのだ。
眉をひそめて、不快感を隠そうともしないルイズ。
それを見ていたルイスは、それ王様だからと口に出そうとしたが、そんなことが出来る雰囲気ではないことに気が付いた。

「いやいや、運命というのはまったく如何ともし難いものなのだな。
結局は、決まりきった流れに沿うことになるものなのか」

それは、人生に疲れた老人の嘆きのようだった。





博麗神社、その境内は正に台風の後というべき惨状だった。
いつもなら、それぞれの組織が後かたづけをするのだが、
今回ばかりは異世界騒動の所為か、空いた一升瓶などのゴミが捨て置かれていた。
それを眺めているのは、神社の軒下に腰掛けながら杯を傾けている美女ふたり。

ひとりは、金髪のウェーブの掛かった長髪が眩しい女性。
西洋風の豪華な服を華麗に着こなす美女である。

もうひとりもまた、飛びつきたくなるほどの美女である。
もっとも、後ろに浮いている人魂を無視すればの話であるが。
最初の女性と違い、日本の民族衣装である着物を優雅に身に付けている。

「ねぇ幽々子、どうして妖夢にあんな事を吹き込んだの?」
「あら、紫にも分からないことがあったのね」

西洋風美女、八雲紫が和風美女、西行寺幽々子に話しかけた。

「ふふ、幽々子の考えていることは分かるわよ。
あの子の成長を願っているんでしょ」
「まあね。どうにも、剣士としては合格点を上げられるにしても、
庭師としては、先代の影を踏むことすら、いまだに出来てないのよね。
庭園は、周りとは独立した空間であるのと同時に、その周りの世界とも調和が取られてなければならない。
それを理解するのに、妖夢はまだまだ経験が圧倒的に足りないのよ」
「ただ木々を小綺麗に剪定していれば、辿り着けるような極致にはない……というわけね。
でもね幽々子、それを理解しているあなたの言った通りにやらせればいいんじゃないの?
あなたが頭脳、妖夢は手足。その関係があなた達にとって一番だと思ったわたしは、間違っていたかしら?」

持っていた扇を開いて、幽々子は自らの口元をそれで隠した。

「それじゃあ詰まらないじゃない。
すでに頭の中にある光景を、実際に見せられてもね」

なるほど、と納得のいった顔をする紫。

「こちらとしても、都合がよかったわよ幽々子。
あのことは、ちゃんと伝えてあるのよね」
「ふふ、口で言っても憶えてないだろうから、一筆書いて懐に入れておいたわよ……あらこの気配?」

その時、ふたりは揃って、神社から幻想郷に続いている階段の方を向いた。
誰かが、こちらへ登ってくるのを感じたのだ。

「紫様ぁ~~」

ひょっこりと顔を出したのは、八雲紫の式である八雲藍だった。
自慢の九本の尻尾を揺らしながら、慌てて自分の主に駆け寄る藍。

「どうしたのよ藍? そんなに慌てて」
「ハァハァハァハァ」

息を切らしながらも、藍は自分が上がってきた階段を指差した。
そちらを見たふたりは、一瞬ではあるが動きが固まってしまう。

そこにいたのは、この幻想郷で出会う可能性がある人物の中でも、
もっともふたりが苦手とする人だった。

「今日は、少し長くなりそうですね八雲紫」

四季映姫・ヤマザナドゥ。
死者を裁く神。その中でも、幻想郷を管轄とする閻魔がそこにいた。



「きょ、今日はもう帰るわね紫。
冥界の管理もしなくちゃいけないから」

西行寺幽々子が、慌てて自分の屋敷まで飛んでいく。
八雲紫は、そんな彼女の行動を止めようとはしない。
ただ黙って、映姫を見つめているだけである。

「もうそろそろ、一度お話をしたいと思っていたけど、今日の所はいいでしょう」

映姫も、用があるのは紫だけなのか、西行寺幽々子が逃げるように去ったことについては、特に拘らなかった。

「藍……また厄介なお方を連れてきたわね」
「申し訳ございません紫様」

そんなことを言っている無礼な主従を無視して、映姫が先ほどまで西行寺幽々子が座っていた席に着く。

「ささ、四季様」

八雲紫がどこからか杯を取りだして、琥珀色の液体を注いで映姫に手渡した。
それを見た映姫は怪訝な顔をした。

「洋酒ですか?」
「ブランデーですわ」

スッと静かにそれを一口含んだ映姫は、微かにではあるが微笑んだ。
どうやらブランデーを、お気に召したようである。

「さて、今回の異世界異変ですが……」

そう話を切り出した映姫。
しかし、それを八雲紫が遮った。

「ハルケギニアですわ映姫様……どうやら、気が付いているのですね」

それを聞いて、深い溜息をついた映姫。

「ここ最近、閻魔達の中でもっとも多く話題に出るのが、その世界に関してです。
……八雲紫よ。今回ゲートをルイズの前に出現させたのは、あなたの仕業ですね?」

八雲紫は、それに答えはしなかった。
ただ微笑むだけである。

「あの……一体どのようなお話なんですか?」

話しについていけない藍が、恐る恐るふたりに尋ねた。

「……そうねぇ藍、ハルケギニアって聞いて、何か思い出すことはない?」

自らの式を試すかのような、八雲紫の言葉。
ややしばらく、主には及ばないまでも非常に優秀な自分の頭脳を働かせた藍は、ようやくある言葉を思い出した。

「少し違いますが……ハルキゲニアという言葉がありますね」

それを聞いても八雲紫は、微動だにせずに微笑を浮かべているだけ。

「違いますか……」

肩を落としてそう呟いた藍。
しかし、彼女は八雲紫の底意地の悪さを忘れていた。

「ふふ、正解よ藍」

思わず、すてんと転びそうになった藍。

「っとと、それでよかったんですか八雲様」
「それ以外になにがあるというのですか?
それでは藍。ハルキゲニアについて説明しなさい」
「はぁ……ハルキゲニアは、約五億年前に生息していた生物ですね。
有爪動物門に属しているとされていて、仲間としてはカギムシなどが今でも生息しています」
「その言葉の意味は?」
「確かラテン語で……まぼろしでしたか?」

その瞬間、パン! と両手を胸の前で叩いた八雲紫。

「まったく、恐るべきと評するべきね。
脱帽するぐらい巧妙な名前だと思わない藍?」

なにがですか、としか言えない藍は、先ほどから黙っている映姫を盗み見てみる。

「!」

藍は、慌てて目線を元に戻した。
怒っていた。
四季映姫は、非常に怖いことで有名であるが、それでも私情を出すことは絶対にないということも知れ渡っている。
そんな彼女が表に出るほど怒っている所を、藍は今日初めて目撃したのだ。

「名は体を表わす……それはよく知っているわね?」

それは確かにある。
言葉とは、その単語ひとつひとつに魂が宿る。
日本に古来から伝わる、言霊という古くさい概念を持ちだすまでもなく、
十分に日本にすむ者なら理解できる概念だろう。

「まぼろしという名を付けられた世界。
それは、世界そのものが幻想になるという事。
ここが幻想郷と名付けられたのと、まったく同じ意味を持つ」
「それでは、何故少し言葉を換えたのですか……ってなるほど!
ハルキゲニアはすでに滅んでいる!!」

自分で言いながらも、自己解決している自分の式を見て、八雲紫は苦笑いを浮かべながらも藍の話を補強する。

「そうよ。ハルキゲニアは、五億年前という真に幻想の時代を生きてきた生物。
しかし、それはすでに滅んでいるため、ハルキゲニアという名前を付けた世界もまた、滅びの道を辿るでしょうね。
それでも、その永い永い時の積み重ねがもたらす、幻想という概念がほしかったのでしょう、多分。
まったく、誰の入れ知恵なのかしらね……」

そこまで八雲紫が語ると、突然、今まで沈黙を守ってきた映姫が口を開いた。

「そこであなたは、その世界を破壊しようとしているのですね」
「は、破壊!?」

その映姫の物騒な言葉に驚いた藍は、慌てて八雲紫を覗いた。

「それは本当なんですか紫様?」
「幻想の世界は共存できない。
互いが二つの世界を認識してしまったら、どちらか片方は現実に堕ちていくのよ藍。
結局比べあうことでしか、己の立場は認識できないのだからね……」

そう言って、一度口を閉じた八雲紫。
少しばかり考えた後、彼女の話が再開する。

「例えば弾幕ごっこの時、逃げ場がないほどの弾幕に囲まれた場合、どうするのが最善だと思う?」
「それは……ボムですね。褒められた手段ではないにしろ、認められてはいますから」
「そう……美しさを重視する弾幕ごっこでは、悪手ではあるけど被弾するよりはマシよね」

その言葉が意味することに、藍は気付けない。
気が付いたのは映姫である。

「つまりあなたは、あの子を爆弾として……」

八雲紫は、その映姫の問い質すかのような言葉を聞いても、相も変わらず微笑んでいるのだった。



[17147] 東方虚穴界 四話
Name: 萌葱◆02766864 ID:c0f91c93
Date: 2010/04/02 01:11
しんしんと静まりかえった幻想郷の夜空に、真っ赤な太陽がその頭を見せ始め、
神々しく感じられる日光が、新しい一日の始まりをこの世界に生きる者すべてに告げていた。
それは、背の高い竹林に囲まれて、ひっそりと隠されているかのように建っている永遠亭も同じである。

その屋敷の一室で、はぁ、と深い溜息をつく女性がいた。
寝起きが弱いのかとも考えられるが、実をいうと原因はそこにはない。
彼女の頭には、大きくて長い耳が二つ伸びていた。
だが、途中で草臥れたように前に折れている兎耳。
それはいつものことなのだが、今日はいつも以上に元気がない様子である。

「正直、どうしたらいいのかなぁ?」

彼女――鈴仙・優曇華院・イナバが心配することはただひとつ。

「師匠は、一体なにを考えているのかしら?」

昨日の夜の宴会で、突然現れたゲートに入ってしまった八意永琳のことだった。
永遠亭で八意永琳は、絶対に欠かすことの出来ない人物だろう。
現在、永遠亭では薬屋を商っている。
永遠亭の薬は、効き目が高くそれでいて安いということで大変好評なのだが、
それもこれも、八意永琳の薬作りの技術の高さが好評を得られている理由である。
そんな彼女が異世界に行ってしまった。
あの夜、永琳が永遠亭の主である蓬莱山輝夜に、異世界に行くことを告げた時のことを鈴仙は思い出す。

それを告げられた時、最初は軽く驚いていた輝夜だったが、すぐに納得したように頷いたのだ。
何か理由があるのだろうか。
そう鈴仙は考えていた。それでなくては、納得が出来ないのだ。
八意永琳が蓬莱山輝夜の元を離れるなんて。

「……今はそんなことより、これからどうするか考えないと!」

自分に言い聞かせるように、大きな声でそう言った鈴仙はそのまま自分の部屋を出た。
チュンチュン、と小鳥の鳴き声を聞きながら、彼女は診察室に向かう。
幸いにも、薬のストックは十分にある。
まあ、いつもなら念のため古くなった薬は処方しない。
しかし、永琳のそれは普通の薬ではなく、永い年月を経ても効力が劣化しない特別な薬だ。
この際、黙っていれば分からないだろう、と医療に携わる者としては少し問題があることを考えていた鈴仙。

「さて……と頑張りますか」

鈴仙は、目の前にある診察室の扉を眺めながら、自分自身に気合いを入れる。
なにしろ、今の永遠亭に残っているのは、自分と蓬莱山輝夜と因幡てゐの三人のみ。
輝夜様とてゐに期待? 無駄としか考えられない。
わたしが頑張るしかないなぁ、と思いながら扉を開けると――

「遅いわよ鈴仙」
「……はい?」

いつも師匠が座っている場所に、黒髪のもの凄い美少女が白衣を着て微笑んでいた。
蓬莱山輝夜である。

「……あのう輝夜様、一体どういうおつもりで?」

輝夜の性格については知っているため、こんな事をする理由を何となく察していた鈴仙ではあるが、呆れながらも一応本人に聞いてみる。

「永琳がいない今、どうやって永遠亭を切り盛りしていこうと思ったの鈴仙?」
「はぁ……取り立ててはなにも……」

まあ何とかなると思いますよ。
続けてそう言おうとした鈴仙の声は、輝夜に遮られることになった。

「だめよ、商売なんて風の噂ひとつで、どうにでもなるものなのよ。
特に家みたいな分野は、いちど悪評が立ったら立ち直るのは容易ではないの」

それは、鈴仙にも分かっていることである。
とはいうものの、だからといって輝夜の考えていることが通じるわけがないとも思っていた。

「……その、ええっと、姫様はどうしたらいいとお考えですか?」

一応聞いてみよう。

「ええ、だからわたしが永琳の代わりに……」
「無理ですよ、絶対に」

そう鈴仙が冷静に言うと、輝夜はちょっとムスッとした顔をしたが、すぐににこやかに笑い出す。

「大丈夫よ鈴仙。ほら、わたしが一番永琳と一緒にいたわけだし。
いろいろと永琳には教えられているから。ふふふ、今日からわたしのことは、ドクター輝夜と呼びなさい」

はぁ、と深い溜息をついた鈴仙は、輝夜の胸に宿った無駄に熱い情熱を消すのは、今は無理だと覚る。

「分かりましたよ姫様」
「ドクター輝夜よ。もしくは、ドクターKでも可」

後者は絶対に遠慮したい鈴仙は、仕方なく呼び直した。

「ドクター輝夜様」
「何よ、様はつけなくていいわよ」

いや、さすがにそれをつけないと、いきなり空間を飛び越えて師匠が出てくる気がした鈴仙。

(姫様のためなら、世界間の壁なんてあってないようなものだろうあの人は)

「そんなことより、準備をしちゃいますので……」

話を逸らすように、鈴仙は輝夜にそう言った。
いつもは、師匠がやっていたことも自分がしなくてはいけないのだろう。

「はぁ~~い、頑張ってね鈴仙」

なにしろ、輝夜はそれを聞いても、ニコニコと笑いながら椅子に座っているだけ。
ひとりの方が楽なんだけどなぁ、と体を動かしながら考えていると、

「鈴仙……お茶が飲みたいなぁ」

なんてことを言い出す輝夜。

(ああ師匠……早く帰ってきて下さい。
もう二度と、このスパルタすぎるんだよなんて思わないですから)

彼女の苦難は、始まったばかりである。
負けるな鈴仙。負けるなウドンゲ。
君が頑張ってもどうもならないが、それでも精一杯生きるんだ、鈴仙・優曇華院・イナバ。

永琳は、君のその努力を評価してくれるはずだ。
……多分認めてくれるさ。





一方、ハルケギニアにあるトリステイン魔法学院では、
少しばかりピリピリとした空気が漂っていた。

現場は、アルヴィーズの食堂。
原因は、ひとりの少女とひとりの男。

少女の名はルイズ。男はジョゼフという。

ルイズは、目の前の男を睨み付ける。
いきなり、初対面で妙なことを言う男である。
好印象など抱きようがない。

それにしても、運命とは一体この男はなにを言いたいのだろうか?
そんなことを頭の片隅で考えていると、ルイズの後ろから男に話しかける声が聞こえた。

「ただの人間風情が、運命を語るなんて愚かなことはしない方がいいわね」

そのまま一歩前に出て、青髪の男と対峙したのはレミリア・スカーレットである。
ルイズは、素早く魔理沙や霊夢に視線を向けた。
レミリアのこの口調の感じは、けっこう危険な徴候だ。
魔理沙はニヤニヤしながら、霊夢は面倒くさそうにしながらも頷いた。

「ふむ……そういうものなのか?」
「そういうものよ」

何故かは分からないが、ジョゼフはそれで納得してしまったらしい。

「お主が言うのなら、間違いはないようだな」
「あら、ずいぶん素直じゃないの?」

ジョゼフの顔に浮かぶのは、自虐めいた笑みである。

「俺は所詮、運命から逃れられないただの人間だからな。
運命をねじ伏せることも出来ない者に、それを語る資格はないのだろう」

そう言ったジョゼフは立ち上がって、この場を離れていく。
しかし、何か忘れていたことがあったのか、一度立ち止まると振り返って口を開いた。

「おおそうだ、伊吹萃香よ感謝するぞ。
これほどまでにうまい酒を飲めたのは、長い人生の中でも初めてかもしれん。
代わりというわけではないが、我が国の中でも選りすぐりの酒を用意しておくから、気が向いたらでよいので来るがいい」
「はっはっ、鬼に向かってそんな言い方をするとは、なかなか肝の据わった人間だね。
気に入ったよ。必ず後で寄らせてもらうから、お前のちんけな国の中で一番の酒を用意しておくんだね」

ニヤリと笑ったジョゼフは、そのまま食堂を出て行った。
その後ろ姿を見ていたルイズは、あの言葉の意味を聞いていないことに気が付いて、
これから追いかけて問い詰めようかとも思ったが、そうは問屋が卸さないとばかりに彼女の前にある人物が立ちふさがった。

「説明してもらいますよ……ルイズ」

魂魄妖夢である。
ルイズは、横目で魔理沙達を見る。

目を逸らす魔理沙。

見つめられても、まったく動じない霊夢。

すでに興味が別にいっているのか、ルイズの視線に気が付かないレミリア。

萃香に頼もうなんて考えていないルイズは、最後の頼みの綱を探すが――

(あれ、永琳がいない?)

――結局、この場で魂魄妖夢に説明する役目は自分である。
その事を覚ることとなった。



ルイズが魂魄妖夢に今までの経緯を説明しているその時、
ジョゼフは学院の廊下をひとり歩いていた。

「ふむ……代替品がある中で本物が登場か……まったくどうなるものだろうな」

難しい顔で、なにやら考えている様子である。
もっともジョゼフ自身には、それがどこか他人事のような雰囲気も読みとれた。

「ん?」

不意に彼の歩みが止まった。
そして後ろを向いたジョゼフ。その視界に、ある女の姿が映る。
赤と青という二色の相反する色を、大胆に使った奇妙な服を着た女だ。
それは、ルイズ達の仲間のひとりであることをジョゼフは憶えていた。

「お前は?」
「八意永琳よ」

永琳はそう言うと、そのままジョゼフの近くまで歩いていく。
そして、肌と肌が触れ合うような距離まで迫った八意永琳は、男の耳元で何かを呟いた。
それを聞いたジョゼフの反応は、劇的である。
大きく目を見開いて、驚きを露わにするジョゼフ。
しかし、すぐに光がブラックホールに吸い込まれるように、その感情は飲み込まれていった。
後に残るのは、見る者を恐怖させる不気味な笑み。

「話を聞かせてもらうぞ。八意永琳とやら」
「こちらの望む情報が得られるのなら……ね」

男と女は、人目を避けるようにどこかへ消えていった。



「……本当にここは異世界なんですね」

疲れたように声を絞り出したのは、妖夢である。
彼女たちは今、立ち話もあれだという理由で、テーブルについて食事を取っていた。
モグモグと食べる魔理沙や霊夢を尻目に、ルイズは要所要所を押さえつつ妖夢に説明をしている。
それを横から覗いているルイスが、思わず感心してしまうほど的確であるそれを聞いた妖夢は、納得するしかなかった。
ここは異世界である、ということを。

「それで、わたしと萃香が召喚された後は、どうなったんですか?」

それを聞かれたルイズは、思わず顔をしかめてしまった。
こいつが酔っぱらってあんな事を叫んだことを、自分が言ったら何か面倒くさそうだ。
そう考えたルイズは、その部分に関しては無視しつつ話を続けることにした。

「この後はこの子……ルイスが誰かを使い魔にしなくちゃいけないって話になってね。
どう考えても、この中で使い魔になりたがる奴なんていないってのは、あんたにも分かるでしょ妖夢?」
「まあ、もちろんそうですね」
「この中で、酔い潰れてた奴ならいるけどな。
そいつになら、契約しても問題ないんじゃないかって、ルイスには言ってやったぜ」

いきなり、横から口を入れてきたのは魔理沙。
ギョッとした妖夢は、ルイスをきつく睨み付ける。

「いやいや、そんなことはしてませんって」

必死に首を横に振るルイスは、ルイズにちゃんと説明するようにお願いした。

「はぁ、魔理沙、あんたは口を出さないでよ。
ええっと、それでだいぶんルイスとコルベールっていう教師がごねるもんだから、
ちょっとムカッときた奴がいてね……」

いったい誰がという妖夢に答えるように、ある人物を指差したルイズ。
その人物は、自分が指差されていることに気が付いて、ちょっとだけ目を細めてルイズを睨んだ。

「鬼を指差すなんて、ずいぶん図太い度胸じゃないかいルイズ?」
「フン……本当に面倒なことしちゃって。ここに人達、大目玉だったじゃない。
あんたも、それを見ればこいつがなにをしたのか分かるわよって、さすがにここからじゃあ分からないか。
こっから出て外から見てみると、一発で分かるんだけどね」
「ただ優しく撫でただけじゃないか。そんな、がみがみ言いなさんな」

そのやりとりを聞いた妖夢は、何となく萃香がしたことというのが分かってきた。

「もしかして……鬼らしくこれですか」

右手を上げながら、ルイズに聞いてみた妖夢。

「それも巨大化してね」

遠くを見たルイズ。
その後ろには、気持ちよさそうに酒を飲んでいる萃香。

後で妖夢は、学院の本塔に空けられた大穴を見て、鬼の力が桁違いであることを改めて知らされることになったのである。

「その後はどうなったんです?」
「ええっと、それから慌てて出てきた学院長と永琳のふたりで話し合うことになってね。
結局、ゲストとしてこの学院が私達を迎え入れることになったのよ。この子の使い魔の件は棚上げにして」

ルイスは、仕方ないような顔をして首を振った。

「僕としては、特例で進級が認められたので、それだけで満足ですけど」
「そんなこんなで一日が過ぎて、今日が二日目ってわけよ」

はぁ、と気の抜けた返事を返した妖夢。
酔っぱらってほとんど憶えていないためか、なんだか他人事のような気がしている彼女だった。



その頃レミリアはというと――

「よし、お前はこれから紅魔館で働くべきだな」
「いや……ええっとそれはどういう意味で?」

何故かコックを勧誘していた。

「まあ咲夜がいるから、こんなむさい男を雇う必要もないんだけどさ。
咲夜もいろいろとすることがあるから、仕事を料理一本には絞れないってことがあるわけ。
極めれば、咲夜の方が美味しくなるのは当然でも、やっぱり専用職の人間も必要ってことで。
だから思ったよりも、味がよかったあなたの腕を買ってのことなのよ。光栄に思いなさい」

自分が如何に失礼なことを言っているのか、理解していないであろうレミリアの様子。
彼女にしては、自分の屋敷で働く価値有りという、最高級の評価であるのだが。
普通の人間にしたら、侮辱以外の何物でもない。
そして、その男の対応もまた常識的なものだった。

「……ふざけるなっ!!」

そう怒鳴ったっきり、なにも言わずにズカズカと厨房に帰っていくコック。
まあ、当たり前だろう。
それをただ眺めているレミリアは、つまらなそうな顔をする。
そして周りをキョロキョロと見渡して、こちらを向いているルイズと妖夢を見付けた。

「あんたねぇ……いい加減トラブル起こしてないで寝なさいよ。夜行性なんでしょ吸血鬼って?」
「フン、私は夜更かしが好きな吸血鬼なんだぞ……それよりも妖夢、わたしが選んだ婿殿は一体どうしたのよ?」

ルイズがあちゃ~という顔をしている中、眉をひそめた妖夢はその言葉の意味を聞くことにした。

「なにって、お前が宣言したんだろ。わたしの婿を募集していますってさ。
それでわたしが、お前にぴったりな男を選んで、ちょっと助言をしてやったんだ」

妖夢の頭に思い浮かぶのは、部屋を出た時に鉢合わせした小太りの少年。

「まさか、あの少年を嗾けたのは……」
「あいつだけだったのよ。お前の後ろにある人魂を見ても臆しなかったのはね」
「そもそも、その婿がどうのこうのってのはなんなんですか?」

そこで口を挟んだのは、ルイズである。
このような、険悪そうな雰囲気のままいけば、ふたりが弾幕ごっこを始めるのも時間の問題だろうと考えたのだ。

「あんたが出てきた時に、はっきりと言ったのよ。婿を募集してますってね。
多分だけど、幽々子に何か言い含められたんじゃないの?」

それを聞いた妖夢は、訝しげな表情をした。
そんな彼女に、思いついたように軽く話しかけたのは、食事の終わった霊夢である。

「まったく、あんた達まだそんなことやっているの。
もしかすると、あの亡霊が何か書き残してるんじゃないの?」

霊夢の言葉を聞いた妖夢は、それもそうだろうと自分の懐を探っていると、なにやら紙のような物を見付けてしまった。
それを広げると、自分の主が書いたであろう文字が残っている。
ちょっとだけ嫌な予感がしていたが、読まなくては始まらないと、それを読み進めていく妖夢。
それから一分後。

「幽々子様ぁ~~~~!!」

半人半霊の哀れな少女の叫び声が、アルヴィーズの食堂に木霊していたのだった。





場面は変わって、ここは幻想郷と地下の世界をつなぐ長い縦穴。
そこを、ふたりの少女が降りていた。
その内のひとりが、飛びながらも器用に、大きな杯に並々と酒を注いでグイッとそれを口に含んだ。
そして気持ちよさそうに、それを飲み干す。

「……幸せそうね」

それを横から見ていたもうひとりの少女が、呆れながらもそう呟いた。
返事はない。答えが必要ではないことを、星熊勇儀は知っていたのだ。
なぜなら彼女は、古明地さとりであるのだ。
地霊殿の主であり、相手の心を読む程度の能力を持っている、覚と呼ばれる妖怪である。
その会話が止まったままの状態で、彼女たちがどんどん地下へ降りていく。
その時、さとりはあることに気が付いた。

「勇儀さん……ちょっと聞きたいことがあるんですが?」
「ん? なんだいさとり」

彼女が読めるのは、表面的な思考だけである。
つまり知りたいことがある場合、必ず相手にそれを意識させる必要があるのだ。

「わたしのペットがどこにいるのか知りませんか?」
「んんっと……憶えがないなぁ。上じゃないのか」

特になにを思うわけでもなく、気紛れに上を指差した勇儀。
そうですか、と呟いたさとりは、なにやら難しそうなことを考え込んでいる。
はたしてそれは偶然だったのか、それとも鬼の直感のおかげかは分からないが、
ややしばらくすると、上空からさとりを呼ぶ声が聞こえてきた。

「おや、この声は噂をすれば影とやらだね」

上から顔を出したのは、火車の妖怪である火焔猫燐と地獄鴉の霊烏路空だ。
どこかおどおどしている燐と、そんな彼女を引っ張る空。

「いやいや、さとり様の前に出ちゃうとまずいってばおくう」
「どっちにしたってばれるでしょ。まったく、お燐は意気地なしだね」

そんなふたりを見たさとりは、深い溜息を吐いた。
そして、そのままふたりに向かって口を開く。

「事情は分かりました。地上の賢者には話をつけておきなさいよ、ふたりとも」
「は、はい、さとり様」

揃ってそう言ったふたりは、来た道を逆戻りしていった。

「好奇心旺盛な年頃だねぇ」

先ほどまでのやりとりで、なにが起こったのか瞬時に察した勇儀の言葉。
それを聞いたさとりは、固い岩盤で遮れられている天を仰いだ。

呆れていた。

怒ってもいた。

しかし、なにより彼女の心を占めるモノ。
それは心配だった。



[17147] 東方虚穴界 五話
Name: 萌葱◆02766864 ID:c0f91c93
Date: 2010/04/04 23:10
「ようやく落ち着いたわね」
「ええ、驚いてばかりもいられませんから」

ルイズの目の前で、先ほどまで誰が見ても分かるほど狼狽していた妖夢だったが、
幾ばくかの時間を経て、ようやく落ち着きを取り戻した。

「……はぁ」

妖夢の口から、疲れた溜息がもれた。
彼女が幽々子に振り回されるのはいつものことではあるが、それでもこんな事態は初めてだろう。

「それで、これからみんなはどうするのですか?」

改めて、ルイズ達にそう聞いてみる妖夢。

「わたしはそうだな。こっちの魔法のことを調べてみるぜ。
もちろん、ルイズも付き合ってくれるよな」
「……分かったわ。あんたをひとりにしても、問題が起こる気がするし付き合うわよ」

魔理沙とルイズがそう言うと、残された霊夢は、

「わたしはいつも通りに、その日暮らしをするだけよ」

と、あくまでいつも通りの様子だった。

「それなら、僕達と一緒に授業を受けてみますか魔理沙さん?」

横で話を聞いていたルイスが、そんなことを提案する。

「おっ、気が利いてるぜルイス」

その都合のよい話を断る理由のない魔理沙は、一も二もなくそれを了承した。

「それでは……あれ? 吸血鬼と薬師はどこに行きましたかね?」

他にも話を聞いてみようと、周りを見渡した妖夢はレミリアと永琳がいないことに気が付く。

「永琳は、ここに入ってすぐに姿を消したけど……あの吸血鬼は、どこに行ったのよまったく。
ほんとにどいつもこいつも勝手に動いて。何とかならないのかしら?」

好き勝手に動く彼女らのことを考えると、つい悪態をついてしまうルイズ。

「おいおい、わたしのことは無視なのかい?」

酒臭い鬼のその一言に、この場にいるみんなは揃って呆れた顔をする。

「どうせあなたは、お酒を飲むだけでしょう?」
「ははは、違いないね」

豪快に笑うその姿は、まさしく鬼という名に相応しいものだった。



「ちょっとよろしいかしら皆様方?」

いつもと変わらない萃香を呆れながら眺めていたルイズ達に、誰かが話しかけた。
全員が、その艶っぽい声の持ち主へ視線を向ける。
そこにいたのは、褐色の肌と燃えるような赤毛の艶のある美女だった。

「あれ、キュルケさんじゃないですか?」

彼女――キュルケに声をかけるルイス。

「彼女たちに、あたし達を紹介してくれるかしらルイス」
「はぁ、それはいいですけど」

そう言ってルイスは、ルイズ達にキュルケのことを紹介する。

「彼女はキュルケといって、我がトリステインの隣国である、ゲルマニアからの留学生です。
僕のクラスメイトであり、火の系統のメイジとしても、とても優秀なんですよ」

キュルケは一歩前に出ると、仰々しい動作で一礼をする。
そして、顔を上げるとそこには、隠しきれないほどの興味が滲み出ていた。

「ねぇ、ミス・妖夢といったかしら?」
「ただの妖夢でいいですよ」
「あら悪いわね。それでは妖夢。あなたの後ろに浮いているそれ……触ってもいいかしら?」

妖夢の後ろに浮いている人魂を指差したキュルケ。
指差された妖夢は、露骨に嫌な顔をした。

「これはわたしの半身。誰でもべたべたと素肌に触られるのは嫌でしょう?」
「それじゃ、諦めるしかないわね」

残念そうな顔をしたキュルケは、次に萃香の前まで歩いていく。
その様子を見たルイズが嫌な予感がして、彼女を止めようとするが少しばかり遅かった。

「あなたのその立派な角、ちょっと触りたいんだけど……」

好奇心が猫をも殺す、という言葉がある。

「クックックックッ」

持っていた瓢箪をテーブルの上に置いて、含み笑いをする萃香。
そんな彼女に不吉な何かを感じたキュルケは、一歩後ろに下がろうとした。
その瞬間、

「おやおや、今更臆したのかい人間」

鬼の声が、キュルケの心を貫いた。
キュルケは恐怖した。その声色に込められた、鬼気ともいうべき恐るべきものを。
そしてなにより――その声が、耳元から聞こえたことに。
相も変わらず、目の前の萃香はニヤニヤと笑みを浮かべているだけ。
ぎこちない動作で、首を横に向けるキュルケ。
そこにいたのは――手の平サイズにまで縮んだ萃香だった。

