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2010年6月24日

元西武・三井浩二「ベースボール北海道」/引退後記

 ◆三井浩二(みつい・こうじ)1973年(昭48)9月15日生まれ。北海道出身。足寄高、新日鉄室蘭、新日鉄広畑を経て、00年ドラフト2位で西武入団。プロ2年目の02年には西武の左腕としては7年ぶりの2ケタ勝利。05年から救援に転向。08年シーズン終了後、ポスティング・システム(入札制度)でメジャー入りを目指すが2度の申請で入札なし。09年西武でプレーを続けるが、同年オフに戦力外通告。トライアウト、楽天、ソフトバンクの入団テストなどを受験し現役続行を望むが、10年3月引退を決断。通算282試合に登板し、36勝20敗1セーブ、防御率4・45。184センチ、86キロ。左投げ左打ち。

 現役選手のにおいが残る。引退を決意をしてから3カ月もたっていないなら、当然かもしれない。「電車に乗るのが普通になってきましたよ」。ポスティング応札なし、戦力外、トライアウト、入団テスト…。野太い左腕は、たった1年ちょっとの間に数々の逆風にさらされた。なぜだろう、三井さんの表情は大空と大地のように、おおらかだった。

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開幕5連勝をおさめた試合での三井さんの投球フォーム(2003年5月2日)

 メジャーにあこがれたのは、近年になってからだった。06年の日米野球に出場。「向こうのすごさが分かったし、テレビでもよくやるようになった。球場とかファンの1球に対する反応に『いいな』と思った」という。07年オフの契約更改交渉の席で1度、ポスティングでのメジャー移籍希望を球団に伝える。本格的に気持ちが固まるのは翌08年オフだった。

 まず渡辺監督に相談したという。「戦力としては痛い。でも自分も海外経験があるし、野球人としては応援したい」と、球団と話し合ってくれたという。球団も思いをくみ、ポスティング・システムを使ってのメジャー挑戦に出る。だが応札はなし。「僕が悪いんですけど、準備不足だった」。代理人から「もう1度行こう」と言われるが、ためらう。2度の失敗はプライドにかかわる。だが背中を押される形で、同オフに2度目のトライ。結果は無残だった。

 「何だよあいつ、メジャーに行くんじゃなかったのか?」「自分を過大評価している」…直接耳に入ってこなくても、空気は伝わる。「ショックですよね。球団の対応も変わる」。メジャー挑戦の高揚感は、立場を一変させる残留に形を変えた。結果を残すことがすべてを一掃してくれる。だが完全に割り切ることは出来なかった。「どこか頭の片隅にあった」。それまで感じなかった肩の重さに包まれる。シーズン序盤から本調子ではなかった。

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ダイエー戦で7回3安打無失点の勝利投手となった三井さん
は笑顔でスタンドにボールを投げ入れる(04年8月11日)

 後半に状態は戻った。それでも「クビかな」と感じたという。まだ出来る。トライアウト受験。声はかからない。それでもあきらめることはなかった。自宅近くの公園でランニングし、ネットにボールを投げ続ける。「毎日オレ何やってるのか、と思っていた」と振り返る。それでも楽天が10年2月のキャンプにテスト生で呼んでくれた。不合格。アメリカにも飛び、4球団の前で投げる。帰国後はすぐにソフトバンクの入団テスト。9人の打者から4三振を奪っても、不合格だった。

 最後の待ちはアメリカだった。4球団ともに獲得意思はなし。もう開幕は目前。公園を再び走り、投げているときだった。見知らぬ中年男性が「いい投げ方してるね。どこかでやってたの?」ときた。「ああ、オレもうダメだなと。自分がむなしくなってきて。寂しさと1人でやる限界…。これ以上頑張ることは出来ないと」。自身が言う「最後の悪あがき」は、意外な人物からの“通告”で幕を閉じた。

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ポスティングで応札のなかった三井さんは西武と契約を更改(09年1月20日)

 全く次のことは頭になかった。「野球をやりたい一心だったんで。(引退が)11月なら選択肢があったかも知れないけど、どうしようかなと」。引退のあいさつ回りを続ける中で、「出来ることがあれば」と声をかけてくれる人が出てくる。元同僚の柴田博之氏が塾長を務める「トムス野球塾」での講師役の話が来る。さらにはウエブサイト「スポーツ魂テンツ」で野球以外のスポーツを体験し伝えるスポーツナビゲーターとしても動き始めた。

 地元・北海道も放っておかない。来年の開幕を目指す独立リーグ「ベースボール北海道」からも手助けを依頼され、前向きに考えている。「やっぱり野球をやってきたんで、携わっていければと思った。北海道は日本ハムが来て見るファンは増えたけど、野球をやる土台がない。高校、大学でやっていても受け入れるところが少ない。去年(09年)は北海道からプロに行く選手が1人もいなかったんです」。故郷からプロ選手を生みたい思いが、あふれ出した。

 離れたばかりのプロ野球界は、どのような世界だったのか。「華やかだったな。やればやるだけ入ってくるし、わかりやすい。その反面、厳しい世界でもあった。後悔はないと言えばウソですけど、野球人生を考えればよくやったなと思います」。現役の後輩にも「後悔をしない野球人生を送ってほしい」。夢は「なんですかねえ」と、しばらく考えた。「スポーツ、野球を発展させることが夢かな。子どもたちにもっとスポーツをやってほしい。スポーツを楽しくできるんだ、ということを広げていければと思う」と話した。

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 西武時代、チームメートからは「みっちゃん」の愛称で呼ばれた。私も同じように呼び、見かければ、必ず三井さんから声をかけてくれた。ここ1年の苦悩は計り知れない。もがきあがいた日々がある。右打者の内角に切れ込む速球以上の武器を得たのだろう。「みっちゃん」は、最後までほほ笑んでいた。

三井浩二の公式ブログhttp://ameblo.jp/koji-mitsui/
「トムス野球塾」公式サイトhttp://www.tms-baseball.com/
「スポーツ魂テンツ」公式サイトhttp://www.sports-contents.com/


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「ニッカン今井でございます」
今井貴久(いまい・たかひさ)
 1971年(昭46)3月25日生まれ。東京・神田出身。学習院大から94年日刊スポーツ新聞社入社。整理部を経て99年野球部へ。西武(99、03、04年)巨人(00~02年)遊軍(05、06年)阪神(07年)オリックス(08年)連盟(08年)横浜(09年)などを担当。09年11月電子メディア局(現メディア戦略グループ)に異動。通算乱酔は無数。月末は虎になる。

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