”宗教不信”にどうこたえるか

新宗連50周年/コルモス30周年シンポ

幅広い団体が参加示唆に富む議論

 新しい世紀を迎え、宗教はいかにあるべきなのか。二十三日大阪市北区のグランキューブ大阪(大阪国際会議場)でシンポジウム「21世紀 日本の宗教を考える」が開かれた。このシンポジウムは、本年結成五十周年を迎える新宗連(財団法人新日本宗教団体連合会、深田充啓理事長)と、創設三十周年を迎えたコルモス(現代における宗教の役割研究会、中川秀恭会長)が共催して開催したもの。石井研士国学院大学教授、東京大学名誉教授の養老孟司北里大学教授、作家の井沢元彦氏が基調講演。宗教者の立場から、金子昭天理大学助教授、秋田光彦浄土宗応典院住職、川島通資パーフェクト リバティー教団文教部次長が発題した。西山茂東洋大学教授がコーディネーターとなってパネルディスカッションが行われ、「宗教不信・宗教忌避の風潮に宗教はどうこたえるのか」「二十一世紀、日本人はどんな生き方をするのか」「日本の宗教に二十一世紀の役割はあるのか」などについて議論した。シンポジウムには五百人を超える宗教者、研究者らが参加。新宗連とコルモスによる実行委員会では、これまでの枠組みにとらわれずに参加を呼びかけ、広く一般公募の参加枠を設け一般紙にも案内が掲載されたため、宗教対話、宗教協力の場に無縁であった宗教団体の関係者の参加も数多く見られた。(講演要旨別掲・文責在記者)(関連記事4面に)

21世紀への役割

大阪国際会議場5百人を越す


 大阪国際会議場十階の会場には開会前から参加者がつめかけた。ステージの左右に一〇〇インチの映像画面。文字映像で開会の予告が映し出される。
 午前十時三十分、司会が開会を宣言。司会は、新宗連の坪田浩一立正佼成会福知山教会長。はじめに大会長の御木貴日止新宗連副理事長(パーフェクト リバティー教団教主)があいさつ。シンポジウムへの多数の参加に謝意を表した。
 講演に入る前に七分間のビデオ構成が上映された。題して「街角インタビュー―宗教イメージを聞く」。シンポジウムにあたって、実行委員会が制作会社に依頼したもので、街角でごく一般の人から宗教や宗教団体に対するイメージを聞いたもの。  「あなたは宗教と聞いて何を思い浮かべますか」という問いに、「金」あるいは「オウムとか特殊な人たち」といった反応。「宗教団体に対してどんなイメージを持っていますか」には、「怖い」「金儲け」などの反応がつづく。苦笑あるいは失笑、ため息が会場から漏れる。
 このあと基調講演に移り、まず石井教授。大学生の持っている宗教イメージや、一昨年新宗連と共同で行った宗教団体に対する意識調査の結果などを紹介「宗教に関する事件のみがメディアによって大きく報道され、そのなかで宗教に対するマイナスイメージが構築されている」と述べた。
 つづいて養老教授は「都市」と「田舎」の宗教について解説、「都市は中近東で五千年前に成立したが、人間そのものは、解剖学的にも人類学的にも変わっていない」としながらも、「日本人は都市の民にはなれないだろう」と語った。
 さらに、井沢氏は日本人の心の中にある怨霊信仰について述べたあと、聖徳太子の十七条の憲法にふれ「怨念を抱かせないため、和を保つことが大切とされた」と独自の歴史観を述べた。

共同性の構築を


 午後のプログラムはまず、三人の宗教者の立場からの発題。金子助教授は日本の宗教が早急に取り組むべき課題として四項目を挙げて説明。秋田住職は、自ら展開する葬式をしない会員制の都市寺院の考え方と活動内容を紹介した。川島氏は、新宗連の新しいスローガンの意味を深く掘り下げて説明。「宗教に普遍的な課題ではないか」と述べた。
 このあと西山教授がコーディネーターとなってパネルディスカッションが行われ、六氏の講演で提起された、「和」や「世界平和」などについてそれぞれの考えが述べられた。意見のやり取りは、宗教団体の将来あるいは、宗教者のあり方など、示唆にとんだものであった。
 会場からの質問をパネリストがこたえる時間ももたれたあと、討論が再開され、最後に西山氏がまとめを行い、「二十一世紀を迎えて、共同性をどう構築していくのかが宗教者の課題ではないか」と述べた。
 閉会にあたって、副大会長の雲井昭善コルモス副会長(大谷大学名誉教授)があいさつ、七時間三十分にわたるシンポジウムを終了した。

宗教土壌が枯れる 何を考えているか開示を

国学院大學教授 石井 研士氏


 大学生に「宗教団体についてのイメージ」を聞くと、「あやしい」「うさんくさい」といった答えが返ってくる。なぜ、宗教団体へのイメージが悪くなったのだろうか。
 日本人は本来このような宗教イメージを持っていたわけではない。宗教意識調査を見ると、昭和二十年代には六割以上の人が「信仰を持っている」と答えている。しかし、五十年を経た現在では約三割にとどまっている。わずか五十年の間に「信仰を持つ人」が半分になってしまった。
 一方、宗教行動と意識されるものも低下してきている。戦後八割に達していた神棚の保有率は現在五割に、また仏壇の保有率は四割となっている。特に都市部での減少が顕著だ。実際に神棚、仏壇に手を合わせ、神仏と拝む人はさらに低下しているものと思われる。
 これまで日本人は、一定の年齢に達すると宗教行動をする人が多かった。だが、最近では、年をとっても信仰に関心を示さない人が増えてきている。また、これまでは特に宗教を意識せずとも、年中行事、通過儀礼として宗教に接する機会が多かった。だが、日常から宗教的なものが落ちてきている。日本の宗教土壌が枯れ、荒れてきているのではないかと思われる。
 多くの人々が、宗教団体とのかかわりが少なくなってきている。そうしたなかで、宗教に関する事件のみがメディアによって大きく報道され、宗教に対するマイナスイメージが構築されている。今日の宗教状況のなかで、宗教団体には多くの人々と接していく努力が求められている。また、宗教団体は自分たちが何を考えているかを開示していくことも必要とされている。

社会の“脳化”の中で 「都市か自然か」あいまい

北里大学教授 養老 孟司氏


 私は、戦後日本社会の変化を「都市化」と規定し、「脳化」と呼んでいる。
 例えば、大阪という街には人間が意識的に造り出したものしかない。人間が都市を造るということは、人が意識的に考えられるだけの世界を造るということだ。だが、そこでは宗教は外されてはいない。なぜなら理屈で宗教的感情は説明できないからだ。宗教がなくなるかといえば、なくならない。
 都市は中近東で五千年前に成立したが、人間そのものは、解剖学的にも人類学的にも変わっていない。頭の中も変わらないから、都市を造っていった論理も都市の感情も変わらない。
 こうした中近東の都市から発生したのがユダヤ教、キリスト教、イスラム教である。これらの宗教は唯一絶対の神が存在するとする「一神教」である。私はこれを都市の宗教と呼んでいる。
 一方、日本は、神道と仏教で長い間やってきた。多神教というのは基本的に自然宗教である。
 現在の状況を見ると、日本人が「都市宗教」でいくべきか、古来からの「自然宗教」でいくべきか、考えがはっきりしていない。この隙間に奇妙な都市宗教が出現した。
 五千年も続いてきたユダヤ教のような都市宗教を日本人が造れるかと言えば、私は悲観的だ。二千年の間、農耕を営んできた日本人は、五十年の間に都市の民と同じにはなれないであろう。この点をどのように考えていくか、宗教者にとっての課題である。

怨霊信仰が基礎 “話し合い”で「和」を保つ

作家 井沢 元彦氏


 日本人ほど宗教心のある民族はないと思う。例えば江戸時代の「踏絵」。キリスト教は偶像崇拝を認めないから、踏絵を踏んでも悪くはないのだが、日本人は踏めない。現代でも、父母など近しい人の遺骨がここにあるとして、あなたはそれを踏めるか。強制して踏ませたとしたら「こんなことをしてあとが怖い」「たたりが怖い」と思うだろう。これは、死後も存在しつづけるものがある、霊魂を認める、というファンダメンタルな宗教意識があるということだ。
 日本人は日本教の信者といった人がいるが、日本人に一番大切なものは「話し合い」である。「話し合い絶対主義」とも言えるほどだ。これは複数の対人関係の基本であって、「合意を形成していれば、その合意が絶対的な法律や道徳より上である」というもの。これを最初に述べたのは聖徳太子で、十七条憲法の有名な「和を持って尊しとなし…」の第一条には続きがあり、「話し合ったことは、自ら道理にかない、何事も成し遂げられないことはない」とある。さらに第十七条にも、「重大な事柄は一人で決めてはならない。ものごとはすべて話し合いで決めなさい。必ずうまくいくから」とある。
 なぜ、独断はいけないのか? 和を保つことが、なぜ大切なのか? それは日本人の根本信仰「怨霊・たたり」を畏れているからだと思う。天災、飢饉、戦争、病気などは、すべて怨霊の仕業であり、怨霊の鎮魂とは、病気に対する対処療法であり予防法ではない。怨霊は怨念を抱いて亡くなった人間だから、怨念を抱かせないため、和を保つことが大切とされた。
 日本の歴史上の最大(高さ)建築物が、出雲大社なのも、その例。普通は国教の神殿や国王の宮殿が最大であろう。国譲りの神話があるように、話し合いで決めたことは正しいし上手くいくという考え方は、十七条憲法のはるか以前から確固たるものとして存在した。
 つまり日本という国はこういった怨霊信仰を基盤とした霊に対する信仰がある国で、それをもとに様々な八百万の神々が栄えている、というのが私の歴史、日本の信仰全体に対する仮説だ。

