日本に手を出した国は必ず滅びる・・・それが歴史の事実です。 日本は相互信頼主義を根本とする国です。 命をかけて戦った先人たちの努力を見直し、日本の素晴らしさを再認識して、階級闘争主義の汚染から日本を守ろう。

日本人という生き方

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中山成彬先生201006
(写真提供:やまと新聞)


以前、「日本人という生き方、ウガンダの高校生を変えた日本の躾」という記事をご紹介させていただきました。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-876.html

これは、小田島裕一さんという方が、実際にウガンダに行き、そこで野球を通じて得た心の交流の物語です。

この物語は、小田島さんが書かれた「日本人という生き方」という本を題材にしています。
ご興味のある方は、是非、ご一読をお勧めします。

「日本人という生き方」
日本人という生き方2


今日、書こうとしているのは、この本の前書きで日本アホ会会長の西田文郎氏が寄せられた文章です。

以下にその抄をご紹介します。

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人間は、ただ良い思いを描いているだけでは良くなっていきません。

良い考え方を身につけるには、良い行動から始める必要があるのです。

良い行動をすると、良い考え方が強化されます。

プラスの行動はプラスの考え方を作り、マイナスの行動はマイナスの考え方を作ります。

小田島さんの本気がウガンダの少年の心に火を灯し、夢を育みました。

そしてわずか二年の間にたくさんの奇跡を起こしました。

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日本の未来も同様だと思うのです。

日本を良くしたいという思いを抱くなら、まずは良い行動からはじめなければならない。
ボクはそう思っています。

なんでもかんでも「人のせい」にしたり、誹謗中傷をするのは、マイナスの行動です。

昨日のエントリーで、私や日心会についていろいろと誹謗中傷を重ねている方々について書かせていただきましたが、彼らは、日本人ひとりひとりがすべて、自分だけが正しく、他はすべて間違っていると言い張り、陰口をたたくような日本の姿を夢見ているのでしょうか。

私はそれは違うと思う。

日本を良くしたい。本気でそう思うなら、まずは自らの身を律するところか始めるのが筋なのではないでしょうか。

上にご紹介した本に、こんどは小田島さんご自身の書かれた「はじめに」に、次の文章があります。

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私は、アフリカのウガンダ共和国で二年間高校野球を指導してきた。毎日ウガンダの船首を指導しながら、いつも考えていたことは「日本」との違いについてであった。

当初はウガンダで起こることのすべてが、特別なことのように思えた。

しかし、時間が経ち、日本や日本人について学んでいくにつれ、日本が特別であるということを知った。

ウガンダに行き、働くことで、初めて自分が日本人であることを意識し、日本という国、日本人の素晴らしさを感じ、感謝する日々を過ごすことができた。

もし、ウガンダに行かなければ、私は、日本人であることに誇りをもてなかったかもしれない。また日本がどんなに素晴らしい国かということも知らずにいただろう。

外国において、日本人への尊敬、信頼は大変高かった。

尊敬や信頼というものは、一朝一夕では得ることができないものだけに、本当に価値がある。

いま、平和な国日本に生まれてきたことは、決して当たり前のことではなく、特別なことなのだ。

そして今の豊かな日本は、先人たちの血のにじむ努力の上に成り立っていることに、いまこそ、わたしたち日本人は気づき、感謝する必要がある。

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日教組による反日教育の成果で、日本人として日本に生まれながら、日本が大嫌いな人がたくさんいるといいます。

ところが、そうした方々が外国に出ると、なんと日本は良い国なのかと、あらためて驚きます。

日心会にも、そういう方がたくさんおいでになります。

そして小田島さんが書かれている通り、いまの日本は、まさに先人たちの血のにじむ努力の上に成り立っています。

その日本を取り返すために、ずっと戦い続けているのが、元文部大臣の中山成彬先生です。

実は、元鎌倉市議の伊藤玲子先生が、現職の議員時代、あまりの日教組教育の酷さに驚き、足を棒にして、なんと10年間、代々の文部大臣に、なんとかしてほしいと、直接陳情をされました。

ところが、残念なことに、どの文部大臣も誰も反応してくれなかった。

そして中山成彬先生が文部大臣になられたとき、またダメかもしれないと思いながら、それでも、行かなければ!と、伊藤玲子先生は、勇気を奮い起して陳情に行きます。

中山成彬先生は、玲子先生のお話を、黙って静かに最後まで、きちんとお聞きになられた。

「お話はよくわかりました」

それがそのときの中山先生のお答えです。

何日か後、伊藤玲子先生のご自宅に、一本の電話がはいります。

なんと、文部大臣(当時)の中山成彬先生からの直接のお電話です。

そして文部省の幹部を集め、勉強するので来庁してもらいたい、ご一緒に教育現場を視察します、とのお話でした。

その瞬間、伊藤玲子先生は、全身に鳥肌が経つほどの感動を覚えられたそうです。

電話での中山成彬先生の一語一語から、日本の教育へのゆるぎない信念と情熱が伝わってきたからです。

その日から、教育現場の視察が始まります。
文部大臣が直々に視察にまわるのです。
前代未聞の出来事です。

そして中山成彬先生は、総理と諮り、教育基本法の改正に取り組まれた。
戦後初の大改革です。
日教組や野党は猛反発、猛反対です。

ありとあらゆる非難中傷も受けた。

それに対し、中山成彬先生は、堂々と、かつ粛々と法を改正されました。
戦後、50年以上にわたり、誰もできなかったことを実現されたのです。

現代日本にもっとも欠落しているもの、そして日本国内に反日政権を誕生することを許してしまった最大の理由。

それは日本人の「国家観の喪失」にある、とボクは思っています。

ならば、日本を取り返すための戦いは、日本人が国家観を取り戻すための教育改革は喫緊の課題です。

なんとしても、中山成彬先生は国政に復帰いただかなければならない人である。

ボクはそう思っています。

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第22回参議院議員通常選挙・第八次公認候補者 中山成彬 / たちあがれ日本


日本の心を伝える会 日心会

ねずきち並びに日心会批判をしている皆様へ

今日は、いつものポジティブ記事を楽しみにしている方には申し訳ないのですが、すこしイヤなことを書きます。

日心会ならびに、ねずきち個人に対する中傷が、いろいろなサイトに書かれています。

それら中傷は、もとをただせば、元日心会副会長のかぐやひめの造反に端を発するものです。

私としては、本人に恥をかかせてはかわいそうだと、これまで何があったのか、その事実関係についての発表を控えていました。

その結果、1月末に自主退会となってから5カ月。

ありがたみを感じるどころか、仲間を集め、いよいよ日心会ならびにねずきちへの非難中傷を声高に叫ぶようになってきています。

かぐやひめのブログなどを見ると、自分は日心会の会員が、ねずきちなる者に騙されないようにするために、むしろ元副会長としての責任を感じてやっていると言い出すなど、本末転倒です。

あげく、日心会教育担当のミリアさんブログで、できるだけやさしく受け答えをしていると、そこにねずきち本人が出てこないのは、ねずきちに「やましいところがあるからだ」などと、口々に言い募る始末。

そもそも彼女らは、あさ吉、TTMと組み、ねずきちの集客力を当て込んで、人を集め、そこでカネを集めてひと儲けしようという悪だくみがバレて、日心会を首になったのです。

そんなことをすれば、多くの会員に迷惑がかかるだけでなく、保守の信用すら失墜させる。クビは当然です。

それを「身に覚えがないことでクビにされた。日心会はねずきちの独善的言論封殺独裁機関である」等と、馬鹿げた妄想で、会を誹謗する。

支那人が、日本で強盗をやって捕まると、「自分は強盗以外、これまで悪いことはひとつもやったことはない」と開き直るそうです。冗談じゃない。強盗が悪いことなのです。

本件はそれと同じで、ねずきちを利用して日心会でひと儲けをたくらんだ悪だくみ三人組が、自己を正当化しているだけの事柄です。

それがわかるから、あえて黙っていたあげたものを、こっちが黙っていることをいいことにして、言いたい放題。
中韓を知りすぎた男、かぐやひめ語録、2ちゃんねる、侍蟻、瀬戸ブログと、黙って我慢してきましたが、ミリアさんのせっかくの誠実な対応にまで、揶揄しいちゃもんをつけ、銀時さんにまで迷惑をかけはじめた。

最早、これ以上の放置はできません。

まず、事実をひとつ提示します。

今年1月6日に、日心会MLにアップされた投稿です。
MLNo.は、8054番です。

日心会MLの過去スレッドを検索すれば出てくるものです。
原文のまま、コピペします。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

【件名】教えていただけませんでしょうか..あさやんです。

投稿者:あさ吉さん
2010/01/06 17:55 MLNo.8054

こんにちは...あさやんです。

教えて頂きたいというのは、姫さんの活動の基軸の件です。
姫さんからメールを頂いて...私は姫さんが納得して活動されるなら賛成ですと言いましたが
何かが足らない様な気がして仕方ないのです。

「私の原点は”大東亜戦争は、無駄な戦争じゃなかった。無駄死にではなかった”と世間に伝えたいこと」

判るんですが...何かが足りないのです。
何が足らないのかが判らず....
それが、ずっと引っかかっているのです。
日心会の八策とかぶってしまい...本当にこれで会員が賛同してくれるのか?
日心会で行ってる事を
関西で別活動費を払ってまで参加してくれるのか?

