鳩山由紀夫前首相の最後のぶら下がり会見は2日夕、行われた。秘書官から催促され、打ち切ろうとした鳩山前首相に最後の質問を試みた。「8カ月ちょっとの在任期間でしたが、これだけは本当にやりたかったと思うことは?」
「やり残したとすれば日露関係。領土問題で今年は3回、メドべージェフ大統領と真剣に議論できるなと、非常に楽しみにしていた。必ずそこで進展があると、自分なりに心に誓うものがあった」
鳩山前首相の言動に、祖父、一郎元首相からの隔世遺伝を感じることが時にある。54年、初の組閣を終えた一郎氏は側近に「僕の政治家としての使命は日ソ交渉と憲法改正にある」と語った。事実、56年、病身を押して訪ソし、日ソ共同宣言に調印した。だが、肝心の領土問題は先送りされたままだ。それだけに、鳩山前首相の領土問題への思いは強かった。
ぶら下がりに先だって開かれた両院議員総会で、「日本の平和は、日本自身で作り上げていく時をいつかは求めなくてはならない」「米国に依存し続ける安全保障をこれから50年、100年続けていいとは思いません」と、鳩山前首相は自主防衛論を展開した。これを成し遂げるには改憲が避けられない。
一郎氏が残した政治課題に着手することなく鳩山前首相は退陣に至った。その要因について中曽根康弘元首相は「指導力の未熟さ」を指摘する。逢坂誠二前首相補佐官は「部分的には最適であっても、統合する力が弱かった」と、総括する。
自民党に代わる新たな政治を実現するには、鳩山前首相が追い求めた「コンダクター(指揮者)型」の指導者像では限界が見えていた。そこで最後の最後、「退陣の弁は力強かった。なぜもっと早くやらなかったのか」と、尋ねた。
「総理という職の緊張感の中で十分に自分自身を出し切れなかった」
鳩山前首相の表情は就任時の柔和さを取り戻していたが、時すでに遅かった。(専門編集委員、64歳)
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「松田喬和の首相番日誌」は鳩山由紀夫氏から菅直人氏に首相が交代した後も毎週土曜日に掲載します。
毎日新聞 2010年6月5日 東京朝刊