ここはとある市営の野球場。ここで世紀の大決戦の火蓋が切って落とされようとしていた。
「吉野屋先生、なんでいきなり野球をやることになったんですか?」
ゆのが担任の吉野屋に尋ねた。
「高校同士の触れ合いの場を増やす行事の一環です。」
「触れ合い?」
「はい。同じ年代の同じ高校生たちがお互いを理解し学び合うことはとても大切なんです。」
「は、はあ・・・・。」
「あっ、でも触れ合いといっても放送コードに引っかかる事やエッチな事は考えてはいけませんよ?」
吉野屋が顔を真っ赤にして否定した。
「(そんなこと考えるのはあんただけだ。)」
吉野屋以外の全員が同じツッコミをした。
「それで先生。今日のお相手の桜が丘高校の人たちってどんな子たちがいるの?」
「そうですねえ。あちらで働いてる後輩の話だと手のかかる子たちだけど可愛いいって言ってましたね。」
吉野屋は自分で持っていた大きな紙袋をヒロと沙英に渡す。
「それじゃあ、私は少しご挨拶をしてこなければいけませんから、それに着替えておいてくださいね。」
吉野屋が渡していったのは山吹色をしたやまぶき高校チームのユニフォーム。
「先生目にクマが出来てたけどこれだのせいだったのかしら。」
「他にすることがないのか、美術教師・・・・。」
ヒロと沙英はただ呆れるのみだった。
「どう?私の自信作!桜ヶ丘高校野球チームのユニフォームよ!!」
山中さわ子が着替え室でババンと広げたユニフォーム。桜をイメージしたピンクのユニフォームだった。
「今回は普通なんだな・・・。また変なの作ってくるかと思ったぜ。」
律がほっと胸をなで下ろす。
「あの、先生。今日対戦するやまぶき高校の人たちってどういう方たちなんですか?」
「う~ん、やまぶきで働いてる先輩から聞いただけだけど、変わり者ぞろいだけどいい子たちらしいわよ。」
生徒たちがユニフォームに着替える。
「ええっ!?これって野球のユニフォーム?私たち野球をやるの?」
「今までずっと何を聞いていたんだ、唯。」
両チーム終わって試合前の挨拶になった。
「山中ちゃん、お久しぶり。元気にしてた?」
「はい。ご無沙汰してます。吉野屋先輩もおかわり無いようですね。」
吉野屋とさわ子は軽く会釈をして談笑していた。
「吉野屋先生。こちらの方はお知り合いなんですか?」
ゆのが吉野屋に尋ねた。
「はい。大学の後輩で音楽教師をしている山中さわ子さんです。同じ教育学部に通っていたんですよ。」
「今日はよろしくお願いします。」
「そちらが山中ちゃんの生徒さん?」
「ええ。皆ご挨拶して。」
やまぶき高校と桜高の面々が自己紹介をする。
「それにしても、山中ちゃん。前より腕が上がったわね。」
吉野屋が桜高チームのユニフォームを見て微笑みながら言った。
「そう言っていただけると嬉しいです。でも、まだまだ先輩の域には達していませんけど。」
「うふふ、山中ちゃんは量をこなす専門。私は一つの作品を作り込む専門。求められる能力は違うわ。」
先生二人が何を話しているのかさっぱり分からない。
「あの、先生・・・・。一体何の話を・・・・?」
澪がさわ子に尋ねた。
「今日の試合のユニフォーム、見せ合いっこしようって先輩と約束していたのよ。」
「見せ合いっこ?じゃ、じゃあ、そちらのチームのユニフォームも?」
「私の手作りですよ。」
吉野屋が即答した。
「だって、着ている子の魅力を最大限に引き出すためにはオーダーメイドが一番じゃないですか。」
「そうですよね、先輩。やっぱり可愛い子たちには可愛い服を着せないと!」
「うんうん。山中ちゃんも服飾同好サークルの時と全然変わっていないわね。」
先生二人以外は全員同じツッコミを頭の中でした。
「(似たもの同士・・・・っていうか同じタイプの人だ!)」
『さて、高校同士の親睦を深める交流試合。本日の実況はやまぶき高校OG・元放送部の藤堂です。』
『解説は桜ヶ丘高校OG・元生徒会長の曽我部です。よろしくお願いします。』
『こちらこそよろしくお願いします。さて、早速ですが、本日のオーダーをご紹介します。』
先攻 やまぶき高校チーム
1番 センター 乃莉
2番 ライト なずな
3番 セカンド 宮子
4番 ショート ゆの
5番 キャッチャー ヒロ
6番 ピッチャー 沙英
7番 レフト 吉野屋
8番 サード 真美
9番 ファースト 中山
後攻 桜が丘高校チーム
1番 ピッチャー 田井中律
2番 ショート 中野梓
3番 ファースト 琴吹紬
4番 サード 秋山澪
5番 キャッチャー 山中さわ子
6番 センター 真鍋和
7番 ライト 平沢唯
8番 セカンド 平沢憂
9番 レフト 鈴木純
「宮ちゃんが四番じゃなかったっけ!?」
「あ~、ごめ~ん。書き間違えた~。」
「私が四番なんて聞いてないぞ!」
「だって今さっき決めたんだも~ん。」
多少の手違いはあったが試合はそれらすべてをスルーして始まった。
「プレイボール!!」
『先攻はやまぶき高校チーム。一番センター・乃莉選手。』
「お願いします!」
乃莉がヘルメットを被り、元気よく声を出してバッターボックスに入った。
律がおおきく振りかぶって投げる。
「ストライク!」
ノビのあるストレートをインコースいっぱいに決めた。第二球を振りかぶって投球。
「ボール!」
アウトコース低めに外れてワンストライクワンボール。第三球を投げ・・・・
「っ!!」
乃莉は必死に食らいついたが空振りしてストライク。
「(りっちゃん、勝負球はフォークよ!)」
「(変化球なんて投げられるか!)」
律は高めの釣り球で勝負をかける。
乃莉は思いっきりそれを振りきってバットに当てた。カキンという乾いた音を立てて土のグラウンドを転がる。
ムギと憂の守備位置の真ん中を抜けてライト方向へ転がっていった。
『やまぶき高校チーム、先頭打者ヒットで出塁!次は二番・ライトなずな選手です!』
『恐らくバントで送って3・4番勝負でしょうね。』
なずなはバッターボックスにこわばった表情で入る。最初からバットを寝かせてバントの構え。
「(バントを阻止するにアウトコース低めにボールを投げて頂戴。)」
さわ子が律とサイン交換をして指示を飛ばす。野球のルールをよく知らない律はその指示に従う。
第一球はボール。第二球もボール。
「(まずい・・・・。カウントが悪くなった。よし、高めの速球で・・・・。)」
律は振りかぶってさわ子の構えたキャッチャーミットよりやや高めにボールを投げる。
なずながすかさずバットを出してボールに当てる。
「あっ!」
なずなのバントした野球は高く上がってキャッチャーの頭上へ。そのままミットに収まった。
「アウト!」
『なずな選手・バント失敗!ワンアウト一塁になりました!』
『これは痛いミスですね。この後の攻撃に差支えがでなければよいのですが。』
『次は三番・セカンド宮子選手です。クリーンナップがチャンスを広げられるでしょうか。』
「ごめんなさい・・・・・。」
「仕方ないよ、なずなちゃん。誰だってうまくいかないことはあるから。」
「そうだよ、なずな殿。私がその分取り返してあげるから任せたまえ。」
宮子はそう高らかに言って左バッターボックスに入った。
「あら、宮子さんって右利きよね?なんで左バッターボックスに入るの、真美?」
「ええっと、なんで、ゆのさん?」
「ええっ!?私も知らない・・・・。」
中山、真美、ゆのの三人は誰一人分からなかったので三年生が代わりに答えた。
「野球選手の中には普段使う腕と違う方の腕で投げたり打ったりする選手がたくさんいるのよ。」
「左バッターボックスの方が一塁に近いから走ってセーフになる確率が高いんだよ。」
「「「へえ~。」」」」
「く~!!なかなか手強い!!」
律はマウンド上から歯ぎしりする。ツーナッシングからカットで粘って次が九球目。
「これでどうだ!」
低めいっぱいの渾身のストレート。
「もらった!」
宮子はフルスイングして三塁方向に引っ張った。三塁線ギリギリで飛んでいく。
「取れない!」
澪がジャンプして食らいついたが、そのグラブの先をかすめて三塁線をバウンドしながら飛んでいく。
レフト純が前方に走って捕球する。乃莉は三塁を回ったところで止まり、宮子も二塁へ悠々到達して止まった。
『宮子選手、痛烈なヒット。ワンアウト2・3塁!!』
『今のはコースぎりぎりのいい球だったんですが、うまく打ちましたね。』
『次は4番・ゆの選手です。』
「ゆのさん、頑張って!」
「大きいのお願いね!」
真美と中山が声援を送る。ゆのは自分に合わせて小さいバットを持って打席に入った。
一方、さわ子がキャッチャーマスクを外してマウンドの律の所に向かう。他の内野陣も集まる。
「律、どうする?敬遠して満塁策を取るか?」
「待って、澪ちゃん。あの5番の子も力ありそうよ。危険じゃないかしら?」
「そうだな。勝負しよう。それでいいよな、さわちゃん?」
「あなたたちに任せるわ。じゃ、しっかり抑えてよね。」
さわ子はそれだけ言うと律の肩をぽんと叩いて戻っていった。
ノーストライクツーボール。
「(どうしたの、りっちゃん?勝負するんじゃなかったの?)」
「(そのはずなんだけど、めっちゃストライクゾーンが小さいんですけど、この子。)」
アイコンタクトでそう会話する。
「ええい、ままよ!」
律はやぶれかぶれでど真ん中に投げた。
「き、来たっ!!」
ゆのは咄嗟のことに少しバットを出し遅れた。すくい上げるようなバッティングになってライト方向に飛んで行った。
「よし、これだけ飛べば犠牲フライには十分だね。」
「乃莉ちゃん、サードベースに戻って!!」