姫さんは、日心会をまだ脱会をしてません。
その中で新たな活動が出来るのか?

私は本当に活動するなら姫さんが会を脱会をしないと何も出来ないと思っています。
脱会をすれば、活動基軸訴えても会員は納得すると思います。

余りにも日心会八策は、アバウトすぎて何をどうしたいのかが見えません。
見える形での活動は大いに賛成してくれるとは思いますが...
現状は、まだ姫さんは会を脱会をしていません。
関西会員は日心会のメンバーです。
その人達に向かって本当に心を動かせるのかが心配です。

関西圏で姫さんが潰されて欲しくないのです。
最終的には...日心会と全面戦争をしてでも
心ある会員を引き込みたいのです。(私としては...)

それだけに、最初の一歩が大事だと思っています。
心配しすぎなら問題は無いのですが
私の見方ですが...姫さんの気持ちがまだ日心会に残っているような気がしているからかも判りません。
活動の基軸に何かが...と思いTTMさんの御意見をお聞かせ願えればと思い
メールをさせて頂きました。
もし...何か在れば姫さんにアドバイス願えませんでしょうか。
宜しくお願い致します。

あさやんでした。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

このトピは、当時会員で、日心会の草創期のメンバーであり、当時日心会副会長であったかぐや姫氏と仲の良かったあさ吉氏の投稿です。

間違って投降したのか、意図的なものなのかは知りません。

しかし、
ここに書かれた文言は、

「日心会で行ってる事を関西で別活動費を払ってまで参加してくれるのか?」

「姫さんは、日心会をまだ脱会をしてません。その中で新たな活動が出来るのか?」

「私は本当に活動するなら姫さんが会を脱会をしないと何も出来ないと思っています。
脱会をすれば、活動基軸訴えても会員は納得すると思います。」

「現状は、まだ姫さんは会を脱会をしていません。関西会員は日心会のメンバーです。
その人達に向かって本当に心を動かせるのか」

というものです。

この投稿の半月ほど前、関西の数名の会員が、当時副会長だったかぐやひめ、あさ吉両名等から呼び出しを受け、

1 日心会はおかしい。
2 ねずきちもおかしい。
3 自分たちは会を割って別な会を作るから、仲間にならないか。

と誘いを受けています。
呼び出された当人は、断っています。

呼び出されたり、メールをもらった人たちの話を総合すると、かぐやひめ氏らの計算によれば、数百名の会員から、月一万円の会費を集めれば、大金が転がり込む。だから一緒にやらないか、というものであったそうです。

不思議なことにこの頃のかぐやひめ氏は、やたらにピラミッド型組織を作れだの、規約を訂正して本部会計を通帳管理まで含めて、全部支部でやらせろだのと主張していました。

常識で考えればわかることですが、会ったこともない人、誰かの紹介でもなく、単にブログを通じて賛同の意思表示をしてくれただけという段階で、組織もなにもありません。
当面は、全員がフラットな形で、いろいろと交流を重ね、そこから自然とリーダーが生まれる。様子を見るのが常識です。

にもかかわらず、やたらと組織を作れ、組織を作れ、カネはどうなっている。いくら集まったのか? カネの管理は自分たちにやらせろ、と言います。

それらの発言は、彼女らが日心会をカネ儲けの道具にしようとしたものだと考えれば、すべてつじつまがあいます。

ピラミッド型組織というのをネズミ講のような集金機構と考えれば、組織に人格は不要です。フラット型組織など、もってのほかといえることでしょう。

本部経費まで支部で全額管理させろというのも、ねずきちに人集めをさせて、カネはしっかりいただこうという魂胆というなら、なるほどと納得できます。

しかし日心会は、ネズミ講ではありません。金儲けのための営利団体でもありません。
現実には、会員の皆さんも、ボク自身も、持ち出しばかりでやっている。
経済的なことを考えたら、バカらしくてやってらんないです。

銭金よりも、日本を守らなくちゃ、という思いがあるからやっているのです。
時間もカネも持ち出しです。
保守活動は、良心の活動です。
あたりまえのことです。

良心の活動なら、組織は人です。
互いの信頼関係の構築が課題です。
肩書きなどではなく、がんばる人に、人は自然とついてくる。
その中で、自然と組織もできあがってくる。そういうものです。
ピラミッドがどうのなどと、どんな人かもわからない状況下では空論です。

上記のメールの文面を見ると、自分たちで「別な会」を作ろうとしていた様子がうかがえますが、そもそも、自分たちで別組織を作りたいなら、勝手に作ればいいことです。
してはいけないなどと、私は一度も言ったことがない。
むしろ、どんどん作ってくださいと、あちこちで言っています。

いまでも、日心会の会員さんで、自分で別な会派を構築している人はたくさんおいでです。
また、仮にいまこれをお読みのあなたが、ご自分で保守の会を作れば、必ず、そこに日心会の人でない、別な仲間を連れてくる。
そうすれば、その人数分だけ保守の勢力が増えます。
いまは、日本国内の保守人口そのものが足らないのです。
だから選挙で反日政権が誕生したのです。
保守の人が増える活動なら、それは護国のための活動です。

要するに、会を作りたいなら、彼女らで勝手に作ればよいのです。

なのに「日心会で行ってる事を関西で別活動費を払ってまで参加してくれるのか?」などと心配している。
これはどういう意味でしょうか。

会そのものの位置づけや志向ではなく、心配しているのはカネのことです。
要するに、自分たちに向けていかにカネを集めるか、です。

こうなると彼女らの根底にあるのは、保守の活動のために何かをしたい、という「護国」のための行動を目的としたものではなく、ねずきちに人を集めさせて「活動費」を横取りしようという目的としかいいようがない。

そういう魂胆を露骨の者が、日心会の副会長を名乗り、関西総支部長であるというのは、異常な出来事です。
周囲から、クビにしてくれと苦情が出てあたりまえです。

実際、当時、私のもとには、毎日のように苦情が寄せられました。

昨年11月下旬には、除名せよの声があがり、12月の段階では、おそらく日心会の幹部で、私以外の全員が、ひめさんを除名せよと言っていた。

私がかばってもかばっても、次々と事実が明るみに出る。

私もこう言われた。
断ったら酷いことを言われた。
露骨に無視されるようになった等々。

どう考えても、誰が見ても、ここまできたら除名です。

それでも彼女は日心会草創のメンバーであるし、副会長職にいた人であるし、それなら、本人の名誉のために、自主退会を勧奨してあげよう。事実関係についても、公表は差し控えよう、そう決意して1月末、関西に行き、本人他数名の関西幹部同席のもとで、その旨、私から直接本人に話させていただきました。

そしてその場で、かぐやひめは自主退会しました。

ところが、1月末に退会してから5カ月。
本人は、反省するどころか、仲間を集め、いよいよ日心会ならびにねずきちへの非難中傷を声高に叫ぶようになってきています。

かぐやひめのブログなどを見ると、自分は日心会の会員が、ねずきちなる者に騙されないようにするために、むしろ元副会長としての責任を感じてやっていると言い出している。本末転倒も甚だしいです。

あげく、ミリアさんの方で、できるだけやさしく受け答えをしていると、ねずきち本人が出てこないのは、ねずきちに「やましいところがあるからだ」などと、口々に言い募る。

そもそも彼女らは、あさ吉、TTMと組み、ねずきちの集客力を当て込んで、人を集め、そこでカネを集めてひと儲けしようという悪だくみがバレて、日心会を首になったのです。
そんなことをすれば、多くの会員に迷惑がかかるだけでなく、保守の信用すら失墜させる。
クビで当然です。

それを「身に覚えがないことでクビにされた。日心会はねずきちの独善的言論封殺独裁機関である」等と、馬鹿げた妄想で、会を誹謗する。

支那人が、日本で強盗をやって捕まると、「自分は強盗以外、これまで悪いことはひとつもやったことはない」と開き直るそうです。冗談じゃない。強盗が悪いことなのです。

本件はそれと同じです。
ねずきちの集客力を利用して日心会でひと儲けをたくらんだ悪だくみ三人組が、バレてクビになった腹いせを、あちこちで展開しているだけの自己正当化です。

それがわかるから、あえて黙っていたあげたものを、こっちが黙っていることをいいことにして、言いたい放題。

中韓を知りすぎた男、かぐやひめ語録、2ちゃんねる、侍蟻、瀬戸ブログと、黙って我慢してきましたが、ミリアさんのせっかくの誠実な対応にまで、揶揄しいちゃもんをつけ、銀時さんにまで迷惑をかけはじめた。

