求刑無期懲役、判決有期懲役 2008年度





 2008年に地裁、高裁、最高裁で求刑無期懲役に対し、有期懲役・無罪の判決が出た事件のリストです。目的は、無期懲役判決との差を見るためですが、特に何かを考察しようというわけではありません。あくまで参考です。
 新聞記事から拾っていますので、判決を見落とす可能性があります。お気づきの点がありましたら、ご連絡いただけると幸いです。
 控訴、上告したかどうかについては、新聞に出ることはほとんどないためわかりません。わかったケースのみ、リストに付け加えていきます。
 判決の確定が判明した被告については、背景色を変えています(控訴、上告後の確定も含む)。




【2008年度の有期懲役判決】

氏 名
柴山真利子(57)
逮 捕
 2005年3月11日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人他
事件概要
 埼玉県熊谷市の元ヤミ金融業者で無職柴山真利子被告は、群馬県旧箕郷町に住む金融業者の男性を手伝っていたが、柴山被告は金銭を着服。返還やその他などで1億3000万円を要求されたため、殺害を決意。知人である韓国籍の無職李正雨被告に、報酬300万円で殺人を依頼した。李正雨被告と無職川井実被告は2005年1月14日午後7時15分頃、自宅玄関付近にいた男性(当時54)に、ドア越しに拳銃を発射して殺害した。
裁判所
 東京高裁 池田耕平裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年1月16日 懲役18年(一審破棄)
裁判焦点
 被告側は無罪を主張して、検察側は量刑不当を理由にそれぞれ控訴した。
 池田裁判長は判決理由で「告は犯行の首謀者で共犯者の中で責任が最も大きい。著しく凶悪で、一審判決は軽すぎる」と指摘。柴山被告が実行犯に対し、300万円の金銭的報酬によって犯行を決意させ、催促して犯行に駆り立てたとしたうえで、起訴事実を否認して無罪を主張し続けていることについて、反省、悔悟の情はうかがわれないと断罪。しかし強盗殺人罪と同等とした検察側の主張に対しては、「犯行に至る経緯に酌量の余地がある」「李受刑者は強盗傷害など多数の余罪があるが、柴山被告はない」などとして認めなかった。
 弁護側は実行犯の男との共謀を否定し、無罪を主張したが「殺害を依頼された経緯などを詳細に述べた男の供述の信用性は高い」として退けた。
備 考
 川井実被告は求刑懲役20年に対し、一審懲役16年の判決が言い渡された。そのまま確定。李正雨被告は2006年10月6日、求刑通り一審無期懲役判決がそのまま確定。
 2007年2月23日、前橋地裁高崎支部で懲役13年判決。被告側は上告した。

氏 名
少年(18)
逮 捕
 2006年6月26日
殺害人数
 2名
罪 状
 殺人、監禁、暴力行為等処罰法違反(集団暴行)、傷害他
事件概要
 岡山県玉野市の無職少年(事件当時16)は主犯格の無職小林竜司被告らと共謀。2006年6月19日、小林被告の友人で元東大阪大生の佐藤勇樹被告らとトラブルになっていた東大阪大生の男性(当時21)と、無職男性(当時21)らを岡山市内に呼び出して暴行。小林被告の指示などで、翌20日までに相次いで2人を同市内の資材置き場で生き埋めにして、窒息死させた。
 少年は被害者2人とは面識がなく、アルバイト先の先輩である小林被告の指示に従って事件に参加した。
裁判所
 大阪高裁 森岡安広裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年1月23日 懲役15年(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 森岡裁判長は「少年の言動からは、暴行を楽しんでいるかのような様子がうかがえる」と指摘。被害者に投石するなどした殺害の態様は「残虐で、戦慄を禁じ得ない」と述べた。  さらに、少年が共犯者に責任転嫁するような供述をしていることに触れ「責任に向き合おうとする姿勢をかえって後退させている」と批判。「実行行為の重要な部分を担い、殺人では不可欠な役割を果たした。無期懲役とすべき犯罪の中でも情状は悪い」と指摘。その上で年齢などを考慮して有期刑を選択した一審判決を「重すぎるとはいえない」と結論付けた。
備 考
 本事件では他に7人が殺人他で起訴され、既に一審判決が出ている。また少年2名が殺人などの罪で家庭裁判所に送致された。被害者2名を含む4名が、佐藤勇樹被告らへの恐喝や監禁などの疑いで、2006年9月15日に書類送検されている。
 2007年5月11日、大阪地裁で一審懲役15年判決。上告せず確定。

氏 名
高野基(57)
逮 捕
 2003年11月11日(別の放火事件で公判中)
殺害人数
 0名
罪 状
 現住建造物等放火、現住建造物等放火未遂、非現住建造物等放火、非現住建造物等放火未遂、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反、銃刀法違反(発射)他
事件概要
 暴力団組長高野基(たかの・もとし)被告は、同組幹部池田利彦被告、元建設土木会社役員小山佐市被告、元組員外間竜介被告、元組員地蔵原知哉被告と共謀し、2000年6月から8月、山口県下関市にある安倍晋三衆議院議員の自宅や後援会事務所などに、計5回にわたりガソリン入りビール瓶を投げ入れ、乗用車3台を全半焼させた。
 1999年の下関市長選の際、安倍氏が推した候補を支援した小山佐市被告に対し、当時の安倍氏地元秘書佐伯伸之氏(現・下関市議)が絵画の買い取りを名目に300万円を工面したが、小山被告はさらに安倍氏本人に金を要求。安倍氏が応じなかったため、高野被告と共謀して報復したされる。
裁判所
 福岡高裁 陶山博生裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年1月30日 懲役20年(検察・被告側控訴棄却)
裁判焦点
 判決理由で陶山裁判長は「事件の首謀者として、配下の組員に命じ、火炎瓶を繰り返し投げ付けて(前首相側に)圧力をかけた陰湿な犯行」と指摘。一審で無期懲役を求刑した検察側の控訴については「物的被害にとどまり、弁償金を供託していることから量刑が不当に軽いとはいえない」と退けた。
備 考
 高野被告は、安倍首相(当時)、夫人ら被害者ら4人に対する被害弁償金として約1000万円を山口地方法務局下関支局(下関市)に供託した。しかし、首相(当時)側は「受ける意思はない」として拒否している。
 供託金の意図について、同被告の弁護人は「被告人の被害弁済の意思を立証したかった」と説明している。
 4人のうち、当時秘書だった男性は一度、供託金を受け取ったが、その後、弁護人に返還している。読売新聞の取材に対し、安倍首相(当時)の事務所は「4人とも、被害弁済を受ける意思はなく、このような事件が今後一切繰り返されないことを願っている」としている。元秘書がいったん受け取った理由については、「供託通知書が届いた際、供託金を受け取らなければならないと勘違いをした」と説明している。
 供託金を受け取る権利を行使しないまま10年の時効が成立すれば、国庫に入る。

 運転手だった外間竜介被告は2006年7月14日、福岡地裁小倉支部で懲役10年(求刑懲役12年)の判決。2007年3月1日、福岡高裁で被告側控訴棄却。そのまま確定?
 組長から命令を受け実行した地蔵原知哉被告は2006年11月10日、福岡地裁小倉支部で懲役8年(求刑懲役10年)の判決。2007年5月28日、福岡高裁で一審一部破棄の上、改めて懲役8年判決。11月26日、最高裁第一小法廷で被告側上告棄却、確定。
 依頼主の小山佐市被告は2007年3月9日、福岡地裁小倉支部で懲役13年(求刑懲役15年)の判決。控訴中。
 現場責任者の池田利彦被告は2007年3月9日、福岡地裁小倉支部で懲役12年(求刑懲役13年)の判決。控訴中。
 2007年3月9日、福岡地裁小倉支部で一審懲役20年判決。

氏 名
杉原正康(39)
逮 捕
 2005年4月6日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、銃刀法違反
事件概要
 会社員杉原正康被告は、金融業者手伝い小田義輝被告及び無職清水久美子被告と共謀。2005年3月7日午後5時ごろ、神戸市のマンションの一室で、清水被告が金融業者の男性(当時32)の腹部を包丁で数回刺して殺害し、現金300万円などが入ったセカンドバッグを奪った。
 小田被告は男性のところで清水被告と一緒に働いていたが、男性数百万円の借金があった。杉原被告はマンションの名義をめぐり、男性とトラブルになっていた。杉原被告は清水被告に、犯行で使うスタンガンの購入費数万円を渡していた。
裁判所
 神戸地裁 東尾龍一裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年2月26日 懲役17年
裁判焦点
 杉原被告は逮捕当初から犯行を否認。
 2007年11月7日、論告で検察側は「実行犯に事前に殺害方法をアドバイスし、凶器を買う資金を提供した」などと指摘した。
 最終弁論で弁護側は「被告は資金は提供したが、実行犯の殺害計画は知らなかった」と無罪を主張した。  判決で東尾裁判長は、「被告は殺害自体には関与していないものの、凶器購入の資金を提供するなど、重要な役割を果たした」とした。無罪主張については、判決理由で「殺害方法について助言しており、計画の認識はあった」として共謀共同正犯が成立すると判断した。ただし従属的立場であったとし、有期懲役判決を選択した。
備 考
 清水(現姓芦沢)久美子被告は2006年7月10日、神戸地裁で求刑通り一審無期懲役判決。大阪高裁で控訴棄却(日付不明)、2007年6月、最高裁で上告棄却、確定。
 小田義輝被告は2007年5月15日、神戸地裁で求刑通り一審無期懲役判決。被告側控訴中。
 検察側は控訴した。2009年12月1日、大阪高裁で一審破棄、無期懲役判決。

氏 名
中村智(46)
逮 捕
 2004年10月15日
殺害人数
 2名
罪 状
 殺人、保護責任者遺棄致死、監禁他
事件概要
 廃品回収業中村智被告は2004年2月頃から野宿仲間で交際相手の無職道幸和代被告らとともに、阪南市に住むパート従業員北村由美子被告の自宅に収入目当てで住むようになった。
 中村被告は4月末頃から同居していた北村被告の長男(当時19)が思い通りに働かなかったため、しつけと称して長時間正座させて暴行したり、食事を与えなかったりする虐待を続け、衰弱していくのを知りながら放置し、8月2日未明に餓死させた。長男は北村被告の実家がある那覇市内の定時制高校を卒業後、北村被告の家に同居していた。身長は182センチで、死亡時の体重は32キロと9歳児並みだった。
 北村被告は当時、夫と別居したばかりだった。また消費者金融に150万円ほどの借金があった。  また中村被告は2003年秋から一緒に仕事をしようと誘い、泉南市の河川敷の小屋に道幸被告ら4人と共同生活を始めた。しかし中村被告は働かず、他の男性らが稼いだ金を巻き上げた上、食事を与えず、殴るけるの暴行を加えた。男性(当時35)はずっと暴行を加えられた上監禁され、2004年1月23日に餓死した。中村被告らは遺体を放置し、逃亡した。また、同居していた別の男性(当時28)が指示に従わないことに腹を立て、3月11日ごろと18日ごろの2回、男性の歯をペンチで引き抜き、けがを負わせた。男性はその後、逃亡している。
裁判所
 大阪高裁 片岡博弘裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年3月6日 懲役20年(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 弁護側は「食事を与え続けており、殺意もなかった」と無罪を主張したが、片岡裁判長は「体調が極度に悪化していたことを認識していた」と指摘し、殺意を認定した。
備 考
 北村由美子被告は殺人の罪で2006年10月12日、大阪地裁堺支部判決で求刑懲役15年に対し、懲役12年の判決を受け、控訴。2007年8月31日、大阪高裁で陶山博生裁判長は「医師の治療を受けさせたとしても救命できたかどうかはわからない」として、一審判決を破棄し懲役10年を言い渡した。12月25日、最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)は被告側の上告を棄却、二審判決懲役10年が確定した。
 2007年3月29日、大阪地裁堺支部で一審懲役20年判決。被告側は上告した。2009年3月10日、最高裁で被告側上告棄却、確定。

氏 名
藤村義人(54)
逮 捕
 2007年5月15日(死体遺棄容疑。5月25日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄
事件概要
 埼玉県三郷市のくい打ち工、藤村義人被告は、東京都葛飾区の男性会社員(当時37)に借金返済を迫られていた葛飾区の解体工、杉山武樹被告と共謀。2007年2月12日夜、両被告が勤めていた三郷市の土木会社の寮で、男性の頭をバールで殴り、背中を包丁で刺して殺害。現金約20万円とキャッシュカード入りの財布を奪った。
 藤村被告は分け前として11万円を受け取り、福井県の家族への仕送りなどにあてた。
 男性の遺体は4月7日、筑波山中を通る県道下の斜面で発見された。ピンク色の毛布の上から灰色のカーペットで包まれ、荷造り用のひもで縛られていた。
裁判所
 東京高裁 安広文夫裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年3月13日 懲役25年(検察・被告側控訴棄却)
裁判焦点
 安広裁判長は「犯行で不可欠な役割を果たし、杉山武樹被告を心理的に後押しした。刑事責任は杉山被告と同等とまでは言えないが、はるかに軽いとはいえない」と述べた。
備 考
 杉山武樹被告は2007年12月6日、水戸地裁で一審無期懲役判決。2008年3月4日、東京高裁で被告側控訴棄却。
 2007年11月1日、水戸地裁で懲役25年判決。

