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飛行機の優先客:JALの転倒;映像のうつらないTV、「ありがとう」を連呼するJR、そしてダイヤモンド鑑定
2010.06.25 Friday | category:a:ホスピタリティ・ビジネス
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もうJALには乗る気がないので、たまっていたマイルを使いきろうと、最後のJALに乗った。
どこでもそうだが、子ども連れの客、ファーストクラスやビジネスクラス(正確にどういうかしらないが)の客を優先させる、それはいい、だが、これを「順番」とはき違えているこっけいさだ。
福岡空港で。お子様おつれのかたしませんか、となんどもなんども声をあげている、だれも通過しない、それでもなんども声をかけ、つぎにエコノミ―外の客を呼んでいる、何度も何度も、エコノミー客は、ただ茫然とたちすくんだまま、数人が、ぽつり、ぽつりとランダムにくる、その間、だれもとおっていないのに、まだいませんか、とよびつづけて、われわれをまたせている。
こんな数人、コンピュータ管理で何人かわかっているだろう、顔不在のまま、「いませんか、いませんか」と笑ってしまう。順番を、優先客に強要していることにきづいていない、優先をおしつけているから、笑ってしまうのだ、少しも優先ではない、便宜をはかってもいない。
だれも、とうっていないのに、列をつくることもなく、円形状に周辺で、改札にちかづけず、たたされて待たされているわれわれも、滑稽である。
優先席の意味が、かんぺきにはきちがえられている。
ちょっと、叱ったので、乗務員が謝罪に来た、説明してやった、優先客とはどういうことかと、
「ありがとうございます、上につたえます」ときた、現場のあなたたちいがすればいいことだ、わかっていない、体質がもうだめだ、JALの本格破たんは近い。
わたしは、国際線では、KLMを使い、アムステルダム経由でジュネーブに入る。いろいろな航空会社をつかってみたが、ここが、一番気楽でいい、なんどもいくので、エコノミ―なのに、マイルがたまり、ゴールドになって、そのカードのおかげでビジネスクラス並みの扱いをうけれる。
エコノミーの長蛇の列がならんでいても、優先してとうしてくれる、パリでは荷物チェックは別入り口でまたずにとおれる、疲れている者にはありがたい。
ラウンジも自在に使え、ビジネス席が空いているときは、優先的にそれにかえてくれる。
この間は、ほとんどエコノミー金額しかしはらっていないのに、ビジネスへ優先させてくれる、ラクチンだ。
つまり、優先客というのは、またずに入れる、ランク上の席を提供されるなどのことであって、順番ではない、こんなまったんの小さなことが、JALにはわからなくなっている。
おそらく、エコノミー客がならんだなら、もう順番は終わったとまたされているのではないか、「規則だ」と。
つかれはて新幹線JR駅で降りる、「ありがとうございます」「ありがとうございます」と大声で何人もが叫ぶ、若い駅員たちにさせている、耳がいたいほど大声で、だがだれひとり「ありがとう」などの気持ちはもっていないで、点呼の如く叫び続けている、不快である。
どこもかしこも、ひっくりかえっている。
ホスピタリティというのは、差別をうみだす、それが「快・楽」をうみだす、だから、あたえられずとも、文句はでない、だが、JALは、それを「便宜」だとかんちがいしている。
客の顔を見ずに、物体、データ、機械だけを管理している、こういう体質は変わらない、JALが、DOCOMOが、TOYOTAが。
液晶TVの大型を購入して、ぶったまげた。
激しい雨が降ると、BS放送は、映像がでない! 見れなくなる。真っ黒な画面になって、情報システムが「診断しますと」、分別し始める。
機械としては知っている、わかっている、欠陥品ではないと主張し正当化しているのだ。
これにはあきれてしまった。
明確に、欠陥品である、映像が映らないのだから。
こんな欠陥商品ものを平気で、高額で売りさばいている。
なんの疑問も感じていない、当の企業に尋ねたなら、内だけではない、TV外部の問題だ、いずれ改善はされようと、平然としている。欠陥商品であるという認識も自覚もまったくない。
機械は診断しているだろう、というのだ。
ふざけてはいけない、サッカーをみていて、雨がふってきて、映像も音もとぎれ、見れない、欠陥商品でなくしてなんであるというのだ。アナログでは雨や雪だろうと、みえていた。
そして、情報技術は機械に従属されて使われているにすぎない、機械をコントロールしえていない。
トヨタのブレーキの効きがおそい、それは機械の側の問題ではない、使う側の問題だと、平然といいのけたトヨタとおなじどころか、それ以下である。
