浜名湖ボート転覆:「事故は防げなかったのか」

2010年6月26日 20時22分 更新:6月26日 20時41分

C艇の転覆後、警察の船にえい航され岸に戻ったほかのボート=浜松市北区三ケ日町の浜名湖で2010年6月18日午後4時56分、瀬上順敬撮影
C艇の転覆後、警察の船にえい航され岸に戻ったほかのボート=浜松市北区三ケ日町の浜名湖で2010年6月18日午後4時56分、瀬上順敬撮影

 浜松市の浜名湖で訓練中だった愛知県豊橋市立章南中学校のボートが転覆して1年の西野花菜さん(12)が死亡した事故は、26日で発生から8日がたった。当時の様子が明らかになるにつれ「事故は防げなかったのか」との思いを募らせる関係者もいる。訓練を実施した「静岡県立三ケ日青年の家」や同校、浜松市などの説明をもとに、18日の事故を再現した。【仲田力行、山田毅、丸林康樹】

 ■正午すぎ 浜名湖付近に「大雨・強風・波浪・洪水・雷注意報」が発令された。注意報が出た時は、青年の家と学校が訓練を行うべきか協議するルールだったが、青年の家は学校側に注意報の連絡をしなかった。

 ■午後1時55分ごろ 救命胴衣着用後、青年の家の所員が教諭・生徒に「これぐらいの雨なら大丈夫です。行います」「雷や波が高くなったら戻ってきます」と説明した。

 ■午後2時35分 1年生94人と教諭らが分乗した手こぎボート4隻が風上の東に向かい1列になって出航。「風速3~4メートル。波も激しくなかった」(青年の家・檀野清司所長)

 ■同50分ごろ? 強い南風が吹き始めた。先頭に立つA艇の指導員が船首を南に向け横風を回避するよう無線で指示。青年の家の方へ戻ろうとした。

 ■同55分 生徒18人と教諭2人が乗るC艇(全長7メートル)が北に流され、教諭が無線で「船酔いで3人ほどこげない子がいる。レスキューお願いします」と要請。青年の家側は「そこに待機してください」と指示した。C艇は岸から約100メートル離れていた。

 ■午後3時15分ごろ 所長ら2人がモーターボートで現場付近に到着。C艇に接近できないほど波が高くなっていた。C艇からロープを投げてもらい、所長がモーターボートを運転してえい航を開始。所長がえい航をするのは初めてだった。

 ■同20分ごろ? C艇が転覆した。「(えい航され)まずオールが飛んだ。人間も飛ぶかもしれないと思っていたらボートがひっくり返った」(C艇の女性教諭)。「早く子供たちを岸へ戻したい気持ちも働き、少しスピードが上がったのではないか」(檀野所長)

 湖に投げ出された20人のうち、女性教諭と10人近い生徒がひっくり返ったC艇の内側に閉じ込められた。船体と湖面の間に空間があり、救命胴衣をつけていたため呼吸はできたが、中は薄暗かった。「死にたくないよー」。生徒が叫んだ。女性教諭は「がんばろう」と励ました。

 だが次第に波が大きくなり、息苦しくなった。危険を感じた女性教諭は呼びかけた。「みんな、大きく息を吸って出るよ」。そして再び「出るよ!」と声をかけて水中に潜り、C艇の外へ脱出した。

 この教諭から話を聞いた檀野所長は湖に潜り、まだC艇の内側にいた計3人の生徒を1人ずつ救助した。「3人以外は見えなかった」(檀野所長)。このほかC艇のへりにつかまっていた男性教諭らも引き上げられ、計10人がモーターボートに乗せられて岸に戻った。

 ■同31分 青年の家が119番した。

 ■午後4時18分 浜松市消防局の水難救助隊員が、C艇の上にまたがっていた4人を新たに救助。「C艇の下にも手を入れたが、人は発見できなかった」(同局)

 その後、C艇の20人のうち19人まで救助されたが、檀野所長も1人に数えられるなど情報が混乱し、一時「全員救助」の誤報が流れた。「救出時間ごとに搬送先が異なり、ほかのボートからの搬送者もいて、学年全員の名簿を確認しないと安否が分からなくなった」(豊橋市教育委員会)

 ■午後5時41分 「西野さん不明」の連絡を受けた水難救助隊が、C艇の下の捜索開始。

 ■同51分 船尾付近でうつぶせに浮いた西野さんを発見。既に心肺が停止していた。

    ◇

 訓練に参加した生徒たちは小学校を卒業してまだ3カ月足らず。22日に営まれた西野さんの葬儀で、父友章さんは「明るい子でした。笑顔で送ってほしい」と声を絞り出した。25日の豊橋市の説明によると、事故のショックでいまだに登校できない子もおり、24日は7人が欠席した。

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