氏 名
原田優(22)
逮 捕
 2006年8月27日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、殺人未遂
事件概要
 宮崎県延岡市の無職原田優(ゆう)被告は、2006年8月24日午前0時45分ごろ、自宅近くの五ケ瀬(ごかせ)川の堤防上で、近くに住む県立高校1年の男子生徒(当時16)ら高校生の男女5人を刺し身包丁(刃渡り約20センチ)で襲い、男子生徒を一突きで刺殺し、別の高校の2年生女子の腰付近を刺して重傷を負わせた。この女子高生と同じクラスの他の3人の女子生徒にけがはなかった。
 高校生5人は事件の約1時間前から現場の堤防で談笑していた。原田被告は「お前たちうるせえが。静かにしろ」と言い、いったん立ち去った後に再び現れ、5人を襲った。
 延岡署は事件直後に原田被告を重要参考人として身柄を確保した。しかし原田被告は、常用していた精神安定剤を大量に飲んで意識不明状態だったため、同志内の病院に入院した。27日、原田被告は殺人、殺人未遂容疑で逮捕された。
裁判所
 宮崎地裁延岡支部 宮武康裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年3月21日 懲役26年
裁判焦点
 宮崎地検延岡支部は、原田被告に精神科への通院歴などがあったことから、簡易精神鑑定を実施。原田被告は、殺害をためらって自宅にいったん戻ったり、事件後に包丁に付いた血液を洗い流したりしていた。地検は、これらが原田被告が物事の善悪を判断する力があったことを示すものとみており、簡易鑑定の結果などとともに責任能力を認定し、起訴した。
 公判前整理手続きが適用され、争点が原田被告の責任能力の有無などに絞られた。
 2007年1月27日の初公判で原田被告は起訴事実を認めたが、弁護側は「心神耗弱状態にあった」と主張した。
 冒頭陳述で検察側は、動機について「近所から話し声や笑い声が聞こえてきたことに不快感を募らせ、以前から持っていた殺人願望と合わさって犯行におよんだ」と指摘。責任能力については「一度、殺害をためらって家に戻ったり、殺害後に凶器の包丁についた血を洗ったりしており、自分をコントロールできる能力はあった」などと述べた。弁護側は「中学3年のころに不登校となり、引きこもり状態になった。事件当時は心神耗弱状態だった」と主張した。
 弁護側は精神鑑定の実施を請求し、実施された。
 鑑定は▽被告には発達障害があり、その障害に起因する「人を殺すこと」への固執と強迫が殺人の衝動となった▽家庭のストレスや、犯行現場での高校生たちの笑い声が中学時の不快体験を思い起こさせて犯行に至った−−などと指摘。被告の責任能力については「障害の特性を考慮し、広範な観点から判断されなければならない」として判断を示さなかった。
 12月5日の公判で、被害者の両親は「極刑にしてほしい」と証言した。
 証人尋問で父親は「自分の子は死んで(もう)いないのに、被告人は太って言葉だけの陳謝しかしない。極刑にしてほしい」と絞り出すように訴えた。母親も「友は就職するというのにわが子はいない。全部奪った被告人には最初から死刑を望んでいます」と述べた。
 被告人質問で、検察官から「謝罪の気持ちはあるか」と問われ、原田被告は「ある」と短い言葉で答えていた。
 2008年2月8日の論告求刑で、検察側は「二度と被告の犯罪による被害者を出さないためにも有期懲役は許されない」として無期懲役を求刑した。
 焦点の責任能力について、検察側は「原田被告は、犯行直前に殺人の実行を思いとどまるなど、是非の分別や自己の行動制御が十分にでき、完全な責任能力があった」と改めて主張した。
 検察側は発達障害について原田被告の鑑定医や主治医らの証言を引用。「精神病の発症はなく、アスペルガー障害を有するからと言って、そのこと自体で責任能力に影響を与えるものではない」「発達障害の人がすべて殺人願望を持って実現しようとはしない。(犯行に及んだ経緯は)被告自らが作り出した環境や自由意思による部分が大きいのは明らか」と反論した。検察側は、手加減なく、相次いで包丁で突き刺した犯行状況に触れ、「人間らしい感情はおよそみられず、殺害を淡々と遂行する殺人マシンのよう」と厳しく指弾した。
 2月20日の最終弁論で弁護側は、原田被告には、発達障害に起因する殺人へのこだわりがあったものの、普段は「人を殺したい衝動は抑えられていた」と主張。犯行の1ヶ月前ごろから家庭環境の変化などが重なり、「精神的に不安定になっていた」とあらためて強調した。
 犯行当時の記憶が明確などとして「完全責任能力があった」とする検察側に対しては、屋外から聞こえる笑い声で過去にからかわれた体験をフラッシュバック的に思い出し、「衝動を抑える能力が著しく減退した」と反論。「被告は広汎性発達障害の一種で、医療的ケアがあれば回復できる。量刑に配慮してほしい」と述べ、無期懲役からの減刑を求めた。
 宮武裁判長は「犯行には計画的な面があり、冷酷かつ無慈悲。被害者や遺族は厳しい処罰感情を有しており、社会に与えた衝撃や不安も大きい」「直前に(被害者らの)笑い声を聞いて自分がばかにされているように感じて犯行に及んでおり、動機に酌むべきところはない」とした。
 最大の争点となった犯行当時の原田被告の責任能力について、「犯行前後の行動は合理的で善悪を弁別する能力や行動制御能力が著しく減退した状態ではなかった」とし、犯行時に心神耗弱状態であったとする弁護側の主張を退けた。
 一方、原田被告の発達障害を考慮。「障害による固執や強迫観念により殺人への衝動を持ち続け過去の不快な体験の記憶想起が契機となって犯行に及んでいる」として、検察側が求めた無期懲役は回避した。
備 考
 控訴せず確定。

氏 名
岡久伸(38)
逮 捕
 2006年9月26日(摂津市内の強盗致傷容疑。11月1日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、銃刀法違反
事件概要
 指定暴力団九州誠道会(同・福岡県大牟田市)系組幹部岡久伸被告は、九州誠道会系組幹部M被告らと共謀し、2007年8月18日午後6時25分ごろ、福岡市中央区黒門の路上で、指定暴力団道仁会(本部・福岡県久留米市)の松尾義久会長が知人女性の運転する車から降りたところに拳銃を数発射し、頭や腰などに命中させて殺害した。
 岡被告はその後逃走。10月3日午後、大牟田署に出頭し、逮捕された。

 九州最大規模の指定暴力団である道仁会(福岡県久留米市 構成員・準構成員約950人)は、2006年5月に松尾義久会長が新たな会長に就任。これに反発した傘下の村上一家などが離脱し、九州誠道会(同県大牟田市、構成員・準構成員約440人)を結成した。
 松尾会長は九州誠道会の結成に激怒、関係者を絶縁処分にしたとされる。その直後から2006年7月にかけ、道仁会を狙った発砲事件が福岡、佐賀、長崎各県で続発した。
 その後、抗争はいったん沈静化したかに見えたが、2007年6月に佐賀県で九州誠道会系組長が刺殺された。8月には松尾会長が福岡市の路上で射殺され、その翌日には熊本市で報復とみられる九州誠道会系組会長を狙った銃撃事件が発生。11月8日には、道仁会系組員今田文雄被告(殺人他で起訴済)が病院に侵入し、対立する暴力団関係者と誤認した一般男性に向けて拳銃4発を発射し、殺害した事件が起きている。さらに11月24日には福岡県大牟田市で、九州誠道会系組幹部が病院前で射殺された。
裁判所
 福岡地裁 林秀文裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年3月27日 懲役30年
裁判焦点
 2008年1月25日の初公判で、岡被告は殺人の事実を認めたが、「共謀はなかった」と単独犯を主張した。
 検察側は冒頭陳述で、犯行前、九州誠道会の最高幹部らが、道仁会の前会長と松尾会長の行動調査を探偵業者に依頼したことを明らかにした。検察側は、業者の「調査前、最高幹部から2回にわたり、計100万円を手渡された」などとする供述調書を提出。「佐賀市で昨年6月13日、九州誠道会系組長が刺殺された後、抗争を終わらせるには、松尾会長を殺すしかないと考えた」とする岡被告の供述調書も提出し、いずれも証拠として採用された。
 弁護側は冒頭陳述で「犯行の背景に暴力団の抗争はあるが、暴力団が抗争行為として犯行を実行したのではない」と訴えた。共謀については「役割の特定も証拠もない」と否定。誠道会幹部による素行調査についても「被告への情報提供はなかった」と関連を否定した。
 2月27日の第2回公判で、岡被告は動機について「将棋の王を取れば、勝負はつくと思った」「1人で考えてやった」などと述べた。九州誠道会の最高幹部らが事件前、松尾会長らの身辺調査を探偵業者に依頼したことについて、「初公判で(検察側が冒頭陳述で明らかにし)初めて知った」と説明した。
 3月13日の論告で検察側は、探偵業者が事件前、九州誠道会最高幹部らから依頼を受け、松尾会長との交際歴がある女性2人の写真を撮影し、そのカラーコピーが犯行で使われた車内に残っていたことなどを指摘。「犯行準備や逃走などで、九州誠道会の末端から上層部まで多数の構成員が関与していることは明らか」と組織的犯行を強調した。また事件が引き金となり、抗争が激化したと指摘。「一般市民までが誤認されて射殺され、いまだ抗争終結のめどが全く立っていないという、過去例を見ないほどの社会治安の悪化が生じた」とした。そして「九州誠道会と道仁会の抗争を原因とし、九州誠道会によって組織的に敢行されたのは明白。事件後に抗争は激化しており、末端構成員が自身の判断だけで相手組織の頂点を殺害するはずがない。通行人もいる住宅街で発砲し、一般市民にも想像を絶する恐怖と不安感を与えた凶悪極まりない犯行。暴力団特有の粗暴な犯行で、再犯の恐れは極めて高い」として、無期懲役を求刑した。
 一方、弁護側は最終弁論で「組織の関与は証拠に基づかず、検察が推測の上に推測を重ねたもの」と岡被告の単独犯を主張した。
 林裁判長は、誠道会最高幹部の依頼で撮影された、松尾会長の元交際相手の写真コピーなどが犯行時の車内にあったと指摘。運転手役の同会系組幹部についても「岡被告の手足として行動しており事前共謀が成立している」とし、「誠道会関係者との共謀は優に認められる」と組織的な犯行を認定した。その上で「組織のためには人命を奪うことも辞さないという特有の論理に基づく犯行」「市民に多大な不安を感じさせ、刑事責任は重大」「反社会性が強く、組織性、計画性の点で強く非難される」と述べた。一方、警察に出頭したことなどを情状面で考慮した。
備 考
 事件時岡被告を乗せた車を運転し、犯行後に一緒に逃走したとして1月12日に逮捕されたM被告は、殺人、銃刀法違反容疑で起訴され、2009年2月5日、福岡地裁で懲役17年(求刑懲役20年)が言い渡されている。
 同じく共謀したとして1月15日に逮捕された組幹部について、福岡地検は2月6日、殺人容疑などについて処分保留とした。しかし同日、銃刀法違反(実弾所持)容疑などで再逮捕された。
 検察・被告側は控訴した。2009年3月4日、福岡高裁で一審破棄、無期懲役判決。2009年10月20日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
浅山勇介(29)
逮 捕
 2006年4月6日
殺害人数
 2名
罪 状
 殺人、死体遺棄
事件概要
 熊本県氷川町の無職浅山勇介被告は数年前に大学を卒業後、帰郷。その後は仕事をせずに家に引きこもっていた。浅山被告は家族を疎ましく感じて、2005年秋ごろから「自分1人で生活したい」と思うようになり、包丁を買うなどして同居の母や祖父母の殺害を計画。
 2006年4月6日午後4時半ごろ、浅山被告は自宅で同居していた祖父(当時90)と祖母(当時86)を牛刀で刺して失血死させ、遺体を一輪車で近くのミカン畑に運び遺棄した。同居していた母は外出していて無事だった。
裁判所
 福岡高裁 松尾昭一裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年4月4日 懲役28年(一審破棄)
裁判焦点
 弁護側は「心神耗弱状態だった」として減刑を求め、無期懲役を求刑した検察側は「一審判決は軽すぎる」として、双方が控訴していた。
 判決理由で松尾裁判長は一審同様「人格障害のため判断能力が低下していたが、心神耗弱とまではいえない」と完全責任能力を認定。「一人で暮らしたいとの動機に酌むべき事情はなく、手口も残忍。凶器を事前に準備するなど計画的で、刑事責任は極めて重大だ」と述べた。そして一審熊本地裁判決を「軽きに失した」と破棄した。
備 考
 2007年9月10日、熊本地裁で懲役23年判決。上告せず、確定。

氏 名
少年(20)
逮 捕
 2007年4月27日(別の強盗未遂事件で4月6日に逮捕、起訴済)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗致死、強盗未遂他
事件概要
 山口県下関市の鉄筋工の少年(当時19)は別の元鉄筋工(当時19)、無職男性(当時19)、当時中学3年だった少女と共謀。
 2007年1月28日午前1時40分頃、金品を奪うため北九州市門司区の門司港レトロ地区の岸壁に少女がツーショットダイヤルで誘い出した福岡県飯塚市に住む建設作業員の男性(当時30)を、特殊警棒や金属バットで殴るなどして追いかけた末、海に転落、水死させるなどした。
 男性は2月16日、小野田港の南西約6.5kmの周防灘で漂流遺体となって見つかった。遺体は一部が白骨化していたが、ズボンの中にあった運転免許証などから身元が判明した。
 少年らは他に、1月21日未明、北九州市小倉南区の男性会社員(当時28)を門司港レトロ地区におびき出し、男性の乗用車を車で追走した後に少年1人が金属製の棒で男性の車の窓ガラスをたたき割った。男性がさらに逃走したため金は奪えなかった。
裁判所
 福岡高裁 松尾昭一裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年4月16日 懲役20年(一審破棄)
裁判焦点
 刑法で強盗致死罪は「死刑または無期懲役」と定めているが、松尾裁判長は一審判決の事実認定を踏襲した上で「結果は極めて重大だが暴行自体は激しいものではなく、当初から死亡を想定していたわけではなかった」とし、犯行時に少年だったことも考慮し「無期懲役は重すぎる」として裁判官の裁量で刑を軽くする「酌量減軽」とした。
備 考
 当時19歳の少年2人は逆送され、強盗致死で起訴。
 男性を誘いだした少女は中等少年院に送致された。
 「援助交際狩り」のために4人に携帯電話を貸した少年(当時16)と、車を貸した少女(当時16)は、強盗致死ほう助で山口家裁下関支部に送致された。
 2008年1月10日、福岡地裁小倉支部で無期懲役判決。被告側は上告した。2008年8月?、被告側上告棄却、確定。

氏 名
関根裕一(30)
逮 捕
 2007年7月1日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人他
事件概要
 埼玉県久喜市の露天商関根裕一被告は2007年7月1日午前0時10分頃、同市に住む山口組系暴力団の男性組員(当時43)方2階で、友人3人とマージャンをしていた男性の背中や頭などを拳銃で5発撃ち、殺害した。
 関根被告はそのまま逃走し、現場から約500メートル離れた同市の河川敷から携帯電話で「人を撃った」と埼玉県警久喜署に通報。署員らが駆けつけ、緊急逮捕した。河川敷から、犯行に使ったとみられる回転式拳銃を押収した。
裁判所
 さいたま地裁 伝田喜久裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年4月22日 懲役25年
裁判焦点
 2008年2月5日の初公判の罪状認否で、関根被告は「(間違いは)ない」と起訴事実を認めた。
 検察側は、関根被告が土屋組員に恨みを抱き、犯行に及んだと指摘。弁護側は「(男性組員から)暴力を振るわれるなど異常ないじめが背景にあり、被害者側には大きな誘因がある」と情状酌量を求めた。
 3月27日の論告求刑で検察側は「確定的殺意があり、冷酷非道で悪質」と述べた。犯行動機について、検察側は「(関根被告が供述する)男性組員の暴力や、賭けマージャンに負けて背負わされた借金は存在せず、暴力団特有の事情で殺害した」と指摘した。
 同日の最終弁論で弁護側は、「男性組員のいじめ、暴力が事件を誘発する最大の原因」として情状酌量を求めた。
 伝田裁判長は「至近距離から射殺し残忍で悪質、動機も短絡的だ」と指摘した。
備 考
 控訴中。2008年10月?日、東京高裁で判決。控訴棄却と思われる。

