きのうの続き。テクニカルな話なので菅首相にはわからないだろうけど、官邸スタッフには優秀な元同僚もいるので、彼へのメッセージとして書いておく。首相は所信表明で、こう言っている:
その後の十年間は、行き過ぎた市場原理主義に基づき、供給サイドに偏った、生産性重視の経済政策が進められてきました。これが「第二の道」です。この政策は、一企業の視点から見れば、妥当とも言えます。企業では大胆なリストラを断行して業績を回復すれば、立派な経営者として賞賛されるでしょう。しかし、国全体としてみれば、この政策によって多くの人が失業する中で、国民生活はさらに厳しくなり、デフレが深刻化しました。「企業は従業員をリストラできても、国は国民をリストラすることができない」のです。これは経済学部の学生ならみんな学ぶケインズ(正確にはサミュエルソン)の合成の誤謬(負の乗数効果)だが、ミクロ経済学と矛盾する。
価格理論によれば、リストラで労働が超過供給になると、その価格(賃金)が下がって需要が増え、均衡は回復されるはずだ。小野善康氏は「不完全雇用のもとでは価格調整が働かない」というが、経済学の普遍的な法則がなぜ不完全雇用になると働かないのか。そもそも実際の経済はつねに不完全雇用であり、失業率ゼロの国は存在しない。
合成の誤謬が成り立つためには、実は賃金も価格も変化しないという条件が必要である。これがケインズの(暗黙の)前提であり、それを明示的に数学モデルに組み込んだ不均衡理論が、私の学生のころには流行した。岩井克人氏や吉川洋氏などは、この世代だ(林文夫氏の卒業論文もClowerモデルの安定証明だった)。
しかし価格調整がまったく行なわれないという条件は不自然で、それが行なわれるとすると長期では新古典派と同一になる。これがLucas以降の「合理的予想」理論である。それを極端につきつめて、不況だろうと好況だろうと価格調整が瞬時に行なわれると想定したのがPrescottなどの「実物的景気循環」理論で、このバローの教科書はこうした新しい古典派の入門的な解説だ。
だから「需要か供給か」という菅首相の分類はナンセンスで、短期の数量調整と長期の価格調整のどっちを重視するかが問題である。すべてを数量調整で説明するのがカレツキの理論で、これはケインズより早く、数学的にも明快だ。すべてを価格調整で説明するのがプレスコットやバローで、ここではミクロとマクロの区別はまったくなくなる。
現在のマクロ経済学のスタンダードは両者の中間で、Mankiwの教科書に代表される「ニューケインジアン」である。ここでは短期的には価格の硬直性があって数量調整のほうが速いが、長期的には価格調整が行なわれると想定する。ここで重要なのは、短期と長期で別のメカニズムを想定せず、不況期に価格調整も行なわれると考えることだ。
したがってリストラは、雇用を減らす数量調整であると同時に、賃金を下げる価格調整でもあり、市場経済が成熟して後者が大きくなるほど「乗数効果」は小さくなる。現在の実証研究では、1940年代以降ずっと乗数は1以下だったという結果も出ており、ケインズ理論はもともと間違いだったのかもしれない。
大恐慌や2008年のアメリカのように金融仲介機能が崩壊したときは別として、通常の景気循環の中では価格調整は働いていると考えるのが妥当で、今の日本で「合成の誤謬」は起こりえない。「国は国民をリストラできない」などというバカな話はやめて、まず価格調整がスムーズに行なわれる環境をつくるのが政府の仕事である。「構造改革」とは、理論的にいえばそういうことだ。
合成の誤謬が成り立つためには、実は賃金も価格も変化しないという条件が必要である。これがケインズの(暗黙の)前提であり、それを明示的に数学モデルに組み込んだ不均衡理論が、私の学生のころには流行した。岩井克人氏や吉川洋氏などは、この世代だ(林文夫氏の卒業論文もClowerモデルの安定証明だった)。
