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第三話 ゴールデン・チェリーブロッサム
<部活棟 文芸部(SSS団)部室>

放課後。キョンが部室のドアを開くと、そこにはピリピリとした空気が流れていた。
その緊張の発生源は、腕を組んで苛立った顔をして座っているアスカにあると思われる。
アスカの視線はシンジを思いっきりにらみつけていた。
レイはその差すような視線を全く無視して本を読み漁っていて、シンジは暗そうな顔をしてうつむいている。
キョンは触らぬ神にたたりなしという事でアスカの隣ではなく、シンジの隣にゆっくりと腰を下ろした。

「なあ、お前らケンカしてるのか?何でこんな険悪な雰囲気なんだよ?」

キョンはシンジのまとう暗い空気も気になって、小声でシンジに耳打ちした。

「今朝慌てて間違って、アスカのお弁当の目玉焼きに醤油をかけてしまったんだ。彼女はソース派だったのに」
「そ、そうか、それは大変だな。あまり考え込まない方がいいぞ」

シンジの圧倒的な暗さとアスカの鋭い犬のような視線に、キョンはたじろぎながら、内心凄くあきれながら席に着いた。
あまりのくだらなさに普通の友達ではありえない発言内容に気がつかなったようだ。
話す相手の居ないキョンは、ざっと部室の中を見回す。
文芸部室だったころには本棚とテーブルとパイプ椅子しかなかった寂しさも感じる室内だった。
それが今はハルヒがそこらじゅうから集めてきたものであふれている。

「まったくハルヒのやつ、ここで生活でもするつもりか?」

キョンは布団や洗面用具、おやつのスナック菓子や食器まで揃えられているのをみて、あきれて溜息をついた。
気まずい空気が流れる室内に、部室のドアが思いっきり開けられ、壁に叩きつけられる音が響く。
キョンやシンジ、アスカが視線を向けた先には、笑顔のハルヒが立っていた。

「やあやあ、皆の衆!欠席はしていないようね、感心、感心!」

キョンは場の空気が読めず、張り詰めた雰囲気をぶち壊しにしたハルヒに感動すら覚えていた。
団長と書かれた三角コーナーに腰を下ろしたハルヒは、同じく団長と書かれたリストバンドを身に着け、ここ数日の習慣になっている例の言葉を叫ぼうとする。
しかし、ハルヒが叫ぶより早く、シンジがお茶が入った湯呑を載せたお盆を持ってハルヒの側にやってきた。

「ほーお、今日はあたしが言う前に持ってきたか。あんたは団長に対する心遣いってものが良く分かってきたようね。アホアスカやダメキョンよりよっぽど使えるわ」

ハルヒが腕組みをして尊大な態度でウンウンと頷いていた。
アスカはほおを膨らませて不機嫌な表情で吐き捨てる。

「ハンっ、誰にでもしっぽを振る男って最低っ!」
「あんたって手慣れているわね。アホアスカに家事とかやらされているの?」

ハルヒは皮肉っぽい笑顔を浮かべてシンジに問いかけた。
するとアスカは顔を真っ赤にして両手をテーブルに叩きつけながら立ち上がりながら怒鳴る。

「バカシンジっ、なんでアタシがアンタと一緒に暮らしていることをこの女に話しちゃうのよっ!」
「え、僕は話してないけど……」

場の空気が緊迫したものから、凍りついたようなようなものに変わった。
キョンは信じられない、と言った疑いと驚きの入り混じった表情でアスカを見つめる。
ハルヒは勝ち誇った表情でアスカに話しかける。

「へー、ふーん、一緒に暮らしてるのか」
「い、今のは嘘よっ!大嘘なの!このアタシがこのバカと一緒に暮らしてるなんて、あるわけないじゃない!」

顔を赤くしてアスカは手を勢いよく上下に振りまわして否定した。
ハルヒはイタズラ猫のような不敵な表情を崩さない。

「アスカってさー、意外とヘッポコでドジキャラなのね」
「まあ、場の雰囲気が和んで良かったな……」

一緒にクスリと笑うシンジを見て、キョンはしみじみと溜息をついた。
その後ハルヒは部室を見回しながら何かを考えるように黙り込み、部室には平穏なけだるい空気が流れた。