ちゃんと、機械はキャッチして、診断までしているではないかと、平然と言うのだからあきれる、映像が実際にいま、うつっていないではないか、おまけに番組表もでないから、まったく機能停止になっている。
見る側のことなど、なんにも考えていない、これがいまの家電の現状だ。
いや、もう「家電の時代」ではないと、うそぶきまでしている。
福岡でタクシーにのる、ほとんど行き先を運転手はしらない、地方から不景気できているからだろう、地元ではないからだが、それだけではない、ナビゲーターができてから、運転手は場所を自分で記憶しなくなった、データ任せになった、場所を見ていない、機械データしかみていない。
これが「便利さ」の本質である。「快」はなくなっている。
さらに笑ってしまう、「快」など技術課題にはならない、そんな抽象など技術開発しえない、と技術部は平気で言う。
人間の具体など、ぜんぶふっとんでいく。物体の具体しかないところに、物体の具体さえない、ただ分離された類似実体の再生産が、効率さへむけて正当化をともなって「不備の無い完璧な欠陥品」がつくられていくだけだ。
平和のためだと完全殺戮核兵器をつくっているのと、同じ論理である。
人を完璧に殺すことで平和がたもてる、不備をキャッチした欠陥をつくることで完璧となる。
もう、ほんとにわからなくなっているようだ、悲惨というか、崩壊へむけてつっぱしっているのに、まったく気づいていない。
売れない物どころか、欠陥品を完璧につくっている事態へ、哲学的な笑いをむけるどころか、技術的な笑い、経済的な笑いをむけるしかあるまい。
ipod ipad、売れるわけだ、機械をこえた、「快・楽」の情報ツールへ飛躍しているからだ。
iモードのシステムを、利用したというが、imodeは、所詮機械側の論理、ipad、ipodは使う側の人の論理からつくられている、これが日本企業がわからなくなっているところである。製造業もサービス業も、ひっくりかえっている。
だが、われわれのホスピタリティ技術開発は、その先へといくのだが、それを開発さえしようとしない。アップルにまけつづけ、気づいたらなにもない、ということだろう。IBMの崩壊状態は、どんどん他社にも蔓延していこう。
岡田JAPAんは、どんどんよくなっている、初戦のサッカーの体をなしていない勝利から、かなりサッカーにはなってきた、だが、ベスト8以上は絶対にいけない、ベスト16を突破できるかいなか、その楽しみはおもしろい、だが岡田は技術をしているだけで、文化をみていない、文化を情報化しえていない、皆一体となったという集団主義からでていないから、確実な得点はしえない、3点もとっちゃったでしかない、その限界を、本田は感じてしまっているから、予選突破しても喜べない、先がみえてしまったからだ、日本でしかプレーしていない選手が喜んでいる。
WCは、文化特質が、うきでてきたおもしろさにある。
文化の裏付けのない技術などは存在しない、なんであろうと。
さらにまた、日本的事件、ダイヤモンドの鑑定がインチキされている、比色が、2,3段階アップされて、それがへいぜんとなされていた、精査すべき鑑定がいんちきなのだからあきれる。組織がらみでやっている。信用ものさえ、そうなっていく、完全に詐欺だが、まだ詐欺だとされていない。鑑定機関自体が鑑定をしていないのだから、とんでもないことが日本ではおきている。これが、部分露呈してはいるが、本格的な露呈はこれからのようだ、消費者はそうとうだまされてきたはずだ。
スイス気質らしいスペインへの勝利:またもや番狂わせ
2010.06.18 Friday | category:i:野球、スポーツ
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スイスがスペインに勝ってしまった。6,7割ボールを支配されながら、カウンターで怒涛のごとく一気に攻め込み、あとは、カウンター狙いをにおわせながら徹底した鉄壁の守り、実にスイスらしい気質をみた。いままでの試合の中で一番おもしろかった。
帝国スペインの24本のシュートをかわし、一本も許さなかった。いかに、おしいアンラッキーなシュートであれ、スイスの守り総体をくずせないから、はいらない。
スペインが完全リードしているのに、いれさせないスイス。
これは、スイスが日々経済や政治でしていることだ。
いっさいすきがない。帝国だろうと、一番だろうと、相手の好き勝手にはさせない、自分たちを守りきる、しかも合法的に、リスクをおそれず、すれすれの合法性で、イエローカードは何枚かでようとレッドカード=非合法にはしない、そして、相手にすきあらばいっきに攻めて勝利を勝ち取る。
プライベートバンクが、世界ファイナンスでしていることだし、ダイヤモンド市場でしていることだし、EUや大国相手の政治でもしていることだ。