「新たなる公益観」誕生 “いのち”の連帯を結ぶ

浄土宗応典院住職 秋田 光彦氏


 応典院は九七年創設で、葬式をしない、宗教宗派を問わない、会員制でセミナーや演劇などを行い、年間三万人ほどの人が集まってくる。
 @場所と関係性
 インドのマザーテレサの施設を訪れた時、世界中からボランティアが集まって、孤児や死を待つ人々の世話をしていたが、そこに宗教的な言葉はなかった。阪神大震災のときも、説教布教したという話は聞いてない。様々な関係のなかから自分のなかで教えを発見し、問い返し、反省する。応典院では、引きこもりの自主グループ、いのちに出会う会などの活動がある。参加者同士が自分の言葉で語り、答えが用意されているものでもない。しかし、こういったことが一番宗教に近いのではないか。
 A宗教の公益性
 NPO法人が認められ、多数派一本化だった「公益」から、地域差や多くの方法を選ぶ「新たな公益観」が生まれてきている。元気なNPO団体は初期の宗教を見るような気さえする。ある少数派の幸せのために、長い時間をかけて、粘り強く社会に訴えていく。全国の七万カ寺の一%が取り組んだら、社会を変える力があると思う。
 B共同体としてのこれからの宗教
 人間はなにかに所属しないと生きていけない。時間、空間を越えて共同体を作れるのがITだが、「出会い・つながり・支えあい」を文化として継承する身体経験が大事である。
 少子高齢化社会になるというのは、今まで見たことのない多くの死と向き合うことである。死を見つめ、人間の弱さを見つめ、宗教者としてできることは、地域世代を超えたいのちの連帯を結ぶことではないか。

緊急4ポイント 出番は何かを真剣に模索

天理大学助教授 金子 昭氏


 宗教忌避と言われる時代、宗教はどうあるべきかを考えるにあたって、私はオウム事件より、同じ年の阪神淡路大震災が一つの分岐点だと思う。地震直後、様々な宗教教団が震災活動を行ったが、マスコミからほとんど無視された。また宗教教団が出動したといっても、「宗教者」としての活動がなく、むしろ一般ボランティアでしかなかった。
 現在のような宗教不信の時代、将来の飛躍のために、宗教の出番は何かを真剣に模索する時期ではないか。二十一世紀は前世紀の問題を重苦しく引きずっていると思う。早急に取り組むべき課題を四つ挙げてみた。
 @貧病争の問題。日本ではどこにあると思われがちだが世界全体から見れば未だにある。
 A南北問題、環境問題。これは@と関連するが、飽くなき欲望の追究により生じる問題である。
 養老先生が「欲望のしつけ役」と言われたが欲望のブレーキの役割である。
 B生命科学技術、生命倫理の問題。あらためて人間とは何なのか? 真剣に取り組む課題だと思う。
 根源的な生命の実感、恐れから警告の声を発してきたが、もっと死との和解を含めた救済感を提言する必要がある。
 Cフェミニズム、女性解放思想。
 宗教には女性教祖により始まった教団も多いが、もっと名実ともに打ち出さなくてはと思う。
 こういった問題を社会に向けて発信し社会を動かしていく力になるべきであろう。

周りの人との融和 積み重ねで世界平和を

パーフェクトリバティー教団 文京部次長 川島 道資氏


 新宗連は今世紀に向かって新しい三つのスローガンを掲げ、活動を開始しようとしている。一つは「信教の自由を守ろう」、二つめは「宗教協力を進めよう」、そして三つめは「世界平和に貢献しよう」だ。
 人間にとって自由であることはひとつの価値ではないか。宗教協力は大変難しい。絶対なものである信仰がぶつかり合うことは世界で見られるが、信念が違っていても同じ目的を持っていれば協力し合える。新宗連は五十年積み重ねてきた。
 世界平和は人類の悲願であります。人間一人一人は独自の存在であり、自由な存在ですから、社会に規範が必要になる。自己性を他と衝突させず調和しながら自己を表現していくか、社会人としての自己を確立することが社会を平和に導くあり方ではないかと考える。そういう人間を育てていく大きな目標に世界平和を持てば、素晴らしい表現のできる人を育てることになるのではないか。
 現代人が宗教から離れていく、これは宗教に接する機会が少なくなっているからと思う。あらゆる機会を捉えて、こうしたことを多くの人に呼びかけていくことが必要なのではないか。「世界平和のために皆で貢献しましょう、貢献のしかたを皆で考えましょう」と呼びかける使命があるのではないか。
 自分の周りの人との融和、その小さな積み重ねが遠くにある世界の平和につながっていくのだと思う。

教団宗教の難題問う

パネルディスカッション


 二十三日、大阪市北区のグランキューブ大阪で開かれたシンポジウム「21世紀 日本の宗教を考える」では、六人の基調発題につづいて西山茂東洋大学教授のコーディネートのもと、パネルディスカッションが開かれた。

 発題者がそれぞれ追加のコメントをしたあと、石井氏が「世界平和を宗教団体や新宗連が訴える意味を普通の日本人にどう説明するか」と問題提起。  川島氏は「世界平和は布教の手段にはならない。信者は呼びかける人の人柄で参加し『自分が幸せになり楽しい』という実感を得て入信する。世界平和は、教団の存在理由の一つ、貢献できる教団でありたいと語った。  西山氏が日本の宗教文化は普遍性があるかと問いかけた。  井沢氏は「世界的レベルでは一神教的独善主義から、日本の八百万の神々といった方向にシフトしつつあり世界的原理になる可能性はあるが、それを自己主張すること自体が『和』を乱すという矛盾がある。オウムが教団不信を招いたのは事実だが、入信する青年は菩提心があるはず。むしろ宗教界が引き取ってもいいのでは」となげかけた。  井沢氏の発言に対して、川島氏は「対策は考えなかった、考えが狭かった」と述べ、秋田氏は、「教団宗教は狂気をはらむ宗教の先鋭性を忘れ、時代に対する自己弁明に終始している」と語った。また、金子氏は宗教者にオウムへの関心がなかったと述べた。

教団の“存在理由”  “文化の宗教”より実践

発題者との質疑応答 『発言する教団』へ


 小憩後、フロアから寄せられた質問票にパネリストが答えた。(以下敬称略)
●「和の世界と都市型社会は両立するか」
▽井沢 都市化には個人の確立があり、和を乱す事が不可避。近代はそこから生まれ、両立は難しい。「和」は競争原理の否定だ。ただ「和」の世界は付和雷同的世界に陥りやすい。両立する方向を宗教者に示して欲しい。
▽養老 心と身体が両立しているのと同じで現に両立している。自分の中で矛盾が解消していれば心配はない。
▽金子 原理主義も多神教も同時代の現象。そこで宗教同士が社会的存在として、外交をすすめるべき。かつて活発に折伏をすすめる教団が対話を求めているが、過去のいきさつもあり、相応の仲直りのしるしを見せて欲しい。
●「カトリックがクローンをすすめているのはなぜか」
▽金子 地中海世界の慈母神信仰もあるのでは。私は科学技術と宗教は人間の欲望にブレーキをかける時期だと判断している。
●「清め塩をどう考えるか」
▽石井 習慣がなくなりつつあるのは日本人の塩の聖性感覚がなくなったのでは。
●「宗教忌避、宗教不信をどの様に受け止めるか」
▽川島 まず受け止めて教団として発言していくことが必要。教団組織に入るとがんじがらめで、そこから離れるとバチがあたる感覚があるのかもしれない。
▽秋田 「イメージが実像を凌駕」している。
▽井沢 昔はそんなに教団は訪れにくいものではなかった。教団忌避といわれるが、ひきつける努力を忘れているのではないか。
▽西山 単に信じるのではなく実践できる行があることも、新宗教の魅力では。
●「宗教団体の連合体としてどう不信に答えるか」
▽秋田 末寺でも横のネットワークはある。活き活きとしているのは教宗派を超えた単体のお寺のネットワークだ。
●「中学生に『なぜ宗教が必要か』と問われたら」
▽養老 いらないと思っている人はある意味で幸せ。年を取ればいずれ必要になる。
▽井沢 科学や学問でも分からないことがある。死を考えると宗教は必要。 ▽金子 理屈を越えた世界がある。それを信じるとしたら心も生き方も豊かになる。
▽秋田 死は生と背中合わせ。自分たちの表現を人々と共感する事が生の喜びだ▽川島 君は何かやりたい事があって、どうしても達成したいとき祈りたくなるだろう。それが宗教だよ。
●「正義なき『和』は成立するか」
▽井沢 付和雷同は通用しない。自己主張した上での大きな和を。
▽秋田 すんなりと大きな和には移行できない。壊す事による痛み、対立、差別を乗り越えられるかが問題。

