注、東方旧作の設定と矛盾している箇所があります。
幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ。
パドルを漕ぐ音だけが、その池に響いていた。
空は真っ暗。二つの月は厚い雲に隠れている。
虫の鳴き声も聞こえない静かな夜。耳が痛いほど静かな夜だった。
パドルを漕いでいるのは、だいたい六歳ぐらいだろう、大変可愛らしい少女である。
こんな真夜中にひとり、小舟を漕いでいるのにはそぐわない人物であることだけは間違いない。
少女の名は、ルイズという。
彼女は、ひとりになりたかった。
父と顔を合わせたくない。
母と顔を合わせたくない。
姉たちと顔を合わせたくない。
召使とも顔を合わせたくない。
そんな時は、いつも屋敷の中にあるこの小さな(しかし中庭にあるにしては大きな)池に向かうのだ。
そこはルイズだけの秘密の場所。
彼女が、唯一ひとりになれる場所だった。
「いやよ、いやよ、いやよ」
そう呟き続けているルイズ。
両親に厳しく叱られるのも、長姉に怒鳴られるのも、次姉に優しくされるのも、召使に陰口をたたかれるのも。
ただ、ただ、ただ、ただ、すべてを拒否していたルイズ。
誰とも会いたくないと思ったルイズ。
そうするためにはどうしたらよいのか?
子供ながらに考えたルイズは、一つの答えを見付けた。
(遠い国に行ければ、もう会うこともないのかな?)
まことに浅慮で、子供らしい考えの末に出された答えである。
よく考えればいろいろな問題があるのだが、社会に出たことのないルイズは、そんなことには気が付かない。
もっとも、そんなことを願っても叶うことがないことは、薄々気付いているルイズ。
そんなことが出来るはずがない。出来るはずがないのだ。
(でも……もしも、魔法が使えなくても怒られないところにいけたら)
想像だけは自由であるが、知らないことは思うことすら出来ない。
そんな国をルイズは知らなかった。
ハルケギニアは、魔法使い――メイジと呼ばれる貴族達が支配している世界だ。
魔法の使えない貴族は、存在する意義がない。いや違う、存在してはいけない。
だから自分は、この世界にはいたくない。
いては、みんなの迷惑になってしまうのだから、ここで生きててはならないのだ。
ルイズは、心のどこかでそう思っていた。
そんな彼女は、周りの様子に気が付いていない。
池に濛々と霧が立ちこめているのをしらずに、ルイズは小舟を進ませている。
その想いが、ルイズを『越境』させることになったのか?
それは、境界を支配する者にしか分からない。
おかしい。
ルイズは、異常に気が付いた。
少し考え事をしていたのだが、それでもこれだけ進めば池の中央にたどり着くはずだ。
ところが中央にあるはずの小島が見えずに、ただ深い霧が立ちこめるだけである。
こんなに深い霧が発生したことは、ルイズが生きてきた今までで一度もない。
「おかしい」
自分の声で改めて呟く。
進もう、と決めたルイズ。
止まっていてもなにも変わらないだろう、とパドルを必死に漕ぎ始めた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
小舟の上にいるルイズが聞こえるのは、自分の息切れの音だけ。
怖い。そう思った。
後ろからナニカがついてくる。
水の中から、自分を引きずり込むために、ナニカが手を出す隙を窺っている。
ナニカの気配を感じた。ナニカの影を見た。ナニカの唸り声を聞いた。ナニカの生臭い匂いを嗅いだ。
すべてがルイズの五感を狂わせ、幼い少女の頭から冷静さを奪い去っていく。
「ひぃ、ひぃ、ひぃ、ひぃ」
自分が半ばパニックになっていることに、気が付いていないルイズ。
慌てて、パドルをガシャガシャと無駄な力を入れて漕いでいた。
ルイズは、なにも気が付かない。
そんなことをせずとも、どんどん小舟のスピードが増していることに。
次第に、左右の幅が狭くなっていることに。
そう……池だったはずが、流れの緩やかな川に変化しているのだ。
そしてある境を超えた時、ルイズはお尻に冷たい感触を感じた。
べっちょりと濡れたそれは、水以外の何物でもない。
粗相をしたと思って、すぐに否定したルイズ。
慌てて立ちあがり、小舟の底を見てみると水があった。
浸水しているのだ。
「嘘? 嘘!」
自らの小さな手で、水を掻き出そうとするルイズだったが、そんなものでは応急処置にもならない。
「なんでよ。穴なんて空いてないじゃないのよ!!」
そう叫びながら、死に物狂いに手を動かしているルイズだったが、どんどん小舟が沈んでいくのは止められない。
水を全部掻き出すのは無理だと覚ったルイズは、水の中に飛び込んで泳ごうかと考えた。
しかし、その水面を見たルイズは、そんな考えをすぐに捨て去ることにした。
幼いながらの直感で知ったのだ。ここはただの川ではないと。
ここで泳ごうなど、自ら地獄へ飛び込むことと同じだと。
自分は、ここで死ぬのだと確信したルイズ。
最後だと思ったルイズは、静かに泣いている。
何で泣いているのか?