「たかが人間の分際で、我らの象徴たる角をどうするというのだ」

また声が聞こえた。しかも、自分の頭の上からである。
と、その時キュルケの頭から何かが飛び降りた。
もちろんそれは、肩に乗っていたものと瓜二つの、小さな萃香である。

わけが分からない。理解が出来ない。これは夢なのか?
そんな、ものの見事にどつぼに嵌っているキュルケを、さらに混乱させることが起きた。
いや、それが起きたのはキュルケだけではない。

「っえ!!」
「うわわわぁぁ!!」
「きゃぁぁ!!」

次々と、食堂中に響き渡る悲鳴。
彼ら彼女らが驚いた原因は、目の前に現れた存在の所為である。
それが、ちび萃香であることは想像に難くはないだろう。
が、それではどうして生徒達は悲鳴をあげたのか?
異形の角こそ生えているが、見た目は可愛らしい女の子の萃香。
いくら小さくなっていて、いきなり目の前に現れようとも、そこまで驚くことはないのではない。
そう、彼らは知らず知らずの内に分かっていたのだ。

彼女は、人を喰らうバケモノであることを。



――百鬼夜行。

もちろん、今は夜ではない。
しかし、ここアルヴィーズの食堂で繰り広げられていることを表現するのに、これほど適切な言葉もないだろう。

どこからともなく湧き出た、無数の萃香。
夢幻の鬼が次々に笑いだす。
笑う。
笑う。
笑う。
その人の理性を剥ぎ取る鬼声が、幾重にも重なり食堂全体に響きあう。

「たかが人間風情が、よくもそこまでほざいたな」
「貴様らが初めて見る、本当の鬼の力。その目にしかと焼き付けろ」
「太古の昔々、貴様らの魂に刻まれた恐怖を思いだし、心の底から震え竦み上がるがいい」
「その恐怖で味付けされた肝を、一欠片残さずに貪り尽くしてやろうぞ」

徐々に滲み寄る萃香達。
牛のように歩みが遅いのは、キュルケの恐怖を煽るためなのだろう。
誰もが、その鬼気に呑み込まれて指一本動かせないでいる中、ただひとりだけ行動を起こしたものがいる。

「調子に乗るな鬼」

スパッとその一言と共に、萃香の頭上に拳骨を振り下ろしたのは博麗霊夢だった。

「あんまりはしゃいでいると、退治するわよ妖怪風情」
「いてて、妖怪風情とは鬼に向かって失礼千万な言い分だねぇ」
「わたしにとっては、鬼も妖怪も似たようなものよ」

ニハハ、と気持ちよく笑う萃香。
先ほどまでの鬼気は、欠片もなくどこかへ吹き飛んでいる。
ついでに食堂に無数にいた小さな軍団も、綺麗さっぱりと空に溶けるように消えていた。

「あぁ」

あまりにも強すぎる恐怖のためか、腰砕けの状態になってへたり込んでしまうキュルケ。
それを見た萃香は、やれやれと呟きながら右手に伊吹瓢、
左手にいつの間にかそこにあった空のグラスを持って、キュルケに歩み寄っていった。
それを見たキュルケは、先ほどの恐怖を思い出したのかビクンと体を硬直させる。

「悪かった悪かった。そんなに緊張しないでよ。
あんたの度胸には少しだけ感心したから、ちょっとばかし、からかってみただけだよ」

萃香はそう言いながら、瓢箪に入っている酒をグラスに注いで、キュルケに差し出した。

「まったく、周りの連中は遠目で見ているだけの腰抜けだねぇ」
「え……は、はぁ?」

そのグラスを戸惑いながらも受け取ったキュルケは、進められるままに一気に飲み込んだ。
途端に彼女の口内に広がる雑多な風味。
時々ではあるが、名品といわれているワインを嗜むことがあるキュルケ。
それと比べてみると、いうなれば泥臭くまったく洗練されていない味がした。
しかし、それはこの酒を貶める特徴ではない。
逆にこの複雑さこそが、この酒の素晴らしさなのだ。

「なにこれ……とんでもなく美味しいわ」

心ここにあらず、といった雰囲気のキュルケ。

「ろくでもない酒しか飲んでこなかったんだねぇ。
確かに、ここの酒をちょいと拝借させてもらったら、薄いのなんの。
あんなの酒じゃない。色つきの水だね」

ニコニコと笑う萃香。
それを横で見ていたルイズが一言。

「……ほんとこいつら疲れる。
なんかもう、どんな問題が起きてもフォローしようって気力が起きないわ。
どう思う魔理沙?」
「あきらめろ。それがお前の運命だぜルイズ」



さて、食事が終わったルイズ達は、いったんそれぞれが単独行動をすることになった。
ルイズと魔理沙は、ルイス達と一緒に学院の授業を受けている。
レミリアは、与えられた部屋で寝ているはず。
永琳と萃香に関しては、なにをやっているのかは本人以外には分からない。
あれらの行動を把握するのは、例え神だろうとも至難の業である。
そして霊夢と妖夢は、どうしているのかというと。

「ああ、気持ちいいわね……」
「……わたしは苦手なんですけど」

学院の中庭で、暢気に日向ぼっこをしていたのだった。

「なによ。別に付き合えっていったわけじゃないけど」

ジト目で妖夢を、見つめながらそう言った霊夢。
妖夢は、誰が見ても分かるほど慌てていた。
その様子を見た霊夢は、呆れたような溜息を吐く。

「どうせ、幽々子にでも頼まれたんでしょ? 博麗の巫女を護るようにってね」
「……まあ、あなたの勘の良さを考えると、すぐにばれるとは思いましたよ。
後ろから尾行しても、すぐにばれるのは分かっていますしね」

それだけじゃないはずだ、と霊夢は考えていた。
幽々子が何故こんな事を妖夢に頼んだのか?
彼女の交友関係を考えると、その裏にいる存在はすぐに考えつく。

八雲紫だ。

しかし、分からない。
そんなことをするぐらいなら、わたしをこちらへ行かせない方が手っ取り早いはずである。
それこそ妖夢が如何に護衛として優れていようとも、想像外のアクシデントは避けられないものだ。
八雲紫は、そのような不確かなことをする人物なのか。

(あいつは、そんなに甘い奴じゃない。なにかあるのよ……なにかが)

博麗霊夢でしかできない役割が。

「あのう……一体ここでなにをしているんですか?」

考え事をしている霊夢とそれを眺めていた妖夢に、誰かが話しかけた。
顔をそちらへ向けた霊夢は、あの召喚の時に見た顔を見付ける。

「あら、確かコルベールだったっけ?」
「ええ、そうですよ霊夢さん……と妖夢さんですよね」
「魂魄妖夢です。初めまして」

生真面目に頭を下げる妖夢に、感心したように微笑むコルベール。

「ジャン・コルベールです。体調の方は大丈夫ですか?昨日は、だいぶ飲んでいたみたいですので」

苦笑いを浮かべた妖夢。

(赤の他人に心配されるほど、酔っぱらっていたのかわたしは。
というか、そんなになるまで幽々子様はわたしに飲ませたのか……はぁ)

勝手に落ち込んでしまっている妖夢を、不思議そうに眺めていたコルベール。
そんな彼に、今度は霊夢から話しかけた。

「そっちはなにをしているのよ?」
「ああ、ちょっとあれの様子を見に来ているんだが……」

コルベールが指を差した方向を見た霊夢は、なるほどと頷いた。
そちらにあるのは、学院の本塔に見事に空いた大穴。萃香がぶち抜いたものである。

「いやぁ、この学院には素行の悪い生徒はいませんし、侍従達や教職員も確かな身分のものばかりですので。
大丈夫だとは思うのですが、さすがに宝物庫をあの状態で放っておくのは……」

困ったように首を振ったコルベール。

「それに今は、姫様から預かっている『始祖の祈祷書』があるので、なおさらなのですが」

その時霊夢は、

(それを魔理沙が知ったら、面倒なことになりそうね)

と思っていたのだった。



日が暮れるまで、中庭でぼうっとしていた霊夢は、一度部屋に戻ることにした。
神社にいるか、妖怪退治ででもしてない限り、ただこんななにもしない一日しか過ごせないんだと、
自分自身で呆れながら、学院から与えられた部屋に入ると、すでにルイズが先に戻っていた。

「どうだったのルイズ?」
「ああ霊夢。うーんと……」

言いにくそうに、もごもごしているルイズ。

「そうね、ご飯にしましょうかルイズ」
「う! ……ごめん霊夢」

霊夢は、ルイズがここの出身であることを、すでに勘で見抜いていた。
まあ勘であるから、ちゃんとした根拠があるわけではないが、それでも自分自身のそれには並々ならぬ信頼を寄せている霊夢。
しかし、それをルイズ本人に問い詰めるようなことはしない。
そして、霊夢が気が付いていることを、ルイズは分かっていた。

(まったくありがたい友達ね)

そうしみじみと思っているルイズ。

「ねぇルイズ。魔理沙はどうしたの?」
「あいつなら、どっかで彷徨いているんじゃないかしら。
四六時中、あいつと一緒にはいられないから」

それを聞いた霊夢は、先ほどの予感が本当のことになりそうな気がしたのだった。





四季映姫・ヤマザナドゥと八雲藍の前で、八雲紫はなんの躊躇もなくそれを言った。

「ルイズの人としての境界を崩し、ハルケギニアを彼女の色で塗りつぶすのです」

藍には、八雲紫の言っていることの意味が分からない。
ルイズを世界と同化させる? それをして何になるのだろう?

「ルイズの本質は爆発。純粋な破壊なのです。
彼女の個としての境界を崩せば、世界そのものが巨大な爆弾となりうる。
後は、それに火をつけてしまえば……ボンというわけよ」
「し、しかし、彼女ひとりの存在がそこまでの影響を及ぼすものですか?」
「わたしが何故、彼女と初めてあった時に元の世界に戻さなかったと思う?
その時にはすでに、ハルケギニアの位置は掴んでいたのによ。
……答えは出ないようね。それは時がくるのを待っていたから。
彼女の中に眠る力が、世界を壊すまでに大きく膨れあがるのをずっとね。
それこそ、彼女と外界に強力な結界を張り続けて、あの子の魔力が肉体の外に逃げ出さないようにして」

藍は、その話を裏付ける事実を知っている
ルイズが何故に、人形操作があれほど下手だったのか。
そして身体能力の強化が得意だったという理由が、そこにはあった。

つまり、ルイズは縛られていたのだ。
八雲紫という、強大で強靭な蜘蛛の糸で。

「……わたしが、あの子を初めて見た時の気持ちが分かるかしら藍?」

首を横に振る藍。

「純粋な殺意よ」

それを言う八雲紫の目を見た藍は、喉からせり上がってくる悲鳴を必死で押し止めていた。
もし映姫がいなかったら、人間のような情けない声をあげていただろう。

「出来れば、その場で細胞ひとつ残らず磨り潰したいぐらいだったわ。
あれは幻想郷を破壊する爆弾。あの瞬間、確かにこの世界は崩壊の危機にあったのよ」
「そこであなたは、逆にそれを利用することにした」
「そんなことを言う映姫様だって、あの子の危険性には気付いていたのでしょう?」

映姫は、その八雲紫の言葉を聞くと、境内から一望できる幻想郷を見るために視線を動かした。
見えるのは真っ暗な光景のみ。しかし、確かに映姫には見えていたのだ。

「なすがままに……それがわたし達の立場です」

それを聞いた八雲紫は、微笑みをその美貌に浮かべる。
その映姫の答えは、想像通りのものだったようだ。

「藍……これから始まるのは戦争なのよ。
幻想と幻想。世界と世界のぶつかり合い。情けなど入る隙間のない生存競争。
……まともにやりあえば、こちらの勝てる可能性などひとつもない絶望的な戦い」

それを聞いた藍の額に流れるのは、冷たい汗。
その八雲紫の言葉が、紛れもない事実であることを察したためである。

「この幻想郷が滅んでしまうというのですか!?」

その切羽詰まった藍の言葉に、八雲紫は余裕をもった笑みで返した。

「ところが、勝敗はすでに決している。こちらの勝ちという結果は覆らないのよ」
「ええ? それはどういうことです紫様?」
「最強にして無敵のカード。エースとジョーカーを兼ね備える手札の存在。
彼女がこちらについてくれて、そしてルイズという爆弾がある限りは、勝ちは揺るがない。揺らぐはずがないでしょう。
例え獅子身中の虫がどう動こうとも、勝負の天秤は傾くことはないのよ藍」

そう言い切ったあと、藍の耳元に顔を寄せた八雲紫は何かを呟く。
それを聞いた藍は、首をかしげた。

「はぁ……ええっと彼女がなにか?」
「最良の結末を迎えるための鍵よ。上手く話をつけなさい。
一週間後に、この神社で落ち合うことにしましょう」

そう言って右手を天高くかざした八雲紫。
藍がそれを見て、急いで止めようとするが、それよりも早く紫はその手を振り下ろす。
その空間に生じたスキマの中に、自らの体を飛び込ませた八雲紫。

そして境内には、呆気にとられた藍と、何かを考えている映姫が残されることになった。



[17147] 東方虚穴界 六話
Name: 萌葱◆02766864 ID:c0f91c93
Date: 2010/04/10 16:59
夜空に、二つの月が浮かんでいた。
大きな蒼い月と、小さな紅い月。
名前はない。二つともただの月であり、所詮、月でしかないためだ。
それは、六千年前からの常識である。

「名前を付けるとしたら、どういう名前を付けるんだろうかなぁ?」

ひとり寂しくそう呟いたのは、ルイスだった。
すでに日が暮れ、昨日のサモン・サーヴァントから始まった騒がしい日々も、二日目が経とうとしていた。
彼は、ひとりぶらぶらと真夜中の散歩中。
冬が過ぎ、春になり、しかし、いまだに空気は肌寒かった。
そんな中で彼が思うことは、彼女のことばかり。

――ルイズである。

やはり、彼女が他人だとは思えないルイス。
自分の勝手な思いこみであり、確たる証拠などなにもないのだが、それでもその直感は間違っていないと感じていた。
しかし、そこにはひとつの問題があった。

(姉さんだって分かったからって……一体何の意味があるんだ?)

父や母、姉たちは喜ぶだろう。
だが、自分ははたしてどうか? 本当に喜べるのか?

答えは出ない。

出るはずがなかった。



「おーい、こんな夜に何やってるんだルイス!」

彼がそんなことを考えながら歩いていると、その陰気な感情とは正反対の大きな声で話しかけられる。
ルイスがそちらの方に顔を向けると、そこには真夜中の真っ暗な世界に溶け込むような黒い服を着た女性がいた。

「あなたこそ、どうしたんですか魔理沙さん?」
「ん? ……まあ気にするな。それより、なんか難しそうな顔をしながら歩いていたな」

とんがり帽を深く被り直して、何かを誤魔化すような魔理沙の態度。
それでも、知り合ってからそれほど経っていないルイスは、
彼女のことを威勢のよい魔法使いとしか認識していないため、取り立てて気にはしなかった。
ルイスは、不意にひとつだけ、彼女に聞いてみたいことを思いついた。

「……家族ってなんだと思います?」
「家族かぁ。わたしには縁遠いものだな」

夜空に浮かぶ月を見つめた魔理沙。
なぜだか、そんな魔理沙になら、素直に心情を吐き出すことが出来そうだとルイスは思う。

「なんで僕の名前は、ルイスなんですかね?」
「ん?」
「ルイズ姉さんが神隠しにあって、一年後に生まれたのが僕です。
おかしいと思いませんか? 子供がいなくなったってのに、すぐに子作りをするだなんて。
それでいて、付けられた名前がルイスですよ。一体なにを考えているんだか?」

それは物心ついた時から、心の奥で燻り続けている疑念という種火だった。
決して消せない、その黒い炎を感じ取った魔理沙。
やれやれと心の内では思いつつ魔理沙は、彼女らしくもないことを話し出した。

「ルイスは……恋をしたことがあるのか」
「……まだないと思いますが……それが何か?」

ルイスに背を向けたまま、一歩分だけ前に出た魔理沙は、目の前に広がる夜空に向かう。
少しの間、静寂で緊張感のある空気が場を支配した。

「ルイスも、恋をすれば変わるかもな」

感慨深げにそう言って、くるりと反転した魔理沙。
その顔、正確には目を見たルイスは、ドクンと自分の心臓が高鳴ったのを感じた。
恋する少女の瞳――少年にとって初めて見たそれは、まるできらきら光る宝石のようで。

「ルイス……お前にとって、家族ってのはなんなんだ?
血の繋がっただけの人間か? 一緒に暮らしてきただけの人間か? それとも……」
「大好きな人達です!」

反射的に大声で叫んで、魔理沙の台詞を遮ってしまうルイス。
話すのを邪魔された格好の魔理沙であるが、しかしその表情は満足げだった。

「それでいいじゃないのか? ルイスは、家族のことが好きだ。
それだけで、答えとしては十分だと思うぜ。わたしはな」
「だけど、それは相手も同じく思っていないと、意味がないんじゃないですか?」

そうなのだ。自分がみんなのことを好きなのは確かである。
しかし、当の相手が自分のことをどう思っているのか。
それこそが問題なのだと、ルイスは考えている。
だが、魔理沙はそうとは思っていないようで。

「いーや。大事なのは、やっぱり自分の気持ちだな。
他人の気持ちには干渉できない。してはならないと思うぜ」

その意見には、ルイスも同意する。
他人の自由意志は尊重しなければならない。
そんな難しい言葉では理解していないが、それでも、何となくそれがいけないことであることを、ルイスは知っていた。
しかし、分かっていても納得できないことは――やはりあるのだ。

「ええ、分かっています。分かっているんです……」

明らかに、煮えきれないルイスの様子。
その彼の表情を見た魔理沙は、やれやれと言いながら持っている箒に跨る。

「ほら、ちょっと行きたいところがあるんだが、付き合ってくれよルイス。
そんな難しいことを考えるより、人生楽しく生きなきゃいけないぜ。命短し恋せよ乙女って言うだろ」
「僕は男です! まったくもう……」

そんな文句を言っている間にも、魔理沙の箒はすでに浮き上がっており、
仕方なく付き合ってあげるかと、愛用の杖を取りだし魔法を唱えたルイス。
ふわりと浮き上がるルイスの体。
そのまま彼は、けっこうなスピードで進んでいく魔理沙についていった。
漆黒の空を飛ぶ、真っ黒な魔法使いの背中を眺めるルイス。

(なんかハチャメチャな人だなって思ってたけど、意外と真面目でいい人なんだなぁ)

先ほども、彼女なりの言葉ではあるが、自分を励まそうとしていたのだ。
ルイスの心の中で、ぐんぐん魔理沙の株が上がっていく。

――しかし、次の瞬間、ルイスは見てはいけないものを見てしまった。

(ちょいちょいちょい!! どこ行くんですか魔理沙さん!!)

本塔の宝物庫に入っていく魔理沙。
その姿を見て、魔理沙株が急下降していったのはいうまでもない。

必死にスピードを上げて、魔理沙に追いついたルイス。
もちろん今いるのは、宝物庫の中。

「いやいやいや、何やっているんですか魔理沙さん!!」
「そんなに大きな声を出すなよ」

しー、と口に指をあてる魔理沙。

「ほら宝物庫なんていったら、結構面白そうなものがありそうだろ?」
「……見るだけなんですか?」
「面白そうなものがあったら、欲しくなるだろうルイス」

まったく悪びれた様子のない魔理沙。
そんな彼女を見たルイスは、呆れるのを通り越して感心してしまった。

「それは、泥棒っていうんじゃないですか?」
「なにを人聞きの悪いことを言うんだ。借りるだけだよ。わたしが死ぬまでな」

なんだかもう、黙って部屋に帰って、布団に潜りたいと思ったルイス。
しかし、彼女の犯罪を見逃すわけにはいかないだろう。

「そういうのを、泥棒っていうんじゃないですか?」
「見解の相違だな。常識が違うってのは悲しいぜ」

明らかに、ふざけているのが分かる口調の魔理沙。
その間にも、彼女はいろいろな物を物色している。

金属で出来ている筒のような物を持った魔理沙は、なぜだか興味を惹かれなかったようで、ぽいっと宙に放り投げた。

「ちょ!! 何やっているんですか!! 他の宝に当たって壊れたらどうするんですか」

慌てて声を張り上げるルイスとは正反対に、ふんふんと鼻歌交じりのお気楽魔理沙。

「……ちょっと暗いな」

帽子を脱いだ魔理沙は、その中から愛用のミニ八卦炉を取りだした。
料理に便利なトロ火から、山ひとつを焼き払えるほどの幅広い用途に使える、魔理沙の自慢の逸品である。
それからあがったのは、暖かくて真っ赤な炎。
いつもの彼女の性格からは、想像もつかないような絶妙な火加減で、宝物庫全体を明るく照らした。

「……あれは?」

ふと、ルイスはその時、宝物庫の壁に何かの文字が刻み込まれているのを見付けた。
それを読んでいるふたり。

「ええっと……これってもしかして」
「ちくしょう、先を越されたぜまったく」

そこには、こう書かれていたのだった。

『始祖の祈祷書、確かに領収いたしました。土くれのフーケ』



「これは危機じゃ。学院のお取り壊しの危機なのじゃ!!」

老人の怒鳴り声が、学院中に響き渡っている。
日が明けて間もない今の時間、ここトリステイン魔法学院から、この様な騒がしい声が聞こえるのは珍しい。
もっとも、理由を聞いた者はすぐに納得するだろう。

「姫様からお預かりしていた、始祖ブリミルから延々と受継がれている国の宝、始祖の祈祷書が盗まれたのじゃからな」

その舞台となった宝物庫に集まっているのは、学院の教師達とひとりの生徒とひとりのゲスト。
彼らの前で、学院長のオスマンが厳しい目つきのまま話す。

「こうなっては、責任がどうとかはもはやどうでもよい。
教師諸君、我々の手で盗まれた宝を取り戻すのだ。この杖に誓ってのう」

もちろん教師達は、全員が貴族であり、彼ら貴族は揃ってこういうノリが好きなものと相場が決まっている。
そしていつもなら、臆病風に吹かれている面々なのだが、この学院長の迫力に影響されたようだ。
おおう、という半ば怒声に近いような声が宝物庫に木霊した。
そんな光景を、呆れつつ眺めていた魔理沙。
その横に立っていたルイスが、右手を天高く上げた。

「僕も参加させて下さい!!」

いきなりの、捜索隊への参加表明だった。
普通に考えたら、十代になったばかりの少年に、盗賊退治をさせる大人はいないだろう。
しかし、ここはトリステイン。伝統と誇りを重んじる国である。
貴族とは、見栄と名誉こそをもっとも重要視する生き物。
彼の勇気ある行動は、彼らにとって褒め称えるべきものである。

「さすがはヴァリエールの長子。その勇気は、正に英雄そのものじゃ」

ルイスの行動を褒め称える教師達。
それを見ていた魔理沙は、呆れたように両手を上げ、宝物庫から出て行こうとする。
その背中に、オスマンの声が投げかけられる。

「お主はいかんのか?」
「団体行動は、苦手なんでね。こっちはこっちで勝手にやってるから、気にしない方がいいぜ」

後ろを振り向かないまま、魔理沙はこの場を立ち去った。
その胸の内で考えているのは、親友と瓜二つの顔の少年のこと。

(なんとかするっきゃないか)



「……さてと」

自分たちの部屋まで歩いている魔理沙は、先ほどのルイスの横顔を思い出していた。
真っ直ぐな目だった。透き通った目だった。
魔理沙は、その瞳をよく知っていた。
彼女の親友と同じ眼差しなのだ。

(あいつもよく、あんな目をしていたな……)

あいつのことを一番知っているのは自分である。そう魔理沙は思っている。
人形遣いだとか死神だとか、あいつと関係の深い人物はいろいろいるが、
それでもあいつのことを一番分かっているのは、この霧雨魔理沙であることを確信していた。

それは、あの日の約束があるからだ。
深い森の中、ふたりで誓い合ったあの思い出。

そんなノスタルジックなことを思い出している自分自身を、
らしくないなぁ、と笑い飛ばして歩き出した魔理沙。

「ふわぁぁぁ」

さすがに夜更かしの所為か、魔理沙の口からあくびが漏れた。
んん~~、と背伸びをして眠気を飛ばした魔理沙は、ちょうど自分たちの部屋の前まで到着する。
勢いに任せて乱暴に扉を開けて中に入ると、すでに起きていた親友達が一斉にこちらを見る。

「おーい、大事件だぞ大事件」

ウキウキしている魔理沙が話し出すのを、ふたりは黙って聞いていた。
いつも通りの彼女に対して、呆れているのを隠そうともせずに。



さて、魔理沙の熱のこもった話を聞いたふたりの反応はというと。

「興味ないわね」

博麗霊夢は、いつもと一緒の冷めた反応。
一方、ルイズは霊夢とは違う反応を示した。

「……」

なにやら、難しいことを考えているような彼女。
そんなルイズに、魔理沙が話しかけた。

「ルイズ、いっちょ一緒に盗賊退治といこうじゃないか」
「うーん……でもねぇ、人形の無い私がどうしようっていうのよ?」

人形遣いのルイズであるが、実は今、手元には人形が一体もないのだ。
原因は魔理沙である。
あの時、宴会からいきなりこちらに連れてこられたルイズ。
師であるアリスみたいに、魔法を使って人形を小さくすることなど出来ないため、
持ち運ぶのに大きなバッグを利用しているのだが、あの瞬間で準備できるはずがない。

「別に構わないだろ。お前の人形が役に立ったことなんて無いんだから」

その遠慮なしの魔理沙の言葉がショックなのか、ガクッと膝が折れるルイズ。

「それに、ルイスも参加するんだってよ。
あいつ、あんな子供なのに心配だろ?」

魔理沙のその言葉に、ルイズは顔を表に上げて窓の外を見た。

「……別に関係ないわよ。あんなガキ」

何かに耐えている顔だ。
それは、見ているこっちが嫌になる顔である。そう魔理沙は感じた。

「まったく……あんまり意地はってても損するだけよルイズ」

霊夢が、子供に言い聞かせるような口調でルイズに言う。
それでも、ルイズは青い空を黙って見つめていた。辛い顔のままである。
魔理沙は、そんな彼女に背を向けた。

「わたしの後ろに座るのは、お前だけだからな」

それは、魔理沙にとって当たり前のこと。

紅霧異変の時も、春雪異変の時も、永夜異変の時も。
ふたりが体験した異変の中で、それだけは変わらない。
魔理沙の箒の後ろに一緒に跨る、桃色の優しい少女の姿は不変である。

そのまま、普通の魔法使いは部屋を出る。
残された未熟な人形遣いは、迷いが滲み出るような溜息を吐いた。



何かあった時のためにと用意していた、古びた小屋の中に入ったフーケは不思議そうに首をひねった。
あの日召喚された亜人が、宝物庫の壁を壊したのを知った時から、
彼女は千載一遇の好機であると、忍び込む隙を狙っていたフーケ。
この学院のふぬけた教師達のことだ、
多分、バカみたいなミスをしでかしてくれると思っていると、それが実現してしまった。
見回りの教師が、サボっているのか忘れているのかは知らないが、ついに現れなかったのである。

その結果、まんまとお宝を盗み出すことに成功したのだが……。

「どうして、こんな物を盗み出してしまったんだろうねぇ?」

彼女は、持っていた古くさい本を見た。
始祖の祈祷書である。

元々、フーケが貴族の財宝を狙うのは、現金に換えるのが目的である。
この始祖の祈祷書は、トリステイン王家に伝わる由緒正しいお宝であるのだが、
しかし、逆にそれが市場での価値を下げていた。

まず、この本は大量の偽物が出回っているため、本物として証明するだけでも一苦労だった。
万が一、これが本物だという証明が出来たとしても、王家に伝わる宝を好んで手に入れる好事家はいないだろう。
コレクターとは、逸品を持っているだけで満足できる人種ではない。
それを同好の士に見せつけることでのみ、満足感を得られるのだ。
王家の宝を見せびらかしでもしたら、嫉妬した誰かに密告される可能性があるため、
コレクターとしては、始祖の祈祷書はそれほど魅力的ではないのだ。

それでは、何故彼女はこの本だけを盗み出したのか?