具体的問題への取り組み


具体的問題 への取組み  西山氏の具体的問題にどう取り組むかとの問いに、発題者がそれぞれ答えた。
 秋田氏は宗教者としての社会的使命感、問題意識が重要と述べ、川島氏は条件が満たされる事による満足感を捨て、自分に価値を見出し、世の中に役立つ所に幸せを感じる新しい価値観が必要と述べた。養老氏は科学とクローン医療は技術の問題で専門家以外はわからない。身体的、精神的な疾患に対する差別問題に宗教者がいかに自分の問題として関わるかが重要と語り、石井氏は宗教者の信仰継承や健全な家庭の人間関係が問題と述べ井沢氏は制度や宗教により、各国で人口問題への取り組みが違い、地球問題としてどう調和していくかが若者の課題と述べた。

共同体の構築 6項目の西山氏「総括」

 西山氏はパネルディスカッションを総括し以下の六項目を指摘した。
 1,日本は「和」の文化といわれるが、グローバル化の中で自己主張していくことは避けられず、変化が必要。
 2,二十一世紀に宗教が教団を作る意味の再確認や、具体的な教団の理想像が必要。
 3,貧病争、環境、生命倫理ジェンダーなどの問題に対して、足元からの取り組みが必要。新宗教は近代化しスマートになったが、社会的課題に有効な答えを出せるかが課題。
 4,家庭の問題では「社会的な自己性」を再生産するだけでなく、基盤となる日本人としての感覚の再確認が必要。
 5,欲望を抑えることが出来る少欲知足といった、「文化資本」を教団が提供できるか。
 6,クローンを生み出す人間の傲慢さをどう抑えるか。
 西山氏は「近代が始まり、都市化の中で競争文化が起こって、共同体が崩壊した。日本の近代に『それでいいのか』と新しい宗教が興ってきた。今後新しい世界の再共同体化をどうすすめ、人の共同性をどう構築するかが今後の日本の宗教の課題」と締めくくった。


前夜交流会


 シンポジウム「21世紀 日本の宗教を考える」の開催日前夜、シンポジウム主催団体である新宗連とコルモスの役員による交流会が、シンポジウム会場に隣接するリーガロイヤルホテルで行われた。
 深田充啓・新宗連理事長が開宴のあいさつを述べたあと、翌日のシンポジウムでパネリストを務める七人が紹介された。  このあと新井三知夫・新宗連副理事長の発声で乾杯し、パネリストを囲んで歓談の輪が広がった。

幅広く各団体・研究機関が参加


 シンポジウム実行委員会は取り上げたテーマにかんがみ、新宗連やコルモスの枠組みにとらわれず、広く宗教界からの参加を得ようと幅広く案内した。また、一般公募による聴講席も設け、日刊紙の事前の報道もあり、定員百人の応募があった。
 こうしたことから、これまで宗教対話や宗教協力などの場に参加していなかった宗教団体の関係者の参加が多数見られた。
 参加者の所属教団・教派、研究機関等は以下の通り。
 ●参加者の所属教団
 神光教、新生佛教教団、紫光学苑、真言三宝宗、神道神心教本部、いのちの会、天心道教団本庁、生長の家、創価学会、神道新教、大本本部、金光教、神一條教本部教会、天理教、山陰神道、天台宗、神社本庁、浄土宗、臨済宗妙心寺派、法師宗、融通念佛宗、真宗大谷派、成道会、健富和協会、神道大教、浄土真宗本願寺派、妙見宗、金峯山修験本宗、神社本教、世界救世教、日本基督教団、黄檗宗、辯天宗、臨済宗相国寺派、世界基督教統一神霊協会、宇宙神道惟神産土会、弓矢八幡、サイエントロジー、一燈園、日本聖公会、大和教団、立正佼成会、パーフェクト リバティー教団、大日然教、大法輪台意光妙教会、善隣教、円応教、松緑神道大和山、修養団捧誠会、世界平和教団、救世真教、中山身語正宗、真宗仏光寺派、解脱会、現證宗日蓮主義仏立講、神霊の家、大慧會教団、出雲神道八雲教神人会教団、法公会、思親会、妙道会教団、護国不動尊本宮、妙智會教団、玉光神社、澄禅律院、天恩教、神ながら教(順不同)
 ●研究所等
 龍谷大学、皇学館大學、高野山大学密教文化研究所、聖心女子大学、大阪大学、神道国際学会、日本クリスチャンアカデミー、NCC宗教研究所、創価大学、大阪YWCA教育総合研究所、浄土宗総合研究所、大妻学院、梅花女子大学、大阪ガスいきいき市民推進室、関西カウンセリングセンター、LEFE CARE LABO、日本レンゲの会、NPO法人経営コンサルタント技術向上研究会、国際宗教研究所、京都光華女子大学真宗文化研究所、花園大学国際禅学研究所、関西国際交流団体協議会、教化情報センター21の会、花園大学、金光教教学研究所、パーフェクト リバティー教団総合研究所、神戸仏教塾、立正佼成会中央学術研究所、全国青少年教化協議会、庭野平和財団、WCRP事務局(順不同)

街角インタビュー

宗教イメージを聞く


 シンポジウム「21世紀 日本の宗教を考える」の冒頭で上映された「街角インタビュー―宗教イメージを聞く」のビデオ構成は、一般市民が宗教をどのように捉えているのか、シンポジウム実行委員会が制作会社に依頼して制作したもの。
 収録は今月上旬に東京・新宿、渋谷、池袋、日比谷、巣鴨などの街頭で行われ、街行く人に無作為に同意を得てインタビューした。
 初めの「宗教を聞いて何を思い浮かべるか」の問いには「金」「戦争」「特殊な人たち」などの回答が、「宗教団体のイメージ」については「怖い」「信用できない」「本当に必要なのか」などの声が聞かれた。


決意読み上げて

同宗連20周年式典


 『同和問題』にとりくむ宗教教団連帯会議(同宗連、西田伊太郎議長)は、十一日午後二時から京都市の真宗大谷派の参拝所・視聴覚ホールで結成二十周年記念式典を行い、改めて結成の原点である「宣言」を確認し、思いを新たに差別解消へ向けて、日々の実践に努めることを決意し、表明した。

 式典には加盟の五十教団から管長、会長、宗務総長など教団代表者、担当者、都道府県同宗連のほか、未加盟の四教団も含めて約二百人が参加した。また、来賓として組坂繁之・部落解放同盟中央執行委員長、永山勝治・東京人権啓発企業連絡会理事長、友永健三・部落解放・人権研究所所長をはじめ、全日本仏教会、日本キリスト教協議会、新日本宗教団体連合会、世界宗教者平和会議日本委員会から代表が出席した。
 開会にあたり、主催者を代表して西田議長(天理教)、来賓を代表して永山氏、会場提供教団を代表して大谷暢顯・真宗大谷派門首がそれぞれあいさつを述べたあと、組坂氏が「部落解放運動の課題と宗教者への期待」と題して、「同宗連」の第三期の議長を務めた小野一郎氏(日本基督教団)が「『同宗連』の歩みと課題」と題して記念講演を行った。
 この中で小野氏は、「宗教者が差別による社会的犯罪者であると自覚したとき、自己の限界性などを痛感するが、これに正直に立ち向かうことによって他者を思う心も生まれる」と述べ、「同宗連」結成当初、こうした自己切開に少なからず反発があったことなどを語った。最後に「抑圧と差別という世界の大きな主流の中で少数者が闘うのには困難があるが、『同宗連』は連帯会議の名にふさわしい二十一年目の歩みをしなければなりません」と結んだ。
 ビデオ「『同宗連』二十年の歩み―解放への誓い―」を上映したあと、飯降政彦・天理教表統領が「結成二十周年における決意表明」を読み上げ、参加者の拍手をもって確認。最後に加藤知衞副議長(神社本庁)が閉会あいさつを行った。

