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[19782] 女神の盾はつかえるか
Name: 士はサムライ◆2a504029 ID:1a1ef79e
Date: 2010/06/23 18:46
はじめまして、士はサムライと申します。

忌憚のないご意見・ご感想をどうぞよろしくお願いいたします。

以下本作のあらすじです。

世界中を旅しているヴァイオレットは、祝典で盛り上がる裕福な街を訪れる。祝典で発表されたのは、女神にたとえられる公爵令嬢フィオナと英雄として称えられるラファエル王子の婚姻であった。世紀のカップル誕生に沸き上がる国民――しかし、それを阻止しようと暗躍する者たちがいた。婚姻成立か、それとも破棄か? 剣と拳が王国の陰謀を暴いていく痛快活劇。



[19782] 序章
Name: 士はサムライ◆2a504029 ID:1a1ef79e
Date: 2010/06/23 18:48
 ヒンヤリとした空気が満ちた暗い部屋に、コツコツと足音だけが鳴り響いている。石レンガで作られた壁は、あちこち破損している。大人一人が大の字になって寝てしまえば、それでいっぱいになってしまうほどの広さしかなく、天井も低い。長身ならば屈まなければならないだろう。
 足音はだんだん大きくなっていき、突然ピタリと鳴り止んだ。と同時に部屋の中に小さな灯りがともった。ランプの火だ。その火に照らされて、二人の姿が浮かび上がる。
 二人とも黒いマントを羽織り、足元まですっぽりと全身を覆っている。二人はお互いに向き合う。
「よくやってくれた、お前の働きには我が主もたいへん満足しておられる」
 低く太い声。男の声には恐怖を与える凄みがある。
「へへ、簡単なことだ」
 しかし、もう一人のほうはへらへらと甲高い声で笑った。声の質から若さを感じる。
「これは報酬だ。受け取るがよい」
 そう言うと、男は懐から革袋を取り出した。それを若い男は受け取る。ズシリと伝わる重み。すぐに口を開いて中身を確認する。中にはまばゆい金貨が袋いっぱいに入っていた。
「約束の金額よりも多いはずだ。それほどお前の働きを我が主はお認めになっておられる。ありがたく思え」
 中身の確認を終えて、革袋を自分の懐の中にしまう。
「ま、これくらいは当然だけどな。でも、いいのか? これだけあれば、城の一つでも買えそうなもんだ。あんたの国は戦争ばっかりで、財政は苦しいんじゃないのか?」
 男はふんと鼻を鳴らして、声をさらに低くする。
「小僧、発言には気をつけろ。軽率な物言いは死につながるぞ」
 男の眉間に深い皺が何本も刻まれる。それを見てうれしそうに、
「それはそれは恐ろしいことだ」
 と大袈裟に肩を竦めて調子良く言った。
「さて、金も受け取ったことだし、これであんたらとの契約は完全に終了だな。じゃあ、オレは行くぜ。この部屋はカビ臭くてダメだ」
 別れを告げるように、男に背を向けて右手を軽く振った。
「まあ、待て。話はこれからだ」
「なんだよ? こっちはもうあんたに用はないぜ」
「ふっふっふ、もちろん仕事の話だ」
 男の言葉に体がピクリと反応した。
「ずいぶんともったいぶってくれるじゃねえか。今度は誰だ?」
 体を向き直し、生き生きとした声で訊ねる。
「仕事はここに書いてあるとおりだ」
 男は筒状に丸められた羊皮紙を取り出して渡した。
「今まで多くの者たちが失敗してきた難しい仕事だ。どうだ、やり甲斐は充分だと思うが?」
 一読して、にやりと口の左右を上げる。
「おもしれえ。最近は退屈な仕事ばっかりでうんざりしてたところだ」
「受けてくれるか?」
「ああ、しかし報酬はどうする? これだけの大仕事だ。城が買えるくらいじゃ、とてもじゃないが足りないぜ」
「もちろんだ」
 男は人差し指をピンと立てた。
「成功のあかつきには国を一つやろう」
 それを聞いて、「ほう」と息を漏らして、言葉をつなげる。
「よくわかってるじゃねえか。いいぜ、この仕事受けよう」
 顎に手をやり、何かを考えはじめる。そして慎重に口を開いた。
「明日の朝、使いの者を一人宿によこしてくれ。計画に必要なものを伝える」
「わかった。お前が望むものはすべてこちらで用意しよう」
「頼むぜ。なあに、簡単なものさ。ただ、数が必要だ。それにちょっとした工作も必要だ。それはあんたのところにいい職人がいるだろ?」
 男は頷いて見せる。
「お前が必要なものは必ずこちらで用意しよう。もちろん、最良のものをな」