氏 名
五反田秀太(26)
逮 捕
 2007年12月2日(死体遺棄容疑。12月9日、殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 2名
罪 状
 殺人、死体遺棄
事件概要
 鹿児島市犬迫町のアルバイト五反田秀太被告は2007年11月19日午前1時頃、寝室で寝ていた母(当時54)と父(当時55)の頭を木刀(長さ1.15メートル)で複数回殴り殺害した。さらに母のバッグなどから現金数万円を奪い、遊興費などに使った。秀太被告は遺体を3日間放置していたが「においがするようになり、自宅の庭なら発見されないだろう」と、軽トラックで遺体を運び、裏庭に埋めた。
 秀太被告は持病で就職することができなかった。そしてパチンコなどの遊行費で消費者金融や知人から約300万円の借金があった。事件当日は手持ちの金が無くなり、以前から母に借金や生活態度を注意されるなどしていたことから殺害を決意したものだった。また父親もパチンコなどで数百万円の借金を抱えており、トラブルになっていた。
 11月30日の親類の葬儀に夫婦が姿を見せなかったのを不審に思った父親の姐が鹿児島西署に届け出て行方不明が発覚した。
裁判所
 鹿児島地裁 平島正道裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年6月6日 懲役30年
裁判焦点
 2008年5月27日の求刑論告で検察側は「彼女と一緒にパチンコなどにふけっていたので、被告に対する母の干渉は親として当然で、父にも落ち度がない。遺体を裏庭に埋め、母が所持していた現金でパチンコに行くなど犯行後の行動が良くない」と指摘。「人命軽視の態度は顕著で、社会的な影響も大きい」と述べた。
 同日の最終弁論で弁護側は、「事件当時は両親のマイナス面のみが頭を支配し、今では心から悔い、自責の念に毎日苦悩している」「犯行は衝動的。罪悪感に苦悶し、反省や後悔の日々を送っている」と述べた。母が五反田被告に対し、交際女性との別れを一方的に迫った点なども指摘した。家族や被告の親せきが寛大な判決を求め、嘆願書を提出したことなどを明らかにし情状酌量を求めた。
 判決で平島裁判長は「大ぶりの木刀で殴るなどしており、強固な殺意に基づく、非常に残酷で悪質な態様」「犯情は非常に悪く、刑事責任は誠に重大」「犯行は両親との感情面でのすれ違いや経済的に追い詰められた状況など同情できる面もあるが、殺害を短絡的に決意した点は身勝手というほかない」としながらも、犯行は一時の感情に基づくもので計画性がなく、親族から寛大な判決を求める嘆願書が出され、兄が社会復帰後の更生への協力を約束していることから、「結果の重大性などに照らし、有期刑の上限とするのが相当」と述べた。
 言い渡し後、同裁判長は五反田被告に「亡くなった両親の気持ちを考えれば、更生の道を残すのが相当と考えた。改めて自分を見詰め直してください」と諭した。五反田被告は「はい」と答えた。
備 考
 検察、被告側は控訴した。2008年11月20日、福岡高裁宮崎支部で一審破棄、無期懲役判決。上告せず確定。

氏 名
今田文雄(61)
逮 捕
 2007年11月25日(銃刀法違反の現行犯逮捕。12月16日、殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、銃刀法違反他
事件概要
 福岡市の指定暴力団道仁会系組員今田文雄被告は、2007年11月8日午前7時40分ごろ、佐賀県武雄市の整形外科医院に侵入。2階個室に入院していた同市に住む板金業の男性(当時34)を対立抗争中の暴力団関係者と間違え、拳銃を4発発射、うち2発を命中させて失血死させた。
 九州最大規模の指定暴力団である道仁会(福岡県久留米市 構成員・準構成員約950人)は、2006年5月に松尾義久会長が新たな会長に就任。これに反発した傘下の村上一家などが離脱し、九州誠道会(同県大牟田市、構成員・準構成員約440人)を結成した。
 松尾会長は九州誠道会の結成に激怒、関係者を絶縁処分にしたとされる。その直後から2006年7月にかけ、道仁会を狙った発砲事件が福岡、佐賀、長崎各県で続発した。
 その後、抗争はいったん沈静化したかに見えたが、2007年6月に佐賀県で九州誠道会系組長が刺殺された。8月には松尾会長が福岡市の路上で射殺され、その翌日には熊本市で報復とみられる九州誠道会系組会長を狙った銃撃事件が発生した。11月24日には福岡県大牟田市で、九州誠道会系組幹部が病院前で射殺された。
 今田被告は、世話になった松尾会長が九州誠道会の組員らに射殺され、報復のため同会幹部を殺害しようとしたが所在をつかめなかった。関係者がこの医院に入院しているとの情報を入手し、部屋番号だけを頼りに、関係者と男性が部屋を入れ替わったことも知らずに犯行に及んだ。
 今田被告は事件後逃走。防犯カメラに写っていた映像から、捜査本部は22日に殺人容疑で逮捕状を取った。25日午前0時50分頃、福岡県大野城市内で、福岡県警の自動車警ら隊の捜査員がパトカーを見てUターンするなど不審な白いクラウンに乗った男女を見つけ職務質問をしたところ、今田被告が拳銃1発を空に向けて発砲。捜査員がその場で今田被告を取り押さえた。また一緒にいた福岡市の無職女性(当時44)も覚せい剤取締法違反(所持)容疑で逮捕した。今田被告は上着の内ポケットに別の回転式拳銃1丁を隠し持ち、実弾も20数発所持していた。
 同乗していた女性は後に殺人容疑で再逮捕されたが、処分保留となっている。
裁判所
 佐賀地裁 若宮利信裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年6月10日 懲役24年
裁判焦点
 2008年3月17日の初公判で、今田被告は、対立抗争中の暴力団関係者と間違えて男性を撃ったとする起訴事実を全面的に認め、遺族に謝罪した。
 しかし、5月1日の第2回公判で今田被告は、男性についての情報を犯行前に入手していたと主張。今でも「企業舎弟だと思っている」といい、「相手の顔は知らなかったが、病室のドアを開けたら怒鳴られたので企業舎弟に間違いないと思った」などと述べた。
 同日は男性の妻が意見陳述に立ち、「(男性の)代わりにここで訴える事しかしてあげられない」と述べた上で、無期懲役には仮釈放があることから、「暴力団による同様の事件が繰り返されないためには、選択肢は死刑しかありません」「たとえ死刑執行が最終的にされなくてもよいので、この先、安心して暮らすために犯人が永久に世間に出られない判決をお願いします」と声を震わせた。最後に「『あの判決があったから同様の事件がなくなった』と後世に伝えられる判決だけが、夫も喜ぶもの」と涙ながらに語った。
 5月21日の求刑論告で検察側は、「被告はあらかじめ拳銃を用意し、下見もするなど計画的犯行だった」「根拠のない情報で動き、顔写真なども入手していなかった」と指摘、「善良な市民が人違いで殺害された」「公共の場所で犯行に及び、患者や職員、地域住民を不安に陥れた」「銃弾は、他の一般市民も巻き添えにする可能性があり、犯行は、地域社会に多大な脅威と不安を与える極めて悪質な事案だった」と厳しく非難した。間違えたことについても「短絡的で一方的な思い込み」と指摘した。
 同日の最終弁論で弁護側は、「組織からの命令や指図はなかった。被告は起訴事実をすべて認め、遺族に償いたいと話している」と被告が反省していることなどを挙げ、情状酌量を求めた。
 最後に今田被告は、「罪を軽くしてもらおうとは思わない。自分は刑務所の中で目を閉じる」「自分がやった行為は万死に値する」などと述べた。しかしその直後、検察官に「供述調書に間違いがある」「(犯行に使われたとされる)銃弾が証拠として上がっていない」などと大声で詰め寄る場面も見られ、若宮利信裁判長から何度も注意を受けた。閉廷後には、傍聴席を振り返り、遺族を凝視するそぶりも見せた。
 判決に先立ち、弁護側の求めで弁論を再開。弁護側は「求刑後に遺族と示談が成立した」と情状への反映を訴えた。  判決理由で若宮裁判長は、今田被告を組幹部と認定した上で、昨年8月に九州誠道会の組員らに道仁会会長が射殺されたことへの報復だったと動機を指摘。銃撃の動機となった道仁会と指定暴力団九州誠道会との対立抗争について、「市民社会とは相いれない暴力団特有の論理に基づく極めて危険なもの」とした。その上で「犯行は本来安全であるべき病院で行われた。襲撃対象を完全に誤認して、問答無用に発砲しており、残忍で非人道的だ」「善良な市民が理不尽にも犠牲になった」と述べ「刑事責任は極めて重大だ」と指弾した。
 一方で(1)道仁会関係者が遺族宅を訪れ謝罪した(2)道仁会の援助で遺族との間で示談が成立している(3)今田被告がC型肝硬変などの病気を抱えている―などの点を考慮、懲役24年の有期刑が相当と判断した。
 また、拳銃2丁と実弾23発を今田被告の所有と認めなかった。
備 考
 今田被告の所属する組と対立する指定暴力団九州誠道会系の幹部らは2008年3月20日、花を持参し男性宅を訪問。焼香し、男性を対立抗争に巻き込んだことについて、「申し訳なかった」と謝罪した。遺族は、訪れた幹部から、同会会長名の書面を渡された。書面には「一市民が非業の死を遂げられたことは誠に申し訳なくざんきに堪えません」とあったほか、「会長職引退をもって、抗争終結宣言を致します」とつづられていた。
 地検の渡口鶇次席検事は求刑論告の閉廷後、報道陣に対し、「死刑の検討はあったが、(殺された)被害者の数、犯罪の態様など、あらゆる観点から判断し、最終的に無期懲役になった」と語った。
 弁護人は控訴した。弁護人は「判決に取り立てて不満はないが、重大事件なので高裁の判断を仰ぎたい」とコメントした。検察側も控訴した。2009年2月3日、福岡高裁で一審破棄、無期懲役判決。2010年3月8日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
苅部操一(30)
逮 捕
 2007年9月4日(現行犯逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、銃刀法違反
事件概要
 埼玉県草加市の無職苅部操一被告は2007年9月4日夜、草加市の路上を歩いていた近くの無職男性(当時78)の胸や背中を小型ナイフ(刃渡り約12センチ)で刺し、殺害した。
 苅部被告は近くの公衆電話から「人を刺した」と110番通報、逮捕された。
裁判所
 さいたま地裁 中谷雄二郎裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年6月20日 懲役27年
裁判焦点
 逮捕当時、苅部被告が「殺人願望があり、相手は誰でもよかった」などと供述したことから鑑定留置されていたが、同地検は責任能力を問えると判断した。
 2008年4月25日の初公判で、苅部操一被告は「間違いありません」と起訴事実を認めた。
 苅部被告の責任能力について、検察側は「人格障害により責任能力は著しく減弱していたが、完全には失われていなかった」と主張し、弁護側は「統合失調症で責任能力がなかった」と無罪を求めた。
 6月12日の求刑論告で、検察側は「極めて凶悪な通り魔事件。命を一顧だにせず、残忍きわまりない」とした。検察側は「事件当時、「被告はうつ状態だったが、善悪を判断する能力が著しく減退していたとは言えない。被告は統合失調症ではなく、人格障害の状態にあったに過ぎず、完全責任能力があったのは明らか」と指摘し、「八つ当たり的に『誰でもいいから殺そう』と殺人を決意した」と述べた。
 同日の最終弁論で、弁護側は「殺人を命令する幻聴を聞いたり、犯行前後の記憶が欠落するなど、責任能力は完全に失われていた」「被告は統合失調症で責任能力が完全に失われていた。生来的に殺人願望を抱いていたという検察側の立証も不十分」と有期刑を求めた。
 中谷裁判長は「身勝手で他人の生命や心情を一顧だにしない反社会的な動機に酌量の余地はない」と断じたが、「被告は犯行当時、人格障害、適応障害で、自首するなどしており、無期懲役に処するのは相当ではない」とした。
備 考
 苅部被告の母親は、結婚後に夫が暴力団員と分かり離婚。その後再婚して苅部被告を出産した。しかし離婚後300日が経過していなかった。「離婚後300日以内に誕生した子は前夫の子」と推定する民法772条(離婚後300日規定)のために子供が暴力団員だった前夫の戸籍に入ることを避けるため、病院で自分の妹を名乗って出産した。このため、苅部被告は戸籍上は妹の子となったが、数ヶ月後に母親夫婦の養子として迎えられ、名前は母親が再婚した夫の名から1字がとられたという。父親はその後失踪し現在も行方は分からない。母親は苅部被告が11歳の時に病死した。事件後、被告の弁護人が母親の妹に確認すると「確かにそうです」と事実関係を認めたという。
 被告側は控訴した。2008年10月9日、東京高裁で被告側控訴棄却。2009年2月3日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
Y・M(27)
逮 捕
 2004年11月18日(逮捕時の容疑は業務上過失致死と道交法違反(ひき逃げ))
殺害人数
 2名
罪 状
 殺人、殺人未遂
事件概要
 大阪府茨木市の新聞販売所従業員Y被告は、2004年11月18日午前6時20分頃、全裸で乗用車に乗って茨木市中穂積3丁目から下穂積2丁目にかけて約500mにわたり自転車の男女5人を次々にはねた。このうち、会社員の男性(当時61)を車で約300mひきずって殺害。また後方からはねられ頭を強く打ち入院していた会社員の男性(当時56)は20日夜に亡くなった。車は近くの民家に突っ込んで止まった。残る3人は重軽傷を負った。
 逮捕時の容疑は業務上過失致死と道交法違反(ひき逃げ)だったが、Y被告は調べに対し「人を殺そうと思った」と供述しており、殺意があったとみて容疑を切り替えた。
裁判所
 大阪高裁 古川博裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年6月24日 無罪(検察側控訴棄却)
裁判焦点
 Y被告は捜査段階と一審公判段階にそれぞれ精神鑑定を受け、両鑑定とも統合失調症に罹患し、幻聴による「悪魔の声」に命令された犯行とした。
 しかし、幻聴が犯行に及ぼした影響の程度をめぐる認定に違いがあり、捜査段階の鑑定は限定的な責任能力を認める心神耗弱、公判段階の鑑定は責任能力がない心神喪失とし、一審判決は公判段階の鑑定を採用して無罪を言い渡していた。
 控訴審で検察側は、男が「お母さんと妹を殺す」という幻聴の命令を拒否しており、幻聴に完全に支配された状態ではなかったと主張した。しかし古川裁判長は、家族への殺害命令について「1回だけなされたもので、拒絶しようと耐えている間に『5人殺せ』という次の命令に変わった。決して執拗なものではなかった」と指摘。男が犯行後、幻聴に従って車内で全裸になり、自殺を試みたことなどから「幻聴の圧倒的な影響下にあった」と認定、検察側の主張を退けた。
備 考
 殺人などの重大犯罪に関与しながら、犯行時の心神喪失状態を理由に無罪判決が確定した被告については、検察官が心神喪失者医療観察法に基づき、治療の必要性を判断するよう裁判所に申し立てる。裁判所は裁判官と精神科医の合議で審判を開き、必要なら強制的に入院させる。
 Y被告は一審判決後から措置入院中といい、この日は黒色のジャージー姿で入廷。証言台のいすに座り、判決が読み上げられる間、時折首をゆっくり上下に揺らすなど落ち着きのない様子で聞き入った。閉廷後に突然、古川裁判長に「一言、言わせてもらいたい」と意見陳述を求め、弁護人から静止される一幕もあった。
 2007年2月28日、大阪地裁で無罪判決(心神喪失状態により責任能力なし)。上告せず、確定。

