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アンドロイドの片腕 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2006-11-15

小山田圭吾における人間の研究

ミュージシャンのコーネリアスこと、小山田圭吾ですけど。

雑誌のインタービューによりますと、彼は、和光大学付属の小・中・高校時代に、いじめる側の生徒だったようです。

ロッキンオン・ジャパン」(1994年1月号)小山田圭吾2万字インタビューによると、

「あとやっぱりうちはいじめがほんとすごかったなあ」

■でも、いじめた方だって言ったじゃん。

「うん。いじめてた。けっこう今考えるとほんとすっごいヒドイことしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)だって、けっこうほんとキツイことしてたよ」

■やっちゃいけないことを。

「うん。もう人の道に反してること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを食わしたりさ。ウンコ食わした上にバックドロップしたりさ」

とのこと。

このインタビューを読んだ村上清というライターが、その後、雑誌『クイック・ジャパン』vol. 3号(1995年8月)にて、「村上清のいじめ紀行」という記事を書きます。

記事によれば、”いじめってエンターテイメント”ということらしく、

いじめた側の人がその後どんな大人になったか、

いじめられた側の人がその後どうやっていじめを切り抜けて生き残ったのか、

という興味から、いじめた人と、いじめられた人との対談を企画します。しかしこの対談は実現せず、小山田圭吾への個人インタビューとなります。

以下は、すべてこの雑誌に掲載された、小山田圭吾の発言です。(四角で囲ってある部分)

【沢田さん(仮名)のこと】


沢田って奴がいて。こいつはかなりエポック・メーキングな男で、転向してきたんですよ、小学校二年生ぐらいの時に。それはもう、学校中に衝撃が走って(笑)。だって、転校してきて自己紹介とかするじゃないですか、もういきなり(言語障害っぽい口調で)「サワダです」とか言ってさ、「うわ、すごい!」ってなるじゃないですか。で、転校してきた初日に、ウンコしたんだ。なんか学校でウンコするとかいうのは小学生にとっては重罪だってのはあるじゃないですか?

だから、何かほら、「ロボコン」でいう「ロボパー」が転校してきたようなもんですよ。(笑)。で、みんなとかやっぱ、そういうの慣れてないから、かなりびっくりするじゃないですか。で、名前はもう一瞬にして知れ渡って、凄い奴が来たって(笑)、ある意味、スターですよ。

段ボール箱とかがあって、そん中に沢田を入れて、全部グルグルにガムテープで縛って、空気穴みたいなの開けて(笑)、「おい、沢田、大丈夫か?」とか言うと、「ダイジョブ…」とか言ってんの(笑)そこに黒板消しとかで、「毒ガス攻撃だ!」ってパタパタやって、しばらく放っといたりして、時間経ってくると、何にも反応しなくなったりとかして、「ヤバいね」「どうしようか」とか言って、「じゃ、ここでガムテープだけ外して、部屋の側から見ていよう」って外して見てたら、いきなりバリバリ出てきて、何て言ったのかな…?何かすごく面白いこと言ったんですよ。……超ワケ分かんない、「おかあさ〜ん」とかなんか、そんなこと言ったんですよ(笑)それでみんな大爆笑とかしたりして。

【高校時代】

ジャージになると、みんな脱がしてさ、でも、チンポ出すことなんて、別にこいつにとって何でもないことだからさ、チンポ出したままウロウロしているんだけど。だけど、こいつチンポがデッカくてさ、小学校の時からそうなんだけど、高校ぐらいになるともう、さらにデカさが増しててさ(笑)女の子とか反応するじゃないですか。だから、みんなわざと脱がしてさ、廊下とか歩かせたりして。

こういう障害がある人とかって言うのは、なぜか図書室にたまるんですよ。図書室っていうのが、もう一大テーマパークって感じで(笑)しかもウチの学年だけじゃなくて、全学年のそういう奴のなぜか、拠り所になってて、きっと逃げ場所なんだけど、そん中での社会っていうのがまたあって、さっき言った長谷川君っていう超ハードコアなおかしい人が、一コ上で一番凄いから、イニシアチブを取ってね、みんなそいつのことをちょっと恐れてる。そいつには相棒がいて。耳が聞こえない奴で、すっごい背がちっちゃいのね。何か南米人とハーフみたいな顔をしてて、色が真っ黒で、そいつら二人でコンビなのね。ウチの学年のそういう奴にも威張ってたりとかするの。

何かたまに、そういうのを「みんなで見に行こう」「休み時間は何やってるのか?」とか言ってさ。そういうのを好きなのは、僕とかを含めて三、四人ぐらいだったけど、見に行ったりすると、そいつらの間で相撲が流行っててさ(笑)。図書館の前に、土俵みたいなのがあって、相撲してるのね。

太鼓クラブとかは、もうそうだったのね。体育倉庫みたいなことろでやってたの、クラブ自体が。だから、いろんなものが置いてあるんですよ、使えるものが。だから、マットレス巻きにして殺しちゃった事件とかあったじゃないですか、そんなことやってたし、跳び箱の中に入れたりとか。小道具には事欠かなくて、マットの上からジャンピング・ニーパットやったりとかさー。あれはヤバイよね、きっとね(笑)

【いじめられっこの二人目、村田さん(仮名)】

村田は、小学生の頃からいたんですよ。こいつはちょっとおかしいってのも分かってたし。だけど違うクラスだったから接触する機会がなかったんだけど、中学に入ると、同じクラスになったから。で、さまざまな奇行をするわけですよ。村田っていうのは、わりと境界線上にいる男で、やっぱ頭が病気でおかしいんだか、ただバカなんだか、というのが凄い分りにくい奴で、体なんかもちっちゃくて、それでこいつは沢田とは逆に癇癪が内にむかうタイプで、いじめられたりすると、立ち向かってくるんじゃなくて、自分で頭とかを壁とかにガンガンぶつけて、「畜生、畜生!」とか言って(笑)、ホントにマンガみたいなの。それやられるとみんなビビッて、引いちゃうの。「あの人、やばいよ」って。

お風呂に入らないんですよ、こいつは(笑)まず、臭いし、髪の毛がかゆいみたいで、コリコリ頭掻いてるんですよ。何か髪の毛を一本一本抜いていくの。それで、10円ハゲみたくなっちゃって、そこだけボコッとハゲてルックス的に凄くて。勉強とか全然できないし、運動とかもやっぱ、全然できないし。

村田は、別に誰にも相手にされてなかったんだけど、いきなりガムをたくさん持ってきて、何かみんなに配りだして。「何で、あいつ、あんなにガム持ってるんだ? 調べよう」ってことになって、呼び出してさ、「お前、何でそんなにガム持ってるの?」って聞いたら、「買ったんだ」とか言っててさ。三日間ぐらい、そういう凄い羽振りのいい時期があって。そんで付いて行って、いろんなもん買わせたりして。

そんで、三日間くらいしたら、ここに青タン作って学校に来て。「おまえ、どうしたの?」とかきいたら、「親にブン殴られた」とか言ってて(笑)。親の財布から十五万円盗んだんだって。でも何に使っていいか分かんないから、ガム買ったりとかそういうことやって(笑)。だから、そいつにしてみればその三日間っていうのはね、人気があった時代なんですよ。十五万円で人が集まってきて。かなりバカにされて、「買えよ」って言われてるだけなのに。

【中三の時の修学旅行

(小山田は、村田君と、留年した一歳上の先輩と同じ班になる)

ウチの班で布団バ〜ッとひいちゃったりするじゃない。するとさ、プロレス技やったりするじゃないですか。たとえばバックドロップだとかって普通できないじゃないですか? だけどそいつ(注・村田君)軽いからさ、楽勝でできんですよ。ブレンバスターとかさ(笑)。それがなんか盛り上がっちゃってて。みんなでそいつにプロレス技なんかかけちゃってて。おもしろいように決まるから「もう一回やらして」とか言って。

それは別にいじめてる感じじゃなかったんだけど。ま、いじめてるんだけど(笑)。いちおう、そいつにお願いする形にして、「バックドロップやらして」なんて言って(笑)、”ガ〜ン!”とかやってたんだけど。

で、そこになんか先輩が現れちゃって。その人はなんか勘違いしちゃってるみたいでさ、限度知らないタイプっていうかさ。なんか洗濯紐でグルグル縛りに入っちゃってさ。「オナニーしろ」とか言っちゃって。「オマエ、誰が好きなんだ」とかさ(笑)。そいつとか正座でさ。なんかその先輩が先頭に立っちゃって。なんかそこまで行っちゃうと僕とか引いちゃうっていうか。だけど、そこでもまだ行けちゃってるような奴なんかもいたりして。そうすると、僕なんか奇妙な立場になっちゃうというか。おもしろがれる線までっていうのは、おもしろがれるんだけど。「ここはヤバイよな」っていうラインとかっていうのが、人それぞれだと思うんだけど、その人の場合だとかなりハードコアまで行ってて。「オマエ、誰が好きなんだ」とか言って。「別に…」なんか言ってると、バーン!とかひっぱたいたりとかして、「おお、怖え〜」とか思ったりして(笑)。「松岡さん(仮名)が好きです」とか言って(笑)。「じゃ、オナニーしろ」とか言って。「松岡さ〜ん」とか言っちゃって。

小山田の発言から、うかがえるように、いじめられているのは、何らかの障害のある生徒ですね。

黒柳徹子の『窓ぎわのトットちゃん』には、障害のある子供と、トットちゃんの、心温まる交流が描かれていましたが、

現実とは、こういうものかも知れません。

和光大学付属というのは、障害児教育に熱心な学校のように思いましたが、表に出てくるのは美しき理想ばかりで、実際はクソガキどもの、おろかな偏見を取り除くこともできず、そういう意味ではこの記事は、障害児教育を考え直す貴重な資料となるでしょう。

再び、小山田の発言からの引用を続けます。

他だったら特殊学校にいるような子が普通クラスにいたし。私立だから変わってて。僕、小学校の時からダウン症って言葉、知ってたもん。学校の裏に養護学校みたいなのがあるんですよ。町田の方の田舎だから、まだ畑とか残ってて。それで、高校の時とか、休み時間にみんなで外にタバコ吸いにいったりするじゃないですか。で、だいたいみんな行く裏山があって。

タバコ吸ってたり、ボーッとしてたりなんかするとさ、マラソンしてるんですよ、その養護学校の人が。で、ジャージ着てさ、男は紺のジャージで、女はエンジのジャージで、なんか走ってるんですよ。で、ダウン症なんですよ。

「あ、ダウン症の人が走ってんなあ」なんて言ってタバコ吸ってて。するともう一人さ、ダウン症の人が来るんだけど、ダウン症の人ってみんな同じ顔じゃないですか?

「あれ? さっきあの人通ったっけ?」なんて言ってさ(笑)。ちょっとデカかったりするんですよ、さっきの奴より。次、今度はエンジの服着たダウン症の人がトットットとか走っていって、「あれ? これ女?」とか言ったりして(笑)。最後10人とか、みんな同じ顔の奴が、デッカイのやらちっちゃいのやらがダァ〜って走って来て。「すっげー」なんて言っちゃって(笑)

こういうことを、悪びれることもなく、しゃべる、小山田圭吾という人物の、品性とは何か。

と、思うわけでございますが、

性格破綻者の、芸術家というものは、たしかに存在するだろうが、

私生活がどうであれ、アーチストにとって作品がすべてだという

そういう考えも、一応は了解しますが。

本当にそうなのだろうか。

こういう人物が作る音楽が、本当に、人を感動させることがあるのだろうか。

それでも彼の音楽が、多くの人を感動させているのだとするなら、

そもそも、音楽とは何か? 芸術とは何か?

ということを、おれは、問うてみたいわけで、ございます。

記事には、いじめられた人たちの、その後が載っています。村上清というライターは、わざわざ彼らの家庭にまで、取材しています。

村田さんの家に電話する。お母さんが出た。聞けば、村田さんは現在はパチンコ屋の住み込み店員をやっているという。高校は和光を離れて定時制に。

お母さん「中学時代は正直いって自殺も考えましたよ。でも、親子で話し合って解決していって。ウチの子にもいじめられる個性みたいなものはありましたから。小山田君も元気でやっているみたいだし」

住み込みの村田さんは家族とも連絡が取れないらしい。パチンコ屋の電話番号は、何度尋ねても教えて貰えず、最後は途中で電話を切られた。

沢田さんに電話してもお母さんが出た。電話だけだとラチが開かないので、アポなしでの最寄り駅から電話。「今近くまで来てるんですが……」田園調布でも有数の邸宅で、沢田さんと直接会うことができた。

お母さんによれば、”学習障害”だという。家族とも「うん」「そう」程度の会話しかしない。現在は、週に二回近くの保健所書道や陶器の教室に通う。社会復帰はしていない。

お母さん「卒業してから、ひどくなったんですよ。家の中で知ってる人にばかり囲まれているから。小山田君とは、仲良くやってたと思ってましたけど」

この企画の意図は、

いじめられた側の人が

その後どうやっていじめを切り抜けて生き残ったのか

ということらしいけど、誰一人、「いじめを切り抜けて」なんかいません。

村田さんの消息を聞かされた、小山田は、

「でもパチンコ屋の店員って、すっげー合ってるような気がするな」

と、語っております。

ラストでの、小山田とライターとの対談から引用します。

■もし対談できてたら、何話してますか?