ヒロが大声を出して乃莉に指示を出した。乃莉もそれを了解してベースに足をつけてすぐに走れる態勢で打球を見守った。
「うわ、こっち来た!!」
唯はどこにボールが落ちてくるか分からず右往左往していた。
「お姉ちゃん、私に任せて!」
セカンドの憂が猛然とダッシュしてライトの定位置よりやや右方でボールをキャッチした。
「行ける!!」
乃莉はそれを見てすぐさまタッチアップした。前方ではキャッチャーのさわ子がマスクを外していた。
さわ子は乃莉のいる方向にミットをずらしている。そこに、外野から返球された球が返ってきた。
「ええっ!?」
乃莉は咄嗟にホームベースの手前でタッチをかわそうとしたが、間に合わず・・・・・。
「アウト!!チェンジ!!」
「ごめんなさい、1点取れませんでした。」
乃莉が申し訳なさそうに帰ってきた。
「仕方ないよ、乃莉ちゃん。セカンドの・・・憂ちゃんっていったっけ。すごく返球が良かったから。」
「そうですね。まっすぐビュッってホームまで飛んでいきました。」
ゆのになずなが話をあわせて乃莉に仕方ないと言う。
「さあ、次はこっちの守備だよ。みんな頑張って。」
「「おおー!!」」
『1回の裏・桜が丘高校の攻撃は1番・ピッチャー田井中選手。』
「よし、じゃあかっ飛ばしてくるぜ。」
律がバットを持って意気揚々とベンチを出て行く。
「おい、律。あんまり大振りしないでコンパクトに当てていくんだぞ。」
「心配すんなって。」
律は親指をグッと突き出して笑う。律は左打席に入ると松井秀喜の癖を真似して打席に入った。
「さあ、来い!!」
律は威勢よく言い放ち、バットを振った。
「ストライク!!バッターアウト!!」
『沙英選手、先頭バッターを三球三振に仕留めました!!いい立ち上がりです!!』
実況の声が桜が丘高校ベンチに重くのしかかる。
「だから大振りするなって言っただろ!!」
「バッターの醍醐味はホームランだろ!!」
澪と律が口喧嘩をしているのを横目に見ながら梓が出て行く。
『桜が丘高校の二番は中野梓選手です。ここで一本打てるでしょうか。』
梓はバットを寝かせてバッターボックスに入る。少しでも遠心力をつけて打球を飛ばすためだ。
「(沙英、まずはアウトコース低め。)」
「(うん。)」
沙英は大きく振りかぶって第一球を投げた。
「っ!!」
梓はバットに辛うじて当てたが振り遅れてファウル。
「(思ったより速い・・・・でも、コントロールが言い分球が軽いみたい・・・・。)」
第二球は外れてボール。第三球は空振りしてストライク。
「(よし、低めに落として三振を取ろう。)」
沙英は力を込めて渾身のストレートを投げようとした。が・・・・
「あっ!!しまっ・・・・。」
力みすぎてボールが指に引っかかってど真ん中にスローボールが飛ぶ。
「ど真ん中・・・・!!」
梓が強振。ボールはピッチャーの足元でバウンドして二遊間を抜け・・・・なかった。
セカンドの宮子がベース上にいてボールをキャッチ。
「ゆのっち!パス!」
倒れ込んだまま宮子がゆのにグラブトス。そのまま一塁に送球してアウト。セカンドゴロ。
「ゆのっち、ナイス!!」
「えへへ、宮ちゃんこそ。」
『ああっ!!中野選手、セカンドゴロ!!』
『かなり息のあった連携プレーでしたね。なかなかできることではありませんよ。』
『ツーアウトランナーなし。次は三番・琴吹選手。資料によるとかなりのパワーヒッターだそうです。」
『やまぶき高校チームは長打に警戒が必要ですね。』
ヒロが立ち上がって両腕を広げて前に押すジェスチャーをする。
「・・・・?乃莉さん、ヒロさんは何をしているんですか?」
野球のルールを知らない吉野屋がお隣のポジションの乃莉に尋ねる。
「あれは後ろに下がって守備をしろっていうサインです。相手が遠くに打球を飛ばす選手ですから。」
「ああ、なるほど~。」
吉野屋は了解して後ろに下がっていった。外野フェンスまで行ってそこに寄りかかってバッターボックスを見る。
「って、違いますよ、先生!このへんです!」
乃莉が走っていって吉野屋に正しい後退守備の位置に連れて行った。
ムギがバッターボックスに入ってバットを構えた。
「(沙英、初球は外し気味でいくわよ。どのくらい飛ばすのかを見てみないと。)」
「(分かった。)」
沙英はホームランを打たれないようにわざとバッターに当たりそうな角度で投げた。
「くっ!!」
ムギはそれをカットした。バックネットを越えてファウルボール。
「(危なかったわ・・・・。もう少しでフライになるところだったわ。)」
ムギは内心冷や汗をかいた。次はボール球に手を出さないように自己自制を心がける。
「ああ、君。ちょっといい?」
審判がタイムをかけてムギに話しかけた。
「バット新しいの持ってきて。」
「えっ?」
よく見ると金属バットの細い部分に亀裂が入っていた。力任せに振ったせいでヒビが入ってしまったのだった。
「ごめんなさい、バットが折れちゃいました~。」
ムギが一旦ベンチに戻って新しいバットを担いで持っていく。
「「(どうしたら金属バットが折れるんだ・・・・!!)」」
ベンチでは本人以外の全員が同じ感想を持った。
「(よし、次は外角低めに・・・・。)」
沙英はカウントを稼ぎに低めいっぱいに投げた。
「えいっ!!」
ムギはそれを打ち返した。ライトの方向へボールが飛んでいく。なずなは打球を取れずにフェンス際まで追いかけていった。
『右中間を破る痛烈なヒット!!琴吹選手、一塁を蹴って二塁へ・・・・』
なずながようやくボールをキャッチして宮子に中継プレー。その間にムギは三塁にまで達していた。
『ツーアウトランナー無しからスリーベースヒット!!得点圏にランナーを出しました!!』
「うわっ、チャンスで回ってきちゃった・・・・・。」
澪は嫌そうな顔をしながらヘルメットをかぶる。
「澪先輩、ファイトです!」
「一発お願いします!」
「ああ、うん・・・・。」
澪は梓と純の声援に言いよどんでしまう。
『四番・秋山選手の登場です。四番の一振りで先制点をあげられるでしょうか。どうでしょう、曽我部さん?』
『キャーーーー!!澪ちゃん頑張ってーーーー!!・・・・・コホン、すみません・・・・。』
『(曽我部さん・・・・・)』
「こんな沢山人がいるところで・・・・恥ずかしい・・・・・。」
澪は心の中で縮み上がっていた。球場には選手の他にも学校の生徒達や地域の方々も見物に訪れている。そして・・・・
「秋山先輩頑張って~!!」
「澪先輩カッコイイ~!!」
下級生に人気の澪には特設の応援団がいた。
「(この子動揺してるみたいね。よし、それなら・・・・)」
ヒロは横目に観察して澪の精神状態を読み取った。
「(沙英、ストレート勝負よ。どんどんカウントを取りに来て。)」
アイコンタクトで沙英とコミュニケーションを取り、甘いところにミットを構えた。
「ストライク!!」
沙英は次はインコースに食い込む球を投げた。
「ストライクツー!!」
完全に振り遅れて空振り。
「(よし、これで決まりだよ!)」
沙英はアウトコース低めぎりぎりにストレート。
「ひいっ!」
澪はかろうじてバットに当てたが、高く上がってショートへ。そのままショートフライに終わった。
『両チームとも初回でチャンスは作りましたが得点は入りませんでした。0-0で2回の表です。』
『互角の勝負ですね。お互い守備の好プレーが出ています。点取りゲームにはならなそうですね。』
『ということは、投手戦になるということですか?』
『それは分かりませんが、お互いに我慢の展開が続くでしょうね。』
『2回の表・やまぶき高校の攻撃は5番キャッチャー・ヒロ選手です。』
場内アナウンスが流れる。ヒロはヘルメットを被って素振りをしながら出て行く。
「うん、じゃあ行ってくるわね。」
「ヒロさんヒロさん。下半身にどっしり体重をかけてからバットを振ると球が飛びやすいんだよ。」
「宮ちゃん?なんでそれを私に言うのかしら?」
「えっ?だってヒロさんが一番重くて力が・・・・(カキンッ)」
「素振り完了。じゃあ本当に行っきます。」
「・・・・行ってらっしゃい。」
ゆのは隣でノビている宮子を横目に見ながら言った。
ヒロはバットを短く構えて左バッターボックスに入る。
「(まずは外角低め。いいわね?)」
「(分かった。)」
律は外角低めにストレートを放る。
「ストライク!!」
次のボール、その次のボールは際どいところでボール判定。
「ファウル!!」
4球目は一塁線に切れてファウル。そして5球目。
「うっ・・・!」
ヒロが打った打球は詰まって高く打ち上げてしまった。そのままライト定位置の方向へ。そのままフライの当たりだ。が・・・・
「うわっ、どうしよう、どうしよう・・・・(ポトリ)」
ライト・唯が一旦落下点に追いついたが落球。ヒロはライトエラーで出塁した。
沙英は打席に入ると、右肩を人差し指で叩いてからバットを構える。
「(バントのサインね。)」
ヒロは一塁ベースからリードを大きく取らず、すぐに走れる態勢を取った。
「(ヒッティングの構えからすぐにバントに切り替えて・・・・。)」
沙英がそうこう考えているうちに低めのストレートがやってきた。
「あっ、しまった!」
沙英のバントはバットに当てそこねてサード方向にショートフライを打ち上げてしまった。
「(これだとアウトね。)」
ヒロは一塁ベースに戻る。しかし、澪は一瞬ヒロを見てからボールを取らずに少し待った。バウンドして澪のグラブに収まる。
「えっ!?い、いけない!!」
ヒロは慌てて二塁に向けて走り出す。しかし、間に合わずコースアウト。ショート梓が一塁に転送してダブルプレイ。
『やまぶき高校、送りバント失敗でダブルプレイ!!』