「そうよっ!パソコンよ!」

突然大声を出したハルヒに、居眠りをしていたキョンは驚いて飛び起きた。

「この情報化社会にパソコンの一つもないなんて、おかしい話だと思わない!?」
「おいおい、とは言っても、当てがあるのかい?」

気だるそうに宥めるように頭をかきながら問いかけるキョンに向かって、ハルヒは指を突き立ててウインクをする。

「大丈夫、策はあるわよ。じゃあ、演劇部に行ってくるからっ」

そう言ってハルヒは元気に部室を飛び出して行った。
ぼう然と見送るアスカとシンジとキョンの3人。

「なんで、パソコンを調達しに行くのに演劇部なのよ。ああっ……もうワケが分からないっ!」

アスカは頭をかきむしって呟いていた。

「俺も同じですよ、惣流さん……」

キョンもそれに同意をした。
特にすることもなく、シンジはキョンのオセロの相手をすることになり、アスカは頬杖をついて退屈そうにその様子を眺めていた。
レイは本を読むか本棚と椅子の間を往復するぐらいの動作しかしていなかった。
放課後になってからかなりの時間が経ち、夕闇の気配がしはじめたそのころ、またもや部室のドアが勢いよく開け放たれた。

「ジャーン!お待たせ!」

笑顔で戻ってきたハルヒの手には2つの紙袋が握られている。
赤と水色の2種類で、中から紫色の布の切れ端のようなものが顔を出している。

「おいハルヒ、手に持っているものは何だ?」

キョンが質問すると、ハルヒは紙袋をテーブルに置いてその中身を取り出す。
中から姿を現したのは俗に言う『メイド服』というやつだった。

「……んで、それをどうするのよ?」

テンションが高いハルヒに対して、アスカはあきれてテーブルに広げて置かれたメイド服を見ていた。

「着るのよ」
「誰が?」
「あんた」
「アタシ?」

ハルヒとアスカの間で短い問答が行われた後、アスカは体を震わせて真っ赤な顔をしてハルヒに向かって指を突き付けて怒鳴る。

「アンタ、バカァ!?このアタシがこんな服、着るわけないじゃないのっ!」
「団員は団のために体を張るのが当然でしょっ!あんた団長命令に逆らう気!?」
「なに逆切れしているのよアンタ!?」

にらみあうアスカとハルヒの間に慌てて入ろうとするシンジ。
キョンは放っておけばいいのに、要領の悪いやつ、といった感じで手で顔を押さえてあきれた感じでシンジを見やる。
もっとも、キョンにアスカのメイド服姿をみたいと言うやましい下心があったとしても誰が責められようか。

「あのさ、アスカも嫌がっているんだから、ここはやめておいた方が……」

案の定、止めに入ったシンジはハルヒに思いっきりにらまれる。
しかし、シンジは心の中で例の名台詞「逃げちゃダメだ」を連発してハルヒをにらみ返す。

「嫌だって言っているんだからさ、やめろよ!」

シンジはさっきとは打って変わって強い口調になった。
ハルヒはカチンときたのか面白くないと言った表情になる。

「なに、あんたこの子をかばっちゃってさ。二人、デキてるワケ?」
「ち、違うってば!」

シンジより先にアスカが真っ赤な顔で即座に否定した。

「じゃあ、あんたが代わりにこのメイド服着なさいよっ!」
「お、おいハルヒ、男には無理だろう……」

ヒートアップしてシンジの胸倉をつかむハルヒをキョンが慌てて止めに入った。

「そうかしら、結構イケると思うんだけど」
「あ、あの……僕……」

ハルヒにつかまれたまま、言い淀んでいるシンジを見て、アスカは溜息をついた。
そして顔を皮肉を言う表情に変える。

「ああ、無敵のシンジ様にそんなことをさせるなんて、アタシには耐えられませんわ」

アスカはワザと白々しい困った感じのジェスチャーをしてシンジを挑発するように声を上げた。

「……こう言えば、シンジのやつもはっきり断るわよね。アイツそんなに度胸ないし」

アスカは誰にも聞こえないような小さな声でそう呟いたが、その後の展開は彼女の予想を裏切るものだった。



<部活棟 コンピュータ研究会部室>

コンピ研の部室の前の廊下には、デジタルカメラを持ったハルヒと、化粧をして胸に詰め物をしたシンジが立っている。
ハルヒがコンピ研からパソコンを強奪する作戦の詳細をシンジたちに告げると、シンジはアスカが止めるのも聞かずに女装をしてメイドの服を着ることを承諾した。
写真部からはシンジのメイド服姿の写真のネガを譲ると言う事で上手くデジタルカメラを借りることができた。