氏 名
国分徹(48)
逮 捕
 2007年7月5日(現住建造物等放火未遂容疑)
殺害人数
 0名(死者2名)
罪 状
 現住建造物等放火、建造物等以外放火、現住建造物等放火未遂
事件概要
 田園調布消防団員で会社役員の国分徹被告は、1995〜2007年の間に9件の放火をした。
 1995年12月のアパート放火では、親子2人が焼死している。
 1995年12月19日午後11時半ごろ、大田区の木造モルタル2階建てアパート敷地内の物置付近で、ライターで火を付け、延べ193平方メートルを全焼させた。2階に住む男性(当時69)と二男(当時34)が焼死体で見つかった。男性は一旦外へ逃げたが、体が不自由だった二男を助けるため、2階に戻った。
 国分被告は2007年6月17日午前2時45分ごろ、高齢の男性が一人暮らしをしている大田区の木造2階建て住宅の敷地に入り込み、住宅そばの枯れ草にライターで火をつけた。付近で警戒していた警視庁池上署員が火を消し止めた。当時、別の捜査員が、現場近くから立ち去った不審な男が国分被告の自宅に入るのを目撃しており、警視庁捜査1課が7月5日になって事情を聞いたところ容疑を認めた。
 国分被告は1991年に消防団に入団。2000年からは田園調布消防団第3分団部長を務めていた。
裁判所
 東京地裁 戸倉三郎裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年6月25日 懲役30年
裁判焦点
 6月12日の論告求刑で検察側は、「(親子焼死の)その後も深夜に燃えやすい木造民家ばかりを狙っており、悪質極まりない」と非難。「現場は住宅地で、連続殺人の実行行為に匹敵する」と述べ、無期懲役を求刑した。
 同日の最終弁論で弁護側は、 「酒に酔って突発的に火をつけた。計画性はない」「(1995年の放火など3件について)自ら告白しており、自首が成立する」と訴え、寛大な判決を求めた。国分被告は最終意見陳述で「申し訳ありませんでした」と傍聴席の遺族らに頭を下げた。
戸倉裁判長は「深夜の住宅密集地で老朽化した木造家屋を選んで放火。動機はストレス解消のためで身勝手極まりなく、再犯の恐れも大きい。消防団員だったことを考慮すれば刑事責任は極めて重大」と指摘。死亡した父子に対し「苦悶と絶望感がいかばかりだったか、語るべき言葉もない」と述べた。
 量刑判断では「無期懲役も十分考えられる」とした上で、父子死亡の火災について、別の放火未遂事件で逮捕された後、進んで自供した点を自首と認め有期刑とした。
備 考
 国分被告は逮捕時、20数件の放火について認めている。

氏 名
中根一明(64)
逮 捕
 2007年11月4日(強盗殺人容疑)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗致死、住居侵入
事件概要
 栃木市の廃品回収業高木節男被告は、近くに住んでいた無職男性(当時88)が資産家であると知り、約20年前に千葉刑務所で知り合った愛知県瀬戸市の会社役員中根一明被告に犯行計画を持ちかけた。事業に行き詰まっていた中根被告は応じ、姉と交際していた名古屋市中川区の土木作業員坂野茂夫被告を誘った。
 2007年9月17日午前11時過ぎ、中根、坂野両被告は栃木市の無職男性(当時88)方に侵入。居間で、男性の頭に自転車のかごカバーと土嚢袋をかぶせ、粘着テープを巻き付け、体をいすにビニールひもでくくりつけ、窒息死させた。金品は発見できなかった。高木被告は実行役には加わらず、近くで待機していた。
裁判所
 宇都宮地裁栃木支部 林正宏裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年6月26日 懲役30年
裁判焦点
 3人は強盗殺人容疑で逮捕されたが、「殺すつもりはなかった」と殺意を否認。宇都宮地検栃木支部は強盗致死と住居侵入罪で、宇都宮地裁栃木支部に起訴した。
 2008年2月21日の初公判で、3被告は「間違いありません」などと起訴事実を認めた。
 5月1日の論告で検察側は、周到な準備を経て計画的に犯行を遂行したとする一方、「被害者宅に1億〜1億5000万円はあるという無責任な会話から、家に何人いるか不明なまま『いたら縛るまでだ』と犯行に至った」とずさんさも指摘。「執拗かつ残虐で極めて悪質な犯行」「人命を犠牲にしてでも金を得たいという身勝手極まりない動機に酌量の余地はない」と断じた。高木被告について「どん欲とも言うべき金銭欲は染みついた体質と言え、犯罪性向は矯正不能なほどに根深い」と指弾。また中根被告に対しても「人命を奪うことに対する規範意識は著しく低い」と指摘した。坂野被告については、「果たした役割は軽くない」としたが「従属的な立場にあった」と述べた。高木被告が直接犯行に加わっていない点について「再三、中根被告に犯行を持ち掛けており、刑事責任は中根被告と変わらない」とした。
 弁護側は最終弁論で、男性が入れ歯をのどに詰まらせて窒息死したことを「(三被告にとって)予想外の事態だった」と強調し「殺すつもりはなかった」と主張し、情状酌量による寛大な判決を求めた。
 判決理由で林裁判長は「犯行態様は被害者を非人間的に扱う、極めて粗暴で非人道的なもの。酌量の余地は全くない」と指摘した。林裁判長は高木被告を「共犯者間の中核となる首謀者」と認定した上、同被告が拳銃の密輸で服役歴があることを挙げ「犯罪性向は矯正が困難であるとも推測し得るほど根深い」と指摘した。中根被告については、実行役として行った罪は重いとしながらも、篠崎さんにかぶせた袋に切り込みを入れ呼吸できるようにしたことなどを挙げ「被害者の生命や身体の安全に配慮する態度を示していた」と述べ、坂野被告は「終始、従属的な立場」だったとした。
備 考
 約20年前、高木被告は大麻密輸などの罪で、中根被告は殺人罪で服役中だった。
 同日、高木節男被告は無期懲役(求刑同)判決。坂野茂夫被告は懲役24年(求刑懲役30年)判決。
 3被告とも控訴した。2008年11月25日、東京高裁で3被告の控訴棄却。坂野被告は上告せず確定。2009年11月11日、高木被告、中根被告の上告棄却、確定。

氏 名
少年(19)
逮 捕
 2006年12月21日(詐欺、有印私文書偽造容疑。2007年2月20日、死体損壊・遺棄容疑で再逮捕。3月13日、殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、住居侵入
事件概要
 埼玉県さいたま市の無職少年(当時18)は、マレーシア国籍の住居不定無職、ウン・ハイ・ホワット被告らと共謀。2007年10月14日夕方、千葉県柏市に住む住吉会系暴力団組長の男性(当時57)の自宅マンションに侵入し、内縁の妻や息子を監禁。午後5時頃、帰ってきた男性の腹などをナイフで刺して殺害し、現金100万円や貴金属などを奪った。
 遺体は他の被告達が、富里市根木名の空き地に埋めた。さらに他の被告達は妻や息子を富里市内のトレーラーハウスに監禁し、翌日夜に解放した。
裁判所
 千葉地裁 根本渉裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年6月26日 懲役5年以上10年以下
裁判焦点
 2008年6月24日の初公判で、少年は起訴事実を認めた。裁判は即日結審した。
 根本裁判長は「事前にマンションを下見するなど計画性もあり、犯行も20回以上刃物で刺すなど、被害者の痛みと恐怖は想像を絶する」としながらも、「被告人は犯行の立案に関与しておらず、リーダー格の男に脅迫された事情がある」「被告は当時18歳で、共犯者に犯行に巻き込まれた面も否定できない」とした。
備 考
 マレーシア国籍のウン・ハイ・ホワット被告は強盗殺人、死体遺棄、住所侵入容疑の他に、別の強盗事件で起訴。
 岩井篤三被告は強盗殺人、死体遺棄、住所侵入容疑の他に、別の強盗事件で起訴。
 タイ国籍のピチットマスター・ジラポン被告、タカブット・サンルタイ被告、高野サランヤー被告は強盗殺人容疑で起訴。
 他に2名が死体遺棄容疑で起訴されている。
 検察側は控訴した。2009年1月29日、東京高裁で検察側控訴棄却。

氏 名
緒方秀彦(49)
逮 捕
 2007年9月6日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人
事件概要
 神戸市の電気工緒方秀彦被告は2005年10月18日午後6時から同8時半ごろ、同市で質店を経営している男性(当時66)の自宅兼店舗内で、金づちのような鈍器で男性の頭部を複数回殴って殺害し、現金約10000円を奪ったとされた。
 2007年8月中旬、緒方被告は道交法違反(速度超過)容疑で逮捕され、その際に採取された指紋が、男性宅に複数残っていた指紋と一致。また、質店から立ち去る不審な男と容疑者が酷似していたことも判明し、捜査本部は9月6日朝から任意同行を求め、追及していた。
 緒方被告と男性は付き合いはなく、2005年10月に緒方被告が質店を訪れたのが初めてだった。
裁判所
 神戸地裁 岡田信裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年6月30日 無罪
裁判焦点
 逮捕当初から緒方被告は、2年ほど前に現場に行って酒を飲んで話をしたことは認めているが、殺害については「やってません」と否認している。
 公判前整理手続きを適用。4回の審理で結審した。
 2008年4月21日の初公判で、緒方被告は「犯人ではない」と無罪を主張した。
 検察側は冒頭陳述で、被害者の遺体が見つかった居室などから、緒方被告の指紋や足跡、唾液のDNA型や指紋が残った吸い殻が見つかったうえ、犯行直後とみられる時間帯に、布でくるまれた棒状のものを持った緒方被告が質店前の路上で目撃されていたと主張した。
 一方、弁護側は冒頭陳述で、「血がついた指紋や足跡はなく、物色した引き出しなどからも指紋は検出されておらず、被告の犯行と立証する証拠にはならない」「緒方被告は事件当日、男性から防犯カメラの設置の相談を受けるため、店舗や住宅に招き入れられており、指紋や吸い殻はそのときに残ったもの」などと反論した。
 2008年5月13日の論告求刑で、検察側は「体の不自由な被害者を何度も殴打するなど、犯行は冷酷だ」として無期懲役を求刑した。これに対し、緒方被告は「殺していない」と主張、弁護側も最終弁論で「犯行時刻の数時間前に店を出ており、犯人ではない」「合理的な疑いが残る」として無罪を求めた。
 判決で岡田裁判長は、緒方被告が「(事件前に)近くで被害者に声を掛けられ、防犯カメラが設置できるか聞かれて招き入れられた。室内を点検し、ビールを飲みながら話をしていた」と主張。指紋などはこの際のものとする説明について、裁判長は「中核部分で一貫し、これに沿う客観的事実もあり、一概に排斥できない」とした。
 また、室内の灰皿に被告とDNA型や血液型が一致するたばこ12本の吸い殻があった点も「被告が吸った可能性が高いが、犯人とした場合、わざわざ証拠を残す行為で、容易に想定し難い」と述べた。
 目撃証言については、目撃者が多くの写真から被告を選んだのが事件から約1年10カ月後だったことなどを指摘。「印象に基づく感覚的、主観的判断の側面が強く、採用できない」とした。
 そして「被告を犯人とするには合理的な疑いが残る」として、無罪を言い渡した。
備 考
 検察側は控訴した。2009年9月24日、大阪高裁で一審破棄、求刑通り無期懲役判決。

氏 名
金田洋子(41)
逮 捕
 2006年12月21日(詐欺、有印私文書偽造容疑。2007年2月20日、死体損壊・遺棄容疑で再逮捕。3月13日、殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、死体損壊・遺棄、詐欺、有印私文書偽造、同行使他
事件概要
 東京都多摩市の中国出身で自称作家金田洋子(よこ)被告は2006年9月18〜19日頃、交際していた多摩市の元都職員で無職男性(当時66)宅の台所で、男性を殺害。そのご遺体を切断するなどして遺棄した。
 10月13日午後2時40分頃、金田被告に頼まれた内縁の夫は、無職男性の預金通帳と印鑑、印鑑登録証明書などを使い、新宿区内の銀行支店で、無職男性の年金の振込先だった口座から、現金34万円を引き出した。
 12月20日、内縁夫は無職男性が行方不明になっていると多摩中央署に相談。警視庁組織犯罪対策2課は無職男性宅を捜査したところ、台所の床下収納庫の下から長さ1メートルほどのコンクリートの塊が見つかり、足のつま先部分がのぞいていた。
 金田被告は日本人男性と結婚、死別後に帰化した。金田被告は競艇にのめり込んでおり、無職男性とも競艇場で知り合い、2004年頃から交際を始めた。
裁判所
 東京地裁 原田保孝裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年6月30日 懲役25年
裁判焦点
 金田被告は逮捕当初から一連の犯行を否認。
 内縁夫が遺体発見前、金田被告から「私がやった」と殺害をほのめかされていた。この際、金田被告は「無職男性の家がほしかった」と漏らし、自分の長女(当時11)と近藤被告の3人で「(男性宅で)一緒に住みたい」と話したことを特捜本部は重視。本部は、内縁夫の供述やコンクリートに残された毛髪が金田被告のDNA型と一致したことなどから逮捕に踏み切った。しかし、殺害方法は特定していない。
 公判前整理手続きを採用。
 2008年4月14日の初公判で、金田被告は詐欺についてのみほう助を認め、殺人や死体遺棄・損壊等については否認した。
 冒頭陳述で検察側は「男性を殺害して死体を隠せば、男性の年金や自宅を自由に使える立場にあった」と動機に言及した。だが、殺害方法は不詳とし、死因も明らかにしなかった。また、「被告はロープ、のこぎり刃、手おの、なた、セメントなどを購入した」と述べ、ロープや手おのなどは「近くの用水路、川で発見された」として提出した。
 一方、弁護側は、殺害方法や死因が特定されていないとして公訴棄却を求めた。また、内縁夫の方に男性殺害の動機があるとし、ロープなどの購入は「男の指示」と主張。さらに、持病があった男性が病死した可能性にも言及した。
 6月11日の論告求刑で検察側は、金田被告は経済的に困窮し、男性を殺害して死体を隠すことで「男性宅を我が物にでき、同居男性を男性になりすまさせて年金を手にできると考えた」と指摘。最後に「財産目当ての強盗殺人などと何ら変わらない」と指弾した。また殺害するため、「作業用ロープで首を絞め、顔などを鈍器で殴るなどをした」と述べたが、弁護側や裁判官の質問に「そういう行為があったが直接、死因に結びついていない」と答えた。
 弁護側は殺害方法などが特定されていないとして、殺人罪について公訴棄却を求めた。そして、「殺人が公訴提起されるとしても、殺害方法などを特定せず、有罪立証をしておらず無罪」と述べ、他の起訴事実にも無罪を主張。さらに、同居男性について「男性を殺害する動機があり、対立当事者なので証言は信用できない」などと述べた。また、男性に持病があったとして病死の可能性にも言及した。
 判決で原田裁判長は、金田被告がのこぎり刃、セメントを1人で購入した点などから「死体損壊・遺棄に疑いの余地はない」と認定。その上で「証拠隠滅を図ったのだから殺害犯人は被告以外に考えられない」と述べた。そして遺体ののど部分の軟骨が折れていたことから、死後に強度の外圧が加えられる事態を想定するのは困難として、「頸部を強く圧迫するなどの方法で殺害した」と認定。死因が特定されず、証明不十分とした弁護側の主張を退けた。
 また、同居の男から殺害の告白を聞いたなどとする主張も、「不合理な弁解に終始し、反省の態度が感じられない」と退けた。
 殺害の計画性について「財産を狙った疑いがないとはいえないが、感情のあつれきから口論となり一時の激情に駆られた可能性もある」と指摘する一方、「他人に罪をなすりつけ、反省の態度がみじんも感じられない」と非難した。
備 考
 内縁夫は有印私文書偽造・同行使、詐欺の罪で起訴。2007年7月25日、東京地裁八王子支部(原田保孝裁判長)は懲役1年、執行猶予3年(求刑・懲役1年6月)を言い渡して、そのまま確定した。
 被告側は控訴した。2009年3月23日、東京高裁で判決。被告側控訴棄却と思われる。