堅実なビジネスの仕方である。
だが、この仕方は、負けない仕方であるゆえ、いちばんにはなれない、優勝はしえない。いけるぎりぎりのところまで、そこそこのことをやりきる。
WC連続無失点記録をつくっている。
世界で一番になろうとしたUBS銀行は破たんした、それを狙ってはだめだ。
1回目の試合で、だいたい、これでみえてしまった。
今回は、アルゼンチン、ドイツ、ブラジル、スペイン、これらは技能がずばぬけている。優勝は、このうちのどれかであろう。
スペインは、たとえ負けていようとも、サッカー水準はずばぬけていた。それらにつづいて、どこがでてくるか、楽しみだ。チリは、48年ぶりに1勝した、日本の1勝はたいへんなことなのだが、今回は、おもしろい。番狂わせに期待したい。16チーム以降は、めちゃくちゃ面白くなりそうだ。
FIFAワールドカップ、期待はずれの1勝はうれしいものだ
2010.06.15 Tuesday | category:i:野球、スポーツ
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ちょうど、飛行機の移動中の待ち時間、アムステルダムのスキポル空港で、まず、オランダ・デンマルク戦を観た。TVの前は黒山のひとだかり、オランダ勝利に歓声があがる。
これなら、日本勝てるかも知れないという試合。オランダとは引き分け、デンマークにはうまくすれば勝てると感じる。岡田采配しだいなのだが。かつての、集団組織で攻め込んでいくオランダの姿は感じられなかった。デンマークは、力が落ちている。
移動して、国際線側のラウンジで、日本・カメルーン戦の前半を観る。喫煙ルームといえ、見ている日本人は、わたしひとり。これが、日本の実情かと。
試合内容は、サッカーではない、玉の蹴り合いでしかない、シュートなど一本もうてない日本、しかし、ちがう、縦に攻め続けていた、後ろへまわすのはほんのわずか、徹底してとられてもとられても前へ前へとつきすすむ、そこへ、本田のシュート。見事。
ただ、その一本を決めた、これこそ本田、世界でもまれた精神構造がこの男ちがう。
岡田の守り布陣に、一点、突破、海外派三角の頂点に本田をすえた、これは、岡田采配の結果だが、選手がなにせねばっていた。この意志が勝ち取った、海外ワールドカップ、初勝利だ。
日韓開催時の予選突破のときの試合はみたが、なにも記憶にない。ただ、応援していた。終わった直後、木之本におめでとうと電話したことしか覚えていない。
今回は、ひややかにみている。前回ワールドカップは、不快で最初からひとつもみていない、全敗するぞと若い者に食事のおごりをかけて、こちらが勝った。体制がととのっていない、川渕体制でなど絶対に勝てないと最初からわかっている。WCは、総体であるからだ。
ひとりトルシエを守った、木之本、そして、今回は岡田を守った協会、それは大きい。だが、岡田サッカーはつまらない、そこを選手たちの気迫と意志が、協働している。
川渕はジーコにすりより、責任回避でオシムをまつりあげただけだ。
後半は、飛行機登場手続きでみれなかったが、ひたすら守りはらはらの45分になるとわかっている。
成田について、シュート数が、合計3本でしかなかったのを知る。これを情けないと思う以上に、これでかてたのだから、これはすごいことだ。プロだ。フォワードまで守りきったということだろう。
Eグループの選手の力は、拮抗している。これで、自信がでてきたなら、予選突破はみえてくる。すると、日韓戦よりも決勝リーグで1戦は勝てるかもしれない、歴史が変わる。
木之本がサッカーのプロ化、WC参戦、とまいてきた種が、ようやく結実してきたということだろう。
このきたいはずれの勝利は、勝利、いかにたいへんなことか、素直に称えたい。岡田は多分帰国後、錯覚していこうが、勝ちは勝ちだ。個人の問題などこえたものがあるのだから。
とりあえず、スイスで全試合TVでみてきたが、アルゼンチンとドイツがずば抜けている。マラドーナの顔がよくなった。わたしはアルゼンチン優勝を応援するが、ベストエイトから、おもしろくなりそうだ。これから、イタリア、スペイン、ポルトガル、そしてブラジル(だいぶゆれているが)がでてくる、それをみてからだが、ドイツとアルゼンチン、レベルがちがう。骨が育たない、病気をおして、小さな体で世界一になったこの努力家メッシの夢の故郷帰り、ファンとして、楽しみだ。
ホスピタリティへ変わるということ:反と逆と転
2010.06.14 Monday | category:b:ホスピタリティ理論
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原理を変えるということは、何を意味するのか?