「……やっぱり、僕が男だって黙っているのは悪いんじゃないのかな……」

気に病んだ表情でブツブツと言うシンジに、ハルヒは叱咤激励の言葉をかける。

「大丈夫、あんたの女装は完璧だませてるって。あたしの見込んだ通りだわ、こんなにも似合うなんてね」
「しまいにはアスカは僕を変態扱いして怒っちゃうし……」

気弱になって溜息をつくシンジの首根っこを後ろからつかんで、ハルヒは念を押すようにシンジにメンチを切るようににらみつける。

「いい、ことが済む前にあんたが男だってバレたら作戦は失敗なのよ!?」

シンジがぎこちなく頷くと、ハルヒは準備オッケーとばかりにコンピ研の部室のドアを勢い良く開けた。
部室のドアが勢いよく開け放たれ、ハルヒが姿を現した時、コンピ研の部員たちは全員唖然ぼう然としてハルヒの姿を見て固まっていた。

「こんちはー!パソコン一式頂きにまいりましたー!!」

腰に手を当てたお決まりのポーズで笑顔でそう言い放つハルヒに後ろに黙ってついて来ているシンジも思わず固まった。
コンピ研の部員たちはハルヒを知っているのか、ハルヒを指差してザワザワと囁き合っている。
その唯我独尊な態度で仁王立ちするハルヒの前に席から立ちあがったコンピ研の部長が怯えながらも気丈に声をかける。

「き、きみ、いきなり部室に入ってきて失礼だな!そんなことできるわけないだろう?」

そう言って断るコンピ研の部長の前に、ハルヒはメイド服姿のシンジを連れてくる。
長い黒髪のかつらを被り、顔を赤らめてモジモジするシンジの姿は、勤め始めたばかりの花も恥じらう新人メイドといったいでたちだ。
コンピ研の部員たちからも次々と歓声が上がっている。
ハルヒはそんなシンジの肩に手を置いて、コンピ研の部長に提案をする。

「この子の写真を好きなだけ撮らせてあげる、って言ったらどうかな?」
「そ、それは充分に魅力的だが、パソコンは高価なものなんだ、おいそれと譲るわけにはいかない!」

渋るコンピ研の部長の態度を見て、ハルヒはイタズラを思いついた少年のような意地悪にも見える小悪魔的な笑顔を浮かべる。
そして、コンピ研の部長の手首をつかむと、強い力で目の前に立つシンジの胸元に引っ張り……胸をつかむような状態になる。
胸をつかまれたシンジはそのままショックでへたり込む仕草をする。
その様子をハルヒは持っていたデジタルカメラで激写した。

「さあ、セクハラの証拠写真を押さえたわ!これを学校中にばらまいて欲しくなかったら、最新機種のパソコン一式をよこしなさい!」

勝ち誇った顔でそう言い放つハルヒにコンピ研の部長はたまらず叫ぶように言い返す。

「そ、そんなのでっち上げだ!こ、ここに居る部員全員が証人だぞ!」
「そうだそうだ!」
「そうよそうよ!」

コンピ研の部長の言葉に、部員たちも加勢した。
シンジは青い顔をして溜息を吐くしかなかった。
ハルヒからこのセクハラ作戦を聞いたとき、服の上からでもアスカの胸をもませるなんて、とてもじゃないが賛成はできなかったのだ。
部員たちの言葉を聞いたハルヒはいけしゃあしゃあと勝ち誇った態度を崩さずに言い放つ。