同宗連 総会

 「同和問題」にとりくむ宗教教団連帯会議は、結成記念式典の翌十二日、京都の真言宗智山派宗務所で第二十一回総会を開催した。
 二〇〇〇年度事業報告、同決算、二〇〇一年度事業計画案、同予算案などを承認可決したあと、任期満了に伴う役員改選を行い、天理教に変わって第十一期議長教団に曹洞宗を選出し、議長に黒柳祖道・人権擁護推進本部次長が就任した。   副議長教団は高野山真言宗、世界救世教いづのめ教団、天理教の三教団。企画委員長教団は真言宗豊山派、広報委員長教団は天台宗、監事教団は聖観音宗、融通念佛宗がそれぞれ選出された。
 また、事務局長には曹洞宗の深澤信善・人権擁護推進本部事務局長が就任した。任期は二年。

新宗連 総支部の動き


新会長に田澤豊弘氏 (奥羽)

 奥羽総支部(近藤嘉秀会長)は十日午後一時から、岩手県盛岡市のホテルで、本年度総支部総会を開催した。
 はじめに近藤会長が開会あいさつを行い、「本年は新宗連結成五十周年の意義ある年です。お互いの協力を確固たるものとし、多くの方々に先人が築かれてきた宗教協力の道を伝えていきましょう」と述べた。
 このあと会議に入り、役員人事について審議。近藤会長の退任に伴い、新会長に松緑神道大和山の田澤豊弘教主を選出した。田澤氏は一九九六年(平成八年)六月、新宗連常任理事に就任、翌年十月から同企画委員会委員長を務めている。
  近藤氏は、九三年(平成五年)四月二十日に同総支部の第二代会長に就任し、八年間にわたって総支部会長を務めてきた。退任にあたり近藤氏は、これまでの活動を振り返るとともに、「各教団の方々の長年にわたるご協力とご支援に感謝いたします」と述べた。
 また、田澤新会長は就任のあいさつのなかで、近藤前会長の活躍を称えたあと、会長就任に至るまでの心境を述べ、「初代教主(田澤康三郎師)のご神化以来、御霊(みたま)を奉安する事業に取り組んできましたが、この六月に新光霊殿が竣工する運びとなりました。本年は新宗連本部の役員改選期にもあたりますので、慎んでお受けすることにいたしました。みなさん、宜しくお願いします」と述べた。
 このあと前年度の事業報告と決算、本年度の事業計画と予算について審議した。本年度の事業計画では、七月と十一月に役員を対象とした学習会を行い、青森・秋田・岩手の三県で、「奥羽総支部大会」を開催することを申し合わせた。
 会議終了後、午後三時から学習会を開催し、天谷忠央新宗連本部事務局長が、「現在の日本の宗教事情と新宗連の今後の展望」と題して講演した。

〈北海道〉
 北海道総支部(久保欣士会長)は九日午後二時から登別市内の旅館で総務会を開催。
 平和の祈り、「いのち輝く」合唱、開会あいさつについで、前年度の事業・決算と本部理事会の報告が行われた。
 このあと本年度の事業計画について協議、各協議会で学習会を開催することを決定した。また、学習会での成果を積み重ねた上、来年六月に開催する結成五十周年総支部記念集会を迎えることとし、同記念集会の内容は参加者が主役となるものとすることを申し合わせた。開催にあたっての準備は道央地区協議会が中心となって行われる。
 このほか、本年度予算案を承認し、青年会北海道連盟新役員の選出を行った。

〈近 畿〉

 近畿総支部(鉢呂神龍会長)は、三月二十二日午後三時から立正佼成会大阪普門館で平成十二年度総会を開催した。
 会議冒頭、近畿総支部顧問でもある深田充啓・新宗連理事長があいさつ、「いよいよ新宗連結成五十周年の意義ある年を迎え、近畿では四月二十三日にシンポジウムが開かれます。皆様の協力によって、より良い運営がなされますことをお願いいたします」と述べた。
 また、鉢呂会長は「総会に先立ち、運営部門の皆様とシンポジウム会場の下見をしてきました。精一杯努力し、有意義なシンポジウムにしたいと思います」と述べた。  このあと、総会に初出席の井口奠元・天心教教主、新総務の猪野洋太郎・PL和歌山教会長がそれぞれあいさつした。
 理事会、専門委員会、各府県活動、青年会活動などの報告が行われたあと、審議に入った。本年度事業日程・予算案について宮尾早雄専門委員長から提案があり、原案通り承認可決された。
 新宗連結成五十周年記念シンポジウムについては、総会に先立って会場下見が行われたことが報告され、運営については専門委員を各部門長とし、大阪府環境委員会委員が副部門長となって進められることが確認された。また、石田英和事務局長から、今月十日に運営会議を開催することが報告され、近畿総支部総務、各府県協議会委員、同環境委員会委員の積極的な参加を要請した。

〈中 国〉
 中国総支部(前隆士会長)は十三日午後一時三十分から、広島県広島市の立正佼成会広島教会で、総務会を開催した。
 開会につづいて、世界平和祈念を行い、前会長が開会あいさつを述べた。
 はじめに各教団の人事異動に伴い、総務と事務局員の異動が報告された。ついで前年度事業報告・決算、本年度事業計画・予算を審議した。このあと、「新宗連結成五十周年事業」について、天谷忠央新宗連本部事務局長が説明した。天谷事務局長は、五十周年事業の目的、概要を紹介したあと、教団人セミナー、将来構想検討作業など、結成五十周年を機に着手した諸事業の進捗状況を紹介した。
 つづいて、土井正義環境委員長が、三月十七日に広島市で開催した「第六回CGRリーダー研修会」の報告を行った。同総支部では、環境保全運動を強力に進めてきている。また、「CGRリーダー研修会」では、これまで植林活動、地球温暖化防止、環境倫理問題などをテーマに学習を重ねてきている。
 各協議会ごとのミーティングを行ったあと、諸連絡があり、最後に稲村欽吾副会長が閉会あいさつで、新しく制定された新宗連の三つのスローガンを胸に刻み、宗教協力活動のさらなる推進を呼びかけた。

〈四 国〉
 四国総支部(竹野浩市会長)は、三月二十七日午前九時から徳島市内の徳島厚生年金会館で総務会を開催した。
 「いのち輝く」を合唱して開会。はじめに教団内人事異動に伴い新総務に就任した松島孝行氏(パーフェクト リバティー教団琴平教会長)、小川裕久氏(立正佼成会須崎教会長)が紹介された。
 竹野会長のあいさつのあと、二月九日に東京で開催された全国総支部会議、理事会の報告が行われ、特に新宗連結成五十周年記念シンポジウムに四国総支部役員が積極的に参加することを確認した。四国総支部受け入れの本年度人権セミナーについては、次回総務会で審議することを申し合わせた。また、新宗連結成五十周年総支部記念集会については、それぞれの県単位で実施する方針が県協議会代表者より報告され、次回総務会で審議することとした。
 次回は七月九日、香川県協議会の受け入れで開催することを決めた。

〈九 州〉
 九州総支部(力久隆積会長)は三月二十七日に、長崎市愛宕の立正佼成会長崎教会で総務会を開催した。
 黙祷につづき力久会長が、「二十一世紀の幕開けに新宗連結成五十周年と九州総支部発足三十周年を迎えることは神仏のはからいです」と開会あいさつを述べた。
 新役員紹介のあと本年度の総支部活動方針を協議、「宗教協力」「環境」「教育」の三つをテーマにプロジェクトチームを設けることを決定した。  前年度決算と本年度予算を原案通り承認したのち、今後の会議などの日程について確認した。
 会議のあと、長崎のフォコラーレセンターから講師を招いて学習会を開催し、フォコラーレの運動について学んだ。


新宗連協議会の動き

アクリルたわし運動
標語優秀作を発表 滋賀県環境委員会

 滋賀県環境委員会は、三月二十三日午後一時半から、滋賀県近江八幡市の立正佼成会滋賀教会で学習会を開催した。
 宮本佳昭・立正佼成会滋賀教会長の開会あいさつのあと、小畑昌平・パーフェクト リバティー教団大津支所長が同委員会の活動経緯と今後の活動について発表、琵琶湖保全のために「アクリルたわし」配布の運動展開を呼びかけた。
 アクリルたわしの配布には、環境標語のカードも配られる。このカードは琵琶湖産の葦(よし)を混入した紙で作られている。
 琵琶湖の葦はかつて、すだれなどに使用されていたが、現在は中国産に押されて需要が減少している。刈り取らないと新芽が出ず、浄化に役立たない。需要喚起のために「ヨシ紙」が製品化され、名刺サイズで琵琶湖の水約十リットルが浄化されると言われている。
 ついで、藤井絢子・滋賀県環境生活共同組合理事長が、「碧い琵琶湖を未来に残すためにできる身近な実践について」の講演を行い、参加者は環境活動の具体的な実践行動の必要性を確認した。
 このあと、昨年、募集した環境標語の優秀作品の発表が行われ、解脱会の山川隆道氏から優秀作品の作者に記念品が贈呈された。
 六十七作品の中から選ばれた優秀作品は、解脱会・太田ちよの氏の「一滴に使うやさしさ次代を守る」、立正佼成会・杉山育代氏の「残そうよ緑にはえる青い水 一人一人が主人公」、パーフェクト リバティー教団・野村洋子氏の「一滴の油が琵琶湖を苦しめる」の三点。

