記事入力 : 2010/06/25 16:08:11
【コラム】北朝鮮サッカーの善戦を願うワケ(上)
極端な守備中心の北朝鮮サッカーは、バランスが崩れると一気に大敗する弱点を抱えている。普段は住民の目と耳を徹底して塞いでいる北朝鮮政府がテレビでの生中継を決めたのは、そのリスクをよく理解できていなかったためとみられる。また、金正日(キム・ジョンイル)総書記が大のサッカーファンという事実とも関係があるかもしれない。
1966年のイングランド大会で、北朝鮮はベスト8に進出するという奇跡を成し遂げた。当時、選手たちは英雄となり、北朝鮮の住民はサッカーに愛情を注ぎ始めた。しかし、直後の67年に金日成(キム・イルソン)主席が甲山派(咸鏡道派)を粛清したのをきっかけに、北朝鮮のサッカーは没落していった。当時、北朝鮮でサッカーの強化に努めていた朝鮮労働党中央委員会組織担当のパク・クムチョル秘書や、思想担当のキム・ドマン秘書らが粛清されると、その影響はサッカー界にも及んだ。W杯の英雄たちの出身成分はいずれも地主階級、あるいは商工人階級だったという。とりわけ66年大会でキャプテンを務め、国際サッカー連盟(FIFA)からベストイレブンにも選ばれたシン・ヨンギュは、大地主の息子だった。だが、チームは解散させられ、シン・ヨンギュも咸鏡北道生気嶺の炭坑に追いやられた。シン・ヨンギュはその後も、サッカー界に復帰することはできなかった。また、朴斗翼(パク・トゥイク)を除くほとんどの選手たちも収容所、あるいは地方へ追いやられた。次の時代を受け継いだユン・ミョンチャン元監督(99年に韓国へ亡命)は、「甲山派が粛清され、サッカーの命脈は途切れてしまった」と話す。
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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