『今のは秋山さんの頭脳プレイでしたね。本来ならそのまま取っても良かったのですが、敢えて見送りましたね。』
『ゴロの場合には進塁義務が発生しますからね。これは落ち着いて処理した秋山選手の勝利でしょう。』
『はあ、私の澪ちゃんが大活躍を~』
『さて、ツーアウトランナー無しで7番・レフト吉野屋先生をバッターとして迎えます。』
藤堂は曽我部を軽く無視して実況を続けた。
「(若い生徒たちに混じって試合に出てみたはいいものの・・・・)」
吉野屋は自分の運動神経に自信を持てずにいた。さて、これからどうするか。
「あの、先輩・・・・。」
キャッチャーのさわ子が声をかける。
「バットの持ち方が逆なんですけど。」
吉野屋は右打席に入っているにも関わらず左手を上にして構えていた。さわ子に正しいバットの握り方を教えられる。
「プレイ!!」
吉野屋は明らかなボール球を振ってストライク。
「タイム!!」
間髪入れずに乃莉がタイムをかけて走ってくる。
「どうしたんですか、乃莉さん?」
「先生、ストライクゾーンって知ってます?」
「ストライク・・・・ゾーン?」
乃莉が簡単に解説する。
「分かりました。ここら辺からここら辺にボールから来たら振るんですね?」
「そうです。先生初心者ですからあんまり難しいことは言いませんけど、あまりブンブン振っちゃダメです。」
吉野屋は乃莉にお礼を言って打席に戻る。試合が再開した。
「(りっちゃん、ここに投げて。)」
「(えっ?そんな甘いところ投げて大丈夫?)」
さわ子のミットは甘いコースを要求していた。
「(平気よ。先輩は運動神経良くないから。)」
律は自信を持って思いっきり腕を振ってど真ん中に投げた。が・・・・
吉野屋はバットを思いっきり振った。その勢いでバットが右方向に飛んでいくが、その分遠心力で打球が飛んでいく。
ショート梓の頭上を超えてワンバウンドでヒット。吉野屋は悠々一塁に到達した。
『やまぶき高校チーム・7番吉野屋選手ヒットで出塁!!レフト前に引っ張りました!!』
『泳がされた分打球が死にましたね。真芯に当たっていたら外野フライでしょうね。』
『次は8番・サード真美選手です。ここから一点を取りに行けるでしょうか。』
「(さて、と。じっくりいい球を待たないと。)」
真美は考えた。ランナー吉野屋は足が遅いのでよほどいいヒットを打たない限りは三塁まで進めない。
「ストライク!!」
第一球、第二球とも見逃してストライク。三球目、四球目は見送ってボール。
「えいっ!」
律の第五球目は高めのストレート。カットしてファウル。
「あっ・・・・!」
律の第六球はすっぽ抜けて丁度ど真ん中に来た。
「飛べーーー!!」
真美の打球はまっすぐセンター後方へ。
「ヤバイ!和ーーー!!」
和は全力疾走でフェンス際まで追いかける。後ろ向きのままグラブを頭上に掲げた。
「よし、捕ったわ!」
和のグラブの中にボールが入っていた。ランニングしながらそのままフェンス際で止まる。
「アウト!3アウトチェンジ!」
「もうちょっとだったのにな~。」
真美が悔しそうにベンチに戻ってきた。
「惜しかったね、真美ちゃん。」
「ありがと、ゆのさん。次はちゃんと打つから。」
「その意気その意気。さ、次の守備も頑張らないと。」
中山が真美のグラブを取り出す。ヘルメットを外した真美と中山が仲良くグラウンドに出て行った。
一方、桜ヶ丘高校ベンチでは・・・
「危なかった~。和さまさまだな。」
「すごいです、和先輩。ランニングしながら背面キャッチですよ。」
律と梓が褒めるが、和は大したことないといって謙遜した。
『え~2回の裏の攻撃。5番・キャッチャー山中選手。』
「よし、行ってくるか。見てなさい。教師のパワーを見せてあげるわ。」
さわ子は張り切ってバットを振りながら打席に立った。
「ボール!!フォアボール!!ランナー一塁!!」
さわ子はバットを置いて一塁に走っていく。
『沙英選手、ツースリーのカウントからフォアボール!!ノーアウトのランナーを出しました!!』
「ま、これも勝負のうちね。あなたたち、後は頼んだわよ。」
さわ子はベンチに声を掛けていった。
『次のバッターは6番・真鍋選手』
「よ~し、ノーアウトのランナーか。一発派手なのを頼むぞ、和。」
律が和の背中をぽんと叩いて送り出した。和は何度か大きく素振りをしてから打席に立った。
ヒロがサインを送る。沙英が軽く頷いてインコースにボールを投げた。和はそれを見送った。ボール。
「(いい選球眼ね。次はストライクを取らないと、沙英。)」
次はアウトコースの甘い球。和がすかさず反応した。両手でバットを持って思いっきりプッシュした。
「っ!!」
打球はピッチャーとファーストの間をうまく転がった。ファースト真美が取って一塁に転送。
「アウト!!」
セカンドの宮子がカバーに入りボールをキャッチした。その間にランナーさわ子は二塁に進塁した。
和はそのまま歩いてベンチに下がってきた。
「さすが和ちゃんね。強打と見せかけてバント。相手チームが驚いてたわ。」
「うん、これでさわ子先生が二塁。チャンスが広がったな。」
ムギと澪が和に高評価。が、律が不満そうに言った。
「かーっ!!和!!バントなんてせこいことしないで思いっきりかっ飛ばせよ!!」
「三球三振よりはいいでしょ?」
和のその返しは律の心にグサリと突き刺さった。
「次は唯の番か。唯はバントでいいや。次は憂ちゃんだし。」
律は和に対する対応とは違って全く期待していない口調で言った。
「むむむっ、信用していないね、りっちゃん。あたし、絶対に打つからね。」
「そうです。お姉ちゃんは絶対に打ちます!」
「その根拠のない自信はどこから来るんだよ?」
「プレイ!!」
『1アウト2塁。バッターは平沢唯選手。ここはどういう勝負に出るでしょうか?』
『できれば進塁打といったところでしょうか。実は8番の平沢憂さんの方が強打者と情報が入っています。』
『そんな話をしている間にツーストライクノーボール。追い詰められました。』
「(沙英、どうする?)」
「(外角低めいっぱいで。)」
肩が暖まって調子が出てきた沙英は三振が取れると踏んで三球勝負に出た。
「えいっ!!」
二塁ランナーの動きを確認してから渾身のストレートを投げる。ヒロの要求通りの最高のコース。が・・・
カキンッという乾いた音を立ててライト方向にライナー性の当たりが飛んでいく。
「う、嘘っ!?今のを打たれた!?」
沙英は呆然とした。完全なスピードとコースの球を打たれてしまった。一方、唯は・・・
「えっ!?当たった!!見てみて!!当たったよ!!」
バッターボックスではしゃいでいた。
「唯、急いでファーストに走るんだ!!」
「ああ、しまった!!」
唯が慌てて走り出す。その間にもボールはライト線を切りながら転がっていく。なずながようやく追いついて捕球。
「先生、回って回って!」
三塁コーチの純が腕を回す。さわ子は猛ダッシュしてホームベースにスライディングする。
なずなの送球は弱々しくヒロがホームベース前で捕球した時には既にさわ子が帰っていた。
『平沢唯選手、タイムリーヒット!!二塁ランナー山中選手が帰って一点入りました!!』
「はあ、はあ・・・・。全力疾走はきついわね・・・。」
さわ子は汗だくになって息を切らしながらベンチに戻ってきた。
「でも、よく唯があんな球を打てたな。なあ、和。」
「そうでもないわ。唯は昔からありえないくらいの強運の持ち主なのよ。」
和曰く唯は昔からこういうお祭りイベントではなぜか大活躍することを知っていた。当然という印象だった。
『次は8番・セカンド平沢憂選手。お姉さんをホームまで返せるでしょうか。』
『ここで追加点もしくはチャンスを広げることになるとやまぶき高校は正念場になりそうですね。』
「お姉ちゃん、私が絶対に返してあげるからね!」
憂の目には闘志の炎が上がっていた。
「(牽制球を挟んで落ち着こう。)」
沙英は気分を落ち着けるために軽く一塁に牽制球を投げた。が・・・
「あれ!?」
中山は驚いた。ベースを踏んでいなければならない唯がベースに戻っていない。
「うわ~、唯、何やってるんだ!」
「えっ?何?」
ファーストの中山がボールを持って追ってくる。
「唯、逃げろ!!とにかくボールでタッチされたらいけないんだ!!」
澪が必死に叫ぶ。唯はセカンドとファーストの間をうろうろする。
「宮子さん!!お願い!!」
中山がセカンドの宮子にボールを投げて挟み撃ちにする。
「そっち戻った!!パス!!」
宮子が中山に投げ返す。唯は慌ててセカンドへ。
「今度はそっち!!」
セカンド宮子に転送。が・・・
「あっ・・・・。」
宮子がボールを握りそこねて落球。その隙に唯はセカンドベースにスライディング。
「あはは、やっちゃった・・・・。」
宮子にエラー、唯に盗塁がついた。ワンアウト二塁に変わる。
『やまぶき高校に痛いミスが出ました!!』
『焦ってランナーをアウトにしようとしたのがいけませんでした。落ち着いていれば何の事ないプレーなんですが。』
「唯は危なっかしいけどチャンスは作ってくれるな。」
「全くです。これで先輩がアウトになったら私がお説教していたところです。」
「(お姉ちゃん、見てて!)」
憂はピッチャーからの第三球目を真芯で捉えた。
「うわっ!レフトー!」
沙英が打たれた瞬間にレフト方向を振り返って叫ぶ。
「えっ?右?左?それとも後ろ?」
吉野屋は鋭い当たりに驚き右往左往しているだけで球が全然見えていなかった。
「先生!後ろです!」
ゆのが大声で指示を出した。吉野屋は後ろに下がってグラブを差し出すが、その横をボールが抜けた。
