<sui-setsu>
チェコのクラウス大統領の「『環境主義』は本当に正しいか?」(日経BP社)は非常に刺激的な本である。
大統領によれば、「環境主義」とは根拠のない地球温暖化を言い立てて、人々に途方もない無理を強要する政治イデオロギーである。科学ではなく新種の宗教。
批判を許さず自分たちの世界観を押しつける点で共産主義と同じだ。どちらも権力を握るのが目的である。自由な社会の根底にある基本的原理を攻撃している、と。新自由主義の元祖ハイエクやフリードマンの系譜に連なる経済学者らしい考え方だ。
環境主義者は市場経済の問題解決能力を過小評価するか無視している、と批判する。とりわけ「費用便益分析」が大事。ざっくり言うなら、二酸化炭素の排出削減ありきでなく、そのコストをよく考えろということであろう。
この本の中で、当然といえば当然だが、「京都議定書やこれに類する計画には反対」と明言している。成功の見込みがないのに、莫大(ばくだい)なコストのかかる独断的目標を掲げている、と。
「京都」の枠組みなどナンセンスだとおっしゃる。
とすると、あれはどうなのか気になる。日本は先ごろ「京都」の目標達成のため、チェコが余した温室効果ガス排出枠のうち4000万トンを(おそらくは500億円以上で)買った。大統領はそのことをどう見ているのだろう。
その取引にかかわった人の話では、チェコ側は別段、ホクホクするでもなく、日本に感謝するふうでもなかったそうである。なぜか不愉快。
大統領の答えを想像してみる。「京都議定書はまったく評価しないが、日本が買いたいというのを止めようとは思わない。京都議定書にサインした以上、日本にはその目標を達成する義務がある。なんと愚かなことをする国だろうとは思うがね」
日本はウクライナからも昨年、余剰排出枠1500万トンを約200億円で買ったが、そのカネが行方不明になって大騒ぎになっている。「悪銭身につかず」。そんなことわざを思い出す。
こうした「ホットエア」取引は、数字合わせの粉飾決算である。あしき「環境主義」というほかない。「ポスト京都」にこの悪習を持ち込んではならない。
それにしても、温室効果ガスを90年比25%削減した場合の日本経済の得失について、政府はきちんと公式見解を出すべきだ。学者の試算から、都合のいいものをつまみぐいしている現状は情けない。クラウス大統領に笑われてしまう。(専門編集委員)
毎日新聞 2010年6月2日 東京朝刊