世の中は面白いもので、同じような人は、自然と集まるようです。
似た者同士、一つ穴の狢(むじな)ともいいます。

昨今では、かぐやひめに、日心会MLでの暴言が原因となってMLへのアクセス禁止処分となったあきつ、まつ星、ねずきちブログで乱暴な言辞を用いてアクセス禁止処分になったけんぶつなどが同調して、一緒になって、ねずきち叩き、日心会叩きをしているようです。
どういうわけか最近では、椿氏まで、彼らの仲間入りをしている。

グタグタ言うのも馬鹿らしいので、黙っていましたが、中韓を知りすぎた男というサイトにおいて、あまりに中傷が過ぎるだけでなく、個人のプライバシーまで晒し、さらには統一教会だの、創価だの、朝鮮人だの、元暴力団員だのと、わけのわからない名誉棄損行為を繰り返すので、これについては私から警察に被害届を提出させていただきました。

ところが中韓ブログでアク禁になり、警察問題にまでなっていながら、今度は、ご丁寧に日心会の顧問となっていただいている先生方にまで、ねずきちは浜松の暴力団員であるから注意せよ、などと、意味不明の中傷の手紙までだしはじめた。
ここまでくると、完全に常軌を逸しています。

私は2000年まで従業員4000名の上場企業の社員であり、その後独立して自営業をはじめました。ヤクザ組織とは何の関係もない。


あきつ氏については、日心会MLにおいて、陛下を奴隷呼ばわりする等、極めて不穏当な発言があり、多くの会員が彼に注意をしています。
にもかかわらず、自分は憲法の専門家であり、周囲の諫言は、不適切であると言い放ち、何の反省もない。
そこで、会としては、あきつ氏が憲法の専門家というなら、日心会MLには、一般会員もいるし、すべての発言は、メールでML会員全員に配信されてしまうので、憲法論議のための専用MLを別に建てるから、そちらでまず主張を整理し、議論しようと、もちかけました。
要するに、彼のために、わざわざ専用部屋を設けたのです。

この方式は、政治問題等で、議論が紛糾する事柄に関しては、他のメンバーの方に置いても行い、それにより双方の誤解が解け、互いの信頼関係が実際に深まったケースも、多数あります。
要するに、会では実績のある方法です。

ところがあきつ氏は、そこに来ない。
来ずに、相変わらず、暴言をしつこく続けます。

会員にはいろいろな人がいるのです。
日心会のMLは、一般の人たちにすこでも日本の素晴らしさを知っていただこうというのが趣旨です。
その日心会MLで、極めて乱暴な言葉遣い、他人を見下した態度は、やはり多くの会員からの苦情となります。

そこでやむなく、あきつ氏は、日心会MLへのアクセスを禁止にしました。
本人はそれを言論封殺だとか言っているようですが、夜な夜な、多数のメールのやりとりでの議論を、約1ヶ月以上も続けたのです。
その間、多数の会員から、もうすこし言葉づかいを考えてほしいと、再三、あきつしに苦情を申し上げています。

ここまできたら、アクセス禁止は、当然の措置です。

ちなみに日心会の会員は、現在3500名ほどです。
このうちMLに参加しているのは、約800名です。
したがって、MLへのアクセス禁止となっても、会員資格を失ったわけではありません。
なぜなら、本人が反省し、言葉づかいをあらためさえすれば、いつでも日心会は門戸を開いているからです。


つぎにまつ星氏です。
彼女は日心会の関西副支部長の要職にあり、会の会合にも何度も足を運んでいます。そしてかぐやひめ問題が浮上した際に、先頭をきってかぐやひめ批判をしていたのも、彼女です。

教養もあり、素晴らしい保守の信念の持ち主と思っています。
彼女は真・保守の会にも所属しており、そこの主催者である遠藤健太郎氏への面会を私に求めてきました。

良いですよ、と軽くお受けしましたが、彼女は会うようにと指示をしただけで、いっこうに遠藤氏との面会のセッティングはしません。
自分から遠藤氏に話はしてある。遠藤氏は素晴らしい人だから会ってくれ、というばかりです。

普通は、そうした場合、両方の会に所属している本人が、仲介のセッティングをとるものですが、いっこうに彼女にその気配がないため、やむなく私自身から遠藤氏のブログのコメント欄で、お会いしたいとの申し入れをしました。

3度にわたり、直接メールのやり取りをして、結果は私が面会を断られる形で、面会は実現しませんでした。
そのことについて、まつ星氏は、ねずきちが会わないのは、ねずきちに問題があるのだと言い、個人メールでねずきちの人格には問題があると、あちこちの会員にメールを送るようになりました。

驚いた会員様が、どうしたのかと、当方に問い合わせがはいり、事情がわかり、複数の幹部から、彼女をいさめるためのメールをしましたが、本人は納得せず、日心会の通常MLで、会への疑問を呈するようになりました。

日心会には保守の定義がない。それは日心会がいい加減な証拠である、というのは、彼女の主張です。

しかし日心会は、日本の心をつたえる会です。
日本の心、つたえる、ということについては、綱領でその意義を明確に示していますが、規約にも、綱領にも会の名称にも、保守ということは謳っていません。

真保守の会は、その名の通り、我こそは真の保守なり、と謳っているわけですから、彼らが自分たちの考える保守の定義をするのはあたりまえです。

日心会は、保守に覚醒していない普通の人たちを相手に、日本の素晴らしさを説こうという団体ですから、特に保守を謳わない。
謳わないから保守ではないといわれれば、その通りです。実際に謳ってない。
しかし、日本を愛し、日本の歴史伝統文化を尊重しようという運動であることは、間違いのない事実です。

これについても、多くの会員から、同様の発言で、まつ星さんをいさめる投稿がなされましたが、彼女は同じく真保守の会のあきつ氏と一緒になり、日心会は集団で言論封殺していると、言います。
冗談じゃない。1ヶ月以上、自由に発言を認めています。
その間、まつ星氏には苦情のオンパレードです。

こうなると感情論になってしまいます。そこで日心会としては、彼女を一般MLから一時的にアクセスを禁止しました。
ただし、彼女は日心会の正会員ですから、日心会正会員専用MLでの発言は自由にできます。言いたいことがあるなら、正会員同士で、正々堂々とご自分の意見をご主張されれば良いのです。

しかし、現在にいたるまで、彼女から日心会正会員MLへの投稿はひとつもありません。それどころか日心会とは関係のないサイトで、日心会の誹謗中傷を続けている。その態度は、卑怯者のすることです。


椿さんに関しては、ねずきちブログの冒頭の言葉である「日本に手を出した国は必ず滅びる」は彼女の言葉ですし、情熱あるねずきちブログでの発言には、いつも感服しています。いまも尊敬の念は変わりません。

しかし、いつの頃からか、かぐやひめ氏から直接メールで繰り返し日心会ならびにねずきちについて、いろいろ語られ、どうやら、ねずきちがかぐやひめさんに劣情を持ち、会長副会長で恋愛ゲームをしていたと思いこみをされたようです。
彼女から私への最後のメールが、そういう内容でした。

しかし、悪いけれど、私には70近い女生と恋愛ゲームをするつもりは私にはまったくありません。
そもそも護国の会を立ち上げるに際し、下半身問題は、まさに忌むべき事柄です。

私としては、かぐやひめがなにか勘違いしてベタベタしてくれば、当然、距離を置く。
会の主催者として、あたりまえのことです。

椿さんが、会について何やら疑問があるなら、私に直接言ってくればいい。
アク禁もしていません。
それをせずに、見えないところでコソコソとやっているのは、平素のあなたの発言とは程遠い卑怯な振舞です。


大阪のおっさん、けんぶつ、その他JPG真正保守について。

彼らは、当ブログに置いて乱暴な言葉を用い、また、投稿のたびごとに、なぜか毎回IPアドレスが違うという、普通ではあまり考えられない状況があった者たちです。

当ブログの趣旨とも相容れず、相互信頼、互譲の精神もなく、ただやみくもに人の非難を繰り返すだけの投稿が目立つため、当ブログからアクセス禁止としました。

他のブログ主さんも、彼らの投稿について、IPアドレスをご確認なさってみてください。毎回、異なるIPからの投稿です。
そして、当日のブログの趣旨とはまるで関係のない事柄を延々と書き連ねるという癖があるようです。

だから私は彼らを当ブログからアクセス禁止にしました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

さて、ここまで書いたところで、現在、当ブログでブラックリストとして禁止しているIPアドレス(アダルトサイトを含む)を、いったん、全部、解除しました。

これで、これまで当ブログでアク禁にした方々全員が、このブログに自由に投稿ができるようになりました。

言いたいことがあるなら、他人のブログでコソコソ書いているのではなく、それぞれここで堂々と意見を開陳なさい。

ねずブロで、自由な発言の機会を得て、なお、他の関係のないサイトでコソコソと日心会やねずきちの悪口を言いふらしているなら、あなた方は、ご自分で、「自分は卑怯者である」と宣言されるようなものです。

