検察の不起訴処分が適切かどうかを市民が判断する検察審査会制度が注目されている。
審査員11人中8人以上が「起訴すべきだ」に賛成すれば起訴相当の議決となる。民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体を巡る事件では先月、全員一致で起訴相当を議決した。
昨年5月施行の改正法で権限が強化され、起訴相当2回で強制的に起訴される。東京地検が再び不起訴としたが、検審が再度、起訴すべきだと議決すれば、小沢氏は起訴される。実に重い判断を市民が担う。
この1年、兵庫県明石市の歩道橋事故とJR福知山線脱線事故で、元警察副署長と歴代社長らが既に強制起訴になっている。
社会的影響が大きい事件・事故で起訴相当の議決が相次ぎ、制度に批判的な声も出始めた。市民感覚といえば聞こえがいいが、素人の感情的な判断で重大な刑事処分を決めていいのか、といったものだ。
だが、補助役の弁護士が加わり、判例なども踏まえて判断している。結果的に証拠に対する評価が検察とは異なっても、感情優先の議決をしたとは評価できまい。
小沢氏の議決後、民主党の議連が検審制度見直しに言及した。議論は自由だが、性急でご都合主義的だ。
99%を超える日本の有罪率は、欧米に比べて断トツに高い。起訴裁量権を持つ検察が有罪を確信する事件しか起訴しないからである。
だが、このような刑事司法システムが、専門家だけの閉じた世界を作った。その反省を踏まえ、市民の「健全な社会常識」を取り入れた風通しのよいシステムに変えようというのが司法改革の原点である。いわば司法の民主化の手段として、裁判員制度が導入され、検審の機能強化が図られたのである。
検審の起訴相当議決は「裁判で有罪にしろ」ということではない。裁判で決着すべきだとの意思表示である。被告には無罪推定が働き、有罪立証の責任は、検察官役の弁護士にある。刑事司法のルールについて私たち自身の意識改革が必要だ。
むろん、政治家が絡む事件では、刑事責任と別に政治責任が生じる。その説明責任がさまざまな節目で問われるのは言うまでもない。
新たな制度の課題も浮き彫りになってきた。どんな議論を経て結論に至ったのか一切、表に出てこない。強大な権限を持つ以上、審議経過も含め一定の情報公開は必要だ。
また、「市民感覚」を「市民感情」と判断されないために、客観性を保った表現など議決書の書き方にも工夫を重ねてほしい。
課題を克服し、広く国民の信頼を得る制度にしていきたい。
毎日新聞 2010年5月26日 東京朝刊