「別に、話す事ないッスけどねえ(笑)。でも分かんないけど、今とか会っても、ぜったい昔みたいに話しちゃうような気がするなあ。なんか分かんないけど。別にいじめるとかはないと思うけど。『今何やってんの?』みたいな(笑)。『パチンコ屋でバイトやってんの?』なんて(笑)、『玉拾ってんの?』とか(笑)。きっと、そうなっちゃうと思うんだけど」

■やっぱ、できることなら会わないで済ましたい?

「僕が? 村田とは別に会いたいとは思わないけど。会ったら会ったでおもしろいかなとは思う。沢田に会いたいな、僕」

■特に顔も会わせたくないっていう人は、いない訳ですね?

「どうなんだろうなあ? これって、僕って、いじめてるほうなのかなあ?」

■その区別って曖昧です。

「だから自分じゃ分かんないっていうか。『これは果たしていじめなのか?』っていう。確かにヒドイことはしたし」

■やましいかどうかっていう結論は、自分の中では出てない?

「うーん……。でも、みんなこんな感じなのかもしれないな、なんて思うしね。いじめてる人って。僕なんか、全然、こう悪びれずに話しちゃたりするもんねえ」

■ええ。僕も聞きながら笑ってるし。

【追記】

これは私がやっていた旧ブログの中でもっとも反響のあった記事である。内容は雑誌『クイック・ジャパン』3号(太田出版)掲載の小山田圭吾インタービューを紹介したものである。

べつに知られざる逸話や稀古書の発掘というものでもないし、この雑誌はそこそこ売れていて現在も入手可能であるから、なぜこんなに反響があるのか不思議に思っていた。小山田圭吾のファンなら当然このインタビューを知っていて、彼がこういう人格であることを知ったうえで、なおかつ彼の音楽を愛聴しているものだと考えていたからである。であるから、マスコミが「渋谷系」などといい、おしゃれで知的な音楽というイメージを振りまくのを私はずっと冷笑してきた。

世の中には、自分の悪趣味や鬼畜ぶりを誇示したい人間もいるらしく、旧ブログには、小山田を擁護するコメントが多く寄せられた。また私もできる限りそれに応答してきたので、旧ブログのコメント欄を参照してもらいたい。

しかし書き込みをする敵の数は多いがおしなべて知的レベルが低いのであまり実のある議論とはなっていない。

教養もないくせにプライドだけは高い者ほど、芸術や音楽について訳知り顔に語りたいらしい。しかも「感性」だの「センス」だのと言えば、こちらが恐れ入ると思っているのだから始末が悪い。

私はなにも高尚な芸術談義をするために、この記事を書いたのではない。私はただ当たり前のことを述べているだけである。それさえ理解できないというのは、相手の知的レベルの問題だけではなく、本質的にはおそらく芸術観、人間観のちがいであろう。彼らには、音楽よりも大切なものがある、ということさえ理解できないのだ。

最後に、G・K・チェスタトンの言葉を引用しておく。

平凡なことは非凡なことよりも価値がある。

いや、平凡なことのほうが非凡なことよりもよほど非凡なのである。

人間そのもののほうが個々の人間よりはるかにわれわれの畏怖を引き起こす。

権力や知力や芸術や、あるいは文明というものの脅威よりも、人間性そのものの奇蹟のほうが常に力強くわれわれの心を打つはずである。

あるがままの、二本脚のただの人間のほうが、どんな音楽よりも感動で心をゆすり、どんなカリカチュアよりも驚きで心を躍らせるはずなのだ。


G・K・チェスタトン『正統とは何か』(春秋社・73ページ)安西徹雄

つむぎつむぎ 2009/05/10 03:22 はじめまして。
こんな事を言うと非難の対象になりそうですが、どうしても彼の顔がいじめる側のそれとは思えないんです。まともな人が聞くと嫌悪感を抱きそうな事を適当にでっち上げ、自分をエキセントリックに装うつもりだったのではないでしょうか。いずれにせよ、品性のかけらもないハナクソ野郎には違いありませんけど。
元々、奴の音楽なんてこれっぽっちも認めていませんでしたが、もう完全にナシですね。あんなの聴いている人って、ちょっと音楽を知らなさ過ぎなんじゃないですか。別に独創的でもなんでもないです。発想力がないもんだから、いろんな音楽を無節操にパクってきて薄っぺらーく焼き直しているだけです。探せば似たようなのいくらでもありますよ。ファンだとか言う人は、本当にあれで心が動かされたりするんでしょうか。もしそうなら、驚異的な感性をお持ちなんでしょうね。
虐げられる者の気持ちを慮る想像力もなく、弱い立場の存在を侮辱するという下劣な行為に対する良心の呵責も一切見られない程、感受性の乏しい人間に人の心を揺さぶる音楽が作れる筈がありません。

LMLM 2009/05/16 09:22 書き込み者を敵呼ばわりしたり、知性が低いなどと感情的になってはいけません。
それはもう議論ではありませんよ…
そのように煽ってくる方もいますが、レベルを合わせていては駄目です。

結論は人それぞれとしか言いようがありませんね。
それでも好きな人は好き。嫌いな人は嫌い。誰にも否定はできません。
確かなことはそれだけですね。

nyny 2009/05/18 21:25 特に小山田さんもコーネリアスもフリッパーズギターも好きではありませんが、管理人さん及びh.tさんはことをしたことがないのでしょうか。

身体的に傷つける等のいじめだけのことだけでなく、精神的にも。
いじめられている人を、その状況を無視したこともないのでしょうか。
障害者の方がいたらどのように接しているのでしょうか。

私は昔いじめられていた経験があるので、いじめは良くないと思っています。
もちろん、小山田さんがしていたことを擁護する気持ちはさらさらありません。
いじめられていた私ですが、それでもやはり障害者の方とどのように接すればよいのかわかりません。
なので、逆に、いじめを批判する方がどのような姿勢でいるのかをするのかお聞きしたいと思い、コメントを書かせていただきました。

音楽論とはかけ離れたコメントで申し訳ありません。

denpatirodenpatiro 2009/05/18 22:45 >LMさん

この記事を読んで、ファンをやめたという人もいますから、「好きな人は好き」という感情もそれほど確かだとは思えません。好きとか嫌いという非論理的なことを、議論でどうこうするのはナンセンスなので、むしろ相手の感情に訴えたほうが得策かなと、そんなことを最近は考えます。

denpatirodenpatiro 2009/05/19 00:12 >nyさん

障害者との接し方といっても、健常者と同じでいいのはないか、と私は思います。それぞれ個性があって、性格もちがうし、自分と相性が合う人も合わない人もいると思います。きらいな人や苦手な人と、無理して付き合う必要はない、と私は考えています。ただし、ハンデを抱えている人には、思いやりを持って接する必要があるのではないか、と私は考えています。
しかし障害者の問題に関して、私はくわしくないので、本などで得た知識と感想しか書けません。だからあまり参考にならないと思います。
もっとちゃんとした答えを求めているのなら、福祉関係の専門家とか障害者自身におたずねください。
小説や映画に出てくる障害者は美化されていて、けしからんと怒る人もいますが、それのどこが悪いのか、私にはわかりません。
いじめに関する私の考えは、旧ブログのコメントにいろいろ書いているので、そちらを読んでくれたものと思います。
ただし、私は、復讐とか報復とか「目には目を」というのを正しいと考えているんですが、だからといってそういう考えが世の中に受け入れられるとは思っていません。世の中では間違っているとされる考えでも、私は正しいと信じる考えがあって、そういうものが私という人間を作っています。
だからnyさんも、自分が正しいと信じることがあれば、そういう考えを大事にすればいいのではないかと思います。答えになっていないかもしれませんが、そんなことを思います。

t.ht.h 2009/06/18 05:29 ご無沙汰しています。
最近、たまたま目にしたコーネリアスの記事に、小山田の最近の変わらない品性?を垣間見たので、久々に覗きに来た次第です。
雑誌名忘れちゃいましたが。たしかm-floが表紙で。
(現在も渋谷タワレコあたりで売っていると思います)

書いてあったことは、確か、合わせ鏡を利用したコラージュ?写真の寸評で。
自分の子供をそれに写したものに対して。

うちの子供は、ブラックジャックに出てくる、シャム双生児みたいだな、という発言。

引用するなら、雑誌、買えばよかったです(笑)


こういうコメントは、まあ賛否両論あるかもしれないかもしれませんが。
僕は、ただ嫌悪感しか持ちませんね。

彼は、子供を養うような立場になっても、おそらく彼の品性は変わらぬまま。
というか、普通に、他人に対しての思いやりを侍る想像力があれば、あんな言葉は出てこないと思いますけどねえ。

t.ht.h 2009/06/18 05:51 nyさん

大変遅くなってすいません。
僕も、管理人さんとほぼ同意見です。
特に、いじめた人間には、「目には目を」というのは、いじめた人間が、自分がどういうことをしたのかを身をもって知れる、一番効果的な方法、として、今のところ、ある意味有効だとも思っています。

話は脱線するかもしれませんが、人間社会というものは、いつもなにか・・・あらゆる問題を抱えています。
新旧問わず、普遍的に。陰謀論、なんてのを含めると、たちまちに無限大になることでしょう。
なにをあたりまえのことを?なんですが、僕自身も、人間関係に関しては、解決の出来ない問題ばかり抱えて四苦八苦している日々です。
基本、大未熟者なんですが、自分の気持ちに正直にありたい、それがまず、いろいろな物事に相対する自身の基本姿勢かなあ、と考える今日この頃です。
なにか、ホントに脱線してしまってすいません(^^;

denpatirodenpatiro 2009/07/01 11:51 >nyさん

「障害者の方とどのように接すればよいのかわかりません」ということですが、参考までに、山本おさむ『どんぐりの家』というマンガがあります。いいマンガだと思うので、読んでみてはいかがでしょうか。

pocopoco 2009/07/02 23:15 はじめまして。
ひょんなことからこちらの過去ブログを拝見し、ここまできました。
特に小山田氏ファンでもなんでもありません。

>管理人さん及びh.tさんはことをしたことがないのでしょうか。

という書き込み文を読んで感じたこと。
私は小学校中学校といじめられていたこともありましたが、じゃあ逆の立場になったことが一切ないかと問われたら、否、と答えるしかないです。
小山田氏の発言(自体ではなく)内容がもし事実だとして、小山田氏のような明らかにひどいものではないにしろ、皆と一緒にからかったり馬鹿にする態度をとったことが小学生の頃にはあったと記憶しております。
からかう程度ならば「子供の頃にはよくある事・・・」で済ませられるとは思いません。どのレベルが当人にとって深く傷つく行為であるかなんて、他人にはわかりませんし。そういう意味では私も小山田氏と同罪と言えます。

百歩譲って(内容が事実であれば百歩ではききませんが)小山田氏や私みたいな子の行為が、あくまで幼さからくる「人と違う子をからかって面白がる子供ゆえの残酷さ」でしかなかったと片付けたとしても、少なくとも私はそれを小山田氏のようにおおっぴらに自慢でもするように発言は出来ないし、したくはない。
恥ずべき過去な筈でしょう・・・そういったニュアンスを引用文からは感じない。

ですから
>管理人さん及びh.tさんはことをしたことがないのでしょうか。
この主語を私自身に置き換えて自らに問うたとすると、「(レベルはどうあれ)したことあるけど、そんなことをこんな風に話せる人には嫌悪を抱くし、加害者の経験がある私にはその資格がないのか?」と思い、コメントするに至りました。

yukiharayukihara 2009/08/10 13:54 他人をいじめていた事を全く悪いと思っていないか、
自分が悪い事をしていたというのを余程認めたくないか
どちらにしても、社会人になるまで咎められなかったんでしょうね。

めたるめたる 2009/08/18 04:34 はじめまして。某動画サイトで「小山田圭吾は許さない」のコメントから過去ブログを見てここまで来ました。
自分も小山田圭吾に何も関心が無い一人なのですが、関心がなくても知っているのでそれなりに知名度はあるのでしょうね。
小山田圭吾の音楽は聴いたことがないのですが、これから聞きたいとも思わなくなりました。
もし小山田圭吾ファンの方でもこの事実を知ってもなおファンであり続けるなら自分には理解しがたいですね。
自分の考えとして知らなければそれでいい(無責任かもしれないが・・)と言う気持ちがあり、その作品を聞いた最初の気持ちを大事にしたいからです。
ですから、小山田圭吾、コーネリアス、フリッパーズギターのファンであることは構わない。しかしこの事実を知った上でもまだファンであり続けるのはいかがなものでしょう?
ですから「プライベートなんて知りたくもない」この一言に尽きると思います。
小山田氏のした行為は許されるものではないですが、その記事を載せた雑誌にも当然非はあると思います。
そんな記事を読んでいったい誰が面白いと思えるのか。問題発言だと誰も思わなかったのか?不思議でしょうがありません。
(その記事でも十分緩和されてる可能性も捨て切れませんが・・・)
人間誰でも多かれ少なかれしたことされたことがあると思いますが、それを堂々と笑いながらましてやしたほうの事を恥ずかしげもなくしゃべる事の出来る人間が自分には理解できません。そしてそれを載せてしまう雑誌も理解できません。
いったいこのインタビューで誰が幸せになれるのでしょうか?誰も得するように思えませんが。

