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現在こそ恐怖政治(=戦後イデオロギー護持)の時代
☆ご報告 6・24 IN浦和
創価と暴力団の結託を追及する新聞配布活動! 第二弾
平成22年6月24日、私どもは22日の池袋に引き続き『日本を護る市民の会』(黒田大輔代表)や在特会関係者らの協力を得て、埼玉県浦和市内において創価学会と暴力団が結託して教団関連施設建設への反対運動に対し様々な妨害(暴力)行為を繰り広げてきた事実を追及する新聞を配布した。
創価と暴力団の結託を追及する新聞配布活動! IN池袋
http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51541310.html
この日の活動は街頭における配布とは異なり、各家々に個別にポスティングする周知活動に徹底。
また単なる反学会活動にとどまらず、同市内で学会関連施設の建設が予定される周辺地域にポイントを絞ったことも特徴と言えるだろう。
かつては学会の意向を受けた暴力団によって捻り潰され一切の批判がタブーとされた学会関連施設への反対運動が新たに、より広範な形で澎湃(ほうはい)と沸き起こる契機となりつつあるのである。
新聞の見本
http://izukohe.jugem.jp/?eid=46
さて、当ブログでは今月27日にも同県川口市内のマンションで起きている支那人(中国人)の侵食とそれによる弊害・軋轢・実害を実態調査すべくツアーを企画しているが、先のエントリーにおいてこの民族問題こそは現下の日本にとって喫緊の事態であり、その解決法は国を挙げた排外的ナショナリズムの確立ひいてはナチス型独裁政治によってしか真の治安・安全はないというタブーに言及した。
埼玉・川口から異民族排斥の狼煙!
http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51541812.html
そのエントリーに対しては実に多くのコメントを頂戴しており、返信は遅れているが、この場を借りて篤く御礼申し上げたい。
同エントリーのコメント欄
http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51541812.html#comments
そこに寄せられたコメントを二つばかりご紹介させて頂きたい。
心情的には侍蟻さんの理念が理解できます。
ただ、
独裁政治=恐怖政治を懸念してしまいます。
それとは別ですが、恐ろしい場所の実態調査をする行動力には頭が下がります。
私は恐くてとても踏み込めません。(すみません)
実態調査をする事は相手を威圧することに繋がるでしょう。
日本の国で好き勝手なふるまいはさせない!という圧力です。
私自身、行動の一つもしないのに言うのもなんですが、
どうか、頑張ってください。
クリック。
Posted by nori at 2010年06月23日 23:39
支那・朝鮮人が増え続ける限り解決はない!
やれナチスだの独裁政治と聞くと支那(中国)や北朝鮮のような共産主義軍事独裁国家の恐怖政治を連想して懸念を抱く向きがあるのは当然だろう。
しかし、現下の日本こそはある意味で恐怖政治とは言えまいか。戦後イデオロギーを金科玉条として。
私などがデモ行進で東京・渋谷の街頭を練り歩くたびに思うことだが、確かに繁華街と言われる街中にはデパートや飲食店が林立し、休日には駅付近や交差点が若者をはじめ買い物客でごった返し、道路沿いではオープンカフェで歓談する人たちの姿を目にするように物質的な豊かさを享受している。
だが、そうした豊かさと自由さは「戦前の日本にも存在した」のだ。
その点が昔も今も変わらないとすれば、選挙のたびに「景気」「経済」という単語が喧しく飛び交う中で、本質的に日本人が求めているものはもっと別次元のところに存在するのではないか?
とかく現在の日本人は「在日朝鮮人を差別している」「外国人を迫害している」と事あるごとに悪口雑言を浴びせられてもそれに反駁も出来ないどころか、その誹りを甘受して一緒になって日本と日本人を罵倒することに狂奔する輩が少なくない。
あるいは何らの関心さえ持たず、頬かむりを決め込むことでそうした誹謗中傷に間接的に加担している。
これが戦後イデオロギーの正体。
その結果、支那人や朝鮮人の流入・侵食を許し、東京・池袋チャイナタウン構想や川口市にある芝園団地のように支那人の傍若無人を看過してここまで事態が悪化したのではないか。
池袋チャイナタウン構想や芝園団地のケースは言わば日本社会の縮図であり、日本の未来像。
今や街中の至るところで支那語や朝鮮語が飛び交う。
これら外国人が増え続ける限り根本的な問題の解決策はなく、一度は阻止しても各地でチャイナタウンはつくられ続けるし、第二の芝園団地は増殖する一方である。
彼ら日本に住み着いた在日支那人もまた日本への侵出を目論む支那人民解放軍の一形態なのだ。
保守派が盛んに「日本解体法案」として懸念する外国人参政権法案にしても、現行のように支那・朝鮮人が日本で増え続ける限り、支那・朝鮮人が日本に存在する限り、いつまで経っても参政権法案が云々されいつかは成立されるという宿痾(治らない病)。
ところが、いかに在日朝鮮人が凶行を起こそうとも、いかに支那人が治外法権をつくろうとも乱立した保守政党はおろか、それを前面に出て戦い是正すべく保守派・右翼は何らの言及もせず、出来ず、むしろそれら外国人の横暴に異論を唱えることは「差別だ」「人権侵害だ」という声に怯えてしまっている。
自民党と公明党の連立政権時代から取り沙汰され、今また民主党政権で取り沙汰され、この先どの政党が政権を掌握しても支那・朝鮮人が存在する限りその懸念が拭い去られることもない。
そして支那・朝鮮人の存在に斬り込むこともタブーとされ、日本人ばかりが常に加害者にされる。
さも優しい政治であるかのように謳った公明党も入管法の扱い一つとっても、政権時代にどれほどのタブーをつくってきたのか分からない。
…これほどの恐怖政治があるだろうか!?
だから排外的ナショナリズムこそはこの閉塞した状況を打破し得る唯一にして最先端の思想なのである。
ナショナリズムは一種の祭りのようなものであり稚拙で、排外主義や独裁政治は危険過ぎるとの向きもあろうが、この非常時の乱世に際していつまでも良い子ぶったり大人ぶっている場合ではないし、石橋を叩いて渡っている場合でもないだろう。
最後に「ponさん」からのご意見をご紹介しよう。
戦争状態になったらどの国も全体主義になることを知らない人が多すぎる。
早く全体主義独裁主義体制に過剰な嫌悪感を抱かない国民を作っていかないと、大変なことになる。
Posted by pon at 2010年06月24日 02:57
一言、免疫が無さ過ぎる…!
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