「オレに失敗はない。朗報を聞かせてやるから待っておけ」
 男は「それは楽しみだ」と言って、のどの奥から絞り出したかのように掠れた声で笑った。
「我が王国に勝利と繁栄を!」
 ランプの火がふっと吹き消された。
 部屋は再び暗闇に閉ざされた。



[19782] 第一章 公爵家の女神
Name: 士はサムライ◆2a504029 ID:1a1ef79e
Date: 2010/06/23 18:52
 空は青く澄みわたり、暖かい太陽の陽射しが街全体を照らしている。心地よい海風が吹き、春の陽気を感じさせてくれる。
 港は数多くの異国船で溢れかえり、船からは大量の荷物が屈強な男たちの手により次々と運び出されていく。
 ここはミラーレス王国グラディアス領。王都から最も近い港街であり、人々の活気に満ちた街である。
 中心部に進むにつれて、街は多くの人々でにぎわいを見せる。とくに市場が開かれた通りにはたくさんの出店が所狭しと置かれ、日用品から武器防具の類、珍しい装飾品、花屋など多種多様の店が軒を連ね、人々の足を止めさせる。中でも色とりどりの野菜や果物を並べた店が多い。
「おい、そこのにいちゃん! どうだい、安いよ」
 白髪混じりで威勢のいいオヤジが店の前を通りかかった若者に声を掛けた。若者は全身を薄汚れたマントで覆っている。猫背で、なんだか頼りない感じだ。
「ん? オレに言ってんの?」
 声を掛けられた若者は被っていたフードをとって、ゆったりとした口調で訊《たず》ね返した。目尻が下がっているせいか、なんだか眠たそうにも見える。
「なんだいなんだい、元気ねえなあ。もっとシャキっとしねえと女にモテねえぞ。ほら、うちの果物を食ってごらんよ。どれもおいしくて栄養満点だ!」
 オヤジは店の前に並べてある真っ赤なりんごを手に取ると若者の目の前に差し出した。りんごの甘い香りが若者まで届いた。すごくいい匂いだ。食べたらとても甘くておいしいことだろう。
「オヤジありがとう。うまそうなりんご……」
 若者が差し出されたりんごに齧《かぶ》りつこうと口を大きく広げるが、オヤジは腕をすっと引っ込めた。若者の上下の歯がむなしくガチッと音を立てて重なり合った。若者は顔をしかめて、オヤジを睨む。
「にいちゃん、タダじゃだめだよ。世の中にはカネというものが存在するんだから」
 店のオヤジは片方の眉を上げて、人差し指を左右に振る。世の中そんなに甘くないとでも言いたそうである。
「なんだよ、くれるんじゃないのか。悪いなオヤジ、オレは旅の途中だから金がないんだ」
 若者はチェッと舌打ちをして店の前から立ち去ろうとした。
 店のオヤジは慌てて、若者の背中に唾を飛ばす。
「おいおい、ちょっと待てよ。にいちゃんがカネを持ってないことくらい、その格好をみれば誰だってわかるよ。でも今日は大特価だ! 買わないと絶対に後悔するよ」
 ふん、と若者は鼻から鳴らす。「買わないと損」だとか「後悔する」なんて言葉は商売人の常套句にほかならない。
「一応聞くだけ聞いておく、いくらだい?」
 オヤジはにたっと口角を上げ、人差し指から薬指までの三本指をピンと立てて、一段と大きな声で言った。
「たったの三エージだよ。三・エ・ー・ジ!」
 商売人として値段を言うときが最も力が入るときだ。オヤジは勢いよく指を若者の目の前まで突き出す。
 確かに安い。普通に買えばその倍以上はするはずだ、と考えると思わず腹が鳴った。
「わかった、わかった、買うよ!」
 若者は目の前の指から逃れるように言った。
「ありがとよ、にいちゃん!」
 満面の笑みでオヤジはりんごを茶色の紙袋に入れる。
「あんなにいい匂いをかがせられたから、食いたくて仕方ないよ。でも本当にオレは金ないんだからなー」
 若者はしぶしぶ懐から三枚の小さな硬貨を取り出してオヤジに渡した。
「わかってるよ。味は保証するし、この安さで買えることなんてもう二度とないよ」
「確かに、こんなに安いのは初めてだけど……なんか景気のいいことでもあったのか?」
 若者の質問にオヤジはきょとんとする。
「なんだい、なんにも知らないのかい? 今日はグラディアス公爵ご令嬢のお誕生日だよ」
 グラディアスはこの街を統治している公爵の名だ。
「なるほど祝祭ってわけか。どうりで街全体がにぎわってるわけだ」
「そう。これからその祝典が開かれるんだよ。なんてったって、世界中の国々が注目してる祝典だからね。てっきりにいちゃんも祭りを目当てにきたのかと思ってたよ」