二塁にいた唯は楽々生還。バッターの憂は二塁に到達した。
『平沢憂選手、レフトの頭上を超えるタイムリーツーベース!!桜ヶ丘チームに追加点!!』
「よっしゃああ!!」
ガッツボーズの桜ヶ丘ベンチと応援団。
『なおもワンアウト二塁!!更なる追加点のチャンスです!!』
「純、大きいのお願いね。」
「あのね、梓。私そんなに力ないんだけど。」
「次のバッターは律だからな・・・。なんとかお願い。憂ちゃんをホームに帰してくれ。」
「澪先輩まで・・・・。分かりました。やってみます。」
『レフト鈴木純選手がバッターボックスに入ります。』
『あれは振り子打法ですが、随分大振りですね。恐らくは次の田井中さんの前に一点取りたいんでしょう。』
『先程三球三振したからですか?』
『全く当たる気配がありませんでしたからね。』
「お願いします!」
純は初球から思い切って振ったが豪快に空振りしてストライク。
「(ねえ、沙英。あれ投げてみてくれない?)」
「(ええっ!!あれっ!?無理だよ。コントロールがうまくいかないし。)」
「(大丈夫よ。私が沙英の全てを受け止めるから。)」
「(全てを?)」
沙英の頭の中で教会のベルが鳴った。が、新郎新婦の登場の前でその妄想をかき消した。
「(ええと、じゃあ、分かった。投げてみる。)」
沙英は握りでグラブに手を入れ、人差し指と中指で挟んだボールを思いっきり投げた。
最初は普通に飛んでいたボールがベース前で大きく落ちた。
「ストライク!!」
純はバットが止まらずにハーフスイングをとられてツーナッシング。
『曽我部さん。今のボールは?』
『フォークボールですね。プロでもないのに投げられるなんて驚きです。』
『そんなに難しいんですか?』
『プロでも制球が難しいですからね。今のは落ち方もコントロールも完璧でした。』
「(次来るのは変化球?ストレート?分かんないよ・・・・。)」
純はストレートしか考えていなかったのが急に考えることが増えて混乱した。
「あっ・・・。」
気のない振り方で当てたあたりは平凡なセンターフライに終わった。
「すみません。全然歯が立ちませんでした。」
「気にすんなって。よ~し、次はあたしだな~。純ちゃんの分も打ってきてやるからな!」
『三球三振!!田井中選手、沙英選手のストレートの前に手も足も出ずに討ち取られました!!」
律はバットを引っさげて意気消沈して戻ってきた。
「だ~か~ら~当たりもしないのに大振りするなって何度も言ってるだろ!!」
「あたしはいつでもフルスイングなんだ!当てるバッティング?小技?そんなちまちましたの絶対無理!」
「威張って言うな!」
『桜ヶ丘高校2点先取。0-2で3回の表を迎えます。バッターは9番・中山選手です。』
『ここで反撃のチャンスが作れるかどうかがみどころですね。』
「よ~し、そんじゃあ行ってきますか。ここで一本打ってムード変えないと。」
「ごめんね。私が打たれたせいで。」
「先輩のせいじゃありません。それに、打たれたら打ち返せばいいんです。」
中山は右バッターボックスに入った。バットを短く持ちミート打法。
「(直球が速い。真美がフライとられちゃったし、ここはゴロ狙いで。)」
中山は2球目の外角の球をライト方向に流した。ピッチャーマウンドの横をバウンドして一二塁間。
セカンドの梓が飛びついたが間に合わず。が・・・
「捕った!りっちゃん!」
ファーストのムギが倒れ込んで捕球。すぐに起き上がってベースカバーに入った律に投げた。
「アウト!」
中山はファーストの好守に阻まれて出塁出来なかった。
「抜けたと思ったのにな。」
真美に続いて運悪く凡退に終わってしまい、がっくり首をうなだれた。
『打順が一番に戻りました。一番・センター乃莉選手です。』
「(どこでも打ってやる!)」
乃莉はバットを揺らしてタイミングを取る。ワンエンドワンからの三球目。
「ど真ん中!」
律の甘く入った球を弾き返した。セカンドの頭上を越えるライト前ヒット。
「よし!」
『ワンアウト1塁で次は二番・なずな選手。バントの構えです。』
『先程当たっている宮子選手に託すということでしょうね。ただ・・・』
『ただ?』
『バントの構えが先程と違いますね。これが何を意味しているのかに注目しましょう。』
ムギと澪がぐっとバント処理のために前に出てくる。
「(りっちゃん、今はワンアウトよ。どうせバントされてもツーアウト。早く処理してしまいましょう。』
「(分かった。)」
律が左足を上げて投球姿勢に入る。その瞬間、乃莉は一塁ベースから全速力で走り出した。
「盗塁!」
憂が叫んだ。律はそれを聞いてすぐにアウトコースに外した。
「えいっ!」
バントの構えからヒッティングに戻したなずなはボールの高さに合わせて空振り。乃莉を援護する。
さわ子はボールをキャッチするとすぐに二塁へ。しかし、焦って早く投げすぎたため・・・
「あっ!」
ショートの梓がボールを捕ろうとしたが、さわ子のボールが手前の全然違う場所でバウンドしてセンター前に転がる。
乃莉はボールが転がるのを見てすぐに三塁へ。だが・・・・
「アウト!」
サードにスライディングする前にサードの澪にタッチされていた。
「なんで!?」
信じられない展開に驚く乃莉。確かにセンター前に転がっていったはずなのに。
「乃莉ちゃんっていったっけ?君は知らないと思うけど、センターの和はすごく頼れる奴なんだ。」
「は、はあ・・・。」
「草野球だからな。きっとキャッチャーの送球を見てすぐにそれるだろうって判断して猛ダッシュしてきていたんだ。」
「うう・・・。もうちょっとしっかり見てれば・・・・。」
その後なずなは三振に倒れ、スリーアウトチェンジ。形としては三者凡退に終わった。
「それにしても和ちゃん。なんであんなにすごいキャッチができるの?」
今のもセカンドへの送球がそれた瞬間にダッシュして素手でボールをキャッチしていた。
「なんでって唯のせいじゃない。」
「えっ?そうだっけ?」
唯と和の小学生時代。体育のバスケットボールの時にキャッチング練習で唯の殺人パスでメガネを壊されたこと。
ソフトボールの時間に唯の魔送球で気絶させられ、救急車騒ぎになったこと。
休み時間のドッジボールでなぜか味方の和にボールが直撃して顔面を強打して鼻血が止まらなくなったこと。
「そんな事を繰り返しているうちに自分の身を守るためにボールのキャッチだけはうまくなったのよ。」
「和ちゃん、苦労してたのね。」
「なんて涙ぐましい努力の結晶なの。」
いつの間にかムギとさわ子がもらい泣きしていた。
3回の裏は2番・ショート梓からの攻撃。
「(今度こそヒットを・・・!)」
梓は甘く入ってきた初球を狙った。追っつけるようなバッティングでショートとサードの間をボールが抜けた。
『ノーアウト1塁!中野選手が先程の打席の屈辱を晴らすレフト前ヒット!次は強打者の琴吹選手を迎えます。」
「センターバ~ック!!」
ヒロがマスクを外して叫ぶ。内野も外野も後退した。前の打席が強烈に印象に残っているので全員の顔に緊張が走る。
「(ふうん。全員後退守備なのね。それなら・・・。)」
初球はボール球を空振り。そのスイングを見て内外野が若干後ろに移動する。
「(沙英。次はインコース低め。)」
沙英がその通りに投げる。
「来たっ!」
ムギはバッティングの構えを崩してすかさずバントをする。
「うわっ!」
ヒロがすぐにキャッチャーマスクを外してボールをキャッチ。そのまま一塁に送ってアウト。その間にランナーは二塁へ。
『意表をつくバント!しかし、キャッチャーのヒロ選手が落ち着いて捌きました!ワンアウト2塁!!」
『もしキャッチャーが慌てていたらノーアウト1・2塁になっていたかもしれませんから、被害を最小限にとどめましたね。』
『次は4番・サード秋山選手。四番の一振りで三点目を入れられるのでしょうか。0-2。正念場です。』
「なんで私にはチャンスで回ってくるんだ・・・・。」
澪は自分の運命に嘆息した。ムギが打っていてくれれば、と思わずにいられなかった。
「打つしかない、か。」
澪は腹をくくって打席に入る。沙英が二塁ランナーを確認してからボールを投げる。
「うっ・・・・!」
低めに来たボールを打ち上げたが、サード側の客席に入ってファウル。
「手が出なかった・・・・。」
次の球は見逃したがコースに決まってストライク。三球勝負に出た沙英は大きくモーションを取る。
「あれは・・・・フォークだ!」
澪は咄嗟にすくい上げるようなバッティングをする。コース低めに落ちてきたフォークをきっちりとらえた。
打球はドライブしながらセカンドの頭上を越えてワンバウンドのヒットになった。
「なずな殿!」
前進してきたなずながボールをキャッチして宮子に渡す。だが、宮子はバックホームを諦めた。
『桜ヶ丘高校チーム追加点!中野選手が生還して0-3!秋山選手のタイムリーヒット!』
『フォークボールにうまく当てましたね。勢いに逆らわず当てたバッティングが功を奏しましたね。』
その後はさわ子がサード内野フライ、和がショートゴロでこの回の攻撃を終えた。
『0-3とビハインドの展開のやまぶき高校チーム。イニング最初のバッターはセカンド・宮子選手。』
『ここで1点でも返せるとやまぶき高校にも流れが行きますね。』
律は宮子にまた粘られていた。ツーナッシングからカットカットですでに11球。辛抱強く打ち頃の球を待っていた。
「(内角低め、外角高め、内角低め、外角高めの繰り返し。なら、次は・・・・)」
宮子は頭の中で配球を計算して次の球を待った。そしてドンピシャの場所にボールが来た。
真芯に当たって良い音を立ててライナー性の当たりがショートとセカンドの間を飛んだ。が・・・・
