前回の消費税のエントリーは、筆者の意見というよりは、財政学者や税金の専門家などで長年議論されコンセンサスとなっている事柄をただ整理しただけである。よって、概ね賛成意見が多かったのだが、小飼弾氏をはじめ何人かの読者が消費税の欠点を指摘した。最も典型的な反対意見は消費税は逆進的だということである。これに対してはすでに池田信夫氏が実証研究の結果を元に反論しているが、今回のエントリーではさらに消費税の重要性を考察することにする。
そもそもなぜ国民は税金を払わないといけないのか

我々は官僚や政治家を食わせるために税金を払っているわけでもなければ、過疎地の誰も使わない高速道路や美しい日本の河川を台無しにするダムを作るために税金を払っているわけでもない。世の中には警察や国防など市場原理だけではうまくいかないが必要なサービスがある。また、送電線や通信網を敷設するような事業は市場原理だけではうまくいかず、国が公共事業として行うほうがいいこともある。こういった社会の有用な共通経費を皆で負担するために税金があるのである。

筆者は国が守るべきは国民生活のミニマム・スタンダードであり、それ以上の富の再分配は必要ないと考えている。しかし、富める者の子弟だけが教育の機会を得ることができる社会は、身分を世代間で固定してしまい、活力ある社会にはならないだろう。よって、平等に教育の機会を与えることも重要であり、そのために結果としてある程度の富の再分配は容認できよう。しかし、この場合も教育バウチャーなどを使い、教育の供給者にも最大限に競争原理が働くように制度設計するべきである。また、人は交通事故などで重い障害を負い、働くことができなくなってしまうかもしれない。こういった個人の偶発的な不幸に対して国家が最低限の保険を提供することも正当化できよう。

税金はなぜ必要なのか。それは警察や軍隊などの国の必要経費を皆で分担するためと、子供に平等に機会を与えたり、病気や障害などで働けなくなってしまった人を保護したりするためなのである。

最もフェアな税金とは

以上のように考えると、最もフェアな税金とは何かが明らかになろう。それは全ての国民が同じ金額の税金を払うことである。我々には移住の自由があり、職業選択の自由がある。皆、普段は意識しないかもしれないが、日本国憲法で保証されたこれらの自由のおかげで我々は奴隷ではなくなるのである。我々は自由であり、警察による治安維持や、国防による安全保証を皆等しく享受できるのならば、当然、そのための経費も等しく負担しなければいけない。当たり前のことである。

簡単に見積もると、日本の一般会計は100兆円程度の歳出をしていて、日本国民が1億人いるとすると、ひとり頭100万円の税金を負担すればいいいことになる。一家4人なら400万円である。これだけの税金を払ってようやく一人前なのである。会社で働いている人は、会社の法人税も間接的に払っていることになるので、所得税だけでこれだけの税金を払う必要はない。逆にいえば、これだけの税金を納めていないなら、それは必要以上に税金を納めている人達の所得が移転しているのである。

累進性とはノンセンスな概念

累進性や逆進性とはなんだろうか。所得に対していったい税金を何%払うか考える。累進性とはこの割合が所得が増えるほど大きくなることで、逆進性とはこの割合が小さくなることである。しかし、税金とは本来必要な国の共通経費に対していくらを各自が負担するかである。累進性や逆進性もない定率な税制だとしても、1億円稼ぐ人は100万円しか稼がない人の100倍も払うのである。その上に日本では高額所得者への課税が世界的に見て極めて高いのである。中・低所得者がほとんど税金を払わない一方で高額所得者が非常に多額の税金を納めている。もう一度いうと、たとえば10%というフラットな税制でも、年収1億円の個人は年収100万円の個人よりも100倍も税金を払うのである。国家から等しいサービスしか受けられなくて、誰もが等しく移住の自由と職業選択の自由を保証されていたとしてもだ。フラットな税率でさえ、このようにひどく不公平なのに、それを累進的にすることにどんな意味があるというのだろう。このように頑張る人、果敢にリスクに挑戦する人を税制で罰していては、国は早晩滅びよう。

税の累進性や逆進性を議論することは甚だノンセンスなことなのである。国民の卑しい嫉妬心に浸け込む堕落したポピュリズム政治といっても過言ではない。

現実問題として日本に選択肢はない

以上、いろいろ理屈っぽいことを書いてきたが、実際にはそのような議論はあまり意味がない。なぜなら現実的に解をみつけようとするならば、法人税の大幅減税、高額所得者に対する所得税の累進性の軽減、消費税の増税以外の合理的な答えはみつからないからである。

近年、グローバル化により経済活動は簡単に国境を超える。そのような中にあって、不合理な税制を持つ国は多国籍企業による合法的なタックス・アービトラージやレギュラトリー・アービトラージの餌食となり、また、有能な人材や生産性の高い会社が流出することになる。これは非常に簡単な理屈である。他方に法人税が非常に安い国があり同じ経済活動を営めるならば、水が高いこところから低いところに流れ落ちるように、企業活動は税金の低い国に流出していくからである。高度な技能を持った人材、彼らは往々にして高額所得者なのだが、彼らもまた遅かれ早かれ税金の低い国に流出していく。そして、そういう国には政治力を使って様々な補助金を引き出そうとする個人や、政府の補助がなければ経営できない弱い企業ばかりが残ることになる。

アジアでこのようなことを眺めてみれば、日本はシンガポールや香港に比べて法人税や高額所得者の所得税が極端に高い。これはシンガポールや香港に優秀な人材や多国籍企業の中枢機能を無償でプレゼントしているようなものである。消費税は、高額所得者や多国籍企業の国の選択において、それほど重要な税金ではないので、まだ上げる余地はある。しかし、現在の状況からいって、所得税の累進性と法人税を上げるのは、日本にとって自殺行為になろう。長期的な税収を減少させるだけである。

要するに、日本は税金を上げるのならば消費税以外の選択肢はもともとないのである。

お金を稼ぐことはいけないことでしょうか。いけないことでしょうか。
鷲津政彦、ハゲタカ