ドングリ  2百本植える
〔岡山〕

 岡山県協議会(藤井賀年生議長)は、三月二十五日午前十時から、岡山県玉野市にある王子ケ岳の植樹を行い、四教団から約三百人が作業に参加した。
 王子ケ岳は、かつて頻繁な火事で丸焼け状態にあった。六年前に、アルミ缶回収運動基金の有効活用を探っていた同協議会は、環境保全運動の一環として、玉野市と連携して王子ケ岳の植樹活動に参画。五年間で苗の歩留まりがよくなるとのことから、下草刈りなどケア活動を継続し、昨年秋で計画を終了した。
 今回は、新宗連結成五十周年の記念事業の一環として、展望台付近にツツジ三百本とドングリ二百本を植えた。今後は、近隣の教団の教会などがそれぞれ目を行きとどかせ、ケアを行うこととしている。
 植樹前に、展望台近くの広場で集会を行い、「いのち輝く」を合唱し、山根敬則・玉野市長、藤井議長がそれぞれあいさつしたあと、早速作業に入った。
 参加者は、雨をものともせず土掘り、苗の植え込み、肥料、土かけと役割分担をし、手馴れた手つきで計五百本をあっという間に植えた。

ボランティア学ぶ

新宗連青年会 テーマ研究会

 新宗連青年会(力久道臣委員長)は、十一日午後五時二十分から東京・代々木の新宗連会館で第七回テーマ研究会を開催した。
 同青年会は本年度事業計画に「新宗連青年会ボランティア事業の推進」を掲げており、今回はボランティア活動の実情を学ぶことを主題に開催。「今、必要とされるボランティアとは」と題し、二〇〇一ボランティア国際年推進協議会事務局の村上徹也氏が講演を行った。
 社団法人日本青年奉仕協会事業部部長もつとめる村上氏は、はじめにボランティアの概念について説明。つづいてボランティアが広がるためのキーワードとして「豊かさの意味・生きる目的」「対等な関係」の二つを提示してその解説をした。
 「いま、金や物などの経済的な豊かさと生活の中の便利さが『豊かさ』の目標になっている」と述べたあと「自分にとって本当に必要なものは何か、生きていく中で大切なことは何かと考えた時、自分自身を見つけていく手段のひとつにボランティアがあると思う。ボランティアは特別なものでなく、自分の心に動機が生まれ、自分の中で人や自然とつながっていたい、かかわっていたいという欲求がはじまった時、自然に行動となって生まれていく」とボランティアの原点を語った。
 さらに「人に対して『してあげる』の行為のボランティアはでは長続きしない」と指摘した。

〈常任委〉
 新宗連青年会(力久道臣委員長)は、十一日午後一時から東京・代々木の新宗連会館で本年度第一回常任委員会を開催した。
 今回は、本年度からスタートする第二十一期最初の会議でもあり、新任の力久委員長があいさつしたのち、委員それぞれが自己紹介した。
 はじめに昨年度で終了した中国青年平和使節団で訪れた訪問先や施設を解説する冊子、ビデオ制作を行う小委員会を編成した。つづいて前年度の決算案などが承認された。
 七月七・八の両日に開催するユースフォーラム二〇〇一の参加申し込みについては、今年から新たに、受け入れ以外の各地方連盟から二、三人程度の参加を要請することを申し合せた。
 本年度派遣予定の第十七次アジア(韓国)青年平和使節団の日程については、土日を含む三泊四日間とした。

青中連フォーラム

 新宗連青年会中部連盟(坪井健次委員長)は、二十二日午前十時から岐阜県大垣市の立正佼成会大垣教会でピースフォーラムを開催した。
 このフォーラムは年一回愛知・岐阜・三重・静岡の四県の青年が集って、信仰体験の語り合いや交流をはかることを目的に開催している。
 今回は、立正佼成会、パーフェクト リバティー教団、解脱会、円応教、法公会から約七十人の青年が参加した。
 今年度就任した坪井新委員長が開会あいさつののち、斎藤京子新宗連青年会事務局長が新宗連青年会のこれまでの歩みと活動を紹介した。
 つぎに「心の時代、宗教の時代」をテーマに、鳥海成浩立正佼成会大垣教会長が講演した。
 その後、昼食をはさみながらグループ討議。ついで坪井委員長、立正佼成会、PL、解脱会、円応教、法公会の代表がパネルディスカッションを行った。
 なお、前日二十一日午後一時から同会場で、本年度第一回常任委員会が開催された。

青中連錬成会

 新宗連青年会中部連盟(伊藤嘉洋委員長)は、三月十日から十二日の三日間、比叡山延暦寺研修道場「居士林」(こじりん)で、第三回青年育成錬成会を行った。
 同錬成会は一九九九年に中部連盟三十周年を記念して計画された事業で、「感動」「感激」「感謝」を呼び起こし五感を通じた信仰体験を学び、宗教的感性の回復と向上を目指す目的で行われたもの。今回は愛知・岐阜・三重・静岡各県から三十五人が参加した。
 一日目、開式ののち研修道場にある釈迦堂で「坐禅止観」を行った。この日、雪が残る中での坐禅は、寒さに心をとらわれてしまう。身を整え、呼吸を整えて坐禅する難しさを体感した。
 二日目は、光永澄道阿闍利(あじゃり)から法話を聞き、座談会を行った。午後は「居士林」内の各所を見学。三日目は写経を行った。
 三日間の体験を通して、参加者は一つひとつの業にやり遂げた喜びを語ったり、錬成で学んだこと感じたことを日常における地域社会の活動に活かそうと誓いあい研修道場を後にした。

(青道連)
 新宗連青年会北海道連盟(松浦道記委員長)は八日午前九時から札幌市豊平区の松緑神道大和山北海道札幌道場で常任委員会を開催。
 前年度の活動報告につづき前年度決算、本年度予算が可決された。また、役員改選が行われ、新委員長にパーフェクト リバティー教団の工藤和義氏、新事務局長に立正佼成会の浅野理恵氏を選出した。ついで新宗連青年会の歴史とこれからの活動について、佐藤得一・新宗連青年会常任委員が小講演を行った。
 休憩をはさみビフレンダーズ・自殺防止センター東京代表の西原由記子氏を講師に研修会を行った。


新宗連50周年 足跡振り返る特別企画

教団の政治活動  いまが転機ではないか

長崎シーボルト大学教授・元朝日新聞社論説委員  北畠 清泰氏


 「新宗連」が結成されてから五十年を経た。この時点で「新宗連」が経験した多様な政治的活動を振り返り、そこから今後の指針を得ることが肝要だと思う。
 それは単に、半世紀という年表上の区切りだからというのではない。政治と宗教の関係が、この間、大きく様変わりしたからである。
 半世紀を回顧する際、明確にしておきたいことがある。それは憲法的原理であり、「新宗連」が掲げる標語の一つでもある「政教分離」とは、決して「宗教者の政治的無関心」を意味しないということだ。
 いやそれどころか現世を宗教的楽土に近づけたいと願う宗教者なら、必ず政治的関心を深めるからでもある。
 「新宗連」の「社会志向・平和志向」と実践の成果については、すでに聖学院大学の飯坂良明学長が、この特別企画シリーズで詳述されている(本年二月二十五日付)。  たとえば「新宗連」が展開した大規模な核兵器廃絶・軍縮の署名運動は、学長の表現を拝借すれば、まさに「驚異の快挙」だった。
 しかし同じ政治的関心の発露とはいっても、それが選挙活動となると、事情が違ったのではないか。遅疑逡巡(ちぎしゅんじゅん)したことも一再ならずあったと思う。
 政党、政治家が教団の支援を求めるとき、たいてい「宗教的情操によって政界を浄化したい」などという。
 だが多くの場合、それは票ほしさの甘言なのだ。その証拠に、初めて拘束名簿式比例代表制が採用された一九八三(昭和五十八)年の参院選で、教団推薦候補はそろって自民党名簿の当落ボーダーラインに並べられた。こうすれば教団が死力を尽くすだろう、という政党の酷薄な打算があったからに違いない。  さて、今日の中央、地方政治をめぐる民意の動向を見てみよう。
 自民党の新総裁に小泉純一郎氏を押し上げたのは、同氏の党批判に共鳴した党員大衆だった。地方の首長選挙でも、既成権力が次々、失墜している。民意が、もはや従来の枠組みに収まらなくなってきた。
 ここ数年来、「新宗連」としては、国政選挙への直接的関与は控えているようだが、加盟教団それぞれの選挙活動に対する態度には様々なものがあるようだ。  今こそ立ち止まって、考えてみよう。こうした状況下の選挙活動は、「政界浄化」どころか、「宗教界汚染」を招き、結局は民意に背くことになるのではないかと。  しかし、そうは言っても急な路線転換は難しいかもしれない。とすれば、せめて支援候補の人選に、さらなる工夫を望みたいものだ。  地盤、看板、鞄の、いわゆる三バンを持たないがために、落選の憂き目をみた政治家は多い。そのなかには、志も識見も高い人物もいることであろう。そうした人たちを、単に各教団にとっての「共有の人材」としてではなく、国民全体の人材として、「勝手連」的な手法で支援することはできないものだろうか。
 「新宗連」の齢、すでに五十歳。『論語』がいうところの「知命」、つまり「天命」を自覚する年齢である。政治に向き合うときの教団の「天命」とは何か。その自覚が求められている。