二十世紀は、革命が解決ではないことを証する歴史時代であった。そして、変革はただ醜悪な堕落を深めていくだけであった。希望は失われていったが、誰も絶望はしていない、ただ期待のみが延長、先延ばしされている。
わたしが意図してきたことは、哲学の基軸と地盤を変えることによって設計原理を新たに作り出し活用しうるものにすることである。原理の逆転は何を意味するのか?
人間・商品・サービス・社会を批判する思考の場所を開いてきた。
男女・資本・ホスピタリティ・場所の思考と設計の哲学技術を拓いていくためだ。
この二つの異なる系は、しかしレンズのように反転する。同じことが逆立するのだ。しかも、まったく設計原理が異なる。
前者は、分離/主語性/人間意志の界からなるなるが、後者は非分離/述語性/場所意志の界からなる。哲学原理がまったく異なる。そして、学問体系の原理も異なる。現実をつくり生産、創造していく原理がまったく違う。
相反的逆律の共存
逆という語がある、反とはどう異なるのか。フロイトは、転移にたいして逆転移contre-transfertなる用語を使った。患者から分析家への転移があり、その次に、分析家から患者への逆転移がおきうるというのだ。この逆は、contreの訳語である。しかし、反革命はcontre-revolution、反宗教改革はcontre-reformeで、逆革命、逆改革とは訳されない。革命・改革に反するものだ、という意味で訳されている。だが、マキャべリは言う、「反革命もまた革命のひとつであるということは、十分に指摘されてこなかった」と。逆からの革命、逆からの改革がなされるということだ。魚雷艇torpilleurが作られてから、駆逐艦contre-torpilleurが戦艦を守るために作られた。アルチュセールは、これらをひきあいにだしながら、逆は、恒に後から遅れて生じることであると言っている。
日本語において、逆と反とは、どうみても違う。逆立とはいうが、反立とは言わない。反対とはいうが、逆対とは言わない。逆には、「動き」がある、反は静止状態にある。以前にあったものごとを否定しさらには排除まですることだ。逆行する、は逆流である。反には、止まっているということから、止まる状態へいくことといえるものがある。反抗、反対、反応、反射、などだ。
ホスピタリティは、反ではない、逆である。サービス・商品の世界で流れているものごとに、逆流の可能性を開くことである。顔を見ない流れの仕組みに対して、顔を見る流れをうみだしていくことだ。したがって、反のように否定・排除はしない、逆の流れを共存させてつくりだすことである。それが、ある律する情況になりえている成熟さを、「相反的逆律」と、わたしは言う。異なる、相反するものごとが、逆流して同時的に共存していることだ。どちらに乗るかは自分が自立的に決めればいい。
こうしたわたしの考えは、設計上の要になっているものであるが、社会主義革命や、革命行動への歴史的な批判検証からもたらされた。社会主義革命が、膠着化し、スターリニズムの全体主義へ陥り、改革は必ずや腐敗堕落し、革命行動はそこへの犠牲的投企を強要する、そうしたネガティブなものをいかに超えるかである。
同じ、既存のものに変化・変容をもたらすのが、「転」であり、また「非」である。これらの語を、反という否定が強いものから、いかに活性化するかである。アクティビティを生み出すものにしなければならない。de-やdis-の意味化にかかわる。引き離すことだ。これは、壊すことへの対峙として考えられている。
deplacementとdisposition が、キイワードである。構造主義的思考が、動きをとめたことにおいて、その理論地平に立った上で動きを人間主体に置かずに、働かせる理論用語である。置かれている場所、地盤を変える事、つまり別の場所・地盤を作り出すこと。また位置を変えること、配置換えである。dispositionを、「性向」などと訳している鈍感さには辟易するが、理論効果を何も考えていない誤認訳である。
公私混同と公私共存:プライベートなものへの誤認を超える
2010.06.10 Thursday | category:-
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ライプチッヒから高橋順一氏がやってきて、ひさしぶりにじつに多々議論しえた。
いくつもあるが、とくにプライベートなものの概念・実際に関する整理がどうしても不可欠になる、というかすぐ社会の規準にからめとられてしまうし、日常感覚や日常認識で、プライベートなものが消されているのを痛感するゆえ、なんとかときほぐしたい。
公私の固有の次元がある。それをイデオロギー表象したいのは、どうでもすればいい、しかし、根源的な原則・原理として、公私関係からそれはきちんとしておかねばならない。
そもそも、 privateはラテン語の privusからで「単一の」という意味。「単一にされた」ということだ。これを私事に関することと、分離させて使う過ちである。さらに、public=公的なものと対立させる、辞書でもそうなってしまっている誤りがある。