最後に小山田氏および雑誌記者この二人にもう少し常識というものが備わっていれば・・・・残念でしょうがありません。
長文・駄文ですいません。

t.ht.h 2009/08/26 06:51 こんにちは、また、久々に覗せてもらっています。

LMさん含め、こちらで「人それぞれ、考え方がある」と結論付けている方へ。

僕は、人それぞれ、という考えは、断じて承服しかねますね。

そういうことでは、極端かもしれませんが、くだらない、スパム?レベルの意見も認めることになるからです。

そして、そういった意見に関わることは、けっしてそのレベルに陥るものではありません。

過去ログで、僕も多少関わった、tp.cat氏のグラミー賞うんぬんという、スパム?レベルのコメントがあります。
氏は、かつて、自分の書き込みが消されたことを管理人さんに問いました。

そして、管理人さんは、それにコメントし、残った書き込みに僕もコメントしました。


結果的に、やっぱり消した方がいい書き込みだったと、白日の下に晒されたワケです(笑)

管理人さんもおっしゃっていますが、こういう問題に中立、などという立場はありえません。
中立という言葉は、聞こえはいいですが、要するに無責任な立場に逃げている、ということです。

最初は、間違った?考えで、書き込みをしたとしても、それに対し、たしなめられたとして、ただ自分のくだらないプライドで考えを改められないことの方が、よほど「感情的」と思います。

naginagi 2009/10/07 20:03 はじめまして。
ちょっと思うところがありましたので書き込みをさせて頂きます。

thさんへ
>僕は、人それぞれ、という考えは、断じて承服しかねますね。
>そういうことでは、極端かもしれませんが、くだらない、スパム?レベルの意見も認めることになるからです。

私は今までの書き込みなどを見ていて、やはり「人それぞれ考え方はある」という結論に至りました。
スパムレベルの書き込み、極端に例えると
「イジメ?なんか問題があるの?いい音楽だからいいじゃん、なんか嫉妬でもしてんの?」
みたいなコメントでしょうか
そんな書き込みがあったとしても、それは一個人の意見です。

管理人さんやthさんが考えることと、上の低俗に見える意見も、人それぞれの考えとしては同じではないでしょうか?
それが他のコメントと同レベルではないというのなら、いじめの根本にある「自分より下(だと思える)ものを見下す」という行為と変わりないでしょう。
(thさんの考えるスパムレベルと違ったら申し訳ありません)

また、グラミー賞に関してのコメントは確かそのコメントに関しては、この問題に関する考えは明記されてなかったと思います。
(いくら書き込みをされた方が裏でどのような考えをもっていたとしても)
これを例に出すのはどうかと思います。

その後の、その書き込みをされた方に対するthさんの書き込みは正直な話、意図を理解しかねます。
ただ、その方を馬鹿にされたいのでしたらまた別ですが。

また、中立な立場を取るために「それぞれの考えがある」というスタンスを取る方が多いとお考えでしたら、それもまた違うと思います。

私は音楽は感性で楽しむものであると思いますし、その作者の人格まで考えません。
考える必要もないと思います。
(あくまで音楽を聞いて楽しむ場合のみの話ですが。
 このような人のCDをお金を払って買って、その人にお金が入るのは嫌です)

しかし、この考え方は管理人さんとは違う意見です。
過去のコメントを読ませて頂きましたが、やはり私の考えとは違い、どうしても歩み寄れそうもないと思いました。
よって、人の考え方はそれぞれ違う、としか結論の出しようがありません。

最後になりますが、「人それぞれ考え方はある」ということを否定して
「間違った考え」などという言葉を平気で使うのは一種の人権の侵害です。
人間には思想の自由が約束されているはずです。

本筋と随分違ったことを長々と書いてしまって申し訳ありません。

denpatirodenpatiro 2009/10/11 15:25 nagiさんは、自分の考えが正しいと思うからこそ、上記のコメントを書き込んだのでしょう。
自分が正しいと考えるのは、他人が間違っているということである。「間違った考え」があることを認めていることになる。
それなのに、「人の考えはそれぞれ違う」と結論することは、矛盾している。「人の考えはそれぞれ違う」と主張することは、世の中に正誤・善悪はない、という相対主義、虚無主義に至る。そうした相対主義からは、自分の意見の正しさを根拠付けることはできない。nagiさんのコメントも、「人それぞれ」の意見のひとつであり、正しくもなく間違ってもいない。つまりは、無意味な意見である。何の価値もない意見である。あなたはそれでいいのでしょうか。
「人間には思想の自由が約束されている」「人それぞれに考え方はある」。まさにその通りである。
では、nagiさんが他人からバカにされ、人権を侵害された場合でも、黙ってそれを認めるのだろうか。もし自分がやってもいない罪で逮捕されても、あなたは自分の正しさを主張することはないのだろうか。さらにいえば、「あなたには私を殺す自由がある」と考えることができるか。
「人の考え方はそれぞれ違う」というなら、nagiさんをバカにする人もいれば、犯人扱いする人も出てこよう。あなたはそれに反論し、自分の正しさを訴えたくはないのか。
「人それぞれに考え方はある」というのは、ひとつの常識に過ぎない。それだけでは何の解決にもならないし、何の意味もない。
人それぞれに考え方はある、そのうえで、正しい意見と間違った意見はある。世の中に善悪はある、というのが私の意見です。

t.ht.h 2009/10/11 16:20 nagiさん


お返事おそくなってすみません。
僕にわざわざ、コメント、ありがとうございます。




>>僕は、人それぞれ、という考えは、断じて承服しかねますね。
>>そういうことでは、極端かもしれませんが、くだらない、スパム?レベルの意見も認めることになるからです。

>私は今までの書き込みなどを見ていて、やはり「人それぞれ考え方はある」という結論に至りました。



結論、と断言するんですね。
では、あなたは、すべての意見を認められますか?
僕の意見は認められますか?
あなたと対極?にある、僕の意見を認めないと、ホントの意味での、「人それぞれ考え方はある」というように結論付けられないと思うんですが。
人それぞれ考え方、その先にある、それを理解し、それを認めるか否か、そこまで考えないことには、「人それぞれ考え方はある」という発言は出来ないと思います。
もしあなたが、人それぞれの考えを「尊重」する、のでしたら、僕の発言は全て尊重するのですか?
しないでしょう?

ということは、「人それぞれ考え方はある」という意見には、もともと無理がある、ということです。
これは大事なことです。






>スパムレベルの書き込み、極端に例えると
>「イジメ?なんか問題があるの?いい音楽だからいいじゃん、なんか嫉妬でもしてんの?」
>みたいなコメントでしょうか
>そんな書き込みがあったとしても、それは一個人の意見です。


あなたの考えも多少、入っているのかな?
ハッキリいって的外れですが。
まあ、その程度なら一個人の意見です。
しかし、主観だらけで説得性にかけるものは、こちらとしてはとうてい認められるものではありません。




>管理人さんやthさんが考えることと、上の低俗に見える意見も、人それぞれの考えとしては同じではないでしょうか?

意見の例えがやっぱり悪いですよ。
「イジメ?なんか問題があるの?いい音楽だからいいじゃん、なんか嫉妬でもしてんの?」
小山田擁護派?らしい低俗な意見ですが、スパムレベルではないですから。

僕がスパム、と言っているのは、あきらかにふざけた書き込みをしていると感じるものに対してです。
そんなものは、過去のコメントを辿ってみれば仰山あります。



>それが他のコメントと同レベルではないというのなら、いじめの根本にある「自分より下(だと思える)ものを見下す」という行為と変わりないでしょう。
>(thさんの考えるスパムレベルと違ったら申し訳ありません)




そんなもの、同レベルなわけがないではないですか。
ばかばかしい。
ふざけた書き込みは見下されても、反論する資格はないでしょう。
そして。
小山田擁護派でも、まじめに論議をするのなら、僕は見下すことはしませんよ。
そういうセグメントをするわけでもなく、まとめて「自分より下(だと思える)ものを見下す」という行為と変わりないでしょう、と結論付けることは、はっきり言って、無神経に過ぎます。





>また、グラミー賞に関してのコメントは確かそのコメントに関しては、この問題に関する考えは明記されてなかったと思います。
>(いくら書き込みをされた方が裏でどのような考えをもっていたとしても)
>これを例に出すのはどうかと思います。


いや、十分。
引用しましょう。
ーーー

tp.catさん
あなた方の憎き敵コーネリアス・小山田圭吾の作品が、第51回グラミー賞にノミネートですってよ
すごいね!(2008年12月04日 23時28分49秒)
ーーー
読んでわかるとおり。
でも、この人には、そもそも、何をねらってここに書き込んでいるんだろうか?
こんな書き込みをして、反小山田派?が、悔しがる、とか思っているんだとしたら、相当のお間抜けですが。





>その後の、その書き込みをされた方に対するthさんの書き込みは正直な話、意図を理解しかねます。
>ただ、その方を馬鹿にされたいのでしたらまた別ですが。


まわりくどいですね。
意図を理解してるじゃないですか。



>また、中立な立場を取るために「それぞれの考えがある」というスタンスを取る方が多いとお考えでしたら、それもまた違うと思います。


そうですね、ここでは、あまり中立?ではない人が大半です。
でも少なからず、いた、ということで、八月にコメントした次第です。
ただ、別に多いなどという発言はしていないのに、ややこしいコメントをしてもらっては困ります。


>私は音楽は感性で楽しむものであると思いますし、その作者の人格まで考えません。
>考える必要もないと思います。
>(あくまで音楽を聞いて楽しむ場合のみの話ですが。
 >このような人のCDをお金を払って買って、その人にお金が入るのは嫌です)


お金が掛からなければOKなんですか?
まあ、各自の楽しみ方は勝手です。
おしつけるものではありません。
知らずに耳に入ってくるものはしょうがないけれど、こちらは、お金が掛かろうが掛かるまいが、小山田の奏でる音は、もう生理的に受け付けないもので。


>しかし、この考え方は管理人さんとは違う意見です。
>過去のコメントを読ませて頂きましたが、やはり私の考えとは違い、どうしても歩み寄れそうもないと思いました。
>よって、人の考え方はそれぞれ違う、としか結論の出しようがありません。


引用してみましょう。
ーーー
LMさん
結論は人それぞれとしか言いようがありませんね。
それでも好きな人は好き。嫌いな人は嫌い。誰にも否定はできません。
確かなことはそれだけですね。
ーーー
これはどういう意図なんでしょうか。
こういう言い方に変えても、さほど問題ないと思うので変えてみましょう。
「それでも《いじめ》が好きな人は好き、嫌いな人はきらい。確かなことは・・・」
これは中立に見えて、実はいじめる側のスタンスですね。
いじめられる側の身に多少でもなるのであれば、人の考えはそれぞれある、違う、などという発言は、実は、あまりにも無神経な発言と感じてしまいます。



>最後になりますが、「人それぞれ考え方はある」ということを否定して
>「間違った考え」などという言葉を平気で使うのは一種の人権の侵害です。
>人間には思想の自由が約束されているはずです。


否。
ヒトラーや金正日や毛沢東やら、人の命を危険に晒す、脅かす、といった思想がある以上、土台、人間の思想の自由が約束されているなどという考えは幻想です。
日本という国は、ある意味、閉鎖的ですから、個人個人においては、あなたのようなおめでたい考えを持つような人が多いとは思いますが。

あなたの間違った考えをいいましょう。
その人自身の考えは、一生、ずっと、そのままですか?
何かを知ることによって、成長によって、今まで好きだったものが嫌いになったり、一段と理解が深まることによって、今までの価値観が覆される、といった経験が、今後、自分に一切起こらないと断言できますか?