しかし価格調整がまったく行なわれないという条件は不自然で、それが行なわれるとすると長期では新古典派と同一になる。これがLucas以降の「合理的予想」理論である。それを極端につきつめて、不況だろうと好況だろうと価格調整が瞬時に行なわれると想定したのがPrescottなどの「実物的景気循環」理論で、このバローの教科書はこうした新しい古典派の入門的な解説だ。
だから「需要か供給か」という菅首相の分類はナンセンスで、短期の数量調整と長期の価格調整のどっちを重視するかが問題である。すべてを数量調整で説明するのがカレツキの理論で、これはケインズより早く、数学的にも明快だ。すべてを価格調整で説明するのがプレスコットやバローで、ここではミクロとマクロの区別はまったくなくなる。
現在のマクロ経済学のスタンダードは両者の中間で、Mankiwの教科書に代表される「ニューケインジアン」である。ここでは短期的には価格の硬直性があって数量調整のほうが速いが、長期的には価格調整が行なわれると想定する。ここで重要なのは、短期と長期で別のメカニズムを想定せず、不況期に価格調整も行なわれると考えることだ。
したがってリストラは、雇用を減らす数量調整であると同時に、賃金を下げる価格調整でもあり、市場経済が成熟して後者が大きくなるほど「乗数効果」は小さくなる。現在の実証研究では、1940年代以降ずっと乗数は1以下だったという結果も出ており、ケインズ理論はもともと間違いだったのかもしれない。
大恐慌や2008年のアメリカのように金融仲介機能が崩壊したときは別として、通常の景気循環の中では価格調整は働いていると考えるのが妥当で、今の日本で「合成の誤謬」は起こりえない。「国は国民をリストラできない」などというバカな話はやめて、まず価格調整がスムーズに行なわれる環境をつくるのが政府の仕事である。「構造改革」とは、理論的にいえばそういうことだ。
コメント一覧
Mankiwの教科書で勉強していたら理解できるでしょうが、菅さんや今の経済閣僚には、池田氏の丁寧な解説もチンプンカンプンだとおもいます。もし理解できていたら「国は国民をリストラできない」なんて所信演説で言いませんよ。私は小泉氏の構造改革に対して民主党は政治的に反対してきただけだと思っていたのですが、どうも思想的にも反対のようですね。完全雇用を目指す共産党に近い気がしてきました。
菅氏の党代表就任時のエントリで私は、「菅氏は日産がリストラせずにJALのようになってもよかったと考えてるのだろうか?」とコメントしました。なので今回は敢えて菅氏の発言を私なりに少しでも共感できそうな文脈で捉え直してみると・・・
日産がゴーン革命と呼ばれたほどの大規模な人員整理を伴なうリストラで企業として延命に成功した割には、その後の10年間、トヨタのプリウスやホンダのフィットやインサイトのような市場や周辺産業にグッドインパクトを与えるようなヒット商品をほとんど出せていないこと。(中国市場では強いそうですが)
そのくせ、ゴーン氏がリストラの立役者として巨額の役員報酬を受け取っていることに対して感覚的な理不尽さを感じる・・などといったことなどが思い浮かびます。
巨額の役員報酬については、ソニーや資生堂などが開示にふみ切って物議を醸していますが、もちろん税金を投入されていない企業の経営者がどんだけの報酬をとろうと政府がとやかく言う筋のものではなく、株主によるガバナンスの問題なのでしょうが、経済主体としての企業の利益分配のあり方に対する問題提起として首相の発言を捉えるなら経済界も耳を傾ける価値はゼロではないのではないか?・・・などと思ったのですが、やっぱり苦しいかなあ(笑
短期と長期で別のメカニズムを想定しないというのは、とてもシンプルでよい説明の方法だと思うのですが、実際には均衡に至るまでの速度がどの程度のオーダーで違うのかを定量的に知る必要があります。収束速度のオーダーが全然違えば、同じメカニズムでも政策的な対処方法はまったく異ってくるはずです。このあたりの定量的な研究はあるのでしょうか?