本人にも、それは分からなかった。
そのまま目を閉じたルイズは、ジッと全身が冷たい水に包まれ、底知れない水面の底に落ちていくのを待っていた。
その時、不意にルイズの体がふわっと浮き上がった。
驚いて目を開いてみると、誰かが自分の腋に手を入れて持ち上げているのだ。
次に見えたのは、その誰かの右手が持っている大きな鎌だった。
人の首だろうと、簡単に刈り取ることが出来そうな切れ味を想像させる、荘厳で無慈悲な鎌である。
顔を上げると、そこには不思議な服を着た女性がいた。
「いやはや、驚いたもんだ。生きている人間が、三途の川を渡っているんだからねぇ」
その女性は、ルイズを見ながらそう言った。
そうして、晴れやかに笑った。
気持ちの良い笑みである。
赤毛がふわふわと躍っているのを、ルイズは呆然としながら見ていた。
「到着……っと」
赤毛の女性が、すとんと地面に降り立った。
そしてそのまま、ルイズを持っていた手を下ろして地面に立たせる。
「ふう」
手をぱんぱんと景気よく払っている女性。
ルイズは、そんな彼女に勇気を出して声を掛けることにした。
まずは、彼女の名前を聞いてみよう。
「あ、あのう……ってキャッ!!」
その瞬間、ルイズの頭上に稲妻が奔った。
目の前の赤毛の女性が、目にも止まらぬ速さでルイズに拳骨を食らわせたのだ。
「……痛い」
「まったく、あんたは何で沈む船の上で目を瞑っていたのさ。
ここで死んでも構わないって、そんなこと思ってたのかい?」
女性の目が、真っ直ぐにルイズを貫いている。
なんとなく居心地が悪いルイズは、目を逸らしながら口を開いた。
するとすぐに、二発目の拳骨が飛んでくる。
「話す時は、相手の目を見てさ」
「いたたた……」
ズキズキと痛む頭を触りながら、ルイズは女を軽くにらんだ。
もう一度、拳を振り上げた女。
慌ててルイズは謝った。あんな痛い思いは、二度とごめんである。
「そうそう、子供は素直が一番の美徳だよ」
「うう、わかったわよ」
さて、それでルイズが何故目を瞑ったのかに関しては、赤毛の女性の言う通りだった。
それを聞いた女は、頬を掻きながらやれやれと呟いた。
「あんたね。死ねば終わりだと思っているだろ」
頷いたルイズ。そりゃそうだ。人間が死んだら、なにも語れない。
死後の世界を知っている者なんていないのだ。
それなのに、それなのに、彼女は、
「いいかい。死んでもその苦しみは消えないんだよ。
誕は罪。生は罰。つまり自身を殺すことは、罰から逃げ出すこと。
それ自体が大きな罪ってことなんだ。それを、免れることは決して出来ない。
あんたの苦しみは、その罪を喰らい尽くして、もっともっと大きく育っちまう。
そうなったら大変だ。地獄でどれだけの責め苦を味合わされることになるのやら。
矛盾だろう? 生きることは罰なのに、死ぬこともまた罰の始まりである、なんてさ。
まっ、個人的には、最後まで足掻いてみるのがおすすめだねぇ。そっちのほうが、あたいの仕事も少なくなるしさ」
まるで、そのすべてを見てきたように語っていた。
もっとも、幼いルイズには、その内容の一割程度も理解してはいないのだが。
ルイズは不意に、目の前の彼女が人以外の別のナニカに見えた。
最初は、変わった服を着たメイジなのかな、と思っていた。
とても珍しいが、鎌を杖にしているメイジも、世界中でひとりぐらいはいるのだろうと。
そんなルイズの訝しげな視線から、自分がまだ何物なのかを言っていないことに気付いた女。
「ああ、そう言えばまだ名乗ってもなけりゃ、あんたの名前も知らないんだねぇ。
あたいは小野塚小町。姓は小野塚、名は小町。ここいらで船頭を生業としている、ちんけな死神さ」
「ひえぇ! 死神ぃ?」
幼いルイズでも、死神がどんな存在かは知っていた。
生命の死を司る神であり、出来れば関わりたくない存在である。
「そんなに恐がらなくても、別にその首を刈ろうなんて思っちゃいないよ。
そんなことをしても、仕事が増えるだけだしね。この仕事は嫌いじゃないが、働きすぎる気はないんだ」
我ながら不良だねぇ、と小町は豪快に笑った。それはもう、気持ちよさそうに笑っていた。
死神といえば、陰気くさい印象を持っていたルイズだったが、そんな偏見を吹き飛ばすように小町は笑った。
そういえば、何で彼女が死神だなんてことを信じたのか?
ルイズはそんな疑問を思ったのだが、すぐに気にしないことにした。
「じゃあコマチは、怖くない死神なんだ」
大きな鎌を持っていて、生死について妙なことを語ったのだ。
ルイズは、それだけで信じた。
子供は素直が一番――そんなルイズを見た小町は、満足そうに頷いたのだった。
ルイズの話を聞いた小町は、正直にいえば困惑していた。
魔法の使える者、メイジが支配する世界ハルケギニア。
その世界のトリステインという国にある、公爵家の生まれだという少女ルイズ。
(あれま。外の世界で、いったい何時の間に魔法が復権したんだい?)
ふむ、と考えてみてみるも答えのでない小町は、考えるのをスパッとやめてしまった。
切り替えの早さが、彼女の自慢なのである。
(……それにしても、何とも凄い子だねぇ)
ここ、三途の川の辺は、此岸と彼岸の境界にある。
その事実が意味することとはつまり、この空間そのものが曖昧な状態であるということだ。
この世でもあり、あの世でもある。この世ではなく、あの世でもない。
肉体は、世界に引きずられる。
陰の気が満ちた世界なら、どれだけ陽気な人間だろうとも言葉数が少なくなっていき、
逆に陽の気が満ちれば、次第にお祭り好きの陽気な性格になっていくだろう。
そして、ここ三途の川の空気は、普通の人間には毒にしかならない。
死の気に引きずられるためである。
しかし、ルイズにはそんな様子が微塵も感じられない。
そのような死の気配に敏感な小町が見ても、まったく影響していないように見えるのだ。
それは、彼女の内に秘める桁外れの魔力のおかげである。
(ああ、凄い子だねぇ)
その事実に、微かな暗雲を感じ取ってしまう小町。
人間の枠を外れた才能や力は、その者を幸にも不幸にもしてしまうだろう。
(いや、それはわたしが考えることじゃないか……)
それは当人の問題であり、一介の死神が出しゃばることではない。
「さて、それじゃああんたはどうするんだい?」
今一番の問題は、それだった。
「元の何だっけ……ハルケギニアだったっけ? そこに戻りたいんだろう?」
目を逸らしたルイズ。
彼女は、自分でもどうしたいのか分かっていないのだ。
あそこに戻ったって、自分は疎まれているだけなのだと思っているルイズ。
それでも、悲しくなるのはなんでだろう?