僕は、今後も知らないことを知りたいし、自分の価値観をもっと広げたい。
何のため、といわれると、ちょっとわからないこともあるけれど。

此処にかかわらせてもらっているのも、ある意味、小山田擁護派?のことを理解できることは理解したい、と思っているのかもしれません。
自分のような人間が少しでもいる以上、ある意味、小山田を今でも聞いている人間にとっては、此処の場所でコメントするということは、僕の価値観?を覆す、という点においては絶好の機会のはず。

でも、此処にいままでコメントをよこしてくる連中の酷さには、失望と、ただただ怒りしか覚えません。
だから、ぜんぜんこの問題は今でも続いているんですよ。

「間違った考え」以前の問題が。

ERER 2009/10/19 15:59 ブログで批判、匿名だと何でも出来る現代が生んだ哀れな人。

denpatirodenpatiro 2009/10/19 16:36 上記のような批判を、ERなる匿名で書き込んでも説得力はあるまい。あなたはなぜ匿名でコメントするのですか? べつに本名でコメントしてくれてもいいのですが。

t.ht.h 2009/11/09 23:03
反論する人たちは、自分の発言にプライドを持つことはないのか?
自分や管理人さんのコメントに対して、ダンマリを決め込むということは、相手に向けて発した言葉が、自分に返ってしまうことに、もっと自覚したほうがいいのでは。

ERなる人は、自分が「哀れな人」でよいのか。
nagiさんは、自分が「実は、いじめられる側の人権の侵害者」でよいのか。

TMTM 2009/12/13 01:39 巨大掲示板のコピペでよく見かけていて、なんのことやら?!と事実が知りたくて
ここに辿りきました。記事楽しく読ませていただきました♪

人でも殺したのか?!と思ってましたが、記事読んで小山田は人格的にはまだ人間と呼べる
レベルなんだなと思いました。(まあ酷いですがw)
普通じゃないのはインタビューで悪びれることなく語るという感覚ぐらいでしょうか。
なにかしらレスポンス期待してたのかもしれませんね、1994年の記事が未だにこうして
話題になるのですから。
単なる話題作りではなく、本人もきっと自分の過去に疑問を感じて村上清ライターの企画に
乗ったのかもしれませんね。

たしかに彼の音楽で感動したり、心の支えになるって事は全くありませんね
でもどことなしかクセになる酔狂はあると思います・・・(特別ファンでもないですが)
小山田に限らずアーティストって殆どみんなカタワだと思います。
知らぬが仏ですね。

denpatirodenpatiro 2009/12/16 16:49 >TMさん

こういうことを書く人は、自分がカタワになるかもしれないという想像力が働かないのかね。
健康で文化的な暮らしなんて、そう長く続くものじゃないよ。病気にもならず、事故にもあわず、それでも年を取れば、大小便をたれ流して死んでいくわけさ。
その時が来ないと、なにも感じないのかね。

死ねばいいのに死ねばいいのに 2009/12/26 12:19 つーかいじめ擁護してる奴ら死ねば良いよ
いじめられてる奴のその後の喋り読んでも面白がってるだけだろ
どっちかって言うといじめカッコ良いって表現にしてる訳

人生捨てる奴・・・電車飛び込むぐらいなら
小山田や擁護してる奴ら拉致って同じ事してやれば良い
それでまだ小山田が同じ事を言えるなら認める

cucu 2009/12/27 14:53 こんにちは。ブログ読ませていただきました。
読んで、この人がそんな事を?と、少し驚きました。




>死ねばいいのにさん
そういう風にできる人なら、最初からいじめられる事ってないと思うんですけどね・・・

こんにちはこんにちは 2010/01/03 21:42 はじめまして。
自分は小山田圭吾の音楽が好きだったのですが、ここでの事実を目の当たりにし、
驚愕しました。そして彼の作る音楽を文字通り愛せなくなりました。
さらに、自分が不勉強であり彼の音楽を何ら疑問も無しに聴いていたということ、純粋に「良い」とだけ感じ、思考停止していたことにも恥じております。
芸術家は、芸術家である前にまず人間である。その人間を知らねば、本当の良さなど分かるはずも無い。そんな当たり前のことにも気付けていませんでした。
私事ですが、この度「クイックジャパン」3号を購入することにし、自分への戒めを踏まえ、小山田圭吾という人物への憎しみを忘れないことにしました。
自分は高一で、まだ世間の「せ」の字も知らぬガキですが、せめて人間性の良し悪しの判断ができる良識だけは人として身に付けたいと感じました。

自分が言うのはおこがましいですが、「悪人が作る音楽が悪いとは限らない」と
コメントしている上の方々へ。
常識的に考えてください。先述した通り、彼を始めとする音楽家たちは皆、
音楽家である以前に人間なのです。そして、彼自身は自分の罪も悪びれず、
その意識のまま音楽を作り続けているのです。
大袈裟に言うならば、罪人がずっと罪を犯しながら音楽を作っている、ということです。
それを知った上でも、彼の音楽を何の疑いも無しに聴けますか?

長文・乱文失礼しました。大変勉強になりました。

sakanasakana 2010/01/10 04:39 人が良いと感じられる音楽を創れるか、創れないかは単に技術の問題ですからね。
猟奇的殺人犯が、縫製の素晴らしい靴を仕立てられる可能性があるのと一緒で。

音楽家が畜生だと気づいて、彼の創る音楽まで畜生の汚物に思えるなら、
それは芸術の中でも文学の範囲だと思います。
特に日本人は、鈴虫の羽音を「声」と表現するくらい音楽の文学性に敏感なところがありますので、
この記事を読んで小山田と小山田音楽が嫌いになるのは納得がいきます。

しかし彼はおそらく音楽における文学性をまったく重視していない、根っからの職人なんでしょう。
フリッパーズ時代から、膨大なデータベースからサンプリングしてコラージュするという、
言わば工業製品を作るようなやり方で音楽を作っていますんで。
(シブヤ系と言われるものって大抵そうなんですけど)

こういう状況があって、音楽の定義がズレてしまっている以上、
小山田いじめ発言問題を議題にしようとすると、意見が噛み合わなくなることが多そうです。
個人的には彼が作った物と、彼個人の人格は切り離して、
作品については彼の思惑通り、その工業的な価値を判断したい立場です。

plankplank 2010/01/18 21:51 本当に気分の悪くなる出来事ですね。
あなたも同じような気分になり、この日記を書かれたことと思います。お気持ちお察しします。

ミュージシャンは、10代・20代の若者から憧れられ、多大な影響力を持つ職業だと思います。
ですのでこのような過去の犯罪行為を面白おかしく語るなんてもってのほかだし、
雑誌側も掲載すべきではなかったと思います。
ミュージシャンである以前に、全ての人は子供に対して責任を持つ大人である筈です。
もっと自分が持つ影響力を自覚し、大人になってほしいものですね。

私も音楽を聴き始めたころ、彼のCDを持っていましたが、
明らかな他のミュージシャンからの盗作を見つけ呆れた経験があります。

ファンタズマのイントロとHirsche Nicht Aufs Sofa というバンドのIm Schatten der Mohre(1987年作) という作品のイントロが非常に似通っています。

ファンタズマの方はもう手許にないのですが、どちらのCDも
足音のサンプリング + くしゃみ + ギターのリフ + ピアノ
という展開で、最初始まります。
ギターやピアノの、音やリズムまでとても似せていました。

このCDは今は廃番になっていて、大手のレコードショップでは手に入りません。
でもとても素晴らしいバンドだと思っています。
けれどその前衛性ゆえに、音楽を聴き始めた頃であれば、自分は理解できなかっただろうと思います。
そういう意味でコーネリアスのように前衛的バンドから一部剽窃し、キッチュなメロディーでまとめている音楽は、
音楽を聴き始めた人たちの入門CDとしてはちょうどいいのかもしれません。

けれど、本当に音楽を志している人は、安易に盗作などしないものです。
コーネリアス擁護派の方たちが、そこで留まらず、もっと素晴らしい音楽にこれから出会えることを願います。

それからこういう問題行動を抱えている人たちは、家庭環境に問題がある人が多いです。
ドラゴンヘッドのノブオのように、闇と戦わず仲良くなることを選ぶ人間にはなりたくないものです。
そういう人たちは、精神的に弱いのでしょうね。身近に彼らを救ってあげられる人が、現れればいいのですが。

この事件に嫌悪感を示す電八郎さんを、私は支持します。

denpatirodenpatiro 2010/01/20 18:15 >sakanaさん
「人が良いと感じられる音楽を創れるか、創れないかは単に技術の問題ですからね」

むちゃくちゃな意見ですな。そんな技術があるなら、まずはsakanaさんが、すばらしい音楽を作ってみせてよ。猟奇的殺人犯がすばらしい靴を作ったとして、そんなもんを誰がよいと思い、はきたいと思うの?
音楽の定義がズレているのは、あなたのほうでしょ。
どうしてこうも小山田を擁護するコメントは、文章が下手で、論旨が不明瞭なんでしょうね。
高校生の方がよほどしっかりした文章を書くし、筋の通った意見を持っているし、小山田を批判する人のほうがずっと音楽にも詳しい。
小山田ファンはもっとがんばらないと、世間の人に、小山田のファンはみんなバカばかりと思われてしまいますぞ。

sakanasakana 2010/01/20 21:01 >denpatiroさん

僕もこの記事を読んで、小山田音楽を聴きたいと思わなくなったし、これから好んで聴くこともないでしょう。
だけど、彼の性格を知る以前には、コーネリアスすごいなと思っていたことも事実ですし、
その時に「すごいな」って感じさせられたのは、やはり彼に技術があったからだと思うんですよ。

ただ、冷静に、相対的にみてみましょうって一つの提案をしたつもりで、擁護する気は全然ないですよ。
気分を害されたのならすみません。

僕も音楽を真剣に作ろうという立場の人間なので、芸術における技術の大切さは見に染みてわかっています。
そして、やり方次第では、人の心が介在しないで、技術だけで成り立ってしまう芸術というのも、悲しいかな存在できることも実感しています。
個人的にはそういう音楽は好きじゃないですし、興味もありませんが、
ただ、存在していることそれ自体までは、否定できないというのが本音です。

denpatirodenpatiro 2010/01/20 21:41 >sakanaさん
なんで急にトーンダウンするんだよ。中途半端に、あやまるなよ。
ずっこけたですぞ。

t.ht.h 2010/01/22 00:12 >sakanaさん

横から失礼します。
技術の問題、ということですが。

あなたは最初、いい音楽は、技術がすべて、というような書き方をしていたのに、あなた自身は、そういう音楽は好きじゃないし興味もないと。
要するに矛盾が垣間見えるのです。

こちらが気分を害することを気にしていただく以前に、矛盾するような文章になってしまうことを考えてほしいような気がします。

誤解を恐れずにいいますと、ワタクシはtei・TOWAのファンでして、彼の最近のアルバムで小山田がギターを弾いている曲があるんですが、それ、たまに聴いています(笑)

彼のギターですか?まったく気になりません。
その曲に限っていえば、フレーズ自体は別に大したものではないので。
別に誰が弾いてもいいようなフレーズ。
彼は、ギターで売り出したわけではないでしょうから、ギターが没個性といっても、かえって困っちゃうかもしてませんが(笑)
まあ、小山田を語るのに、あまりにも技術技術というのも大仰すぎやしないかと^^

sakanasakana 2010/01/22 02:11 >t.hさん

いい音楽は技術が全て…とは最初から書いていませんよ。
でも、自分の表現の拙さでそう伝わっているのなら、誤解だと思って付け足させてもらったんです。

矛盾はしていないと思いますよ。
僕は自分自身がコメントで定義した、「文学性を内包した音楽」観からは、くだらないと思って、
「技術としての音楽」観からは、まあ有り得るだろうな、って他愛もない話です。

あと、僕のコメントからは大した主張はないです(笑)
だからなにかしらの主張を汲み取ろうとすると損すると思います。
なので、その点について謝らせてもらいました。
目的は、主張じゃなくて客観化を促すことでして、「こういう見方もできますけどどうですか?」と聞いてみたかったんです。
藪蛇だったのは十分理解しました(笑)
失礼。

t.ht.h 2010/01/22 23:03 >sakanaさん

「人が良いと感じられる音楽を創れるか、創れないかは単に技術の問題ですからね」

う〜ん、あなたが一番最初に載っけたコメントなんですけどね。
このコメントを読んで、「いい音楽は技術が全て、と考えているんだな、この人は」と思ってしまう自分はおかしいですか?