「しかし、文字の書いてない本なんか、なんの意味もないと思うけど……な!」

別に、なにをしようと思ったわけではない。
フーケはただ気紛れに、本を開いただけである。

ペラペラと頁をめくってみて、フーケは言葉を失ってしまう。

「……なんだ。文字が書いてあるじゃないか?」

確かに始祖の祈祷書に、文字が描かれていたのがフーケには見えた。
書かれている文字は、フーケには見覚えのないものである。
その奇妙な文字列を眺めていたフーケ。
次第に、その表情に変化が起こる。

「ッ! ッ! ッ!!」

電気が流れているように、ビクンビクンと痙攣するフーケの体。
ナニカが、フーケの肉体の主導権を奪おうとしているのだ。
肉体の中に入り込んでくるナニカに、必死に抵抗する彼女だったが、
それは、決して普通の人間に勝てるようなモノではない。

「……」

痙攣が終わった。
顔を上げ、スッと立ち上がったフーケ。
だが、そこにいたのはフーケであってフーケではない。
能面のような顔、死んだ魚のような目。
口から零れるのは、呪詛の言葉。

「災異は攘われるもの。災異は攘われるもの」

そんな彼女の様子を、自ら心を閉ざした哀れな少女が黙って観察していた。
単なる興味本位で、フーケの後をつけてきた彼女。
誰からも認識されない彼女は、先ほど見た本の中に書かれていた言葉を見て首を傾げる。

そこに書かれていた文字は、彼女にとってなじみ深い言語――日本語だったからである。




博麗神社の屋根の上。
そこに八雲藍と四季映姫・ヤマザナドゥの前から、
消えるようにスキマに入った八雲紫の姿があった。
下には、自分が消えて慌てている式の姿が見える。
その時、紫と映姫の目があった。

(藍のことはお任せしますわ、映姫様)

胸中でのみ、映姫に言葉を投げかけた紫は、天蓋に輝く月を見た。

「これで中央の用意は大丈夫。
問題は、四方に位置する駒を配置できるかどうか……ね?」

不意に、紫の顔から笑みが消えた。
そして、警戒するかのような、それでいて憐れんでいるかのような不思議な表情をする。

「あなたはどうするのかしら?
こちらにつくか? それともあちらにつくか?
早く決めた方が宜しいと思いますわよ」

その問いかけは、幻想郷にいる何者かに投げかけられた。
しかし、返事は返ってこない。
やれやれと苦笑を浮かべた紫は、そのまま幻想郷の空へ飛び出していった。
誰も居なくなった神社の屋根。

しばらくすると、小さな体の何者かがそこに降り立ち、
辛そうな、それこそ魂を絞りに絞った末に残された絞り滓のような声を発した。

「……余計なお世話だよ」

彼女は、目の前に広がる夜の帳を眺めている。

「どうしたらいいんだろうなぁ?
教えて下さいよ××××様。あの時みたいに……。
私が救われる道を教えて下さい××××様!」

答えは返ってこない。返ってくるはずがないことは、彼女自身がよく知っていた。
しかし、それでも答えが欲しかったのだ。

前にも後ろにも、自分では進めない。
幻想郷のみんなを見捨てることなど出来ない。
しかし、あの御方の最後の願いを壊すことも出来ないのだ。

つまり、彼女は優しすぎた。ただそれだけのことである。



[17147] 東方虚穴界 七話
Name: 萌葱◆02766864 ID:c0f91c93
Date: 2010/04/13 22:18
ハルケギニアの魔法属性は、主に四つ。
火、水、土、風の四系統である。

あらゆるものを焼き尽くす、攻撃に特化した『火』の系統。

癒しと心を司る、体の組成を操ることを本質とする『水』の系統。

大地を覆う土の力を使う、人々の生活を支える『土』の系統。

空気の流れを利用して、攻撃から防御まで幅広く活用できる『風』の系統。

ルイスは、このうち風の系統である。
二つ名は、雷光のルイス。

風魔法の中でも、ライトニング系統の魔法を操ることに長けていたため、つけられた二つ名である。
それは、風系統の中でも、もっとも難しいといわれるものだった。

ルイスは、この力に誇りを持っていた。

連綿と永い時を受継がれてきた血脈。
魔法の才能とは、その誇り高い祖先の歴史そのものなのである。
それを誇りに思わないで、一体なにを誇ろうというのだ。

ルイスは、フーケのことを怖くないとは思わなかった。
しかし、相手はいうなればたかが盗賊。
偉大なるラ・ヴァリエールの自分が恐れる相手ではない。
恐れるなどということは、許されないのだ。
その誇りが、ルイスをあの場で挙手させたのだった。



「あのう……ミスタ・ヴァリエールは、怖くはないのですか?」

日光が燦々と木々の隙間から降り注ぐ中、馬に乗った中年女性が、同じく馬に乗っているルイスに話しかけた。
その女性の柔らかそうな顔つきは、盗賊退治などという野蛮なことは一度もしたことのないという、平和な雰囲気を醸し出している。

「そうですね……怖くないといえば嘘になりますけど、
それよりも、わたし達には貴族としての義務がありますからね。
ミス・シュヴルーズは怖いのですか?」

シュヴルーズ。学院の教師である彼女は、生徒が怖くてもやるんだと言っているなか、
自分だけ怖いのでやめます、などと言うことが出来るほど図太い性格ではない。

「だ、だ、だ、大丈夫よ。わたくしがついているのです」

年上として、教育者として、精一杯の威厳を取り繕って胸を張ったシュヴルーズ。
その先生の優しさを感じたルイスは、素直にありがとうございますと、感謝の気持ちを伝えた。
そして、前を向いたルイス。その心の中は、自分が召喚した者達のことを考えていた。

魔理沙は、一体どうするのだろうか?
霊夢は、関わろうとするのか?
レミリアは? 妖夢は? 永琳は? 萃香は?
そして、ルイズという少女はどうするのだろうか?
あの人は、僕が盗賊退治に参加すると知ったら、どう反応するのだろう。

その勇気を褒めるのか?
それとも、馬鹿にするのか?

ルイスは答えが知りたかった。



コンコン、という厚い木製の扉をノックする音が、部屋の中に広がった。
そして部屋の住民が返事をする前に、その扉が開かれあるひとりの女性が入ってきた。
彼女の顔を見て、部屋に唯一残っていた少女――博麗霊夢の顔が歪んだ。

「なんか用なの宇宙人?」

皮肉たっぷりのその言葉を受けて、しかし、八意永琳はまったく動じなかった。

「いえね、今日この学院で起きていることを知っているのかしらって、ちょっと気紛れで来たまでよ」
「もちろん知っているわよ」

間髪入れずに返された霊夢の言葉に、不思議そうな顔を作った永琳。

「それなら、どうしてこんなところにいるのよ?」

うんざりという顔をした霊夢。

「なんか気がのらないのよねぇ」

その言葉は、嘘偽りのない本心のようである。
それを察した永琳は、納得と感心とがない交ぜになった表情を浮かべた。

「なるほど、さすがは博麗霊夢といった所ね」
「なんのことよ?」

この霊夢の疑問に答えないまま、部屋を出ようとする永琳。
そんな彼女の背中に、霊夢はある質問をぶつける。

「あんたはどうなのよ。
その始祖の祈祷書とやらに、興味があるのかしら?」

それを聞いて、ピタリと止まった永琳の体。
この時、彼女は一体どのような顔をしていたのだろう。
それを知る者は、世界のどこにもいない。

「……ふふふ、とっても興味があるわね」

そのまま出て行くまで、永琳の後ろ姿を見つめていた霊夢。
彼女が想うのは、この部屋にいないふたりの友達のことである。

(まぁ大丈夫よね。あのふたりが揃えば……)

しかし、何故か思うのは嫌な予感だけ。
今まで生きてきて、自分の勘は外れたことがない。
その事実が、急に腹立たしく思えてきた霊夢だった。



さて、なんの情報もなく始まったフーケ捜索。
普通に考えたら、どれだけの人員を動員しようとも、手練れの盗賊を見付けられる可能性などゼロに等しい。
だからといって、手を抜くことを考えている者などひとりもいないのだが、
実際にシュヴルーズなどは、どうせ直接フーケと対峙することはないと考えて安心していた。

確かにそれは正論だ。常識的に考えたら、敵と遭遇する確立は天文学的な数字なのだろう。
だが、それがゼロではない限り、不測の事態を避けることは出来ない。

馬の歩みが止まった。

不思議そうな顔をしたルイスとシュヴルーズは、
どんなに急かしても馬が微動たりともしないため、一度降りてみることにした。
馬が怪我をしたのかと思って足を中心に見てみたが、どこにもそれらしき傷や痣はない。
お互いに顔を合わせて、首をひねったふたり。

その時だった。

ズドンと地面が大きく揺れたのだ。
その異常に驚いたのか、走り去ってしまう馬。
しかし、ふたりはその事に気をかける余裕はなかった。

目の前の森がガサガサと揺れている。
地面の振動が大きくなっている。
木々の折れる音が聞こえてくる。

そして彼らの前に現れたのは、

「ゴ、ゴーレム!!」

巨大な土巨人だった。
大きさは、おおよそ40から50メイルだろうか。
この場合、このゴーレムに関しては二通りの考え方が出来る。

今ふたりが追っている、フーケが作り出したもの。
もしくは、学院の教師達がフーケと戦うためのもの。
そのどちらかである。

しかし、ふたりにとってそれはどうでもよいことだった。
ただただ、目の前に立っているゴーレムの異常なまでの存在感。

特に土メイジであるシュヴルーズは、そのゴーレムの異常性が手に取るように分かった。
なにかよくないものが、その土で出来たゴーレムにまとわりついていた。
それは、恐ろしいモノだ。おぞましいモノだ。避けるべきモノだ。触ってはいけないモノだ。

それが、一歩前に進んだ。
体はおろか、心まで震え上がらせるような振動がふたりを襲う。
か弱い女性そのものであるシュヴルーズは、その重圧には耐えられなかったようである。
ふらりと頭がふらふらと泳いだかと思うと、そのまま彼女は失神してしまった。
頼るべき年上の教師が、恐怖で失神してしまう。
そんな、追いつめられた状況ではあるが、ルイスはそれを気に掛ける余裕はない。

あのゴーレムは、ルイスのことを障害とは見ていない。
その事に、彼自身が気付いたのだ。

あれはただ前に進むだけであり、そこに自分がいたからといって、
踏まれたら運が悪く、踏まれなかったらついていたというだけのこと。
自分が特別な存在などとは、思ってはいなかった。
しかし世界から、どこにでもいる蟻みたいに価値が無く、潰されても構わない存在である。
そう、突きつけられているようだった。

(そんなことなのか? 誇りを懸けるというのは、そんな程度の……)

分からない。
矜持という言葉が頭の中を駆けめぐり、しかし、恐怖という圧倒的な力で押さえ込まれていた。
まさに理不尽というしかない。ルイスはただ嘆き、そして、祈るのみ。
杖を持っている右手を、動かそうとも思わなかった。
自分の使う魔法が、それに対しては、どう使おうとも効果は見込めない。
それを確信していた。

ルイスは、ゴーレムを前にして呆然と立ちすくんでいた。
ゴーレムが右足を高く上げ、それの影にルイスの体がすっぽりと収まる。
あとは、それが振り下ろされるだけ。
それだけで、ルイスの短い人生は終わりを迎える。

涙は出ない。
溢れるのは、諦めだけである。
その時、ルイスは『それ』を目撃することになる。

「……あれは?」

朝焼けの世界を切り裂く、一筋の黒い流星。
それは、ルイスの絶望をも同時に切り捨て、彼の小さな体を掻っ攫っていった。

「うわぁぁぁぁ~~!!」

いきなり引っ張られて、宙を舞うことになったルイスは、情けない悲鳴をあげる。
そして、自分を掴んでいる人物を確認することにした。

「まったく……なに突っ立ってるのよ、あんたは」
「間一髪だったなルイス」

箒に跨っている黒ずくめの普通の魔法使いと、
その腰にしがみつきながら、片手でルイスの襟首を掴んでいる、桃色の未熟な人形遣い。

もはや、ふたりが何者なのかを、改めていう必要はないだろう。

「魔理沙さんに……ルイズ……さん」

呆気にとられたルイスが、そう呟くとふたりは、呆れたようでいて満足そうな笑みを浮かべる。

「遅れて、すまんかったな。ちょいと煮え切らない奴がいたんだ」

魔理沙がそう言うと、ルイズが彼女の背中目掛けて軽く頭をぶつける。
余計なことは言うな、というジェスチャーだ。
そしてルイズは、片手で持っているルイスを軽々と持ち上げる。

「ほら、わたしの後ろに来なさい。ちゃんと足で箒をまたいで、わたしの腰を両手で掴んでなさいよ」

言われた通りにするルイス。
そうしたその時、いきなりルイスの視界が真っ逆さまになった。

「ちい!!」

魔理沙が、急に反転しつつ動いたのだ。
ちょうど、今までいた場所を通るのは、大木のように太いゴーレムの腕。



「とっと、どうやら奴さん。こっちに狙いを定めたようだぜ」

魔理沙の言う通りだった。
先ほどまで、ただ漠然と前を進むゴーレムが、今では飛んでいる魔理沙達を親の敵のように睨み付けている。
もちろんゴーレムにそんな意志が存在しないことは、ルイスはよく知っているが、
それでもなにか不気味なモノが宿っているのだと、漠然とではあるが感じ取っていた。
服の下を流れる冷たい汗で、ルイスの体がぶるりと震えた。

「おわっ!!」

またも、ゴーレム離れした素早い動きで、飛んでいる蠅を撃ち落とすように拳が振るわれた。
その時、ルイスは地面で気絶しているはずである、シュヴルーズの存在を思い出す。

「ちょっっ!! そういえば先生は!?」

その言葉で、地面に横になっている女性の存在に気が付いたルイズと魔理沙。

「魔理沙っ! 何とかならない!?」
「無理だ、降りる瞬間に潰されるぜ!!」

魔理沙はそう言うと、ゴーレムに背を向けた。

「魔理沙さん! 見捨てるんですか!!」
「へっ! あいつの狙いは、多分だがわたし達だ。
つまり、このまま離れれば、勝手についてくるはずだぜ」

そのルイスにしたら、ちょっと不安な魔理沙の案。
しかし、それが的中することになる。

「確かにこっちに来てますね」
「ははは、この魔理沙様の言うことに間違いはない」

調子よく高笑いする魔理沙の様子を見て、その後ろで溜息をひとつ吐いたのはルイズだった。

「なに、そんな暢気なこと言えるのよ。
後ろ見てみなさいよ、後ろ」

別に後ろを見る必要はない。
なにしろ、木が次々と折られている乾いた音が鳴り響いているのだから。

「一体どうしますあれ?」

諦める素振りも見せずに、ただひたすら魔理沙達を追ってくるゴーレム。
ルイズは前にいる魔理沙に、正確にいえば、その帽子に向かって話しかけた。

「あんたは、手を貸してくれないのかしら……萃香?」

その名前を聞いたルイスは驚いて、ルイズの肩越しに覗いてみる。
魔理沙の帽子になにかが、何時の間にやら現れてしがみついていた。

「はは、確かに鬼の手も借りたいほどの状況だねぇ」

いつもと同じく暢気そうな彼女は、小さな萃香だった。
実は、魔理沙達がちょうどルイスを見付けられたのは、彼女のおかげだったのである。
彼女の密と疎を操る程度の能力を用いれば、
トリステインの中から怪盗ひとり見付けることなど、造作のないことなのだ。

「でも、今回わたしの力を貸すわけにはいかないんだよ」
「ええ? 何でよ萃香」

萃香の返事に不満そうなルイズ。

「ちょっと、表だってあの御方とは敵対できないんだよねぇ。残念だけど」

その萃香の言葉を、不思議に思ったルイズと魔理沙。
どこでもいかなる時も傍若無人という、伊吹萃香にはそぐわない台詞だったからである。

「それじゃあ、ちょっとジョゼフの所に遊びに行ってくるから、あとは頑張りなよ」

そんな無責任なことを言って、剛気そうに笑いながら萃香は煙のように消えてしまった。
伊吹萃香が、敵対できない存在とは一体何なのだろう?
普通の状況なら、それを考えているところなのだが、今はあいにくそんな余裕はない。

「ちくしょうあの鬼、何考えているのよ!!」

ルイズがそう悪態をつけば、

「いや、いなくなった人はどうでもよくて、それよりどうするんですかこれから!?」

ルイスが切羽詰まった声を張り上げた。
三人の後ろには、ますます勢いをつけたゴーレムの姿。
ぶんぶんと振り回されている豪腕の生み出す旋風が、魔理沙の箒を揺らしていた。

「こうなったら、やるっきゃないぜ!!」

覚悟を決めたような魔理沙の声。
ルイズは彼女の言葉を聞くと、仕方ないと呟いてルイスに忠告した。

「ちゃんと股に力を入れときなさいよ。
あと両手を強く締めて、絶対に落とされないように」
「は、はぁ?」

戸惑いながらも、一応従っておくルイス。
その気配が魔理沙に伝わったのか、彼女はニヤリと笑みを浮かべた。
そして、勢いを殺さないまま器用に180度回転して、ゴーレムと相対する魔理沙。
後ろからは、慌てているルイスの声。
それを聞きながらも、いつもと同じに自信満々な顔で、帽子の中からミニ八卦炉を取りだした。
ちなみに魔理沙は、先ほどと同じスピードで後ろ向きに進んでいる。

「ルイス!! わたしの『恋』を見せてやるぜぇ!!」

魔理沙の魔力が、緋々色金製のミニ八卦炉の内部で渦巻き始める。
それが、最初から入っていた魔力の元と融合することによって発生するのは、膨大な破壊のエネルギー。

「いっけぇぇぇ!!」

恋符「マスタースパーク」

それは、霧雨魔理沙を象徴するもの。
魔理沙といえば、誰もがこれを思い出すスペルカード。

ミニ八卦炉から放たれるのは、ただ目標を破壊するためだけの奔流。
それが――ゴーレムの胴体に炸裂した。
轟く爆音。
光はただゴーレムの肉体を、穿ち、壊し、溶かし、突き進んでいく。
ゴーレムの体を形成している土が、崩れて大気中に舞い踊る。
それによって、三人の視界が遮られた。

「どうなの魔理沙。やったのかしら?」

ルイズの問いに、魔理沙は口を閉ざしたまま。
彼女は感じていたのだ。

――煙が風に巻かれて飛んでいく。

いまだに敵は、あの中に健在なのだと。

――胴に穴が空いても、ソレは両足でしっかりと大地を踏みしめていた。

「チッ、やっぱりだぜ」

魔理沙達の目の前で、ゴーレムの胴体に空いた穴がどんどん塞がっていく。

「ゴ、ゴーレムには、再生能力があるんですよ!」

学院で習ったことを、ルイズ達に伝えたルイス。

「面倒な奴だぜまったく」

そう言って魔理沙は、またミニ八卦炉に力を込め始める。
それを見たルイズが一言、

「こういう奴を相手にする時の方法は、決まっているわよ魔理沙」

それを聞いて、後ろのルイズと目を合わせた魔理沙。

「それはいいことを聞いたぜ。実をいうと、わたしも心当たりがあるんだ。
ふたりで一斉に、言い合ってみるかルイズ」

頷いたルイズ。
首を縦に振って合図を取ったふたりは、そのまま同時に口を開いた。

「術者を倒す」「塵も残さずに吹き飛ばせ」

シーンとする空気。
呆れたように口を開いたのは、ルイスである。

「塵も残さずに吹き飛ばすって……魔理沙さん」

次に口を開いたのは、ルイズだった。
しかし、彼女が口にしたのは――笑い声。

「アハハハハハハハ、さすが魔理沙。
それでこそ、霧雨魔理沙よね」
「ふふん、分かっているじゃないかルイズ」

目から涙が出るぐらい笑っていたルイズ。
彼女の笑い声を聞いている霧雨魔理沙もまた、どことなく嬉しそうである。
そのふたりの様子を見たルイスは、少しだけふたりに嫉妬していた。

(ふたりは親友なんだな……僕には……)

少しばかり、センチメンタルな気持ちを抱いていたルイス。
同級生のみんなには良くしてくれるとはいえ、さすがにルイスには親友と呼べるものなどいない。
いろいろと特殊すぎる事情故の弊害だった。

「ルイス、ちゃんと掴まっていろよ!!
ちょっとばかり無茶するからな!!」

そう叫んだ魔理沙が、急加速をしてゴーレムの懐に入り込んだ。
そのまま、素早く魔法を完成させる魔理沙。

恋符「ノンディレクショナルレーザー」

魔理沙の手から放たれるのは、ランダムに走り抜けるレーザー。
それが、ゴーレムの体を切り刻んでゆく。
ルイスの顔に、こぼれ落ちたゴーレムの一部がぶつかる。

「もういっちょ!!」

それが終わるやいなや、ゴーレムの上を取るように天高く飛び上がった魔理沙。
そのまま、ミニ八卦炉を対象に向けると、それは放たれた。

星符「ドラゴンメテオ」

そう宣言すると同時に、ゴーレムを貫いたのは光の鉄槌。
ルイスの目の前で、ゴーレムが眩い閃光に包まれていく。
それは破壊の光。すべてを砕く、虹色に輝く美しい『弾幕』だった。

「やってやったぜ、このヤロウ!!」

巧みな箒捌きを見せて、ゴーレムから離れながらも高らかに魔理沙が吠えた。
そうだ。あれを耐えられるゴーレムなど存在しえない。
それが間違いのない事実だと、ルイスは確信していた。
ゴーレムとは所詮、人が生み出すモノ。
たかが人の作りしモノが、魔理沙の放つ魔法に耐えられるわけがないのだ。
それが覆されるのであるならば、前提から間違っていることになる。

そう――それを生み出したのは、人であるという前提が。

確かにそれは、切り刻まれた痕が残っていた。
魔理沙の『弾幕』は、その中心を根こそぎ削ぎ落として、もはや人型の体を成してはいない。

しかしそれでも、その暗雲を思わせる気配は、いまだに消えていなかった。
まるで時が遡っていくかのように、元の完全な姿に戻っていくゴーレム。
すでにその光景は、ゴーレムが持ちうる再生能力を超えていた。
それを見ていた魔理沙は嘯く。

「二発で駄目なら、三発必要ってことだな」

ルイスはそれを聞いて、どこか揺れているような声色だと感じた。





兎が倒れていた。
すらりと長い手足を持つ、人間と瓜二つの兎である。
耳についている、しなびている長い耳がなければ、それこそ人間だといっても見分けがつかないだろう。

鈴仙・優曇華院・イナバが、指一本すら動かすのが億劫になるほど疲れているのには、理由があった。

蓬莱山輝夜の所為だということは、説明するまでもないだろう。
疲れきった体で、鈴仙は思い出していた。

(なんで今日に限って、急病人が来るのよ)

永遠亭は、薬を売るばかりではなく、永琳の医療技術を生かして病人の治療も行なっていた。
もっとも、人間、妖怪問わずに迷いの竹林の奥にある永遠亭まで来るのは、重病人だけである。
そのために、患者が来る可能性は低いというのが現状だった。

それが、師匠のいない今日に限って来るとは。
なにか悪いものを食べたのか、腹痛に顔を歪ませる人間を追い返すほど非情には振る舞えない鈴仙。
仕方なく輝夜に相談してみると、不謹慎にもウキウキしだした彼女は、その患者をこちらへ連れてくるように言う。
そして、患者と顔を合わせた輝夜はいきなり、

おもいっきり拳を振りかぶって、患者のお腹を力の限り打ち抜こうと――

「ちょいとまったーー!!」

しようとしたところで、鈴仙が必死の思いでその一撃を止めたのだった。

(お腹の中に悪い虫がいるから、それを痛めつけて外に追い出そうとした?
いやいや、我らが姫ながら、なんという馬鹿理論。そんなこと思いもつかなかったわよ)

まあ、その後あまりにも強い恐怖で、腹痛がどこかに飛んでいってしまった人間は、
そのまま逃げ帰るように帰っていったので、治療は成功したのかもしれない……してるといいなぁ。

(それで終わってくれれば良かったんだけども……その後に二人目が来たもんだ)

二人目の患者は、どうやら高いところから落ちてしまって、右腕を折ってしまったようである。
骨折の根本的な治療(手術しての縫合)など、輝夜はおろか鈴仙にも出来ない。
仕方ないので、一般的な対処療法を教えるだけ教えようとした時、
いつの間にか鈴仙の後ろに立っていた輝夜が、するりと静かに患者の横へと動いた。
そのまま、骨折した腕を持つと――

何かしようとした瞬間、鈴仙のドロップキックが輝夜に炸裂していた。

(あの人は馬鹿なの? ギュッとすればくっつくと思ったって、あんたらとは違うんだっての!!)

しかし、本当の悪夢はこれからが本番だった。

「輝夜ゃぁ~~!!」

ドスの利いた叫びが、永遠亭中に響き渡る。
そして突然飛び込んできたのは、炎の翼を背負った少女。

藤原妹紅――蓬莱山輝夜と殺し合う仲の元人間の蓬莱人だった。

どうやら後から聞いた話によると、その骨折した人間を案内したのが藤原妹紅だったらしい。
そして、あの時の宴会で永琳が永遠亭にいないことを知っている妹紅は、心配になってこっそり覗いていたようだ。

そんな中で輝夜のあれである。
ただでさえ、輝夜のすべてが鼻につき、年がら年中喧嘩している妹紅は瞬時に沸騰した。

そして弾幕ごっこではない、幻想郷でふたりだけが行なう殺し合いが始まったのだ。
か弱い月の兎と、怪我をした人間を巻き込みつつ。


こんな事は、今日だけにしてもらわなければ。
明日からは、いつもの通りのお姫様として生活してもらわなければ、自分の体と心が持たない。
だるい体を引きずりながら、輝夜にそう懇願するため彼女の姿を探す鈴仙。
ちなみに、怪我をしていた患者は、悲鳴をあげながらももの凄いスピードで怪我を感じさせずに逃げていった。
あれなら、特に治療は必要ないだろう。そう無理矢理納得した鈴仙を責められる者は、この屋敷には存在しない。

永遠亭の中庭に繋がる縁側に、彼女は腰掛けていた。
黒い雲が月をほとんど覆ってしまい、彼女を照らす光源は眩い星々のみ。
それでも、蓬莱山輝夜は心が震えるほどに美しかった。
女性の自分でも、今の彼女に近寄るのは少し怖い。
そんなことを考えて、二の足を踏んでいる鈴仙。
その時、蓬莱山輝夜が顔を中庭に向けたまま口を開いた。

「鈴仙、お茶を煎れてきて」
「あ、はい」

一種の条件反射に近い鈴仙の反応。

「ふたり分よ。忘れないようにね」

珍しいことである。
こういう雰囲気の輝夜は、ひとりっきりで佇むのを好んでいた。

「はい、それではわたしもご一緒しますね」

その理由がどうであろうと、誘われたのは素直に嬉しい鈴仙は、元気よく返事をした。
この反応に不思議そうな表情を浮かべた輝夜は、中庭を指差しながら言った。

「鈴仙の分じゃないわよ。客によ」

その言葉を聞いた鈴仙は、吃驚して首をその方向に向けた。
そこにいつの間にかいたのは、

優雅に鈴仙に礼をする大妖――八雲紫であった。

「な、なんで貴方が?」

驚いた鈴仙が、八雲紫にここにいるわけを聞いてみる。
しかし、八雲紫はそれに答えようとはせず、辺りをキョロキョロと観察していた。

「あらあら、なにを探しているのかしら。
もしかして永琳がいるのかと思った?」

微笑みながら輝夜が口を開く。

「貴方に気付かれないように、一度こちらに戻って、
そのまま、わたしと永琳で向こうの世界に移住する。
なんてことをわたし達が目論んでいる……そう考えていたのかしらねぇ」

外見だけは軽やかだが、その裏には毒がたっぷりと詰まっている輝夜の様子。
その時、八雲紫が初めて口を開く。

「今日はお願いがあって参りましたわ、月の姫よ」
「願い?」
「そう……あの世界に関係してのことです。
後に、月の都を建造することになる月の頭脳。かの天才が地上にいた時に生み出した世界。
『輪廻すらも拒絶して、ありとあらゆるものから解き放たれた、永遠に在り続ける世界』のことについて」

冷たい風が、鈴仙の顔を撫でていった。
彼女は理解する。
今回の異世界騒動――これを異変とするならば、その発端は自分の師匠、八意永琳にあるのだと。



[17147] 東方虚穴界 八話
Name: 萌葱◆02766864 ID:f25df175
Date: 2010/05/10 23:29
蓬莱山輝夜は美しい。
その美貌は、かつて絶対の権力者である時の帝ですら、自ら足を運んだといわれるほどである。
そして今、幻想郷の一角、迷いの竹林の中にある永遠亭で、
天すら魅了する美女は、凍えるような視線でひとりの妖怪を睨み付けていた。
その眼差しは、灼熱地獄の獄炎ですら、一瞬で凍りつかせるかもしれないほど冷たい。
しかし、対する者の胆力もまた尋常ではなかった。
その妖怪――八雲紫は、ある動きを見せる。

「なにとぞ、その強大無比なお力をお貸し下さい」

八雲紫が、地面に膝をつき頭を垂れた。
それを見た鈴仙は、無意識の内に自分の目を擦っていた。
なにか、幻術のようなものに掛かっていると考えた方が納得できたのだ。
いきなり頭を下げるほど、八雲紫という妖怪のプライドは安かったのか?
否であると、答えるしかないその問い。

「一体、なにを考えているの妖怪?」

それを見た輝夜の表情から、一切の変化を見て取ることが出来ない。

「永琳が、あの世界に行ったのは、なんのためだと思っているの。
それにそもそも、貴方はひとつ間違って認識している。
あの世界を作ったのは、八意永琳ではないのよ。
はるか昔、戯れでアレにあの世界の創世に関しての基礎理論を教えてしまっただけ。
そのために今回、その後始末をつけにいったのよ。
わたし達が、ただ幻想郷で見ているだけで、すべての問題は解決するわ。
八意永琳というのは、そういう存在であることは貴方も知っているでしょう?」

しかし、八雲紫はその輝夜の言葉を聞いても微動だにせずに、ただ頭を下げ続けていた。
両者は、そのまま押し黙ってしまう。
一切の音が消え、耳が痛くなるほどの静寂が世界を包み込んだ。
そのあまりにも異質な空気に、鈴仙はこのまま世界が止まってしまうのではと思い始める。
思えば、輝夜の力は永遠と須臾を操る能力。
この空間を、八雲紫ごと永遠の魔法で止めることも可能なのかもしれない。
しかし、その永遠は、他ならぬ輝夜自身が破ることになった。
それを成したのは、

「うふふふふ」

例え同性だろうと、見惚れるような微笑みである。

「まさか、まさか、まさかねぇ。
あなた、もしかしてわたし以外にも、
いろいろと頭を下げに行くつもりなんでしょう? 例えば……」

そう言って輝夜が、幻想郷にいる何人かの名前を挙げていく。
そこで初めて顔を上げた八雲紫は、輝夜の言葉に同意を示した。

「ねぇ本気なの妖怪? 本当にあんな事をたくらんでいるの?」

輝夜が被っていた、先ほどまでの冷たい仮面は溶けさって、そこにあるのはあまりにも無邪気な興味。

「ああ面白いわ。こんなに愉快なことって、ずいぶん久しぶりじゃないの。
うふふふ、ああなんて、無謀なことを企むのかしらこの妖怪は。
うんうん、もしこれが成功したとすると……面白いことになりそうね」
「それでは?」
「ただし、わたしの力が必要なのは最後の最後。
そこまでの道筋を作れるかどうかは、貴方次第なのは理解しているわよね。
障害は多いわよ。なにしろ、アレはあなた達妖怪の主とも呼べる者。
特にあの時向こうに行った、鬼なんかは特にそうじゃないかしら?
もともと、鬼という字は『おに』以外にも、『もの』とか『しこ』って読んでいたのよねぇ」

唐突に、今までとはまったく関係のないこと言いだした輝夜。
その輝夜の言葉に、紫は言葉ではなく不敵な笑みで応えた。

「交渉はまとまったようですね」

それまで、膝に土を付けていた紫が、胡散臭げな笑みを浮かべつつ立ち上がる。
輝夜はそんな彼女を見ると、鈴仙に視線を合わせて口を開く。

「鈴仙、お酒を持ってきてちょうだい。
そうね。あの時、永琳が妖精から巻き上げたお酒の残りがあったでしょう? あれでいいわ」

はぁ、と頷いた鈴仙。
立ち上がった彼女を見た輝夜は、視線を中庭に戻した。
そして、自分の視界にいるはずの者がいないことに気が付く。

「あらあら、ずいぶん気が早いというか。別れの言葉ぐらい残しなさいよ。
まったく妖怪は、礼がなってないわね」

中庭にいたはずの、八雲紫の姿が消えたのだ。
呆れたように、肩をすくめる輝夜。
その背中に、鋭い視線が突き刺さっていた。
それを感じ取った輝夜は、やれやれと後ろに立っている鈴仙を見る。

「やっぱり気になるの鈴仙?」
「も、もちろんです」

情報というものは、知るべき者が知って初めて意味を持つ。
困惑を隠しきれない彼女に、今の幻想郷で起こっている異変の奥にある真実を知る資格があるのだろうか?
夜空を見上げた輝夜。
彼女は、煌々と光る月を見て不意に含み笑いを漏らしていた。