「いやいや、オレはたまたまこの国を通りかかっただけだよ。でも、いくら公爵令嬢の誕生日とはいえ、世界中が注目してるってのはちょっと言いすぎじゃないのか、オヤジ?」
 チッチッチとオヤジは舌を鳴らしながら人差し指を左右に振った。
「それがな、噂があるんだよ」
「……うわさ?」
 オヤジは若者に顔を近づけるように手招きをする。若者は仕方なく右耳をオヤジの顔に近づけた。オヤジは声をひそめる。
「今日の祝典の中で重大発表があるらしい。その内容というのがまたすごいんだよ。しかしな、これはあくまで噂だ、絶対に公言するなよ。いいな?」
「わかったから、はやく言えよ。発表の内容は何なんだ?」
 もったいぶってなかなか話の芯にふれないオヤジに若者はやきもきした。その反応を楽しむようにオヤジは口を閉じたまま笑う。
「実はな、お嬢さまの婚約が発表される、という噂があるんだ」
「それが本当ならたしかかにめでたいことだな。で、その婚約相手は?」
 オヤジはよくぞ聞いてくれたとばかりにパンと手を叩いた。
「そうそう、そこが一番のミソなんだよ。婚約相手というのが、なんと……ラファエル王子なんだってさ」
 オヤジは「どうだ驚いたか」といわんばかりの表情で胸を張った。
 ラファエル王子はエリアス王国の第一王子で、将来を嘱望されている人物である。幼いころから剣術、学問ともに優秀で、十三歳のときにそれぞれの師を負かしたというエピソードをもっているほどの秀才だ。また、かなりの美男としても知られ、各国の王侯貴族の若い女性たちが求婚を申し込んでいるという噂話もある。ラファエル王子の結婚相手はいま世界中が注目しているといっても決して過言ではない。
「へえ、ラファエル王子かあ。それはすごいなあ」
 ラファエル王子の名を聞いて、若者も感嘆するように何度か頷いた。オヤジはしゃべりに勢いをつける。
「だろ? ラファエル王子の名前を聞いたことのない人間なんていないよなあ。今世界で一番の有名人だ。いずれ父君の後を継ぎ、名君となられる素質をもったお方だ。そんな立派な王子が、この街を統治しておられるグラディアス公のお嬢さまと結婚されるなんて夢のような話だろ。そうなれば、この街は王女さまの故郷として、もっともっと有名になって大きくなること間違いなしだ!」
 最初の小声はどこにいってしまったのか、オヤジは興奮を抑えきれずにうるさいくらいの力強さで言った。しかし、よく考えてみるとこんな重大なことを果物屋のオヤジだけが知っているわけがない。おそらく公然の秘密というやつだろうと若者は考えた。
「でも、なんでまた王子は公爵令嬢を結婚相手に選ぶんだ? どこか大国のお姫様と結婚したほうが、エリアス王国にとっても得することが多いだろ?」
「まったく何にもわかっておらんな」
 オヤジはやれやれとでも言いたげにため息をついた。
「――それはな、グラディアス公のお力なんだよ」
 オヤジは思い出を語るように顔を上げて、しみじみと言葉を続ける。
「グラディアス公の少年時代は家が貧しくてな、家庭を助けるために騎士見習いとして入隊したんだよ。しかも、常に最前線に送られて、命がいくつあっても足りないような部隊だったそうだ。しかし、グラディアス公はそこで次々と功績を上げ、異例の早さで昇進を重ねていったんだ。ついには最高の爵位である公爵位を賜ると同時にこの街を治めることを国王から任された。公爵が赴任されてちょうど十年になる。俺が小さい頃は、この街は何度も異国から攻撃を受けて、家が焼かれたり、略奪が頻繁に起こっていた。それに、港町だから他国からならず者たちが集まってきたりして、そりゃあもう治安は悪かった。しかし、グラディアス公が政治を行うようになってから、街は発展するばかりさ。こんなにうまくて、珍しいものが手に入るようになったのも、治安が良くなって平和になったのも、暮らしが楽になったのも、みんなグラディアス公のお陰だよ」
「うん、いろんな国のいろんな街を見てきたけど、こんなに活気のあるところは初めてだ。立派な公爵なんだなあ。国王の信頼も厚いし、国民の支持も絶大というわけか」
「ああ、そうだ。そのひとり娘がフィオナ様だよ。これがまた、お美しいお嬢さまなのさ。ラファエル王子とフィオナ様、本当に最高、いや、奇跡のカップルといえるね!」
 オヤジは顔をくしゃくしゃにして拳を振った。もううれしくて仕方がないのだ。おそらくこれまで何十人にも同じ話をしては、喜んでいたのだろう。
「奇跡か……よし、せっかくだからその祝典を見てみようじゃないか。どこに行けばいいんだ?」