涙が出るのは、いったいどうしてだろう?
ルイズが涙を流しているのを見た小町は、何ともいえない顔つきをした。
「まったく泣くな泣くな。ほらほら、鬱々してても良いことないさ」
小町は少し考えると、両手を自分の頭に持っていった。
「なぁルイズ。どうしてあたいは、こうやって髪を二つくくってると思う?」
「……わかんない」
「これは尻尾なんだ。長く生きた妖怪ってのは、どんどん尻尾が増えるのさ。
それであたいは、尻尾二つ分の強さだと自負してるって訳で……うん、平たく言えば願掛けだってことだよ」
そう言った小町は、その髪を結っていた髪留めを外した。
そしてその内の一つで、ルイズの髪を器用に馬の尻尾のようにまとめる小町。
「よっと、これでルイズも一尾って寸法だ。
だから泣きやまないと駄目だよ。あんたはさっきよりも、強くなったんだからね」
小町がしたことは、たったそれだけだった。
そして、ただそれだけで、ルイズは泣きやんでいた。
まるで魔法だ。こんなにも胸の中を占めていた悲しみが、どこかへ溶けて消えていったのだ。
この人は、凄い人なのかもしれない。ルイズは素直にそう思った。
「どっちにしても、外来人は博麗神社へが決まりだし、連れて行くしかないか。
まあ、ここは幻想郷じゃないけど似たようなもんだしねぇ」
「幻想郷?」
「そうさ、幻想郷だよ。
悪辣で、無慈悲で、そしてなにより、時代に取り残された哀れな負け犬達の最後の楽園。それが幻想郷さ」
小町は心の底から愉快そうに、そう宣言した。
小町がルイズを抱えて、幻想郷へ飛んでいく。
恐がっているルイズに、ずっと話しかけて恐怖から気を逸らしている小町の様子は、どこか年の離れた姉のようだった。
そんな、ふたりを影から見ていた人物がいる。
「やれやれ、あの子も一端の口を利くようになったものね。
それでもね小町。あなたの説法に合格点は与えられないわ。甘く見ても40点。
どれほど真理をついても、相手に伝わらない説法は、それだけで失格なのですよ。
幼いあの子には、あなたの言いたいことの半分も伝わっていないでしょうに。
そう、あなたは自分の物差で物事を考えすぎる」
その言葉とは裏腹に、満足そうな表情のまま彼女は仕事場に帰っていった。
「うわぁ~~」
ルイズは今、真っ青に広がる大空を、小町の手を借りて飛んでいた。
空一面の青。点々と白い雲。雄大と佇む黄色い太陽。
竜籠に乗って、はるか上空からの風景を楽しんだことがあるルイズでも、素直に感嘆するぐらい幻想郷は美しいのだ。
どうしてこんなに美しいのか? それを小町に聞いてみると、彼女はあっさりと答えを言ってくれた。
「簡単だよその答えは。この世界が幻想だからさ。
現実なんかより空想のほうが綺麗だってのは、一片の曇りもない真実なんだよ」
そう言って小町は、ぐるんととんぼ返り。
そのまま、びゅんびゅんと風を切りながら吹っ飛んでいく。
「きゃああ!」
「はっは、気持ちいいねぇ」
確かに心地よい風が、体全身に吹き抜けて気持ちよかった。
肉体に溜まっている毒が、抜けていくような感じがする。
「おおっと、思ってたより早くついちゃったね」
その建物を見た小町は、ゆっくりとそこの境内に降り立った。
無数の木々に囲まれた、ルイズからすれば奇妙な建物が悠然とそこにはある。
「ここが博麗神社さ」
神社とは一体なんだろう? とルイズは素直に分からないことを聞いてみた。
「そうだね……神様を崇める施設っていう説明が分かりやすいかな?」
首をひねりながら、そう説明した小町。
「……教会と一緒なの?」
「何だ、教会を知っているのかい。それなら話は早い」
祀ってる神様が違うだけさ、と小町が適当にルイズに言って、神社の説明は終わる。
分からないような、分かるような。そんな微妙な感じのルイズを無視して、小町の説明は続く。
「さて、ここが幻想郷と外との出入り口なんだが……なんか変だね?」
神社の中を覗いた小町が、不思議そうな顔をする。
「ちょっと待ってなルイズ。あんまり、歩き回らないでここにいてくれよ。
ここら辺には、人を食べるバケモノがいっぱい彷徨いてるからね」
「た、た、食べるぅ!?」
ビクンと立ち上がるルイズを笑いながら、小町は神社の中に入っていった。
ひとり取り残されたルイズは、辺りをきょろきょろ見渡してみる。
小町と一緒だった時は、緑一色だなぁとしか思ってなかった森だが、
今あらためてひとりで見ると、なにやら不気味なものが蠢いているような感じがした。
そんな時だった。
ガサ。
……確かに聞こえた。
ガサガサ。
いやいや、絶対に空耳のはず……よね?