(まったく馬鹿ね、わたしったら)

そんなことだから、夜空に映る月も自分を嘲笑うかのように不気味に光ろう。

(ただ重要なのは、それをして自分が愉しいかどうか)

ただ永久に、そして刹那に。
それを追い求めるだけ。
それが蓬莱山輝夜であることを、彼女は思いだしたのだ。

「鈴仙、聞きたかったら急いでお酒を持ってきなさい……」

素面じゃ話せないような、間抜けな話なのよ――そう輝夜が言い切る前に、鈴仙は屋敷の奥へ走り出していた。
それを背中越しに感じた輝夜は、そんな部下に呆れつつ、優雅でいてたおやかな足取りで中庭に立つ。
柔らかい月の光を浴びていた彼女は、ふとあることを思いだした。

「そういえば、昨日からてゐを見てないわね」



鬼の酒を並々と注いだ徳利をお盆に載せて、輝夜の元まで戻った鈴仙が見たもの。
それは、月光に照らされて美しく笑う、自らの主であった。



一方ハルケギニアでは、いきなり蹴破られた扉を見て、博麗の巫女が顔を歪めていた。

「異世界でも、やっぱり優雅で偉大な女王だったレミリア様の登場だ」

レミリアが、いつも通りの傲慢不敵な態度で、霊夢の部屋に飛び込んできたのだ。
その後ろには、そんな小さな吸血鬼を見て、溜息を吐いている魂魄妖夢の姿。

「なんでこんな真っ昼間に、吸血鬼と幽霊がぶらついてるのよ」
「わたしは昼型の吸血鬼なんだよ」
「半分人間ですからね」

やれやれと両手を上げた霊夢。
そんな彼女の態度を見て、レミリアがニヤリと笑う。

「ずいぶん暇そうじゃないか。今、この学院で起こっていることは知っているんだろ?」

やっぱりこいつもそれか、と霊夢は思った。

「魔理沙とルイズはやっぱり行ったんだな?」

そのレミリアの問いに、霊夢は素直に頷く。

「よし、こっちも急いでお祭りに参加するぞ!!」

そう言って、窓から飛び出ようとするレミリア。
しかし、それを見ていた霊夢と妖夢は、呆れているだけで動こうともしなかった。
ピタリとレミリアの動きが止まる。

「……おい、早く行くわよふたりとも」

レミリアに睨まれたふたりは、顔を合わせて苦笑い。

「わたしは、霊夢が行くなら行きますが……」
「めんどくさい」

霊夢が一言で斬って捨てると、それを聞いたレミリアがむきーと地団駄を踏む。

「つまんないじゃないのよ。わたし達だけ留守番なんて有り得ないじゃないのよ」
「だったらひとりで行けば?」
「ひとりだけじゃ、格好がつかないって。
ぞろぞろと手下を引き連れなくちゃ、わたしのカリスマが溢れ出ないって」

うーうー騒ぎ出した、お子様吸血鬼を見ていたふたりは、まあ仕方がないかと頷きあった。
それを見たレミリアは、手の裏を返すように上機嫌になる。

「良し! 半人前の幽霊はこの日傘を持っておけ。
怠惰な巫女は、その無駄に有り余る勘で、現場まで案内するのよ」

無意識の内に、ふたりはレミリアの頭をぶん殴っていた。



土で出来たゴーレムの優れている点は、やはりその耐久力だろう。
その両足が大地と接している限り、どれだけ壊してもその度に再生できるのである。
もっとも、それもあるひとつの限界を超えることは出来ない。

術者の存在である。

ゴーレムも所詮、メイジが作り出した存在。
その限界は、メイジのそれとイコールとなる。
つまり、メイジの精神力が尽きれば、それ以上の再生は不可能であるということだ。

そう考えると、この土ゴーレムを生み出したのはいったい何者だろう。
唖然としながらも、ルイスはそんな疑問を考えていた。

8回だ。ほぼ全壊というところから再生した回数である。

「……有り得ない」

ルイスは、無意識の内にそう呟いていた。
どんなに優れた土メイジだとしても、50メイルはくだらないだろう巨大なゴーレムを、
そう何度も再生させるだけの精神力を有する者はいない。

「まったくめんどくさいぜ」

箒の一番先端に跨っていた魔理沙が、呆れたように呟いた。
その額には、玉のような汗が無数に浮き出ていた。
いつものような、羽根のように軽い調子でもない。

「けっこうやばいわね」

そんな魔理沙の状態を一番よく分かっているのが、親友のルイズだった。
霧雨魔理沙は、レミリアや萃香のような人外でもなければ、霊夢のような人間の枠からはみ出たような存在でもない。
あくまでも普通の人間であり、その小さな体に相応しいスタミナしか、持ち得ていないのである。
そしてなにより――

「あんた、魔法の燃料はまだあるの?」

魔理沙の魔法は、ただでは使えないのだ。

「でかいの換算で一発分だ。残っているのは」

魔法の森に群生している、魔力を帯びた茸。
それに様々な種類の加工を施すと、ごく稀に魔法らしい魔法が発生する組み合わせがある。
その茸の加工物を魔理沙は、魔法の燃料として利用しているのだった。

「あんた、いろんな所に仕込んでたじゃない。
それなのに、もう一発分しかないっていうの」
「あの夜の宴会から補給無しだからな」

ふたりが深刻そうな顔で話し合っていると、ルイスもそこに入っていった。

「ええっと、つまり魔理沙さんの魔法は、次が最後ってことですか?」

頷いたふたり。

「それじゃあ、とっとと逃げ出した方がいいんじゃないですか」

幸いにもゴーレムは、空を飛ぶことが出来ない。
手の届かない高度まで上がれば、後は安全なのである。
しかし魔理沙は、それには首を縦に振らなかった。

「ふん、あんな木偶の坊に背中を見せたとあっちゃ。
この霧雨魔理沙の名が廃るってもんだぜ」

ぶんぶん振り回されるゴーレムの両腕をかわしながら、そう叫んだ魔理沙。
ルイスは、そう言い切れる彼女のことをどうしても理解できなかった。

「何でなんですか? 相手は正体も分からないバケモノなんですよ」

それと戦う意義も意味も、霧雨魔理沙にはないのである。
それなのに、どうして魔理沙は恐怖を見せないのか。
逃げ出しても、責める者や馬鹿にする者など誰も居ないのに、それでもなぜ立ち向かうのか。

魔理沙は、それを一言で言い切った。

「勝つからだ!!」

ただ真っ直ぐ。打ち砕く敵を見据えて、魔理沙は宣言する。

「絶対に勝てるんだ。わたしの魔法はあんな奴に負けるわけがないんだ――」

――乙女の初恋はそんなに軽いものじゃない。
あの夜と同じきらきら光る瞳の魔理沙は、はにかみながらそう言った。
ルイスの胸がドクンと波打った。
そのなんにも根拠のない、ただ自分を信じた過剰な自信。
貴族だとか平民だとかメイジだとか。
そんなことからではない、圧倒的なまでの意志を感じられた。

「それは分かったから、なにか具体的な方法はあるの魔理沙?」
「こうなったら、一番でかいやつをおもいっきり当てるだけだぜ」

冷静なルイズの言葉に、魔理沙はこう返した。

「……まあ、あんたらしいけど。
でかいやつってたしか、地面に降りないと撃てないじゃないの。
普通に降りて準備するのは、この状況じゃけっこう危険よ。
わたしは、あんなやつと肉弾戦はごめんだし」
「まあタイミングを考えてやるさ」

ルイズが出来るのは、肉体強化を用いての格闘戦しかない。
もちろん、今回の相手にそれが通じるとは、ふたりとも思ってはいないため、
結局の所、その魔理沙最大の魔法を当てるには、間合いとタイミングを読みきるしかないのである。
そんなことを、ふたりの会話から理解したルイス。

このままでいいのか?
それは、ルイスの胸に浮かんだ疑念だった。

このままルイズの腰にしがみついたままでいいのか?
それは、ぐるぐるとルイスの頭の中を渦巻いていて。

魔理沙さんには、相手を吹き飛ばす魔法がある。
ルイズさんには、残念ながらそれを援護する力がない。
そして僕だ。

僕には力が有るのか? 無いのか?

魔法は力。
確かに自分は、この身に宿った魔法の力を誇りに思っている。
しかし、本心からそれが嬉しいと思っているのか。
例えばそう、物心ついてすぐに簡単な魔法を使った時、家族は凄く喜んでくれた。
ただ、みんなが喜んでくれるから魔法の練習をする。
そして、年を重ねるごとにどんどん高度な魔法を覚えていくにつれ、彼らの喜びにどこか影が差すようになっていく。
その原因は分からないが、それは自分の心の奥底に小さな棘を突き刺していた。

そんな時に、霧雨魔理沙という魔法使いと出会った。
彼女については、いまだになにも知らない。
それでも、彼女の魔法に対する想いだけは、ルイスにも理解できた。

わたしの魔法はあんな奴に負けるわけがないんだ。

この絶体絶命の状況で、一切揺るがずにそう言いきることが出来る魔理沙。
ただ彼女は魔法を、そして自分自身を信じているのだ。
その姿をルイスは、格好良いと思った。

そしてこうも思った。

あんな風に自分もなりたい――と。



そう思ってからのルイスの行動は素早かった。
突然、魔理沙の箒から飛び降りたルイス。

「ちょっとあんた!」
「僕が、あいつの動きを止めます!!」

驚いて止めようとするルイズの声をかき消した、ルイスの叫び。
箒に跨ったふたりは、小さな杖を持ってゴーレムに向かっていくルイスの顔を見る。
首を横に振った魔理沙は、そのまま地面まで急降下していく。

「魔理沙! 早くルイスを連れ戻さないと!!」
「大丈夫だ!!」

そうだ。あの表情は、魔理沙にとって馴染みのあるものだった。
どこかの実力無しの人形遣いが、異変の時に頑として付いていくと言って聞かない時の顔だ。

「ルイス!! 巻き込まれるなよ!!」

そんな、親友と顔も表情も瓜二つの少年に叫ぶと、そのまま地面に降り立った魔理沙。

「ルイズ、後ろでわたしの体を支えていてくれ」
「はい!?」
「これまでで最高の、一発をお見舞いしてやるぜ」

そう宣言した魔理沙の顔に浮かんでいたのは、いつもの陽気な笑みではない。
まさにこれから戦いにおもむく、戦士のそれが浮かんでいた。

一方、ルイスは必死に勇気を振り絞って、ゴーレムに相対していた。
地面に降りたルイスを、ゴーレムは見向きもしなかった。
こいつの狙いは、ルイズと魔理沙なのだろう。
逆にそれは、ルイスにとって一種のチャンスだった。

魔法を唱えるのに、十分な余裕が生まれるためだ。

さて、どの魔法を使えばこいつの足止めが出来るのだろう?
自分の得意な風系統が良い。しかし、ライトニング系統の魔法は駄目だ。
生物には効果的な魔法だが、こういう無機物相手にはあまり効果がないからだ。
そもそも、足止めの効果を雷に求めることが出来ない。
やはり、単純な風をぶつけるしかない。
それも、並大抵の風では駄目だ。

つまりは――

「あの魔法しかない!!」

母が得意とする風のスクウェア。
未熟な自分では、いまだ使うことが出来ない魔法である。

降り立つと同時に、その魔法のルーンを詠唱していたルイスは、かつて無いほどの力強さを感じていた。
憧れている、母の魔法を唱えようとしているから。
そしてなにより、自分にとって意義のある初めての魔法だったからだ。

誰かを護ることが、これほどに心が震えるだなんて、ルイスはこれまで知らなかった。

(多分魔理沙さんに言わせれば、魔法は誰かのためにあるんじゃない。
自分のためにあるんだぜ……って言うんだろうなぁ)

おそらく魔理沙の言うことが正しいのだろうと、ルイスは心のどこかで思っていた。
それでも、自分には己のためだけにこの力を使うことは出来ない。多分。

「僕は貴族だ!! その力は誰かを守るためにあるんだ!!」

杖をゴーレムに向けたルイスは、天高くまで届くようにそれを叫んだ。

「カッター・トルネード!!」

それは竜巻。

そして真空の刃でもある。

それは形あるものには、決して破れない絶対の力であった。

ゴーレムを包み込むように進んでいく竜巻は、ただの風の集合体ではない。
それを構成するのは、真空によって生み出されたすべてを切り裂く刃。
それが、50メイルを超えるゴーレムの巨体を呑み込んでいく。

「やっぱり、再生していく……」

ルイスの呟きの通りに、どれだけ真空の刃がゴーレムの体を切り刻んだとしても、すぐにその後が塞がってしまう。
しかし、ルイスの魔法の効果は確かに発揮していた。
荒れ狂う暴風に吹き飛ばされないように踏み込んだ所為か、それとも、切り刻まれた傷を修復するのに精一杯なのか。
巨大なゴーレムは、その場に釘付けになっている。

初めて使うスクウェア・スペルの所為で、鉛のように重くなった体を無理矢理動かして魔理沙を見たルイス。
とんでもない魔力が集まっているミニ八卦炉を構えながら、魔理沙がルイスに見えるように大きく片手を上げた。

「……よかった」

そう呟いたルイスの体が、流れるように背中から崩れた。



見事だった。自分より年下が唱えたとは思えないほど、素晴らしい魔法だった。
彼女たちが見ている前で崩れ落ちるルイスの体。
それと同時に、ゴーレムの動きを封じていた竜巻が消えてしまう。
自分たちを狙うため、地鳴りと共に迫ってくるゴーレム。
しかし、ふたりに焦りはない。
充分だった。ルイスの魔法は、十分すぎる時間を魔理沙にもたらしたのである。

「お前の弟――凄いやつだな」
「……まあね。それよりも、あんたは大丈夫なのかしら?」

当たり前だ――口には出さなくても、その表情がそれを物語っていた。
だからこそ、彼女は掲げている右手にそれを持っていたのだ。

――スペルカード

さあ宣言だ。
堂々と、そしてもちろん楽しそうに、それを告げなければならない。
なにしろこれから行なわれるのは、弾幕ごっこなのだから。

邪恋「実りやすいマスタースパーク」

それと同時に放たれたのは、か細いレーザーである。
瓦一枚貫けないと思われるそれは、敵を穿つためのものではない。
それの役割は――道である。

レーザーは、大気中を飛ぶと激しい空気抵抗を受け減衰してしまう。
それは、魔法であるマスタースパークでも同じだった。
そこで魔理沙が考えたこと。それは単純なことである。
空気が光線の壁となっているのなら、その邪魔者をどけてしまえばいい。
つまり、最初に形だけのレーザーで空気を切り裂き、それを道として本命をぶち込む。

それこそが邪恋。詰まらない小細工を要して、恋(魔法)を実らせようとするスペルカード。

光だ。
すべてを呑み込み、そしてすべてを消滅させる光の極みだ。

それが、巨大なゴーレムの胴に直撃する。
一瞬で貫かれた分厚い胴体。しかし、ゴーレムはそんな状況でさらに一歩踏み出した。

「ウオォォォォ!!」
「くぅ~~!!」

魔理沙の咆吼。
それにより、ますます勢いを増すマスタースパーク。
そしてそれを、霧雨魔理沙と背中を合わせて支えるルイズが、必死で歯を食いしばりながら耐える。

破壊の奔流が、どんどん土で出来た体を削り取っていく。
魔理沙の持つスペルカードの中でも、単独ではもっとも威力のある魔法なのであるため、この結果は当然のことだろう。
だが、やはり敵はただ者ではない。

それを目にした魔理沙は、無意識の内に表情を歪めていた。

「ちくしょう。また再生してやがる!!」

破壊されていく途中で、次々と大地と接している両足から、体を構成している土を補充していたのである。
その時、魔理沙の脳内で再生されたのは、崩れ落ちるルイスの姿。

――あいつの魔法が無駄になるのか!

――巫山戯るな!!

「魔理沙様を――」

霧雨魔理沙の光は、ひとつとは限らない。

「舐めるんじゃねぇー!!」

ダブルスパーク――いや、これを表現するのならトリプルスパークというべきだろう。
二発目の光が通った道をなぞるのは、三度目の光。

それが、ゴーレムの巨体を有り余るほどの大きさとなって、そのすべてを包み込んだ。



女の視界に映るのは、巨大な光の道。
それが木々を破壊しながら、ただ正面に突き進んでいた。

「これはまた……派手な魔法」

その女性、八意永琳は呆れながらも、面白そうに微笑みながらそれを見ていた。
彼女は、その手に持っていた一冊の本を開く。

「土人形『インフィニティーゴーレム』無事クリア……という所ね」

しばらくその本を眺めていた永琳は、首を振るとそのまま空へと浮き上がっていった。
残されたのは、倒れ伏したもうひとりの女性。

土くれのフーケだけだった。



光は収まった。
そして、自分の体に掛かっていた、もの凄い力もまた消えたのを感じたルイズ。

「終わったの?」

振り返ってみると、そこに立っていたのは魔理沙だけ。

「おう!」

気持ちよく返事をした魔理沙は、そのまま前のめりにバタンと倒れてしまう。
限界だったのだ。

「まったく……後先考えないで」

その言葉とは裏腹に、ルイズは気持ちよさそうに笑っていた。

「さて……と」

親友と自分の弟は、こうなったら揺すっても叩いても起きないだろう。
つまり、今回なにも出来なかった自分の役割とは――

「ちゃっちゃと帰りますか」

ふたりを背負って、帰ることなのだろう。
こんな詰まらない役割でもあることが、無性に嬉しいルイズであった。



レミリアが大地を走り抜けた光を見られたのは、吸血鬼が持つ驚異的な視力のおかげである。

「あれは魔理沙だな」

目を輝かせてそれを指差した吸血鬼。
霊夢と妖夢は、もちろんそれほど目が良くないためそれは分からない。
まあ、彼女が言っているのだから間違いないのだろう、と判断するふたり。

三人は、レミリアが光を見たという方向へと進んでいった。

「あのう霊夢……」
「なによ?」
「どうして、ふたりと一緒に行かなかったんですか?」

妖夢が何の気なしに口にした疑問。
霊夢はそれには答えないまま、前を向いた。
その彼女の態度に、妖夢は首を傾げる。
いつもの霊夢なら、こんな態度は取らないはずである。
そんなことを妖夢が考えていると、「あっ」という声がレミリアからこぼれた。

「あそこにいるのは……」

レミリアが指を差した方向を見ると、そこにいたのは――

「ふん、ふん、ふん」

紐でルイスと魔理沙を体に縛り付けて、鬼気迫る表情で大地を駆ける少女の姿。

「さすがは、『旧地獄から両の腕だけで帰還した女』ね」

その姿を見て、霊夢は呆れたように微笑んでいたのだった。



フーケが目を覚ますと、そこは良くあるような森の中だった。
ガンガン痛む頭を抱えて、上半身を起こして大きな木に寄りかかったフーケ。
そんな彼女の体が震えていた。

寒いからではない。

怖かったからである。

彼女は自分の体に、そして心に起こったことをよく把握していた。
何者かが、自分の肉体と精神を操っていたのだ。
そして唐突に、フーケはあることを覚った。

自分は人形なのだ。
そしてみんなも人形なのだ。
この森も、この空も、つまりは世界そのものが人形なのである。

それがなによりも、彼女には怖かったのである。

「……会いたい」

空高く浮いている大陸にいる、大切な妹のような存在の少女に会いたかった。

「会えばいいじゃない?」

ビクンと、フーケの体が大きく震えた。
誰も居なかったはずなのに、誰かの声が聞こえたのだ。
恐る恐る周りを見てみると、そこにひとりの少女が立っていたのをフーケは知る。

不思議な少女である。
よくあるような服を着ているのだが、フーケの目を引いたのは体に絡みついている管のようなものであり、
そして胸にある閉ざされた目であり、とらえどころのない彼女の表情だった。

「会いたいのなら、会いに行けば良いんじゃないの?
不思議だなぁ人間って。そんな簡単なことも分からないなんて」
「あ、あんたは一体?」

狼狽えるばかりでそんなことしか聞けないフーケに、

「わたしはこいし。古明地こいしよ」

少女は、薄っぺらい微笑みを顔に貼り付けたまま名前を言った。



「ええっ、始祖の祈祷書が取り戻されていたんですかっ!!」

ルイスは、そんな風に学院長室で大声をあげていた。
あれから気を失ったルイスは、最初はルイズに、途中からは霊夢達の手も借りて学院まで運ばれたのだ。
この部屋にいるのは、ルイスとルイズ、魔理沙、霊夢の三人娘に学院長のオスマンである。

「そうじゃよ。ミス・永琳が取り返してくれたのじゃ」

にっこりと笑ったオスマンが自慢の髭を撫でながら、ルイスに説明する。

「ふん、気を失ってた間につまんない結末になっちまったな」

魔理沙が、そう悪態を吐いた。

「まあ良かったじゃないですか。それとも、また盗み出そうっていうんですか魔理沙さん」

ルイスがそう口に出すと、ルイズと霊夢の冷たい視線が魔理沙に集中する。
ピュ~、と口笛を吹いた魔理沙は、顔をあさっての方に向けた。

「なんと! そんなことを考えていたのかお主」

それを聞いて目を細めたのは、オスマン。

「盗もうとしたんじゃない。借りようとしただけだぜ」

魔理沙はそう言うと、にんまりと笑いつつサムズアップ。

「……まったく」

ルイズと霊夢は、そのいつもの言い分に苦笑をしていた。

「かぁーかっかっかっ」

そして、オスマンもまた、ふたりと同じく呆れを通り越して馬鹿笑い。

「いやいや、それは残念だったのう。
実はこんな事が繰り返されては大変だと、
すぐにでも王室に送り返そうと考えていたところなのじゃが……」
「別に構わないぜわたしは。あのゴーレムとやりあって、いろいろと吹っ切れちゃったからな」

ゴーレム――その単語を聞いたオスマンの顔色が曇る。

「一体そのゴーレムは、なにものだったのだろうか?
可能性があるとしたらフーケの仕業なのだろうが……。
お主達の話を聞くと、ただの怪盗の作ったものとは思えないのう」

それを見ていない霊夢以外の全員の顔に、不安の黒い色が差しこんだ。
しかし、それを振り払ったのもまた、最初に話をしたオスマンである。

「まあよい。それよりも、今日はフリッグの舞踏会。
お主達の武勇伝を皆に聞かせてやれば、盛り上がること間違い無しじゃ」

うんうんと満足そうに頷いているオスマン。
そんな彼を尻目に、霊夢が隣の魔理沙に思ったことを聞いていた。

「舞踏会って、紅魔館のパーティーみたいなもの?」
「あーー、どうだろうなぁルイズ」
「もうちょっとだけ……いや、かなりおとなしめな気がするけど」

三人とも思い浮かべるのは、騒がしい妖精メイドのいない紅魔館での静かな立食パーティー。
つまらなそうだな。
酒の場は、うんざりするぐらい五月蠅い方が楽しめる。
それが、幻想郷の住民の常識なのだった。



思ったよりも面白いかもしれない。
それが、フリッグの舞踏会に出たルイズの感想だった。
周りには、着飾った生徒や教師達がワイン片手に、優雅に躍ったり話したり。
大きなホールには楽士達が穏やかな、プリズムリバー三姉妹と比べると良い意味でも悪い意味でもおとなしい音だった。

「ルイズ、飲んでいるか?」

ワイングラス片手に、魔理沙が近寄ってきた。
その後ろには、霊夢と妖夢の姿。

「まあね。思ったより美味しいわねこのワイン」
「ああ、話によるといつもでているワインには、葡萄ジュースが混ぜてあるって話だぜ」

なるほど、とルイズは頷いた。
思いだしてみれば、確かにどうも薄い感じがしたのだ。

「確かに朝っぱらから飲んでたら、酔っぱらって仕方がないとは思うけど」
「お酒に対する冒涜よね。それ」

霊夢の鋭いツッコミ。

三人とも、感慨深げに頷く。
彼女たちは、揃って飲んべえなのである。
そんな時、魔理沙がなにかを見付けだした。

「ああ、あれはルイスじゃないか?」

魔理沙が指差したその方向にいるのは、確かにルイズであった。

ルイスの隣にいるのは。

「あれは確か、キュルケだったかしら?」



「ちょっとちょっとルイス。聞いたわよ。
なんか凄いゴーレムとやりあったっていうんでしょ」

そのキュルケの言葉に、ルイスは苦笑いをしながら頷いた。
何か嫌な予感がするなぁ、とルイスが考えていると、いきなりキュルケがガバッと、

「うふふ、とお」
「うわぁ」

抱きついたのだ。

「あんたは将来この私の家に嫁ぐんだから、体を大事にしなくちゃいけないでしょ」
「いやいやいや、いろいろおかしいところがありますからキュルケさん」

男の僕が嫁ぐって、言葉の使い方が乱れている。
などと、些細なことにつっこもうとしたルイスであるが、それを許すキュルケではない。

「ふんふん」
「うわぁん。なんかあたってますって!」

おもにやわらかいむにむにの、男にとって桃源郷を極限まで圧縮されたみたいなものがである。
同級生ならば泣いて喜ぶそれであるが、しかし、小さなルイスにとっては恥ずかしいだけであり。

「逃がさないわよルイス。天才の血はツェルプストーがいただきよ」
「そんなことになったら、キュルケさんの家ごと母様に吹き飛ばされますってぇ~~」



「大変ねルイスも」

冷めた目で、そんなことをいう霊夢。

「どうしたルイズ。そんなに怒って」

そう魔理沙にいわれて、ルイズは今自分が怒っていることに気が付いた。

「弟が盗らせそうになって、嫉妬しているのかブラコンめ」

ニヤニヤしてふざけながらも、魔理沙がそう言う。
しかしそれに驚いたのは、ルイズではなく妖夢だった。

「ええー! ルイスってルイズの弟だったんですかぁ!!」
「今更気付いたのあんた」

胡散臭げな視線で、妖夢を見た霊夢。
ウッと体を固まらせた妖夢は、慌てて言い訳をしようとするが、

「ちょっと、大声ださないでよあんたら」

ルイズがそれを無理矢理止めてしまう。

「内緒よ内緒。絶対に内緒なんだからね!!」
「なによ。認めたと思ったら、なに恥ずかしがっているのよルイズ」

底意地の悪い笑みを浮かべながら、霊夢がそんな風にからかう。
それをルイズは、恥ずかしいのか顔を真っ赤にしながら、
話題を変えるためになにか無いかと、周りをキョロキョロと見渡した。
すると、格好の種がそこにはあった。

「あ! 永琳」

そうルイズが呟くと、みんな揃ってそちらに視線を向ける。
こちらが見ていることに気が付いたのか、銀色の長い髪をなびかせてこちらに歩いてくる永琳。
彼女には、いろいろと問い詰めたいことがあったルイズは、良い機会だと気合いを入れた――が。
しかし驚いたことに、魔理沙がシッシッと犬を追い払うようなジェスチャーを、永琳に向かってしたのである。
有り得ないといった目で、魔理沙を見るルイズと妖夢。

「あんなやつと話したって、上手く言いくるめられるだけだぜ。なあ霊夢?」

魔理沙に話をふられた霊夢は、黙って頷いた。
近づくなといわれたも同然の永琳は、仕方がないといったふうに肩をすくめて離れていく。

「別にあいつがなにを考えてようと、良いじゃないか」
「まったく貴方は、適当なんだから」

妖夢が深い溜息を吐く。

「良いんですかルイズ?」
「……なんかどうでもよくなっちゃったわ」

仕方がないと、グラスを高く上げたルイズ。

「さあ、今日もいっぱい飲むわよあんたら」

おおー。
そんな風に四人の掛け声が重なった時である。

今まで緩やかな音楽を奏でていた楽士達が、急に聞き覚えのある曲を弾き始めた。

それは、どこか悲しげな紅い夕焼けを思い出させる曲。

「これって、あいつがよく妖精達に弾かせてたって……そういえばあいつはどこにいったのよ」

あの吸血鬼は――ルイズがそう言った時だった。

ガラスが割れる――いやガラスが爆発する音が、ホールに響き渡った。
そして、砕けたガラスのあったところから入ってきたのは、巨大な竜。

「あれって、タバサの使い魔の」

それを見て呆然としながら、微熱の少女が呟いていた。
ルイズは学院に帰った後で、あの吸血鬼と別れた時のことを思い出す。
そういえばあの時に、この舞踏会の話を初めて聞いたのではないのか。

つまりこの騒ぎは――

「アァッハッハッハッハッ!!」

――レミリア・スカーレットが黒幕なのである

「轟け轟け皆の者。これがレミリア・スカーレット様のカリスマだぁ!」

いやあんた。ただいきなり竜に乗って入ってきたら、誰だってギョッとして見詰めるっての。
と、そんなことをルイズが内心でつっこいんでいる間に、どんどん展開は進んでいく。
巨大な風竜の首に跨ったレミリア・スカーレットは、みんなの視線を一人占めに出来ているのが嬉しいのか、
乗っている竜の体をバチンバチンと叩きまくっていた。
もちろん怪力を誇る吸血鬼に叩かれては、竜であっても痛くないはずがない。

「きゅいぃ~~、きゅきゅきゅ、ぎゅいぃ~~」

無惨無惨な悲鳴。
それでも、絶頂の最中にいるレミリアは気にせずに、隣に飛んでいたメイジに話しかけた。

「お前はなかなかのやつだなかぜっぴき。褒めてつかわす」

そう言われてその小太りの生徒は、空中で「ははぁー」と大袈裟に頭を下げる。
つまりは、楽士達の手配や竜のことを教えたのも、すべてはこの少年――マリコルヌの仕業なのだった。

「それでは?」
「おうさ。魂魄妖夢との逢い引き。このレミリア・スカーレットが認めてやろう」

いやったーーー!! と大手を振って喜ぶマリコルヌ。
と、この場でもうひとり大声をあげたのは、もちろん魂魄妖夢。

「ちょっと待てや、そこの餓鬼!!」

妖夢らしからぬ、汚い言葉と共に飛び出る剣士。

「……!」

さらには、勝手に自分の使い魔を使われた挙げ句、悲鳴をあげさせられている姿を見せられた青い髪の少女もまた、それに続いた。

「ええい、なんだこの半人前。レミリア様のオンステージを邪魔する気か!!」

そして始まる弾幕祭り。
逃げ回る生徒達。転げ回る教師達。吹き飛ぶ料理。怒る料理長。
どさくさに紛れて、月の頭脳の胸を触ろうとする学院長。
そんな彼を、吸血鬼と半人半霊のちょうど真ん中に投げ飛ばす月の頭脳。
エロ爺の絶叫。阿鼻叫喚。絶命の声をあげる偉大な魔法使い。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。



