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キャンパスライフ

【vol.13】 法科大学院・法学部 尹 龍澤 教授

尹 龍澤 教授 9月26日(月)のテレビ朝日「報道ステーション・松岡修造のスポーツコ-ナ-」にコメンテーターとして登場した、尹教授に、「キャベツ投法と母校」との題でコラムを寄せてもらいました。キャベツ投法って何?と思われた方もいらっしゃるかと思いますが、韓国のプロ野球で冷凍キャベツを頭にのせてピッチャーが試合に出たことに対し、プロ野球委員会で、今後『キャベツ投法』を禁止するとの裁定が下された。韓国に詳しい尹教授にコメントをもらいたいという依頼だったそうです。さて、どのような内容だったのか、そこから見える韓国とは・・・

★「キャベツ投法と母校」

原稿に追われて夜更かしが続いていたこともあって、研究室でうつらうつらしていたとき、突然、電話が鳴った。電話の向こうで「尹先生ですか?テレビ朝日の者です。実は、韓国のプロ野球で冷凍のキャベツを頭にのせたピッチャーが試合に出たのですが、韓国のプロ野球委員会ではプロ野球規則に違反するとして、今後はこの『キャベツ投法』を禁止するとの裁定が下ったそうです」という声がした。寝ぼけた私の頭では、その話はほとんど理解できず、脳裏には、冷凍のキャベツを丸ごと頭にのっけて投げているピッチャーの姿が浮かんできただけであった。その姿は、滑稽さを通り越して不気味でさえあった。さすがにそれはないであろうと思い、再度、事の顛末を説明してもらうことにした。すると、暑さ対策として冷凍したキャベツの葉っぱを野球帽に忍ばせて試合に臨んでいたところ、投げた拍子に帽子が脱げて、中からキャベツが一枚ヒラリと落ちたというのである。 尹 龍澤 教授

ディレクターが言うには、今度、この事件を「報道ステーション」という番組で取り上げるのだが、日韓の法律を研究している者として、一言コメントをいただきたいということであった。そのときは、とっさのことであったので、「韓国人は、白か黒かという決断を求める傾向が強く、韓国人自身が、これを『黒白理論』といって自民族の一つの特性としてよく挙げる」といったようなことを述べた。後日のテレビ収録の際にも、同じコメントをしたのであるが、今考えると、曲がりなりにも、20年以上もアジアの公法を研究してきたのであるから、もう少し学問的な香りのする気の利いたコメントをすべきであったと反省した。

そこで、いまここで少し日韓の法意識について考えてみることにしたい。韓国人の法律に対する意識は、きわめて否定的である。韓国人の中には、法律は蜘蛛の巣のようなものであり、大きな虫は蜘蛛の巣を破って逃げ、小さな虫だけが蜘蛛に食べられるという者もいる。こうした法律に対する認識は、植民地時代や軍事独裁政権の下にあっては、法律が統治のための道具とされてきたという歴史的経緯が大きく影響しているものと思われる。このような法律に対する不信に比べて、伝統的規範である道徳や礼に対する信頼は、著しく高い。法律に違反する以上に道徳や礼に背くことは、周囲からの非難の対象になることも決して稀ではない。 尹 龍澤 教授

ところで、道徳、とくに礼は、その性質上、内面にとどまらず、行為として表にも現れることが要求されるものでもある。表に表れるとき、それは一種の美の形式を伴うことになる。韓国においては、目上の前でタバコを吸わないとか、お酒を飲むときは横を向いて視線を逸らすとか、さらにかつては、目上の前では眼鏡をかけないというものまであったそうであるが、これらはいずれも一種の美の形式ということができる。
確かに、韓国の野球規則では、選手は試合中に体に異物を付けてはならないという規定がある。日米の野球規則も、ほぼ同様の規定を置いている。しかし、多くの選手は、肩こりに利くといわれるマグネットのネックレスやマイナスイオンが出るというトルマリンで作られたブレスレットを身に付けて、試合に出場している。では、なぜ、冷凍キャベツは禁止されたのであろうか。このように考えてくると、実は、今回の問題の鍵は、キャベツには申し訳ないが、「キャベツが美に適うのか」というのにあったのではないかと思えるのである。
 ここまで論じてきたが、生真面目に考察するほど、かえって結論が不真面目な印象を与え、これ以上、筆を進めることに、今、誰よりも私自身が躊躇しているので、「キャベツ投法」についてはここで止めることにする。

しかし、世の中の出来事を、これまでに学んだ知識をもとに一つひとつ自分の頭で考えることは実に楽しいことである。良く、「大学で学んだことは何の役にも立たない」という人がいる。それは、「大学で何も学ばなかった」か「学んだことを役に立てるだけの能力が自らに備わっていない」ということを自白しているに等しい。私は、大学で、日本の法律を学び、外国の法律を学び、歴史を学び、語学を学んだ。当時は選択必須科目であった文学や体育、自然科学までも学んだ。また、寮生活やゼミで知り合った友人たちと、たまには夜遅くまで、人生について語ったものである。何かを考え、何かを行動するとき、その手掛かり足掛かりを与えてくれるものが、大学で学んだものであることを実感するときは多い。
 実は、私は明後日に亜細亜大学で行われる武蔵野市寄付講座「明日の地方自治」で「韓国の地方自治」について話をし、一週間後には、今年設立される「アジアスポーツ法学会」の準備委員として韓国に行き、そこで韓国、中国、日本、インドなどのスポーツ法研究者と語り合うことになっている。また、韓国では、大統領所属の国家機関である「国家清廉委員会」と「韓国腐敗学会」が共催するセミナーで、「日本の不正防止の現状と日韓の比較」について報告すると同時に、二つの大学で「日本の法科大学院における公法教育の方法と教材開発」についても話すことになっている。

 このように慌しい毎日を送っているが、今振り返ると、将来への希望と不安の入り混じった大学生活の中で学んだ知識と、そこで知り合った友人たちとの語り合いが、今の自分の基礎となっていることは間違いない。その大学とは、わが母校、創価大学と創価大学大学院である。ここには、若者の夢を実現するための、崇高な建学の精神と美しい環境、近代的な設備があり、そしてこれまでの先輩たちが築いた良き伝統が息吹いている。このような素晴らしい母校で学ぶことのできた感謝を込めて、今改めて、後輩たちに他大学に決して負けない教育をすることと、自身の研究をさらに深めることを、自らの肝に銘じたい。

(2005年10月23日尹龍澤)
尹 龍澤 教授
いん りゅうたく いん りゅうたく/
(好きな言葉) 夢と希望とサム・マネー  byチャップリン
(性格) 悲観的な楽観主義者
(趣味) 古本屋めぐり
(推薦図書) 『白凡逸志-金九自叙伝』金九著、梶村秀樹訳 平凡社

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