ガサガサガサ。
「コマッ!!」
もう駄目だと、小町を呼ぼうとしたルイズだったが、
突然彼女の口が、森から飛び出た影によって塞がれてしまった。
「ふぅぅぅ!! ふがふががが!!」
「ちょっと!! 落ち着きなさいよ」
人の声だ。
それだけでも、ちょっと落ち着いてきたルイズ。
前をよく見てみると、自分と同い年ぐらいの女の子が立っていた。
真っ黒な髪を伸ばして、奇妙な服を着ている可愛い子だった。
「早く、こっちに来なさいよ。ばれちゃうじゃない」
その女の子は、ルイズを引っ張って森の中に入っていく。
いやいやいや、そこは人食いのバケモノが、と首を横に振って抵抗するルイズを見た少女は一言、
「妖怪なんていないわよ」と言い放った。
「そんなの、あんたがどっかに行かないための方便じゃない。
それぐらいのことも分からないって、あんた間抜けなのね」
森の中に入ってルイズを離した少女。
彼女は、呆れたようにルイズを見ていた。
「ふ、ふん。絶対いないなんて断言できないでしょ!」
「……まぁ、別にいたって怖くないけど」
そう呟いた少女は、うーんと背伸びをした。
「ねぇあんたって外来人よね?」
そう言えば、さっき小町もそんなことを言っていたことを思いだしたルイズだったが、
それをそのまま伝えることも癪だと感じて、誤魔化してみることにした。
「さあどうなのかしらねぇ……。
それよりも、あんたはいったい何者なのよ?
妙な紅白の服を着て、いったいなんの用なのよ?」
「ああ、私は巫女見習い。
それでこの服は、巫女が着る服。
それよりも誤魔化さないでよ。そんなピンク頭の人間なんて、初めて見たんだからね」
「ピ、ピ、ピ、言うに事欠いてピンク頭!!」
この色は、偉大な母から受継いだだとか何とか、いろいろと声を張り上げているルイズを呆れて見ている少女。
「いやねぇ……最近、修行ばっかでつまんないのよ。
別に修行しなくても大丈夫って言ってるのにさぁ……どう思うピンク頭?」
その時、ルイズは彼女が超が幾つもつくほどのマイペースであることを覚った。
「別に知らないわよ紅白女」
半分、いやほぼ100%嫌味で言ったルイズだったが、どうも彼女には通じなかったようである。
「そりゃそうか。素人に分かるわけがないのは当然ね。
それじゃあ、何かして遊んでみましょうよ。
わたしって、同じ年代の子と遊んだことがないのよ実は」
あっけらかんとしている少女を見ていると、なんだかルイズは頭が痛くなってきた。
なんだこの女は、何事にも縛られていない感じがする。
自由すぎて疲れてくるのだ。
「とは言うものの、よく話に聞く隠れんぼとか駆けっことかしても、わたしから離れたあんたが妖怪に食べられそうだからね……」
「そうね。もっと安全な遊びをしましょう」
もうめんどくさくなってきたルイズは、適当に話を合わせながら小町を待とうと思っていた。
というか、そもそもいるじゃん妖怪。
ここ危険じゃん。
「それじゃあお手玉はどう?」
「お手玉?」
ルイズの疑問に答えないまま、少女はボールのような物を懐から取りだす。
それは布の袋で、その中には硬い豆のような物が入っていた。
これをお手玉というらしい。いくつかのお手玉をまとめて手に持った少女が、ゆっくりと口を開いた。
そこから紡がれるのは唄。穏やかに、それでいて心地よい拍子で歌われる中、少女が次々とお手玉を上空に投げ出していく。
右手から一個お手玉を上げ、それと同時に素早くもう一個また上げて、どんどんその動作を繰り返していく。
もちろん最初に上げたお手玉は落ちていくのだが、それをうまく捕まえるのは左手だ。
そして、左手はすぐに右手までお手玉を送り出していく。それを何度も繰り返す。繰り返す。繰り返す。
お手玉で出来る無限のループ。永遠に続く輪廻の輪。
世界の摂理なんてものは、こんな子供の遊びにこそ秘められているのかもしれない。
もっとも、今のルイズにはそんなことなどどうでもよい。
なんか、紅白の巫女見習いが光って見えたのが羨ましかった。
「今度はそっちがしてみる?」
「……うん」
「最初は二つで挑戦する方がお勧め。それに唄も歌わない方がいいかもね。
そんなことしてたら、集中できなくて失敗しそうだしあなた」
ルイズは少女からお手玉をもらうと、先ほどの彼女のようなポーズを取った。
そして、「えい!」という掛け声とともにお手玉を一個、宙に放り投げる。
(その後すぐにっ!)
もう一個を同じように投げたルイズ。
しかし、その時すでに彼女は失敗を犯していた。
(って、最初に投げたお手玉はどこ?)