ただし、2つ条件を申し上げます。

ひとつは、ここでHNを挙げた方々にコメント欄を解放するのは、このトピのみです。
他のトピに書き込みをするようなら、即刻削除します。

言いたいことがあるなら、ここで書きなさい。

ふたつめは、日心会ならびにねずきち個人への非難中傷に関しては、すでに警察に被害届を出しています。
罪状は、刑法230条、231条、233条です。

また、民亊での損害賠償請求訴訟も現在準備中です。

従いまして、ここであなた方が発言される内容とIPアドレス等は、すべて裁判上の証拠となります。


なお、その他の方々が、このトピで発言されるも、自由です。

以上です。

消えた歴史

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忠魂碑(春日部八幡神社)
忠魂碑希典書


今日のお題は、消えた歴史です。

戦後、ほんとうに日本的なもの、日本人が絶対に知っておくべき様々な歴史が、次々と消えて行っているように思います。

たとえば、物語として、日本の神話や、曽我兄弟、二宮尊徳、赤穂浪士、山鹿素行、乃木希典、天狗党、天誅組、義経と頼朝の相克、壬申の乱、朝鮮進駐軍、ハーグ陸戦条約、軍人勅諭、教育勅語等々、数え上げればきりがない。

そしてそういう大きな話だけでなく、ほんの身近な小さなお話も、あとすこしで消えてなくなりそうになっています。

こんなことを書きだしたのは、実は、先日、ウチの近所の神社で、高さ3メートルくらいの大きな石でできた碑文を観たからです。

その碑文は、冒頭の写真のものです。

「忠魂碑、希典書」

と書いてあります。

乃木大将が、揮毫(きごう)し、地元の八幡神社に置かれたものです。

年号ははいっていません。

おそらくは、日露戦争で春日部のあたりで編成された部隊が旅順要塞の二百三高地で戦い、玉砕されたのでしょう。

そのことを悼んだ乃木将軍が、自ら筆をとって、大きな碑文を春日部八幡神社にご寄贈された。

おそらくこの碑が建てられたときは、地元民は大集合して戦没者を悼んだものと思われます。

日本が大東亜戦争に負けたとき、GHQがやってくると聞いた地元の人たちは、世話役たちが集まって、万一、この碑文がGHQによって接取または取り壊しになったら申し訳ないと、みんなで力をあわせて、この碑を、地面に埋めてしまいます。

昭和20年の夏のことです。

そしてサンフランシスコ講和条約締結によって、日本が主権を回復したとき、地元のおじちゃんたちが集まって、みんなでこの碑を掘り起こします。

そしてもとからある台座の上に、碑を建てた。

日露戦争が終わったのが、明治38(1905)年です。
大東亜戦争の終戦が昭和20(1945)年。

サンフランシスコ平和条約が、昭和27(1952)年です。

つまり、日露戦争が終わって、サンフランシスコ条約が締結され、この碑が掘り個々されるまで、わずか47年しかたっていない。

日露戦争に従軍され、命を落とされた兵隊さんは、当時だいたい20歳前後です。

彼らのお嫁さんも、当時はたち前後だった。

ですから、この碑が掘り起こされたときは、65〜70歳くらいです。
まだまだご存命だった。

若い日に、大好きだった勇敢で明るくてしっかり者だったうちの父ちゃんが名誉の戦死を遂げた。

その死を悼んで、乃木将軍が、大きな碑を建ててくださった。

その碑は、地域のみんなで大事に大事に、地元の神社に建立されていた。

毎年、神社に行くたびに、この碑の前で、お父ちゃんに手を合わせていた。

その碑が、日本が戦争に負けて、地面に埋めてあった。

ようやく、7年経って、その碑が掘り起こされて。。。

重機なんかありません。
ぜんぶ、手作業で、みんなでエンコラってやった。

土を払い、水できれいに洗って、みんなで力を合わせて、碑をふたたび境内に建てた。

そのとき、おばあちゃんは、地面にひざまづいて、両手を合わせ、涙を流していた。

おばあちゃんには、その碑が、きっと亡くなられた夫の姿に見えたにちがいありません。

夫が帰って来た、そんなふうに感じられたのかもしれない。

両手を合わせて涙を流すおばあちゃん。

そのおばあちゃんの横で、一緒に涙を流す、もう、いいかげんおばちゃんの年齢になっている娘さん。

旅順要塞戦の頃、まだ3つだった伍長の息子さんは、もう壮年です。
境内で、碑を起こす人夫さんたちに大声で指揮をとっている。

サンフランシスコ講和条約締結の日は、9月8日です。

まだ残暑が厳しい。

神社の境内には、蝉がミンミン鳴いている。

飛び散る汗。人足さんたちの掛け声、三角に組まれた足場。

地面に座り込んで手を合わせるお婆ちゃんたち。

碑が立ちあがり、お天道様が西の空に沈んで、その日の夜、神社の氏子会館で、簡単な宴が行われます。

なつかしいおじいちゃん、青春の日のおじいちゃん、勇壮な出征のときの様子が語られる。

乃木将軍がやってきた日のことが語られる。

「あの日は、県知事さんや、市長さんたちも来てね・・・」

「乃木将軍、大礼服来て、あの日、暑かったぺや」

「おめえ、いたずらこいて、兵隊さんに怒られてたろ?」

「やめてよ、お母さん。あれはもう50年も昔の話でねーか」

宴が終わって、帰り道、またまた境内で、両手を合わせ、深々とお辞儀をして二拍する人々。

そんな歴史が、いま住んでいる、すぐ近くの神社にあった。

でもね、そんな歴史が、紙にはなってない。文字になってない。
もう90歳になる近所のおじいちゃんが、亡くなったら、もう「忠魂碑」が、なぜ、いつ建てられ、戦後の一時期、みんなでそれを埋めて、講和条約のあと、また掘り返したって話は、おそらく消えてなくなってしまう。

でも、ボクには、この「忠魂碑」のお話は、とっても大切なお話に思えました。

昔は、日本の家は、二世代三世代同居があたりまえでした。
家にはテレビもファミコンもなかったし、一家団欒の時間などに、その家のお年寄りが結構、昔話などを聞かせてくれた。

そんな話が、代々語り継がれた。

しかし、戦後政治は、核家族化を推進し、家族が揃って食事をする時間さえも、昨今では、非常に少なくなり、さらには、食事の時間も、目線や耳は、テレビのバカ話にとられています。

だから、こういう昔のお話を、知る機会自体が、ほとんどなくなってきている。

おそらく、みなさんの地元、これを読んでくださっているみなさんの故郷や地元にも、「このままほっといたら、消えてなくなってしまう」地元のとっても大切な物語が、たくさんあるのだろうと思います。

そんなお話を、全国で次々に発掘し、文字にし、後世に正しく伝えるという活動は、これからの日本の再生に欠かせないことなのではないかと思っています。

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乃木希典将軍 士規七則講話


日本の心を伝える会 日心会

中山成彬先生、たちあがれ日本から参院選出馬

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中山成彬先生
中山成彬先生


およそ保守の方々は、総理並びに閣僚の皆様方の靖国参拝については当然と思っておいでと思いますし、拉致被害者問題の早期解決を願い、人権擁護法案、外国人参政権、子ども手当、夫婦別姓、戸籍制度改悪等には、断固反対の立場をとり、かつ、日教組教育には虫唾が走り、道徳教育の復活を願っている方々であろうかと思います。

現在、様々な新党ができていますが、今回の参院選において、これら各事項を政策として掲げ、かつそれぞれの問題の中核となる議員の先生を擁立している政党は、なぜか「たちあがれ日本」だけです。
http://www.tachiagare.jp/pdf/newsrelease_100617_2.pdf

つまり、これまで保守を自認する皆様方が戦ってきた「すべて」の事柄について、これを綱領、公約に掲げている政党は、2010年6月21日の本日ただいまにおいて、「たちあがれ日本」だけ、です。

どんなにうまいことを言っても、ボクには、靖国参拝を掲げない政党は、日本の政党とは思えません。

日本を守るために戦い、命を捧げられた236万柱の英霊に対し、国家として感謝の念を顕すのは、あたりまえのこと、と思うからです。
お国のために死んだのです。
それを国家として顕彰しないで、なんのための政府か。

どんなにきれいごとをならべても、どんなにニコニコといい顔をしても、国家のために命を捧げた英霊に対する礼ができないなら、それは「命まで捧げて国家のために貢献しても、無視します」と意思表示しているようなものです。

そういう政党は、信頼の名に値しない。

だって、そうじゃありませんか?
命がけどころか、命を捧げた人に対してすら無視するのです。
そういう政党が、普通に生きる日本人を真剣に護ると思いますか?

いわば、護国の政党かどうかは、簡単にいえば、靖国参拝の1点が踏み絵となる。

そして、このことをはっきりと主張し、かつ、この一年、日本を守ろうと様々な戦いをしてこられたすべての保守にとって、その主張を、そのまま政権公約として意思表示しているのは、「たちあがれ日本」である、ということです。

その「たちあがれ日本」に、今般、中山成彬、中山恭子両先生が入党しました。

中山恭子先生は、拉致被害者を実際に北朝鮮から連れ帰って来られた方です。
この方は、おっとりとした、まさにやまとなでしこそのもののようなやさしさを讃えておいでですが、ウズベクスタンで、武装タリバンが日本人4人を拉致したとき、日本の大使として、単身、武装タリバンのもとに乗り込み、見事日本人拉致被害者を連れ帰った実績があります。

ウズベクの大統領でさえ、怖がって行かなかった武装タリバンのもとに、女性の身で、単身、乗り込む。
男だって、そうそうできることじゃありません。

世界的な有名な武装ゲリラのもとに、拉致被害者を取り戻すために、単身で乗り込む。
あなたならできますか?