「アウト!」
梓が全力疾走で追いついて後ろにさがりながらダイビングキャッチ。
『抜けたと思った当たりがショート中野選手のグラブの中に!!ワンアウト!!ショートライナーに倒れました!!』
『やまぶき高校チームは惜しい当たりが多いんですが。それでもアウトになってしまう野球の醍醐味といったところでしょうか。』
『さて、ランナーなしの場面で先程犠牲フライを打ったゆの選手、今度こそ得点に絡む活躍ができるでしょうか!」
「(今は負けてる。私の責任は重大。絶対に打たなくちゃ・・・・。)」
ゆのは闘志をたぎらせて打席に入る。が・・・・
「ボール!!フォアボール!!ランナー一塁!!」
先程の打席に影響でへとへとに疲れきった律はストレートのフォアボールを出してしまった。
「ヤバ・・・。次はしっかり抑えないと・・・・。」
律のその焦りが次のバッターヒロへの初球に出た。甘く入った球を痛打され、一二塁間を抜けるヒット。
「やったわ!」
ヒロがファーストベース上でガッツポーズ。
「沙英、私に続いてね。」
「うん、任せて。」
沙英にも初球から甘く入ってセンター前に弾き返された。
『桜ヶ丘高校チーム大ピンチ!!フォアボールの後、二連打でワンアウト満塁!!』
『やまぶき高校チームに取っては大チャンスですね。一気に大量得点を狙いたいところでしょうね。』
『今すかさずキャッチャー山中先生がピッチャーの元に向かいます。』
「りっちゃん。大丈夫?」
「ごめんごめん。ちょっと球が甘く入っちゃっただけだから。」
「本当に大丈夫?なんだったらピッチャーを誰かに代わってもらってもいいのよ?」
「疲れてどうしようもなくなったら少しだけ代わってもらうよ。」
「ワンアウト満塁か~。うん、大チャンスだね。」
「宮子さん、どうしましょうね。先生にまた何か教えた方が・・・」
「思いっきり打ってもらえばいいんじゃない?飛べば外野フライでも一点だし。」
「あの、スクイズとかはどうでしょう?」
なずなの提案に宮子と乃莉は頭をふった。
「吉野屋先生だと失敗するかもしれないね~。」
「先輩が空振りした後ゆのさんが飛び出してアウトになると思うよ。」
「あうっ・・・・。」
なずなはせっかくの提案にダメ出しされて涙目になった。
『あーっと、打ち上げてしまった!セカンド平沢憂選手落下点に入りました。アウト!』
吉野屋は二球目を打ち上げてセカンドフライに討ち取られた。
「(ツーアウト満塁か・・・。ここで打たないとうちの負けだよね。)」
打席に入った真美は気合を入れて打席に入った。律の構えからすぐにコースを読みきった。
「ここだ!」
アウトコース真ん中辺りに来たストライクの球を打ち返した。セカンドベースの真上を飛んでワンバウンド。
すぐさま和が補球するがその間に三塁ランナーのゆのがホームインして1点を入れた。
『真美選手、初球打ちでタイムリーヒット!!1-3!!2点差に縮めました!!」
ゆのはホームインしてから乃莉、なずな、宮子、吉野屋、中山とハイタッチした。
「よ~し、じゃあ私も真美に続くか~。」
「うん、頑張って!」
「(長打を打って同点にしたいところだけど、私の力でそれは欲張りすぎ。つなぎに徹するわ。)」
中山は打席に入るとバットを極端に短く持って当てることだけに専念した。
「こんの~!」
初球を当てたが打ち損なってバックネット方向へのファウルボール。二球目はボール。
「えいっ!」
四球目に来た高めの球はするどいゴロになって三遊間へ。澪と梓が飛びついたが取れずにレフト前に転がった。
レフトの純が捕球する間に三塁ランナーのヒロがホームイン。
『連続タイムリーヒット!!2-3!!じわりじわりと追いついています!!』
「よし!これで1点差!」
中山は一塁ベースで歓喜の声を上げた。
『さあ、ここで二打席連続ヒットの乃莉選手を迎えます、中盤4回の表にビッグイニングになりそうです!』
『満塁ですので敬遠はできません。見ごたえのある勝負になりそうですね。』
乃莉は打席に入るとまっすぐ外野方向を見据えた。
「(ヒットでなずなに大事な場面で回すのは可哀相だし、私がしっかりしないと・・・!)」
律の投げてくる球はひっかけさせてゴロで討ち取るためにアウトコース中心。乃莉はそれをひたすらカットした。
『乃莉選手、粘っています!!すでに14球を田井中選手に投げさせています!!』
『田井中選手も体力の限界が近づいているようですね。』
「あっ・・・・!」
あくまでさわ子はアウトコースにミットを構えた。が、律の投球がそれて内角の打ち頃の高さにいってしまった。
「待ってました!」
乃莉はそれを思いっきりフルスイング。打球は高く上がって放物線を描いてレフト後方へと飛んでいく。
『これは大きい!これは大きい!これは大きい!入るでしょうか!?』
乃莉の打球は風に乗ってぐんぐん飛距離を伸ばしていく。
『三塁ランナー、二塁ランナーも後ろからやって来る!!』
ツーアウト満塁で当たった瞬間にランナーたちは同時スタートでホームに走ってくる。
『レフトフェンス際!!鈴木選手がフェンスによじ登って・・・・。』
純は低いフェンスに足をかけて高くジャンプする。乃莉のホームラン性の当たりが飛んでくる。
「うわっ(パシッ)」
純は腕を伸ばしてグラブの中にボールを収めた。ボールをキャッチしたままフェンスから転げ落ちたが、ボールは死守した。
「アウトッ!!」
『レフト鈴木選手、乃莉選手の満塁ホームランを阻止!!2-3でこのイニングの攻撃を終えました!!』
『今のは解説のしようがありませんね。超ファインプレーです。』
「うわ~!!悔しい~!!」
乃莉はベンチに戻ってくると地団駄を踏んで悔しがった。
「乃莉ちゃん、惜しかったね。私も見ててホームランだと思ったのに。」
「ああ、もう、本当だよ!タッチアップで刺されるし、盗塁で刺されるし、満塁ホームランパーだし、運勢超最悪だよ!」
乃莉は走攻守で貢献している割に自分だけ割を食っているのが悔しくて仕方なかった。
一方、桜ヶ丘ベンチでは・・・・
「鈴木さん、よくキャッチ出来たわね~。」
「えへへ、まぐれですよ、まぐれ。」
憧れのさわ子に褒められて純は完全に舞い上がっていた。
4回の裏の桜が丘高校は7番・唯からの打順。唯は沙英の初球を打ち上げた。フラフラと上がった当たり。
「あ~、これはアウトね~。」
ムギがその打球を見てそう判断する。が、予想に反してショート、セカンド、センターの丁度中間に落ちた。
「うわ~、テキサスヒットですね~。」
梓が唯のあまりの強運ぶりに驚きの声を上げた。
続く憂はライト前ヒット、その次の純も今度は沙英の球をきっちり捉えてレフト前ヒットを放った。
ノーアウト満塁。三塁ランナー・唯、二塁ランナー・憂、一塁ランナー・純。
「ノーアウト満塁のチャンスです!!」
「違うぞ、梓。ワンアウト満塁だ。」
「そこ、普通にあたしの打席を無視するな!ちょっとは期待しろ!」
律が思わずツッコミを入れる。
「だって、なあ・・・・。律だしなあ・・・・・。」
「でも律先輩ももしかしたらまぐれで・・・・。」
「あの、りっちゃん。ダブルプレーでも一点入るから頑張って。」
全然期待していない表情で軽音部のメンバーが口々に言う。
「みんなであたしをバカにして!!ここにいる全員が忘れられない打席にしてやるからな!!見てろよ!!」
律は憤然として左バッターボックスに入った。
「さあ、来い!!」
ピッチャー沙英の初球。外角低めを外れてボール。
「ストライク!!」
二球目はライト方向へ飛んでスタンドに入るファウル。三球目は外角高めに外れてボール。カウント1-2のバッティングカウントになった。
「(沙英・・・・次は内角低めで。)」
キャッチャーのヒロがサインをマウンドに送る。沙英はそれにゆっくり頷く。そして、第四球を投げた。
「もらった!!」
律が強振。その球はピッチャーの横をかすめてまっすぐセカンド方向へ。しかし・・・・
「アウト!!」
宮子セカンドベース上で飛びついてキャッチ。そのままセカンドランナーの憂をタッチ。
「し、しまっ・・・・!!」
憂は咄嗟のことで反応出来ずアウト。宮子はすかさず三塁に投げた。真美がそれをキャッチして唯にタッチ。
「アウト!!」
「えっ!?」
唯も離塁していて何が起きたか分からず呆けている。まさかのトリプルプレー。ノーアウト満塁から一点も取れずに桜高チームはこの回の攻撃を終えた。
「うわああああああああっ!!」
律は泣きながら戻ってきた。その彼女に対して澪の雷が落ちた。
「よりによってトリプルプレーとはなんだ!!」
「だって、狙ってたコースにずばっと来たんだもん!!」
「だってじゃない!!アウトの上にトリプルプレーになったら意味ないだろ!!」
律と澪がポカポカと殴り合う。
「本当に忘れられないプレーをしてくれたわね。」
「ええ。何か作為的かと思うくらいにですよね。」
さわ子と和がそれを横目に見ながらため息をついた。
『桜ヶ丘高校チーム、ノーアウト満塁のチャンスを作りながら1点も得点出来ませんでした。これから5回の表の攻撃に移ります。』
『今のはやまぶき高校チームにとっては儲け物のプレーでしたね。これが桜ヶ丘チームにどれだけの重荷になってくるでしょうか。』
『この回の攻撃は2番・ライトなずな選手からです。』
なずなは律の投球の前に苦しいバッティングが続いた。完全に威力に押されてライト方向へのファウルが続いた。
「(次で6球目。なんであたしの球はこんなに粘られるんだ?やはりここは緩急をつけたピッチングか。)」