新理事長に白柳氏

日宗連で理事会・参議会


 財団法人日本宗教連盟は、十九日午後四時から、東京・潮見の日本カトリック会館で、理事会と参議会を開催した。はじめに前年度理事長の北條成之氏が開会あいさつ。このあと事務局から諸報告が行われた。
 つづいて本年度理事長の互選を行い、新理事長にカトリック枢機卿で日本キリスト教連合会委員長の白柳誠一氏を選出した。白柳新理事長は就任のあいさつで、「このたび日宗連の理事長をお受けすることとなりました。皆さま方のお力をお借りして、心を尽くしてまいりたいと存じます」と述べた。
 ここで理事会を一時中断して参議会を開催。まず、議長に日本福音ルーテル教会管財室長の長尾博吉氏を選出した。前年度事業報告並びに収支決算を審議、監査報告のあと、これを承認した。
 つづいて、本年度事業計画並びに収支予算の審議を行い、これを承認した。本年度の事業計画では、個人情報保護基本法案、宗教法人と税制問題、生命倫理問題など宗教界が直面する諸問題への対応と研究を掲げている。
 このあと、理事会を再開。白柳理事長が議長をつとめ、予定の議案をすべて審議。最後に、白柳理事長があいさつ、閉会した。


新宗連企画委
 新宗連企画委員会(田澤豊弘委員長)は、三月三十日午後一時三十分から、東京・代々木の新宗連会館で第二十一期第十四回委員会を開催した。
 田澤委員長があいさつしたあと「新宗連結成五十周年事業」の進捗状況の報告が行われた。
 ついで、立正佼成会の故庭野日敬開祖の顕彰事業の一環として昨年十月同会より贈呈された寄付金の活用計画の立案について協議した。
 つづいて、「新宗連結成五十周年三カ年基本計画『活動推進に向けての検討報告書』」の@委員会・機関の充実、A加盟教団の拡大について協議した。  このなかで委員会・機関の活性化をはかるため、全ての理事教団に各委員会委員・各機関幹事の推薦を要請することを申し合わせた。  「加盟教団の拡大」では、新宗連本部・総支部を通じて交流のある団体に加盟を働きかけることを申し合わせた。 新宗連政治委  新宗連政治委員会(新井三知夫委員長)は十七日、午後二時から東京・代々木の新宗連会館会議室で委員会を開催した。  新井委員長があいさつしたあと、新宗連の今後の政治姿勢について意見交換した。

保積志弘氏が継親就任 大和教団

三代にわたって 初の開教祭も開催


 宮城県仙台市の大和教団(保積秀胤教主)は、十一日午前十時から、仙台市青葉区大市山の大國神社本宮で、開教祭にあわせ、保積教主の長男で、本年一月に第三代教主に指名された保積志弘教務部長の嗣親(つぎおや)就任奉告祭を執り行った。
 開教祭は、保積史子開祖が同教団を開いた一九五七年(昭和三十二年)四月十一日を記念し、教恩に感謝を捧げる祭典として本年初めて行われた。
 午前十時、春の日差しがふりそそぐなか、斎主の保積教主と斎員が入場して開式。修祓、斎主一拝につづき、全参列者が起立し、世界平和と万民幸福の祈りを捧げた。
 保積斎主が昇殿参拝したあと、「大國主大神立教神宣」を奉読。開教祝詞につづき、神威(みいつ)奉戴神事を厳修した。  ここで「嗣親任之證」の授与。はじめに保積教主が「任之證」の全文を奉読したあと、第三代教主に指名された保積志弘教務部長に「嗣親任之證」が手渡された。神前に凛とした空気が流れるなか、嗣親となった保積志弘氏が深々と一礼したあと、「誓詞」を奉答した。
 このあと、参列者代表による玉串奉奠、斎主一拝のあと祭典を終了した。
 小憩のあと、午前十一時十分から大國神社祈祷殿に会場を移し、嗣親就任祝賀式典が挙行された。
 開式のあと、司会者が保積志弘氏のプロフィールを紹介、場内全体が拍手に包まれるなか、志弘氏が会場中央から入場した。保積志弘氏は、一九七一年(昭和四十六年)十月八日の生まれ。二○○○年(平成十二年)三月、出羽三山神社神職養成所本科を卒業し、大和教団教務部長を努めてきた。
 保積教主があいさつ、「皆様のおかげさまで本日を迎えることができました」と謝意を表したあと、二代教主に就任してから現在に至るまでの心境を紹介。最後に「これから、一人ひとりが信仰の結びをもって、大和の道がさらに大きく開かれますよう祈ります」と述べた。
 来賓祝辞、祝電披露につづき、本年九十四歳を迎える保積開祖が「お言葉」で、「親・子・孫と三代にわたって神様の道を奉じることができるのは、この上ない幸せと感じています」と語ると、出席者から大きな拍手がわきおこった。
 保積開祖は大きな声で信仰者の心得を諭したあと、「人間は勇気がなければ仕事ができません。決してくじけることなく、最後までやり遂げてください」と結んだ。
 このあと、保積志弘氏があいさつ、「常に明るく、正直な心で皆さんとともに歩ませていただきたい」と嗣親としての決意を述べた。
 このあと、就任祝賀会に移り、なごやかな雰囲気のなかで祝宴が繰り広げられた。

花まつり

〈佼成会〉
 東京・杉並の立正佼成会(庭野日鑛会長)は、八日午前九時から大聖堂で、「釈尊降誕会」式典を厳修した。
 題目三唱、会員綱領唱和、会歌斉唱についで、インドの民族衣装、サリー姿の青年女子が奉献を行った。
 つづいて、庭野会長が入場し、導師となって、読経供養のあと啓白文を奏上した。
 庭野会長の灌仏のあと、稚児総代が登壇。懸命に讃嘆文を奏上し、佼成育子園児が「きれいなお花」の歌にあわせて遊戯を披露。会場には微笑みがあふれ、惜しみない拍手がおくられた。
 会員代表の体験説法につづき、庭野会長が登壇して、法話を行った。庭野会長は「尊いいのちを拝みあって、ともに生きる安らぎの世界を開くために、仏の教えにあうことの大切さを広く現代にアピールすることが仏教徒として大切です」と述べた。
 式典後、百二十人の稚児が大聖堂から一乗宝塔まで、おねり供養を行った。
 また、同日、発祥の地・修養道場で在日外国人のための「花まつり」を行い、駐日マラウイ大使をはじめスリランカ、ネパール、インド、オランダ、カナダ国籍の外国人ら約五十人が参加した。
 導師、脇導師を海外布教課員が勤め式典はすべて英語で進行された。奉献の儀でケーキを奉納、英語経典で読経供養したあと、酒井教雄理事長があいさつ。「日本で生活し、日本人を理解する上で、精神的、文化的背景となる仏教を理解する事は大切です」と述べた。
 体験説法のあと、ジーン・リーブス博士(米国シカゴ・ミードビル・ロンバート神学大学院元学長)が「あなたも仏になれる」と題して講演した。