音楽の文学性?とか、難しいことはわかりませんけれど、でも、ひとつ言わせてもらうと、相対的に彼の音楽をみるなんてことは、彼から虐められた人間には無理な話。
何度も言ってますが、自分の身にでも置き換えてみては?
なにかしらの主張を汲み取ろうとする以前に、ずいぶんくだらないことを言っているもんだとしか、こちらは思っていないんで。実際。

sakanasakana 2010/01/22 23:44 >t.hさん

そうですか。
それは残念です。
互いに分かりあえない部分が多いよう、というか、詭弁で噛みつかれるばかりで虚しいので、
最後に僕も一言だけ吐き捨てて去りたいと思います。
音楽に罪はないですよ。

管理人さん、コメ欄汚し失礼しました。

ねこねこ 2010/01/29 21:46 猟奇的殺人犯が作った靴だろうがなんだろうが、それ自体の出来は作者の人格とは関係がない。
存在するのは、技術的にすばらしい靴と猟奇的殺人犯に対しての嫌悪感だから。
靴自体の評価が消えるのではなくて、どうしても靴を評価したくないという感情がそこに生まれただけ。

denpatirodenpatiro 2010/01/30 21:40 >ねこさん

これはたんに、あなた個人の意見に過ぎない。
意見を主張する時には、必ずそれを支へる根拠をも述べなくてはならない。
自説が正しいことを、論証しなくてはならない。
「作者の人格とは関係がない」ことを論証していただきたい。まずは、あなたの書く文章と、あなたの人格が関係ないことを論証していただこうか。

ねこさんの文章は、根拠も論証もなく、たんに飛躍だけがある。
「靴を評価したくないという感情がそこに生まれた」ら、「靴自体の評価」も消えるんじゃないの? 
それとも、「靴を評価したくない」と考える人と、「靴自体の評価」をする人はべつだといいたいわけ? そんなことあたりまえじゃん。そんな靴いやだ、という人と、その靴はいい、という人がいるだけのことでしょ。あたりまえじゃん。
それとも人間を超越した神かなんかが、この靴は世界最高とでも評価を下すのかね。

ねこねこ 2010/01/31 19:43 作者の人格などの周辺知識を、ある個人が入手した前と後で、
靴自体の出来(靴のパーツだとかデザインだとか)が変わらないのは自明だろう。
たとえば、俺がある靴のデザインの情報を入手したら、その靴の材質が変化したりするの?
「個々人の解釈に依存しない要素」ということを表したかったから、わざわざ「それ自体」ってつけてる。
今回のケースで言えば、小山田の作ったサウンドなりメロディなりへの評価は消えない。
T.Hさんが「音楽における文学性」だとかの話を難しいとコメントしていたので(皮肉だろうけど)、
メロディとかハーモニーとかリズムっていう、「音楽そのものを形作っている諸要素のうちの大部分」は人格とは全然関係がないよね。
ってことを言ったの。

というか、音楽評価の中に「人格」という指標を入れて判断するのなら、他にもいくらだって批判できる事例がある。
なぜ彼だけがダメだった?マッキーはいいの?
denpatiroさんはビートルズも聴かなくなったようだけど、何ならば許せて、何ならば許せないの?その判断基準は?
個人的な直感?それでしか説明が出来ないなら、反対の立場をとる人間に対して説得力を持つ意見にはなりえない。

denpatirodenpatiro 2010/01/31 22:26 ねこさんへ。

>作者の人格などの周辺知識を、ある個人が入手した前と後で、靴自体の出来(靴のパーツだとかデザインだとか)が変わらないのは自明だろう。

まず、あなたの問題設定がずれている。第一の問題は、作者の人格が、その作者が作る作品にどのように関係しているかである。第二の問題は、ある個人がその作者の人格を知ったあとに、その作者が作る作品を、どのように評価するかである。あなたはこの二つの問題を、ごちゃごちゃにしている。

>たとえば、俺がある靴のデザインの情報を入手したら、その靴の材質が変化したりするの?

するわけない。誰もそんなことを問題にしていない。「靴自体の出来が変わらないのは自明だろう」って、はい、自明ですよ。あたりまえ。そんな当然のことが、問題になるわけない。

>「個々人の解釈に依存しない要素」ということを表したかったから、わざわざ「それ自体」ってつけてる。今回のケースで言えば、小山田の作ったサウンドなりメロディなりへの評価は消えない。

ここが決定的に、おかしい。なぜだかわかる? 「靴のパーツだとかデザインだとかが変わらないのは自明」。これに対応させるなら、「小山田の作ったサウンドなりメロディ」は変わらない、と書くべきだ。CDを聞くたびに、8ビートが16ビートに変わったり、メロディがそのつど変わることはない。そうだろ? しかしあなたは「評価は消え ない」と書いている。評価は他人がするものだから、消えるし、コロコロ変わる。

>メロディとかハーモニーとかリズムっていう、「音楽そのものを形作っている諸要素のうちの大部分」は人格とは全然関係がないよね。ってことを言ったの。

音楽と人格は関係あるよ。人格が関係ないなら、誰がやっても同じ音楽になるはずだ。だが、そうはならない。

>何ならば許せて、何ならば許せないの?その判断基準は?個人的な直感?それでしか説明が出来ないなら、反対の立場をとる人間に対して説得力を持つ意見にはなりえない。

おれは個人的な直感だけでも、音楽を語れるし、反対の立場の人を説得することができるよ。この記事で、「ファンをやめました」って何人も書いてるだろ。おれは、彼らを説得したわけだ。
おれの考えがまちがっているというなら、ねこさんはそれを論証しなければならない。

t.ht.h 2010/02/02 06:23 最近の「あちら側」の書き込みは、あれですね・・・末期症状(−−;

まったく、sakanaさん。
「僕のコメントからは大した主張はないです」というから、そのあと、失笑するようなことを書き捨てて逃げても放っておいたのに。

ねこさんは、今後、どういう展開に出るんですかね。
あなたみたいなレベルの質問に、せっかくdenpatiroさんが丁寧に答えているんですから、せめて逃げないでコメントし続けていただけることを希望します。
このままだと、おさかなくわえて逃走。。。

denpatiroさんのブログは、いろいろな方に読まれているようなんですから、もちっとレベルの高いバトルを。
おっと、そんなことをいうと、ワタクシも若干責任があるのかな(^^;

いろいろな形態はあれど、まあとにかく、小山田擁護派は、がんばってください。



マッキーもだめなt.hでした^^

ねこねこ 2010/02/02 21:15 denpatiroさん

>あなたはこの二つの問題を、ごちゃごちゃにしている。

俺はその二つの問題を混同していない。そして、一つ目の問題には俺は最初から何も言及していない。

>ここが決定的に、おかしい。なぜだかわかる? 「靴のパーツだとかデザインだとかが変わらないのは自明」。
これに対応させるなら、「小山田の作ったサウンドなりメロディ」は変わらない、と書くべきだ。

ごめん、間違えた。でも言いたいことは変わらない。
サウンドなりメロディなり(以下音楽的要素と書く)が変わらないなら、それらへの評価もまた作者の人格によって変わらない。
なぜか。コメントを見ればいい。
俺がいうところの音楽的要素(sakana君いわく「音楽の工業的な部分」)への評価は大部分の人間において消えていない。
彼の作った音楽が(作者への嫌悪感によって)愛せなくなったなどのことはいくらでも書いてあるが、
メロディの良さやサウンドの良さを感じなくなったなどとは誰も書いていないじゃないか。
つまるところ、一般的に、ある個人の音楽的要素への評価は作者の人格を知ろうとも変わらない。

過激な小山田否定派は彼を嫌悪するあまり、彼の作ったメロディなども否定したくてたまらなかった。
そこで、音楽的要素すらも否定してしまえるような、とってつけたような主張をしてしまった。
しかしそれは事実に基づいていなかった。

別に音楽の評価がバラバラなのはそれでいいが、基準があまりに苦しければそれは一般性のある評価にはならない。
そして今あなたはその基準を擁護している。

「音楽的要素への評価が変わるわけないじゃん、当たり前。音楽への総合的な評価が変わるんだ」とかいわないでね。
そういいたいのなら、すでに以下↓の部分で俺に対して「確かにそこはほぼ関係がない」といえばそれで済んだのだから。

>メロディとかハーモニーとかリズムっていう、「音楽そのものを形作っている諸要素のうちの大部分」は人格とは全然関係がないよね。ってことを言ったの。

>>音楽と人格は関係あるよ。人格が関係ないなら、誰がやっても同じ音楽になるはずだ。だが、そうはならない。



t.hさん

逃走するわけないだろう。
ちなみに俺は擁護派でもなんでもない。彼の音楽なんて、ここで書き込んだあとに初めて聴いてみたくらいだ。
たまたま見かけて賑わっていたから試しにふっかけてみただけで。

denpatirodenpatiro 2010/02/02 23:41 >ねこさん
ボコボコにされてるのに、まだやるのかよ。おまえはいったい誰と戦ってるんだ?

>「音楽的要素への評価が変わるわけないじゃん、当たり前。音楽への総合的な評価が変わるんだ」とかいわないでね。

おれがそんなこと言うわけないだろう。甘く見るなって。
音楽的要素(sakana君いわく「音楽の工業的な部分」)だけしか評価されない音楽なんて、芸術としてはクソだということが、ねこさんにはわかってないんだね。
「作品については彼の思惑通り、その工業的な価値を判断したい立場です」とsakanaさんが書いているけど、「工業的な価値」だけを評価してほしいと望んで作品を作っている芸術家なんて、ほとんどいないよ。
ねこさんも自分で音楽をやってみればわかるよ。sakanaさんだって、「あなたの音楽は、まるで工業製品みたいね」と言われて、うれしいかよ。山下達郎みたいに、あえて「アルチザン(職人)」を名乗る人もいるが、もちろんこれはある種の韜晦であるし、山下達郎が「職人」であるはずがない。
工業製品というのは、誰が作っても同じになる。だから作者の名前は、必要ない。作者が誰であれ、その品質さえよければ、客は満足する。職人とは、無名の人のことだ。
しかし、少なくとも近代以降の芸術家は、自分の名前を刻印するために作品を作っている。近代芸術において何より重視されるのが、オリジナリティだ。その作者にしか作れないものを作ってこそ、それは芸術として認められるんだ。工業製品と決定的にちがうのは、この点である。
だから、おまえらが、小山田の音楽的要素(工業的部分)をほめ称えれば、ほめるほど、小山田の音楽は芸術としては価値がないと言ってることになる。また、ねこさんのように「音楽的要素」しか評価できない人に、芸術が理解できるわけがない。
フィギュアスケートにだって、技術点と芸術点がある。技術点というのは三回転ジャンプとか、明確な規準が決められているから、誰にでも評価できる。そして誰の評価も同じである。ようするに、真央ちゃんは三回転ジャンプをするからすごい、とみんなの評価は一致する。
しかし芸術点は、審査員個人の判断で決まる。だから人によってその評価はバラバラである。それは芸術の評価が人によってちがうのと同じことだ。
フィギュアスケートはスポーツだから、技術点のほうが重視されるだろう。しかし音楽においては、芸術点のほうが重要である。「のだめ」がいくらモーツァルトの難曲を弾きこなしても、それはピアノがうまいだけで、芸術ではない。ドラマでも描かれていたように、人間的に深まってはじめて芸術にちかづく。技術だけしか見ないやつに、芸術がわかるわけがない。ねこさんがいう「メロディの良さやサウンドの良さ」というのも、技術点のことだ。

>「つまるところ、一般的に、ある個人の音楽的要素への評価は作者の人格を知ろうとも変わらない。」

ちがうね。芸術点のほうが重要なんだから、芸術についての見識が深まれば、「メロディの良さやサウンドの良さ」という技術についての懐疑が生まれる。だから音楽的要素への評価も変わる。小山田の音楽は、「サンプリングのつぎはぎ」「パクリ」とコメントしている人もいる。
ねこさんのいう「音楽的要素」には、スポーツ競技のような明確な基準がない。なにをもって良いメロディというのか。あなたは誰にでも同じ評価ができるような明確な基準を示せるか? できるはずがない。音楽において「メロディの良さ」というのは、ねこさんが先に書いた「個人的な直感」みたいなものだ。「良い」という感覚を、数値で示すことはできない。ピアノやギターを正確に弾けるのは技術だ。作曲やアレンジができるのも技術だ。しかしそれを観客が「良い」と感じるかどうかは別問題だ。
繰り返しになるが、「小山田の作ったサウンドなりメロディは変わらない。しかし、評価は他人がするものだから、消えるし、コロコロ変わる」。あなたはこの意味をまだ理解されていないようだ。
ふー、つかれた。芸術についておれと議論したいなら、少なくともこの程度のことは自分で勉強してからにしてくれ。たのむから。当たり前のことを長々と書かれても意味がない。

t.ht.h 2010/02/03 23:29 ねこさん


>逃走するわけないだろう。
ちなみに俺は擁護派でもなんでもない。彼の音楽なんて、ここで書き込んだあとに初めて聴いてみたくらいだ。
>たまたま見かけて賑わっていたから試しにふっかけてみただけで。



そんなこと、知ったことかよ。

屁理屈も甚だしい。
小山田の音楽を聴こうが聴くまいが、こちらのブログをある程度読んだ上で書き込んでいるんだろ。
自分の言いたいことが、どういう立場に立つのかということも判らないで書き込んだとは言わせない。
「試しにふっかけ」なんて言い訳しても、もう遅い。




>過激な小山田否定派は彼を嫌悪するあまり、彼の作ったメロディなども否定したくてたまらなかった。
そこで、音楽的要素すらも否定してしまえるような、とってつけたような主張をしてしまった。
しかしそれは事実に基づいていなかった。


おっと、事実とは??
俺が「事実」という言葉で真っ先に思い浮かべることは、小山田のあの過去の行為が有ったのか無かったのか、という、ただそれだけ。
もし、ねこさんの言う、事実に基づいていなかった、という「事実」が、こちらの言うことでないというのであれば、それは単にねこさんの文章が稚拙なだけ。

過去、少しはファンではあったけれど、今、小山田否定派を自認する自分として言わせてもらえれば、彼を嫌悪するあまり、
彼の作ったメロディなども否定したくてたまらなくなった、という感情は当然。
彼のいじめに関してのインタビューが掲載された雑誌が「事実」存在しているということを知ってしまったんだから。