氏 名
岩本朋宏(23)
逮 捕
 2008年1月4日(死体遺棄容疑。1月14日に殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、死体遺棄、窃盗、県青少年健全育成条例違反他
事件概要
 佐賀県唐津市の会社員岩本朋宏被告は、2007年12月2日深夜から3日午前2時頃にかけ、31万円の借金返済を免れようと、同市佐志に止めた乗用車内で、交際していた飲食店店員の女性(当時21)の首を絞めて殺害し、遺体を同市の畑に遺棄した。また殺害後、現金3500円を盗んだ。
 岩本被告と女性は2006年12月から2007年夏頃まで交際していた。分かれた後、女性が岩本被告の実家を訪れ、「貸した金を返してほしい」と求めるなどしていた。岩本容疑者は11月に別の女性と結婚したが、他にも複数の女性と交際があった。
 遺体は2008年1月3日昼、散歩していた近所の女性が発見した。
 岩本被告は2007年5月6日、携帯サイトで知り合った唐津市内の少女(16)が18歳未満であることを知りながら、同市内のホテルで性行為をした容疑でも起訴されている。
裁判所
 佐賀地裁 若宮利信裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年7月8日 懲役18年
裁判焦点
 岩本被告は逮捕当初、「女性関係や借金を巡って口論になり、両手で首を絞めた」と容疑を認めていた。
 佐賀地検は殺害で借金の返済を免れたとして、強盗殺人罪を適用し、起訴した。
 公判前整理手続きを採用。
 2008年3月17日の初公判で、佐賀地検は被告の取り調べの様子を収めた録画映像(DVD)を証拠として提出した。脅迫や誘導で自白を得たのではないという「任意性」などを立証するために録画映像を証拠として提出した例はあるが、供述内容の信用性を立証する目的で取り調べ録画が提出されたのは全国初。佐賀地検によると、映像は、作成した供述調書を検察官が読み上げるところから始まり、内容に間違いがないかを途中で複数回、被告に確認しながら被告が署名、押印するまでの約20分。強盗殺人罪を適用する根拠となった「殺害することで借金返済を免れると思った」との供述調書について、公判前整理手続きで弁護側から「捜査機関に従順な態度を取った方が量刑上有利に働くと思っているうちに、調べ官から繰り返し言われた考えに変わってしまった可能性がある」と指摘されたため、提出したという。この日の初公判で、岩本被告は殺害したことは認めたが、「借金返済を免れようとしたからではなかった」と起訴事実の一部を否認した。
 3月25日の第2回公判で、検察側が岩本被告の取り調べの様子を収めた録画映像(DVD)が上映された。
 一方、弁護側は被告の供述に信用性がないことを立証するため、岩本被告が弁護士に出した弁護士の質問書への回答を証拠として提出。岩本被告は▽警察官から検察官の機嫌を損ねないように言われた▽検察官の口調が強く自分の意見が通らなかった▽黙秘すると反省していないとされるので、思い出せないことでも「こうだろう」と思って答えた――など、検察官の調べに迎合したことを示唆する主張をした。
 5月13日の第3回公判で、岩本被告は被告人質問の中で、犯行に至る経緯について、「一括返済を求められたが、できないので月1、2万円にしてもらおうとドライブに誘った」と説明。借金については、借金を結婚祝い金とすることでいったんは返済を免れた、などとしたうえで、岩本被告が妻と女性の2人と交際していた期間が重なっていたことで「慰謝料や利子代200万円を請求され、口論になりかっとなって首を絞めた」などと述べた。岩本被告は、女性を殺害する際、2度にわたって首を絞めていたことについても言及。「生かしていたら殺人未遂として慰謝料を訴えられると思った」と話し、借金を踏み倒すための殺人ではないため、強盗殺人罪にはあたらないと主張した。
 5月15日の第4回公判で、岩本被告が警察官の取り調べに対し、「首を絞め続ければ(女性が)死に、借金の返済を免れると思った」と述べた供述調書などが証拠採用された。同日被告人質問で、事件当時、女性からの借金とは別に消費者金融などに二百数十万円の借金があったことについて弁護人がただした。岩本被告は「遊ぶ金がほしかった」と説明。傍聴席の女性の遺族に向かって土下座し、「身勝手な行動で大切な娘さんの命を奪って申し訳ありません」と泣きながら謝罪した。
 5月21日の論告求刑で検察側は、「被害者を借入先としてのみ利用するなど自己中心的。強固な殺意を持った冷酷残忍な犯行だ」「借金の一括返済を求めていた被害者がいなくなればいいと思い、首を絞めた。返済を免れようとした自己中心的な動機に酌量の余地は全くない」とした。自白の信用性を補強するため提出したDVDにも触れ「DVDを見れば、検察官が不当な誘導や押しつけをしていないのは明らかだ」と述べた。
 同日の最終弁論で弁護側は「検察官の口調が強く、覚えていないことでも迎合した返事をしてしまった」と反論した。「殺人は突発的行動で借金を免れる目的ではない」として、強盗殺人罪ではなく、殺人罪の適用を求めた。
 判決で若宮裁判長は、「被告は借入金を分割の方法で返済し続けており、借金を免れようとしたとは言い難い」と指摘し、強盗を否定した。
 さらに、捜査段階の供述は信用できるか、警察の調書を検討した。「結婚生活を壊される」「借金を会社に知られると解雇される」などと、動機が六つも挙げられている点に注目。「『頭に血が上った極限状態』と記載されているにもかかわらず、被害者の首を絞めた計15分間の間に、これだけの事情に思いをめぐらせたというのは大いに疑問があり、取り調べにあたった警察官の主観や誘導が影響した後付けの動機説明の疑いをぬぐえない」と信用性に疑問を示し、口論で激高した末の短絡的な犯行だったことが十分に考えられると指摘した。検察官調書に対しても「検察官の強い口調に迎合し、供述した可能性を否定できない」と批判。殺害の動機は「被害者から妻と交際期間が重なっていたことを責められ、感情のおもむくままに首を絞めた」と認定した。
 取り調べ録画DVDについては「読み聞かせ、署名、押印、その後の取り調べ部分を合わせた計約25分程度の状況を明らかにするのみで、それ以前にどのような取り調べがなされたかは、DVDは明らかにしていない」とし、供述の信用性の裏付けとするのは困難だと述べた。
備 考
 検察側は控訴した。2009年3月25日、福岡高裁で一審破棄、無期懲役判決。2009年11月2日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
小浜勝弘(53)
逮 捕
 2007年11月19日
殺害人数
 2名
罪 状
 殺人、銃刀法違反
事件概要
 運送業小浜勝弘被告は2007年11月19日午後9時頃、沖縄県名護市の造園業者敷地内で、男性(当時41)の胸や腹を、隠し持っていた刃渡り10.5cmのペティナイフで何度も突き刺して殺害。さらに男性(当時56)の上半身を、複数回刺したり、小浜被告の兄が頭や背中をなたで殴ったりして死亡させた。
 小浜被告が所有する土地について、当時56歳の男性と整地作業をめぐって争っていた。話し合いをしようと農地に呼び出したが、被害男性らと口論になった。被害男性らが加勢を呼んでいると思い、機先を制しようと犯行に及んだ。小浜被告は事件直後、自ら110番通報し、駆けつけた沖縄県警名護署員に逮捕された。
裁判所
 那覇地裁 吉井広幸裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年7月8日 懲役25年
裁判焦点
 小浜被告は殺意を否認している。
 2008年6月6日の論告で検察側は、「小浜被告は殺意を否定しているが、ぺティナイフで被害者に何度も深く刺していることから殺意を立証できる。また、犯行は残虐で責任も重大、遺族も極刑を望んでいる」とした。
 吉井裁判長は被害男性2人の刺し傷の状態などから「被告人は、人が死亡する行為と十分に分かっていた」と指摘。41歳の男性に対する確定的な殺意を認定し、56歳の男性には死亡する可能性が高いことを理解しながら、あえて刺したという「未必の殺意」を認めた。そして量刑理由で「犯行様態はいずれも執拗かつ残虐。動機も短絡的かつ身勝手で酌量の余地はない」とした。一方、被告を何度も怒鳴りつけるなどした被害者側の言動が事件の直接の発端だったと指摘して「(事件の)原因が思量される」と説明したほか、寛大処分を求める嘆願書が集まっているなどとして「酌むべき事情も認められる」と話した。
備 考
 小浜被告と共謀したとして、小浜被告の兄が傷害致死の容疑で起訴されている。
 検察・被告側は控訴した。2009年3月12日、福岡高裁那覇支部で一審破棄、懲役30年判決。

氏 名
中澤祐介(29)
逮 捕
 2007年8月24日
殺害人数
 0名
罪 状
 強盗強姦、強盗、強盗強姦未遂、住居侵入
事件概要
 札幌市消防局レスキュー隊消防士長、中澤祐介被告(逮捕後懲戒免職)は、2006年4月から2007年8月にかけて、、札幌市中央区と白石区のマンション非常階段などで、17〜24歳の女性8人に対し、口をふさいで「静かにしないと殺す」などと脅して乱暴し、現金現金計約68万円とバッグなど計約8万円相当を奪った。詳細な罪状は以下。
  • 2006年4月15日、女性(当時23)が自宅のドアを閉めようとしたところ、中澤被告が外から開けて室内に侵入。玄関で両手で首を絞めて「大人しくしろ、金を出せ」と脅し、顔面を殴った。Eさんは別の部屋に逃げて抵抗したが、押さえつけ脇腹を数回殴り、暴行後、現金60万円と財布を奪った。
  • 2006年7月22日、中澤被告はオートロックのマンションに住民を装って女性(当時24)の後に続いて侵入。一緒に乗り込んだエレベーターで脅して財布から300円を奪った。さらに胸や陰部を触ったが、女性がエレベーターの階数ボタンを押すなどして抵抗したため、逃走した。
  • 2007年2月8日、中澤被告はオートロックのマンションに住民を装って女性(当時21)の後に続いて侵入。一緒に乗り込んだエレベーターで暴行。ハンドバッグを奪って中から現金4000円を奪った。
  • 2007年2月19日、中澤被告はオートロックのマンションに住民を装って女性(当時24)の後に続いて侵入し、エレベータで脅して現金14000円を奪った。さらにマンションの非常階段踊り場に連れて行き、暴行した。
  • 2007年4月14日、中澤被告は女性(当時22)のマンション内で背後から口を塞ぎ、マンション駐車場まで引きずり、暴行した。さらにバッグから現金5万円と財布を奪った。
  • 2007年4月26日、中澤被告は地下鉄で女性(当時17)を見つけ、自宅マンションまで後をつけた。玄関前で女性をつかまえ、地下の自転車置き場に連れて行き暴行した。バッグから現金7000円と財布、携帯電話を奪った。
  • 2007年7月10日、中澤被告は自宅で飲酒した後、外に出て目星の女性の後をつけ、女性のマンション内で襲おうとするが抵抗されて失敗した。直後、同じマンションに住む女性(当時19)を発見し、マンションの風徐室内で押され付けて「大人しくしろ」と脅し、腹部を数回殴った。転倒した女性が大声で叫んだため、暴行を断念して現金5000円と財布を奪い、頭部を数回殴って逃走した。女性は軽傷を負った。
  • 2007年8月2日、中澤被告は女性(当時24)のマンションのエレベーター内で襲いかかり、9階の非常口踊り場に連れて行き暴行した。その後、バッグとデジタルオーディオプレイヤー、携帯電話を奪った。
裁判所
 札幌地裁 井上豊裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年7月11日 懲役30年
裁判焦点
 公判前整理手続きを採用。
 2008年6月6日の初公判で、中澤被告は起訴事実を認めた。ただし、1件目の金額は約45万円だったと訴えた。また、強盗目的を否定した。
 検察官は冒頭陳述で「被告は消費者金融に借金があり、2006年6月には総額1000万円を超える借金があった。債務整理を行い月々返済していたが、その後も遊興費欲しさに借金を重ねた。勤務時間の関係などから性交渉が持てず欲求不満の状態で、嫌がる女性を力づくで人気のない場所に連れて行くことや犯すことで興奮を得ようとしていた」と犯行の動機を指摘した。一方、弁護人は起訴事実を大筋で認めながらも、「Eさんの件で被告は奪った金額を40数万円と記憶している。また、いずれの件においても被告は強姦が主たる目的であり、ついでに金品を取ろうという意思がなかったわけではないが、積極的に意欲した訳ではなく、一連の流れの中で強盗した」と一部で争う姿勢を見せた。
 6月20日の論告求刑で検察側が「女性を一人の人間としてではなく、自己の性欲を解消するためのもの扱いした悪質かつ卑劣な犯行だ」と述べた。
 同日の最終弁論で弁護側は「すでに一定の社会的制裁を受けている」とし、寛大な判決を求めた。
 判決理由で、井上裁判長は「現役レスキュー隊員として鍛え上げた頑強な体で女性の抵抗を抑えるなど卑劣な犯行。陵辱の限りを尽くした」と指摘。「犯行を素直に認め矯正の可能性が全くないとは言えない」とも述べ、無期懲役から有期刑として最高の懲役30年に減軽した。
備 考
 検察側は控訴した。2009年1月29日、札幌高裁で検察側控訴棄却。上告せず確定。