「この通りをまっすぐ進みな。そしたらこの街で一番大きな通りに出る。そこを右に曲がって直進だ。そうすればアクア広場が見えてくるから。大きな広場だし、今はいろいろと飾りがしてあってきれいだよ」
「ありがとう、オヤジ、早速行ってみるよ」
 若者は再びフードを被った。そして、陳列してある小さな丸い緑色の果物を一つ手に取った。
「これももらうよ」若者は手に取った果物をオヤジに示した。見たこともない果物だったが鮮やかな色でとてもおいしそうだ。
「え、いいのかい? カネがないんじゃ……」
「いいんだよ。いいこと教えてもらったから、そのお礼だ」
 若者は懐から硬貨を取り出してオヤジに渡した。
 若者はりんごをかじりながらオヤジに言われた通りの道を進んだ。大きな通りに出ると、人の往来はさらに激しくなった。道端では大道芸人たちが大きな輪を回したり、逆立ちや宙返りを見せていた。
 行き交う人々からは笑顔がこぼれ、笑い声があちこちから聞こえてくる。最近は、様々な国家間で戦争が頻発し、多くの人々が困窮している。それらの国々にくらべるとここは楽園といえる。
 大道芸を眺めながら通りを進むと、大きな看板が目にとまった。看板には『アクア広場』と書かれている。ここがオヤジの言っていた広場に間違いないようだ。
 見上げると、さまざまな家紋の描かれたペナントが円形の広場を囲むようにずらりと並んでいる。グラディアス公爵の交流の広さと影響力が世界各地にわたっている証拠だ。また、広場の脇には緑が美しい街路樹が等間隔で並んでいる。ここまで計画的に整理された街はまれだった。
「これはすごい」と若者から思わず声が漏れる。
 人の流れに沿って広場の中央へと進むうちに、りんごを食べ終えてしまった。しかし、空腹が満たされることはない。そこで、買ったばかりの緑色の果物をかじった。
 その瞬間、強烈な刺激が口の中を襲った。すさまじい辛さだ。舌を無数の針で刺されたような痛みが走る。慌てて口の中からすべて吐き出して、悶絶しながら腰に提げていた革袋の水で何度も口の中をすすいではその場に吐き出した。
「なんだよ、これ? 果物じゃなくて唐辛子じゃないか。ちくしょう、貴重な水をほとんど使ってしまった」
 若者の目には涙がたまり、顔は真っ赤になって大量の汗が噴き出している。
「あのオヤジもこんな危険なもん売るなら注意くらいしろよな!」
 なんとか、落ち着いてきたがぶつぶつと文句を言わずにはいられなかった。そこへ「おい」と後ろから突然声を掛けられた。
 声の調子からして、あまりいい話ではなさそうだが、無視するわけにもいかず若者はゆっくり振り返った。そこには予想通り衛兵の姿があった。
「どこから来た、出身はどこだ?」
 人を脅すような低い声と旅を続けている中で何度聞かれたかわからない質問に辟易しつつも、
「生まれはダリオ共和国。世界中を旅をしている途中にこの街を通り掛かった」
 と素直に答えた。
「世界中を旅……目的は?」
 衛兵は巨体を鎧に包み、国旗が描かれた兜まで装備している。体が大きく、力も強そうである。
「目的なんかない。あてもなく、気の向くままに世界中を歩いているだけだ」
 衛兵のでかい顔が目の前までやってきた。不信そうに若者の顔をじろじろ見ている。
「気の向くままだと……いま世界は非常に緊迫している状況だ。簡単に入国できる国は数少ないはずだがな」
「もちろん、入国を認めてくれるところしか行かない。入国の許可がおりるまで何ヶ月も足止めをくらったこともあるさ」
 若者の説明に衛兵は納得する様子など少しも見せない。
「身分を証明できるものはあるか?」
 大事な祝典の前だ。こうやって少しでも怪しい人間を排除しようと目を光らせているのだろう。あの唐辛子のせいで若者は目立ちすぎたのだ。
「これしかないけど」懐から小さな長方形の紙切れを取り出した。
「以前、旅客船に乗ったときの切符だ。ほら、ここに名前も書いてあるだろ? これくらいしか持っていない」
 衛兵はぼろぼろの切符を手に取ると名前を確認した。
「ヴァイオレット……二十一歳、男。これだけしか表記されていないのか」
「ああ、名前と年齢と性別が書いてあれば充分だろ。それ以外に何が必要なんだ?」
「これは正式に身分を証明しているものではない。こんなものの中身はどうにでも細工できる。しかも、お前のその身なりは祝いの場にはふさわしくないものだ。悪いがここから祝典を観ることは許可できない」
 衛兵はきっぱりと言い放つとくしゃりと切符を握りつぶした。