一回目のお手玉を放り出す力が強すぎたのだ。
お手玉を見失ってしまって、視線をあっちこっちにやるルイズ。
そんな彼女の頭の上に、ポテッとそれは落ちた。
「ナイスキャッチね。あははは」
ちょこんと乗っかったのは、もちろんお手玉。
それを見た紅白娘が、我慢しきれずに笑っている。
プルプルと震えだすルイズ。
「ええーい、なんなのよこれ、つまんないじゃないの!!」
「ははは、別に怒ること無いじゃないのよ。
……それあげるわ。練習しておきなさい」
「ええ? なんでよ?」
どうも彼女自身にも、なんでそんなことを言ったのかは、分からなかったようだ。
「そうねぇ、なんか勿体ないじゃない。
お手玉ぐらい出来なくちゃ、生きてても人生損してるって感じでしょ?」
言い返してやりたい気持ちのルイズであるが、どうにも効果的な言葉が思いつけなかった。
それでもなにも言わないのは、絶対に我慢ならなかったルイズは、適当に記憶にある言葉を選んだ。
「ふん、生きてて損するわけ無いでしょ。生きてるだけで丸儲けなのよ」
小町は、死んでも罪は消えない。もっと大きくなると言っていた。
つまり、死んだらもっと罪が大きくなるのなら、出来るだけ生きてたほうが得なのかな、とルイズは何となく思ったのだ。
それを聞いた少女は、感心したのか「へぇー」と声を漏らした。
「なるほどねぇ……そういう考え方もあるのね。
でもそれだと、やっぱりお手玉ぐらい楽しめないと損じゃないの?」
「うっ!」
減らず口を、とルイズがさらに何かを言い返そうとした時、少女の顔つきが変わった。
「あ! やっばー。多分、もう話し合い終わってるわね」
紅白の少女は、何かを察したのかいきなり慌てだした。
それをボケッと見ているルイズ。
「それじゃあ、ちょっと修行に戻らなくちゃいけないから、また会いましょうね。
ああ、あとわたしと遊んだことは言わないようにお願いするわ」
急いで森の中を突っ切っていく少女。
「ちょ、ちょっと、これどうしたらいいのよ!?」
残ったお手玉二つを掲げるルイズに、豆粒のように小さくなっている少女から返事が聞こえた。
「今度会う時までに、上手くなってなさい」
そのまま少女は去っていった。
「はあ、なんなのよあいつ?」
お手玉を見たルイズは、なんだかとんでもない奴と顔を合わせていたのだと、今初めて知ったのだった。
「まったく駄目じゃないか!」
元の場所に戻ると、怒った小町に拳骨を食らった。
不条理だ、ああ、まったく不条理である。
これが幻想郷なのか。不意にルイズは、そんなことを思うのだった。
少女はいつもの修行場まで戻る間に、先ほどまで会っていた人のことを考えていた。
不思議な女の子だった。何となくここにいるみんなとは、違う空気を纏っている感じの少女だった。
「それにしても、生きるのは丸儲け……ね。
なんだか気に入ったわ。生きてるだけで儲けもの、ふふふ」
少女は物心付いた時から、博麗の巫女としての修行ばかりしていた。
特に最近は、先代の力が衰えただかで、修行付けの毎日である。
その名が持つ重さは、幼いながらも理解できる。
でもやはり、それだけでは満足できない自分がいることもまた確かだった。
ああ、早く一人前になりたい。
そうして、あとは自分勝手に生きていくのだ。
儲けて、儲けて、儲けまくってやるのだ。
例えばそう――
「友達とお手玉で、遊んだりなんかしてね」
「まったく運がないねぇルイズは。
まさか巫女の代替わりの最中に、こっちに来るなんてさぁ」
ルイズは、また小町に抱えられて空を飛んでいた。
幻想郷の空は、先ほどよりも少し薄暗くなっていて、どこからともなく恐怖の色が滲み出ている。
「それにハルケギニアなんて、どこにあるのかも知らないってきたもんだ。
っと、ああ別に帰れないってことじゃないよルイズ。
あそこに偶然いた胡散臭い妖怪様が、特別に探してくれるって話だからねぇ」
「胡散臭い妖怪?」
「まあ、あいつのことはどうでもいいとして、問題は住む場所だ。
今日明日には見付けられないって、あいつが言ってたのは本当みたいだから、それまでをどうしたらいいものか?」
悩んでいる小町。
そんな小町を見たルイズは、思った通りのことを素直に口にした。
「わたしは、小町のところがいい」
それを聞いた小町は、苦い笑みを浮かべる。
「それは駄目だよ。わたしは死神。
死神のわたしが、そこまで手を貸すわけにはいかないねぇ。
そもそも、ここまであんたに手を貸してる段階でけっこうやばいんだ」
そう言った小町を見たルイズは、自分が彼女に迷惑をかけていることにようやく気が付いた。
「別に気にすることじゃないよルイズ。
あたいが好き勝手やってるだけなんだからね。
それよりも、やっぱり人間の里が一番安全かな……おっ! あいつは……」
空を飛んでいる小町は、魔法の森へ続く道をすたすたと歩いている人物を見付ける。
その人物について思い出した彼女は、無意識の内にほくそ笑んでいた。
(ふんふん、あいつは確か……なかなか適任かもしれないねぇ)
「ここらで一回、降りるよルイズ」
獲物を狙う鷹のように、急加速をする小町。
歩いている人物は、すぐに誰かが降りてこようとしているのを察して、どんなことにも対応できるよう身構える。
しかし、それが自分に敵意がないことを知ると、あっさりと警戒をといていた。
小町に掴まったままのルイズは、降りた先に立っている眼光鋭い美少女を見た。
金色の髪を肩まで伸ばし、肌は白磁のように白い。
どことなく人形を思わせる、作り物めいた美貌の持ち主である。
「やあ、久しぶりだねぇ。今日も元気に生地獄を足掻いてるかい?」
「何よ、お迎えに来たって言うつもりなの。
もしそうなら……おもいっきり抵抗させてもらうけど」
「おいおい、お前さん仙人にでもなるつもりかい。
そうじゃなかったら、ちゃんと寿命を認めてくたばった方が後々お得だよ」
からかっているようでいて本気のような小町に、金髪の少女は嫌そうな顔をする。
「こんなところで死神と問答する気はないわ。
いったいなんの用なのよ……って誰よその子?」
そこで初めて、小町が抱えている人間に気が付いた彼女。
「そうそう、今日はちょっと彼女のことでお願いがあるんだ」
「このわたしに?」
「そうだよ、七色の人形遣い。
この子をちょっと預かってほしいんだ」
小町はそう言うと、ルイズを彼女の目の前に下ろした。
露骨に嫌そうな顔をする女。
そんな彼女に、小町がこうなった説明を話し始める。
心配そうなルイズの視線を受けながらも、七色の人形遣いと呼ばれた女性は、なんだかんだで真面目に話を聞いているのだった。
「事情は分かったわよ。
それで、このわたしに頼むっていうことにした理由はなんなのよ?」
ルイズに起こったことを聞いた彼女は、多少の同情を含んだ視線を本人に向けながらも、そんな疑問を口にした。
どうやら彼女、基本的に性根は優しいようである。
「今の幻想郷じゃあ、あんたぐらいだからさ。人間に友好的な魔法使いはね」
魔法使いという言葉を聞いたルイズは驚きながらも、複雑そうに彼女を見た。
「……まさか、この子に魔法を教えろっていいたいの?」
「いや、なんか魔法使いの間では、弟子を一人前に育てられたら達人だ、みたいな決まりがあるんだろう?」
「それは間違った与太話よ。各々の魔法使いがそれぞれの道を往くのに、一律の位階なんてつけられるわけがないの。
弟子を育てやすい一般的な魔法系統もあれば、誰も学ぼうともしない、事実上オンリーワンになってる魔法もあるのよ」
それを聞いた小町は、困ったように頭を掻いた。
「それにしてもハルケギニアね……ねぇルイズっていったかしら?