律は普通の投球フォームから超低速の弓なりボールを投げた。なずなは完全にタイミングを外されてボールを跳ね上げてしまった。
「おっと。」
律は眼前でボールをキャッチ。ピッチャーライナーに討ち取った。
「ふう・・・。疲れてきたし少しは緩いボールも使って討ち取っていこう・・・・。」
そんな風に考えた矢先・・・三球目にスローボールを痛打されて宮子が右中間を破るツーベースを放った。
『やまぶき高校チーム、宮子選手がツーベース!!同点のランナーを出しました!!』
実況の藤堂の声が球場に鳴り響く。
「ゆのさん、ファイト!!」
「まずは一点取りに行こう。」
他のメンバーたちに声援をもらってゆのは打席に入った。
「(ここで宮ちゃんを返せれば同点。慎重に行かないと。)」
一球目は見送ってボール。二球目は足元で跳ねてファール。三球目は外れてボール。
「(これで・・・どうだ!)」
律はストライクゾーンより少し低めに投げてゆのに誘いをかける。
「うっ・・・これはボール・・・・。」
ゆのは振りにいきそうになって必死でバットを止める。が、その止めたバットに運悪くボールが当たってしまった。
「えっ!?うわああああっ!!」
ボールは転々と転がって三塁へ。澪が捌いて一塁に送球し、アウト。宮子は二塁から動けずツーアウト二塁になった。
「ふう、なんとか抑えられた・・・。」
律はほっとしたのも束の間、今度は5番バッターのヒロにセンター前でヒットを打たれてしまった。
「うふふっ。今の綺麗な女の子らしいヒットだったわ~。」
ヒロは一塁ベース上で込み上げてくる笑いを隠しきれなかった。
「ちっ、油断した・・・。次はちゃんと抑えないと・・・・。」
律がマウンド上でつぶやいている所にムギがファーストベースからやってくる。
「りっちゃん、大丈夫?」
「ああ、大丈夫。それより、ムギ。プレー中にポジションを離れるのは関心しないぞ。」
「ごめんなさい。すぐに戻るから。」
律は一息入れてムギにお礼を言う。
「じゃあ、頑張ってね、りっちゃん。」
ムギは律とグラブを合わせてポンと叩く。律はその時にあることに気がついたが、気づかない振りをすることにした。
「ムギ~、もういいか~?」
「お~!」
律がムギにファーストに戻ったかどうか聞くと、ムギはグラブを頭上に掲げてそれに答えた。その瞬間・・・
「えいっ!」
ムギがダッシュしてリードを取っているヒロのところに行く。そして、ポンと肩にグラブを当てた。すると・・・・
「アウト!!」
一塁塁審の右手が上がった。
「えっ?なんで?なんで?」
ヒロがまったく分からない表情をする。その彼女にムギはグラブの中身を見せた。ボールが中に入っている。
「か、隠し球!?」
「ごめんなさい、ヒロさん。ついさっきりっちゃんの所に行った時にグラブを合わせたときにもらっていたの。」
「インプレー中にファーストを離れていたのはそういうわけだったの・・・。全然気がつかなかったわ。」
『一塁ランナー・ヒロ選手、琴吹選手の隠し球に引っかかってアウト!!同点のチャンスが潰えました!!』
『ヒロ選手は全く無警戒でしたね。受け取った琴吹さんと渡した田井中さんの両方の演技力の勝利でしょう。』
『さあ、5回の裏やまぶき高校の攻撃。バッターは2番・ショート中野選手。』
なずなは沙英のストレートとフォークを組み合わせた投球術に翻弄されながらも5球目。ライト方向にボールを打ち上げた。
「うわ、こっち来るこっち来るこっち来る!」
なずなは飛んできたフライに恐れをなしてグラブを頭上に掲げたまましゃがみこむ。そこにすっぽりとボールが収まった。
「アウト!!」
「うわ、捕った!!私捕りました!!」
なずながライトで大はしゃぎしているのが沙英たちにも分かった。
「あはは、そういえば今日はなずなの方にフライが飛んでいなかったね。」
『ワンアウトランナーなし。次のバッターは3番・琴吹選手の登場です。』
ムギがバッターボックスに入ると、外野が後退守備に入る。
「えいっ!」
ムギは初球をバント。セーフティー気味にファーストとピッチャーの間を転がっていく。
「任せて!」
ヒロがマスクを外してボールに飛びついて一塁に投げる。タイミングはほぼ同時だが・・・
「アウト!!」
ムギは一塁ベース上で悔しそうな表情。
「む~!どうしてバレちゃったのかしら?」
ムギはヒロに尋ねた。
「紬さん、さっきのように遠くに飛ばそうっていう気が感じられなかったからよ。」
「気が感じられなかった?そんな事が分かるの?」
「ええ。相手のそういう微妙なところが分からないと。仕事になると気が張り詰めてイライラするお隣さんがいるから。」
「わっ!ヒロのバカ!それ以上言っちゃだめ!」
沙英は自分の小説家の仕事を内緒にしていたので、慌ててヒロの口を抑えた。
『2アウトランナーなし。4番の秋山選手がバッターボックスに入ります。』
澪は1、2球目を見逃してワンエンドワン。3球目を振り抜いたがタイミングが合わず、レフト方向のファウルグラウンドへ。
『あ~、これはファウルですね。ネットに当たりそうです。』
『あっ、待って下さい!レフト・吉野屋選手が突進してきます!突っ込んできて突っ込んできて捕りました!』
「アウト!」
『吉野屋選手、ナイスガッツ!!秋山選手をレフトファウルフライにしました!!』
が、吉野屋は勢い余ってフェンスに激突。転倒する時に咄嗟にグラブをしている左手を地面についたが・・・・。
「いたっ・・・・。」
手首の関節がグキッと鳴った。
「先生、大丈夫ですか!?」
近くにいた真美とゆのが駆け寄ってくる。
「平気ですよ、これくら・・・あうっ!」
吉野屋は左手を動かしてアピールしようとするが、左手に激痛が走った。
「く、桑原先生ー!!」
観客席にいた桑原を大声で呼んだ。
「はい、これで大丈夫。患部は冷やしておきましたから、二三日で痛みが引きますよ。」
桑原が救急箱に道具をしまいながら言う。
「野球の試合は?」
「その腫れじゃ無理に決まってるでしょう?」
「心配しないで、先生。私が代わりの人を連れてくるから。」
宮子が観客席に入ってお目当ての人を連れてきた。
「ふ、ふん!沙英がどうしてもっていうなら出てあげないこともないわ!」
夏目が本心を隠して強情を張ってそう言い放った。
「(沙英さん沙英さん。ここは私に任せて。私の言ったとおりに言うんだよ?)」
「(ああ、もう。分かったわよ。そうしないと試合再開出来ないし。)」
沙英は夏目の方を向いて宮子のセリフをそのまま言った。
「夏目、是非やまぶき高校のために出て欲しいの。それと、私のためにヒットを打って欲しいの。」
「なんで沙英のためにヒットを打たなきゃいけないのよ?」
「決まってるじゃない。私と夏目は親友。助け合うのは当然でしょ?」
「(ししし、親友・・・!?沙英ったら私のことを・・・そんな風に・・・!?)」
夏目は赤面して一瞬思考がトリップした。
「仕方ないわね!やまぶき高校のために打ってあげるわ!あんたのためじゃないんだからね!」
『この回、ピッチャーが代わります。秋山選手がピッチャー、田井中選手がサードに入りました。』
疲労困憊の律を休ませる目的で律と澪がポジションを入れ替えた。
「おい、澪。お前、ピッチャーなんてやったことあるのか?」
「やったことはないけど、コントロールつけて投げるくらいならなんとかなるよ。」
「ま、頑張れよ。」
『6回の表、やまぶき高校チームは6番・ピッチャー沙英選手。』
澪は第一球を投げた。ボールは高めに外れてボール。
「(結構難しいな。今度はちゃんと低めに投げないと。)」
第二球は今度は低めに外れてボール。
「(まずい。ノースリーにはしたくない。)」
澪は第三球を甘い場所に投げた。
「よしっ!」
沙英はそれを弾き返した。セカンドの頭上を越えてライト前ヒット。
『ええ、ここで選手交代をお伝えします。負傷した吉野屋選手に代わりまして、代打・夏目選手です。』
『ネクストバッターサークルで素振りをしてますけど、すごいスイングですね。この一打席にかける思いが強いのでしょう。』
『あれ・・・吉野屋先生?なんで実況席に?うわっ、あの、ちょっと・・・・!』
実況席でガチャガチャ音がして藤堂の実況マイクが吉野屋に奪われた。
『ここからはこの吉野屋が代わって実況しま~す!ぶっちゃけ怪我してもう試合に出られないので暇だからで~す。』
『先生、困ります!そんなに乱暴に扱わないで!壊れる!壊れる!』
『藤堂さん、落ち着いて!なんかボタン押しちゃってる!戻して戻して!』
実況席の混乱をよそに試合は緊迫した場面に突入した。
夏目は満を持してバッターボックスに入る。
「(親友・・・・親友・・・・親友・・・・・絶対に打つ!)」
夏目は初球から豪快にフルスイング。
「ストライク!」
夏目は一球たりとも手を抜く事なく、ファウルを繰り返した。そして、8球目・・・・
「もらったあ!」
夏目の打球がバットのマシンに当たり、ぐんぐん空を飛んでいく。センターの和が必死に追いかけるが頭上を越え、フェンスに直撃。
『センター、今ボールを掴みました!!俊足の沙英選手、三塁を蹴りました!!』
『それ、私のセリフ!もう、曽我部さん、強制排除よ!』
『OK!』
『風の抵抗を受けにくい体型でますますスピードアップしてますね~。』
今のセリフで沙英の足ががくっと落ちた。和のボールがセカンド・憂へ。憂がバックホーム。クロスプレーのタイミングになった。
さわ子が左足でブロックして、ボールを受け取る。沙英の方に向いてミットを突っ込ませる。
沙英はそれをかわしてスライディングして手をホームベースに差し出した。さわ子のタッチは間に合わない。
「セーフ!!」
「やったあ!!」