氏 名
佐藤雅樹(38)
逮 捕
 2007年9月12日(強盗殺人容疑)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗致死、住居侵入他
事件概要
 新潟県上越市の小林修被告は2007年6月15日、自宅アパートの部屋で、東京都新宿区の自称人材派遣業佐藤雅樹被告に「上越市の不動産業の女性(当時74)の自宅に多額の金があり、月末になるとテナントの集金で留守にする」などと教え、空き巣に入るようそそのかし、女性宅の間取りに金庫や金の保管場所を示した図面を手渡した。
 小林被告は1990年頃、佐藤被告と市内の自動車修理販売会社で同僚として知り合い、2000年頃から金を貸していた。2003年から女性のテナントビルで飲食店を経営し、佐藤被告を店長として雇用。2006年2月ごろに経営悪化で閉店後、自身も借金があった小林被告は佐藤被告に借金返済を迫り、空き巣話を持ちかけた。
 佐藤被告は図面を見せて指示した上で6月30日夕、東京都新宿区の無職生方久巳被告、新潟県上越市の工員の男(事件当時19)とともに空き巣に入ろうとしたが、女性が在宅していたことから断念。計画を練り直して、2007年7月1日午前0時10分頃、女性方を訪れ、生方被告が訪問者を装って女性に玄関のドアを開けさせ、佐藤被告と2人で家に押し入った。両被告は女性の顔や手足を粘着テープで縛り、現金約2000万円が入った金庫と封筒入りの現金約600万円の計約2600万円を奪った。工員は現場までの行き帰りの車の運転手役だった。女性は窒息死した。
 佐藤被告は生方被告へ約800万円を報酬として渡し、自らは約1000万円を手にしてその中から工員に数10万円を報酬として与えた。また残り約800万円を借金の一部返済として小林被告に手渡した。
 女性はJR直江津駅周辺にスナックなど24店舗を所有。毎月約200万円の家賃収入を得ている資産家として知られていた。金庫には家賃として集めた多額の現金が入っていた。佐藤被告は2005年まで女性がテナントを貸す飲食店で働いていた。
 主犯格の佐藤被告は、奪った金で自らの借金を返済したり、共犯の少年や生方被告に数10万円を渡していた。佐藤被告は生方被告と東京の暴力団事務所で知り合い、工員とは以前に上越市で一緒に仕事をした仲だった。
裁判所
 新潟地裁 山田敏彦裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年7月15日 懲役30年
裁判焦点
 警察は強盗殺人と住居侵入容疑で3被告を逮捕した。佐藤被告と元少年は犯行を認めたが、「殺すつもりはなかった」と殺意を否認。生方被告は「身に覚えがない」と犯行を全面的に否認した。検察は、2人が殺意を否認していることと、鼻がテープでふさがれていなかったという状況から、殺意を立証できないと判断し、強盗致死で起訴した。
 公判前整理手続きを採用。
 2008年4月17日の初公判で、佐藤被告は起訴事実を認めた。ただし、灯油をかけた点については否認した。生方久巳被告は「共謀もせず、犯行現場には行っていない」と否認。工員は「強盗のグループではあったが家の中に入っておらず女性に手を出していない」「共犯ではなく手伝っただけ」と、ほう助を主張した。
 5月19日の論告求刑で検察側は「下見をするなど計画的で極めて悪質な犯行」「犯行の主導的役割を果たした首謀者」と指摘。「女性は灯油を掛けられ、化学やけどを負わされて悲惨な状況だった」と指摘。金欲しさから犯行に及んだ佐藤被告と工員に真摯な反省がないとした。工員の減軽理由について「(工員の)供述で全容が解明された」と説明した。
 同日の最終弁論で佐藤被告の弁護側は「小林被告のしつこい借金返済要求を断り切れなかった。真の主犯は同被告だ」と情状酌量を求め、元少年側は「ほう助にとどまる」と主張した。
 閉廷に際し、佐藤被告と工員は傍聴席にいた女性の息子に「申し訳ありませんでした」と繰り返し頭を下げた。
 山田裁判長は小林被告が佐藤被告を脅したという主張を認めず、「犯行は計画的で凶暴、悪質。盗んだ現金は多額で、人命も失われるなど結果も重大」「被害者が死亡した上、被害額は2600万円に上り結果は重大。遺族の悲嘆は深い」と指弾した。しかし、反省の態度などを考慮し、有期刑に減刑した。また、佐藤被告らが女性に灯油を掛けたと指摘していた点については、事実認定されなかった。
 現場への運転手などを務めた工員については、弁護側が主張したほう助犯ではなく、移動などで不可欠な役割をしたとして共謀共同正犯と認めた。
備 考
 元少年の工員は懲役10年(求刑懲役15年)が言い渡された。
 小林修被告は窃盗教唆などの罪で起訴。2008年1月22日の初公判では、起訴事実を否認し無実を主張した。懲役5年求刑。
 生方久巳被告は2008年4月17日の初公判で犯行を否認。以後、分離公判中。求刑無期懲役。判決8月5日。
 元少年被告は控訴せず、そのまま確定。
 検察、被告側は控訴した。2009年1月21日、東京高裁で一審破棄、無期懲役判決。2009年6月9日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
二宮啓介(49)
逮 捕
 2006年1月7日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、詐欺未遂、大麻取締法違反
事件概要
 保険代理業二宮啓介被告は建設業森田剛志被告、無職藤田博美被告と共謀し、博美被告の夫である郵便局員の男性(当時43)の生命保険金計約7500万円をだまし取ろうと計画。2005年10月12日夕方から夜にかけて、北九州市小倉北区で男性に睡眠導入剤を混ぜた炭酸飲料水や酒を飲ませ、午後10時ごろ、乗用車の助手席に男性を乗せて博美被告が運転。小倉港の岸壁からわざと車を転落させ、男性を水死させた。博美被告は転落後に自力で車から脱出し、通りがかった人に救助された。博美被告は日本郵政公社などに夫の保険金計2500万円の支払いを請求したが、事件が発覚して未遂に終わった。

 博美被告はパチンコなどギャンブル好きで、ブランド品を買い集めたり、ホストクラブにも頻繁に通っていた。2003年10月の結婚後まもなく、夫の口座から勝手に現金を引き出し始め、周囲からも借金を重ねて返済額は計数100万円にのぼった。
 その後、夫から貯金約1000万円の使い込みをとがめられ、借金の返済も迫られるようになり、ホステス時代の客であり、不倫関係にあった二宮被告と、マージャン仲間の森田被告に夫の殺害などを相談していた。二宮被告と森田被告に面識はなかった。二宮被告は、海での転落死や血管への空気注射を提案。さらに捜査機関に対する弁解や保険金請求手続きについて助言した。
 殺害の11日前に夫は、二宮被告の代理店を通じて、博美被告を受取人として、事故や災害死亡特約で約5000万円支払われる生命保険に加入していた。
 また二宮被告は、大麻所持でも起訴されている。
裁判所
 福岡高裁 正木勝彦裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年7月16日 懲役25年(一審破棄)
裁判焦点
 二宮被告、森田被告は逮捕当初から無罪を主張している。控訴審でも、同様の主張をしたと思われる。
 正木勝彦裁判長は一審の事実認定を支持。二宮被告に対して「各犯行は博美受刑者が主導し、殺害自体にも関与はしていない」、森田被告に対して「従犯で博美受刑者の犯行を精神的、心理的に支えただけにとどまる」として「量刑は不当に重すぎる」と判断、両被告の各懲役刑を減軽した。
備 考
 森田剛志被告は殺人ほう助で一審懲役5年(求刑懲役15年)の判決が破棄され、懲役3年6月が言い渡された。
 藤田博美被告は起訴事実を全面的に認めている。2007年3月19日、福岡地裁小倉支部で求刑通り無期懲役判決、8月31日、被告側控訴棄却。2007年12月11日、最高裁で被告側上告棄却、確定。
 2007年10月10日、福岡地裁小倉支部で一審無期懲役判決。被告側は上告した。2009年1月19日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
少年(21)
逮 捕
 2007年4月27日(別の強盗未遂事件で4月6日に逮捕、起訴済)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗致死、強盗未遂他
事件概要
 山口県下関市の無職の元少年(当時19)は、鉄筋工の少年2人(いずれも当時19)、当時中学3年だった少女と共謀。
 2007年1月28日午前1時40分頃、金品を奪うため北九州市門司区の門司港レトロ地区の岸壁に少女がツーショットダイヤルで誘い出した福岡県飯塚市に住む建設作業員の男性(当時30)を、特殊警棒や金属バットで殴るなどして追いかけた末、海に転落、水死させるなどした。
 男性は2月16日、小野田港の南西約6.5kmの周防灘で漂流遺体となって見つかった。遺体は一部が白骨化していたが、ズボンの中にあった運転免許証などから身元が判明した。
 少年らは他に、1月21日未明、北九州市小倉南区の男性会社員(当時28)を門司港レトロ地区におびき出し、男性の乗用車を車で追走した後に少年1人が金属製の棒で男性の車の窓ガラスをたたき割った。男性がさらに逃走したため金は奪えなかった。
 逮捕当初、元少年は事件のリーダー格とされていた。
裁判所
 福岡地裁小倉支部 重富朗裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年7月17日 懲役18年
裁判焦点
 2008年2月21日の初公判で、元少年側は「男性が自ら海に飛び込んだ。自分は男性を助けようとした」として強盗致死罪を否認し、強盗致傷罪適用を主張した。
 検察側は冒頭陳述で、過去に援交狩りで金品を奪った経験があった元少年が仲間に持ちかけたと指摘。おとり役の少女に「大人っぽい服を着てこい。下関の方言は使うな」と指示。暴行後、男性が海に落ちると「もう死ねや」「ばかじゃないの」と罵声を浴びせたことを明らかにした。
 6月5日、検察側は論告で「援助交際をしようとした被害者の弱みに付け込んだ計画的で卑劣な犯行」「利欲目的の短絡的で反社会的な姿勢に酌量の余地はない。凶暴かつ執拗で人格を無視して残虐だ」と非難。「暴行と被害者が海に飛び込んで水死したこととは因果関係が認められる」と指摘した。同日の最終弁論で弁護側は「死亡の原因は被害者が自分から海に飛び込んだことであり、強盗致傷罪の可能性がある」と主張し、情状酌量を訴えた。
 判決理由で重富裁判長は「極めて安易で無責任な動機。犯行は冷酷非情。極めて凶暴で刑事責任は相当重い。人命の尊さへの配慮に欠ける」と指摘。一方で、「犯行の首謀者は共犯の別の人物(公判中の少年)であり、被告は首謀者に誘われてもともとは運転手役を引き受けたにすぎない。男性が海に落ちた際、服を脱いで海に飛び込む準備をした。犯行当時少年だった」などを挙げ、「人命の尊さへの配慮に欠けているが、無期懲役は重すぎる」と指摘した。
備 考
 男性を誘いだした少女は中等少年院に送致された。
 「援助交際狩り」のために4人に携帯電話を貸した少年(当時16)と、車を貸した少女(当時16)は、強盗致死ほう助で山口家裁下関支部に送致された。
 鉄筋工の1人は2008年1月10日、福岡地裁小倉支部で無期懲役判決。4月16日、福岡高裁で懲役20年に減刑。現在上告中。
 鉄筋工のもう1人は2007年11月21日に初公判、現在公判中。2008年7月17日、無期懲役求刑。判決は9月18日。
 被告側は控訴した。2009年1月13日、福岡高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
少年(19)
逮 捕
 2007年4月24日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗致死他
事件概要
 宮城県加美町の無職少年(当時18)は、宮城県加美町の無職佐藤公達被告、大崎市の無職少女(19)、加美町の無職少女(15 当時中三)、色麻町の無職少年(15)と共謀。「ツーショットダイヤル」に電話を掛けてきた男性から金を奪う目的で2007年3月16日夜、15歳少女の携帯電話の番号を登録。同少女は17日午前0時以降、栗原市職員の男性(当時54)と複数回にわたって通話。同3時ごろ男性を駐車場に誘い込み、顔や頭をけるなどして現金約1万4000円入りの財布を奪った上、外傷性くも膜下出血で死亡させた。直接暴行を加えたのは18歳少年で、他の4人は近くで待機していた。
 5月14日、仙台地検は少年少女4人を「刑事処分相当」との意見を付け、強盗致死の非行事実で仙台家庭裁判所に送致した。併せて、少年審判への検察官関与も申し立てた。6月5日、仙台家裁で行われた少年審判(大沼洋一裁判長)で、18歳少年は検察官送致(逆送)された。
裁判所
 仙台高裁 志田洋裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年7月23日 懲役5年以上10年以下(検察側控訴棄却)
裁判焦点
 検察側は、それぞれ量刑不当を理由に控訴。佐藤被告と元19歳少女も「一審判決は重すぎる」などとして控訴していた。
 志田裁判長は「暴行や脅迫で金品を奪う強盗の共謀が成立し、実行犯の少年が激しい暴行を加える可能性も認識していた」と強盗致死の共謀を認定。その上で「少年が犯行の中心。佐藤被告と女は暴行に関与していないが、犯行の具体的立案や計画を行った。ただ課長が死ぬほどの暴行は計画も想定もしていなかった」と述べ、一審判決の量刑は妥当とした。
備 考
 2007年6月7日、仙台家裁(大沼洋一裁判長)は少年(15)と少女(16)について「保護処分が相当」と、少年を初等少年院へ、少女を中等少年院へ送致することを決定した。少年は、強盗致死事件以前に、傷害や窃盗の非行事実でも家裁送致されており、併せて審理された。
 2007年6月19日、仙台家裁(大沼洋一裁判長)は19歳少女について「刑事処分が相当」として、検察官送致(逆送)を決定した。仙台地裁で懲役9年(求刑懲役15年)判決。2008年7月23日、検察・被告側控訴棄却。
 2007年10月15日、仙台地裁は佐藤公達被告の主導的役割を否定し、懲役10年(求刑懲役25年)を言い渡した。2008年7月23日、検察・被告側控訴棄却。
 2007年9月28日、仙台地裁で懲役5年以上10年以下判決。少年法は死刑と無期懲役を除き、10年を超える有期懲役刑を禁じて居る。上告せず、確定。