 ヴァイオレットと名乗った若者は衛兵の言葉に対して肩を揺らして笑った。
「そうかい、そうかい。グラディアス公は名君だと聞いていたけど、意外と肝っ玉が小さいんだな。オレみたいなただのガキを排除しなきゃ、安心できないのか?」
「貴様!」
 衛兵はヴァイオレットの胸倉を掴んで、睨みつけた。
「口を慎めよ、小僧。ここで死にたいのか?」
 衛兵は殺気のある低い声で言った。相当、頭に来たようだ。
「なんだよ、こんなめでたい日に死体を作る気か? そんなプレゼント、お嬢さまも欲しくないと思うけどな」
 ヴァイオレットは脅しにまったくこたえす、涼しい顔をしている。
 その態度が衛兵の怒りをさらに増幅させた。こめかみに太い血管が浮かび上がり、目が血走っている。胸倉を掴んだ右手が、怒りのあまりぶるぶると震えだした。
 しかし、ヴァイオレットは依然余裕の笑みを浮かべている。衛兵の任務は余計な騒ぎが起きないように警備することだ。ところが、広場に集まった人々の中には、すでにヴァイオレットと衛兵がなにやらもめているのに気づきはじめた人間もいる。
 衛兵もバカではない。人々の注目を感じ、これ以上この場でヴァイオレットと対峙することはまずいと判断したのだろう、ガリガリと歯軋りを立てたあと、他の衛兵を呼んだ。
「隊長、お呼びでしょうか」二人の衛兵が後方から現れた。
「こいつを連れていけ」
 そう命じられた衛兵二人はヴァイオレットの両腕を抱え、強引に引っ張るように広場の外れへと連れ出した。
 そこはレンガ造りの建物がいくつか並んでいる通りだった。おそらく、衛兵たちの詰め所としてこしらえられたものだろう。中央にある大きな赤レンガの建物が目立っているが、ヴァイオレットはその脇にある小さな建物の中へ連れ込まれた。入口前には両脇に衛兵が立っており、お互いに目を合わせると扉を開けた。建物の中に入るとすぐに地下へと続く階段が延びており、十段ほど降りた先に鍵がついた鉄柵がみえる。
 そう、そこは牢屋だった。
 ヴァイオレットは衛兵から乱暴に背中を押されて、檻の中に押し込まれた。
 ガチャンと冷たく重たい音が響く。
 牢屋の扉は固く閉ざされ、ヴァイオレットは狭い四方の部屋の中に監禁されてしまった。
 牢屋は地下にあるため、外の明るい陽射しはほとんど入ってこない。最初は何も見えなかったのだが、だんだん目が慣れてくると少しだけ牢屋の様子がわかるようになた。
 牢屋の中には何も置かれておらず、五、六人が入るといっぱいになってしまうほどの広さしかない。もしかしたら、即席の牢屋かもしれないとヴァイオレットは考えた。
 あの衛兵は、はじめからヴァイオレットをここに入れるつもりで声を掛けたのだろう。祝典が無事に進行するためにとりあえず怪しい輩は監禁しておくつもりだったはずだ。
 そう考えるとだんだん腹が立ってきた。あの衛兵のでかい顔が脳裏に浮かぶと我慢できずに壁を蹴った。
「とにかく座ったらどうだい?」
 部屋の片隅から声を掛けられ、ヴァイオレットはドキリとした。よく目を凝らしてみると、隅に人影があった。
 長髪を後ろで一つに結んでいる。体の線が細く、幾分頬がこけているようにも見える。姿形から女性かと思ったが、声は間違いなく男のものだった。
「なんだ先客がいたのか」
 ヴァイオレットはその場に腰を下ろした。
「せっかくもう少しで祝典が始まるところだったのに残念だったね」
 男の口調はとてもやさしく穏やかなものだった。
「まあね。でも、それはあんたも同じだろ? 髪を切る暇がないほど祝典が見たくて遠くからやって来たんじゃないのか?」
 男は困ったように自分の頭を撫でた。
「髪はただ伸ばしているだけだよ。やっぱり似合わないかなあ。それに私はこの街の住民だよ」
「ふ~ん。じゃあ、何をやらかしたんだ? めでたい日に盗みでもした?」
「ふっ」男は思わず吹き出してしまい、口元を手でおさえた。
「そうか、できるだけ早く髪を切ることにしよう。どうやら私の今の風貌では浮浪者か、盗人にしかみえないらしいからね」
「ああ、それをおすすめするよ。でも、ここに監禁されているってことは善人じゃないんだろ?」
 男は首を左右に大きく振った。
「とんでもない、私自身は善人でいるつもりだよ」
「ははっ、自分のことを善人だなんて言っているうちはダメだよ。そういうヤツが一番怪しいんだから」
「それもそうだね」と頷いて男も笑った。
「ただね……」
 男の口調が急に寂しさを帯びた。
「私は王国から危険人物と目されているみたいなんだ」
――危険人物……この男が……?