もしよければ、あなたの世界の魔法について話を聞かせてくれないかしら」
(くいついた!)
ニヤリとしそうな顔を無理矢理に押し込めて、小町はあくまで普通の表情をしている。
しかし、その心の内では、自分の狙いが間違っていなかったことに安堵していた。
魔法使いという種族は、揃いも揃って未知のモノへの探求心が馬鹿みたいに高いという特徴がある。
そんな内のひとりである彼女が、ハルケギニアというあの妖怪の賢者ですら知らなかった世界の魔法に、興味を持たないわけがないのだ。
どんな小さな情報でも聞き逃さないよう、彼女は根ほり葉ほりルイズを問い質していった。
「なるほどね。火水風土という四つの属性は、ある意味ではオーソドックスではあるけれど。
それでも精神力、マナを使わないでオドしか使わないようにしているには、何らかの意図があってのこと?
うーん……そうすると、杖を用意するという形式にも、何らかの意味が含まれていることになる……。
いやいや、そもそもブリミルというメイジの正体が不明なのよ……彼の使ったという虚無もだけど……」
彼女は、小町やルイズを視線を気にせず、ハルケギニアの魔法に関して自分なりに追及していた。
「おいおい魔法使いさん。ちょっといいかい?」
さすがに呆れた小町が、彼女の意識を現実に引き戻す。
「あ、ああ、どうしたの?」
「はぁ……ルイズの面倒は見てくれるんだろ?」
そこでようやく女は、自分が魔法使いとしての悪癖を晒していることに気が付いた。
「……ふぅ、ええ構わないわ」
そう言った彼女が、ルイズの目を見詰めた。
「わたしの名前は、アリス・マーガトロイド。
人形を操る程度の魔法使いよ。よろしくねルイズ」
自己紹介をしたアリスの後ろから、小さくて可愛らしい人形が数体現れて、
ルイズを歓迎するかのように、踊りを披露し始める。
「うわぁ、すごぉーい!!」
その華麗な舞いに感動するルイズを見て、少しだけ得意げになるアリス。
だが、思わずルイズが言った言葉に、
「こんな可愛いゴーレム見たことない!!」
アリスはおもいっきりずっこけた。
ついでに人形達も転んでいる。
「ゴーレム!! あなた今ゴーレムって言ったわね!!」
ルイズに詰め寄っていくアリス。
あれ、わたし何か間違ったこと言ったの?
不安で視線が定まらないルイズに、アリスは蕩々と言い聞かせた。
「いい? 不細工で下品なゴーレムと、わたしの可愛い人形(ドール)達を間違えるなんて二度と許さないからね!!」
「は、はい」
「じゃあ質問ね。彼女はなに?」
アリスは躍っていた一体の人形を、ルイズの前に差し出す。
「ドールです」
「違う。あなたの言葉には格調が足りないわ。
もっと、誇りと慈しみと愛しさを込めて言いなさい。
ドールマスターを目指すのには、ドールにたいする海よりも深く、空よりも広い愛が必要なのよルイズ」
(えっと、別にドールマスターなんてのには興味がないんだけど……)
「返事は!」
「は、はい!!」
その返事に満足したのか、うんうんと頷くアリス。
そんなアリスを見て、なんだかとんでもないことになったと思うルイズ。
小町は、ふたりを見てひとり満足そうに笑っている。
すでに幻想郷の太陽は落ちかけており、世界を染めているのは真っ赤な夕焼けと後の闇黒。
それでも小町は感じたのだ。ルイズの歩む先には、透き通った青空が広がっているのだと。
「それじゃあね、失礼させてもらうよ」
もうそろそろ帰らないと、さすがに上司から大目玉を食らうだろう。
あの優しいお人なら、こちらの事情も酌んでくれるだろうとは思う。
それでも、なるべく怒られる可能性を減らしたいのが人情(死神ではあるが)である。
そして、これ以上ルイズが自分といてもいいことはない。そう小町は考えていた。
「あっ……」
後ろを向いた小町を見て、無意識の内に呟いていたルイズ。
未練の糸。心細さの吐息。信頼の鎖。
死神は、そんなモノに縛られてはならない。影響されてはならない。
死は、あらゆる生命に与えられる絶対的な運命。
死こそ、世界の絶対的平等を象徴するモノである。
つまりそれを司る死神もまた、あらゆるモノに対して平等でなければならない。
誰かのために力を尽くすことなど、あってはならないのだ。
だから小町は、一度もルイズを見なかった。
ルイズは、彼女の本当の気持ちを察することは出来ない。
捨てられたのか? それも、分からない。
それでも、わたしはまたひとりになったのかも、とは思った。
家でもそうだった。
魔法の使えない自分は、いつもひとりだった。
優しくしてくれる人もいたが、その優しさが刃となって自分の胸に突き刺さるように感じたのは、何時頃だったのだろうか。
小町は、本当にわたしのことを考えてくれて、わたしなんかのために助けてくれたのだ。
でも、やっぱりひとりになった。
ルイズは、自分の目から涙が出ていることに気がつかない。
アリスは、そんなルイズを見て苛つきを感じた。
そして、そんなことを感じる自分自身を不思議だとも思った。
(孤独なのね)
それは、アリス自身にも当てはまるのかもしれない。
魔法の森の奥でひとり、完全な自立人形を作ることを目標としている自分。
誰かが訪ねてくることはほとんどない。
たまたま迷い込んだ人間を家に入れても、交流なんてなにもない。
人里まで行き人形劇をすることもあるが、
それも所詮技術の向上が目的であり、それが済み次第すぐに帰ってしまう。
彼女もまた孤独だった。
不意にアリスの中に浮かんだ疑問。
何故、人形を操ろうなどと思ったのか?