「どうすんのよこれは」

弾幕ごっこを見る時は、充分離れたところから。
そんなおきまりを守りつつ、心底疲れた声色でルイズが呟いた。

「まあ、いつもの光景よね」

ごく普通にそんなことをさらっと言って、確保しているローストチキンにかぶりついた霊夢。
いや、確かに普通のごくありふれた光景なんだけど。

「なんかほんとに疲れるわ」

そんな項垂れたルイズの目の前に吹き飛ばされたのは、同じような顔の少年。

「大変ねあんたも」
「ちょ! そっちの所為でしょうが!!」

ルイスの叫びは弾幕がぶつかり合う音に、虚しくかき消されていた。



[17147] 東方虚穴界 九話
Name: 萌葱◆02766864 ID:ee343e2e
Date: 2010/05/18 00:35
『彼女』がルイズ達の前に現れたのは、ハルケギニアに来てから七日経った時のことである。



ルイズは朝が弱かった。
体質的な問題なのか、起きてからしばらくは上手く頭が働かないのだ。
しかし、起きる時間は不思議といつも早い。
もちろん、異世界で迎える朝においてもこの事は変わらない。

「起きろよルイズ」

その言葉が耳に入ったルイズは、反射的に上半身を跳ね上げた。
そして、ぺたぺたと自分の顔を手で触った。

「今日は、なんにもしてないぜ。まったく信用してくれよ」
「……うるさいわよ」

起きない自分に、いろいろと悪戯をして楽しんでいた奴のことなんか信用できるか。
そんなことを言いたいのだが、起き抜けのため口が回らないルイズは、ただ霧雨魔理沙を睨んでいた。

「ほらほら、早く起きろよルイズ。早起きは三文の得っていうだろ」
「三文程度で、こんな地獄のような苦しみはお断りよ……はぁ」

どちらにしろ、魔理沙が二度寝を許すと思えないルイズは、仕方なくベッドから降りた。
そして部屋の様子を見てみると、もうひとりの親友がいないことに気が付いた。

「魔理沙、霊夢はどっか行ったの?」
「ああ、巫女としての仕事がしたいって言って、部屋を飛び出していったぜ」

変なところで真面目なんだからあいつは。
そんなことを思いつつルイズは、これからなにをしようかをつらつらと考えていた。

「あんたは、今日なにか予定でもあるの……ってまた茸探しね」
「もちろんだぜ」

あのゴーレム相手に、魔法の元を使い果たした魔理沙。
そのため、普通に飛行することとかは大丈夫だが、大規模な魔法を使うことが難しくなっているのだ。

「それじゃあ、いつもの仕事も済ませたし、わたしは近くの森に行ってくるからな」

そういって、箒に跨った魔理沙は窓から空に飛び出した。

「本当になにをしようかしら?」

ひとり残されたルイズもまた、とぼとぼと外へ出かけることにした。



廊下に出たルイズは、開かれた窓から顔を出して学院の中庭を見た。

「うーん……何回見ても酷い有様ね」

トリステイン魔法学院は、中心に建っている本塔と、その周囲を囲っている五角形の壁。
その壁の五つの角と一体化している、五本の塔から構成されている。
それが今では、壁の一部分が無惨に破壊されていたのだ。
吸血鬼と半人半霊のふたりがもたらした被害である。
暴れたも暴れたりで、不幸中の幸いは死人がでなかったことだろう。
現在は、教師達を中心にして復興作業中である。
ルイズの目の前で、青空を見上げながら生徒達が土系統の魔法で校舎を直していた。
不思議とみんな気持ちよさそうだ。きっとそうだ。たぶんそうに違いない。

「どっちにしろ、わたしに責任はないんだからね」

そんなことを呟いて、ルイズはまた歩き出した。



反省中。
建物を出てすぐに、そんな札を額に貼りながら正座中の少女がいた。
そんな彼女――妖夢を見たルイズは苦笑いを浮かべる。
魂魄妖夢は、幻想郷にいる少女達の中でも真面目な部類であるといえる。
いくら酒に酔っていたとはいえ。いくら勝手に逢い引きの約束をさせられていたとはいえ。
あんな事をしでかしておいて、素知らぬ顔をすることなど彼女には出来なかったのだ。

「おはよう妖夢」
「ああルイズ。もうおはようっていう時間じゃないですよ」

そんなのは個人個人で違うのだ、という反論を喉の奥に呑み込んで、ルイズは妖夢の額に貼ってある札を指差した。

「もう十分反省したんじゃないの?
別に教師達は、なにも言ってこないんでしょ?」
「それはそうですけど……」

なにも言ってこないのは、彼女たちを恐れているためであることはいうまでもない。
そんなことをふたりが話していると、彼女たちの元に歩いてくる女がいた。

「あれはキュルケね」
「はぁい、今日も良い天気ねルイズ」

軽く挨拶を交わして、キュルケは妖夢を見てニヤッと笑った。

「さて。今日は妖夢、貴方にちょっと話があったんだけど……」

その声色に不穏な気配を感じた妖夢は、少しばかり疑り深そうにキュルケを見た。

「ミス・スカーレットに頼まれたのよね」

顔を歪めながら、そう言ったキュルケ。
レミリアの名を聞いた妖夢も、同じように嫌そうな表情をする。

「勝者として、敗者の魂魄妖夢に女としての身嗜みを教えておけってね。
それで一週間後に、ドッキドキウキウキの初デートだ。楽しみにしておけよとも言っていたわね」

そうなのだ。あのフリッグの舞踏会での決闘は、見事レミリアの勝利に終わったのだった。
もちろん、敗者は勝者の言うことを聞くなどという約束はなにもなかったのだが、
レミリアの巧みな話術によって、迂闊にも魂魄妖夢はそれを頷いてしまっていた。
こんな時だけ、あの幼女は年相応の狡猾さを発揮するのである。

「な、な、な、なんですかそれは!」
「いやこっちに言われても困るわよ。あんなバケモノに命令されたら、こっちも逆らえないんだし」

レミリアのあの夜の暴れっぷりを思いだして、冷や汗を流すキュルケ。
まあ、妖夢をいろいろできるのは別に悪くはない。そんな風にも彼女は考えているのだが。

「いやですよデートなんて。そもそも相手は誰なんですか?……ってもしかして」
「マリコルヌだって。ずいぶん上手にレミリアに取り入ったものねあいつ」

別に妖夢は、取り立てて面食いではない。
しかし、いきなり出会ってあんな事を言う彼のことは、よく思っていなかった。
そもそも、デートなどというものそれ自体が、妖夢には考えられないことである。
そんな彼女を諭したのは、意外であるがルイズであった。

「良い経験じゃない妖夢。幽々子に言われていることもあるんだから、
ちょっと女としての鍛練として経験しておけばいいじゃない」

もちろんルイズは、本心から妖夢のことを考えて言っているわけではない。
この程度のことなら、暇つぶしの話題としては弾幕ごっこなどより穏当だろう。
そしてなにより、幻想郷の住民らしく単純に面白そうだったから。ただそれだけである。

「うぐぐ……」

しばらく悩んでいた妖夢であったが、幽々子という名には弱いらしく、弱々しくではあるがついに頷いてしまう。
にんまりと笑ったキュルケは、用意していた化粧用品諸々をずらりと妖夢の前に並べた。

「さて、それじゃまずは、妖夢の腕前を見せてもらいましょうか」

貼っていた反省中の札を自分で取った妖夢は、たどたどしくそれらを手に取った。

「……仕方がない」

化粧を始めようとした妖夢は、面白そうな顔つきで自分を見ているルイズに気が付いた。

「ルイズ、ちょっと恥ずかしいんで、熱心に見ないでくれませんか」
「ええー、そんなつまんないこと言わないでよ」

ルイズの返事を聞いた妖夢は、重たい溜息を吐いて今度はキュルケに話しかけた。

「場所を移しませんか。あんまり人には見せたくないので」

ジロッとルイズを睨みながらそんなことを言う妖夢。
キュルケは、仕方が無いというような顔をした。

「そうね。それじゃあたしの部屋に行きますか」

ジェスチャーではルイズに謝りながらも、キュルケが妖夢の意見に賛成する。
そうなると、ルイズは諦めるしかないだろう。

「まあ頑張ってよ妖夢。成果を発揮する時は、絶対に教えてよね」
「誰が教えますか。ええ、絶対に内緒にしておきます」

結局、レミリアが騒いで学院中の注目を集めることになるのは目に見えているのに。
そんなことを考えながらも、なにも言わないでルイズはこの場を離れた。



その後、ルイズは外に出て気持ちの良い春風に当たろうと、外壁の周りをぶらぶらと歩いていた。
すると正門が、なにやら騒がしくなっていたことに、ルイズは気付く。

「どうしたのかしら?」

暇なルイズは、興味に任せてその声がする方向へと歩いていくことにした。
そこにいたのは、見たことのない男だった。
その男が、学院を守る衛兵と言い争っていたのだ。
遠目から眺めていたルイズに気が付いたのか、男が彼女を見て不思議そうな顔をする。
学生服を着ていない少女の姿に、疑問を覚えたのだろう。
その時、ルイズに何者かが声をかけた。

「娘っ子じゃねえか!」

最初、その声の主を揉めていた男だと思ったルイズは、不快そうな表情を浮かべる。
知りもしない大人から、そんな馴れ馴れしいことを言われたら、聖人君子でもない限り嫌な気持ちになるのは当然である。
つかつかと、その男の元に歩いていくルイズ。

「初対面で娘っ子って呼ぶなんて、一体なにを考えてるのよあんた」
「いえいえ、それはわたくしではなくて……ええいなにを考えてやがるデル公!」

どうやら、自分に話しかけてきたのは、この男ではないことにルイズは気が付いた。
それならこの場にいる誰が話しかけたのよ、というルイズの疑問はすぐに解決した。
男の目の前の地面に突き刺さっている剣が、声を発していたのだ。

「おおい娘っ子。早くお前の相棒をこっちに呼ぶんだ!」

意志持つ剣、インテリジェンスソードである。
幻想郷の住民であるルイズでも、実物を見たことがない逸品だった。

「へぇ~、これは良いものを見たわ……ってあんたわたしのことを知っているの?」

疑問顔のルイズに、そのデルフリンガーというインテリジェンスソードは説明をする。
しかし、その説明がどうにも要領を得なく、それがルイズの眉間のしわをさらに深くする結果となった。

その剣曰く――

自分は伝説の剣で、それを振るうのはある少年である。
彼は、トリステイン魔法学院の学生に喚び出された使い魔である。
そして、自分は彼の主に買われなくてはならないのだ。
ところが少年をいくら待っても、彼は現れない。
そこで武器屋の親父に無理を言って、ここまで運ばせたデルフリンガーだった。

その話を聞いたルイズは、疑わしそうな視線でデルフリンガーを見た。

「その話、全部何となくそんな気がした……ってレベルじゃないの。
そんなホラ話、信じられる要素ゼロなんですけど」
「おいおい、そんなこといわないお約束だぜ。
娘っ子、俺は役立つから買ってくれよ。相棒だって、きっとお前の所に来るからさぁ」
「いやいや、貴族様。どうかこの剣を買って下さいませんか。
どうも最近、騒いで騒いで商売に差し障っているんでさ」

そんなことをいわれても、元手がない以上買えないし、ルイズには剣は必要ではなかった。
しかし、こんな珍品があることを魔理沙が知ったら、無理矢理にでも欲しいなんてことになりかねないことも事実である。
そうなったら、霧雨魔法店に余計な住民が増えることになるため、それだけは絶対に遠慮したいルイズだった。

そんなことをルイズがつらつらと悩んでいたら、どこからかこの騒ぎを自慢のデビルイヤーで察知したトラブルメイカーがいた。

「ふーん、運命が奇妙に絡まっているなと思ったら、
なんか面白そうなことになっているじゃないルイズ?」

その小さな体をすっぽりと覆い被さる日傘を差した、見た目だけは貴族然とした幼女の姿を見たルイズは大きく溜息を吐く。

「なんであんたがいるのよ、レミリア」
「わっはっはっ、嬉しいだろう。この絶好調のわたしと出会ったおかげで、きっとお前も運気急上昇だ」

ズンズン進んでいくレミリア。
そんな彼女の姿を見て、衛兵は情けない悲鳴をあげて這いずりながら逃げていった。
その様子を見て、うんうんと満足そうに頷いている吸血鬼。
フリッグの舞踏会以来、学院中にレミリア・スカーレットという名の恐怖が染みついていたのだった。

「あ、あのう。その……彼女は一体?」

恐る恐るレミリアについて聞くのは、武器屋の親父である。
背中の大きな黒い翼を見て、戦々恐々としている男。
そんな彼を無視して、レミリアは大地に突き刺さっているデルフリンガーを握った。

「ッ! てめぇ、人間じゃないな!!」

その小さな掌から、なにを読み取ったのかは分からないが、
デルフリンガーは自分を持っている者が人間ではないことを瞬時に理解する。

(いやいや翼が見えればすぐに分かるわよ。あんたの目は節穴かっての)

心の中で、そんなことをつっこんでいるルイズ。

「ふん、なかなか聡いやつだな」

(だから、あんたはすぐに人間じゃないって分かるっての、このちびっ子が)

めんどくさいけど、つっこまずにはいられないルイズ。

そんなツッコミを知らずにレミリアは、剣を軽々と持ち上げると、

「おいおい、なにすんだてめぇ!」

それをおもいっきり地面に叩き付けた。

「いっでぇぇぇ」

どうやらデルフリンガーには、痛みを感じる機能が備わっているようである。
もしくは、吸血鬼の膂力が桁外れだったのが、感じられないはずの痛みを感じさせた原因なのかもしれない。
学院の正門に響き渡る悲鳴。しかしレミリアは、同情という感情を抱くことはない。
吸血鬼の体に流れるのは冷血なのである。

「ほほう、なかなか頑丈だな。おいルイズ。日傘を持っておけ」

そう言って、無理矢理ルイズに日傘を手渡したレミリアは、空いた手でデルフリンガーの剣先を持つと、

「お前なにしようってんだ、このヤロウ」
「ふんッ!」

その錆だらけの刀身を折り曲げようとしたのだ。

「いだだだだッッ。いでぇって、いでぇって!!」

聞くも無惨な悲鳴をあげるデルフリンガー。
しかし、この小さな暴君は容赦という言葉をどこかに忘れてしまっているようである。

最終的に武器屋の親父が、

「もうやめてくだせぇ。こいつは口は悪いし、小汚い錆だらけの刀身と、
良いところは全くないですけど、それでもなかなか気持ちいいやつなんです」

という風に土下座するまで、レミリアはそれを続けたのだった。
もちろん、デルフはその間ずっと悲鳴をあげている。
親父の言葉を聞いたレミリアは、ようやく刀身に掛けていた力を抜くことにした。

「ふふ、なかなか頑丈じゃないか」

満足そうなレミリアの台詞。

「よし、お前は今日からわたしの物だ」

そう言うと、デルフをぶんぶん振り回すレミリア。
そんな彼女を呆れて見ていたルイズは、めんどくさくなって日傘をポイッと投げつける。
レミリアは慌てて、宙に舞った日傘を空いた手で飛びついた。

「おっとっと。ルイズ、お前は喧嘩売っているのか。あん!」

軽くルイズを睨み付けたレミリアだが、本気で怒っているわけではない。
その証拠に、顔に浮かんでいるのは笑みである。
どうやら、だいぶデルフリンガーが気に入ったようだ。

「これは良い物を拾ったわね。
これでフランのレーヴァティンにぶつける物が出来たわ」

その台詞を聞いて、ぞくりと悪寒が刀身に走ったデルフ。
そして、それを聞いて黙っていられないのが、武器屋の親父である。
さすが、これまで長い間共に過ごしてきた竹馬の友。
そんな風にデルフが期待していると。

「ちょっとちょっと、一応デルフはうちの商品なんでさ。ちゃんと金は払って貰いますぜ」

まあ、商人は友情より金なのが正しい姿だ。
それを知っているデルフは、心の中でだけ泣いていた。

「ふむ、そうだったな。安心しろ人間。
わたしはどこかの魔法使いとは違って、ちゃんと礼儀を知る貴族だ」

フリッグの舞踏会でのことを思い出すと、とてもでないが頷けない発言だ。
レミリアは、どこからか大きな宝石を取り出すと、それを武器屋の親父に放り投げた。

「こ、こ、こりゃ!!」

それは拳大の、血のように赤く染まったルビーである。
目を輝かせて、それを覗き込む親父。
どうやら、デルフリンガーの対価としては十分すぎるほどだったのだろう。

「ようし、それじゃ引き上げるぞ!」

気分良く学院に帰っていくレミリア。

「ちょっと待って、娘っ子助けてくれぇー!!」

必死にルイズに助けを求めるデルフ。
しかし、レミリアがデルフを武器屋から渡された鞘に収めると、その声は封じられてしまう。
そのまま、ウキウキしているのが分かる足取りで、学院まで歩いていくレミリア。
それをルイズは、呆れと少しの疑問を抱いた眼差しで見詰めていた。

「あの剣、どうしてわたしのことを知っている風だったのかしら?」

後でタイミングを見て聞いてみるか。
そんなことを思うルイズだった。



ふらりと今度は霊夢を捜して学院を彷徨いていたルイズは、メイド達が集まってなにかをしている現場を目撃する。
ルイズは、その様子に興味を抱いてその近くまで寄ってみると、彼女には馴染みの声が聞こえてきた。

「さあさあ、みんな注目よ。
これがいわゆる神棚というもので神社、つまりは、教会と同じ役割を果たすものなの」

お手製の神棚を横に置いて、営業スマイルを浮かべるのは捜していた霊夢である。

「あのう、そんな小さなのが教会なんですか?」

手を上げて質問をするのは、黒髪のメイド。

「そう、まずはそこから説明するわね。
みんな、神様はどこにいるのかは分かるかしら?」
「ええーと、お空高くから見守ってくれているのでしょうか?」

その答えを聞いた霊夢は、満足そうにはしていたがそれでも首を横に振った。

「わたしが知る限り、神様っていうのは神様の家にいるものよ」

その、ある意味で当たり前ともいえる答えに、次々と気の抜けた声がメイド達から漏れる。

「なぜあなた達は、わざわざ教会で祈りを捧げるのかしら?
それは、教会が一番神様に近いところだからなのよ」

今度は、「おおー」という感嘆の声が響く。

「そこで、この神棚の登場ってわけ。
これはいわば、神様の別荘。つまりは……」
「これをつければ、わたし達の部屋に神様が住むんですか?」
「その通り」

ニコニコして頷いた霊夢。
しかし、メイド達の中には何かに気が付いたのか、少し納得のいっていない顔をしている者がいた。

「そんなみんなの所に神様がいるって、神様はひとりじゃないんですか?」

それを聞かれた霊夢は、チッチッと指を横に揺らす。
その時の表情が、ルイズには妙に憎たらしく感じた。

「それがわたしの信じる神様の凄い所よ。
神様ってのはね、精神的な存在で肉体は持っていないの。
それで、例えばあなた達がこの空を見て綺麗だって思うじゃない?
その心は、例え全世界の人間が綺麗だと想っても、世界でたったひとりが綺麗だと想ってとしても、
本質はまったく変わらないわ。みんなが想っても、それが人の数だけ分散はしないのよ。
その数だけ想いが弱くなるなんて事は有り得ないのよ。
神様っていうのは、そんな人の精神と同じなのよね」

そして、みんなの顔を見渡した霊夢は、その続きを口にする。

「つまり、神様はいくらでも無限に分かれることが出来るのよ。
そしてどれだけ分裂しても、その性質には一切の劣化や変化はない。
だから、一部屋に一柱、神様を宿すことが出来る。
この博麗霊夢に、少しの信仰を分けてくれれば、あなた達は皆少しの幸運を得ることが出来るのよ」

自信満々にそう言いきった霊夢だったが、メイド達の反応はいまいち悪かった。

「うーん。話を聞いたけど、それってつまり異端ってことよね」
「なに言っているのよ。異端ってことは、まだブリミル様を信仰しているけど、
彼女の話じゃ、異端というか異教じゃない」
「……一家まとめて、粛正されちゃうわね」
「こんな胡散臭い人の話を聞いた、わたし達が馬鹿だったのよ。
時間の無駄だから、早く仕事に戻りましょうみんな」

「うぐぐぐ……」

まあ、普通に考えたら、その反応は簡単に想像できるだろう。
いきなり、まったく素性の分からない神を信仰しろといっても、今までの信仰がある以上無駄な話なのだ。
しかし、霊夢は諦めきれないようで。

「そ、それじゃ、神棚は諦めるとして、この御守りはどうかしら?
これも原理は神棚と一緒で、この小さな袋の中には神様の魂が込められているのよ。
商売繁盛から、無病息災、恋愛成就までなんでもござれよ」

恋愛成就という言葉のところで、メイド達の目の色が変わりだした。
どんな身分だろうと、年頃の女子がもっとも興味を引かれるのが恋愛なのは、一種の法則のようなものなのだろう。
もっとも、幻想郷の少女達には、その法則は通用しないのだが。

「さあ、これなら懐に入れていても、誰かに気付かれることはないわよ」

急に息を吹き返した霊夢が差し出した御守りを、恐る恐る取っていくメイド達。
その様子を見ていたルイズは、黙ってその場を離れていくのだった。



あんまりぶらついて人目を引くのもいやだから、部屋に戻ろうかとルイズが思った時だった。
目の前を男が歩いていた。確かあれは、学院の教師であるコルベールであると、気が付いたルイズは挨拶をする。

「ああルイズさんですか」

それから流れで、ふたり揃ってたわいもない世間話をしながら歩いていると、
また、目の前に男の人が歩いているのを発見した。
その男――というか老人は、ふらふらと定まっていない視線で、辺りを見渡していた。

「ロングビルやぁ~~。どこにいったんじゃ~~」

その誰がどう見てもぼけているとしか思えない姿に、気まずそうに顔を背けたルイズとコルベール。
やがて、ボケ老人が別の場所に徘徊していくと、不思議そうにルイズは呟いた。

「ねぇ、あんな急にボケがくるっておかしくない?
いくら自称三百歳だからって、あの夜まではピンピンしてたじゃない」

あの夜とは、フリッグの舞踏会のあった夜である。
それを聞いたコルベールは、急に険しい顔つきをすると、

「……これは誰にも言わないで下さいよ」とルイズに言った。

その迫力に、ゴクリと唾を飲み込んだルイズは恐る恐る頷く。

「実はあの時、わたしは見ていたんです。
学院長が、あの永琳殿に投げ飛ばされた瞬間……」

不意に、周囲に誰も居ないことをコルベールは確かめた。
誰の気配も感じなかったんだろう。うんうんと安心したように頷いたコルベールが話を進める。

「彼女が何かを飲ませていたんです」

鬼気迫る様子で、それを言い切ったコルベール。
しかし、

「なんだそうだったの。それなら納得だわ」

そんな風に軽く納得してしまうルイズを見て、コルベールは魂が抜けたような顔になった。

「な、な、な、なんでそんな簡単にっ!
多分錠剤ですよ! 毒ですって。オスマン氏は毒殺されかかったんですよルイズさん!!」
「だってねぇ……それが永琳なのよ。それに彼女の仕業なら、何日かすれば治るはずだと思うけどね」

八意永琳――それをどう評価するべきなのか?
しばらく、その難問に頭を悩ませるコルベールであった。

ちなみにこの後、ルイズの言った通りにオスマンは元の知性を取り戻すことになった。
しかし、それの副作用なのかは分からないが、
オスマンが別のベクトルで大変なことになってしまうが、それはまた別のお話なのである。



その日の夜、ルイズは自分たちに与えられた部屋で、ゆったりとお茶を飲んでいた。
今、部屋にいるのはルイズ達三人と、魂魄妖夢の四人である。

「そういえば、妖夢はあの後どうなったの?」

そうルイズが切り出すと、妖夢は苦しそうな顔をした。
どうも、思ったより酷かったらしいことは、その彼女の反応ですぐに分かったルイズ。

「……いやその。キュルケからは……」

なかなか言い出さない妖夢。
それを見かねた三人は、揃って彼女に話すよう急かしだした。
すると、とうとう観念した妖夢が話すことを決心する。

「……場末の娼婦みたいなメイクだと」

一瞬、部屋がシーンと静まりかえり、そして――

「ぎゃはははははは」

――三人とも爆発した。

白い頬を真っ赤にして恥ずかしがる妖夢を、三人は指を差して大笑い。

「も、も、もういいでしょう。ほら、あなた達はなにをしていたんですか!」

我慢できなくなって、怒鳴り散らしだした妖夢。
真面目な彼女ではあるが、幻想郷で一番きれやすいのも彼女であると、みんなから評価されていた。
今の彼女に逆らったら面倒なことになると、三人は話を変えることにする。

「それじゃあ、魔理沙はどうだったのよ?」
「ああ、全然駄目だな。みんな普通の茸だ」

そういうと、魔理沙はどさっとみんなの前に茸を放り投げた。
それはみんな、ごく普通の茸である。

「そりゃそうよ。魔法の森の茸が特別なのよね。
あそこの茸が普通だったら、とっくの間にあんたが取り尽くして絶滅しているっての。
たった三日で、傘が拳大にまで成長するものが普通であるもんですか」

ルイズにそう言われると、やれやれとベッドに倒れ込んだ魔理沙。
その様子からルイズは、魔理沙がかなり疲れているのだと見てとった。
そんな彼女は見たくなかったので、ルイズは発奮させてやろうと口を開く。

「それじゃあ、この茸をつまみに宴会でもしましょうか幹事殿?」
「おっ! ナイスアイディアだぜルイズ!」

まさに効果覿面。
急に息を吹き返した魔理沙を見て、三人はくすくすと笑いを堪えきれない。
そんな反応などどこ吹く風、魔理沙は目をギラギラとさせながら動き出す。

「それじゃ、必要なのは鍋と酒だな」
「鍋は厨房で借りればいいんじゃない?
酒は……どっかからあの子鬼が戻ってくれれば、万事問題なしなんだけど……」
「まあ、この学院にうまい酒が隠されていることは分かっているからな。
この名探偵霧雨魔理沙の手から逃れることなど出来ないぜ」

ふっふっふっと笑みを浮かべる魔理沙。
そんな彼女を見て、ルイズはちょっと燃料が大きすぎたかと少し後悔。

そんな時だった。
『彼女』が現れたのは。

部屋の扉をノックする音と共に聞こえてきた声。

「すいません。まだ起きてますよね皆さん」

その声を聞いたルイズ達は、みんなで首をひねった。

「どうしたんだルイス? 入ってきていいぞ」

魔理沙がそう言うと部屋の扉が開かれて、ひとりの少年が申し訳なさげに部屋に入っていく。

「本当にすいません。ちょっとあなた達に会いたいという御方がいるのですが?」

確かにルイスの後ろには、深々とフードを被った誰かが立っていた。
その誰かが、被っているフードを自ら取る。

その顔を見たルイズ達は、思わず息を飲み込んでいた。
幻想郷にいる少女達も、なかなか美しい娘は多い。
しかし、この女性はその中でもずば抜けている。
それこそ、永遠亭の姫を思い出させる美しさだった。
神々しいばかりの高貴さを振りまきながら、その少女が口を開いた。

「初めまして皆様方。
わたくしはアンリエッタ。アンリエッタ・ド・トリステインと申します」

ああなんだか、面倒なことが起こるぞこの展開。
そんなことを揃って考えていた、四人であった。



幻想郷でもっとも巨大な『組織』といえばどこなのかと尋ねれば、誰しもが妖怪の山と答えるだろう。
多くの妖怪や神が住み着いており、それらが独特で排他的な社会を築いていたそこは、まさに幻想郷最大の勢力といえる。
しかしある時期から、この妖怪の山に異物が紛れ込んだ。

その異物の名は、守矢神社という。

守矢神社は、表向きは八坂神奈子を主祭神としているが、実際には洩矢諏訪子を祀っている神社である。
その二柱の神と風祝(巫女と同義)である東風谷早苗が住んでいるこの神社は、とある事情があって妖怪の山に移住したのだった。

そんな守矢神社の入り口に立てられている鳥居で、ふたりの少女が揉めていた。

「ちょっと聞いているんですか! いい加減やめさせて下さい!!」
「ええ~、なんでわたしがそんなことまでしなくちゃいけないのよ」

ぷりぷりと怒っている少女――射命丸文の怒りを、
可愛い帽子を被った少女――洩矢諏訪子が面倒くさそうに受け流している。

「だから、あのゲロゲロって鳴声をやめさせて下さいよ。本当に」
「確かに蟾蜍の鳴声には退魔の力があるけど、あんたってそんなに弱かったっけ鴉天狗?」

それを聞いた文の顔が怒りから、朱が差して真っ赤になる。

「わたしはまったく平気なんです! ただ、幼い子供達が弱っちゃって大変なんです。
それで、一応付き合いがあるわたしが、貴方の所に赴いたんですよ。まったく面倒な」
「ははは、それは大変だねぇ。でも、あの子たちも命懸けているからさぁ。
なんか、それを止めるのも気が咎められるというか……」
「……何に命を懸けているんですか」
「愛の賛歌」

それを聞いた文は、頭が痛くなってきたのか深い溜息を吐いた。
その時、微かに目を見開いた諏訪子があることを文に聞く。

「ねえ。あんたは、なんであの宴会の時、異世界に行こうとしなかったんだい?
異世界の話なんて、特ダネの塊だろうに」
「そんなの決まってますよ。
向こうに行ったら、どうやって文々。新聞を発行するんですか?
文々。新聞は、絶対に落とさない、っていう絶対的な信頼が、今の人気を支える三番目の理由なんです」

ちなみに、一番目の理由は、面白可笑しい記事であり、
そして二番目が、奇抜な構図の写真なのだと文は思っている。

「ってことらしいよ、スキマ妖怪」

その諏訪子の言葉は、文の後ろに投げ込まれた。
驚いて後ろを振り返った文は、そこに胡散臭げな笑みを浮かべた美女が立っていたことに初めて気が付いた。

「……どうしてこんな所にいるんですか、八雲紫」

ここは、妖怪の山の内部である。
つまり余所者は厳禁であり、こいつは妖怪の山の住民ではない。
となると、八雲紫は不法侵入者ということになるのだ。
山の一員である射命丸文には、八雲紫を排除しなければならない理由が出来たということ。
そのために、文の口調には刺々しいまでの殺気が含まれていた。
しかし、八雲紫はその千年以上を生きている天狗の発する殺気を、まるで無いものとしてそこに佇んでいる。
その一触即発の空気を変えたのは、土着神の頂点と呼ばれる神の行動だった。

「それじゃ、神奈子を呼んでくるよ紫」

そう言って諏訪子は、振り返って守矢神社まで歩こうとしたその時、紫が初めて口を開いた。

「いいえ。用があるのはあなたもですわ。大地の神よ」

怪訝な顔をしているまま、振り返った諏訪子。

「お前が来た理由は、あの異世界のことだってことぐらい分かっているって。
それなら、わたしは関係ないってことぐらい分かっているだろ?
まあ、そもそも神奈子がどうしたってことでもないんだけどさ」
「わたしは、あなた方ふたりにあることをお願いしたいのです」

しばらく、その紫の言葉を吟味していた諏訪子は、やがてある答えを見付けてしまう。

「あんたもしかして……」
「それが成せれば、あなた達にも有益だということは理解出来ましたか」
「……だけど、わたし達だけでは無理だよ。例えば、あの厄介な月の姫の力でも借りられれば出来るだろうけど」