確かに実感として分かるお話ですね。
現在の日本のように社会的、法律的な雇用の硬直性があると企業は素早く労働力需給の適性化が出来ない、また経験的な景気循環予測もありリストラより内部留保を取り崩して数量減少に対応しようとするでしょうから、短期的には価格は維持される。
しかし長期的にはリストラして価格を下げ均衡させるしかないですよね。
また時間があれば労働生産性の向上で価格下落に対応できますし、結果的にリストラは企業を強くするはずですね。
労働力もジャストインタイムで供給出来れば日本の企業の生産性はあがり競争力が高まるわけですね。
それによる労働者の生活の不安定化にはベーシック・インカムで対応すればよい。
ここ数日の池田先生のエントリーは一貫性があったわけですね。
構造改革とは経営の適性化を素早く可能にする環境作りという事ですよね。
全くわたしと同じ意見ですね。
まぁ池田先生のブログで勉強しているわけだから当然の帰結ですが。
しかしだとしたら管政権は日本の競争力を落とす事はあっても向上させる事がない有害な存在ですね。
バローさんのエッセイは読んだことがあるのですが、素晴らしかったと記憶しています。
しかし素人目に不思議なのは、経済学でいう短期というのはどこまでのことをいうのか?25年30年とこの先不均衡が続いていったとしてその時にどんな事態が発生するのか?という辺りですね。もういい加減にしろというのが率直な感想ですが。
たとえ低賃金でも、それぞれの分野でやりがいを感じ額に汗し、現場でいろいろ頭を使って頑張っている人たちの気をおかしくさせるような、そんな安易な保護政策には、やっぱり私は反対ですね。むしろ失業の際の保障などで、企業の人員整理、あるいは非雇用者の再チャレンジがしやすいような、そういった方面の支出には賛成できますが。
新政権のいう成長分野(笑)、医療・介護業界といえば、同業種内でしょうが、かなり離職率が高いほうだと思います。それでもやはり自己都合のケースに限られますので、出来る人ほど職を点々としているような?そんな印象もありますね。会社が、どうしようもない人材をうっかり採用してしまいクビにできず・・・というケースは多いみたいです。解雇規制の撤廃というのはかなり現場の生産性を上げるような気もします。
もしかして菅さんが言いたいのは、
「失業者が増加すると生活保護など社会保障のコストも増加して、やがて増税になるから企業がリストラして利益が上がっても、法人税が上がるので意味がないですよ」
ということなんだろうか。
しかし菅さんは理系出身のようだけど、言動は文系タイプのように見える。
>菅さんは理系出身のようだけど、言動は文系タイプのように見える。
かつて私の周りには理系出身がその専門性を活かして本業の職についたものの、期待はずれに終り、やむなく文系・管理系の職場に配転させられたことが多々ありました。
菅氏も理系の能力が元々なかったのか?あるいは適性を欠いていたのかも知れませんね。
一方鳩山前首相はどうなのでしょう?
菅氏の話法を逆用して、「小泉改革は労働力の有効活用の視点がない無意味な規制緩和だった。『第3の道』として労働力の成長分野への移行を促す『よい規制緩和』をやるべきだ。」と主張してはどうでしょうか?
≫経済主体としての企業の利益分配のあり方に対する問題提起として首相の発言を捉えるなら経済界も耳を傾ける価値はゼロではないのではないか?・・・などと思ったのですが、やっぱり苦しいかなあ(笑
冗談に噛み付くのではないですが、今日の日産の総会後のゴーン社長の記者会見の話に、自分の報酬に言及しているシーンが日経にでていますが、この国はとうとうあからさまのやっかみと嫉妬を公言する国になったのでしょうね。
その会見でゴーン氏は、日産は日本では珍しいグローバルスタンダードの企業で、92の職種のトップの40%は、日本人でない人が就いていると言ってました。
詰まらない亀が作ったらしいですが、経営陣の報酬が1億を超えたら公表すると言うルールは、外人経営者の排除の為の法律なんでしょうね。
日本企業の役員会で英語でやっている会社はどれぐらいあるのでしょうか。あのトヨタが、27人の役員全員が日本人で役員会は日本語でやっているそうです。外国での販売比率は、半分を超えているのに、攘夷思想から抜けられないのでしょうか。
安い報酬で、会社をジリ貧にしか出来ない日本人経営者が多すぎますよね。年10億で、V字回復や、発展できるのなら安いものですよ。経営者をどんどん輸入した方が当面はいいことがあるのではないでしょうか。ついでに、政治家も輸入したらどうでしょうか。志のない政治家が多すぎますから。
>> 一方鳩山前首相はどうなのでしょう?
理系には見えないですね。
言われて考えてみると、逆に理系っぽい政治家は誰かと思いめぐらせてみると、思いつけなかったです。
理系の人は政治家に向かないのか・・
竹中さんは理系あるいは学者っぽく見えたけど辞めちゃったし。
経営能力を、ましてや施政者が評価できないとは・・・。
新しい道化の政権来たれり、ですね。
青色ダイオードの訴訟の時は「報酬は当然」という
論調の癖に、こと「経営」「金融」になると
親の敵のように・・・。
この理屈だと、企業にも属さず金儲けも期待しない
「発明おじさん」のものづくり精神が一番、この国で
尊いという結論になる。
全く通俗的過ぎる。