何故、完全な自己を持った人形を生み出そうと思ったのか?
すでに過ぎ去りし過去となり、忘れ去られた答え。
アリスは、自分でも何でか分からないが人形を操作していた。
「はへ?」
アリスが両手を持ち上げる。
次の瞬間、並んでいた人形以外にも、次々とアリスの荷物から人形たちが駆け出していく。
彼女たち? は揃ってルイズの前に並ぶと、深々と一礼。
そして……『それ』が始まった。
これから始まるのはそう――『歌劇』である。
――冴え渡るトランペット。
――響き合う弦楽四重奏。
――ティンパニが舞台を盛り上げ。
――人形達が人生の素晴らしさを熱演する。
ただの草むらの中が、超一流の集う歴史ある劇場になっていた。
どこまでも優雅で熱情。あまりにも過激で荘厳。
ミニチュアサイズの楽器なのに、その音色には魂が揺すぶられるほどの凄みがある。
人形しかいないはずなのに、その演技には人間臭さが満ちあふれている。
そう、それはただ単純に――素晴らしかった。
「うわぁぁぁぁ~~」
ルイズは夢中になってそれを、聞き、見て、感じていた。
両親と行った名門といわれている劇団なんて、それこそ比べるのもおこがましいぐらい、彼女たちは凄かった。
先ほどまでルイズの心を占めていた悲しさ、寂しさはすでに消え去っており、
年頃の少女らしい気持ちのいい笑みを浮かべた、普通の女の子がそこにはいた。
それを見たアリスは、自分でもよく分からないが、とても満足な気分になっていたのだった。
「楽しんで頂けたましたか、お嬢様?」
アリスとその人形達が、仰々しく頭を下げた。
「うんうん、すごいすごい。すごかったよアリス。
なんか、人間みたいだったみんな。可愛かった」
そのルイズの言葉を聞いた人形が喜んでいるのを、アリスは彼女たちを操るための魔力の糸を通して感じ取った。
嬉しいことを言ってくれるわね。そんなことを思いながらも、アリスはもうすっかり日が落ちていることに気が付く。
「あらあら、こんなに暗くなっちゃってるわね。
すぐに家に帰って休みましょうか」
そう言いながらテキパキと、人形達を片付けていくアリス。
もちろん、人形本体に命じているだけで、傍目ではアリスは見ているだけである。
ルイズは、ほんの少しだけ暗い顔をした。
「ねぇアリス。本当は迷惑なんじゃないの?」
先ほどの小町のことを思い出したのだ。
「ん、そうねぇ。本音を言うと煩わしいのもあるわよ」
それを聞いて、ますますルイズの顔が下を向いていく。
「でもね、ルイズにはいろいろ興味深い話を聞けたから。
魔法使いはねルイズ。等価の法則ってのを重視するものなの。少なくとも伝統的な魔法使いはね。
必ずもらったら、同じだけの価値のものを返さなければならない。魔法を使うにも、精神力なり何なりが必要でしょ。
それで、ルイズにはかなりのものを教えてもらったから、世話ぐらい遠慮することはないのよ」
ルイズが見たところ、アリスは本当のことを言っているようだった。
「それに、あなたは魔法が使いたいんでしょ?
だったら、わたしが教えてあげるから、素直についてきなさいよ」
「えっ、本当にいいの?……本当に使えるの?」
ルイズは、不安でしょうがないのだろう。
これで使えなかったら、本当に魔法の才能がないことになってしまうのだから。
それが不憫だと、アリスは思った。
ルイズに背を向けて、帰り道を歩き出したアリスが口を開いた。
「大丈夫だと思うわよ。だってそれだけの魔力を持っているのよ」
「そうなの?」
「ほんとよ。昔のわたしなんかより、とんでもない魔力量なんだもの。
それよりも問題は、教えられる時間がどれ位かよ。
死神の話じゃ、あのスキマ妖怪に話をつけてるみたいだから、それほど時間の余裕はないようね。
……ああそんなに心配そうな顔をしない。なんとかものになるようにするから」
「……よろしくアリス」
アリスは、ルイズに背を向けたまま、ビシッと右手の人差し指を一本立てて、
「アリス……じゃないわよ。マスターって言いなさい」
と注意する。
「は、はいマスター!!」
慌てて元気に返事をすると、ルイズは先に行く師の後ろをトコトコとついていった。
アリスの家は、なんてことのないごく普通の洋館だった。
こんな変なところ(幻想郷)にあるのだから、神社みたいに見たことのない建物なんじゃないかと思っていたルイズは拍子抜けしてしまう。
その中も、いたるところに人形がある点を除けば、まあ多少ごちゃごちゃしているがおかしな所はない。
「お茶が入ったわよ」
ルイズの目の前には、ふわふわ浮きながらトレイを持つ人形の姿。
それこそ生きているように、ルイズへ紅茶を持ってきてくれる。
一口、飲んでみたルイズ。
「……普通の味」
「まあね。特別な茶葉は使ってないから」
アリスも一口紅茶を味わった。
「いつも通りの味ね」
人形に煎れさせる以上、早々味が変わるはずがないのだ。
どんなに生きているように見えても、あくまで人形なのである。
「それで、ルイズはどんな魔法を使いたいの?