それを現実にやったのが中山恭子先生です。

そして北朝鮮の拉致被害者に関しても、実際に北に乗り込み、被害者を日本に連れ帰って来られたのは、中山恭子先生です。

恭子先生まで、拉致され抑留される危険だってあったのです。
それを堂々と北朝鮮に乗り込み、被害者を取り返してきた。

拉致被害者と中山恭子先生


そして、北朝鮮が日本に帰って来た拉致被害者を返せ、と言ってきたときに、当時の自民党執行部の全員が、北朝鮮との対立を惧れて「返そう」と傾く中で、断固、国家の手で被害者を守りぬくべき、絶対に返してはならない!と、ただひとり明確に主張され、日本復帰を守りとおしたのも、中山恭子先生です。

ですから、自民党内においても、また国際的にも、中山恭子先生は絶対の信用があります。

そしてその中山恭子先生が、ご自身の所属する政党として選んだのが、「たちあがれ日本」です。
なぜなら、「たちあがれ日本」だけが、拉致被害者救出を公約に掲げている。

そして靖国参拝と日教組教育の撲滅を明確に主張され、議員生命まで賭して戦いぬいているのが、夫である中山成彬先生です。

そもそも、中山成彬先生の東京事務所は、靖国神社と自衛隊市ヶ谷駐屯地のすぐそばです。

他の多くの先生方が、東京事務所を永田町界隈に置く中で、あえて靖国神社の境内のすぐ近くに事務所を構えられているのは、実際のところ中山先生だけです。

中山先生は、ご自身で相当の集票力のおありになる方です。
その中山先生が、今般の参院選という厳しい選挙において、ご自身の所属する自民党に最後の最後まで、公認の要請をされました。

自民党が、まいかい肝心な時に腰砕けになるのにです。

中山先生は、公認締め切りの最後の瞬間まで、自民党で出馬してもよいとされました。

これは当然のことです。一宿一飯の恩義があるのです。
簡単に転向などできない。

そして最終的に自民党で公認しない、となったところで、たちあがれ日本からの出馬を宣言されました。

ご存知の通り、たちあがれ日本は、もともとは平沼赳夫先生、中山成彬先生で新党構想を固め、組成した政党です。

ここで中山成彬先生が、たちあがれ日本からの出馬を宣言されることで、たちあがれ日本は、本来のあるべき結党の姿になったわけです。

来たる参院選で、「選挙区(全国区)中山成彬」と投票することは、そのまま「たちあがれ日本」の比例区に一票を投じることになります。

そのたちあがれ日本は、この一年、保守系のありとあらゆる会派が、デモやネット拡散、ビラまき、ポスティングで主張し続けたすべての主張を、そのまま綱領、公約に記載しています。

旗色明確です。

この一年、本気で靖国、拉致、人権擁護法案反対、外国人参政権反対、子ども手当反対、夫婦別姓反対、戸籍制度改悪反対、日教組教育断固阻止を思い、かつ行動してきたなら、投票はこれで決まりです。

全国区 中山なりあき

で、投票です。

さらにいえば、いまこれをお読みのあなたが、票を投じれば1票です。
しかし、あなたが友人や知人に声をかけ、
5人に投票をお願いすれば、5票。
10人に投票をお願いすれば、10票。
そしてそのお友達の妻子が、さらに票を投じれば、その票の数は、あなた自身の1票は、100票にも1000票ににもなっていきます。

「中山成彬」は難しいので「中山なりあき」と書いて頂くように、お知り合いにメールでお願いしてみてください。

なんとしても中山なりあき先生の100万票以上のトップ当選を目指しましょう!

中山成彬先生は、昨年10月27日、日本解体法案阻止の先鞭をきって「10・27『日本解体法案』反対請願受付国民集会:中川昭一先生追悼」を発起人代表として開催され、その時に国内外から集まった請願書は約10万筆でした。

中山成彬先生は、日本解体法案を阻止する象徴として、いまこそ日本に必要な政治家です。

中山成彬先生がツイッターとブログを始められましたが、6月24日公示以降の選挙期間中は、更新できなくなりますので、激励の一言を入れて頂ければ参議院選挙を戦うエネルギーになると思われます。

ブログ:http://nakayamanariaki.cocolog-nifty.com/blog/
Twitter:http://twitter.com/nakayamanariaki

以上よろしくお願いします。

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中山成彬氏、中山恭子議員、たちあがれ日本入党へ


日本の心を伝える会 日心会

インカ帝国の滅亡

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インカ帝国
インカ帝国


先日、日心会メルマガに、以下のお話を書きました。

インカ帝国のお話です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

インカ帝国というのは、いまは南アメリカのペルーのあたりにあった、一大文明国でした。

最盛期には、80の民族と1600万人の人口をかかえていた。

巨大な石の建築物、
カミソリの刃も通さないほど精巧に重ねられた石の加工技術、

黄金の仮面
水晶のドクロ、
土器や織物
謎の高原都市

インカの遺跡は、ものすごく高度な統治システムと、進化した技術に彩られています。

ところが、それだけの巨大文明でありながら、いまでは、その歴史、伝統、文化の一切は失われ、遺跡もただ「謎」です。

このインカ文明のおおもとにあたるアンデス文明は、紀元前7500年ころまでに始まったとされています。

紀元前7500年といえば、日本では鹿児島沖でカルデラ大爆発が起こり、遠洋漁業が始まった頃です。

アンデス文明を形成したインカの民は、男性の身長が平均1m57cm、女性が1m45cmくらいのモンゴロイドです。

遺伝子的には、いまから1万8千年ほど前に、地球気温が急速に低下し、北極圏、南極圏の氷が発達(年間平均気温で▲8度くらいだったそうです)。
これにより、海面がいまより140メートルほど下がり、シベリア、アリューシャン列島、樺太、北海道、本州などがみんな陸続きになった。

このとき、バイカル湖のあたりにいたモンゴロイドが、一部は、中央アジアへ、一部が太平洋を南下して日本へ、一部がアラスカを経由して北米へと流れ、長い時間をかけて、南米にまで南下したといわれています。

この民族の特徴は、遺跡から武器が出土しないことです。

つまり、武器を持って人と争い、力で敵を征服するのではなく、自然と共存し、武器を持たず、争いを避けて技術の進歩によって人々の幸せを図ろうとし、太陽を信仰するという共通の特徴を持っている。

おそらく、こうしたことは、DNAのなせるわざなのではないかと思います。
しょせんは、ヒトも動物も哺乳類です。
犬が犬種ごとに、性格がまったく違うのと同様、人間も、人種ごとにその性格的特徴、非常時の行動パターンなどがまるで異なる。

インカの民も、太陽を崇拝し、灌漑と台地栽培によって、農業生産しています。
そして、インカの遺跡からは、不思議なほど、武器が出てこない。

日本も、全国に数万カ所ある縄文時代の遺跡から、現在に至るまでただの一度も対人用の武器が出土したことがないです。

さらに、ものの本によると、インカでは、灌漑農業のために貴族が労働力を搾取していたなどと書かれているけれど、これなど共産主義に洗脳されたプロパガンタです。

インカの遺跡をみると、神殿、民家、要塞、道路など、きわめてすぐれた技術によって建設されていますが、こういうことは、古来、上からの命令と奴隷のような隷従のもとでは、なかなかできるものではない。

人々が、むしろ喜びと未来への希望を持って力を合わせたときに、はじめて高度な技術が誕生するし、それが民生用であれば、なおのこと大きな力となる。

インカの石造りの幹線道路など、北部のキトからチリ中部のタルカまで、5230kmにも達しています。

その道路が、王侯貴族の栄華のためだけに築かれたとするのは、どうみても無理がある。

みんなが使い、みんなが大事にするから、道路が伸び、補修され、大事にされるのです。

それを言うと、だって万里の長城は、皇帝の権力で完成したのだ、などという人もいます。しかし万里の長城が立派な城砦のような形状をしているのは、ごく一部分でしかない。ほとんどは、単なる盛土が延々と伸びているだけです。

さらにいえば、馬族の侵入を防ぎ、農地を守ろうとすれば、人々は長城を作ろうとする国家の指針に、進んで協力する。

その協力が、自らの家族や生命、財産を守るのに「必要な」行動だからです。

同様に、インカの道路も、王侯貴族が、彼女を連れて馬車で、チョロチョロする程度なら、ほんの数キロの道で構いません。

5000キロもの長い距離の道路が完成し、かつ保持されたのには、そこに一般の庶民の期待と協力とニーズがあったからと考えるのが自然です。

実際、この道路には、1トポ(約7km)毎に里程、約19km毎にタンボ(宿駅)が、設置されているのです。

そこには、チャスキと呼ばれる飛脚が約8km毎に設置されていた。
どういうことかというと、タンボ間のリレー方式で、1日に、なんと約240kmの情報伝達能力を持っていたのです。