沙英はその場でガッツポーズ。やまぶき高校チームは代打・夏目のタイムリーヒットで同点に追いついた。夏目は二塁に到達。
「くっ・・・一点取られた・・・・。」
澪はその場で崩れ落ちた。だがその後は後続の真美、中山、乃莉を全員内野フライで討ち取ってこの回を終えた。
『あっ!こ、校長先生・・・!?なんでここに!?』
『あなたという人は先生としての自覚がなさすぎます。いえ、社会人としての常識を教える方が先かもしれませんね。』
『ひ、ひいいいっ!!』
『藤堂さん、曽我部さん。ご迷惑をおかけしてすみません。実況を続けて下さい。』
『は、はあ・・・・。』
吉野屋は校長に首根っこを掴まれてロッカールームへと消えていった。
『ええと、6回の裏の桜が丘高校の攻撃。同点からどうやって持ち越すことが出来るでしょうか。』
『そうですね。この回はラッキーガールの平沢唯さんに打順が回りますね。その辺に注目しましょう。』
さわ子はバッターボックスに入ると、若干バットを短めに持った。
「(沙英さんはさっきのホームベースへの全力疾走で疲れてるはず。狙うなら初球ね。)」
その読み通り、沙英の初球は甘いところに入ってきた。さわ子はそれをレフト前に弾き返した。ノーアウト1塁。
「さて、と。じゃあまた送りバントでいいわよね。」
和がバットを持って出て行こうとするのを憂が止めた。
「和さん、送りバントは駄目です。あっちのチームがバントシフトを敷いています。」
「あら、本当ね。なら、ヒッティング?」
「いえ、ここはバスターで。」
「あのね、憂。そんな簡単に出来るものじゃないわよ。まあ、やってみるけど。」
和は打席に入ると送りバントの構え。ファーストとサードがじりじりと前に出てくる。1球目はバットを引いてボール。
「(シフトは変わらず、か。)」
シフトは変更せずあくまでバントシフト。2球目は見送ってストライク。そして、3球目・・・
沙英は外角から入ってくる球を投げた。それにバットを合わせてバントをする構え。ファースト中山が突っ込んでくる。
「越えてっ!」
和はすぐにバットを引いてボールを打った。高く上がった球はファーストの頭上を掠めて外野へ飛んで行った。
「回れ回れ~!」
なずなが追いついて捕球する頃にはノーアウト二塁三塁になっていた。
『真鍋選手バスターエンドランでノーアウト二塁三塁!!やまぶき高校チーム、内野陣が集まります!』
「さささ沙英さん!大ピンチですよ!」
「うん。どうしよう。」
沙英の顔に明らかに動揺の色が走っている。
「次の平沢さんには二本打たれてますよね。敬遠しますか?」
「でも、妹の平沢さんも外野フライくらい打ってくるわよ?」
真美と中山も結局の意見は同じ。勝負するしかない。
「まあ、点取られても私たちで取り返すよ。沙英さんは安心して打たれてよ。」
「どういう励まし方だ!ふふっ、でもありがとう。精一杯やってみるよ。」
「そうね。沙英、もっとみんなに任せちゃっていいのよ。一人で抱え込むことないから。」
沙英はリラックスしてマウンドに立つ。
「お姉ちゃん、頑張って!」
「唯先輩、ガツンと一発打ってください!」
『さあ、ノーアウト二塁三塁で今日タイムリーを放っている平沢選手。第一球を空振り。全然違うところを打っています!』
『先程もそうでしたが、なんであれでヒットが打てるんでしょうね・・・。』
第二球もインコース低めの球をなんとか当ててファウル。そして、第三球目。
「うわっ!」
唯は打点がかなり前になってしまったが、サードの頭を越えてツーバウンドでヒット。
「フェア!」
三塁塁審が手を回してフェアを宣告。さわ子と和がすぐさまスタートを切った。
『三塁ランナーホームイン!二塁ランナーも三塁蹴った!ボールは転々とファウルグラウンドを転がっています!』
夏目が必死で追いついたが、バックホームは間に合わなかった。
『平沢選手、勝ち越し2点タイムリーヒット!!3-5!!』
桜ヶ丘ベンチから歓声が上がった。ベンチに戻ってきたさわ子と和がハイタッチをかわした。
その後、憂がショートライナー、純がレフトフライになってツーアウト一塁。
「唯が打っていなかったらせっかくのチャンスがパーだったんだな、ムギ。」
「そうね。唯ちゃんが今日はすごく頼もしく見えるわ。」
「よ~し、次はあたしだな~。」
律が左バッターボックスに入った。第4球を叩いてレフト前にヒットを打った。
「やった!!ヒットだヒットだ!!」
律は投球の疲れて無駄な力が抜けていたのできれいに放物線を描いたヒットを打つことが出来たのだった。
次のバッター梓はボテボテの当たりだったが、それが幸いして内野安打。
『中野選手、セカンド内野安打で出塁!!ツーアウト満塁のチャンスを作りました!!』
『琴吹さんの出番ですね。ここで恐いバッターを迎えることになりましたね。』
ワンツーからの4球目。ムギは無理に引っ張らずに当てただけのバッティング。そのボールは二遊間を越えてセンター前へ。
『センター乃莉選手、ボールをキャッチ!!すごい!!矢のような返球!!』
乃莉はボールをキャッチしてすぐに助走をつけずにイチローのレーザービームを思わせる好返球をした。
「ええっ!?」
唯は驚いたが、引き返すことは出来ない。ヒロはボールを楽々キャッチして・・・
「アウト!」
ヒロにブロックされた上タッチを決められてアウト。ムギのダメ押しタイムリーヒットは幻となってしまった。
「すごくいい返球だったね。あれならアウトになっても仕方ないよ。」
「ありがとう、憂~。」
憂に助け起こされてベンチに戻る。
「まあ、これで二点勝ち越して最終回。ここを抑えれば私たちの勝利。みんな、気合入れていくわよ!」
「「おおーー!!」
さわ子の号令を受けて全員が右手を上げてそれに応えた。
『2点取られたやまぶき高校チーム。絶体絶命!!最終回でなんとか同点、あわよくば逆転出来るでしょうか!!』
『ここまで来たらもう技術ではありません。諦めないことが大切です。』
この回から再び律がマウンドへ。澪はまたサードに戻った。
「先頭バッターはなずなだね。」
乃莉がヘルメットを被ったなずなに声をかけた。
「負けてるんだから、もう思いっきり振ってきちゃいなよ。悔い残らないように。三振してもいいからさ!」
「乃莉ちゃん。」
「どうせなずなじゃ当てにいくバッティングしたって当たらないんだから、一か八か大きいの狙ったほうがいいって!」
「あうう・・・。」
一言余計な乃莉がまた余計なことを言ってしまい、なずなは涙目になった。
「(悔いが残らないように、大きく振る・・・!)」
なずなは初球から思いっきりバットを振り抜いた。律の外角高めに投げたストレートが真芯に当たり、凄まじい唸りを上げて高く上がった。
『弾丸ライナー!!打球は衰えるところなくライトスタンドに一直線に飛んでいきます!!』
ボールはぐんぐんライトスタンド方向へと飛んでいく。ライナー性の当たりは全くスピードを落とさずライトスタンド後方のフェンスの上を通り抜けていった。
『なんと場外ホームラン!!やまぶき高校、土壇場で一点差に追いつきました!!』
「やったーっ!!」
なずなは珍しく大はしゃぎでダイヤモンドを一周。ホームベースを踏んだところでナインの手荒い祝福を受けた。
「なずな、すごい打球だったよね。あれって狙って打ったの?」
「ううん。乃莉ちゃんに言われた通りに思いっきり振っただけだよ。」
「よーし、私も続くよ~。」
宮子が意気揚々とバットを構えてバッターボックスに入る。律の宮子への第一球が放たれた。宮子の脇腹に。
「デッドボール!!ランナー一塁!!」
「うわあああ!!ご、ごめん!!痛くない!?怪我はしてない!?」
ピッチャーの律が慌てて駆け寄ってくる。
「平気だよ、このくらい・・・・。」
宮子は脇腹を押さえながら一塁へと小走りに駆けていった。ネクストバッターサークルにいたゆのが打席に向かおうとしたところで沙英が呼び止めた。
「ゆの、ちょっといい?」
「なんですか、沙英さん?」
「今、バントしてヒロか私に後を任せようって思ったでしょ?」
「は、はい・・・。よく分かりましたね。」
「確かに野球はチームプレイだから犠牲が必要な時もあるんだけど・・・・。でも、打ってもいいんだよ?」
「そうよ。ゆのさんは四番なんだから、私たちに気を使わずに思いっきり振ってきて。」
ヒロもすぐさま合いの手を入れる。
「ゆのさん、ファイト!!」
「先輩のかっこいいところを見せてください。」
乃莉となずなにも声援を送られてバッターボックスに気合を入れて入った。
「ストライク!!」
初球は低めに決まってストライク。
「(落ち着け、私・・・・。落ち着けばきっと打てる・・・・。)」
二球目はインコース低めに外れてボール。
「(絶対に・・・・打つ!)」
外角高めに来た球をゆのが強振。真芯に当たったボールはレフトスタンドへ。
「なっ!」
「えっ?」
「嘘っ!」
レフトポールぎりぎりに飛んで行った当たり。レフトの純が追うのをやめて見送った。
『これは大きい・・・これは大きい・・・・これは大きい・・・・入った!!逆転二ランホームラン!!』
『すごいあたりでしたね~。ぎりぎりまで持って行きましたね~。』
『ゆの選手バンザイをしながらダイヤモンドを一周!今ホームイン!』
ゆのはホームインするとなずな同様に手洗い祝福を受けた。
「宮ちゃん、私ホームランだよ!」
「うん!今日のMVPはゆのっちで決まりだね!」
「ゆのさん、最高!!」
「かっこいいです!!」
一方の律はガックリした。が、その後はヒロをファーストゴロ、沙英をショートフライ、夏目をレフトフライに討ち取った。
「律・・・・。」