 一瞬、男の言っている言葉の意味がヴァイオレットにはわからなかった。華奢《きゃしゃ》で見るからに貧乏そうなこの男が、王国から危険視されているとは、にわかには信じがたいことだった。
「へえ、危険人物か。なんだかおもしろそうだな。革命でも起こして王様になるつもりか?」
 男はうつむきながら首を軽く振った。
「私はただ国民のためを思って、意見を言っているだけだよ。革命を起こそうなんて気は微塵もない。私はこの国を心から愛している、ただそれだけなんだ」
 男の顔はよりいっそう寂しそうになった。
 平和に満ち溢れたこの街に不満を抱いている人間がいることにヴァイオレットは興味をもった。「陽」が当たるところには必ず「陰」ができる。この男は「陰」の部分を深く知っているのかもしれない。いや、知りすぎているからこそ王国にとっては危険人物なのか。
「おもしろい街だな。ますます興味が湧いてきたよ」
「牢屋に入れられておきながら、おもしろい街だなんて、君こそおもしろい人だね」
 男の顔に笑みが戻った。よく見ると鼻筋が通っていてなかなかの男前だ。口調が常に穏やかで優しく、聡明な印象を受ける。
「オレはヴァイオレット。旅の途中でこの街に来たんだ」
「私はルシオ。子供たちに学問を教えている」
 ルシオと名乗った男は右手を差し出してきた。それに応じてヴァイオレットも右手を出して、握手を交わす。ルシオの指は細く、女性のようだった。しかし、手を握ったときヴァイオレットは違和感をおぼえた。ルシオの掌がとても硬く、マメがいくつもあったからだ。これがただ学問を教えている先生の手とは思えなかった。こんな手になるためには……。
「あんた、もしかして――」
 そのときだった、ヴァイオレットの声を遮るようにラッパと太鼓の音が外から聞こえてきた。
 祝典が始まったのだ。
 割れんばかりの喝采の声と拍手が牢屋まで聞こえてくる。
「はじまったか……」
 ルシオはおもむろに立ち上がると、鉄柵の前に近づいた。ヴァイオレットも立ち上がると、両手で軽く尻をはたいた。
「すごい、盛り上がり方だなあ。これはやっぱり見逃せない。人気者のグラディアス公とそのお嬢さまを拝見させていただきましょうか」
 ヴァイオレットは錠の部分に右手を翳《かざ》した。もちろん、鍵は掛けられている。
「こんな鍵、簡単に壊せるさ。見てなよ、こうやって――」
 ヴァイオレットは右掌を一気に押し当てた。その瞬間、甲高い金属音が響きわたり、錠がはじけ飛んだ。
 ルシオは目を丸くして破壊された錠とヴァイオレットの顔を交互に見た。
「なんだい今のは……君は一体……?」
「たいしたことないよ。それよりも次は衛兵たちをどうにかしないとな。まだ、ここから脱出できたわけじゃない」
 錠を破壊した音に衛兵たちが気づかないはずがない。すぐにここへやって来るだろう。
「それなら、心配はいらない」
 ルシオは小さく首を振る。
「なに言ってんだよ? 外には衛兵たちがどれだけいるかわからないんだ。ここからが本番だぞ」
 妙に楽観視しているルシオの気持ちがヴァイオレットにはまったく理解できない。
「なんだ、今の音は! はっ、お前ら何をしている!」
 早速、衛兵が牢屋の異変に気づいてやって来た。すでに剣を抜いて、こちらに襲いかかる体勢をとっている。ヴァイオレットは足元に力を入れ、戦う構えをとった。しかし、衛兵は突然白目をむいて、階段から転げ落ちてきた。確かめると完全に気を失っている。
 ヴァイオレットは状況が理解できずに階段の先に視線をやる。すると、そこには少年の姿があった。手には剣を握っている。この少年が衛兵を気絶させたのだろうか。
 少年は階段を駆け降りて来て、
「先生、ご無事ですか?」
 ルシオを心配そうに訊《たず》ねた。
「ああ、怪我一つない。よく来てくれた、ありがとう」
 ルシオは少年の両肩にポンと手を置いた。少年の顔に安堵の表情が生まれる。