そう投げやりに言った諏訪子に対して、紫は面白そうに彼女が望んでいた答えを言い返した。

「彼女とは、話は付いていますわ」
「そうかい。やっぱり、あんたは抜け目がない。
後もうひとり必要なやつがいるけど、彼女は頼まれればきっと断らないだろうねぇ」

そうして、紫を中に入るように促した諏訪子であるが、それを良しとしない人物がそこにはいた。

「ちょっと、このわたしを無視して話を進めないで下さいよぉ、へへへ。
毎度お馴染み射命丸にも、そのお話お聞かせ頂けないでしょうか」

気持ち悪いほど愛想の良い口調で、紫にすり寄るのは射命丸文である。
見事に記者モードに変身した文を見て、呆れた紫は仕方ないと頷いた。

「それじゃ、貴方にも説明するけど、事が終わるまでは絶対に口外しないこと。
それが済んだら、貴方に独占的に取材させてあげるから」

嬉しさのあまり飛び上がった天狗を見ていると、それが自分の策の綻びに思えてくる紫だった。



[17147] 東方虚穴界 十話
Name: 萌葱◆02766864 ID:f6c22219
Date: 2010/06/02 22:20
トリステインという小さな国を保たせている要因は一体何か。
その疑問を貴族達に尋ねると、彼らのほとんどが揃ってあることを主張するだろう。
それは、トリステインという国家が持つ長い歴史と伝統の成せることであると。
しかし少しでも、誇りなどという精神的な実体のないものではなく、
ただそこにある現実を見詰めることができる貴族は、抽象的な答えではなくあるひとりの名前を挙げるだろう。
マザリーニという名前を。

マザリーニとは、かつてはロマリア皇国の枢機卿であり次期教皇とも噂されていたのだが、
彼自らその道を断ち、現在はトリステイン王家のためにその身と血を捧げている重臣である。

そんな彼には今、ひとつだけ気に掛かっていることがあった。
先代トリステイン王の一粒種、アンリエッタ王女のことだった。
つい数日前に、急遽学院に預けていた始祖の祈祷書が戻された時のことである。
アンリエッタが生気の抜けた瞳で、それを読み耽っている様子を彼は偶然目撃したのだ。
始祖の祈祷書が文字の書かれていない白紙の書物であることを知っているマザリーニは、訝しげにそれを見ていた。
それから唐突に、アンリエッタはマザリーニに強い口調であることを頼み込んだ。

「体調の悪くなったオールド・オスマンを見舞いたい……ですか」

そう言ったアンリエッタは、王家を守護する魔法衛士隊のなかでも腕利きを引き連れ学院まで向かっていった。
なんでも彼女は、あまり大っぴらに学院を訪れて学舎を騒がせたくなかったらしい。
マザリーニには理解できなかった。
何を考えて、王女がそんなことをするのかを。
そして何より、なんで自分がそんなことを認めたのかを。

「……何もなければよいが」

そんなことを、主のいない王座を見ながら呟いていたマザリーニだった。



ルイズは、突然の来訪者に呆れかえっていた。
彼女――トリステイン王国の王女アンリエッタがルイズ達にもたらしたのは、あるお願いである。
アルビオンという国の王子、ウェールズが持っている手紙を取り返して欲しい。
そんなお願いだった。一体どんなお願いだまったく。

「ええっと、一体なにを言っているのかしら貴方は?」

ちょっとだけ、苛つきが台詞に滲み出ているルイズ。
しかし、アンリエッタはそんなルイズの感情に気が付かないようである。

「その手紙が反乱軍の元に渡ってしまうと、今回の同盟はご破算になってしまうのです」

そんなことを言いながら、よろよろと泣真似をしながら崩れ落ちるアンリエッタ。
普通の人物がそれをやれば滑稽な三文芝居になるような動作も、彼女がやれば名女優の熱演に見えるのは王家の血がなせる業か。
ちなみに後ろでは、ルイスも頭から地面に突っ伏している。
どうやら、ルイズ達部外者にこんな国家機密を相談するなんて、思いもしていなかったのだろう。
あまりにも予想外の展開に、頭がパンクしたのだ。

「そのなんだかとかいう反乱軍や、この国の同盟話がどこをどう私達に関係するっていうのよ?」
「残念ながらわたくしには、信頼できる者が誰もいません。
ただひとりあげるとするなら、血の繋がった弟同然の存在であるルイスだけなのです。
そこで今日、ルイスと会ってみると、召喚したあなた達のことを話してくれました。
十分な実力を持ち信頼できる人物達であると、この子は説明してくれましたわ」

だからって、そんな国家レベルの話をわたし達にされても困る。
そう考えていたルイズは、どうにかしてその話を断ろうと思っていた。
しかし、当然の如く横から口を挟む少女がいた。
先ほどまで以上に、ギラギラと瞳を輝かせた霧雨魔理沙が口を開く。

「なあアルビオンってのは、一体どんな国なんだ?」

ああやばいやばい。この質問は危険な展開よ。
それを聞いて凄く嫌な予感がしたルイズは、しかし何も出来ないのだった。

「アルビオンは、『白の国』と呼ばれる浮遊大陸にある国ですが」

アンリエッタの答えを聞いた魔理沙の表情ががらりと変わる。

「はっはっはっ、浮遊大陸だってよお前ら。なんか字面だけですげー事になってるぜ。
よし! この霧雨魔理沙に任せときなアンリエッタ。見事にそのラブレターを取り返してやる」

溜息を吐いたルイズ達。
霧雨魔理沙という人物を多少は知っている彼女たちには、こんな展開になると薄々予測していたのだった。
一方アンリエッタは、霧雨魔理沙が口走ったラブレターという単語に激しく反応した。

「ラ、ラ、ラブレターではないです!!」
「いやいや、その王子様が持っているって事は、多分それは恋文なんだろうアンリエッタ?」
「そ、そう考えるより、そのう……国家間の機密事項が書いてあったりするかもしれませんよ」
「えーー、そんな答えじゃつまらないぜ。やっぱりラブレターだろ。そうじゃなかったら、手伝ってやるわけにはいかないなぁ」

ヤレヤレと、大袈裟な手振りで魔理沙が首を振る。
少しの間俯いてなにやら考え事をしていたアンリエッタは、仕方ないと呟いて顔を上げた。

「……認めるしかないようですね。
部外者のあなた達だからこそ教えますが、ミス・魔理沙の言った通りその手紙に書かれているのは恋文なんです。
その手紙で、わたしは始祖に彼への愛を誓ってしまっているのです。
ああ! これが外に漏れれば、今回の婚姻は解消されてしまいますわ!!」
「ふふふ、この愛の狩人霧雨魔理沙に任せるんだな。
必ずその恋を成就させてやるから、泥船に乗った気で安心するんだぜアンリエッタ」
「は、はぁ。別に恋の成就は……そのう……」

泥船じゃ駄目だろうとか、何が愛の狩人よとか、いろいろとつっこみたいことを抑えて立ち上がったルイズ。
こうなったら、自分が魔理沙についていくのは決定なのであり、問題は他に誰がついてくるのかということだ。

「霊夢はどうすんのよ……まああんたがこんな……」
「面倒だけど付き合うわよまったく……それじゃあ妖夢も一緒に行くことになるわね」
「貴方が行くのなら、わたしも行きますよ」

珍しいものを見たかのようなルイズの顔。
博麗霊夢は、自分の興味を引かないことにはとことん首をつっこまない性格である。
神社関係の行事。妖怪退治。異変解決。
だいたいこんな事ぐらいじゃないと、自ら進んで行なうことがないのだった。

「ふう、あんたら自分たちの状況分かっているの?
魔法の使えない魔法使いと、人形の無い人形遣いじゃなんの役にも立たないわよ」

それを聞いたルイズと魔理沙が、互いの顔を合わせて苦笑いを浮かべた。
その間にも、ルイズは半人半霊の少女のことを考えている。

(しかし、妖夢がついてくるって事は、やっぱり霊夢の護衛をしているって事なのね)

まあ何かと霊夢の後ろについて歩いていれば、誰でも何かあるんだろうなと想像がつくだろう。
そんな時、やっと回復したルイスがいきなり手を上げた。

「はい! はい! 僕も行きます。あなた達だけじゃ心配ですから! ええとっても心配ですから。
僕がついていっても止められないだろうけど、やっぱり心配だからついていきます」

こんな子供が内紛中の国に行くと言っているのに、この部屋にいる人間で止めようとする者はいない。
良くも悪くも、常識のない人間達なのであった。
結局この場にいる全員が行くことになった結果に、アンリエッタは感動しているようだ。

「ああ、ありがとうございます皆様方。あなた達の勇気、このわたくし絶対に忘れませんわ」

魔理沙を先頭にして部屋から出て行くみんなを、笑顔で見送っていたアンリエッタ。
その時、振り返った魔理沙が口を開いた。

「それじゃあ出発するぜアンリエッタ」

ほらほらと手招きをする魔理沙。
わけも分からずそれを見ていたアンリエッタ。

「どうしたんですかミス・魔理沙?」
「だーかーらー、お前も一緒に行くんだよ」

まだ上手く魔理沙の言葉が飲み込めないアンリエッタに代わって、声をあげたのがルイスである。

「それはさすがに……無理ですよ魔理沙さん」
「なんでだよ。本人が出した手紙を、その当人が取りに行かなくてどうするんだよ」
「あのう。一応わたくし王女ですから、さすがに何日も国からいなくなると問題かと……」
「うん? 別に姫がいなくなっても、たいした問題じゃないよな?」

そんな風に話をふられたルイズは、あははと目を逸らすだけ。
妖夢は、自分の主の自堕落っぷりを思うと、まあ数日なら白玉楼及び冥界の管理に問題なしと判断。
霊夢は知っている姫――蓬莱山輝夜だとかを思うと、別に対したことをしているわけじゃないから大丈夫だと頷く。
兎にも角にも、幻想郷の人間に国家規模で物事を考えろという方が無理なのは間違いないだろう。

「ほらほら早く行こうぜ」

アンリエッタの手首を掴んだ魔理沙が、引きずるように彼女を部屋から連れ出した。
肉体労働などしたことのないアンリエッタが、魔理沙の腕力に勝てるわけもなく簡単に引きずられていく王女様。
それを見たルイスの顔が真っ青になる。

「ちょっとルイズさん。こればっかりはヤバイですって」
「あー無理無理。こうなった魔理沙は誰にも止められないわよ。
それともルイス。あんたが止めてみる? あいつを」

ルイスが、改めて魔理沙を見てみると、
そこには好奇心がレーザーとなって発射されているみたいに、綺羅綺羅と輝いている瞳があって。

「……無理ですねー」
「あんたもよく分かってきたじゃない」

ポンと肩をルイズに叩かれて、ルイスはこの人はいっつも苦労しているんだろうなぁと、深い同情を彼女に抱くのであった。



その頃、八意永琳は真っ暗な部屋の中、一つだけのランプの明かりを頼りに難しそうな書物を読んでいた。
ここは、トリステイン魔法学院内にある図書館。
ペラペラとめくられる頁の音以外、何も音がしない静かな空間。
そんな静寂の世界で突然、永琳の視線が頁から外れた。
じっと図書館の出入り口であるドアを見詰める彼女。
それは、これから訪れる来訪者を予感しての行動。
事実、すぐにその扉は誰かの手によって開かれたのである。

その人物を見た永琳は笑みを浮かべた。

「こんな夜分遅くにどうしたのかしら、ミスタ・コルベール?」
「これはこちらのセリフですよ、ミス・永琳。
わたしは夜間の見回りですが、こんな夜に貴方は一体何をしているのですか?」

誰が見ても警戒しているのが分かるコルベールの顔を見て、それでも永琳は浮かべている笑みを崩しはしない。

「勉強よ。歴史のね」

そう言った彼女が掲げた本は、確かにハルケギニアの歴史書だ。
ただ、それが分かってもコルベールの中にある疑問が解けることはない。
それを彼の顔色から読んだ永琳。

「ちょっとばかり困らせてしまったようね。
それじゃ、少し面白い話をしてあげましょうか?」
「一体何を……」
「歴史の話よ。六千年という歴史のね」

コルベールは考える。
六千年――つまりは始祖ブリミルが降臨してからの年数。
それは、この大陸に繁栄する文明の年数と同義である。

「部外者の貴方が、わたしに歴史を語ろうと?」
「門外漢の戯言と思って、聞き流しても構わないわよ」

くだらんと切り捨てることも彼には出来た。
しかし、そうはしなかった。
それはつまり、彼女の語ることに興味を引かれたからである。

「それじゃ時間もないようだから、単刀直入に言うわね」
(時間がない? こんな時間に彼女は何か用事でもあるのか?)
「これはハルケギニアの国家……というか文明そのものに対しての疑問よ。
貴方は六千年という途方もなく長い年月を、まったく国家形態が変わらないまま過ごしたことについて疑問に思わないかしら?」

コルベールのその問いに対する反応は、わずかに眉をひそめただけだった。
言っている意味が分からなかったからだ。

「それがどうしたんですか?
現に我々の国家は、今ここにあるんですよ。
それこそが、ただ唯一の証拠じゃないですか」
「あらあら、そんな答えじゃ及第点もあげられないわね。
学者たるものにとって、答えよりもその過程の方が重要じゃない?」

うっと言葉を詰まらせるコルベール。
それを見た永琳は、うっすらと艶やかな笑みを浮かべると右指を一本あげた。

「第一の仮説。ただ偶然の結果、六千年の間途切れなかった。
まあこれも十分すぎるぐらい考えられる答えね。
往々にして、歴史なんてものは馬鹿みたいに単純な結末に導かれるものだから」
「なら、それでいいじゃないですか!」

バンと机を叩いて、そう怒鳴ったコルベール。
自分でもなぜこんなに熱くなっているのか分からないまま、彼は永琳を睨み付けていた。

「でもここで思考停止したらつまらないじゃない。
そこで考えたのが第二の仮説。何者かの意志が働いている場合」
「意志?」
「誰かが……それは個人か組織かは分からないけど、このトリステインを始めとする国家を維持するために動いている。
例えば、国家または王家ね。それに重大な何かがあってそれを守るために、
トリステイン、アルビオン、ガリア、ロマリアという枠組みを崩すわけにはいかない、と考えればどうかしら?」
「馬鹿げている。それが事実なら、どうしてそれの正体が今まで誰にもばれなかったんですか。
今日にいたるまで、そんな話は噂ですら出たことはないのですよ」

かつて、国家の暗部にいたコルベールは、普通の教師よりはそういった部類の話には詳しい。
そんな彼ですら永琳の言う存在は、一笑に付すような噂話ですら聞いたことがなかったのである。

「それが隠されていないとしたら?」
「……なにが言いたいのです」
「エルフよ」

その単語を聞いたコルベールの目が驚きで見開く。

「人類にとって絶対的な敵対種であるエルフ。
彼らの存在意義こそ、ハルケギニアの国家を維持するための外圧である。
こう考えると、とても面白いと思わないかしら。
個々の能力だったら、人間はエルフには絶対に勝てない。
この前提を考えれば、人類がエルフに対抗する術が集団を維持することしかないことを意味する。
それも、力のある貴族が中心となる階級社会を維持することが最上の形。
平民じゃ万に一つも勝ち目はないけど、貴族の系統魔法だったら少しだけど勝てる可能性があるんだからね」

分からない。
コルベールには、彼女の言っていることが分からない。

「ミスタ・コルベール。この仮定についてはどうお考えで?」

厭らしい笑みだ。永琳の表情をコルベールはそう感じた。

「……」
「ふふ、お気に召さないようですね。
それでは、第三の仮定をお話ししましょうか」

すでにコルベールの顔には、驚きを通り越して疲れが滲み出した。

「さて……この六千年の歴史は本当にあったのかしらね?」
「はい?」
「確かにこうして歴史書はある。古い建物もあるのでしょう。
しかし、それが真実を記載していると何が証明しているの?
その建築物の古さを、一体どうやって証明するの?」
「それはあまりにも乱暴だ!」
「どうして? だって、あなた達の魔法には固定化なんてものが存在するのよ。
経年劣化を防ぐということは、年代測定が不可能ということ」
「我々には祖先がいる。わたしにも親がいて、それが脈々と受継がれているんだ!
そんな我々の歴史が全くの嘘なんて話はあり得ない。あり得るはずがない」
「人の記憶を保証するものなど、なにひとつ無いのよミスタ」
「我々の思い出が幻だというのか貴様は!!」
「ふふふ」

笑っただけでコルベールの怒鳴り声には何も答えずに、
永琳は立ち上がると真っ暗な夜空が見える窓まで歩いていく。

「例えば、この窓にはめ込まれているガラスに一つの国を作るとします。
そしてそこで生きる人々の設定を考える。
ほら、これで一つの国家の歴史が生まれてしまった。
後は、この国を情報として残すだけ。
それだけで何百年後かにそれを見た人間には、その国が実在していたことになる」
「戯言を。我々はガラスに住む奇人ではない」
「平面に住んでいる者は、その事を奇異だとは思わない。
我々もまた同じ事。この大地に住んではいるが、
ここよりも高い次元で見ているものには、わたし達がとても奇妙に見えているかもしれない……ってあれは」

永琳は、窓の向こうに何かを見付けたようだ。
コルベールも興味を引かれて、彼女の見ている方向を見てみるとそこには。

風竜に乗った吸血鬼が剣を振り回しながら、グリフォンに乗ったどっかの貴族を追っかけ回していたのだった。
その後ろでは、風竜の主である生徒が必死になって止めようとしている。

「ぐおぉー、あの吸血鬼は何をやっとりますかぁ!!」

さすがにこれはいけないと、急いで部屋を出ようとするコルベール。
そんな彼の後ろ姿に、永琳が声を掛けた。

「わたしが止めにいくから、ちょっと貴方は休んでいなさい」
「はい?」
「顔が真っ青よ」

笑みを浮かべながらそう忠告すると、永琳は図書館から出て行った。
その時初めてコルベールは、自分の身体の異変に気が付く。
彼の枯れ木のようでいて、鍛え抜かれた肉体は崩れ落ちていった。



「真実と触れ合うことはとても辛いもの。彼には悪いことをしたわね」

図書館のドアの向こうで人間が倒れる音を聞きながら、そう呟いた永琳。
そのまま、すらりすらりと歩いていく永琳。その眼差しには、滾らんばかりの知性が見て取れる。

「世界はあるべき先を望み、介入を果たす。
しかし、運命を視る者がそれを無邪気に破壊する……か」

八意とは数多くの智を表し、永琳とは永久に輝く玉を表す。

「そろそろわたしも動くべき」

それが望むのはどのような結末か?
誰にとって善しとなるのか。誰にとって悪しとなるのか。

「囁きにいきましょう。悪魔の誘惑を」

それを窺い知れる者など、どの世界においても存在しない。
存在の位相そのものが違う者の思惑を知ろうということなど、絶対に不可能なのだから。



「ふはは、貴様が誰だか分からないが、このわたしに逆らうには五百年ばかり早かったようだな」

二つの月が夜の大地を照らす中、レミリア・スカーレットがうりうりと髭面の貴族の身体を踏みつけていた。
その貴族は気を失っているらしく、ときおり呻き声をあげるだけしか反応しない。

「おいおい嬢ちゃん、お前ってひでーことするよな。あの風竜に無理矢理乗ってたのを咎めただけだろ、その男はよ」
「ふんデルフ。わたしはこいつみたいに、汚く髭を伸ばしているやつが大嫌いなんだよ」

そんな風に暢気に言い合っている吸血鬼と剣の後ろでは、きゅるきゅると泣いている風竜を慰めている主人の姿があった。
自分の使い魔の頭を撫でているその少女は、射殺さんばかりの勢いでレミリアを睨んでいた。
当然、レミリアもそれには気が付いているがどこ吹く風といったところ。
その様子を見た少女が立ち上がって、すたすたとレミリアの近づいていく。

「……二度と無理矢理乗らないと約束した」
「ああ……別に無理矢理乗ったわけじゃないよ。なあニーズホッグ?」

ニーズホッグと呼ばれた風竜は、困った顔で首を横に振る。
それもそのはず。彼女はニーズホッグなどという名前ではないのだ。

「シルフィード」
「駄目だ駄目だ。そんな弱っちい名前じゃ駄目だ。
そんなんだから、ちょっと叩いたぐらいできゅいきゅい泣くのよ、この青瓢箪め」

そんなこんなで言い争いを始める、吸血鬼と青い髪の少女。

「まったく、この吸血鬼はなんとかならないかねぇ」

ひとり愚痴るのは、レミリアに振り回されているデルフリンガー。
そんな時、この揉め事を止める人物が現れる。

「ここ最近、ちょっとはしゃぎすぎじゃないかしら貴方。
もしかして月が二つあるからって、それに影響されているの?」

暗闇の中から現れた、赤と青の姿を見たレミリアは露骨に嫌そうな顔をした。

「馬鹿だなぁ貴様は。せっかくのお祭りを大人しく見ているなんて、空気の読めてないやつの考えだよ。
優雅に佇むときは気品を見せつけ、わいわい騒ぐときはおもいっきり騒ぐ。これがわたしの信条だ」

それを聞いた女――八意永琳は感心したように頷いた。

「ふーん。けっこうちゃんと考えているのね」

永琳はそう呟くと、真っ暗な夜空を見上げた。

「ふふふ、貴方には見えているかしら? あそこに飛んでいる彼女たちの姿が」
「吸血鬼の視力を馬鹿にするなよ宇宙人」

レミリアの紅い目がギラリと光り、それに睨まれた永琳は戯けるように両手を上げる。

「それなら、どうして一緒に行こうとしないの?
てっきり貴方なら、そうするものと思っていたけど」
「あの先には、わたしの求めるモノは無いんだよ」

それを聞いて、不思議そうな顔をした永琳。

「貴方はこの世界とは何も関わり合いがないよね……ああ貴方がこっちに来た理由ってなるほど」

自分で言っておいて自分で勝手に納得した永琳を、レミリアは呆れた顔で見ている。
そんな彼女の視線を無視した永琳は、突然現れた部外者を警戒している少女の元まで歩いていった。

「なにか用?」
「少しお話がしたいと思いまして……」

恭しく頭を垂れる永琳。
もっともその様子は、どこか滑稽な喜劇を演じる役者のようであり。

「シャルロット・エレーヌ・オルレアン様」

少女の反応は劇的だった。
弾かれるように、持っていた杖を永琳に向けようとする少女。
しかし永琳は、その杖をむんずと掴み取るとそれを遠くに弾き、そのまま少女と顔を付き合わせた。

「これからお話しすることは、取引ではありませんわ」

笑みを浮かべる永琳。

「もちろん、貴方から何かを得ようなどとは思いません。
これはわたしからの慈悲。これはわたしからの憐れみ。
何かを代償にだすこともなく、辛い体験をすることもない。
ただ頷くだけ。それだけで、貴方は取り戻すことが出来る。昔の幸せな生活を」

少女がゴクリと喉を鳴らした。

「一体何を!?」
「治してあげるというのです。誰が、とは聞かないわよね」

これは悪魔の誘惑だ。
代償も求めずに願いを叶えるなど、それには絶対に裏があるはず。
そう少女は思った。
しかし逆らえずはずがない。自分にはそんなことは出来ないことを、少女はよく知っていた。

それだけを追い求めて、地獄を生きてきたのだから。



場面ががらりと変わり、ここは八雲紫が居なくなった博麗神社。

「……行ってしまった」

主が消え、残された藍は途方に暮れていた。
考えることが多すぎた。分からないことだらけである。

(最後に紫様は、獅子身中の虫と言った。
つまりいるのか? ここ幻想郷にスパイがいるというのですか?)

この地に住んでいる者は、皆この幻想郷でしか生きられない者ばかりである。
ここは幻想に生きる者にとって、最後の砦なのだ。
そんなことは、誰だって知っていることである。
それでも、幻想郷を裏切ろうとする者がいるのが信じられない藍。
しかし、八雲紫が言ったことである。それに間違いはないだろう。
しかし、しかし、と思考が堂々巡りをしている藍を見かねたのか、

「式であるのなら式らしくしなさい」

映姫が諭すように話しかける。

「それほど、あなたの主は信用がなりませんか?」
「いいえ、紫様の言うことに間違いはない。それは分かっていますが……」

煮え切らない藍。映姫としても、そんな彼女の気持ちが分かるのだろう。

「まったく、この様な後始末ばかり人に押しつけて……。
何か分からないことがあるのなら、このわたしに言いなさい。
答えられる範囲でなら答えましょう」

藍にとっては、正に渡りに船であるその提案。

「はぁ……それでは遠慮はしませんが、紫様は本当にルイズを犠牲にするのでしょうか?」
「それは、先ほど八雲紫が言った彼女の判断次第でしょうね。
いくら八雲紫でも、あの者の行動を読みきることは不可能です。
もしも、幻想郷にとって最悪の選択を彼女が選んだとき。
その時は、躊躇なくルイズを犠牲にするでしょう。八雲紫とは、そういう存在です」

それを聞いていた藍には、八雲紫がエースにしてジョーカーと例えた人物の正体がなんとなく分かっていく。
八雲紫に匹敵する存在など、あの月の頭脳以外にいないだろう。

「それでは、間諜が存在するというのは本当なのですか?」
「……彼女は、ある意味ではとても真面目な一面があるといえます。
命を救ってくれた方と、今生きている世界。どちらを取るのかは……」

口ごもりながら、首を横に振った映姫。

「命を救ってくれた方……ですか?」
「そうです……やはり、あなたは知るべきなのかもしれませんね」
「なにをですか?」
「八雲紫も薄々と感づいていることです。
今回の異変の本質は、幻想郷とハルケギニアという世界が争うことではないのです。
その二つの世界ですら、ただの武器のひとつ、一要素にしか過ぎない。
この戦争の主役は八雲紫なのです。彼女と相手との間で繰り広げられる、一対一の戦争」

分からない。藍には、目の前の閻魔が、なにを言っているのかが分からない。

「それは彼女が、自らを八雲紫と名付けた時には、呪いの如く定められていた宿命。
そう、八雲藍よ。八雲の名を名乗っている限り、その運命からは逃れられないことを、あなたは知らなければならないのです」
「……」

なにも言うことが出来ない藍。
まるで、彼女の中に植え付けられている式が、過負荷を起こしているかのようだ。
それは八雲藍にはまだ早い。まだまだ未熟な彼女には知る必要がない。そう言われているようだった。

「それで、八雲紫は最後になんと言いましたか?」
「え! ええっと……」

そうだ、紫様は最後に、ある人物に協力を仰ぐようにと言ったのだ。
それを素直に映姫に説明すると、彼女は残念そうに。それでいて満足そうに頷いた。

「そうですか……やはり、あれは優しすぎる。もう少し非情であるべきでなければならないのに」
「……そうです。それに間違いはありません」

今回の異変に関しては、なにも分かっていない藍ではあるが。
ただそれだけは、誰よりもはっきりと断言できた。

八雲紫は優しいことだけは。



[17147] 東方虚穴界 十一話
Name: 萌葱◆02766864 ID:a7d01866
Date: 2010/06/13 00:51
空を飛ぶ。
こんな単純なことで、人はなぜこれほどの感動を味わえるのか。
王女アンリエッタはそんな疑問を思いながら、眼前に広がる眩い星々が煌めく夜空を堪能していた。
ここはトリステインの空、広大な大地が下に広がる天上の世界。
彼女は、一本の箒に跨ってそこを進んでいる。
その時、箒の先頭からつまんなそうな声が聞こえてきた。

「むむ、全然スピードが上がらないぞルイズ」
「そりゃこんだけ跨ってちゃ、いつもの速さが出ないのは当然でしょ」

不満一杯な魔理沙にそう切り替えしたのは、二番目に座っているルイズである。
彼女の言った通り、現在魔理沙の箒に跨っているのは四人もいた。
魔理沙とルイズ、そしてルイスとアンリエッタである。

なぜこんなにもの人数で魔理沙の箒に跨っているのかというと、それはひとえにレミリア・スカーレットの所為である。
いざアルビオンへ、と学院を飛び出ようとした魔理沙達は、窓越しに暴れている吸血鬼の姿を見付けてしまう。
それを見て彼女たちが考えたのは、アルビオンに行くことをレミリアに知られたら面倒だという結論。
そこで隠れてこの場を離れる必要があるのだが、その場合、馬や馬車を使うわけにもいかない。
となると自分の身だけで飛行するしかないのだが、この手段を取るとルイスとアンリエッタという問題が残る。
ハルケギニアの魔法にも空を飛ぶものはあるにはあるが、魔理沙達が使うそれと比べると持久力が無さ過ぎるのだ。
結局、ルイスとアンリエッタを魔理沙の箒に載せることで話がまとまったのだが、もうひとつ問題が発生する。
アルビオンに向かうには、まずは空を飛ぶフネが出ている港町、ラ・ロシェールに行く必要があるのだが、
そのラ・ロシェールは、学院から馬に乗って行くと二日ほどの距離にあるのが大問題だった。

さすがに四人も乗っていると、自慢のスピードが出ないのだろう。
魔理沙が、うおぉぉぉぉ、だとか、燃え上がれわたしの小宇宙、だとか叫んでいるがすべて無駄に終わっている。

「しょうがないわねぇ……」

先に飛んでいた霊夢と妖夢がその様子を見て、困り顔を浮かべながら魔理沙の所まで戻ってくる。
そして、霊夢がそのまま魔理沙達のすぐ上まで移動すると、

「ほらルイズ。ちょっと持ち上げるわよ」

ルイズの腋を持って、彼女の身体を持ち上げてしまったのだ。
突然、前のルイズが居なくなったので、ルイスとアンリエッタは慌てて魔理沙にしがみついた。

「ちょっとなにするのよ霊夢!!」

ルイズが霊夢に向かってそう怒鳴るが、当の本人はいたって平然としている。

「無駄な時間は掛けたくないのよ」

しれっとそう言うとそのまま何事もなかったかのように、ルイズを抱えたまま前に進み出した霊夢。
しかし、そんな彼女の視界を塞ぐように黒い影が飛び込んできた。
霧雨魔理沙である。

「ふう。ようやく軽くなったぜ!!」

ついこの間には、自分の後ろに座るのはルイズだけだと言っていたにもかかわらず、
後ろにルイス達を乗せたまま、絶好調とばかりにすっ飛んでいった魔理沙。
まあ、その話は異変のとき限定のことであると、霊夢達は分かっていたのでツッコミはしなかった。