澪が話しかけたが、律は抜け殻になって燃え尽きていた。
「全く。だらしないぞ、律。律がダメだったら私が代わりに何とかする。小学校の時からずっとそうだっただろう?」
澪は笑顔で言い、バットを持ってベンチを出る。そして、唯を振り返って言った。
「唯のところまで打順を回すからな。ちゃんと素振りをしておくんだぞ。」
「澪先輩すごくかっこいい~。」
「純にも分かった?あれが澪先輩なんだよ。」
純と梓の目が尊敬のまなざしでキラキラしていた。
「(ここで終わるわけにはいかない。律のために私は・・・・打つ!)」
ヒットはセンターとレフトの中間に落ちた。澪は足を活かして二塁まで一気に駆けてスライディングした。セーフ。
『桜が丘高校チーム、負けじと4番・秋山選手がチャンスメイク!!ノーアウト二塁!!」
「さわちゃん、一発かましたれ!」
「先生、お願いします!」
「任せて。必ず打つから!」
さわ子は第一球、第二球共にファウル。三球目はボール。四球目、五球目もファウル。そして、六球目。
「(沙英、フォークよ!)」
「(分かった!)」
沙英が中間の高さから低く落ちるフォークを投げた。さわ子はそれを打ちそこねてフライを上げてしまった。
「キャッチ!」
宮子が落下点に入ってキャッチ。セカンドフライでワンアウト。
「ごめんなさい。せめて進塁打くらいは打ちたかったんだけど。」
さわ子はベンチに戻ってくると肩を落とした。
『ワンアウト二塁となってバッターはセンター・真鍋選手です。』
和は二球目を叩いた。カキンッという乾いた金属音を立ててボールがサード方向に飛んでいく。
「やった、ヒットだ!!」
桜高ベンチが和の打ち返した弾道でそう判断した。が、その期待は審判の無情な宣告によって消えてしまった。
「アウト!!」
和の痛烈な当たりはサード真美の伸ばしたグラブの中に収まっていた。サードライナー。ツーアウト二塁。桜高チームは追い詰められた。
「ごめんなさい・・・・。」
和が力なく肩を落として戻ってくる。
「今の当たりをアウトにされたなら仕方ないわよ。」
ムギが慰めたが、ベンチの重苦しい雰囲気は変わらない。だが、その状況をものともしない人物がただ一人いた。
「大丈夫!!私がさわちゃんと和ちゃんの分も打ってくるから!!」
「おい、唯。」
律が打席に向かう唯を呼び止めた。律は唯の耳に他の人には聞こえない声で何かをささやいた。
「えっ!?本当!?」
「ああ。だから頑張ってこいよ。」
「うん!あたし、頑張る!」
唯の素振りが凄まじい唸りを上げた。律に何かを吹き込まれて唯のパワーと集中力が大幅にアップした。
「唯に何を言ったんだよ?」
「ああ、ちょっと、な。」
「(この子を抑えれば私たちの勝ち。絶対に抑える・・・・!)」
「(この子から打てば私たちの勝ち。絶対に打つ・・・・・!)」
沙英と唯の思いが交錯し、火花を散らす。初球空振りしてストライク。二球目も同様。三球目フォークをファウル。
「(沙英、高めの釣り球。)」
ヒロのサインがそれを要求した。打つ気満々なので振るという計算だ。
沙英は要求通りに高めにボール球を投げた。唯はそれをスイングする。
「あっ・・・バカ・・・・!」
ベンチの律が叫んだ。だが、予想に反して唯の球は大きくふらふらと上がりながら外野に飛んでいく。
『レフト、センター、追っていく!!これは伸びる伸びる!!フェンス際、二人がジャンプ!!」
唯の当たりは左中間のバックフェンスに当たった。乃莉と夏目が両方ジャンプしたが取れず、二人とも倒れこむ。
その間にランナーの澪はホームに達して同点。
『ああっ!センター、レフト、両方捕れない!ライト方向にボールが転がっていく!』
ライトからなずなが走ってきてボールをゆのに投げる。ゆのが中継プレーでボールをキャッチ。
唯は三塁ベースをオーバーしたところで一瞬止まり、ゆのがホームにボールを投げるのを見て走り出した。
「唯先輩!?ストップ!!ストップ!!」
三塁コーチの梓の制止を振りきって本塁に突っ込む。ヒロがすかさずブロックしてゆのの返球を待つ。
「入れさせないわ!」
ヒロがボールを右腕にはめたミットでキャッチ。体を左90度にひねってタッチに行く。
ヒロは左利きのため、右投げのキャッチャーより若干だけモーションが大きくなる。その僅かな隙を狙って唯が手を伸ばす。
O.1秒の世界で二人が交錯。ヒロがもう少しで唯にタッチ出来るところで唯の左手がベースに触った。
「セーフ!!ゲームセット!!」
『ランニング!!ランニングホームラン!!桜ヶ丘高校チームサヨナラ!!』
実況席も大興奮。唯がまさかのサヨナラランニングホームランを決めて逆転勝ちをした。
桜ヶ丘ベンチから全員が飛び出す。唯をもみくちゃくにして笑い合った。
一方、マウンドでがっくり膝をついたまま動かない沙英を慰めにやまぶき高校チームのメンバーが集まっていた。
イニング 1 2 3 4 5 6 7 計
やまぶき高校 0 0 0 2 0 1 3 6
桜ヶ丘高校 0 2 1 0 0 2 2× 7
勝利投手 田井中律
敗戦投手 沙英
本塁打 なずな・ゆの・平沢唯
盗塁 平沢唯・乃莉
興奮が多少冷めてからヒロが唯に質問をした。
「唯さん、どうしてセーフになるって判断したの?」
「えっ?だって、ヒロちゃん左利きだから。グラブはめる手がが普通の人と逆だからタッチに時間がかかると思ったの。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
野球のルールをろくに知らない唯がなぜそのような細かいことを咄嗟に判断出来たのか。それがヒロには分からなかった。
その後、表彰と記念写真。新聞部からの取材を受けた。
観客もぞろぞろ帰り、場内の片付けも終わって帰ろうかという時。
「さわちゃん先生!約束のケーキ食べ放題今から連れてって下さい!」
「約束のケーキ食べ放題?何の話よ?」
全く見に覚えが無く要領を得ない話をされて頭にはてなマークが浮かぶさわ子。律がバツが悪そうに言った。
「ごめんごめん。唯のパワーを最大限に引き出すためにさわちゃんがケーキ食べ放題を奢ってくれるって言ったんだった。」
「ええっ!?何勝手に出任せ言ってるのよ!」
怒るさわ子。一方の唯は訴える目でさわ子を見続けた。
「ダメなの、さわちゃん?」
「ああ、もう!分かったわ!奢ってあげる!特別だからね!」
さわ子は大人の意地と唯の潤潤した目に負けて唯に奢らされる羽目になった。
「じゃあ、あたしたちもだよな、さわちゃん!」
「あたしたち?まさか全員に奢れっていうの?」
「え~、だってあたしだってずーっと投げっぱなしで疲れてるんですけど~。」
「律先輩は打たれてただけじゃないですか。私はヒット二本打ってるんですよ?それに守備でも貢献しました。」
「律も梓もムギもみんな頑張ってチームの勝利に貢献したんですよ。ですよね、先生?」
さわ子は試合での貢献度が梓や澪より下だったので文句が言える立場に無かった。
「ああ、もう!全員奢ります!奢らせて頂きます!」
さわ子はついに折れた。
「先生、はい。ここのホテルがうちの系列で美味しいと評判なんです。」
ムギがチラシを持ってくる。ムギの実家の系列のホテルのものだ。
「いいっ!?一人3000円!?9人で合計27000円!?私の今月のお小遣いが~!!」
さわ子は大泣き。ケーキバイキングでやけ食いして憂さを晴らそうと心に決めた。
「いいなあ、あっちのチームはケーキバイキングだって~。」
「羨ましいわよね、沙英。こっちのチームも誰か奢ってくれる人がいないかな~。」
ヒロと沙英が同じ人物を振り返りながら言う。
「な、なんですか、あなたたち。その目は!?」
全員に目を向けられた人物・吉野屋は戦々恐々として生徒たちの顔色を伺った。
「私すっごくお腹がすいたな~。」
「運動して疲れたんで甘いもので糖分補給したいな~。」
真美と中山がわざと周りに聞こえる大きさの声で独り言を言い始めた。
「山中先生はあっちのチーム全員に奢ってくれるそうですよ?」
「私立高校の先生ってお給料がいいんだよね?」
ゆのと宮子が遠回しに吉野屋の奢りを要求してきた。
「うえ~ん!!山中ちゃんの意地悪~!!私まで奢らなくちゃいけなくなっちゃったじゃない!!」
吉野屋は生徒の圧力に負けてケーキバイキングで特別損失3万になってしまった。
次の日、音楽準備室にて・・・
「はあ~、昨日は食った食った~。」
「律は食べすぎだ。他のお客が呆れていたぞ。」
「シフォンケーキとかチーズケーキとかムギちゃんの教えてくれるケーキが凄く美味しかった~。」
「そう言ってもらえると嬉しいわ。次の試合も勝ったら今度は別のお店を紹介してあげる。」
「じゃあ、今度はお好み焼きとか焼肉がいいな~。あるのか、ムギ?」
「ええ、もちろんよ。両方知ってるわ、りっちゃん。勝ったら皆で行こうね。」
梓がその会話を聞いて一つ疑問を持った。
「あの、ムギ先輩。次の試合勝ったら、ってどういう意味ですか?」
「あら、和ちゃんに聞いてないかしら。昨日の試合、大会の1回戦よ。決勝戦まで後4回あるのよ。」
「「なにいいいっ!?」」
澪と梓が驚きの声を上げた。
「まあ、いいじゃないか。軽音部の名前を有名にするチャンスだぜ!」
「そうだよ。また勝ってさわちゃん先生に美味しいものを奢ってもらおうよ!」
「さわ子先生、また泣くだろうな・・・・。」
「いいじゃないですか、それで。音楽以外でも私、皆で何かをやりたいです。」
「ムギ、次の対戦相手はどこなんだ?」
「陵桜学園高等部よ。」
「よ~し!目標は陵桜学園高等部撃破だ!頑張るぞ!」
「「おお~!!」」
次回に続く?