「じゃあコンピ研の部員全員でこの子を《放送禁止用語》したって学校中に言いふらすわ!」
「そ、そんなあ」
「お、横暴よ!」

ハルヒの爆弾発言を何度も叩きつけられたコンピ研の部長はついに心が折れたようにがっくりを肩を落として、ヤケクソ気味にハルヒに向かって呟く。

「持ってけ、ドロボー……」
「じゃあ、貰っていっていいのね?」

満足したようにコンピ研の部長を見下ろすハルヒ。
コンピ研の部長は弱々しくハルヒにおずおずと返事をする代わりに懇願をする。

「よかったら、この子にたまにこの部に遊びに来てくれるように言ってくれないか?」

コンピ研の部長は女装したシンジを指差してそう言うと、ハルヒはサラッとした笑顔でシンジの肩に手をかける。

「えーえ、もう。大歓迎よね」

シンジは愛想笑いを浮かべて黙ってコクリと頷くしかなかった。
その後のコンピ研の部員たちの頑張りようと言ったらサービス過剰だった。
ハルヒの席に最新型のパソコンを設置してLANケーブルを引いてインターネットができる環境に設定し、学校のドメインでログインできるようにした。
シンジはその作業中一言も言葉を発せずに愛想笑いを浮かべながらデレデレする部員たち、女子部員も例外ではない、にお茶を配っていた。
アスカとキョンはモテまくるシンジの姿を複雑な表情で眺めていた。
作業が終わっても、文芸部の部室に居座り熱烈な視線を送る部員たちに耐えきれなくなったシンジはついに暴露をしてしまった。

「じ、実は僕……男なんです……」

そう言って、シンジは胸から詰め物を取り出した。
その姿をコンピ研の部員たちは目が点になったように見つめ、その姿があまりにもおかしかったので、アスカはお腹を抱えて笑い出す。

「アハハハハ!みんなだまされてやんの!ひーくるじい……」

しかし、固まっていたコンピ研の部員たちは顔を見合わせると、何かに納得したかのように頷き合って、シンジの方を向いて歓声を上げる。

「男でも十分イケるさ!」
「女装が似合う子ってステキよ!」

その反応にキョンとハルヒはマズイものでも見たかのようにドン引きした。
アスカはあきれた表情をした後、モテるシンジの様子を見て顔を赤くしてガタガタ怒りに震えだす。

「このヘンタイ!とっとと出て行きなさいよー!」

そう叫ぶアスカのパンチやローキックが部員たちをボコボコにして行く。
驚いたコンピ研の部員たちは悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように文芸部室を出ていった。

「惣流のやつの長い足や白い腕に見とれるのは止めよう……。アレは凶器だ……」

その様子を見ていたキョンは誰にも聞こえないようにそう呟いた。
ハルヒは嬉しそうにアスカの特徴をメモしているノートに何やら単語を書き加えている。
この事件の後、コンピ研の部員たちを発信源にして唯我独尊ハルヒと暴力女アスカ、女装少年シンジの名前は歪められた形で学校内で有名になっていく。



<特務機関ネルフ本部 第一発令所>

その日の発令所は、久しぶりに使徒が出現したのと同じぐらいの緊張感に包まれていた。
ディスプレイには誰もいない都市の中で、青い姿をした使徒と同じぐらい巨大なサイズの巨人が大暴れしている様子が映し出されている。

「閉鎖空間は昨日よりさらに拡大。すでに街一つ分の大きさです」

オペレータのマヤの報告を聞いてリツコは顔をしかめて隣にいるミサトをにらむ。

「まったく、あなたの不容易な発言のおかげで、とんだとばっちりだわ」
「ゴメンゴメン、リツコ。あたしは彼女を楽しませようと言ってそう提案したのよ。悪気はなかったわ」

ごまかし笑いを浮かべて謝るミサトに、リツコは溜息をついた。

「でさ、この巨人が暴れているって言うのは一体どういうこと?あたしたちの住んでいる街とそっくりだけど、今は平穏そのものだし」

ミサトの疑問の声に、詳しいことを知らないオペレータの3人を含むスタッフたちも頷いて視線をリツコに注目させる。

「この巨人が暴れている空間はいわば並行世界。言ってみれば以前現れた、黒い球体の巨大な使徒の本体の世界と同じようなものよ」

リツコがそう言うと、ディスプレイに使徒レリエルの姿が少しの間だけ大写しになる。

「そして、この空間の発生原因は涼宮ハルヒ、彼女のストレスだと解明されているわ。彼女がストレスを感じれば感じるほどこの空間は大きくなって行き……やがては現実世界を飲みこんでしまうのよ」