「ご無事でなによりです。外の衛兵はすべてリカルドたちが引き付けています。脱出するならいまが最もいいでしょう!」
「うむ、行こう」
 ルシオは満足そうに頷くと、ヴァイオレットへにこやかに微笑みかけて言った。
「ほら、心配いらなかったでしょう?」
 地下牢から表へ出る前に少年はルシオにマントを渡した。フード付きで全身を包むことのできるものだ。色褪せていて、かなり使い込んであることがわかる代物だった。それをルシオはさっと身に着けた。
 階段を駆け上がり、建物から外に出ると太陽の光が目に飛び込んでくる。と同時に大歓声が鼓膜を揺らした。思わずヴァイオレットは両耳を手でふさぐ。
 あまりの大歓声にお互いの声が聞こえないほどである。ルシオは少年に顔を近づけてから会話をする。
「マーヴィン、あれの用意はもうできているか?」
「はい、もちろんです。すぐに組み立てることができる状態です」
 マーヴィンと呼ばれた少年は自信をもって答えた。ルシオはマーヴィンの返答に満足したように笑顔で頷いてみせる。
 そのときである、地面を揺らさんばかりに人々の歓声がより大きくなった。いま街全体が歓喜の声に包まれている。
「いよいよ公爵の登場が近いのだろう」とルシオが冷静に言った。
「そりゃ、ちょうどいい。いい暇つぶしになったよ」
 ヴァイオレットはフードを被った。
「私たちはこれからやらなければならないことがあるので、ここで失礼するよ」
 そう言うとルシオは右拳を左肩に添えた。きっとこの国の別れのあいさつなのだろう。
「ああ、オレは広場に戻って見物してくるよ」
「危険だけどいいのかい? 今度捕まったらただじゃすまないだろうからね」
 ヴァイオレットは右手を軽く左右に振る。
「何言ってんの。いちいち危険を気にしていたら、旅なんてできないよ。それに――」
 ヴァイオレットは言葉を切ってルシオの顔を見る。ルシオの表情は引き締まり、瞳には強い決意がこもっている。
「あんただってこれから自分の命を懸けるんだろ?」
 ヴァイオレットの問いにルシオはゆっくりと頷いた。
「自分が信じてきた行動をとってみるよ。そのためなら命は惜しくないさ」
「先生……」
 マーヴィンの表情が曇る。ルシオは優しく微笑みかけた。
「人の人生は何をしたかで決まるものさ。何年生きたかではない」
「はい!」マーヴィンは力強く頷いた。
「ヴァイオレット君、もし機会があればまた会おう」
 ルシオとマーヴィンは駆け出した。そして、すぐに二人の姿は細い路地へと消えていった。
 ヴァイオレットは連れてこられた道とは一本外れた道を通って祝典が行われている広場へと戻った。
 ものすごい数の群衆だ。広場全体が隙間なく人で埋めつくされていて、後方からでは何も見えない。ヴァイオレットは屈んで、強引に群衆の奥へ奥へと進んでいった。群衆の中に埋もれていれば、衛兵に発見されにくいだろうし、たとえ見つかったとしてもこの大混雑を利用して逃げきれる自信がある。
 人々が視線を向けている先には、高く組み立てられた舞台が設置されている。左右の階段から二人の騎士がゆっくりと昇ってきた。鎧には鮮やかな装飾がほどこされている。鎧の中央に刻まれた模様は公爵家の家紋だろう。
 二人の騎士は腰の剣を抜くと、胸の前でまっすぐに立てて構えた。すると、舞台の中央奥から黄金の鎧を着た中年の男が堂々と胸を張って現れた。
 その男がグラディアス公爵なのは間違いなかった。姿が見えた途端に地響きがするほどの大歓声が起こったからだ。
 グラディアス公は目元が鋭く、口ひげを生やした精悍な顔つきをしている。鎧の下は強靭な肉体をもっているのだろう。重装備にもかかわらずなんなく着こなしている。数々の激しい戦いをくぐりぬけてきたことが彼の風貌から伝わってくるのだ。
 グラディアス公は舞台の中央で立ち止まると、群集へ向かって軽く右手を上げた。その動きに人々は自ら手を振り、口笛や拍手でこたえた。