あんたは、いっぱしに音楽的要素なんて言葉を使っているけれど、こちらから言わせると、
あの「ぎろっぽん」だって、立派な音楽的要素がある。あとは好みの問題。
denpatiroさんが、本当にわかりやすく言ってくれているけれど、個人的に好む音楽的要素ですら、
その作者のイメージが、聴く方の心情に多大な不快感を与えるのなら、
そんな音楽的要素なんてどうでもよくなる。
そんな彼の音楽なんて、俺は、もうどうでもいいんんだから、とってつけた主張でもなんでも、こちらは歓迎。

こういう評価の仕方を、一貫している、と言わなくて、なんと言うんだよ。

けんやけんや 2010/02/04 20:33 クズが生み出したものなんてクズの糞でしかないです・・・。

ねこねこ 2010/02/04 21:56 denpatiroさん

>ちがうね。芸術点のほうが重要なんだから、芸術についての見識が深まれば、
>「メロディの良さやサウンドの良さ」という技術についての懐疑が生まれる。
>だから音楽的要素への評価も変わる。小山田の音楽は、「サンプリングのつぎはぎ」「パクリ」とコメントしている人もいる。

人格関係してないじゃん。

まぁ要は、小山田の作る音楽的要素は一般的にいいものとされていると。
それは事実(この日記によせられたコメント)を見ればわかる。
工業的な価値(こういう言い方もどうかと思うがw)を評価する立場は確かに強い立場であったのだ。

>当たり前のことを長々と書かれても意味がない。

当たり前のことでいいんだよ別に。そんな当たり前のことを言っただけでここじゃボロクソに貶されてるんだから。
それは、とりもなおさず、真実であるのにココではそんなこと言ってはいけないって雰囲気があるってことだろ。
でも別に真実じゃんそれ。
それだから、サカナ君は、言わんとすることは伝わっていたはずなのに、
瑣末な部分に突っ込まれて、全体を否定されるかの如くめちゃめちゃに食い荒らされたわけだw

殺人者が作る靴を評価してしまっているからこそ(音楽的要素を認めているからこそ)、
やれ認めるやれ認めないなどの個人的葛藤が書き込まれているんじゃん。


t.hさん

>屁理屈も甚だしい。
>小山田の音楽を聴こうが聴くまいが、こちらのブログをある程度読んだ上で書き込んでいるんだろ。
>自分の言いたいことが、どういう立場に立つのかということも判らないで書き込んだとは言わせない。

俺は、「小山田の音楽要素を、聴いたこと無いにもかかわらず擁護する」立場。
もちろん関係ある部分は読んでいる。

>おっと、事実とは??
>俺が「事実」という言葉で真っ先に思い浮かべることは、小山田のあの過去の行為が有ったのか無かったのか、という、ただそれだけ。
>もし、ねこさんの言う、事実に基づいていなかった、という「事実」が、こちらの言うことでないというのであれば、それは単にねこさんの文章が稚拙なだけ。

事実とは、この日記によせられたコメントのことである。

>過去、少しはファンではあったけれど、今、小山田否定派を自認する自分として言わせてもらえれば、彼を嫌悪するあまり、
>彼の作ったメロディなども否定したくてたまらなくなった、という感情は当然。
>彼のいじめに関してのインタビューが掲載された雑誌が「事実」存在しているということを知ってしまったんだから。

感情として当然だろうが理屈として成り立ってない。

>denpatiroさんが、本当にわかりやすく言ってくれているけれど、個人的に好む音楽的要素ですら、
>その作者のイメージが、聴く方の心情に多大な不快感を与えるのなら、
>そんな音楽的要素なんてどうでもよくなる。

そこから得られる結論は、あなたも、人格とは別に音楽的要素を評価しているじゃないの、ということで。

denpatirodenpatiro 2010/02/05 17:17 ねこさんへ。
おまえは読解力ないのかよ。どこをどう読んだら、そんな解釈になるんだよ。
その前のコメントで、「音楽と人格は関係あるよ。人格が関係ないなら、誰がやっても同じ音楽になるはずだ。だが、そうはならない」と俺ははっきり書いてるし、ねこさんも引用してるだろ。人間には人格がある。その人間が作る音楽に、人格が関係しないわけないだろ。
それでも「人格関係してないじゃん」と言うなら、音楽と人格が関係しないことについて、論証しろ。

>「まぁ要は、小山田の作る音楽的要素は一般的にいいものとされていると。それは事実(この日記によせられたコメント)を見ればわかる」

あのなあ、ここにコメントしてくるのは、小山田ファンが多いんだよ。だから当然、ファンは小山田の音楽性をほめてたりするよ。だからといって、それが一般の意見になるわけないだろ。サンプルが偏ってんだから。統計学を勉強しろ。

>「真実であるのにココではそんなこと言ってはいけないって雰囲気があるってことだろ」

だから、それは「真実」ではなくて、ねこさんの個人的な意見でしかない。同じことを何度、書かせるんだよ。「真実」だと言うなら、それを誰もが納得できるように論証しろ。
そもそも、最初に書いたように、ねこさんのコメントには、論証がない。
あなたは、根拠も論証もなく、ただ自分の思いついた意見を書いているだけだ。
「ココではそんなこと言ってはいけないって雰囲気がある」というのも、ちがう。
ねこさんの意見が、まちがっているから批判されるだけだ。
俺は自分のブログを開設してから、つねにコメント欄を開放している。誰でもが自由にコメントを書き込めるようにしている。
くだらないコメントを書いてくるやつもいるが、俺はそれを全部読んでいる。
誰が何を書こうが自由だと思っている。俺は自分の意見を自由に書きたい、だから他人が自由に書くのも認める、そういう立場だ。そのうえで、くだらない意見は徹底的に批判する。
とはいえ、俺にも人の心があるから、あまりにも幼い考えの人に出会うと、かわいそうになる。
ぐだぐだとネットで粘着している暇があるなら、勉強して、ちょっとでもいい大学に入れ。そのほうが、ねこさんのためだから。

t.ht.h 2010/02/05 22:52 ねこさん



>俺は、「小山田の音楽要素を、聴いたこと無いにもかかわらず擁護する」立場。


はいはい、ごくろーさん。



>事実とは、この日記によせられたコメントのことである。


よーわからん。




>感情として当然だろうが理屈として成り立ってない。


よーわからん。




>そこから得られる結論は、あなたも、人格とは別に音楽的要素を評価しているじゃないの、ということで。


ひっかかってくれた^^
やっぱり、そんなところに喰いついたねえ。

やっぱり、こちらを説得するとかじゃないんだ。
なら議論しても無意味。
自分が今、どういう状況に陥っているかもわからないであろう、こんな人に、
もう、別にこちらのことをどう思ってもらってもかまわないや。

負けました。こちらが退散します(笑)

denpatirodenpatiro 2010/02/06 16:01 ねこさんへ。
俺の文章の一部を切り取って、文脈を無視して、自分に都合のいいように解釈したところで、あなたの主張はすでに論破されている。これ以上論点を増やされても収拾がつかないので、ねこさんの主張のどこがダメか、まとめておく。

>「まぁ要は、小山田の作る音楽的要素は一般的にいいものとされていると。それは事実(この日記によせられたコメント)を見ればわかる。

その意見が「一般的」だと言うなら、少なくとも国民の過半数はその意見に同意していないとならない。
しかし、ねこさんのあげる根拠は、「この日記によせられたコメント」だけである。小山田の音楽性を評価する、わずか数名のコメントだけである。こんなものが一般的な意見となるはずがない。しかも、ねこさんは、「サンプリングのつぎはぎ」「盗作」といった小山田の音楽性を否定するコメントを無視している。これは公平でない。
さらに、あなたが小山田の音楽性を、「「メロディの良さやサウンドの良さ」と評価するなら、どこが良いのか客観的かつ具体的に論証しなければならない。「良い」というのは、個人的な直感でしかないからだ。当然それを、「悪い」と感じる人もいるわけで、そんなことを言い合っても、しょせん水掛け論にしかならない。

>「でも別に真実じゃんそれ」

それを真実だと言うなら、人類のほとんどが真実だと認めていなければならない。
殺人者が作る靴を評価するのは、ごく一部の人である。それは一般的でもないし、真実でもない。
そもそも殺人犯の作る靴の比喩がおかしい。
あなたのお気に入りだった靴が、じつは殺人犯がその死体から切り取った皮膚で作ったものだと知ったとする。一般の人は、もう二度とそんな靴を履こうとは思わない。
あなたがいつも食べていたハンバーガーが、じつは殺人犯がその死体の肉で作ったものだと知ったとする。一般の人は、もう二度と食べない。一般的、真実、というのはそういうことだ。
なかには、殺人犯の作る靴を愛好する者もいるだろう。人肉を食ってみたい人もいるだろう。ねこさんは、そうした極少数の意見を、一般的な真実と誤解しているだけである。反論があるならどうぞ。

t.ht.h 2010/02/07 06:51
denpatiroさん


ごめんなさい、ワタクシがいたずらに挑発したばっかりに(^^;
しかし、あらためてdenpatiroさんの解説力と喩えの持っていき方、さすがですね。
あらためて、頭が下がります。

しっかしなあ、音楽って、人間が作ってるものなのになあ。
当たり前なのになあ。
だから最初に音楽を聴いて、そのアーチスト(人間)のことを知っても知らなくても、
聴くものは勝手にそのアーチストをイメージしてしまうんじゃないのかなあ。
その音楽がいいと思えば、そのイメージはリスペクトに。
ある人に言わせれば、この世の中の音楽の評価は三種類。
好きか嫌いか、片方の耳から入ってもう片方の耳から出て行く(興味ない)。
そこには、アーチストのイメージも、もちろんセット。

ビートルズって、あれですよね、初期の映像とか観ると、おっかけ女性ファンが、尋常じゃないくらい、熱狂的でした。
その後、紆余曲折(笑)あって、もうそんなテンションの人は、誰もいない。
アーチストが、そのアーチストイメージを裏切るようなことをすれば、その程度によって、今までファンであった人が
ファンでなくなってしまうことになっても当然なのに。


だから音楽的要素などという言葉を使おうとも、その言葉から人格を外すなんて、ありえないんですけどね。


音楽と人を強引に引き離そうとする人たちって、何なんですかね。
・・・あれですか、生身の人間よりダッ○○イフがいいと。。。
う〜ん、まあ、人それぞれですね。

おっと、負けたんだった、これ以上、挑発しないようにしないと(−−;

ねこねこ 2010/02/07 19:15 denpatiroさん

>その意見が「一般的」だと言うなら、少なくとも国民の過半数はその意見に同意していないとならない。
>しかし、ねこさんのあげる根拠は、「この日記によせられたコメント」だけである。小山田の音楽性を評価する、わずか数名のコメントだけである。こんなものが一般的な意見となるはずがない。しかも、ねこさんは、「サンプリングのつぎはぎ」「盗作」といった小山田の音楽性を否定するコメントを無視している。これは公平でない。
>さらに、あなたが小山田の音楽性を、「「メロディの良さやサウンドの良さ」と評価するなら、どこが良いのか客観的かつ具体的に論証しなければならない。「良い」というのは、個人的な直感でしかないからだ。当然それを、「悪い」と感じる人もいるわけで、そんなことを言い合っても、しょせん水掛け論にしかならない。

「一般的」という言葉を「国民の過半数」なんて風に解釈するなら、ベートーヴェンやバッハだってダメだろう。
現実世界の誰にも当てはまらないような「一般」を持ち出されても困る。
俺が「小山田の音楽性を評価する立場は一般的であった。」といったのは、
「小山田の音楽性に疑問符つけるような意見よりは通常の(一般的な)感覚だ。それは、コメントみても、彼が音楽活動を長く続けていることをみても妥当だ。」
くらいの意味でである。
小山田の音楽性は厳密に客観的には論じられないが、「評価してしまっていた奴が人格を知ったときに陥る心理的葛藤」ならばコメントの中に見られるじゃない。
彼らは評価を「消しさって」はいない。サウンドやメロディへの直感的な快感が人格云々によって消えるわけがない。

>それを真実だと言うなら、人類のほとんどが真実だと認めていなければならない。

「人格がクソだから音楽性低い。」という意見よりは全然確からしい一般的事実だ。

>殺人者が作る靴を評価するのは、ごく一部の人である。それは一般的でもないし、真実でもない。
>そもそも殺人犯の作る靴の比喩がおかしい。
>あなたのお気に入りだった靴が、じつは殺人犯がその死体から切り取った皮膚で作ったものだと知ったとする。一般の人は、もう二度とそんな靴を履こうとは思わない。
>あなたがいつも食べていたハンバーガーが、じつは殺人犯がその死体の肉で作ったものだと知ったとする一般の人は、もう二度と食べない。一般的、真実、というのはそういうことだ。

それらはもはや人格による評価ではない。
そりゃ、殺人者の作るメロディが(個人的な事実として)クソつまんなかったら、聴きたくない。
でも、それはそいつが殺人者でもベートーヴェンでも誰でも、人格に拠らず、一貫して聴きたくない。
あと、ハンバーガーの例は、
殺人犯かどうかに拘らず、仮に「一般の人間」が作っていたとしても死体靴は履きたくないし、死体バーガーは食べたくないでしょ。
つまり人格は関係ない。
この事実が表しているのは、評価時に大切なのは人格なんかよりも実質(音楽的要素、靴、ハンバーガー)であるということだ。
人格による評価ではないのなら、俺は否定していないから。