だいたいの系統は把握しているから、何とかなると思うけど……」
ルイズは、キッと紅茶を煎れてくれた人形を見る。
頭の中に浮かぶのは、あの幻想的な演劇だった。
「マスターみたいな人形遣いになりたい」
ルイズは、魔法が使えるならどんなものでもいいのだ。
それならば、『あれ』をみんなに見せてあげたい。
あれを見てくれれば、きっと笑ってくれるんだ。
絶対に認めてくれるんだ。
そうルイズは信じていた。
「そう……それでいいんなら、わたしは構わないけど」
アリスは、はたして彼女に人形遣いとしての才能があるのだろうか、という疑問を抱いていた。
あれだけの魔力があるのだ。それこそ、彼女の故郷であるハルケギニアの魔法に似ているものを選んだほうがいいはず。
そう思いはしたが、しかし、アリスは反対しなかった。
魔法の上達に一番必要なのは何かというと――それに恋をすることだ。
魔法に恋をして、恋心を持ち続け、それが愛に変わる時に初めて、相手はその力を委ねてくれる。
大切なのは想い。ならば、ルイズの想いの強さに懸けるだけである。
「それじゃあ、勉強は明日から始めましょうか。
今日はいろいろあったから、もう眠たいんじゃないの?」
「うん」
うーん、と背伸びをしたアリスは、人形達にベッドメイクを任せるべく、魔力の糸に力を入れた。
テキパキと作業をする人形達。
なんて便利な魔法なんだろう。そうルイズは思っていた。
「さてと、準備は出来たようね。
ベットは一つしかないから、一緒に寝ましょう」
そう言って、寝間着に着替えるため服を脱いでいくアリスは、
それを聞いて戸惑っているルイズを見て、ある問題に気が付いた。
今着ている服しか、ルイズは持っていないのだ。
アリスの持っている服で、彼女が着られる物はない。
その時、ルイズが口を開いた。
「大丈夫、いつも寝る時は下着だから」
「そう、よかったわ。でもいくつか服を用意しなくちゃね」
着替えたアリスは、ルイズと一緒に毛布の中に潜り込んだ。
部屋にはまだ明かりがついていたが、すぐに人形がランプの火を消す。
真っ暗な部屋の中、アリスの耳にルイズの寝息が聞こえてきた。
やはり疲れていたのだろう。ルイズを起こさないよう、小さく苦笑するアリス。
アリスは彼女について考える。
アリスの家がある魔法の森は、ただの森ではない。
幻惑作用のある茸。妖の気配を放つ木々。
それらが寄り集まった、とびっきりの『魔』が凝縮された森なのだ。
妖怪ですら好んで近寄らないこの森でただの人間は、普通に空気を吸い込むだけで体調を崩す。
しかし、ルイズにはその兆候は見られない。
それほど、『魔』と相性がいいのだろうか?
真っ暗な中、アリスはうっすらと目を開けて、寝ているルイズを盗み見た。
よく分からないのが本音だ。
魔力が多いのは確かである。
そんなことを考えていると、ルイズにある変化が起こった。
「……ひぐっ」
泣いているのだ。
眠りにつきながらも、涙を流しているルイズ。
それを見たアリスは、ルイズが愛されていたのだと理解した。
幼いがため愛されていることには気付いていないが、それでも心の奥底ではそのことを知っていたのだ。
そして、夢の中でそれを失ってしまったかもしれないことに恐怖し、そして悲しんでいる。
(まったくもって人間ね)
いろいろな感情がない交ぜになったアリスは、数体の人形を操る。
それは、寝ているルイズまで飛んでいくと、彼女の涙を拭った。
そしてそのまま、ルイズの頭を撫で、指を握り、体をぴったりくっつける。
(でも、こんな風にしている自分も人間みたいじゃないアリス?)
アリスは、自分自身に問い掛ける。
こうやって睡眠を取っているのもそう。
毎日食事を食べているのもそう。
妖怪になりきれていないアリスは、そんな自分を情けなく思い、そして、どこかで嬉しく思っている。
そんな間にも、夜は更けていく。
ルイズは結局、ハルケギニアに戻れたのか?
結論から言えば、それは無理だった。
一週間後、ルイズとアリスの前にある妖怪が現れる。
まことに胡散臭い美女であった。
「残念ながらハルケギニアという世界は、どこにも見当たりません」
彼女は、まったく残念そうではない顔つきで、そう言った。
ルイズは泣いた。最初の夜の比ではないぐらいに泣き続けた。
それでは、そのままルイズの涙は止まらなかったのかといえば、それは違う。
人間には、適応力というものがある。
どんな過酷な環境においていかれても、ある程度そこで過ごせば、その世界に適応できるのだ。
ルイズが迷い込んで約十年が経ったある日、幻想郷を見渡せる神社の一角のことである。
ひとりの妖精と、ひとりの人間が戦っていた。
スペルカードルール。
人間が唯一、幻想に生きる存在と対等に戦える方法だ。
妖精が宣誓する。
「これであたいが最強だって」
凍符「パーフェクトフリーズ」
襲いかかる氷の弾幕。
それをギリギリでかわすのは、桃色の髪の少女。
やがて嵐は過ぎ去る。その時こそ、彼女の反撃の時である。
「今度こそあんたと決着をつける!!」
剣士人形「炎髪灼眼のフレイムドール」
燃えるような赤い髪と目を持つ人形が、「轟」と飛び出した。
それを応援するのは、下で酒盛りをしていた紅白の巫女と白黒の魔法使い。
どうもこうも、元気でやっているのは間違いないようである。
後書き
ルイズの使うスペカ案。
鎧人形「鋼のリビングドール」
偶像人形「小生意気なバッドドール」
猛獣人形「小さき牙のタイガードール」
実力的には⑨と終生のライバル程度の力。