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こころを救う:さまよい12年 うつ病男性、処方200錠で自殺未遂

 ◇「いつまで薬を飲み続ければいいのか」

 「もう消えたいんですけど」。誰かが書き込むと知らない誰かが応える。「起きてると辛(つら)くなるからゆっくり休んでね」。心を病む人が集い、病状や処方薬の情報を交換するインターネットの「メンタル系サイト」。ハンドルネーム・ロボ(41)のサイトもその一つだ。うつ病と診断されて12年、診療所を転々とした。「いつまで薬を飲み続ければいいのか」。ロボの書き込みに目が留まり、取材を申し込んだ。

 東京都内の心療内科にかかったのは、企業のシステムエンジニアをしていた98年。不況のさなか、自殺者が3万人を初めて突破した年だ。深夜勤務が続き、不眠に悩んだ。医師は抗不安薬3種を処方した。不調を訴えると効き目の強い薬を次々に出され、7種類に増えた。緊張や不安は治まらない。持ち帰る薬の袋だけが膨らんだ。

 03年に千葉県へ引っ越し、診療所も転院した。待合室はいつも満席で2時間待ち。「調子はどう」「薬出しときます」。診察は1分で終わる。相談したいことがあっても医師は「大変だね」としか口にしない。

 欠勤が続き会社を解雇された。再就職活動でうつ病と打ち明けたことがある。「君、廃人だな」。不採用通知が届いた。2年後に就職できたシステム会社でもたびたび欠勤した。父は「ぜいたく病だ。明日から仕事に行け」と言う。行きたくても体が動かない。ため込んだ処方薬200錠を口に放り込んだ。目が覚めたのは、集中治療室から病棟に移った2日後だった。

 退院後、かかりつけの診療所の医師は「自殺を図るような患者はもう診ない」と告げた。医者なんて頼れない。処方せんさえもらえればいい。そう割り切り、診察を続けてもらえるよう頭を下げた。同じ病のネット仲間だけが支えだった。

  ◇   ◇

 04年春、関西に住む一つ年下の介護士の女性がサイトを訪ねてきた。ロボが自殺を図った日、同じことをして入院したという。うつ病になってからも激務が続き、一人病と闘っていた。「ここに来て友だちがいっぱいできたよ」。そう喜ぶ彼女と付き合い始め、東京で2回デートした。1年後、突然目の前から消えた。向精神薬を大量に飲んで意識が戻らなかった。

 女性が懸命に生きてきたことを知っていた。だから彼女の分まで生きようと思った。近所にできたクリニックを受診した。これまでと違う医師の助言を聞きたかった。女医は処方薬の多さに驚いた。長年服用した薬を急に切ると心身の負担が大きい。「少しずつ減薬していきましょう」。医師が話に耳を傾けてくれたのは初めてだった。4年たち、初めて薬を1錠だけ減らせた。

 私はロボが住む街を歩いた。駅前のあちこちに精神科診療所がある。処方薬を大量に飲んで救急搬送される患者が絶えない診療所があると聞いた。院長は取材に答えた。「他の病院で私の評判が悪いのは知っている。でもそれは、過量服薬するような患者をやっかい払いしないで、すべて受け入れているからだ。医者の哲学として。だから(治療に)失敗しても試行錯誤しながらやっている」

 この日診療所には200人以上が訪れた。その手に処方せんを握り、再び街に消えていく。医者も患者も出口の見えないあい路をさまよっているようだった。

 病んだ心を誰が救うのか。自殺者3万人時代。ロボもその一人になっていたかもしれない。

  ◇   ◇

 ロボのハローワーク通いは続く。気持ちが落ち込み、しばらくネットの更新を休んだ。目が覚めてカーテンを開けるとマンションの間に朝焼けが広がる。もう一度、元気に働きたい。

 「ロボ、大丈夫?」。久しぶりに開いたサイトに誰かの書き込みが並んでいた。【堀智行】

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 情報やご意見をメール(t.shakaibu@mainichi.co.jp)、ファクス(03・3212・0635)、手紙(〒100-8051毎日新聞社会部「こころを救う」係)でお寄せください。

毎日新聞 2010年6月24日 東京朝刊

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