リツコの言葉に、ミサトは信じられないと言った表情を浮かべ、唾をごくりと飲み込む。
話しを聞いていた発令所のオペレータたちも同じ様子だった。

「でも、彼女はとても理性的な人間よ。ああやって青い巨人を閉鎖空間で暴れさせることによってストレスを解消しようとしている。ネルフではあれを『神人』と呼称することにしたわ」
「……ってことは、ハルヒちゃんがお花見に行けない限り、あの閉鎖空間は消えないってこと!?」

ミサトの叫ぶような質問にリツコは深々と落ち着いた顔で頷いた。

「あーっ、もーっ!今でも桜が咲いていれば問題は無いのに!もう4月末だし、ここらへんじゃとっくに桜は散っているじゃない!」

ミサトは激しく頭をかきむしりながらそうぼやいた。
その後、ミサトはふと気がついたようにリツコに質問を投げかける。

「そういえばさ、あの子は自分の願いを実現させる力があるわけでしょう?それじゃあ桜をパーッと咲かせることも簡単なんじゃない?」

ミサトの言葉にリツコはそれももっともだ、と合点が行った表情になる。

「あの子は非常識的に見えて、実はとても常識的なのよ。一度散った桜が再び咲くわけなんかない、って心の底ではわかっている。そうでなかったら、この世はとっくに使徒以上に不思議なもので溢れ返っているわ。宇宙人や未来人、超能力者なんかでね」

ミサトはディスプレイに映し出されている青い巨人『神人』が暴れている姿を見て疲れた様子で溜息をつく。

「それじゃあ、あたしはどうすればいいのよ。今でも桜が咲いている地域を探して、そこにハルヒちゃんたちを連れて行くわけ?」
「大丈夫、あなたはハルヒちゃんの言うとおりにクラブの顧問の先生としてシンジ君たちと一緒に山を登ればいいのよ」

そう言ってリツコは笑顔でミサトの肩をポンポンと叩いた。
ミサトはリツコに理由を何度も聞くが、リツコは余裕の表情で楽しそうに笑うだけで結局教えてもらえなかった。



<長野県 奥穂高岳>

高校の新学期初めての大型連休のゴールデンウィーク。
ハルヒ率いるSSS団員たちは奥穂高岳に登ることになった。

「こらー!男子2人!遅い、もっと早くついて来なさいっ!」

そうやって荷物を山ほど持っているシンジとキョンの2人を怒鳴りつけるハルヒはデジタルカメラ以外の荷物は持たず、至って軽装だ。
女子部員であるアスカやレイ、ミサトも手提げ鞄1つしか身に着けていない。
シンジはお弁当担当と言う事で大きな弁当箱とアスカの荷物を持たされていて、キョンは何の役にも立っていないと言う理由でハルヒとレイ、ミサトの3人分の荷物を余計に持たされている。
ミサトがビールの運搬をキョンに頼もうとすると、

「いったい何を考えているんですか!?」

と、キョンに力いっぱい拒否されたので、荷物にアルコール類は含まれていなかった。
シンジは弁当箱を落とさないように気にしながら山道を登って行き、こんな羽目になるいきさつをぼんやりと思い返していた。
それは少し前の放課後での部室での出来事。
ハルヒは団員の結束を高めるための春のイベントを行うミーティングを行ったのだった。
そこに顔を出したミサトのちょっと無責任な一言。

「春と言ったらやっぱりお花見でしょ」

この言葉にひらめきを感じたハルヒは、反対意見や他の意見など全く聞き入れずに花見を決行することに決めてしまった。
ミサトの幼少のころに桜を見た感覚でしゃべってしまったのだ。
セカンド・インパクトの影響が無くなった世界だとはいえ地球温暖化の影響が消えたわけでなく、桜の見ごろは北海道でもやっと4月中旬が見ごろになるほど早まっている。