>なかには、殺人犯の作る靴を愛好する者もいるだろう。人肉を食ってみたい人もいるだろう。ねこさんは、そうした極少数の意見を、一般的な真実と誤解しているだけである。反論があるならどうぞ。

そうではなくて、
「この靴すげー。これデザイン的に履きたい。えっ?これ作ったの殺人者?まじかよ、けしからん。絶対評価したくない。
誰かにこの靴の評価を聞かれても私は認めてないって言おう!本当はこの靴は評価せざるをえない感じだけど。」
この思考プロセスこそが、音楽的要素を認めてしまって、人格を知った後でもそれを「捨てられない」人間の葛藤、
つまり、「殺人者の作るすばらしい靴への評価と、それを否定したい感情」と俺がいったもの。

denpatirodenpatiro 2010/02/08 19:08 >ねこさん。
またしても、具体的な根拠があげられていない。まず、ねこさんが「小山田の音楽性を評価する立場」というのは、誰のコメントを指しているのか。きちんと根拠を出せ、ということである。議論はそれからだ。
ねこさんの方が、「一般的」という言葉の意味を誤解している。

>「彼らは評価を『消しさって』はいない。サウンドやメロディへの直感的な快感が人格云々によって消えるわけがない。

そういうコメントを書いた小山田ファンが数名いるだけの話である。わずか数名のコメントだけでは、「一般的」の根拠とはならない。なぜそれが、小山田の音楽性を否定するコメントを押しのけて、一般的な意見となるのか。一般的と主張するのは、あなたの独断である。
音楽活動を長く続けていることは、音楽性の高さの根拠とはならない。数十年もくだらない音楽をやり続けているミュージシャンはいくらでもいる。しかし、そのファンは、そのミュージシャンの人格を愛し、それがゆえ音楽も愛している。
ねこさんは、「人格の評価」と「音楽性の評価」が、明確に区別できるものだと考えている。しかし純粋に、音楽性だけを取り出して評価することなど誰にもできない。
「人格がクソだから音楽性低い」も、「人格がクソでも音楽性は高い」も、どちらも人格の評価が、音楽性の評価に影響を及ぼしているのは自明である。
ねこさんが主張したいのは結局、人格がクソでも小山田の音楽性は高いだろ、ということだ。そう主張することじたいが、人格と音楽性の関係を認めていることになる。そうでないなら、純粋に音楽性だけを語ることだ。
そんなことができるか? 俺はいまだかつて、純粋に音楽性だけを語った評論など読んだことはない。そもそも人が音楽についてしゃべり、書く、という行為に、その人自身の人格が関わっているはずだ。
それでもできるというなら、ねこさんが書いてくれ。俺は最初にこう書いている。「まずは、あなたの書く文章と、あなたの人格が関係ないことを論証していただこうか。」

>「評価時に大切なのは人格なんかよりも実質(音楽的要素、靴、ハンバーガー)であるということだ」

まったくちがう。評価というのは、浅い考えから深い考えに至るものだ。実質から、本質に至るものだ。
音楽的要素とは何か? 靴とは何か? ハンバーガーとは何か? そう問い続けていけば、最後には人間が問題となる。
ねこさんが「実質」だけを問題とするそうした浅い考えに踏みとどまっているなら、いつまでたっても俺との意見の合意はない。
とにかく、ねこさんのような主張は、俺が旧ブログのコメントですでに批判してある。
「作品と、作者の人格は関係ないという考え方もありますが、本当にそうなのか。そういう考え自体が、ただの思考停止であったり、ポストモダン風の単なるドグマに過ぎないのでは、と思います。」(2006年11月11日のコメント欄より)

くりくり 2010/02/19 00:04 あなたの研究は実に興味深いものです

彼の表情をみただけで、異常性がうかがえます
あれは音楽活動で昇華されていなければ
とんでもない犯罪者になるでしょうね
オーラが悪人のそれです

t.ht.h 2010/02/20 23:30

>僕自身も小学生の頃にいじめられていて、
中学生の頃はいじめられてる子を助ける立場だったんで
この小山田の記事には凄く腹を立てているんですよ。

>それでも僕には彼のCDを折ることが出来ない。
僕は彼の音楽を素晴らしいと思うから。
Aphex TwinとかOvalとかBOREDOMSとかAUBEとか、
音によって不思議な情景を描いてくれる
彼もまたそんなアーティストの一人だからです。

>僕は神じゃないから、
作品を作る時の小山田の思考回路を僕は知りませんが
小山田の音楽が、
何年間もいじめと闘ってきた僕の心を感動させてくれる、
それだけは事実なのです。(2007年10月18日 21時19分49秒)





どうも。過激な小山田否定派です(笑)


かなり以前の方の書き込みを引用させていただきます。

こういう方が、ある意味、一番苦しんでしまうのかな、とは思います。
音楽を耳に傾け始める世代(だったのかな)というのは、多かれ少なかれ、その多感な心情でもって耳にするものが、
時間を経て、その人自身にかけがえのない、大切な基盤となりうるものになるかもしれないのだろうから。

自分も、多少、小山田を聴いてしまった時期がある、という汚点はありますが(笑)
まあ、多少エキセントリックではあっても、基本の人間性がそれほど突拍子ではない、ということを前提と考え(もちろん、そんなこといちいち考えませんけど)
個人的に近しい?音楽をやっていたということもあって、以前、聴いていたわけです、彼の音楽を。
でも、彼の本性、実態?を知った現在においては、彼の音楽なんて、もう、聴けないって。

この自分自身の経験?でよくわかった。

たかが音楽、とは言わないけれど、音楽以上に大切にしなければいけないものが沢山あるということを。あらためて。
そして、大切なものを当たり前に大切にした上で、初めて音楽があると思うようになった。

小山田は、こうした純粋な音楽ファンを、ただいたずらに苦しめているに過ぎない。
これを、ハッキリ、犯罪、と言わなくてなんと言う。

幸い、管理人さんの言う通り、世の中には沢山すばらしい音楽があるから、この書き込みをされた方も、またあらためて、良い音楽と出会い続けてほしいと願う次第です。



そして、今後も小山田を肯定したいと思う者は、誰かの様にいつまでもミャアミャア意味不明なことをホザくのではなく、もっと建設的な意見をしていただけることを希望します。

たろうたろう 2010/02/21 05:19 小山田くんの音楽は聴いたことがありませんが、このページを見た雑感を二三。
1.上でsakana氏が述べられているような、こういった低俗な人間が製作した音楽が市場の一定のニーズを満たすということに対する少々の驚き。
2.小山田が叩かれているのはプロのミュージシャンであるから、ということ。
3.別にキチガイは小山田以外にもたくさんいる
4.なんなら私も中学生の時に小山田並みのいじめに加担していました。
5.このページに常駐している方々は、?ミュージシャンという社会的地位に対する妬み、嫉みにとりつかれた人間、あるいは?実際にいじめられていた経験のある人間。

概して、学生時代にいじめられていた人間は異常に社会適合能力、コミュニケーション能力が劣っており、ぎゃくにいじめる側の人間は社会適合性が異常に高く、コミュニケーション能力も高い。よって前者は社会に出た後も割を喰うというか、案の上パチンコ屋の住み込み店員になったりする。後者は、攻撃は最大の防御と言わんばかりに社会においても一定の地位を確保する。

2種類の人間が存在するのは事実であり、それを嘆いても仕方ないじゃないか。小山田を叩いている人間は、どうやったら小山田的人間を見返すことができるのか、あるいは忘れられるのかを考えて前向きに生きよう。

t.ht.h 2010/02/22 12:31
たろうさん


>4.なんなら私も中学生の時に小山田並みのいじめに加担していました。


うわ〜、「う○こ」喰わせて喜んじゃうって感じですか(笑)




>5.このページに常駐している方々は、?ミュージシャンという社会的地位に対する妬み、
嫉みにとりつかれた人間、あるいは?実際にいじめられていた経験のある人間。



私自身に関していえば、的外れですね。

妬む気持ちがあれば、最初からファンにならないし、今はどうでもいいと思っているんだから。
「う○こ」って感じかな。
「う○こ」を妬む、というのも、どうも(苦笑)



>概して、学生時代にいじめられていた人間は異常に社会適合能力、コミュニケーション能力が劣っており、
ぎゃくにいじめる側の人間は社会適合性が異常に高く、コミュニケーション能力も高い。よって前者は社会に出た後も割を喰うというか、
案の上パチンコ屋の住み込み店員になったりする。後者は、攻撃は最大の防御と言わんばかりに社会においても一定の地位を確保する。


うわ〜、ずいぶんな短絡的思考と偏見の塊だこと。
では、社会適合能力、コミュニケーション能力が劣ったのは、いじめた人間達のせいなんだね。
あと、小山田が、現在、一定の地位を確保しているのかどうかは、誰にもわからないし、仮にそうだとしても、それを維持し続けるかどうかは誰にもわからない。
今後、逮捕されちゃうかもしれないし(−−




2種類の人間が存在するのは事実であり、それを嘆いても仕方ないじゃないか。小山田を叩いている人間は、どうやったら小山田的人間を見返すことができるのか、
あるいは忘れられるのかを考えて前向きに生きよう。



雑感、といっているわりには(−−;

雑感、だから、的外れなのはいいとして。
前向きにどうのこうの、などというコメントは(ホントにそう思っているかどうかも怪しいものです)余計なお世話ですねえ。

あ、閲覧者の方々および管理人様、う○こう○こ、うるさくってすいません(^^;

たろうたろう 2010/02/23 22:18 t.hさん

迅速なレスポンス有難うございます。読ませていただきました。
ひとつ、どうしても伺いたいことがあります。
上のレスを拝見していると、「小山田を肯定することは許せない」という固い意志と、論理的に相手を負かしてやりたいという気持ちをあなたからは感じます。

それは一体、どういう想いからなんでしょう?議論したり、論理的に考えたりすることがお好きなんだなということはなんとなく分かるのですが、こういうのは趣味としては暗すぎるというか…なんというか…。

正直、このページを友人の紹介で閲覧したのですが、閲覧する中で最も印象的だったのは、小山田の悪行そのものよりも、むしろその悪が悪であることに異常なまでに執着する何名か(あるいはあなただけ)の存在の異様さでした。これは、攻撃された人間が逆に攻撃性を持つという人間の性なのでしょうか。とても考えさせられます。別に上段に立ってあなたを分析しようということではなく、私自身にもそういった攻撃性があるな、と思うことがあるので、余計に気になるのです。小山田を叩く、あるいは小山田を擁護する人間を許せないという熱い思いの根底にあるものって、一体何なのでしょうか?(お願いだから「正義」なんていわないでね)

denpatirodenpatiro 2010/02/28 20:33 >たろうさん。

「とても考えさせられます」と書いているけど、あなたは何も考えてない。あるいは、知恵のない人間が何かを考えてもムダ。

>「小山田を叩く、あるいは小山田を擁護する人間を許せないという熱い思いの根底にあるものって、一体何なのでしょうか?」


復讐。
ビリー・ホリデイも、マイルス・デイビスも。

t.ht.h 2010/02/28 23:15
たろうさん


自分のことを暗にキ○ガイと認めちゃっているような人に、別にこちらのことを、なんと思われてもかまわんよ。
僕の根底にあるもの・・・正義に決まってるじゃん(笑)

というか、お願いだから、砂漠の真ん中で、ラクダに逃げられて〜(−−;

sakusaku 2010/03/06 21:31 自分は全くこの人の音楽を聞いたことも無いし、聞こうともしないけど、
自分が好きなアーティストがこういう過去を持ってると悲しくなるだろうね。

最低な人間だよ、こいつがやったいじめは許されることの無い行為だよ。

その次にdenpatiro、t.h
お前ら気持ち悪い、まだ擁護派を叩くならわかるけど、何客観的に見ようとしている意見に対しても反論しようとしてんの?

人格を知って音楽を評価すること。音楽だけで、音楽を評価すること。
この2つは両方可能で、後者の場合、評価する人は、作曲者や演奏者の人格を考えることは難しい。

あなたはクラシック音楽を聴くだけで、作曲者の人格が分かるんですか?
分かる分けないですよね。分かったとしても、ほんの一面性に過ぎないでしょう?

>知恵のない人間が何かを考えてもムダ。

結局俺から見たら、お前も小山田も同じような思考なんだよね。

こんなブログで、擁護派を叩いてないで、いじめの無い社会を作るために
何か行動したら??