こうした情報伝達を、軍事利用と想像するのは、結構なことです。
しかし、インカでは武器らしい武器が出土していない。
あることはあるけれど、それはオンダと呼ばれる携帯用の投石機です。
これは大型獣を倒す狩猟用のものであり、対人用の武器を目的としたものではない。

そうしてみると、オンダが生まれたのは、多くの人々の情報伝達のため、つまり民生用と考えた方が自然です。

そもそも、なんでもかんでも古代は王侯貴族が大きな顔をし、労働は奴隷にやらせていた社会などというのは、そういう社会体制を基礎とする西洋か、日韓併合前の朝鮮くらいなものです。

一部の貴族だけが贅沢の限りを尽くし、一般の民衆が搾取され(中世ヨーロッパや、李氏朝鮮では、平均寿命が24歳くらいだった)る社会では、文明はかならず停滞し、退廃する。

してみれば、インカは、すぐれた統治と豊かな民生のある武器を持たない文化が、そこにあったと考えるのが自然です。


ところがインカは、それだけ発達した交通網や文化を持っていたことが、結果として、文明を滅ぼしています。

どういうことかというと、スペインの掠奪者、フランシスコ・ピサロの一行がやってきたのです。

武器を持たないインカの民に対し、ピサロは情け容赦なく銃をぶっ放し、女を強姦し、黄金や貴金属、宝石などの富への略奪を重ねた。

そして和平を願って交渉にきたインカの王、アタワルパを逮捕し、まる裸にして辱め、殺害し、ついには、わずか180名、たった180名です。ただの180名の銃で、1600万人の人口を持つインカの大帝国を滅ぼし、その文明の痕跡さえも失うまでに、略奪の限りを尽くした。

人口のわずか0.001%です。

たったそれだけの数のスペインの乱暴者が、1600万人の人口を持つ一国の文明を滅ぼし、富も、政治体制も、歴史も文化も、そして言語までも破壊し、失わせた。申し上げにくいことだけれど、いま、ペルーのインディオたちのDNAは、100%インディオの純潔種というのは、いないそうです。
ほぼ100%の人が、スペイン人のDNAを持っている。
これがどういうことか、何を意味しているかは、ご想像におまかせします。

「武器を持たない文化」は、戦後の日本がそうであったように、内政面で人々の平和をもたらし、話し合いと共存、民生技術の進歩等、人々の生活を豊かにします。

なぜなら、対立したときの問題の解決に武器を用いることができない分、発達した内政用の統治システムが必要となるからです。

インカの滅亡は、大切な事実を、私たちに語りかけてくれます。

それは、すぐれた内政統治システムも、歴史も伝統も文化も、それを、ハナから相手にしない「武器を持った暴力的な外国人が来襲」には、まったく無力である、ということです。

日本は、ポルトガル人が同じ時期に来ました。
ポルトガル人も、銃を持ってきた。

それを見た種子島の領主は、なんと現在のお金で銃一丁を5000万円という高値で、二丁、買い取ります。

ポルトガル人にしてみれば、これは大儲けです。

彼らは、これはすごい商売になる!と、さっそく本国に帰って大量の銃を仕入れ、船に積んでふたたび種子島に運び込みます。

ところが、船がやってきたときには、種子島では買い取った銃を分解し、なんとポルトガル人の数十倍の火縄銃を、量産していた。
しかも、ポルトガル人の所持する銃よりもはるかに性能がいい。

だからポルトガル人は、日本を植民地にできなかったし、日本文明を滅ぼすこともできなかったのです。

幕末も同じです。

黒船来航の何年かのちには、日本では、各藩が、それぞれに蒸気機関を開発。
軍艦まで買い取っていたし、日本中の武士たちが、攘夷と称して刀を持って暴れまわっていた。
これでは欧米列強は容易に日本に上陸できません。
そうやって時間稼ぎが行われている間に、日本はどんどん国力をつけ、明治政府が誕生する頃には、日本の保有する軍艦の数は、欧米から渡航してきている黒船を、少なくとも数の上では圧倒するレベルにまで達していた。

何日か前に、広島と長崎に原爆が落とされたのは、日本がその時点で核による反撃ができる可能性が皆無だったからだ、と書かせていただきました。

現在でも、世界には、話し合いや和の心だけで平和的に物事を解決できるだけの高度な世界的統治システムは完成していません。

誤解を恐れずに言うならば、世界は、いまだに法のない群雄割拠の時代にあるのです。

世界に向けて正義を実現できるのは、話し合いだけでなく、武力が背景にあるときだけです。

弱虫は、どんなに正しい理屈を垂れても馬鹿にされ、蹂躙されるだけなのです。

そしていまの日本は、あきらかに支那や朝鮮に馬鹿にされ、蹂躙されている。

この日本の現状を救い、本来の日本の歴史、伝統、文化を取り戻すためには、私たち自身が、武力行使も辞せずという強い信念を持たなければならないといえるのかもしれません。

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地球浪漫 栄光のインカ帝国


日本の心を伝える会 日心会

ダショー西岡の貢献

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ブータン王国
ブータン王国


日清食品が世界初のインスタントラーメンである“チキンラーメン”を発売したしたのが、昭和33(1958)年のことです。

この年、大阪府立大学農学部に、ある依頼がありました。

「ブータンに、日本の農業専門家を派遣してほしい」

というのです。

ブータンは、インドと中国にはさまれた世界唯一のチベット仏教国家です。

国民総生産にかわる国民総幸福量(GNH)という概念や、さまざまな環境政策、伝統文化保持のための民族衣装着用など、非常に特色のある国でもあります。

国旗のデザインが、これまた難しい。

ブータンの国旗
ブータン国旗


要するにブータンという国は、ある意味、非常に閉鎖的に伝統を重視する国家なのであって、そういうところで民衆に溶け込んで、農業指導をする。

これはたいへんな仕事です。

ブータン王国で農業指導をするためには、ブータンの人々の生活の中に溶けこみ、「あの人のいうことなら間違いない」という人としての信頼を勝ち得ないといけないのです。

ただ頭ごなしに技術を「教えてやる」方式では、絶対にうまくいかない。

ブータンの首相から直接依頼を受けた同大学の中尾佐助助教授は、たいへんな依頼を請けたと、思うとともに、「あの男なら!」と、すぐにピンとくる者がいました。

それが、当時、同学部の学生であった西岡京治(当時25歳)です。

性格が、穏やか。しかも謙虚。
友誼に篤く誠実で努力家。

根気と忍耐が予想されるブータンでの生活に最適な男は、西岡京治しかいない!