「この調子で行けば、日が明けるまでには間に合うかしらね?」

具体的にどれだけの距離があるのか分からない霊夢には、
はっきりとした予想も立てられないのだが、一応は目処がつきそうだと胸を撫で下ろす。

「それじゃ、しっかり掴まってなさいよルイズ」
「……本当に迷惑掛けるわね霊夢」

自分自身の力の無さで情けなくなったルイズが、霊夢の肩にしがみつきながら彼女に謝った。

「それなら、幻想郷に帰ったらどうせ帰還記念とかいって宴会するんだから、その時に美味しい物でも持ってきなさい」

霊夢は微笑みながら、魔理沙と妖夢の後を追っていった。



「それにしても、あんたを抱えて飛んでると思い出すわねぇ」

唐突に霊夢がそんなことを言うと、心当たりがあるのかルイズは苦々しい顔をした。

「何かあったんですか?」

ルイスの問いに答えたのは、霊夢ではなく魔理沙である。

「ああ、永夜事変のときの話だな」
「永夜事変?」
「月が止まった事件の事よ」

その一言だけでは、なにも説明にはなっていないのだが、霊夢はそれで説明し終えたと思っているようである。

「それを解決しようとしていたら、ちょうどこいつらと鉢合わせてねぇ」
「流れで弾幕ごっこになったんだよなぁ」

懐かしそうにしている魔理沙と霊夢。
アンリエッタは、弾幕ごっこについてはよく知らないためなんとも思っていないが、ルイスは違う。
レミリアと妖夢の弾幕ごっこを間近で目撃していたため、それの恐ろしさをよく分かっていた。

「それでどうなったんですか?」
「霊夢の弾幕が激しくてな……かわすのに夢中になってたら吹っ飛んでたんだ」
「……なにが?」
「わたしがよ」

呆れたような顔をしながら、ルイズが自分を指差した。

「吹っ飛んできたルイズを、わたしがキャッチしてね」
「そうしたら魔理沙のやつ、絶好機とばかりにマスパ撃ってきやがって」

それは、ルイスもよく知っている魔法の名前だ。

「……ってアレを人に向けて撃ったんですか!」
「かわされたぞ」
「直撃したら死ぬじゃないですか!」
「霊夢は、直撃くらうようなやつじゃないぜ」

呆れて声も出せないとは、まさにこの事か。

「なかなか、皆さん面白そうですね」

事情を知らないため、そんなことが言えるアンリエッタが羨ましい。
心の底からそう思える、ルイスであった。



ラ・ロシェールは、そびえ立つ渓谷の間にある一都市である。
浮遊大陸アルビオンが定期的に接近するという特徴から、空飛ぶフネの拠点となっていた。
その街にルイズ達が到着したのは、出発してからちょうど一日経って日が暮れた時だった。

「さてと、ようやく到着だな」

箒から降りて背筋を伸ばしながら、魔理沙が感慨深げにそう言った。
やはりふたりを乗せて一日中飛んだら疲れたのだろう。
その顔には疲労が滲み出ていた。
ルイスとアンリエッタが、労いの声を掛けようとした次の瞬間である。

「よし! さっそく飲みに繰り出すぞぉ!!」

ずっこけた。

「なに言ってるんですか魔理沙さん」
「せっかく初めて来た町なんだぜ? 記念に宴会しないと勿体ないぜルイス」

魔理沙がルイスの手を取って、強引に彼を引っ張っていき町に入っていく。
やれやれと呆れながらも、なにも言わずに魔理沙についていくルイズ達。
そんな彼女たちを、アンリエッタが呆然と眺めていた。

「どっちにしろまずは、泊まる宿を見付けなくちゃいけませんよ」

引っ張られながらもルイスが、そう魔理沙に忠告する。
どうせアルビオンに行こうにも、こんな夜にフネは出ていないのだ。

「そりゃそうだな」

そう言った魔理沙は、辺りをキョロキョロと見渡した。

「ええっと……一番上等な宿を探さなくちゃいけませんね」

ルイスが、そう言うのには理由がある。
なぜなら自分たちの一行には、アンリエッタ姫が同行しているのだ。
できるだけ……いや、絶対に最高級の宿を探さなくてはならない。
そうルイスは、決心していた……のだが。

「よし、あっちだみんな!」

魔理沙が指差した先。
それは見るからに、薄暗く小汚い道が延びていて。

「あっちからいい匂いがしてきたぜ!!」
「ちょっとそっちはっ!」

必死に抵抗するルイスであったが、そんな抵抗はまさに暖簾に腕押し。
黒い盗人からグリモワールを守ろうとする大図書館の主の如く……無駄な努力であった。

「あのう……大丈夫なのでしょうか?」

不安げな眼差しで、霊夢達を見詰めたアンリエッタ。

「大丈夫じゃないの? 何とかなるわよ……きっと」
「はあ……しかし、このわたしの正体がばれているのでしょうか?
どうも先ほどから、視線を集めているような……」

辺りを見渡したアンリエッタは、そんなことを不意に漏らしていた。

「それは貴方の所為じゃないわ……こいつの所為よ」

ルイズが指を差したのは、恥ずかしそうに俯いて歩いていた妖夢の姿。

「ウウ……しょうがないじゃないですか……」

それは、彼女の半身である霊体が原因なのだった。
幻想郷ではいざ知らず、ハルケギニアでは霊なんてモノの存在は知られていない。
ただでさえ、全員が美しい少女達の集団ということで目を引くのに、
そんな不気味で正体不明の物体が浮いていたら、皆の視線が集まるのは仕方がないだろう。
そんな風に注目を集めるのは妖夢にとって本意ではなく、彼女は申し訳なさそうにしていた。

「こうなったら、わたしだけ町の外で待っていた方がいい……」
「馬鹿ね。そんなこと気にしても仕方がないじゃないの」

妖夢の提案は、霊夢の一言で簡単に切り捨てられることになる。
そんな時、先を歩いていた魔理沙が大声をあげて彼女たちを呼んだ。

「おーい、なんかよさげな宿屋を見付けたぞぉ!」
「はいはい、すぐに行くわよ魔理沙」

さて、魔理沙が見付けた宿屋とはいかなるところなのか?
期待半分、恐れ半分の気持ちで、アンリエッタ達は歩いていくのだった。



『子豚の丸焼き』亭。
そこは、どこをどう見ても貴族が泊まるような宿ではない。
煤けた外壁。傾いた看板。外まではっきり聞こえる怒号。
王族としては度胸があるとも言えるアンリエッタでも、この中にはいるのは些か度胸が必要な店だった。

「ほ、本当にここに泊まるのですか」

アンリエッタの顔色はすでに真っ青。
そんな彼女を元気づけるかのように、魔理沙がその細い肩を叩いた。

「大丈夫だって」

そのまま、平気そうな顔で魔理沙が中に入っていき、
それに続いて、ルイズ、霊夢、妖夢と扉を潜っていった。

「ひ、姫様。わ、わ、わ、わたくしが御守りいたしますのでっ!」

切羽詰まった顔で残されたふたりの内のひとり、ルイスがアンリエッタと向かい合って胸を張った。
その健気なルイスの態度に勇気づけられたのか、アンリエッタは力強く頷くと、その魔窟の中に入ることを決意する。

『子豚の丸焼き』亭は、やはりアンリエッタの思っていたような、悪徳の中心地であるかのごとき様相を呈していた。
薄汚れて脂ぎっているテーブルやイス。そこに座っているのは人相の悪い平民達である。
おそらく傭兵なのだろう彼らは、入ってきた少女達を一斉に睨み付けた。
その迫力に萎縮してしまう、アンリエッタとルイス。
しかし魔理沙達、幻想郷組はその圧力にまったくなにも感じてないようだ。
この建物の一階は宿泊の受付兼酒場となっており、魔理沙達はカウンターまで歩いていく。

カウンターでは、ひとりの50代半ばぐらいの男が立っていた。
白髪の交じった髪を短く刈り込み、その顔にはあるべき右目が無く代わりにあるのは大きな十字傷。
そんな男が、煙草を吹かしつつ近づいてくる少女達を一瞥する。
その濁った瞳に宿るのは、興味か軽蔑か。
ルイスには読み取ることが出来ない。

「親父。六人だが部屋は空いているか?」
「ふん。金は……持ってるようだな」

ルイスとアンリエッタの様子を見た男が、そう呟いた。
ルイスは学院の制服を着ていて、すぐに貴族であることが分かるだろう。
アンリエッタも、目立たないように地味な服を着ているのだが、それでも彼女の高貴なオーラを消すことは出来なかったようだ。

「大部屋一つしかないぞ」

そう言って、男はメモに何かを書いて魔理沙に見せた。
魔理沙は、それをルイスに確認してもらう。

「大丈夫です。持っているお金で充分足りますよ魔理沙さん」

実はこの旅での資金は、学院の援助金とルイスの個人的な小遣いである。
さすがにルイスの小遣いだけでは持たないと考えたのか、学院からも幾ばくかの援助が出たのだ。
それらの額と比べると、十分すぎるぐらいお得な宿泊費である。

「よし親父。その部屋を取っておいてくれ」

言葉に出さずに男は、すっと右の掌を指しだした。
宿泊費は前払いらしい。

「ええっと……これでいいですよね?」
「……ああ」

ルイスが懐に入れていた財布の中から、主人が言った金額と同じだけの金貨を渡した。
素早く男は、その金貨をカウンターの裏にしまう。

「ほら、あそこの階段を上って4号って書かれた部屋だ。とっとと入って寝ろ」

ぶっきらぼうにそう言い放った主人。
そんな彼の態度に、アンリエッタなどは見て分かるほどビクついていたのだが、魔理沙は別にどうとも思っていないようで。

「おいおい、こんなすぐに寝られるほど良い子じゃないぜ、わたし達は。
六人分の美味い酒と、何かつまみになる物を用意してくれ」

主人の顔が歪んだ。

「ったく……餓鬼共がナマいいやがって」

悪態をつきながらも、男は後ろの棚からテキパキとグラスを取りだしていく。

「おいお前ら。そこのカウンターに座っとけ」

背中を向けたままそう言った男に従い、魔理沙達は空いているカウンター席に座った。
油焼けしてギットリと滑っているオーク材を触って、嫌そうな顔をしたアンリエッタ。

「あのう魔理沙さん。明日からも忙しいのですから、今夜はもう寝ませんか?」

蚊が鳴いたかのような声で、そうアンリエッタが囁くが、しかしそれを聞くのはルイスだけだった。

「あんたの面倒な我儘に付き合わされるんだから、酒の一滴でも飲ませなさいよ」
「酒は万病に効く霊薬。人生を生き抜く活力剤だぜ」

赤白、黒白コンビがそう言うと、

「諦めたほうがいい」
「どうしようもないわよ」

半人半霊の庭師と、人形遣いがそうアンリエッタを諭した。

「ほらよ」

主人が掛け声とともに、六人のグラスをビュンと滑らせると、ちょうどそれぞれの手元でピタリと止まる。
無駄に熟練の業である。

「それじゃあ、ラ・ロシェール到着を祝してだな」

グラスを掲げた魔理沙。
そして、みんながそれぞれグラスを持っていることを確認すると、

「乾杯だぁーー!!」

グラスをぶつけ合った。

この後アンリエッタは知ることになる。
幻想郷での宴会が、貴族達のパーティーなどとは次元が違うそれを。


――1時間後。

「そらそら飲め飲め。どんどん飲んじゃいな」
「ハハハ、気前の良い嬢ちゃんだな」

なぜこうなったのかは分からない。
最初、カウンターに座っていたアンリエッタ達ではあるが、
いつの間にか円卓上に設置し直したテーブルを囲んで、元々いた男性客と飲むことになっていたのだった。

「あんたらはみんな傭兵なのか?」
「おうそうさ。嬢ちゃんこそいったい何者だい?
連れにゃ貴族様がいるみたいだが、あんたには気取った臭いは全然しやがらねぇ。
そもそも、なんでこの宿屋にきたんだい。貴族なら『女神の杵』亭には行かなかったのかよ」

なぜか仲良さそうに、小汚いおっさんと飲み交わしている魔理沙。

「どうせなら、美味いもん食いたいじゃないか。
ちょうど、こっちから美味そうな匂いが漂ってきてな」
「いやー、嬢ちゃん見所があるねぇ。
この『子豚の丸焼き』亭は、傭兵の中でも知る人ぞ知る名店だよ。
この親父これでも昔は……」
「余計なことは言うな。このボケカスが!!」

その親父に怒鳴られたおっさんは、肩をすくめて戯けてみせる。

「……はぁ」

それを見ていたアンリエッタは、深い溜息を吐いた。


――2時間後。

「……なるほどねぇ。アルビオンまでねぇ~~」
「そうなんだよ。ゴクヒニンムとやらでよぉ。
ウェ、ウェ……ウェなんとか王子の所まで行かなくちゃいけないわけだぜ」
「ちょっと待って魔理沙さん~~!!」

何か良からぬ事を口走っている魔理沙と、それを止めようとするルイス。

「…………はぁ」

アンリエッタは、それはそれは深い溜息を吐いていた。


――3時間後

「お前らみんな良いやつだぁ~~~~!!」
「嬢ちゃん達も、みんな良い子だぞぉ~~~~!!」

もうこうなったら、みんなはすでに有頂天。
何がなんだか分からなくなっていた。

「おうおう坊主。お前は果報者だなぁ。
こんな美人達と旅が出来るんだからな。
ああ俺がもう少し若かったら、全力で口説くんだけどな」

そんな風にルイスに管巻いている、額に横一文字の傷が走っている男。

「ばーか。テメエじゃ釣り合いが取れねえよ、身の程知らずが」

それを横からつっこんだのは、すでにベテランの域に入った感のある傭兵だ。

「んん……それにしても嬢ちゃん!」
「は、はい。なんでしょうか」

その男が、突然アンリエッタに食いついた。

「嬢ちゃんって、この国の王女様に似ているなぁ?」
「え!」

さすがに正体をばらすわけにもいかないアンリエッタ。
そんな狼狽えている彼女を助けたのは、ルイズだった。

「この子って良くそんなこと言われるのよ。そうよねアン」
「やっぱりそうか。それにしてもアンねぇ。名前までそっくりだ」

ちらりとアンリエッタを見て舌を出したルイズに、彼女はそれと分かるようにさりげない仕草で頭を下げる。


――4時間後。

「漲ってきたぁ~~~~!!
ようしお前ら、今夜はみんなわたしのおごりだ。
飲んで飲んで、食って食って、どんちゃんどんちゃん騒ぎまくろうぜぇ~~!!」
「うぉ~~~~~~!!」
「ひゅ~ひゅ~! よっ! 太っ腹だぜ大将!!」
「いよっ! 俺たちのアイドル魔理沙ちゃん!!」

空気はすでに、有頂天を通り越して前神未踏(誤字に非ず)の領域に入り――

「アンリエッタ様ぁ~~! 俺、俺……王女様の大ファンなんだよ。俺、俺……」
「いやん。わたしアンリエッタじゃなくて、アンちゃんよ。間違えないでよぉ」

すでに王女様も理性を失い――

「ルイス。あんたはもうちょっとはじけないと駄目よ、まったく。
若いんだから、少しは無茶の一つもしなさい……って聞いてるのあんた!!」
「すぴー、すぴー」

すでに夢の世界に旅立ったルイスを、揺すり続ける実の姉がいて――

「なんかいつもの光景よね」
「まあ、これが良いんじゃないですか霊夢」
「ふん、あんたも言うようになったじゃない」

目の前の乱痴気騒ぎをつまみに、大人しく飲んでいた霊夢と妖夢であった。



そうして、その日の夜は更けていったのだった。



魔理沙達が起きたのは、すでに太陽は昇りきり朝から昼に移り変わる時である。
皆が皆、頭が痛むのか、額を抑えて顔を歪めながら立ち上がる。
すでに男達の姿はなく、宿屋の一階の酒場にいるのは魔理沙達一行と宿屋の主人だけだった。

「ふう、ようやく起きたのかテメエら」

彼女たちの起きる姿を、じろりと見た主人の一言。

「おう、おはよう。いやーあんたの料理美味かったぜ」
「そんな世辞はいらん。その代わりにとっとと代金よこしな」


よろよろとしながら、ルイスが主人の前まで歩いていく。

「一つ言うけどよ。昨日お前らは、あの場にいた全員分を払うって言ってたよな」

そう言って差し出したメモを見たルイスの顔が、みるみるうちに真っ青になっていく。

「どうしたのよルイス?」
「……い、いやルイズさん……足りないんですよ」

ルイズの耳元に口を近づけて、ルイスはそれを囁く。
どこをどう見ても、手持ちの金貨では残念ながら足が出ていたのだ。

「ほら早く払えよ」

あははは、そう引きつけるように笑いながら、みんなとアイコンタクトを取ったルイス。
そうすると、魔理沙がうんうんとルイスに向かって頷いた。

「良し、今日の分はツケといてくれ」

そう言って、すたこらさっさとここから出ようとした魔理沙であるが、そんな彼女に疾風がまとわりついて――

「うわぁ!!」

――転ばされてしまう。

「てめえら……金持ってないんだな」

心の底に響き渡る低いバリトンの声を、小さな杖を持って仁王立ちしている男が発していた。

「ツケなんて利くわけがないだろうが!」

悪鬼のような憤怒の表情を浮かべる男を見て、アンリエッタはふらりと気絶してしまうのだった。



「大変申し訳ございません」

主のいない王座の間。
そんな虚しいだけの空間で、ひとりの貴族が頭を下げていた。
あの夜にレミリアにやられていた男である。

「……まったくなんということだ。
その吸血鬼はいったい何者なのだ、ワルド子爵よ」

心底疲れた様子で、そう男に問い質すのはマザリーニである。

「もしやその者、レコン・キスタか?」
「いえ……そのようなことは一言も」

そうは言うものの、マザリーニは安易な方向へ思考を定めるような愚策は取らない。

アンリエッタ王女が失踪した。
彼女と仲の良いヴァリエールの長子もいなくなり、
彼の召喚した使い魔である、異国出身の人間もいなくなっているという。
何かがあったのだ……何かが。
残念ながらマザリーニには、正解まで導くだけの情報がひとつだけ足りなかった。
アンリエッタがウェールズに送った手紙の存在という情報がないのである。
ここで彼が出した解答。それは、この事件の裏で動いている何者かの影。
マザリーニはそんな、今回に限っては存在しない黒幕の姿を見ていたのだ。

「ワルド子爵。こうなってはお主の罰に関しては後回しだ。
全魔法衛士隊に連絡を回し、草の根を燃やし尽くしても殿下の行方を捜し出せ」
「御意」

無表情のまま、ワルドはすたすたとこの場を離れていく。
マザリーニはその姿を見ながらも、心の奥ではあの愛らしい姫の無事を始祖に祈り続けていた。

これが後にトリステインの歴史書に燦然と輝くことになる、『アンリエッタ事変』の幕開けであった。



[17147] 東方虚穴界 十二話
Name: 萌葱◆2c26bcca ID:a7d01866
Date: 2010/06/21 01:06
少しばかり古風な台所で、少女がひとり朝餉の準備をしている。
スラリとしたおみ足。たわわに実った胸。絹のように艶やかな長髪。
そして、なぜか腋が露出している巫女装束。
大変な美人さんである彼女の名は、東風谷早苗という。
妖怪の山にある、守矢神社の風祝である。
包丁を持ち、河童から差し入れしてもらった鱒を器用に捌いていく彼女の顔は、なぜか冴えない。

「……異世界かぁ」

羨ましそうに、それでいて恨めしそうにそう呟いた早苗。
羨ましいのは、霊夢を始めとする異世界に行った連中であり、
恨めしいのは、自分が行くことに反対した八坂神奈子と洩矢諏訪子である。

「せっかく異世界なんて、とっても興味深いところにいけたのに。
あああ、一体そっちにはどんな妖怪がいるんだろう? 退治したい、退治したい……」

早苗はブツブツと暗い瞳で、とっても危険なことを呟く。
綺麗に捌けていたはずの鱒は、影も形もないグチャグチャでミンチ状の肉片になっていて。

東風谷早苗――ただいま、幻想郷の毒気にあてられて大変なことになっております。



八坂神奈子の目の前にある卓袱台の上では、白いご飯と奇妙なおかずが燦然と輝いていた。

「ええっと……早苗これはなんだい?」

恐る恐る、その物質を指差した神奈子。
赤茶色のペーストのような物、としか言い表すことが出来ない代物であった。
巫女の少女は、顔色が悪くなっている自分の神を見ても、なにひとつ動じずに不思議そうな顔をしていた。
ずいぶん図太くなったね。早苗の態度に、そんなことを素直に思った神奈子。

「そう言えば、諏訪子様はどこに行ったんですか? もう朝食の時間だっていうのに……」

「朝から鴉天狗の誰だったかが、怒鳴り込んできたんだよ。
多分、最近発情期のせいでゲロゲロ煩い蛙への文句だろうね」

早苗は、不思議そうな表情を浮かべた。

「なんで蛙の鳴声なんかで文句を言ってくるんですか?」

「そうだねぇ……早苗もそこら辺のことを勉強するべきか。早苗は蛙って聞いて何を想像する?」

うーん、と天井を仰いだ早苗。

「蛙ですか……難しいですね」

「ふう早苗。これぐらいスパッと答えてくれないと困るよ。
蛙は陰陽でいえば、陰の気が強い生き物さ。そして人間の身近にいる生き物にもかかわらず、その印象は非情に悪い」

「悪いんですか?」

「ああ悪い。ダメダメだね。憑物に関しては知っているだろう。
狐、犬、蛇、狢、猫……いろいろ、人に憑くといわれている生物がいる。
蛙もまた憑くといわれているが、それらと蛙の違いとは……蛙には負の面しかないこと。
他の動物に憑かれると正負両面の効能が現れる可能性があるけど、蛙に憑かれると負の作用しか及ぼさない。
少なくともそう伝えられている蛙を、人々がどう見ていたかなんて分かり切っているだろう早苗。
だからこそ、わたしは諏訪子に蛙のイメージを重ね合わせたんだよね」

自嘲気味にそう笑った神奈子。

「ええ!? そうな理由なんですか」

「さて、ここからが重要だよ早苗。
話は変わるが、神と妖怪の違いはなんだと思う。
力? 妖怪の中には、そんじゃそこらの神でも勝てないような奴がいるよね。
なら信仰? ただの妖怪が信仰を受けたからって、神といえるかい早苗」

「それは違うと思います」

「そうさ、違う。その両者を分けるもの。それは『理』(ことわり)に対する接し方さ。
妖怪は理に従う者であり、それに対して神は理を創る者だ。
思いだしてみな早苗。妖怪共って、どいつもこいつもみんな、どこか義理堅いというか一本気なところがあるだろう?
特に鬼なんか、約束を破るということに強い拒否感を持っている。
それはみんな知っているからだよ。理を破れば、己の存在意義が崩れてしまうということをね。
対して神は、その理を創り出す者だ。絶対的な上位者なんだよ。
どんなに力が弱い神でも、それがルールを創りだし支配する場が必ずある。
……まぁべつに、それがすべてに適応されるわけじゃじゃないんだけどね。
鬼神なんていう、鬼と神どちらの性質も有している輩もいるんだからさ。
おっと、話を戻そう。蛙のことだ。こいつは厄介なことに、その理を無視する性質を持っている」

「……あの蛙がですか」

あの可愛い生き物が、そんな大袈裟な存在だとはとうてい思えない早苗は、信じられないといった面持ちである。

「例えば三竦み。蛙は決して蛇には勝てない。
それは絶対の法則であり、決して破れないといわれている。だけど、それが破られた実例があるんだ。
いまから数百年前、『続蓬窓夜話』という随筆に蛙が蛇に完勝した話がある。
さらにいえば、『耳嚢』にも鼬を殺す蛙の話が出てくることからも、如何に蛙が大物食いをする生物なのかが分かるだろう。
だからこそ諏訪子も、蛙と重ね合わされることに抵抗しなかった。
そんな理を無視する蛙のことを、理に従う妖怪達は苦手としているんだ。
その鳴声を聞いたら気付かされるのさ。なんで自分たちは、蛙ごときが破ることが出来る理を打ち破れないんだってね」

「はぁ、そうだったんですか」

早苗としては、そう相づちを打つしかない話である。
そもそも、なんでこんなに熱くなってまで神奈子様は蛙の話を自分に説明してくれたのか?
いつもなら自分で調べなと、自分の成長を望む態度を取るはずなのに。
そんな風に早苗が考えていることが、神奈子に伝わったのだろう。
彼女が口を開いた。

「こんな話をしたのはね、あんたがあの世界に行きたがっているからだよ」

「……なんでその話が関係するんですか?」

一気に不満そうな顔つきになった早苗。

「いいかい。神は理を創り出す者。そう説明したよね早苗。
いま早苗は、わたし達の創った理の中にいる。
だけど、向こうに行ったら下手すると取り込まれる恐れがあったのさ」

「取り込まれる?」

「そうさ。向こうの世界を生み出した神の理にね」

それを聞いた早苗の頬が、りんごのように真っ赤に染まった。

「そんな! 神奈子様はわたしのことを信用してくれないんですか!?」

「それだけ、あの御方は恐ろしい……ってことさ早苗」

あの御方?
そう言葉にした神奈子を、早苗は驚きながら見詰めていた。
誰かをそんな風に表現する神奈子を初めて見たのだ。
いったい誰なんだろう?
早苗の頭の中は、その疑問で一杯になっていた。
そんな難しい顔をしている早苗の頭に、ふわりと柔らかい手が乗る
彼女の頭を優しく撫でるのは、うっすらと微笑んでいる神奈子。

「今回の異変はね早苗。わたし達にはなんにも関係が無いのさ。
結局のところ、これは『巫女を囲う者』同士の戦争なんだよ」

「巫女を……」

一瞬、自分のことかと思った早苗の考えは、即座に否定されてしまう。

「こちら側の巫女は、東風谷早苗ではなく博麗霊夢のこと」

そう言った神奈子は、玄関を睨み付けると――

「それを否定はしないだろう『八雲』の?」

――部外者に凄絶なまでの笑みをぶつけていた。
驚いて早苗が振り向くと、そこには諏訪子とふたりの少女が立っているに気が付いた。
その内のひとりが滑るように前に出てきて、優雅に一礼。

「今日、ここに来た理由は分かっているのでしょう? 乾を司る神よ」

「ふん」

ふてくされたように、そっぽを向いた神奈子。

「今回ここに来た理由は、ただ一つ。
八坂神奈子……貴方の『御養父上』に関してのことです」

「ええっ~~!!」

それを聞いた早苗が大声をあげ、神奈子の顔を見詰めると、

「はぁ、まったく……」

顔を赤くして、恥ずかしそうにしている神がいて。
あ、これはレアな表情かも、などと関係のないことを思った早苗だった。



払うべきお金がない。
それは、とても悲しく切実な問題だった。
この場合、解決するためにはいくつかの答えが導かれる。
彼女たちが選択したのは、ある意味で一番ポピュラーな答え。

金銭の代わり、つまりは労働力の提供だった。


「あれ? 確か魔理沙ちゃんじゃないか。一体どうしたんだ?」

『子豚の丸焼き』亭の扉を潜った男は、有り得ない光景を見て驚いていた。
いつもなら辛気くさい主人の顔しかない店の中に、なぜか綺麗な花が二輪咲いていたからだ。

「ああ、ちょっといろいろと昨日のあれで足が出て、こうしてバイト中ってわけだぜ」

いつもの真っ黒な服に白いエプロンを身に着けて、鼻を掻いたのは霧雨魔理沙。
その一方で、静かにテーブルを拭いていた博麗霊夢はいつもと同じで、どこか気の抜けた顔である。

「そういえば他の子はどこにいるんだ?」

「えーと、ルイズとルイスとアンは厨房だ。
そんで妖夢は、外回りの諸々を見て回っているんだったな、たしか」

男に説明した霧雨魔理沙は、どこかそれを感心しているようだった。
確かに、その配分は最善といえる。
魔理沙と霊夢は方向性こそ違うが、海千山千の傭兵達とも渡り合えるだけの度胸を持っている。
ところがふたりと比べると、ルイズはああ見えて意外と度胸がない。
アンリエッタとルイスは、貴族ということで給仕が出来るわけもなく、
白玉楼で庭師をしている妖夢は、外回りの修繕などといったことも、剣術と同じぐらい得意だった。
なにしろあそこの屋敷には、妖夢と幽々子以外だと幽霊しかいないのだから誰がやるのかといったら、彼女しかいないのだ。

「大変だなぁ嬢ちゃんも。
でも、同情はするけど金は貸さないぜ」

「あったりまえだ。女に二言はない」

その気持ちの良い返事を聞いて、男の顔がほころんだ。

「そんじゃ、適当に飯を頼むよ」

オーダーを厨房にいる主人に届けるべく、バタバタと駆けていった魔理沙。
その後ろ姿を見ていた男は、不意にあんまり好ましくない虫を思い浮かべる。
年頃の娘に対して、まったく失礼な男であった。



「まったく、こんな状態になるまで放っておくなんて」

妖夢は目の前にある、『子豚の丸焼き』亭と書かれた看板を見て溜息を吐いていた。
入り口のちょうど真上に設置されているそれは、まったく手入れがされていないのかすでにグラグラの半壊状態。
宙に浮いた妖夢は、それをどう直そうか考えていた。

「どうしたものか……」

それには、大きな問題が一つ。
固定している釘を新しくして打ち直すべきなのだが、如何せんその新しい釘がないのだ。

「まったくあの男は、ちゃんとこういうところに目を配らないと問題でしょうに」

聞けばこの定食屋兼酒場兼宿屋を、夫婦のふたりで切り盛りしているという。
昨日集まっていた客の数を考えると、それではその日の対応だけで精一杯なのは妖夢にも分かった。

「しかし、新しい釘も用意していないとは。なんともし難いですね」

どうしようかと唸っている妖夢。
その時、下に何かの気配を感じた彼女は、視線をその方向に向ける。
すると、そこにいたのはひとりの男だった。
20代後半ぐらいの、どこか気品が見え隠れしている男である

「なにしているんだい? えーと、確か妖夢だったよね」

その男が、昨日の宴会にいた人物だと思いだした妖夢は、彼の目の前まで降りていった。

「ちょっと事情がありまして……」

そのまま、こんな事態になった理由を説明する妖夢。
それを聞いた男は同情したのか、気まずそうな顔つきになった。

「それはそれは、俺らの所為で悪いことをしたなぁ」

頭を掻いた男。
その時、何かを思いついたようで指を一本天に向けて、それを提案する。

「そうだ。俺の魔法で釘を作ってあげるよ」

そういって男は、懐から小さな杖を振り上げながら詠唱を始める。
すると、妖夢の目の前に突如、新品の釘が数本現れた。
錬金の魔法である。
それを手に持って、しげしげと眺める妖夢。

