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参院選公示―「私たち」の政治を鍛える

 参院選がきょう公示される。

 歴史的な政権交代を起こした民意は早々に鳩山前政権を見放した。政治は一本道を真っすぐには進まない。蛇行や迷走は珍しくもない。それでも決して止めることのできない営みである。

 過信や熱狂ではなく、不信や冷笑でもなく、その両極の間にこそ私たち有権者の行く道はある。この参院選を、政治とのかかわり方をさらに鍛え、より成熟するための機会にしたい。

 ネット上で注目を集めている動画がある。上半身裸の男が一人で踊り出し徐々に群衆を巻き込んでいく映像。ムーブメントを起こす際に大切なのは最初の一人以上に、それに続く人たちの役割だと説明される。

 鳩山由紀夫前首相がツイッターで、この動画に触れて「『裸踊り』をさせて下さったみなさん、有り難う」とつぶやき、話題になった。

 鳩山氏に動画をみせたのは、自分たちで「新しい公共」に取り組もうとする若い世代の人たちだ。自分たちの暮らす場所は自分たちでつくる。「お上任せ」を変えて政治の主役になろう。だれが首相であろうと、新しい公共の流れを止めてはいけない――。そんな動きがウェブを媒介に広がっている。

 人と人とが「つながる」。この一見たわいないことが、いま日本政治の大きなテーマとなっている。

 「個」を重視する戦後社会の流れの裏側で人々の間のきずなはほころび、「孤」が広がった。財政は悪化し、少子高齢化が進み、格差が広がる。暮らしへの脅威が現実に差し迫っている。

 人々のつながりを取り戻し、互いに支え合わなければ大変なことになる。菅直人首相や谷垣禎一自民党総裁がそろって目を向けているのも、そこだ。

 それには、私たちと政治とのつながり方も変えていかなければならない。

 「お上」意識の根強さからか、日本では政治家と有権者があちら側とこちら側に分断されがちだった。政治家は利益を配る側、有権者は受け取る側。政治家は舞台役者で、有権者は観客。

 そんな政治はもうだめだという有権者の切迫した危機感が、おそらく昨年、自民党政治に終止符を打たせた。

 安全保障のように草の根の意識だけで世の中が変わらない課題もあるが、みずからが「公共」を担うという意識の芽はさらに育てなければならない。

 それはどの政党に政権を委ねるのがいいかといった選択を超えた、有権者の地力の問題である。

 人々がつながり、これまで「官」が独占してきた政策づくりに取り組むグループがあちこちで生まれている。

 多様なムーブメントを起こし、政治の主語を「彼ら」から「私たち」に転換する。そして、その立場から厳しく政治を監視もする。この参院選を、その大きな一歩にしたい。

大林検事総長―国民と「協働」する責任

 新しい検事総長に大林宏氏が就任した。司法も政治も大きな曲がり角に差しかかり、検察のあり方が改めて問われる中でのトップ交代である。

 裁判員制度が始まって1年。その前には犯罪被害者が刑事裁判に参加する仕組みがスタートした。検察審査会法の改正で、検察が独占してきた起訴権限にも穴が開き、手続きに一般の人の声が直接反映するようになった。

 いずれも、国民こそ主人公であり、「国民のための司法」を自らの手で実現し支えなければならないという考えに基づいている。検察も社会を構成する一員として、国民と「協働」する。それは、広い意味で民主主義を発展させ、変革していく試みに他ならない。

 だが現実は追いついていない。

 真犯人が別にいた氷見事件、地方選挙を舞台にした権力犯罪というべき志布志事件、そして足利事件と深刻な事例が相次ぐ。検察の描く構図が崩れた郵便不正事件では、検事が勾留(こうりゅう)中の容疑者とトランプをするなど緊張感のない取り調べの実態が明らかになった。

 人を訴追することへのおそれを胸に相手の話に虚心に耳を傾け、地道に裏付けをとる。問題が起きるたびに「基本に忠実な捜査・公判」の徹底が唱えられるが、かけ声に終わってはいないか足元を見つめ直す必要がある。

 基本を欠いた活動で社会を混乱させたり、裁判員を誤った判断、とりわけ冤罪の結論に導いたりすることがあってはならない。取り調べ過程の可視化論議からも逃げることは許されまい。

 「協働」の前提である信頼を、国民との間にどう築くか。民主党の小沢一郎前幹事長の政治資金事件の捜査を通じても、この課題が浮かび上がった。強制捜査に踏み切った判断や収束の仕方をめぐって、賛否両論がわき起こったのは記憶に新しい。

 自民党長期支配の下、検察は政治浄化への期待を担い、国民の圧倒的支持を背にしていた。それが政権交代の時代に移り、時に政権の命運を左右する力をもつ検察に対し、説明責任を問う声が上がったのだ。

 批判の中には見当外れのものも少なくなかったし、何より法廷で犯罪を立証することが検察の本分である。情報の扱いには慎重でなければならない。

 その制約を踏まえつつ、検察権の行使のありようについて人々が抱く正当な疑問にはできる限り丁寧に答える。そんな発想の転換と工夫が不可欠だ。それは国民との距離を縮め、よって立つ基盤の強化にもつながるだろう。

 職務の性格上、政治も不用意な口出しはできず、「官の論理」が最も貫徹する国家機関のひとつが検察である。その裏に潜む危うさを自覚し、独善に陥ることなく、国民の目を常に意識した組織運営に、新総長は危機感をもって取り組んでもらいたい。

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