できないか(笑)だって、自分の正当性を主張したいだけだもんね。

>というか、お願いだから、砂漠の真ん中で、ラクダに逃げられて〜(−−;

t.hお前寒いよ

denpatirodenpatiro 2010/03/06 23:20 sakuさんへ。
>「まだ擁護派を叩くならわかるけど、何客観的に見ようとしている意見に対しても反論しようとしてんの?」

自分は客観的で中立だと思っていても、そうでない場合がある。そんな無自覚なコメントが被害者を傷つけることがある。加害者をつけあがらせて、共犯者になることもある。そのことをわかってもらいたいからです。

>「こんなブログで、擁護派を叩いてないで、いじめの無い社会を作るために何か行動したら??」

残念ながら、いじめのない社会など、どこにもない。そんな社会は永遠にできない。
だから俺は、「いじめをなくしましょう」だの「いじめの無い社会を作りましょう」などと、ふぬけたことを主張する気は一切ない。いじめは、なくならない。
「戦争がなくなりますように」というお題目を唱えても、戦争はなくならない。「世界が平和になりますように」と願っても、平和にはならない。
それでもこういう記事を書くことで、社会に問題提起はできるはずだ。
いじめのある社会を、どうやって生きていくか、それを考える方がよほど意義がある。
何か行動をすれば、いじめのない社会が作れると考えている理想主義者のsakuさんは、具体的にどういう行動をしているのか。なにをやれば、「いじめの無い社会」ができるのか教えてくれ。
自分にできないことを、他人に言うな。

>「だって、自分の正当性を主張したいだけだもんね」

自分の正当性を主張するのは、当然のことである。
不当な意見がまかり通るような社会では、いじめも無くならない。

t.ht.h 2010/03/07 07:32 sakuさん


音楽だけで、音楽を評価することが出来る?とのことですが。
では、なぜ小山田の音楽は聴こうとしないの?
お願い。
最低な人間だから、みたいな理由は言わないでね。


>結局俺から見たら、お前も小山田も同じような思考なんだよね。

もうちょっと具体的に書いてもらわないと、こちらはどういう風に同じなのかわからない。
ホント、先のねこさんといい、たろうさんといい、このsakuさんといい、そういう肝心な点で文章が稚拙だな。
同一人物だったりして(−−;

だいたい君は、こちらの書き込みをやめさせたいの?
それならちゃんと説得力を持った反論をしてくれないと。

気持ち悪いとか寒いとか、単なるけなす程度では意味がない。
管理人さんが、今後も太っ腹でこちらのコメントを掲載していただけるなら、ますます止めない(笑)


暇人が、偉そうに言ってみたところで、管理人さんは自身のブログだからそれなりに対応されるとして、
あとは俺みたいな物好き(笑)に相手されてしまうのが、関の山、ということですぞ。

sakusaku 2010/03/07 07:45 >>denpatiro

このコメント欄での前前のやり取りから気になってなっていたのですが、
自分が汲み取れない意見を相手の責任に、相手が汲み取ってくれない意見も相手の責任に
更にあなたは自分が反論しやすいように相手の意見を解釈して的外れな意見を飛ばしてくる。
もう少し聞く耳を持った方が良いのではないでしょうか?

>自分は客観的で中立だと思っていても、そうでない場合がある。

ねこさんとあなたのやり取りを見て思ったのですが
ねこさんは自分が中立的と言ってるのではなく、人格を知らないでその音楽を聴く人にとって、その音楽だけでしか曲を評価をできないという事実を述べているだけです。
またその事実は、音楽を聴く人に取ってありふれていることも事実です。
ラジオやテレビで流れてくる曲を現代人は否応無しに聞き、耳だけで評価、風評だけで評価することを考えれば当たり前の「事実」です。
当然ですがそれが全てと言っている訳ではございません(あなたの読解力に親しみを込めて)
人には考えがたくさんあるというのは結論ではなく、ただの現象なのです。

また、芸術と技術を分離して考えているようですが、芸術は一般に技術が無ければ芸術にはなり得ません。
その人の発想がいくら豊かな物でも、それを表現する技術が一般的であったら、よほどのことが無い限り芸術にはなり得ません。
世の中には豊かな発想力を持っている人はたくさんいると思いますが、技術が無ければ世には出てこないし誰からも評価されない、またはされにくいのです。

逆に類いまれな技術は決してオリジナリティーが無くても芸術として評価されることは多々あります。
フィギュアスケートの例を出していますがあなたは点の入り方で芸術と技術を分離して考えていますが、そんな点の入れ方だけで技術と芸術を分ける馬鹿な話は無いと思います。
明らかに3回転ジャンプは技術であり、また芸術でもあります。フィギュアを見ていれば当然なことですが、フィギュアの得点はあくまで形式上で使い分けているのです。
芸術はあなたが考えるより広義で、一辺倒ではありません。

「いじめの無い社会作り」 

読解力が無いのですか、それとも揚げ足を取ってるつもりでしょうか?
10を0にすることができなくても9や8にすることは可能でしょう。
あなたは飲酒運転の取り締まりの強化、厳罰化を否定しているのと同じですよ。
その反論ではまるで小学生のようです。

私はあなたをあえて攻撃するようなスタンスを取っていますが、あなたもまるで同じですね。 
とても研究と題されているようなブログを書いている人の意見には見えません。

denpatiroさんt.hこの人にも言いたいことがあるんではないでしょうか?
あなたが言ってることとまるで逆のことを唱えてますよ。
まあ自分の味方となっている人を叩けないですよね。
あなたが感情論で話して、相手に勝ちたいという意識でしか物事を考えることができないのですから。

最後に

揚げ足取りじゃなくて芯となるような部分で反論してください。

denpatirodenpatiro 2010/03/07 20:23 >sakuさん
俺はあなたのコメントを引用した上で、それに反論している。俺の読解や解釈がちがうと言うなら、それを具体的に指摘すればいいだけだ。「あなたは自分が反論しやすいように相手の意見を解釈して的外れな意見を飛ばしてくる」などというのは、負け惜しみにすぎない。どこが、どういうふうに「的外れ」なのか、具体的に指摘していただきたい。

>「ねこさんは自分が中立的と言ってるのではなく、人格を知らないでその音楽を聴く人にとって、その音楽だけでしか曲を評価をできないという事実を述べているだけです」

揚げ足を取っているのはsakuさんのほうだ。あなたはこの前のコメントで「何客観的に見ようとしている意見に対しても反論しようとしてんの?」と書いている。だから俺はそれに答えて、「自分は客観的で中立だと思っていても、そうでない場合がある」と書いたのだ。
その揚げ足を取ってあなたは、「ねこさんは自分が中立的と言ってるのではなく」と書いている。
客観的なのに、中立的でない意見ってなに? 矛盾してるよね。
客観的=中立、主観的=偏向だよ。

sakuさんこそ、俺とねこさんのやりとりを誤読している。「人格を知らないでその音楽を聴く人にとって、その音楽だけでしか曲を評価をできないという事実」を、俺は認めている。そんなことは、「あたりまえ」と何度も書いている。それにもかかわらず、ねこさんが「評価時に大切なのは人格なんかよりも実質(音楽的要素)である」と書いたから、ちがうと反論したのだ。

>「人には考えがたくさんあるというのは結論ではなく、ただの現象なのです」

その現象だけで満足し、他のことを何も考えない連中のことを、思考停止だと言っているのである。
楽曲が気に入れば、その作者のことも調べるはずだ。その作者がひどい人格であることを知ったとする。それでも心に何の葛藤も芽生えず、以前と何の変わりもなく曲が聴けるというのなら、それは思考停止しているからだ。

>「芸術はあなたが考えるより広義で、一辺倒ではありません」

残念ながらsakuさんの書いている芸術観は狭くて古い。あなたの考えは、19世紀までの芸術にしか当てはまらない。俺がねこさんとのやりとりの中で示した芸術観は、大学の「芸術学概論」レベルの初歩的なもので、それがすべてではない。この程度のことなら俺はすでに知っている。

>「世の中には豊かな発想力を持っている人はたくさんいると思いますが、技術が無ければ世には出てこないし誰からも評価されない、またはされにくいのです」

これで反論したつもりなら、ジョン・ケージはどうなる?

>「10を0にすることができなくても9や8にすることは可能でしょう」

ずいぶんトーンダウンしましたね。前のコメントでは、「いじめの無い社会を作るために何か行動したら??」とはっきり書いているのに、あなたの考える「いじめの無い社会」とは、10が9になることを言うんですか。それで、そのためにsakuさんはどんな行動をしてるんですか? 何もしてないあなたが、こういうブログで社会に問題提起している俺を批判できるんですかね。

>「あなたは飲酒運転の取り締まりの強化、厳罰化を否定しているのと同じですよ」

そんなことはない。いじめたやつは死刑にすればいいと思っているし、そういう法律ができるなら、俺は賛成する。

>「t.hこの人にも言いたいことがあるんではないでしょうか?あなたが言ってることとまるで逆のことを唱えてますよ」

たしかに俺と意見が違うところもあるけど、「まるで逆のこと」というほどではない。前にも書いたけど俺は、どんな意見でも一応は尊重する立場である。だから俺とちがう意見でも、それがその人の個人的な意見の場合には、反論しない。反論しても、そもそも立場がちがうのだから、議論が成立しない。

>「まあ自分の味方となっている人を叩けないですよね」

俺が叩いているのは、味方かどうかには関係なく、俺の意見に対して批判された場合だけである。
つまり、俺は売られたケンカを買ってるだけで、自分からケンカを仕掛ける気はあんまりない。ついでに書いておくと、俺は2ちゃんねるにもウィキペディアにも書き込んだことがないし、他人のブログにもめったにコメントしない。

>「揚げ足取りじゃなくて芯となるような部分で反論してください」

sakuさんって、けっきょく何が言いたいの? それがわからないからまた長々と書くはめになったよ。
「気持ち悪い」「寒いよ」と感情論で書くsakuさんより、俺の方が冷静で論理的じゃないかな。
あなたのコメントで「芯となるような部分」ってどこよ。3行で書いてよ。

さらばスバルよさらばスバルよ 2010/03/14 06:13 小山田圭吾のいじめですが、当事者やその周りが責めるのはよくわかるのですが、全くの第三者である自分がどれくらい責められるレベルなのかはちょっと疑問です。

具体的に問題となりそうなのは
・小学校時代沢田をダンボールに閉じ込めて毒ガス攻撃
・小学校時代沢田をマットで巻いてジャンピング・ニーパット
・高校時代沢田の下半身を露出させた
・中学の修学旅行で村田をバックドロップ
・その時先輩のいじめを静止しなかった
あたりですが、寸感を。

一番目は、小学校時代廊下でズバンとパンツ脱いで下半身マッパで扉開けっ放しでウンコするやつがいたら、まあこれくらいはするかな、といった感じ。先生なら注意はしなくちゃいけないけど。

二番目は多分やりすぎなんだけど、小学生ならやるかなあといった感じ。この歳の子供には注意と監視は必要だよなあ。

三番目は電車内で他校の女子に抱きついたり「コケコッコー」とか鳴いちゃったり、あと小山田本人の「チンポ出すことなんて、別にこいつにとって何でもないことだからさ」という言を信じるなら、別にたいしたこととも思えないかな。

四番目はどれだけしっかりかけてたのかにもよるけど、本当に「ガ〜ン!」って頭から落としてたなら酷いかな。ただ村田のキャラもキャラなので、そこは怪我しない範囲でやれよと。

五番目はダブリで同じクラスになった超遊んでる限度を知らない先輩のいじめモードを静止できる人間がどれくらいいるのか、ってことだと思う。自分にはまず無理。

こうやって見て行くと、プロレス技に関しては「怪我するだろ!」と言うことはできますね。

で、音楽と人格?の関連については、言うまでもないことかと思ったんだけど、小山田圭吾の人格を意識して聞くときもあれば、意識せずに聞くこともある,と。
たとえばコーネリアスはCMやらBGMの仕事もやってるので、誰が作ったのか知らずに聞くこともあるわけです。
そこまでいかなくても、作業用BGMに近い感じで流してる時もあれば、小山田の意図みたいなものを意識しながら聴くこともあります。
で、人格を意識した場合、いじめっこの面と音との間に齟齬が出るかというとそうでもないです。
というのはコーネリアスの音楽は本質的に「不謹慎」なところがあるから。
昔の人間が人生かけてやってたことを軽々しい文脈で引用する。
その辺も合う合わないがあると思いますよ。自分は好きですが。

確かに音楽より大事なことは色々あって、いじめ問題も自分の周りで起こればその一つではあるけど、音楽を作った人間が昔周りの人間にしてたいじめが倫理的に許せるか否かは自分にとってそこまで大事じゃないです。
それから、メディアでこういうことをこういう口調で語るのってどうなの?という見方もあると思うのですが、これがクイックジャパン内で済んでいて、コーネリアスが当時のポジションのままなら問題はなかったと思うのです。
10年後のブログ&コピペ文化と自分のポジションを予想できなかったのが問題かと思いますが、なかなかそこまでできる人もいないかな、と。

結局、いじめられてた側に感情的にコミットするとコーネリアスの音楽を朗らかに聴けない、という話ですよね。
この情報でいじめられた側に共感することの是非と、コーネリアスの音楽を朗らかに聴くことの是非を置いておけば、その意見には同意します。

けっこう長めに書いたのでコメント承認してくださいね(笑)

megotmegot 2010/04/26 10:55 僕はコーネリアスもフリッパーズも大好きです。
ですが、もう無理だと思います。

ドラッグをやっていたとは訳が違います。

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