<moku-go>
鳩山由紀夫首相の退場といっしょに、外務省の密約文書調査も終わった。幕引きに当たって岡田克也外相はこう言った。「外交文書を失うことは歴史を失うことである」
一般論なら名言だが、今回の調査結果に限って言えば迷言である。なぜなら、核密約はまだ「過去の歴史」ではない。いま現在の日本の核戦略そのものだからである。
外相の言った「外交文書」とは、東郷和彦氏が外務省条約局長時代に作成した「赤ファイル」のことである。東郷氏は、核密約に関する外交文書やメモをまとめて「後任に引き継いだ」と国会で証言した。調査委員会に依頼して調べた。その結果、赤ファイルだけが見つからなかった。委員会は「不用意な文書廃棄が行われ、いわゆる密約関連文書を含む重要文書が失われた可能性は排除できない」と結論した。
核の「密約」には、「密」と「約」の二つのアプローチがある。「密」のアプローチとは、機密文書や記録があったのか、ないのか。あるとすればいまどこにあるか、という文書管理の問題である。岡田外相はこれを調べた。佐藤栄作元首相とニクソン元大統領がサインした「沖縄核密約」は、実物が見つかった。赤ファイルは行方不明だった。
「約」のアプローチとは、密約の中身についてである。米国の核の傘のもとで日本の核政策はどう運用されているのか。最近の用語では「拡大抑止」の問題である。
核兵器を搭載した米軍の艦船や航空機が日本に事前協議なしに立ち寄ることができるという約束はいまも有効なのか。極東有事のさい、沖縄の嘉手納や辺野古に米軍が核兵器を持ち込むことに、事前協議で反対しないという約束は無効であると日米で合意したのか。
岡田外相は、「約」の内容には触れないまま、密約問題に幕を引いた。その一方、鳩山氏は首相在任当時、非核三原則を守ると述べた。
密約を踏まえた「非核三原則」なら、歴代自民党政権と変わらない。いっそ菅直人新政権で「非核二原則」と改名すればいい。
それとも菅首相は、過去の核密約を破棄して、本当に本当の非核三原則を貫くつもりか。だとすると、米国の核の傘の戦略、とくにオバマ大統領の拡大抑止論と矛盾してくるのではないか。
菅首相は学生時代に永井陽之助氏に学んだと言った。永井氏の「平和の代償」は当時の社会党の非武装中立論を批判している。菅首相が永井氏をもちだしたのは非核二原則へ転じる布石だろうか。(専門編集委員)
毎日新聞 2010年6月10日 東京朝刊