ここに、openという関係性が、転倒をもたらす。
privateはcloseで、publicはopenだというのだ。つまり、<閉じるー開く>の関係項対立におしこんでいる、とんでもないあやまちである。
空港などで、privateという部屋、領域がある、一般客は入れない、しかし、関係者たちはオープンに出入りできるということだ、閉じてはいない。privateは、publicに開かれているのである。つまり、公私共存であって、公私分離ではない。private自体が、仕切っているのである。そこに一般客が自由に出入りすると公私混同がおきるのは、privateが壊されるからだ。publicが壊されるのではない。ある特殊な事情、つまりプライベートなことがあれば、一般客でもそこへはいることがなしうる、これは公私混同にはならない、その客のプライベートさが機能しうるからそこへ入ることがなしうることになる。
private universityとか private schoolというのは、ひらかれていよう。機能の仕方がちがうということだ。
企業とは、本来からして、private enterpriseである。だから、公的な仕方が要請される。
なのに、社会企業になっている。すると、社会として私的所有であるという転倒へはいり、プライベートさが消えてしまう、閉じた組織になる。
private viewingというのは、展覧会での特別招待である。顔があるということだ。一般公開ではどんな顔の客が来るかわからない。
プライベートというのは、その個別の顔が意味をもって生かされていることをいう。
the privateに対立するのは、その機能の仕方が社会に規制された privacy とprivate propertyである。これらは、顔を隠すことであり、私有財産を顔を隠して排他的にもっていることである。顔はみえなくなっている仕方である。
we can be quite private here.というのは、「ここならわたしたちしかいない」、ということだ。互いに顔をしりあった、われわれしかいないということである。
private house/ private residence が建っているパブリックな場所があるということだ。
private roomがたくさんあるパブリックなホテル空間があるということである。
公私は共存している、これが基本中の基本である。
さきほど空港に高橋氏を送っていった、スターバックでコーヒーを飲んだ。ひとりのウェイターは客の注文を顔をみてかくにんしているからてぎわよくさばく。もうひとりのウェイターは、注文品しかみていないから誰にわたすのか混同して、客の注文カードをいちいち確認している、あっというまに行列ができてしまい、当人はパニック状態にはいっていく。顔をみていない、品物しか見ていない。
プライベートさをいかしている前者、プライベートさが失われた後者。前者のウェイターはいきいきはつらつと仕事している、後者は眼がもううろうろして苦しそうに仕事している。同じことなのに、まったく違ったシーンになっていく。同じ場所で、同じことをしているのに、まったく違う事態になっていく。
ANAのinspirationが、混乱したというニューズが流れた、後者をしていたのだ。客をみていたのではなく、注文品をみていたのだ、だからもう注文品が届かなくなってしまう。
後者の、社会化された身体は、結構深刻で、コードが、もう顔をみれなくなっている。おまけに、プライベートなことはいけないことだ、という社会規範がそれをおおっているため、もうプライベートな多様さ個別さは許されないことになっていて、出現することをおさえこもうとさえする。
巣鴨信金でおきたこと、雨がふってきた、お客が濡れてはいってくるので、小さなタオルを置いた、これはサービス。ホスピタリティ担当者が、タオルを手で渡しなさいと指示した、これがホスピタリティ。同じことでもまったくちがう。前者は物を供しているだけ、後者は人の顔をみて行為している。
こんな小さなことに、プライベートなものは出現する。そして、まったく違ったものになっていく。
この公私関係を、市民社会の市民の自律性だ、対話的コミュニケーションだ、とやった瞬間に、公共性の論理へ、公的なものはひっくり返る、そのイデオロギー表象がハーバマスの思想になる。しかし、公私関係は、わたしが言っていることに、置いてある。
公私関係は、社会においたときに、場所をうしない、公共的なものにひっくり返る。公共哲学のとんでもないイデオロギーが、平然と論じられる。
公的なものに対立するのは、公共性と社会である。プライベートではない。
公私関係は、公私関係そのものにしかない。「顔を聞く」、相互関係である。
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