「本物の釘ですね。でもいまいち出来の方が……」

「厳しいこと言わないでよ。錬金で作れる物って結局、模造品なんだから」

「うっ……すみません、ありがたく使わせてもらいますね。
それにしても、魔法使いだったんですね。てっきり傭兵というからにはみんな戦士業かと」

「ああ、俺は実家から勘当されて、こっちの道に流れ着いた変わり者だからな。
この店に来る奴の大半は君の言った通りの平民出だから、その読みそのものは当たっているよ」

自嘲気味に笑いながら、自分のことを説明した男。
そんな彼の目が不思議そうに何かを見ていることに、妖夢は気付く。

「それって……なに?」

指を差したのは、妖夢の後ろに浮いている半霊である。

「ああ、これはまぁ……気にしないで下さい」

半霊については、説明のしようがないことのため、そう誤魔化すような口調の妖夢。

「それよりも、ご飯を食べに来たんでしょう?」

「あ、ああ、そうだったそうだった」

妖夢に急かされた男は、首を捻りながらも建物に入っていった。

「やれやれ」

自分自身の半身と顔を合わせて、溜息を吐く妖夢である。

「それではやりますか。ちょっとばかり大変かもしれませんが」

看板を直すのだけが自分の仕事ではない。
この建物の周りに植えられている木々は、どれも適当に管理もされずに放置されていて大変見苦しい状態である。

「腕が鳴りますね」

二振りの愛刀を握りつつ、不敵な笑みを浮かべる妖夢。
その姿は、まさしく白玉楼の庭師に相応しいものだった。



まさにそこは戦場である。

「あわわわ、ちょっとどいてどいて!」

狭苦しい通路を、何枚もの皿を持って運ぶルイズ。
途中に鈍くさそうにぼうっと立っている姫様を、無理矢理身体で退かしたり、
わたわたしている自分と同じ顔の少年を、退けとばかりに睨み付けたり、
いろいろと厨房で、縦横無尽に活躍していた。
ところが、残りのふたりは物の見事になんにも役に立っていない。
それはもう、悲しいぐらいに役に立っていなかった。
まさに居ない方がまし、状態である。
大きな鍋の中で煮立っている、美味しそうなシチューを掻き回していた女将は、それを見ていて困った顔。

「どうしようかね?」

そう呟く女の顔は、旦那とは釣り合いができないほど整っていた。
若く見ても三十代にしか見えない美貌。
しかし、話を聞くところでは旦那と同じ五十代だというから驚きだ。
慌てて仕事をしながらも、ルイズはそんなことを考えていた。

「よし、アン。お前は一度使った皿を全部洗っときな。
ルイスは、水が切れそうになったら井戸まで走っていくこと。良いね?
ふたりともそれ以外はしないでよ。邪魔になるだけだから。
ルイズ。あんたはなかなかやるようだから、こっちでわたしの手伝いよ」

威勢良く頷く三人。
それを見た女は、大きく両手を掲げて打ち鳴らした。

「さあさあ、もうすぐ夕飯の時間だ。
あんだけ、ただ飯とただ酒を食らったんだから、あんたらちゃんとその身体で返しなさいよ」

確かに表の方が騒がしくなっていくのを、三人は感じ始めていて。

「オーダー入ったぜ」

魔理沙が持ってきたメモをひったくった女が、それをルイズに渡すと。

「はぁ~~~~!? なにこの量は!!」

これからここは本当の地獄になるんだと、分かってしまったルイズだった。



結局ルイズは、女将についていくことはできなかった。
野菜を切らせても、肉を焼かせても、最終的には本人が横から分捕ってやってしまう。
終いには杖を取りだして、魔法でスパスパと野菜をみじん切りにしてしまう始末である。
いつもこれだけの注文をひとりで乗り切っている彼女には、中途半端にできる人物がいても邪魔しかならないのだ。
いまのルイズの仕事は、アンリエッタとともに皿洗いだった。

「それにしても減りませんね」

疲れた声で呟くアンリエッタ。
確かにどれだけ洗っても、どんどん積まれている皿は増えていく。

「あー、そうね」

もっとも、根本的な原因はそこではないと、ルイズは気付いていた。
問題はアンリエッタだ。

(……とっても遅いのよね)

さすがに王女様は、皿洗いの経験が皆無であり、
もちろん、その処理速度は悲しいぐらい鈍かった。
しかもルイズが見ていて、彼女の手つきはとても危なっかしい。
横に立っていて、ハラハラドキドキしてしまうほど酷いのである。
その結果、ルイズ自身のスピードも落ちてしまう悪循環。
さらに最悪なのが、こんな事を体験したのが初めてな彼女は、
自分が足を引っ張っていることに気が付いていないことだ。

「なかなか大変なようですね。平民の皆様も」

さらにそんなことを呟くのだから、ルイズの怒りのメーターも昇り竜の如く上昇していく。
そんな時、覚悟を決めたかのようにアンリエッタの表情が強ばった。

「そういえばルイスには、神隠しにあった姉がいたことは知っていましたかルイズ?」

アンリエッタの顔は、正面の水が張った大きなたらいに向いたまま。

「なにが言いたいのよ」

先ほどまでと比べると、ルイズの顔には緊張の色が見える。

「いえ別に……ただ、その姉の名前がルイズっていうんですよ」

いまだに王女の視線は不動であり、その態度がさらにルイズを苛立たせる事になる。

「あの日、ルイスに会った時にあの子にいろいろと相談されたんですよ。いろいろとね」

そこで初めて、アンリエッタはルイズの目を見詰めた。
真っ直ぐな瞳だ。まやかしを許さない瞳だ。

「わたしは……あいつとは関係ないわよ」

「……今さらな嘘を」

その吐き捨てられた言葉を聞いて、ルイズの顔が痛そうに歪んだ。

「あの子が、どれだけ苦しんだと思っているのですか。
貴方の御両親が、捜索にどれだけの力を注いだと思っているのですか」

するりするりとルイズの心に入り込んでいく、アンリエッタの言霊。

「わたしはただ、あなた達が認め合えればそれで良いのに……」

「ふん、赤の他人のあんたに関係ないでしょ!」

そう言って、持っていた木皿をばしゃんと水に叩き付ける。
すると跳ねた水飛沫が、アンリエッタの頬にぶつかってしまう。
瞬間、王女の顔が真っ赤に沸騰。

「わたしは、ルイスの姉のようなものです!」

そう叫ぶと同時に、両手で水を投げつけたアンリエッタ。
べちょりとその水を被ってしまうルイズ。
彼女の小さな身体が小刻みに震え出す。

「あ、あ、あ、あんたの我儘でこっちには大変だってのに!!」

「わ、わ、我儘ですって。国家の一大事だというのに、なんて言い草!!」

ふたりとも発したのは、腹の底から絞り出したような怒りが込められた声。
こうなってしまったら、行き着く先は一つしかない。
それを防ぐためには女将の一喝が必要なのだが、いまは厨房にとって一番の修羅場。
彼女にそんな余裕が一寸もないことは、まことに惜しむべき事なのだった。

ふたりの拳が振り上げられて、それがクロスする。
そして響いたのは、鈍い打撃音と呻き声。
しかし、それだけでは収まりがつかないことは、赤子でも分かることである。



「おい嬢ちゃん! 早く酒持ってきてくれ」

「こっちの皿全部空いたぞ。とっとと下げてくれよ」

男達の叫びが鳴り響く中を、魔法使いと巫女が飛ぶ回っていた。
それぞれ両手には、空いた皿だとかジョッキだとか、必ず何かを持っている。

「おいおい、これをあの親父はひとりでやりくりしていたってのか?」

ひいひい言いながら、仕事の手だけは休めないのは魔理沙。
残念なことに、彼女は勘違いしていた。
この盛況ぶりは、詰まるところ魔理沙達自身の所為であった。
男臭い主人しかいないこの店は、いわゆる通しかこないという、あっさりといえば人気のない店だった。
原因はもちろん、愛想の悪い主人である。
ところがこんな店に突如、美人の看板娘が現れたんだから大変だ。
ここが出す酒や料理は、文句のないことをよく知っていた傭兵達が、挙って顔を出しているのである。

「それにしても、霊夢の奴一体どうしたんだ?
こんな事、いつもならめんどくさいって切り捨てるのに」

働いている友達を見ながら、魔理沙は不思議そうに首を傾げた。
見られていた霊夢は、持っている皿を厨房まで運ぼうと走っている。
その時、何か嫌な感じがしたのか、霊夢は厨房の入り口の横で少し待ってみることにした。

彼女の勘の良さはご存じの通りで、その予感は見事に的中する。

「……ッ、ふざけんじゃないわよ!」

「……あ、あなたのほうこそ!」

突然、厨房から何かが飛び出してきた。
霊夢が止める間もなく、それは傭兵達が食べているホールの中央まで飛んでいってしまう。

なんだなんだと騒ぎ立てる男達を尻目に、素早く霊夢の元まで飛んでいった魔理沙が面白そうに口を開いた。

「なあ、あれってやっぱり」

「ルイズと王女様よ。まったく、なにやってんだか」

確かにそれは、こんがらがりながらなにやら揉めているふたりである。

「この、世間知らずの馬鹿女!!」

「品のない野蛮な貴方には言われたくないわ!!」

互いに罵り合いながら、両拳で叩き合っているふたり。
周りの傭兵は、なんだなんだ喧嘩かと、迷惑半分、興味半分といったところ。
その様子を見ていた魔理沙の目がぎらりと光った。
そして、止めようとしている主人を片手で制すると、そのままテーブルの上に立って大声で彼らに呼びかける。

「さあさあ、皆々様お立ち会い。ここいらでひとつ、ちょっとした余興でもどうだろう。
世の中には、闘犬、闘鶏、闘牛と色々あるが、今日行なわれるのは闘美少女だ。
ルイズ嬢とアン嬢。どっちが勝つか、ひとつ賭けをしようじゃないか」

被っていた黒い帽子を、みんなの前に差し出した魔理沙。
彼女の意図を理解した傭兵達が、面白そうにそれぞれ名前を叫ぶのと同時に、持っていた銅貨を帽子目掛けて投げ入れる。

「はいはい、ちょっとメモするから待ってね」

魔理沙のやることをいち早く予測した霊夢が、
どこからか持ってきたメモ帳に、次々と傭兵達の名前と予想を書き入れていく。

「当たった奴らで、集まった分を山分けだぞ。
ただし一割はこっちの収入、それぐらいは役得だろうみんな」

主人は、そんな魔理沙の姿を見て呆れたように溜息を吐いた。

「これで、足りない金を掻き集めるってのか。滅茶苦茶だなまったく」

しかし、その表情はどことなく愉快そうにも見える。
そして、周りの騒ぎに気が付かないまま、
殴っては蹴り返されたりしているふたりの少女に、少しだけ同情するのだった。



[17147] 東方虚穴界 十三話
Name: 萌葱◆2c26bcca ID:a7d01866
Date: 2010/06/26 19:59
『子豚の丸焼き』亭は、先ほどまでの騒然とした雰囲気は何処へやら、しんしんとして静寂な空気に包まれていた。
すでに客達は満足して帰るなり、上の寝室に入るなりして誰も残っていない。
中央のテーブルに寝かされているのは、ルイズとアンリエッタ。
ふたりとも顔中痣だらけでぼろぼろの状態であり、それを治しているのはルイスと女将だった。
それを眺めていた宿屋の主人が口を開いた。

「それにしても、両者同時ダウンとはな」

先ほどの賭けは男の言った通り、なんとも珍しい両者同時ノックダウンという結果に終わった。
そして、この結果の原因となったのは、ふたりの攻撃ではなく別の要因である。

ふたりともいよいよ限界だ、という最終局面となった時、ある人物が店の中に入ってきた。
それが、この対決を終わらせた張本人である。
偶然にももつれ合いながら、その人物に近寄っていくふたり。
一瞬、驚いた彼女は瞬時に両拳を奔らせて――

「ちょっとまて妖夢――」

――魔理沙の制止が間に合う前に、ふたりの顎を正確に打ち抜いていた。
本人曰わく、顔がボコボコで誰だか分からなかった、らしい。
庭仕事がようやく終わった妖夢は、反射的に拳を振るった後で困ったように周囲を見渡している。
全員の冷たい目が自分を貫いているのに気が付いて、自分がやばいことをしたんだと知る妖夢だった。

「それにしても良かったなお前ら。
ここに集まっている傭兵共が、みんな良い奴でよ。
こんな結果ふざけんなって、ごねるのが普通の傭兵だぜ」

「親父がいい奴だから、まともな傭兵が集まるんだって、あいつら言ってたな。
そんじゃ、この金はみんなあんたのおかげだ。感謝するぜ」

そんな風に魔理沙に切り替えされた男は、恥ずかしそうに顔を背けた。
結局、賭け金は親の総取りである。
こんな結末に予想した者などそうはいないから、これは当然のことだろう。

「それにしても、二人はなんでこんな事を?」

ルイスが心底不思議そうに呟く。

「おおかた、あんたとルイズのことじゃないの?」

何を根拠とするわけでもなく、いきなり答えを言い当てたのは霊夢。
彼女の言葉にルイスは、ようやく何かを思い当たったらしく、ちょっとだけ顔色が曇る。
そんな彼を元気づけるためか、とびきり元気な声色で口を開いた魔理沙。

「どうだ親父。これで、昨日の代金には充分だろう?」

帽子の中にぎっしりと詰まった銅貨を、魔理沙は男に見せつけた。

「そうだが……お前らアルビオンに行きたいんだよな?」

「うん? ……なんで知っているんだ?」

男は呆れたように首を振る。

「昨日騒いでた時に、お前が自分で言ってたんじゃねえか。
で、今日はスヴェルの月夜だが用意はしてんのかよ?」

「はい? なんだそのスなんとかってのは?」

ズルッと膝が砕けそうになった男は、しかしそれを踏みこたえて。

「まったくこいつらは。
スヴェルの月夜ってのは二つの月が重なる夜で、その次の日にアルビオンがこの街に一番近づくんだよ。
この街を出るフネは、その時に挙って出航するんだ。そりゃ、燃料代は安い方がいいからな」

それを聞いて、初耳だぜそんなの、と魔理沙が驚いた。

「ほんとに適当なんだなお前ら。
明日のフネの予約は、入れといてるから安心しろ」

その言葉に魔理沙はもちろん、霊夢や妖夢も一緒になって胡散臭い目つきになった。
つまりそれは、最初から今日一日で自分たちを解放する事を決めていたという意味である。

「なんか怪しいなその提案は」

疑わしそうに目を細める魔理沙に対して、つまらなそうに男はルイスを見て一言。

「お前とこのルイズって女、烈風カリンの子供だろ?」

それを聞いたルイスは、ええっと大きな声をあげるほど驚いた。
確かに男の言ったことは当たっていた。

「俺はあいつには大きな借りがあるんだよ。
これであいつとは貸し借り無しってわけだ。せいせいしたぜ」

男が発したそれは、本心からの言葉である。
少なくとも、そうルイスは感じ取っていた。

「へぇ~、何かあったのか昔?」

興味本身に魔理沙が男に尋ねると、彼はムスッとしかめ面を浮かべながら口を開いた。

「ただ殺し合って、右目を持ってかれただけだ」

どこか懐かしむようにそう話す男。
そこから、カリンを恨んでいる様子はなにひとつ読みとれない。

「こいつ、昔は酷く捻くれてて、いろいろと滅茶苦茶してたのよね。
そこをカリン様が、見事に仕置きしてくれたって事があったわけだよ」

「ふん、テメエがあんなバケモノに頼むから、さんざんな目にあったじゃねえか。あん時の騒ぎで、実家も継げなくなるしよ」

「そりゃ、あんたの自業自得じゃないか」

話を聞いてみると、この夫婦。元々幼なじみの関係らしい。
両者とも取り立てて、低くもなく高くもない身分の貴族の家に生まれた子供だった。
ところが最初にケチがついたのは、男の魔法の才能である。
周囲の貴族達と比べても、比較できないほど高いそれ。
そんなものを持たされた男は、そう……少しばかり非行に走ったのだった。
それを止めたのが、烈風カリンという騎士だった……らしい。

「それにしても、あいつも女みたいに美しい男だったが、お前らもそっくりなぐらい整った顔だな。
会ってすぐに、親子か何かだと分かったぞ」

遠い過去の光景を思い出すかのような男の言葉に、ルイスは少し眉をひそめた。
男の言ったことでひとつだけ、間違っていることがあることに、ルイスはすぐ気が付いたのだ。
それを指摘しようと口を開いた瞬間、男の連れ合いが横から小声でルイスに囁く。

「それは内緒にしてくれないかしら。
女に負けたって気が付くと、プライドが傷ついちゃって可哀想だからさ」

微笑む女。
微かに頷くルイスに気が付かない男は、その手で上の階を指差す。

「ほら、とっとと今夜のところは寝ときな。
明日の朝は早いが、自分たちで起きろよ。そこまで面倒は見ないからな」



次の日、太陽がようやく顔を出し始めた朝早い時間のことである。
ルイズ達は『子豚の丸焼き』亭の前に立っていた。
彼女たちが、次々と宿屋の夫婦に別れの言葉を交わしていく。
たった一日しか一緒に過ごしていなかったのに、別れはやはり寂しいものだった。

「お前ら、あんまり無茶するんじゃねえぞ」

人を決して寄せ付けない無骨で無愛想な顔が、くしゃりと笑っていた。

「そっちこそ、今度からはもちっと愛想よくしといた方がいいぜ」

そんなことを言う魔理沙。
もっとも、それが彼女の本心を表していないことは、その表情を見れば一目瞭然である。

「ばぁ~か。そんなことより、早くいっちまえよ。乗り遅れても俺は知らんぞ」

「ああ。それじゃみんな、アルビオンまでいきますか」

みんなの先頭に立ち、風を切って魔理沙が歩いていく。
各々は、その後をついていった。
そんな彼女たちを後ろから見ていた男が、連れ合いに呟く。

「騒がしい奴らだな」

「でも、久しぶりに楽しかったじゃないですか」

「……まあな」

自分ではその感情を認めたくないのか、何かを誤魔化すかのように頭を掻く男。
そして、ふと植えられている木々を見た男は一言。

「これはどうすりゃいいんだろうな、おい」

「……」

妻の返事は返ってこない。
視界には、バッサバッサと切り捨てられた樹木があった。
ほとんどの葉が剪定されて、残されたのは少しの葉と剥き出しの枝。
大変、先鋭的で男の美術センスではまったく理解できないそれ。
しかし、それを見ているとどことなく涼しげに感じられて、つい微笑みを浮かべてしまう男だった。



「おいルイズ。なーにむくれてんだよ」

「むくれてないっての」

ラ・ロシェールの街並みを歩いているルイズ達の間には、どことなく居心地の悪い空気が流れていた。
原因は、ルイズとアンリエッタである。
昨日、あれほどの喧嘩をしたのだ。険悪になるのは当然だろう。
殴り合って次の日から仲直り――なんてのが通用するのは、フィクションの中だけだった。
そんな中、爆弾を投下したのは魔理沙である。

「もっと素直になればいいのにな、ルイズって。そう思わないか、ルイズさんの弟のルイス君」

魔理沙にそんなことを振られたルイスは、びっくりして言葉を失ってしまう。
そして、その言葉に誰よりも大きな反応を返したのは、もちろんルイズ。

「な、な、な、なに言ってんのよ魔理沙ぁぁぁぁ」

「いい加減めんどくさいんだよ。とっとと認めちゃえばいいだろ?
何処をどう見ても、お前らが姉弟だってのは一目瞭然なんだからよ」

「う……うるさい! うるさい! うるさい! うるさい!」

「おお、でたでた。炎髪人形のうるさい口撃。
お前の人形って、みんなお前にそっくりで素直じゃないんだよな。
素直なのは、あの鎧人形だけじゃないか。うん、あいつはいいよ、お気に入りだ」

顔を茹で蛸のように真っ赤にしたルイズが、バタバタと逃げる魔理沙を追いかけ回している。
そんな光景を呆れながら眺めていた、ルイスとアンリエッタ。
すると、そんなふたりに霊夢が話しかけた。

「もうちょっと待っておけば、きっと我慢できなくなって自分から話すわよ。
あいつ素直じゃないくせに、我慢がまったくできない性格だからね」

「別に僕はいいですよ。会えるとは思ってなかったですから」

「わたしも、なんだかどうでもよくなってきましたわ。
あなた達を見ていると、いろいろと考えても無駄に思えてきたのです」

そう言ったアンリエッタの胸の中には、言葉にこそ表さなかったものの、
目の前にいるルイズ達のことを羨ましいと思う感情が溢れていた。
思えば、自分には自由というものがなかった。
王族である以上、それは当然受け入れるべき事ではあるが、それでもやはり自由を求めていることは否定できない。
彼女たちのように自由に生きてみたい。
初めて出会った王女を、まったく躊躇無く連れ出してみたり。
初めて訪れた街の怪しい酒場に、飛び入りで入ってみたり。
自分ではできないからこそそんな無茶をする彼女たちに、アンリエッタは微かな憧れを抱いてしまう。

そんなことを思われているとは露知らず、魔理沙とルイズはラ・ロシェールの歴史ある街並みを背景に走り回っていた。

「待ちなさい、このバカ魔理沙ぁっ!」

「待てと言われて待つのは、バカだけだぜ」

後ろを振り返って、ルイズに向かってベェーと舌を出した魔理沙。
ルイズはそれを見て、頭のてっぺんから蒸気が噴き出てきそうなほどヒートアップ。

「はっはっ、この魔理沙様を掴まえられるかな、未熟な人形遣い」

スピードに乗った魔理沙の身体が、コーナーを曲がっていく。
すると突然、彼女の視界に入ってきたのは大柄な男の姿だった。

「おっと!」

いきなり目の前に飛び出てきた魔理沙の小さな身体を、男が倒れないように受け止める。

「っと! すまんすまん」

どんなにお転婆に見えても心の芯は乙女である魔理沙は、ちょっとだけ恥ずかしそうに男から離れる。

「あまりはしゃぐものじゃないぞ、お嬢ちゃん」

目下の者に言い聞かせるような口調の男。
少しだけムカッときた魔理沙は、しかし自分が悪いために言い返すことができなかった。

「なにやっているのよ魔理沙」

後ろから追いかけていたルイズが、息を切らせながらもようやく追いつく。
その姿を見た男は、何か思うことがあったのか訝しげな表情を浮かべる。

「ん? どうしたのよ」

「……いや、なんでもないよ。ちょっと君に似ている人を思い出しただけだ」

少しだけ笑みを浮かべた男。
男のことがちょっとだけ気になったルイズであるが、
まさか初対面の相手に根ほり葉ほり聞くわけにもいかないため、それを忘れることにする。
その代わりとなったのが、魔理沙だった。

「ふふふ、ようやく掴まえたわよ」

「ようしルイズ、遊びの時間は終わりだな。とっととアルビオンまでいくぞ」

何事もなかったかのように、前に進み出す魔理沙。
ルイズは、そんな彼女の首根っこを鷲掴みして一言。

「逃がさないわよ」

「ちょっと、そんなに怒るなよ」

魔力が込められたルイズの力は、魔理沙が振り解こうとしてもピクリともしない。
その時、彼女たちのことを呼ぶ霊夢の声が聞こえた。

「おーい、あんたたちちょっとは、わたし達のことも考えなさいよ」

ジトーとした目をした霊夢と呆れている妖夢達が、ルイズ達の元まで歩いてくる。
後ろの方にいたアンリエッタとルイスを見て、ルイズの顔に暗い影が差した。

(ったく、このバカは)

誰にも聞こえないような小さな溜息とともに、魔理沙が動いた。

「ほら、みんな一緒にアルビオンまでいくぞルイズ」

元気一杯にルイズの手を引く魔理沙。
微妙な顔をしながらも、それに素直に従うルイズ。
そんな彼女たちを見ていた男は、自分がそれを見て心地よく感じていることを自覚する。

(はは……って、そんなことを考えている暇はないな、まったく気を引き締めろ俺)

笑みを浮かべていた自分自身に渇を入れた男。
彼にはある任務があった。
自国の命運を左右する、重要な任務である。
それはある人物を捜し出すというもの。

その事を考えると、運命と呼ばれるものは確かにあるのかもしれない。

男が顔を上げると、そこに捜していた人物がいたのだ。

「え!? ア、ア、ア、アンリエッタ様ぁ!!」

「ド、ド・ゼッサール殿!?」

唖然とするふたり。
そんなふたりを不思議な顔つきで、魔理沙達は見ているのだった。



ド・ゼッサール。
魔法衛士隊の部隊のひとつ、マンティコア隊の隊長を務める厳格で忠誠心の高い男である。
魔法の腕こそは、グリフォン隊の隊長のワルドにこそ劣るが、それでも武人としての評判は引けを取らないだろう。

「姫様なんでこんなところに……」

そう言いかけて、彼はいま自分が言うべき事を間違えていることに気が付いた。

「アンリエッタ様。早くお戻り下さい」

アンリエッタは、彼を目にした瞬間から、ド・ゼッサールがここにいる理由を察していた。
自分の捜索のためだろう。
ここは、素直にかれに従って戻るべきである。
彼女の王女としての思考は、それが正解であると訴えていた。
しかし、それでも彼女の中のある部分。
恋に焦がれる少女の部分が、それを拒否していたのもまた事実である。
もうすこしで、あとほんのちょっとだけ旅ができれば、彼に会えるのだ。

だから、彼女は首を横に振る。

「いえ、それは頷けませんわド・ゼッサール殿」

「な、なぜですか!」

ド・ゼッサールの問いに答えることができないアンリエッタは、口を結んで彼を見詰めるだけである。

「こうなったら、無理にでも帰ってもらいますぞ姫様」

厳しい顔をした男が、杖を構えた。
それを見て、身体が震え出すアンリエッタ。
そんなふたりの間に入った人物がいる。

「その話、ちょぉぉっと待ったぁ~~」

なにやらよからぬ事を考えてそうな笑みを浮かべて、アンリエッタのすぐそばに立つ魔理沙。

「残念ながら、あんたの話は聞けないなぁ」

と言いながら、魔理沙はアンリエッタに視線を送る。

――あんたの考えてることは分かるぜ。こっちに任せてればいいようにしてやるさ。

その視線に込められていた意志を読み取ったアンリエッタは、微かに頷いた。

「貴様ぁ、邪魔をするというのか」

アンリエッタ姫の安全が掛かっているのなら、女子供でも容赦はしない。
それほどの覚悟のこもった叫びを聞いても、魔理沙は不敵な笑みを浮かべ続ける。

そんな状況を後ろで見ていたルイスが、助けを求める子羊のごとき眼差しをルイズに向ける。

「あー無理よ無理。ああなった魔理沙は止められないわよ」

「絶対、あの人に姫様を預けた方がいいと思うんですけど……妖夢さんはどう思います?」

この中で一番の常識人だと思っていた妖夢に尋ねるルイス。

「一番簡単なのは、あの男を斬ってしまえば……」

「だぁ~~!! 駄目ですって、なんて事を言うんですかあなたは!!」

「そんなに駄目か?」

「最悪です」「これはルイスが正しいわね」「斬れば分かるって、何処の辻斬りよって話だわ」

「うう……」

みんなに一斉に否定された妖夢が落ち込む中、
ド・ゼッサールがしびれを切らしたのか、じわりじわりとアンリエッタに近づこうとする。
それを牽制するかのように魔理沙がミニ八卦炉を取り出すと、ボウッと煙を吐き出させた。

「最後のすかしっ屁ね」

心配するルイスにだけ聞こえるように、そう解説するルイズ。
魔理沙は、手に持っているそれをアンリエッタの顔に向けた。

「これ以上近づくと、姫様の顔がとんでもないことになるぜ」

「ぐぬぬぬ、姫様を人質に取るとは、卑劣なことを! やはり、今回のこともお主らの企みかぁ!」

「ふはははは、よく分かったな。はぁっはっはっはっはっ」

悪の大魔王気取りの魔理沙を見て、後ろのルイズ達は恥ずかしそうに視線を逸らす。
それにしてもこの魔理沙、ノリノリである。

「ええい貴様ら一体何処のものだ!? っもしや貴様ら!!」

何かに気が付いた彼の顔つき。
それを見ていた魔理沙の顔に、ニヤリとした笑みが浮かぶ。

「ふふん、よく気が付いたな。
その通り、あんたの想像通り我々はレ、レ、レ……」

威勢のよかった魔理沙のセリフが途中で止まる。

(絶対忘れてる!!)

後ろにいる全員がそう突っ込む中、とうとう魔理沙が決心したのか、

「我々は!!」

大声で、

「レンコン・スキダだ!!」

とんでもないことを宣言してしまった。

後ろでその言葉の意味を知っているみんながすっ転んでいる中、ド・ゼッサールは驚愕を顔に張り付かせていた。

「レンコン・スキダだと……」

新たな強敵の出現に、冷汗が止まらないマンティコア隊隊長だった。



ラ・ロシェールでそんな喜劇が繰り広げられている時、
ガリアの王都、リュティスの小さな酒場でひとりグラスを傾けている男がいた。
男の名はワルド。
トリステインの魔法衛士隊、グリフォン隊の隊長である。

なぜそのワルドがこんなところにいるのかというと、それはアンリエッタ姫の捜索のためである。
トリステインがアンリエッタ失踪の情報を入手した時、当然のように捜索隊が差し向けられることになったのだが、
その際に問題になったことが、一体何処を捜すべきなのか、という問題だった。

いまの国際情勢を考慮すると、もっとも有力な下手人はレコン・キスタであるが、その可能性だけを追うわけにもいかないだろう。
トリステインとゲルマニアの同盟が成されれば、目下最大の国家であるガリアの地位が揺るぎかねないだろうし、
王家の血――つまりは始祖の血が分散されるのを、ロマリアが嫌うことも考えられる。

つまり結局のところ、ひとつに的を絞ることはできないため、部隊を分散させて捜索を命じることになったのだ。

「これでトリステイン内での出世は無理か」

そう呟いたワルド。
彼は自分の立場を分かっている。
姫が失踪した当時、もっとも近くにいた護衛が自分であること。
そんな自分に、誘拐した相手と繋がっているのかもしれないという疑いが掛けられていること。
まあ、そんな自分がのこのことアンリエッタ失踪の報告を上げたのだから、疑いはあくまで疑いで止まっているのだろう。
だからこそ、自分がこうして捜索の任を請けているのだ。

「実力なら一番のグリフォン隊を、もっとも疑わしいレコン・キスタに当てなかったのが、それをよく表している」

その疑いは事実であった。
ワルドは、レコン・キスタと繋がっていた。
それは、自分自身の根底に繋がるある目的のためである。
現状ではレコン・キスタのために動くわけにもいかないため、こうして真面目に捜索している振りをしているのだ。

これから一体どうしようか?
トリステインでの昇進も期待できず、レコンキスタに関わるのも何か嫌な予感がしていたワルド。
彼はそんな自分の勘に、ある程度の自信を持っていた。

(あの吸血鬼を名乗る子供と会った時も、とんでもなく嫌な予感がしたものだ)

そんな風にいろいろと考え事をしているワルドの横に、いつの間にか女がひとり座っていた。
フードを深々と被った女である。

「あんた、なかなかやりそうな面構えだね」

ワルドは、顔をその女に向ける。

「一体なんの用だ?」

「……ひとつ仕事をこなしてみないか?
あんたみたいな、凄腕のメイジじゃなくちゃできないことさ」

「内容を言ってみろ」

「ちんまい小鬼退治だよ」

「小鬼?」

「そう小鬼。小さな体に大きな角が二本ある小鬼だよ」

ワルドは考える振りをしながら、その話を持ちかけてきた女を観察する。
そのフードからちょっとだけ出ている髪の色は蒼。
鮮やかな蒼色は、ガリア王家に近しい家柄であることを示していた。

請けるべきか、請けざるべきか。

微かにワルドの心に訴えかけるのは、危険だという感覚。
しかし、話を聞けば相手は小さな亜人である。
まあ、スクウェアの自分なら大丈夫だろうと、ワルドは女に向かって紳士的な笑みを浮かべながら頷いていた。


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