「寒いところに行かないと、もう桜の花なんて見れるわけないじゃない」

アスカが鋭く突っ込んでこの無謀な企画をやめさせようとしたが、ハルヒは何か閃いてしまったようだ。

「そうよ!温度の低い高い山の上には今、満開の桜の木があって、あたしたちを待ち受けているのよ!」

どうせなら県内で一番高い山に登ろうと言う事で、北アルプスの奥穂高岳に登ることになったのである。
奥穂高岳は老若男女問わず人気のあるハイキングコースがある山で、日帰りで登ることも可能なので、ネルフでも強制的にハルヒの決定を止めようとはしなかった。
しかし、片道数時間はかかる道のりであり、シンジとキョンは半ばヘロヘロになりながら歩いていた。

「大丈夫ですか……」
「ああ、何とか俺は生きてるよ……」

しかし、実際に登った山道は、安全快適と言われるハイキングコースとはまるで別物だった。
クサリをつたって登っていくような険しい地点もあり、男坂というのにふさわしい道のり。
途中の吊尾根と呼ばれる岩場では霧雨により視界が悪くなり、何とアスカが迷子になってしまった。
シンジはお弁当をキョンに預けて、アスカを捜索することに決める。

「おーい、アスカー!」

シンジは呼びかけながら、少し強まった雨の中、必死にアスカを探した。
一方アスカの耳にもシンジの声は届いていた。
だが、大声でシンジに対して返事をして駆けよっていくのはアスカの心の中ではしゃくに障ったようで、アスカは黙ってシンジの居る方向に向かって合流しようと考えていた。

「きゃああああ!」

天候による視界の悪さもあったのだろう、アスカは段差に気がつかずに落ちてしまった。
幸い段差は胸の高さ程度のものだったので、アスカは強く腰を打ちつけるだけで済んだ。
そこへ荒々しい足音が近づいてきたとアスカが思った直後に、アスカと同じようにシンジも段差に落ちて腰を打ちつけた。

「何よ、慌てて来てアンタまで落ちなくてもいいのに」

アスカは困ったような顔で痛そうにするシンジを見つめていた。

「アスカの悲鳴が聞こえたからさ、急がなきゃって思って……」

顔をしかめながらそう返事をするシンジを、アスカは値踏みでもするような視線で眺めていた。
雨が少し強くなってきたので、シンジとアスカは近くにあったほら穴でしばらく雨宿りすることにした。

「アタシが落ちたのがひどい崖だったらアンタも大けがしてたかもしれないのよ?」
「……それでも良かったんだ」

それきりシンジとアスカは一言も会話をせず、お互い少し離れた位置にしばらく座っていると、そう長い時間はかからずに雨は止んだ。
雨が降って視界がすっきりとした後は、シンジとアスカはハルヒたちとあっさり合流することができた。
朝6時に出発し、予定より1時間遅れのちょうど正午に目的地の山頂付近にたどり着いたSSS団のメンバーは、様々な山脈を見下ろすその雄大な光景に感心した。
周りを見回していたミサトはある方向を見ると驚きのあまり固まってしまう。

「し、シンジ君、アスカ、あれ……」

ミサトの指し示す方向を見ると、隣の峰の切り立った崖に囲まれた場所に、樹齢300年は越えているであろう立派な桜の木が花満開でそびえ立っていた。

「な、なんで……」
「う、ウソ……」

シンジとアスカもミサトと同様、信じられないと言った表情で桜の木を見つめていた。
風にそよいでいて舞い散る花びら、どう見ても本物の桜の木にしか見えない。

「やっほー!やっぱりこの桜の木はあたしたちを待っていたのよ!」

ハルヒは桜の木を見て能天気にはしゃいでいた。
喜ぶハルヒの様子を発令所のディスプレイを通して見ていたリツコとマヤは、作戦の成功を確信してお互いに頷き合った。
この異常事態を現実のものとして受け入れられているのはハルヒ一人だった。
ともかく、満開の桜の木を見ることが出来るので、この場所でお弁当を広げてお花見ということになった。
弁当は全てシンジのお手製だ。
ハルヒとキョンは初めて見るシンジの料理に感心しながら舌鼓を打ち、和やかな雰囲気でお花見は行われた。
ミサトはビールが無いのが残念だったが、食べたシンジの料理に満足していた。
下山している時に、アスカはシンジに一言耳打ちをした。

「今日のアンタ、少しだけカッコよかったわよ」