〈妙智會〉
 東京・代々木の妙智會教団(宮本丈靖会長)は、八日午前十時から千葉県九十九里町の千葉聖地聖苑で「釈尊御降誕祭」を厳修。本年は各地の教会・道場でも式典が行われた。
 「妙智式典歌」のコーラス、聖火献上をもって開式。「御旗」を先頭に団旗、各部旗が入場した。献灯・献華・献供の儀では真っ白い行衣に身を包んだ少年部員二百人が、春の日差しを浴びて金色に輝く久遠仏塔を色とりどりの花で荘厳した。つぎに宮本会長が入場し久遠仏塔内で導師を努め、一同での読経についで敬白文を奏上した。
 宮本会長は灌仏の儀につづいて、少年部員二十四人と散華の儀を行い、参列者に花びらを撒いた。少年部員と会員の代表による体験説法のあと、ローマ教皇庁諸宗教対話評議会長官フランシス・アリンゼ枢機卿のメッセージが披露された。
 指導に立った宮本会長は、好天に恵まれ桜が咲く中で降誕祭が行えたことについて、「お釈迦さま、みなさんのおかげさまです」と感謝したあと「お経をあげて、家族仲良くして下さい」と述べた。

〈法公会〉
 愛知県知立市の法公会(榊原法公会長)は、八日午前十時から、総本山で釈尊降誕会を挙行した。
 本殿入口は白象が会員を迎え、色とりどりに飾られた花御堂で甘茶をかけてそれぞれが供養した。
 定刻、榊原会長の導師のもと、弘法大師が唐から請来した仏舎利が安置奉祀される聖仏舎利宝塔で読経供養。教祖殿、つづいて本殿で参拝者とともに供養した。
 このあと本殿で、榊原会長が法話。釈尊降誕の意義を説き、「尊いお釈迦様の教えは永遠です。お釈迦様のお教えを信じて一心に実践して下さい」と指導した。

〈思親会〉
 神奈川県伊勢原市の思親会(飯島正三会長)は、八日午前十時三十分から思親大宮殿で釈尊降誕会を執り行った。  はじめに映像による釈尊降誕会の説明がスクリーンに映し出されたのち、飯島会長を先導に総礼拝を行った。つづいて会員の体験法話のVTRを上映した。
 次に再び飯島会長が登壇し「ご親教」。「経典の中で、『誰か正しくこの娑婆国土において広く妙法蓮華経を説くものはないか。私の願いは妙法蓮華経を実行し本当の幸せを実現してもらいたい』と書かれています。これは、自己満足な人生を過ごすな、世と人のために尽くしきれという法華経の真髄です。どうかもう一度、心の改革をしていきましょう」と述べた。
 式典開始と同時刻に伊勢原駅北口を稚児行列が出発。二俣川コバルト鼓笛隊の演奏を先頭に、題目が書かれた幟や「御旗」につづいて二十人の稚児たちが市内を行進した。大宮殿に到着した行列は棲神壇に登壇。
 稚児を代表して厚木支部の長倉由実子ちゃんと戸塚支部の内島広貴くんが祭文を朗読した。最後に鼓笛隊の演奏で式典を終了した。

多寶如来を勧請

真生会立教22年記念祭

 岐阜県岐阜市の真生会(田中偉仁会長)は、十五日午前十一時から、総本山真生寺で創立二十二周年記念立教祭、並びに多寶如来勧請式典を厳修した。真生会は、一九七九年(昭和五十四年)四月十五日に立教。翌年四月十三日、大阪淀川区民会館で第一回全国大会を開催して以来、各地に教会を建立。八二年四月十八日、総本山真生寺の開山法要を行った。
 式典では、開式につづき、白地に「げんき」「やります」と染め抜かれた法被を着た子供たちが紅白の餅を捧げ持って入場、祭壇に供えた。青年女子部による献灯献花につづいて、「御旗」奉納のあと、田中庸仁理事長を先頭に式衆が入堂し、立教祭奉祝の読経供養と多寶如来勧進供養を行った。
 つづいて導師の田中会長が「多寶如来勧進 入魂供養啓白文」を奏上した。啓白文のなかで田中会長は、「本日は信者一同聖地に参集し、多寶如来勧進入魂の儀、お手配賜りましたこと、謹んで御礼申し上げ奉る」「この良縁を機に信者一同、『菩薩真生』の大目標に向かい、『0(ゼロ)からの出発 明るく 楽しく ありがたく』を旗印とし、妙法広宣流布に不自惜身命、勇猛精進することをお誓い申し上げ奉る」と言上した。
 この日勧請された多寶塔は総本山をはじめ、岐阜、名古屋、大阪、所沢の各教会にも安置される。
 つづいて田中会長が「ご真教」に立ち「春爛漫のよき時期に、創立二十二周年を機に多寶如来を勧進できましたことは大きな喜びです」と述べたあと、「現在、真生会は二十二歳の青年期にあります。これから人心救済のために邁進し、各地に平和の灯を灯していきましょう」と参列した会員に一層の精進を呼びかけた。
 小憩のあと、「お祭り広場」で「春を楽しむ集い」を開催。新緑につつまれた広場には模擬店や茶会が催され、鏡開き、乾杯のあと、会員による祝賀演芸が披露され、創立二十二周年を祝いあった。

第18回の会主法要

妙智會

 東京・代々木の妙智會教団(宮本丈靖会長)は、三月二十八日午前九時から、千葉県九十九里町の千葉聖地で、第十八回会主法要を厳修。約七千人の会員が「教えのみなもと」に集った。
 同教団の創設者で、「会主さま」と尊称される宮本ミツ師は、一九〇〇年(明治三十三年)四月十五日、千葉県鳴浜村(現・九十九里町)に生まれた。夫・孝平師とともに先祖供養の道を歩み、五〇年(昭和二十五年)に同教団を開教、八四年(同五十九年)三月二十八日、人心救済に尽くした生涯を閉じた。
 開式に先立ち、聖苑内のかがり火台に聖火を献上。「御旗」が入場、久遠仏塔内に安置されたあと宮本会長が導師となり久遠仏塔で祈願、読経、歎徳文の奏上。大道場では会主を偲ぶ映像が上映され、女子青年による献灯・献華、男子青年の献供が行われた。  宮本会長が入殿、須弥壇の宮本会主の遺影に向かって焼香した。体験発表につづき、来賓の亀井静香衆議院議員らがあいさつ。宮本会長が九十九里町長に文化振興資金を贈呈した。
 ここで宮本会長が登壇して「ご指導」。「会主さまの法要は十八回を数えますが、桜が花開いたのは今年が初めて。会主さまは霊界に帰る一週間前に、何かおっしゃりたいことはございますかと尋ねると、紙に『心』と書かれ、『会員の皆さんはまだまだお経が足りないよ。責任を持ってお経の修行をさせなさい』とおっしゃった。この最後のご遺言を守ってきましたが、皆さんは素直な心で修行しています。おそらく会主さまは霊界で『良かったね』とおっしゃっているのでは」と語り、最後に「精進に精進を重ねていくことが、大恩師さま、会主さまへ捧げる法恩感謝のまことです」と結んだ。

”おめでとう惠子さん”

盛大な結婚式と披露宴

円応教

 兵庫県氷上郡の円応教(深田充啓教主)の恵主・深田惠子さんと平井良一さんの結婚式が十四日午前九時から同教本殿礼拝所で挙行された。
 坂野守信理事長の祭主のもと、「祭司奏上」「誓杯の儀」「誓約の儀」を言上、結婚指輪を交換した。
 新郎新婦の二人は、円応青年会の活動を通じて親交を深めた。媒酌人は民主党副代表の中野寛成夫妻。
 同日午後二時から、大阪市北区のリーガロイヤルホテルで結婚披露宴が行われ、約百四十人の招待者が二人の新しい門出を祝った。
 来賓の祝辞には、光永覺道比叡山延暦寺南山坊住職、庭野日鑛立正佼成会会長、そして、新宗連青年会活動を通じて新郎新婦とも親しい新井光興救世真教企画室長が登壇。また、新郎新婦にとってはじめての共同作業である鏡開きが行われ、枡酒で二人の末永い祝福の祈りを込めて乾杯を行った。
 ここで新婦の「お色直し」。新婦のイブニングドレスは、現在パリでデザイナーとして活躍中の、新婦の妹にあたる深田章子さんが制作したもの。章子さんが新郎新婦の前で、イブニングドレスにこめた気持ちを伝えると、会場からはどよめきと歓声があがった。披露宴はなごやかな雰囲気のうちに進められた。
 また、午後七時三十分から同ホテルで、円応青年会のメンバーが「おめでとう会」を開催。日頃の活動を通じて新郎新婦と交流の深いメンバーが漫才を行うなど、和気あいあいとしたなかで二人を祝福した。