氏 名
生方久巳(46)
逮 捕
 2007年9月12日(強盗殺人容疑)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗致死、住居侵入他
事件概要
 新潟県上越市の小林修被告は2007年6月15日、自宅アパートの部屋で、東京都新宿区の自称人材派遣業佐藤雅樹被告に「上越市の不動産業の女性(当時74)の自宅に多額の金があり、月末になるとテナントの集金で留守にする」などと教え、空き巣に入るようそそのかし、女性宅の間取りに金庫や金の保管場所を示した図面を手渡した。
 小林被告は1990年頃、佐藤被告と市内の自動車修理販売会社で同僚として知り合い、2000年頃から金を貸していた。2003年から女性のテナントビルで飲食店を経営し、佐藤被告を店長として雇用。2006年2月ごろに経営悪化で閉店後、自身も借金があった小林被告は佐藤被告に借金返済を迫り、空き巣話を持ちかけた。
 佐藤被告は図面を見せて指示した上で6月30日夕、東京都新宿区の無職生方久巳被告、新潟県上越市の工員の男(事件当時19)とともに空き巣に入ろうとしたが、女性が在宅していたことから断念。計画を練り直して、2007年7月1日午前0時10分頃、女性方を訪れ、生方被告が訪問者を装って女性に玄関のドアを開けさせ、佐藤被告と2人で家に押し入った。両被告は女性の顔や手足を粘着テープで縛り、現金約2000万円が入った金庫と封筒入りの現金約600万円の計約2600万円を奪った。工員は現場までの行き帰りの車の運転手役だった。また2被告は室内にあった灯油を女性にかけ、背中や両腕などを化学やけどさせた。女性は窒息死した。
 佐藤被告は生方被告へ約800万円を報酬として渡し、自らは約1000万円を手にしてその中から工員に数10万円を報酬として与えた。また残り約800万円を借金の一部返済として小林被告に手渡した。
 女性はJR直江津駅周辺にスナックなど24店舗を所有。毎月約200万円の家賃収入を得ている資産家として知られていた。金庫には家賃として集めた多額の現金が入っていた。佐藤被告は2005年まで女性がテナントを貸す飲食店で働いていた。
 主犯格の佐藤被告は、奪った金で自らの借金を返済したり、共犯の少年や生方被告に数10万円を渡していた。佐藤被告は生方被告と東京の暴力団事務所で知り合い、工員とは以前に上越市で一緒に仕事をした仲だった。
裁判所
 新潟地裁 山田敏彦裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年8月5日 懲役28年
裁判焦点
 警察は強盗殺人と住居侵入容疑で3被告を逮捕した。佐藤被告と元少年は犯行を認めたが、「殺すつもりはなかった」と殺意を否認。生方被告は「身に覚えがない」と犯行を全面的に否認した。検察は、2人が殺意を否認していることと、鼻がテープでふさがれていなかったという状況から、殺意を立証できないと判断し、強盗致死で起訴した。
 公判前整理手続きを採用。
 2008年4月17日の初公判で、佐藤被告は起訴事実を認めた。ただし、灯油をかけた点については否認した。生方久巳被告は「共謀もせず、犯行現場には行っていない」と否認。工員は「強盗のグループではあったが家の中に入っておらず女性に手を出していない」「共犯ではなく手伝っただけ」と、ほう助を主張した。
 6月24日の論告求刑で検察側は、佐藤雅樹被告と元少年被告の証言は信用性が高いとした上で、現場で見付かったばんそうこうから生方被告と同じ型のDNAが採取された点を強調。「生方被告に反省の情は一片もなく、遺族の心痛をさらに深刻にしている」と指弾した。
 同日の最終弁論で弁護側は「事件前後は佐藤被告に呼ばれて行ったアパートから一歩も出ていない」として無罪を主張。生方被告が事件にかかわったという佐藤、工員の両被告の証言が虚偽であるなどと主張した。
 山田裁判長は判決理由で「共犯者の証言や現場に落ちていたばんそうこうのDNA鑑定の結果は十分に信用でき、被告が被害者宅に侵入したことは明らかだ」とした。その上で「実行犯として約800万円の利益を得て、犯行後も不合理な弁解に終始して反省もしていない」と述べた。ただ主導的な役割ではなかったとして無期懲役を回避した。
備 考
 小林修被告は窃盗教唆などの罪で起訴。2008年1月22日の初公判では、起訴事実を否認し無実を主張した。現在、公判中。
 2008年4月17日の初公判で佐藤被告と元少年は犯行を認めた。以後、分離公判。2008年7月15日、新潟地裁は佐藤被告に懲役30年(求刑無期懲役)、元少年被告に懲役10年(求刑懲役15年)を言い渡した。佐藤被告に対し、検察側控訴中。元少年被告はそのまま確定。
 検察側は控訴した。2009年1月21日、東京高裁で一審破棄、無期懲役判決。2009年6月9日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
千神啓史(36)
逮 捕
 2005年11月?日
殺害人数
 0名
罪 状
 強盗致傷、強盗他
事件概要
 住所不定の暴力団組員安徳如愛(あんとくもとのり)被告と住所不定の暴力団組員千神啓史(ちがみひろふみ)被告は他の被告らと共謀。2005年7月〜11月、兵庫県神戸市のゲーム喫茶に仲間4人と押し入って約400万円を強奪したり、大阪府豊中市の路上で高級外車に故意に車を追突させ、降車した運転手に暴行して外車を奪ったり、東大阪市の会社社長宅に押し入って一家6人を監禁し、現金約45万円を奪った上、カードで約220万円を引き出したりするなど計31件の強盗事件(致傷含む)を繰り返した。
 安徳、千神両被告は、ほかの男女2人と共謀して2005年8月、神戸市のタクシー運転手(当時61)を大阪市内の路上に呼び出し、運転手の自宅まで拉致したうえ、預金通帳を奪って約1000万円を引き出したとして、逮捕された。  安徳被告らは2005年7月頃、覚醒剤仲間の組員らでギャング団を結成。逮捕される11月まで6府県で、2〜5人組で強盗やベンツ盗などを繰り返した。一連の広域連続強盗事件では26〜59歳の男女計14人が起訴された。また1人が指名手配中である。計44事件で被害総額は約6400万円にのぼる。
裁判所
 大阪地裁 西田真基裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年8月?日 懲役20年
裁判焦点
 不明。
備 考
 同日、安徳如愛被告は求刑通り無期懲役判決。安徳被告、千神被告とも控訴した。2009年2月24日、大阪高裁(小倉正三裁判長)で判決。一審破棄、無期懲役判決と思われる。

氏 名
福原大助(41)/福嶋尚和(29)
逮 捕
 2007年11月12日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、住居侵入、銃刀法違反他
事件概要
 指定暴力団道仁会系の組幹部福原大助被告らは共謀し、2007年6月19日夜、熊本市で対立する九州誠道会系の組幹部(当時43)方に侵入し、顔を拳銃で撃った後、包丁で背中などを刺して殺害した。死因は銃で頭を撃たれたことによる脳挫滅である。
 福原被告が指示役、組員福嶋尚和被告が実行役で、組員田上浩二被告は凶器などを処分した。
裁判所
 熊本地裁 野島秀夫裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年8月8日 福原被告:懲役30年 福嶋被告:懲役28年
裁判焦点
 野島裁判長は、犯行は福原被告らの組上層部の指示によるものと認定。「犯行は冷酷かつ残虐で、容認する余地はない」「事件後、報復が報復を呼び一般市民に恐怖を拡散させた」と判決理由を述べた。
備 考
 事件を巡っては11人が逮捕され、9人が起訴された。2人は証拠不十分で釈放された。判決は初めて。田上浩二被告は懲役10年(求刑懲役15年)の判決。2009年3月24日、福岡高裁で検察・被告側控訴棄却。
 矢野祐一被告は2008年9月2日、熊本地裁で懲役12年(求刑懲役15年)判決。2009年3月24日、福岡高裁で検察・被告側控訴棄却。
 福原、福嶋被告は控訴した。検察側も3被告に対し控訴した。2009年3月24日、福岡高裁で一審破棄、ともに無期懲役判決。2009年7月21日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
李信幸(46)
逮 捕
 2007年7月4日(強盗殺人未遂及び詐欺容疑。別の詐欺容疑で逮捕済)
殺害人数
 1名
罪 状
 詐欺、暴行、強盗致死
事件概要
 住所不定、無職李信幸被告は2007年6月17日午後10時頃、大阪・ミナミから寝屋川市のタクシー運転手の男性(当時65)のタクシーに乗車。大阪市西淀川区にある同乗男性のマンションまでの乗車料金約3000円を支払わず降車し、追ってきた男性に何回も殴るなどの暴行を加えた。男性はくも膜下出血で意識不明となり、9月10日に死亡した。
 李被告はこの日、大阪・ミナミで知人らと食事をしたあと、計3人で男性の車に乗っていた。李被告はミナミへ行く際の別のタクシー料金約2700円を踏み倒すなどしたとして、別の詐欺罪で逮捕されていた。
裁判所
 大阪地裁 西田真基裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年8月8日 懲役28年
裁判焦点
 李被告は逮捕当初から犯行を否認。大阪府警は殺意があったとして強盗殺人未遂と詐欺容疑で逮捕したが、大阪地検は殺意は認められないとして強盗致傷罪と詐欺罪で起訴した。
 弁護側は飲酒による心神喪失を主張し、責任能力の有無が争点になったが、西田裁判長は「合理的な行動を取っており、完全責任能力があった」と認定。「犯行は極めて残忍。助けを求める被害者を執拗に殴り続けた理不尽極まりない犯行。生命に思いを巡らす姿勢に欠けている」とした。西田裁判長は量刑理由で、男性が娘の挙式前だったことに触れ、「無念さは察するに余りある」と述べ、李被告に対し「申し訳ない、という思いを終生忘れずに」と説諭した。
備 考
 一緒にタクシーに無賃乗車したとして詐欺容疑で逮捕された知人の男女2人は、無賃乗車を主導していないとして、処分保留で釈放されている。

氏 名
細野保(37)
逮 捕
 2008年4月13日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、銃刀法違反
事件概要
 埼玉県八潮市の指定暴力団住吉会系幹部細野保被告は2008年3月31日未明、自宅前に乗用車を止めていた越谷市の男性(当時35)と口論になり、同日午前1時15分ごろ、同市内のファミリーレストランの駐車場で、男性の胸などを小刀で11回刺し、殺害した。男性は指定暴力団山口組に関係する政治結社のメンバーを名乗っていた。
裁判所
 さいたま地裁 中谷雄二郎裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年8月20日 懲役30年
裁判焦点
 7月18日の初公判で、細野被告は起訴事実を認めた。
 検察側は8月13日の論告で「逃げようとした被害者を追撃して刺すなど、非常に冷酷かつ残忍な犯行」「極道特有の考え方と凶暴性が染み付いており改善更生は期待できない」と指摘。弁護側は同日の最終弁論で「被害者の挑発的な態度も犯行の一因になった」「反省している」などとして有期刑を求めた。
 判決で中谷裁判長は「暴力団という反社会的な組織の論理に基づいた、極めて悪質な犯行」と指摘した。一方で被害者が「これは山口組と住吉のけんかだ。やれるもんならやってみろ」などと発言したことに対し、「軽率で自ら危険を招く行動であったことは否めない」とし、「無期懲役を選択するにはちゅうちょせざるを得ない」と述べた。
備 考
 殺害に関与したとして逮捕・送検された暴力団幹部や右翼団体団長ら5人は、処分保留のまま釈放されている。
 検察側は控訴した。2009年2月、東京高裁で一審破棄、無期懲役判決。2009年7月6日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
福士昌(22)
逮 捕
 2008年1月31日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、殺人予備、詐欺、有印私文書偽造・同行使
事件概要
 北海道檜山管内の小学校臨時事務職員福士昌被告は経理担当をしていた2007年9〜12月、教諭の出張旅費の払い戻しを装い、信用金庫から計約21万円を詐取した。しかし福士被告2008年1月30日に教頭から着服について追求された。そのためこの発覚を防ごうと、校長が金を着服し、それに気付いた臨時職員の女性(当時24)を殺害後に自殺したと見せ掛けようと、2人の殺害を計画。2008年1月31日午前7時半ごろ、小学校のボイラー室で出勤してきた女性の頭などをまさかりや金づちで殴り、包丁で刺して殺害した。福士被告はニセ自殺用のロープやニセ遺書を用意していたが、校長殺害は実行せずにいったん自宅へ帰り、衣類や包丁を捨てるなど証拠隠滅をしてから児童を引率してスキー教室に参加した。出発を見送った教頭が、被害者の遺体を発見した。
 福士被告は消費者金融2社に計約400万円の借金があったほか、家賃や住民税を1年以上支払っていなかった。
 道教委は福士被告を起訴後、懲戒免職。当時の校長を「管理監督が不適切だったため重大な事故につながった」として、減給1ヶ月(10分の1)とした。
裁判所
 函館地裁 柴山智裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年8月21日 懲役26年
裁判焦点
 8月19日の初公判で、福士被告は「間違いないです」と起訴事実を認めた。弁護人は「殺人予備罪については自首が成立する」とし、刑の軽減を求めた。弁護人の主張に対し、検察側は「福士被告の供述前に、警察が偽造遺書を発見し、殺害計画を把握していた」と述べ、自首は成立しないとした。
 検察側は8月20日の論告で「逃げようとした被害者を追撃して刺すなど、非常に冷酷かつ残忍な犯行」「極道特有の考え方と凶暴性が染み付いており改善更生は期待できない」と指摘。「自己保身から女性らの殺害を計画した犯行で身勝手極まりない」とした。福士被告は公判で「着服が明らかになれば、小さい町の中で白い目で見られ(友人関係などの)すべてを失ってしまうのが怖かった」と証言。弁護側は同日の最終弁論で「明確な計画性はなく、強迫観念にとらわれた場当たり的な犯行だった」として刑の減免を求めた。
 柴山裁判長は判決で「犯行は強固な殺意に基づく計画的なもの。身勝手で自己中心的であり、冷酷かつ残虐」「24歳で命を絶たれた被害者の無念は察するに余りある」「金の使い込みの発覚を恐れ、理不尽にも無関係な被害者の生命を奪った犯行で、結果は重大」と述べた。しかし「社会的に未熟で、反省の情を深めていることが伺える」として有期刑を言い渡した。弁護側は殺人予備罪について自首の成立を主張したが、柴山裁判長は「追及を受けた供述で、自発的とはいえない」と退けた。
 判決言い渡し後、福士被告は同校の関係者から「被害者や家族に謝りなさい」と声を掛けられ、傍聴席の遺族に「本当に申し訳ありませんでした」と頭を下げた。
備 考
 検察、弁護側は控訴した。2009年5月26日、札幌高裁で検察・被告側控訴棄却。上告せず確定。

氏 名
古口信一(59)
逮 捕
 2002年6月28日(恐喝などで服役中)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、銃刀法違反他
事件概要
 指定暴力団組長古口信一(ふるぐち・しんいち)被告、暴力団組長中村数年被告、組幹部N元被告は、1998年2月18日夜、北九州市小倉北区で、若松区の元漁協組合長の男性(当時70)に銃弾4発を命中させて死亡させたとして起訴された。公判で検察側は中村、N両被告を殺害の実行役、古口被告を犯行用の車の調達役と見届け役と指摘した。
 殺害された男性は、地元・響灘の白島石油備蓄基地建設に伴う地元漁協への漁業補償金18億円を不正に配分した「白島事件」で1983年、漁協に1億6900万円の損害を与えたとして背任罪などで起訴され、1995年に懲役2年が確定した。漁業補償などに強い発言力があったとされ、白島基地をめぐり政治工作資金などが取りざたされた一連の“白島疑惑”の中心人物とされた。
 1997年9月には男性の実弟宅などに銃弾が撃ち込まれる事件も起きている。
 判決では、中村、古口両被告は氏名不詳者と共謀し、小倉北区古船場の路上で男性の頭や胸に銃弾4発を撃ち射殺したと認定された。
裁判所
 最高裁第二小法廷 古田佑紀裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年8月20日 懲役20年(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 古口被告は中村被告とともに一・二審で無罪を主張している。
備 考
 一緒に殺人容疑で逮捕された暴力団組長は「共謀関係を立証する証拠が足りない」として処分保留とされた。
 N元被告は一審無罪判決がそのまま確定している。
 3被告に無期懲役が求刑され、中村数年被告は求刑通り無期懲役判決。2007年10月5日、福岡高裁で被告側控訴棄却。2008年8月20日、被告側上告棄却、確定。
 2006年5月12日、福岡地裁小倉支部で一審懲役20年判決。2007年10月5日、福岡高裁で検察・被告側控訴棄却。

