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方言による語らいは、はた目にも温かい。やりとりの角がとれ、よそ行きの言葉では伝えにくい本音が内輪話のごとく響き合う。先月他界した福島県の詩人、斎藤庸一さんの「嫁こ」には恐れ入る▼〈たった一言申し上げやんす/おらに嫁さま世話してくれるだば/どうかこういう嫁こをお願い申しやす〉と始まり、ハイカラ好きはごめん、やや子を産める腰を持ち、ぼろを着て色っぽくと、土地の言葉で注文が続く。一言どころではない▼これを標準語の個条書きで「嫁の条件」とでもしたら、この欲張りもんと拒まれよう。すました言葉はえてして心に届かない。頼み事も約束も、大切な用件であればあるほど伝え方が問われる▼かつて民主党が掲げた政権公約には、聞こえのいい文言がすまして、いわば正座で並んでいた。「します」の羅列である。子ども手当など、いくつかの「します」は正座に耐えかね、ひざを崩して転がる。「マニフェストは生き物」とは便利な言い訳だ▼参院選の公約は、甘言より財源らしい。それはいい。だがこの生き物、いつゴロリと寝そべるか知れない。そう思わせるのも公約を軽んじた罪である。期待を裏切っても選挙のたびに水に流せると考えたか、何ごともなかったかのような改変には、もくろみ違いへの反省がない▼民主党はあたふたと国会を閉じ、風があるうちにと選挙に走る。〈おらに一票世話してくれるだば〉とあれこれ並べる前に、〈一言おわび申し上げやんす〉だろう。本気でやり直すには、ふさわしい手順と伝え方がある。