61回目を数える

解脱会の「三聖地巡拝」


 東京・四谷の解脱会(岡野聖法法主)は、一日から三日まで第六十一回三聖地巡拝(岡野正団長)を挙行した。同巡拝は、一九四一年四月、岡野聖憲会祖が伊勢神宮、橿原神宮、泉涌寺を聖地として参拝したのを第一回とし、翌年から会員代表による団体参拝として行われているもの。
 全国各地から参集した信徒は、一日午後三時に伊勢神宮の外宮前広場で結団式を行った。翌早朝、内宮を参拝したあと、バス二十八台で移動し、奈良県橿原市の橿原神宮に続々と到着。バスから降りた一行を橙色のハッピを着た大阪・松虫支部の会員が拍手で迎えた。
 このあと、参道を通って本殿前で整列。献納の儀、修祓のあと岡野法主、岡野団長らが順次玉串を奉奠した。拝礼行事のあと、伊勢登美・橿原神宮宮司があいさつし、「混沌とした世の中にあって、人々に心の灯りをともす役割を果たしていただきたい」と述べた。  参拝を終えた一行は、松虫支部信徒らによる天茶の接待を受けたあと京都に向かった。翌三日は、皇室の菩提寺である京都市東山区の泉涌寺を参拝し、国恩報謝の誠を捧げた。
 このあと、一行は同教団と法縁のある京都市伏見区の醍醐寺三宝院を訪問した。

夫人宣教師の研修

法公会、石川嘉一氏招き


 愛知県知立市の法公会(榊原法公会長)は、二十一日午後零時三十分から、総本山・教祖殿で「第十二回婦人宣教師研修会」を開催した。
 この研修会は、毎年春に、他の教団より講師を招いて行われている。今回の講師は立正佼成会中部教区長で名古屋教会長の石川嘉一氏。
 榊原会長が「私たちは”自分の力”で生きていると考えがちですが、実は多くの人に支えられて生きています。良い教えを聞き、良い志をもって日々精進を重ねていただきたい」と呼びかけ、あいさつした。
 ついで石川氏が「自分が変われば 相手が変わる」と題して講演。立正佼成会に入会するまでの経緯や家族が直面した多くの問題を通して、信仰者としての人生修行の大切さを語った。
 また、「仏道の修行は一つひとつに感謝を捧げ、どの人の話にも耳を傾けていくことから始まります」「人間は自分の力で救われるのではないのです。自らが積んだ”徳の力”によって救われていくのです」と語り、一人ひとりが陰徳を積み人生を歩んでいく大切さを説いた。

春の大祭

〈玉光神社〉
 東京・三鷹の玉光神社(本山博宮司)は、八日午前十時から、春の大祭を執行した。
 雅楽の流れるなか、斎主の本山宮司並びに斎員が入場して開式。祓詞、大幣、御降神願、献饌ののち、本山宮司が祝詞を奏上、「玉光教十訓」「玉の光」を参列者全員で奉唱した。つづいて沖縄の舞奉納ののち、斎主、各役員、参列者が玉串奉奠を行った。
 つぎに会場を妙清会館に移して祝宴。橋本壽之運営委員会議長が開会の辞をのべ、木下信義運営委員会顧問が乾杯のあいさつ。本山宮司が撮影したビデオを上映ののち、信者による余興が奉納された。
 最後に本山宮司が講話。この日沖縄の舞が奉納されたことについて「昨年六月、沖縄に浄めの旅、慰霊に参りました。魂が清まり恨みから救われた聖地の斎場が、世界遺産に登録されると決まり、神さまのおはたらきの顕れだと思います」と述べた。また、「臓器移植やクローンなど、人間をモノのように思うようでは、人間は滅びるしかない。人間の本体は魂です。魂に目覚めるよう、神さまが種をまくよう私に言っているのだと思います。魂が成長して神さまのもとに戻れるよう種をまき、弟子を育てたい」と語った。

〈円応教〉
 兵庫県氷上郡の円応教(深田充啓教主)は、六日午後零時三十分から本殿礼拝所で春季大祭を執り行った。深田教主が入場して開式。君が代、円応教歌の斉唱のあと「おつとめ」を行い「自覚反省懺悔文」などを唱和した。
 菩提寺教会の依藤憲平さんによる信仰体験のあと、教会努力による教会表彰、功労賞授与式が行われた。ついで深田教主が登壇して、教典六十四項に基づいて「御親教」を行った。
 深田教主は、「御教祖様はまず、善き世のいろいろな素晴らしい人、よく努力なさった人、そういう人の心と働きを見て自分も修行しなさい、と言われています。ですから、御教祖様ご存命中は、お弟子さんたちは御教祖様のなさっていることを見たり、聞いたりして一生懸命行じられる。それが陰の行です。そういう働きを積ませていただくことによって、自分の心が磨かれてきます」と述べた。
 さらに深田教主は、「人の真似ではなく、自分の心が今度はそこに通じて来なければなりません。つい真似さえしていたらいいという思いがありますが、例え同じ掃除をしていても自分の心から、真心から何でもさせていただくという働きが大事であると思います」と述べた。最後に「佳き日の歌」を聖歌隊と参列者全員で斉唱した。

〈救世真教〉
 群馬県箕郷町の救世真教(新井三知夫会長)は、十五日午前十時から、本部・救世殿(みろくでん)で、春季大祭を挙行した。
 開式に先立ち、子どもたちが神前に整列して、小さな手を合わせ、「良い子のお参り」。新井会長から、一人ひとりに「お供物」がプレゼントされた。定刻、みろく太鼓で開式、祓戸行事、献饌、春季大祭祝詞奏上につづいて、新井会長、各部代表の玉串奉奠が行われた。新井会長の先導で天津祝詞を奏上、三首の春季大祭歌を詠じた。
 故小野田松造教主への感謝の礼拝につづいて、供養祭が行われ、善言讃詞の奏上のあと、新井会長により、浄霊が行われた。
 奉納の舞につづいて「真鏡」を拝読。昨年逝去した南波柳冶さんの長男・孝宏さんが信徒を代表しての体験発表。新井光興企画室長が講話した。
 新井会長が登壇、「二十一世紀を迎え、二十世紀の心ではなく、多くの人が心の転換をしなくてはなりません」と語り、本部聖地の入り口に、各宗教を紹介する「いのち輝く広場」を開設する構想を披露した。

〈神ながら教〉
 愛知県名古屋市の神ながら教(水野富久子教主)は二十三日正午から、本部・大広前で開教九十周年春季大祭を挙行した。
 斎員着座、修祓のあと献饌、水野兼辰総監が斎主に代わって大祭祝詞を奏上。祝電披露のあと神賑が行われた。
 斎主、来賓、信徒連合会会長、全国から参集した教会総代役員が玉串奉奠を行ったあと、参列者全員で大祓詞を奏上、讃仰歌奏唱、「御神諭」の奉読が行われた。
 水野教主が「みさとし」を行い、信徒が救われた事例を挙げ「私たちはいくら知識や知恵があっても因縁に左右される時があります。頼って来られる御霊があるのです。教団は九十年を迎えますが、私はこれからも皆さまの幸せを祈らせていただきます。ともに奉仕させていただきましょう」と説いた。
 小憩後「オリーブ油健康法」と題し小林淳夫大阪薫英女子短大教授が講演した。

加納太霊で太霊祭


 北海道深川市の加納太霊教院(加納理孝院長)は十一日午前十一時から太霊祭を執行した。
 この太霊祭は、同院の初代教祖・加納包球師が一九一〇年(明治四十三年)のこの日 「万象是魂」との真理を悟ったことを記念して祭典が開かれるもので、あわせて信徒総会が開催された。
 祭典の部は、松田克夫・音江神社宮司が斎主、浦真也・深川神社宮司が副斎主となって斎行され、加納院長が、「霊詞」を奉読した。
 祭典のあと、信徒総会が開かれ、加納院長が、式辞を述べ、「父の亡きあと院長のお役を継承し、先代院長であります父の偉大さを身にしみて感じております。なお一層の努力をいたしたいと思いますのでよろしくお願い申し上げます」と語った。
 このあと、祝賀会が開かれ、乾杯のあと、信徒有志による演芸が繰り広げられた。


教主58歳の誕生祭

善隣教、来年は節目の年


 福岡県筑紫野市の善隣教(力久隆積教主)は、三月二十九日午前十一時から、本庁聖堂で「総宣布の年」御帰幽祭と力久教主の五十八回目の誕生祭を行った。
 定刻、鐘の連打に続き、神呼び太鼓が奏上され開式。献饌、「御奉膳奉納」、「神むすび祈願の証献上」のあと力久教主、力久道臣継主が入殿した。
 力久継主が祭主となり祭文を奏上。教主誕生祈念洗礼、よみがえり妙合祖霊入信、幽顕行二十二日の儀、献花と厳かに進められた。  力久教主が信徒に「御慈光照射」を行い、鎮魂瑞拝受のあと捨身の松を奉奠、祭典を終了した。
 祝賀会に移り、信徒代表から、力久教主へ祝賀の花束が贈呈された。
 力久教主は親教で、「来年の御霊殿建立二十周年、御神尊様ご神化二十五年の節目の年に向け一層の帰依の誠を捧げましょう」と精進を促した。



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