氏 名
少年(20)
逮 捕
 2007年4月27日(別の強盗未遂事件で4月6日に逮捕、起訴済)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗致死、強盗未遂他
事件概要
 山口県下関市の鉄筋工の元少年(当時19)は、鉄筋工の少年(当時19)、無職少年(当時19)、当時中学3年だった少女と共謀。
 2007年1月28日午前1時40分頃、金品を奪うため北九州市門司区の門司港レトロ地区の岸壁に少女がツーショットダイヤルで誘い出した福岡県飯塚市に住む建設作業員の男性(当時30)を、特殊警棒や金属バットで殴るなどして追いかけた末、海に転落、水死させるなどした。
 男性は2月16日、小野田港の南西約6.5kmの周防灘で漂流遺体となって見つかった。遺体は一部が白骨化していたが、ズボンの中にあった運転免許証などから身元が判明した。
 少年らは他に、1月21日未明、北九州市小倉南区の男性会社員(当時28)を門司港レトロ地区におびき出し、男性の乗用車を車で追走した後に少年1人が金属製の棒で男性の車の窓ガラスをたたき割った。男性がさらに逃走したため金は奪えなかった。
 元少年は事件のリーダー格だった。
裁判所
 福岡地裁小倉支部 重富朗裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年9月18日 懲役24年
裁判焦点
 2008年2月27日の初公判で、元少年は「暴行したが、強盗致死になるかどうかはわからない」と述べ、弁護人も「暴行と死亡との因果関係はない」として、強盗致死罪を否認した。
 冒頭陳述で検察側は「遊ぶ金欲しさから犯行に加わることを決意した。会社員を暴行したり脅迫したりして追い詰め、岸壁から海に転落させた」と指摘した。さらに暴行の後、元少年が「俺は殴ってないことにしていいか」と依頼し、ほかの2人が了承したと指摘。さらにほかの2人が刑に服した場合に金などを差し入れさせるため、逮捕された時には「元少年は運転手役を務めただけ」とうそをつくよう口裏合わせしたことを明らかにした。
 7月17日の論告求刑で検察側は、「自らの利欲目的のため友人を極めて悪質な犯罪に引き込んだ」と指摘した。弁護側は最終弁論で「共犯者間に上下関係はなかった」と有期刑の判決を求めた。
 判決理由で重富裁判長は「他の共犯者に具体的に指示しており、被告による綿密な計画的犯行だ。冷酷非情で人命の尊さに対する配慮が欠けている」「犯行を発案した首謀者。援助交際をしようとした被害者の弱みにつけこんだ卑劣な犯行」「無抵抗の被害者に暴行を加えた上、取り囲んで怒号を浴びせ恐怖心をあおるなど残忍で執拗だ」と指弾したが、「海に直接突き落としたわけではなく、海に飛び込もうとするなど一応助けようとした」と有期刑選択の理由を述べた。弁護側の強盗致傷罪の適用主張に対しては、「暴行脅迫と海に飛び込んだことには因果関係がある」として退けた。
備 考
 男性を誘いだした少女は中等少年院に送致された。
 「援助交際狩り」のために4人に携帯電話を貸した少年(当時16)と、車を貸した少女(当時16)は、強盗致死ほう助で山口家裁下関支部に送致された。
 鉄筋工の1人は2008年1月10日、福岡地裁小倉支部で無期懲役判決。4月16日、福岡高裁で懲役20年に減刑。最高裁で確定。
 無職の少年は2008年7月17日、福岡地裁で懲役18年(求刑無期懲役)判決。現在控訴中。
 被告側は控訴した。2009年3月24日、福岡高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
苅部操一(31)
逮 捕
 2007年9月4日(現行犯逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、銃刀法違反
事件概要
 埼玉県草加市の無職苅部操一被告は2007年9月4日夜、草加市の路上を歩いていた近くの無職男性(当時78)の胸や背中を小型ナイフ(刃渡り約12センチ)で刺し、殺害した。
 苅部被告は近くの公衆電話から「人を刺した」と110番通報、逮捕された。
裁判所
 東京高裁 安広文夫裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年10月9日 懲役27年(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 責任能力が争点だったが、判決は、「完全責任能力を認めた捜査段階の鑑定結果は信用できる上、犯行直後に110番通報し、自らの責任を意識した行動をしていた」と述べ、責任能力を認めた。
備 考
 2008年6月20日、さいたま地裁で一審懲役27年判決。被告側は上告した。2009年2月3日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
高橋二三子(69)
逮 捕
 2008年6月1日(自首)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、有印私文書偽造、同行使、詐欺
事件概要
 埼玉県所沢市の無職高橋二三子被告は、かつての不倫相手である小原正明被告と共謀し、2008年5月23日午前11時半頃、自宅で夫の無職男性(当時75)の首を絞めるなどして殺害。現金約12万円と通帳を奪った。5月26日午前、所沢市内の銀行2店で、男性名義の普通預金の払い戻し請求書と解約請求書計2通を偽造し、口座から計約34万円を引き出した。金は2人で分け、小原被告の借金返済や高橋被告の生活費に充てた。
 高橋被告は6月1日に、長女に付き添われて自首。その後、小原被告の関与について供述した。6月8日、東京都立川市の競輪場で小原被告が発見、逮捕された。
 高橋被告は1993年ごろ、公園で小原被告と知り合い、交際を開始。小原被告が2005年2月、信用金庫から400万円を借りた際、高橋被告が借金の連帯保証人となった。その後、返済に行き詰まり、4月下旬、小原被告から夫殺害を持ち掛けられたとした。
裁判所
 さいたま地裁 大谷吉史裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年10月31日 懲役25年
裁判焦点
 2008年9月25日の初公判で、高橋被告は起訴事実を認めた。弁護側は「夫から生活費を一切もらえず、長くないがしろにされていた」と情状酌量を求めた。高橋被告は「小原被告から『借金が夫にばれれば暴力を振るわれるぞ』と言われ、逃げられないと思った」と涙ながらに語った。
 10月14日の求刑論告で検察側は「奪った金の分け前を要求するなど共犯者の小原被告に迎合していたわけでない」と指摘。「利欲的で極めて凶悪だ」「交際相手と金目当てに夫を殺害した卑劣な犯行。計画的で実行行為に加わるなど役割も重大」「妻に殺害された被害者の情は察するに余りある」などと述べた。同日の最終弁論で弁護側は「愛情のかけらもない夫の生活態度が不倫関係を招いた」と反論し、「交際を夫にばらされるという不安を利用された。自首も成立する」「犯行を主導したのは小原被告だ」として情状酌量を求めた。
 大谷裁判長は判決で「被害者の妻として自宅で犯行を敢行するなど、重要な役割を果たした。妻に両脚を押さえ付けられ、共犯者に殺害された無念さは察するに余りある」「小原被告の連帯保証人になっていて、犯行は小原被告の借金を返済するためだった。酌量の余地はない」「犯行は強固な殺意に基づくもので、極めて悪質」と指摘する一方、犯行を主導したのは共犯である小原被告であること、被告の子らが寛大な刑を望んでいること、自首したこと、被告が高齢であることなどを酌量した。
備 考
 小原正明被告は2008年11月4日、さいたま地裁で求刑通り無期懲役判決。
 検察側は控訴した。2009年3月12日、東京高裁で一審破棄、懲役30年判決。

氏 名
浅田和弘(33)
逮 捕
 2004年5月4日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、銃刀法違反
事件概要
 焼肉店従業員浅田和弘被告は2003年11月26日午前4時25分ごろ、浅田被告が働く焼肉店経営の男性(当時28)の自宅前路上で、営業を終えて帰宅した男性の背後から拳銃2発を発射して殺害し、現金50万円などが入ったバッグを奪った。浅田被告は男性から預かった約500万円を紛失し、返済を迫られていた。
裁判所
 最高裁第二小法廷 古田佑紀裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年11月10日 二審破棄、高裁差し戻し
裁判焦点
 浅田被告は捜査、公判を通じ無罪を主張した。凶器の拳銃は見つかっていない。
 一審は求刑通り無期懲役としたが、二審は事件で使用された拳銃の受け渡し現場に立ち会ったとした元暴力団組員ら2人=同ほう助罪で実刑確定=の供述を信用できないと指摘。審理を一審に差し戻す判決を言い渡し、検察側と無罪判決を求めた被告側の双方が上告していた。
 同小法廷は「2人が服役を覚悟の上で、事実に反してまで、拳銃入手の仲介を供述するとは考えにくい。供述は重要な部分で一致しており、高い信用性がある」として、供述の信用性を認めた。そして、「誤った証拠への評価が判決に影響を及ぼすことは明らかで、判決を破棄しなければ正義に反する」と指摘した。
備 考
 浅田被告に拳銃を渡した男性は一審で懲役4年6月(求刑懲役6年)が言い渡されたが、2007年4月20日、大阪高裁は男性に対して無罪を言い渡した。また、別の交通事故での業務上過失傷害罪で禁固1年を言い渡した。控訴審で、男性が受け渡し日に神戸市内の中古車オークション会場にいたことが判明。裁判長は「拳銃の受け渡し日時のアリバイがほぼ成立している」と述べた。
 2006年5月25日、大阪地裁で一審無期懲役判決。2007年6月15日、大阪高裁で一審破棄、差し戻し判決。2010年1月21日、大阪高裁で一審判決の被告側控訴棄却。

氏 名
児嶋清二(39)
逮 捕
 2007年5月21日(窃盗容疑で逮捕。7月10日、男性方の放火や殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 現住建造物等放火、殺人、殺人未遂、現住建造物等以外放火、器物破損、窃盗、詐欺
事件概要
 宮崎県延岡市の無職児嶋清二被告は2007年4月28日午前1時ごろ、金銭的なトラブルなどがあった同市に住む自営業の男性(当時41歳)方の物置にあった雑誌などを自転車の周りに敷き詰め、サドルにライターで火をつけ放火。木造平屋約145平方メートルを燃やし、男性を焼死させ、母親(当時85)に全治約2ヶ月のやけどを負わせた。
児嶋被告は動機について「男性と飲食すると、いつも代金を払わされていた。女性を巡る三角関係もあった」などと供述している。
児嶋被告は4月28日午前0時以降、捜査のかく乱などを狙ってスーパー駐車場に止めてあったトラックの荷台、軒下に干してあった衣類、飲食店の軒下の植木鉢、別の飲食店のすだれ、路上に止めてあったバイクのシート、建築中の住宅内のビニール袋と立て続けに6件の放火をした後、男性方への放火を行った。男性方への放火以外には、スーパー駐車場で車の一部を燃やすなど2件の放火で起訴されている。
 児嶋被告は2006年10月上旬、福岡県久留米市に住む知人の看護師の女性(当時25)方から、預金通帳と印鑑を盗み、同月16日、同市内の銀行で20万円を引き出した疑いで2007年5月21日、延岡署に逮捕された。
 さらに2007年4月28日午前0時ごろ、延岡市のスーパー北側駐車場に止めてあったトラックの荷台に火を付けたとして、建造物等以外放火の容疑で6月14日、宮崎県警に再逮捕された。
 7月10日、男性方への放火、殺人他容疑で宮崎県警に再逮捕された。
裁判所
 宮崎地裁延岡支部 福島政幸裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年11月12日 懲役27年
裁判焦点
 県警は、児嶋被告が男性とトラブルを抱え不満を募らせた末、明確な殺意を抱いて放火したと判断。殺人容疑の適用を決めた。
公判前整理手続きが行われ、宮崎県内で初めて裁判員裁判に近い「連日開廷方式」で開かれた。
 2008年7月14日の初公判で、児嶋被告は起訴事実を大筋で認めたが、「(放火で)死ぬかもしれないという程度の認識はあった」として強い殺意を否認した。
 弁護側は冒頭陳述で、起訴状で指摘された放火方法ではなく、物置の外壁の素材に放火し、母屋にまで燃え広がって男性らを焼死させようというまでは認識していなかった−−と主張した。また器物損壊罪に問われている1件については否認した。
 7月15日の第2回公判で、宮崎県内では初めて、検察官の取り調べの様子を録画したDVDが法廷で再生された。供述調書の任意性も争い、証拠採用されていたDVDを約25分間上映。同支部は、取り調べをした警察官の証人尋問の内容なども判断して供述調書の任意性はあると判断。供述調書が証拠採用された。 DVDは、2007年7月30日に撮影された。事実関係を尋ねる検察官に、児嶋被告が「はい」「間違いありません」などと答える場面が多かった。
 公判では、児嶋被告は「警察官に指を持たれ指印を押された」などと述べ、弁護側は「供述調書は任意性を欠く」と主張。取り調べを担当した警察官は「児嶋被告が指印を押すことをしぶったことはない」などと証言した。弁護側の五嶋俊信弁護士は「DVDは一つの資料だが、こちらが問題とする警察での取り調べの場面が映っていなかった」と不満をあらわにした。
 9月12日の論告で検察側は「犯行は計画的で、酌量の余地はない」「犯行態様の凶悪性などから、刑事責任は極めて重大」と述べた。また児嶋被告が確実に殺害を図るために、放火を重ねて消火活動を遅らせたことなどを指摘した。同日の最終弁論で弁護側は起訴事実を大筋で認めたものの、「親子を焼死させようというところまでは認識していなかった」「未必の殺意しか認められない」などとして強い殺意を否定、減刑を求めた。器物損壊罪に問われる1件については無罪を主張した。
 判決理由で福島裁判長は「事件前後のトラックなどへの放火は消防車を分散させ、被害男性宅への到着を遅らせて、殺害を確実にするためだった」と指摘して確定的殺意を認定。「強固な殺意に基づく、計画的で卑劣な手口による危険極まりない犯行だ」と述べた。未必の故意であるという弁護側の主張に対しては「合理的な説明がない」として退けた。
備 考
 他に延岡市では、2007年3月13日に新築中の住宅が全焼、4月19日頃と25日に資材置き場のビニールシートなどが燃える不審火が起きており、児嶋被告が自供したと報道されているが、起訴はされていない。
 検察、被告側は控訴した。2009年6月9日、福岡高裁宮崎支部で検察・被告側控訴棄却。上告せず確定。

氏 名
中根一明(64)
逮 捕
 2007年11月4日(強盗殺人容疑)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗致死、住居侵入
事件概要
 栃木市の廃品回収業高木節男被告は、近くに住んでいた無職男性(当時88)が資産家であると知り、約20年前に千葉刑務所で知り合った愛知県瀬戸市の会社役員中根一明被告に犯行計画を持ちかけた。事業に行き詰まっていた中根被告は応じ、姉と交際していた名古屋市中川区の土木作業員坂野茂夫被告を誘った。
 2007年9月17日午前11時過ぎ、中根、坂野両被告は栃木市の無職男性(当時88)方に侵入。居間で、男性の頭に自転車のかごカバーと土嚢袋をかぶせ、粘着テープを巻き付け、体をいすにビニールひもでくくりつけ、窒息死させた。金品は発見できなかった。高木被告は実行役には加わらず、近くで待機していた。
裁判所
 東京高裁 須田賢裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2008年11月25日 懲役30年(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 2008年10月28日の控訴審初公判で三被告の弁護側は控訴趣意書で「被害者が入れ歯をのどに詰まらせることは予測不可能だった」と量刑不当を主張していたが、須田裁判長は「入れ歯が外れる原因となった点で暴行と死亡との因果関係はある」と認定した上で「犯行の経緯や結果、対応をみても、いずれも凶悪性が高く罪責は重い。量刑が重すぎて不当な判決とはいえない」「殺意がないだけでは減刑の理由にならない」と退けた。
備 考
 約20年前、高木被告は大麻密輸などの罪で、中根被告は殺人罪で服役中だった。
 2008年6月26日、宇都宮地裁栃木支部で懲役30年判決。同日、高木節男被告は無期懲役(求刑同)判決。坂野茂夫被告は懲役24年(求刑懲役30年)判決。坂野被告は上告せず確定。被告側は上告した。2009年11月11日、高木被告、中根被告の上告棄却、確定。




※銃刀法
 正式名称は「銃砲刀剣類所持等取締法」

※麻薬特例法
 正式名称は「国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例等に関する法律」

【参考資料】
 新聞記事各種

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