中尾助教授は、すぐに西岡京治に相談をもちかけます。

もちかけられた西岡京治は、同じ年にネパール学術探検隊に参加しています。

彼には、ヒマラヤの自然の美しさと、そこに住む人々の貧しさを見て、自分が彼らの生活をよくすることに少しでも貢献できたら・・・という思いがあった。

彼は二つ返事でブータン行きを承諾します。

昭和39(1964)年2月、海外技術協力事業団(現・国際協力事業団)から、西岡に、正式な派遣決定の通知が届きます。

西岡は、新妻の里子を伴って、その年の4月に、ブータンに飛びます。

昔からそうなのですが、こうした海外協力隊では、たいていの場合、妻は日本に残して、単身で旅立つ者が多いです。

最初から西岡が、妻を伴ったということは、彼自身に、妻を愛する心と、ブータンに骨をうずめる覚悟があった、ということです。

ブータンの民族衣装
ブータンの民族衣装


ブータンに到着した西岡は、さっそく開発庁農業局の事務所に出向きます。

農業局は、局長も職員もすべてインド政府から派遣されたインド人です。

彼らは、自分たちこそがブータンの農業事情を一番知っている、ブータンの農民は遅れていて因習深く、何を言っても始まらないと、ハナから西岡をとりあいません。

実際にブータンの農民と接して農業指導を行うにも、その許可さえくれない。

西岡は、めげそうになる心を振り絞って、政府に働きかけ、ようやく農業試験場内で、60坪ほどの土地を提供してもらいます。

ひどく水はけの悪い土地です。
これでは野菜の栽培すら難しい。

要するに「やれるものなら、やってみろ」というわけです。

西岡が派遣された目的は、農業指導です。
荒れ地で、ひとりで栽培をしても、それでは意味がない。

西岡は、農業局に、ブータン人の実習生を要求します。

ようやく許可が出て、西岡につけられた実習生は、12〜3歳の子供が3人。

ここまでされたら、ふつう、怒るかあきらめるかして指導員は、本国に帰ってしまいます。事実、いろいろな国から派遣された指導員は、それで怒って帰国している。

ところが西岡は、笑顔で少年たちと土を耕し、樹木を抜き、水利を図って、日本から持ち込んだ大根の栽培を開始します。

畑の耕し方、種の蒔き方、土のかけ方、ひとつひとつを西岡は少年たちに実演し、一緒になって大根を育てます。

大根というのは、昼夜の寒暖差が大きいほど、おいしく、よく育ちます。

3ヶ月後、それまでみたこともないような、おおきな大根が育ちます。

実った大根を抱えて見せた子供たちの笑顔が、たまらなく美しかった。

野菜の栽培は、到底無理、と思われる荒れ地で、西岡は見事に野菜の栽培に成功してみせたのです。

西岡の成功を喜んだブータン政府は、翌年、試験農場を水はけのよい高台に移してくれます。農業局ではなく、もっと上が動いてくれたのです。耕作地面積も、3倍です。

水利がよければ、野菜はますます育ちます。
西岡の農場は、狭いけれど、青々とした野菜が見事に育った。

噂が噂を呼びます。
ブータンの知事や議員たちも、西岡の試験農場に視察に来ます。

感動したある議員の提案で、西岡は、ブータン国会議事堂前で、試験場で栽培した野菜を展示します。

これが、大評判となります。

みたこともないほど肥えた野菜です。
しかもおいしい。みずみずしい。

噂が噂を呼び、ついには国王陛下から、もっと広い農場用地を提供するという申し出をいただきます。

後に西岡は、このときの模様を「ブータンに来て、これほど嬉しいことはなかった」と語っています。

国王から提供された農場は「バロ農場」と名付けられます。

「バロ」というのは地名で、ここには、ブータンに仏教を伝えたパドマサンババが空飛ぶ虎の背から降りてきたという伝説が残っているところです。

いまでもこの地では、毎年三月に、一年の豊作を願って、人々が様々な民族衣装や動物や鬼などの仮面をつけて、太鼓や管楽器による民族音楽に乗って歌ったり踊ったりします。

国王は、そういう由緒ある地を、西岡のために提供してくれたのです。
ただし、ここは標高2200メートルの高地です。

そして西岡のバロ農場は、その後のブータンの農業近代化を一気に加速することになる。
まさに、空飛ぶ虎の背(飛行機)から降りてきたバドマサンババ(西岡)が、ブータンの人々の生活を一変させる事業が行われることになります。


昭和46(1971)年、西岡は、この高地で、米作りに挑戦します。

日本では田植えというと、縦と横を一定間隔で植える並木植えがあたりまえの習慣ですが、当時のブータンでは、勝手気ままな植え方をしていました。

これだと手押しの除草機が使えない。
苗の苗との間の風通しも悪い。
当然生育も悪い。

西岡は、村人たちと再三、並木植えについて相談を持ちかけるのだけれど、
「ワシら、昔からこうやってきた」と、とりあってくれません。

ようやく「やってみよう!」といってくれる農家が現れたのだけれど、もし、並木植えで収穫量が上がらなければ、西岡の信頼は一気に失われます。

西岡は祈るような気持ちで、稲の生育を見守りました。


結果・・・・・


並木植えの田は、従来型の雑多な植え方の田と比べて、なんと40%もの増産!!

村人達は、驚き、喜び、バロ盆地では、数年のうちに約半数が、西岡が持ち込んだ並木植え栽培をはじめます。
この農法はいまではブータンに広く普及し、ブータン王国の8割の田が、並木植えになっている。


1970年、西岡は、国王の命によって、シェムガン県の開発に従事します。

この地は、貧しいブータンの中でも最貧地区・・・というより極貧地区です。
焼畑農業が営まれ、収穫量が下がると人々は別な土地に移動します。

西岡は、ここに10人のスタッフとともに乗り込んだ。

しかし、いきなり「よそ」からやってきた西岡の言うことなど、誰も聴きません。
成功する保証などないのです。

ただでさえ貧しい。ようやっと食べている。
先祖伝来の農法を変えることで、万一、収穫が落ちたら、村人たちは飢え死にしてしまうのです。

西岡の村人たちとの話し合いは、なんと800回に及びます。
西岡は根気強く村人たちを説得した。

西岡はこのとき、無理に近代化を行うのではなく、あくまで彼らの「身の丈にあった開発」を進めます。

いたずらに巨額の開発費用をかけて、たとえば水田に水を引くのにも、重機を用いて水を汲み上げるのではなく、竹などの自然のものを利用して水路を確保した。

また、木でできたアブナイ吊り橋を、いきなりコンクリート製の近代的橋に掛け替えたりはせず、耐久性のすぐれたワイヤーロープを使って、吊り橋を直した。

こうして西岡は、360本もの水路を完成させ、17本の壊れかけて危険だった吊り橋を掛け替えます。

村人たちと一緒に作った道路は、なんと300kmにも達した。

そして村人たちと共同で、60ヘクタールもの広大な水田を作った。

西岡が来る前までの水田は1〜2ヘクタールです。50倍の規模です。

同じ人数、同じ労働力、同じ土地で、焼畑農業で農地を転々とさせるのではなく、水路を引き、道を作り、橋を架け、広大な定置農地を確保したのです。

その広大な農地に、満面の稲が稔ります。
ものすごい収穫高です。

極貧地区は、またたく間に生活が安定します。
子どもたちが喜ぶ学校もできます。
診療所もできた。
村人たちは、定住することができるようになり、生活も安定します。

西岡たちが村を去る日、集まった全員の村人たちは、

「はじめに西岡さんが言ってくれた通りになった」と、

涙を流しながら西岡たち一行を見送ったといいます。

ダショー・西岡
ダショー西岡


昭和55(1980)年、西岡は長年のブータン農業への貢献を評価され、国王から「ダショー」の称号を受けました。

「ダショー」というのは、ブータン語で「最高に優れた人」という意味です。
この位は、最高裁の判事クラスしかもらえない称号です。
ブータンでは最も栄誉ある顕彰です。

このとき西岡、47歳。
ブータンに来てから16年の歳月が経ってのことでした。

そしてその後も12年、西岡はブータンにとどまります。


平成4(1992)年3月21日、子供の教育のために日本に帰国していた妻・里子のもとに、電話がはいりました。

電話はブータンからの国際電話でした。

「ダショー・ニシオカが亡くなりました・・・」

突然の訃報に動転しながらも、

「葬式はどうなさいますか」との質問に、里子はとっさに

「バロでお願いします。ブータン式の葬式でお願いします」と答えました。

ブータンで28年間、ブータン人になりきってブータンのために生き、ブータンのために死んだ夫です。
夫は、きっとそう願っているに違いないと、彼女は確信していたのです。

ダショー・西岡の葬儀は、妻と娘の到着を待って、同月26日に行われました。

それは、農業大臣が葬儀委員長を務める国葬でした。

ラマの僧侶の読経が山々にこだまします。

葬儀には、西岡を慕う5千人もの人々が、ブータン全土から集まりました。

ブータンは、国をあげて西岡に感謝の心を捧げてくれたのです。

---------------------------------

日本人て、すばらしいですね。

西岡京治が、ブータンで成功したのは、彼が性格が穏やかで、謙虚で、友誼に篤く誠実で努力家だからです。

世界ではどこの国でも、そういう人が尊敬される。

下の写真は、かつての植民地時代に、西洋の婦人が、現地の子供たちにお菓子をばら撒いている写真です。

子供たちは、まるで餌をもらいにきた公園の鳩のようです。

お菓子をまく貴婦人


ここでお菓子をばら撒いている西洋婦人が、尊敬すべき政治家なのでしょうか。

それとも、ダショー西岡のように、本気で人々が豊かに暮らせるように努力を重ねる人が、必要な政治家なのでしょうか。

ボクなどは、西岡京治の素晴らしい貢献物語は、絶対に学校の教科書に載せるべきだと思うのだけれど、いまどきの日教組教員は、道徳教育をすること自体が間違っていると屁理屈を言って、横浜市教組などは、国が決めた道徳授業でさえ拒否をするためのマニュアルを配ってまわっているといいます。

日本人は、いつまでそんなものに騙され続けるのでしょうか。

今日、日本のパスポートは、どこの国に行っても、歓迎されます。

残念ながら、中共や韓国のパスポートは、世界の多くの国々で拒否される。

世界にも良心はあるのです。

しかし、いまのままであと10年もしたら、日本国のパスポートは、世界中で拒否の対象になってしまう。

かつては礼儀正しく、人にやさしく、高次元の国家観と正義感、道徳心を持っていた日本は、高い教育によって築かれていたのです。

その教育が崩壊している。

ここまできたら日本は、もはや解体的出直しを図るほかない。
対処療法でなく、根治療法を施す他ない。

そのために必要なことは、ひとりでも多くの日本人が、そのことに覚醒し、また政治家に明確な国家観を持った人物を送り込むことではなかろうかと思います。

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国会記者クラブを解散せよ!

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国会議事堂


国会報道というのは、それが大手メディアであれば絶対に避けて通れない事柄です。

ところが日本における国会報道というのは、それが新聞、テレビ、ラジオであるを問わず、すべて記者クラブを経由して報道されます。

国会議事堂に行きますと、そこには2階席があって、たとえば衆参両院の本会議ともなると、2階席には各メディアのカメラやテレビカメラが、それこそ砲列といっていいほど、いっぱいに並びます。

どうみつくろっても、そのカメラの数は国会内に出入りしている報道各社の数よりも多い。

そして会議の模様は、すべて細大漏らさず撮影されています。

その後ろには、これも出入りを許可されている各社の数を数倍する記者たちが陣取り、国会の模様をその場で次々に文字にしていきます。

で、そこで撮影されたフイルムや写真、あるいは記事が、そのまま報道各社を経由してわれわれ視聴者ないし購読者の手元に届くかというと、決してそんなことはありません。

どういうことかというと、報道陣によって取材された映像や写真、記事は、いったん記者クラブに全部集められます。

そこには、記者クラブの“デスク”が陣取っていて、その“デスク”が、記事や写真を題材にして組合せをし、報道用記事、または報道用映像に編集します。

各社は、それを自分の会社に持ち帰って、記事にする。あるいはテレビで流す。

もうすこしくだいていうと、実際の本会議等の模様を観ていない人物が、「自分が報道したい」と思った部分、思った写真や映像だけが、「報道用」に配信される、ということです。

つまり、たとえばある議員が質疑で、こんなことを言ったとします。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

宮崎では、毎日毎日必死に消毒した。
なんとか助けたかった。
だけど、ごめんね、本当にごめんね。
感染したみたいだ。

牛さん、豚さん、いまま本当にありがとう。

毎日一緒に過ごしたね。
つらくてたいへんなときもあったけど、
とても楽しい日々だった。

風邪、ひいてないかい?
おなかはすいてないかい?

心配ないよ。さいごまで一緒だから。

そんなに悲しい顔すんなって。

つらいなぁ。
悲しくて悲しくてたまらんよ。

こんなに元気なのに、なぜ殺さにゃならん。
牛さんと一緒に、俺も一緒に埋めてくれ。

どうしてこんなことになったんだ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

これは、去る5月20日の衆議院本会議における地元宮崎県出身の江藤拓議員の議会での質問の中にあった言葉です。

それを聞いた民主党の議員から浴びせられたヤジは、

「カネがほしいのかぁ〜!」
「勝手に言ってろ〜〜!」

こうした事実も、記者クラブの“デスク”が、記事として採用しなければ、その事実は「なかったこと」になります。

現総理は、イラカンと言われるほど、常に不機嫌そうな顔をし、会議中はほとんどスヤスヤと気持ちよく寝ていても、報道で使われる写真が、にこやかにほほ笑んでいる写真だと、視聴者や新聞購読者は、いい顔をした笑顔の総理という印象になる。

本来、事実というものは、いろいろな側面を持つものです。

たとえば、いまこれを書いているボクが、パソコンのキーボードへの入力をしながら、PCの横にあるお茶を飲み、ぷぅと屁をしたとする(しませんがw)

その様子を仮に報道する(してもらいたくありませんが)に際して、真剣な表情で文章を作る姿を絵にすれば、真剣そうな記事になるし、ぷぅと屁をしてニヤニヤ笑ったところを記事にすれば、不謹慎極まりないという報道になる。

たいせつなことは、何を主張し、何を書いているかなのだけれど、報道の姿勢次第で、事実はいかようにも、ゆがんだ印象操作が可能だ、ということです。

残念なことに日本では「記者クラブ」のたったひとりの反日“デスク”によって、そういう印象操作が日夜平然と行われている。

メディアというものは、事実を伝えるのが役目とされています。
しかし事実というものは、その「斬り口」によって、いくらでも異なった印象操作をすることができるというのが、真実です。

早い話が、共産党の機関紙「赤旗」と、自民党の機関紙「自由民主」では、同じ事実に対して、報道の姿勢がまるで違う。
そりゃあそうです。
それぞれの立ち位置が異なるのです。

だからこそ、戦前の日本のメディアは、各紙それぞれに大きな特徴を持ち、各紙とも、自らの立ち位置を明確にし、自らの見識のもとに、是非善悪を高い次元、高い道義をもって判断し、善いものはこれを宣揚し、悪いものはこれを糾弾して世論を喚起した。
報道が、それぞれ国家意識をもち、高い使命感を持っていた。

メディアの歴史は、日本では、ヨーロッパよりも古いのです。
なにせ、紙と筆が発達し、識字率が世界最高水準にあった日本です。

大阪夏の陣の号外さえ現存している。

西南戦争では、従軍記者が現地の模様を取材し、全国に向けて新聞で報道していた。

ところが、戦後の日本では、とくに国家意思の中枢となる政治に関しては、各社それぞれの立ち位置での報道が、まったくできません。

これは戦後GHQによってひかれた情報統制によるもので、各メディアの報道班は、全員が「記者クラブ」に所属し、「記者クラブ」の許可証をつけなければ、国会議事堂にはいれない。

そして取材した記事も、写真も、記者クラブの「検閲」を経たものでなければ、テレビでも新聞でも一切報道されることはないし、つまらない漢字の読み間違えのようなとるにたらない事柄が、各社一斉に報道されることになる。

GHQが行ったこの報道規制のシステムは、日本がサンフランシスコ平和条約に調印し、主権を回復した後も、そのまま、あれから58年経ったいまでもなお続いています。

昨日の総理演説に対する野党各党の質問についても、実際にその実況中継をご覧になった方はわかると思うけれど、自民、公明両党が、政治課題、経済運営、口蹄疫、その他諸々の現下の政治課題について、実に具体的な質問をぶつけています。

ひとつひとつの質問内容は実に筋が通っており、かつ多岐にわたるものです。

ところが、これに対する菅総理の回答は、ヌカに釘、のれんに腕押しのような、まるで具体性のない回答です。
しかも実際には、ほとんど側近の書いた原稿を、老眼鏡をかけてただうつむいて棒読みしていただけです。

そして、報道は。。。まるでそんな質疑そのものがなかったことであるかのように、まるで報道しない。

報道されたのは、W杯で菅首相「はやぶさに続き、2連勝」、前原国交省は「ガッツポーズ1分」であり、そこで使われた写真が、↓のものです。

菅直人総理0614

http://sankei.jp.msn.com/sports/soccer/100615/scr1006151233082-n1.htm

MSNにも載ったこの写真には、ご丁寧に「自民党の林芳正政調会長代理の質問に答える菅直人首相=15日午前、国会・参院本会議場」という解説まで付けれられているけれど、この写真は、代表質問の際の写真であって、はやぶさ帰還のときの写真ではない。

上の写真を観たら、なんだか、菅総理が代表質問で熱弁をふるっているようにみえるけれど、こういうふうに、老眼鏡をはずして、背筋を伸ばし、いかにも堂々と発言していたときは、ほんの一瞬、質問の答えとはまるで異なる個人の「思い」を語っていたときだけです。この姿のときの発言には、なんの意味もない。

ようするに、この記事ひとつにも象徴されるように、記事になることと、使われる写真は、ぜんぜん別のものが組み合わされている。記事と、写真、動画のすべてが、現場を観ていない記者クラブのいちデスクによって、いいように印象操作されている。

およそ政治に関しては、戦後日本では、ずっと反日思想の記者クラブが、ずっとインチキ捏造といっていい報道を重ねてきた。
善なるものはこれを隠ぺいし、悪なるものは、これをあたかもいいことのように情報操作する不法行為が、戦後日本ではずっとまかり通ってきた。

いま、保守の戦いというものは、こうした戦後の反日体制のすべて、それはもしかしたら日本の社会構造全部、それを敵に回して戦うということなのかもしれません。

「記者クラブ」を解散せよ!

それが今日いいたいことです。

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ねずきち

Author:ねずきち
日本が好きです。ていうか人間が大好きなのかな。心って、ものすごく大きなこともなしとげる。その時代時代に、真剣に生きた人たちから学ぶこと。歴史って、いまを生きる人が過去に学ぶためにあると思う。だから、歴史にIFは禁物だなんて思わない。歴史を学び、もし〜だったらと考えることで、人は何かを感じることができるんだと思う。

政治に混迷が続く中で、もういちど私たちは過去を振り返ってみる必要もあるのではないか。そうすることで、もしかしたら一条の新しい光を見出すことができるのかもしれない。

このサイトで扱っている動画はYouTubeにアップロードされているもので版権物の知的所有権は、それぞれの著作者・団体に帰属してます。問題があればすぐ削除しますので、

nezu@nippon-kokoro.com

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コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、ねずきちにはとっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

ねずきちは、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人であるねずきちの判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
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中山成彬先生082

中山成彬先生は日本再生に絶対必要な政治家です。
中山成彬先生は、昨年10月27日、日本解体法案阻止の先鞭をきって「10・27『日本解体法案』反対請願受付国民集会:中川昭一先生追悼」を発起人代表として開催され、その時に国内外から集まった請願書は約10万筆でした。
中山先生ブログ:http://nakayamanariaki.cocolog-nifty.com/blog/ Twitter:http://twitter.com/nakayamanariaki
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