 グラディアス公はゆっくりと辺りを見回しはじめた。ただ黙って群衆を見つめる。人々が落ち着き静かになるのを待っているのだ。そのことに気づいた人々は拍手喝采を止め、グラディアス公の発言に注目した。やがて場内が静まり返った。
 公爵は一呼吸してからしゃべりはじめる。
「諸君、今年も娘フィオナのために集まってくれてありがとう!」
 はっきりとした声が広場全体に行きわたる。
 円形状の広場は、周りを壁で囲まれた造りになっているため声を反響させやすい。公爵の力強い声が広場全体にこだまする。
「今日は我が娘フィオナが誕生した記念の日である。フィオナが生まれて以来、私は戦で負けたことがない。連戦連勝を重ね、王国は領土を拡げている。いまでは大陸一の王国へと成る日も決して遠くはないだろう。街は活気に溢れ、諸君の生活も豊かになっているはずだ。まさに、フィオナは我らにとって勝利をもたらす女神だ!」
 女神という言葉に呼応するように人々の間から「おおおおおおお!」と歓声が起こる。満足気に公爵はさらに言葉を続ける。
「今日十八歳になった我が娘、公爵家の女神をみなで祝福しようではないか!」
 天をも貫く竜巻のような大歓声が巻き起こった。狂乱とも言える歓喜の渦のなか、女神と呼ばれたフィオナ嬢が舞台奥から姿を現す。
 その姿に人々は息を呑んだ。
 フィオナ嬢の美しさは女神とたとえるにふさわしいものだった。人々を見つめる二つの瞳は淡いブラウンで、不思議とその瞳に吸い込まれそうな感覚におちいってしまう。鼻筋は見事に通っていて、薄い唇が紅く染まっている。白く艶のある肌を胸から膝下まで青いドレスが包み、細く引き締まった体の線をより美しく表現している。究極の美を追い求める彫刻家が生み出した作品といってもいいほど、フィオナ嬢の容姿は芸術的である。
 フィオナ嬢のあまりの美しさに人々は言葉を失った。全員が女神を目の当たりにして呆然と酔いしれていた。
「これまでフィオナは祝典のときだけ諸君の前に姿を見せてきた。しかし、十八歳となった今日からは積極的に王国のため、国民のために働くことを宣言しよう!」
 グラディアス公の言葉を聞いて、場内はまた一気に盛り上がった。
「それからもう一つ、諸君に報告しておきたいことがある。エリアス王国の第一王子であられるラファエル王子をフィオナの婿として迎え入れる準備ができたのだ!」
 公爵の高らかな声が広場に広がると同時に、人々の驚きと歓喜の声が鳴り響いた。なかには涙を流しながら喜ぶ者もいた。
 ヴァイオレットも驚きを隠せなかった。エリアス王国が、第一王子を婿に出すなんて常識では考えられないことだからだ。フィオナ嬢がラファエル王子のもとに嫁ぐというだけでも大変なことなのに、一国の王子を婿養子に迎えるなんて……どこまで公爵の力は強大なのか。想像をはるかに超えた内容だった。
「グラディアス! グラディアス! グラディアス!」
 公爵を称えるため、人々は何度も名前を連呼した。
 公爵は満足そうに笑みを浮かべ、人々の声援に両手を振って応えた。フィオナ嬢も笑顔で右手を振る。手を振るたびに肩まで届いた艶のある黒髪が揺れて、ときおり耳にかかった髪を指で分けた。その笑顔と仕草に人々は吸い込まれるような感覚さえおぼえた。
 どのくらい人々の歓喜の声が続いただろうか。ようやく落ち着いてきたところで、両側に構えていた騎士が、おもむろに剣を下ろした。祝典が終わろうとしている。公爵とフィオナ嬢が群衆に背を向けて、舞台から消えようとした、そのとき、どこからともなく声が聞こえてきた――。
「グラディアス公爵、どうかおやめくださいぃぃ!」
 その声は間違いなくルシオのものだった。
 人々の間にざわめきが起こる。みな辺りを見回して、声の所在を探した。公爵とフィオナ嬢も舞台を降りようとした足を止め、辺りを見回している。
「あ、あそこだ! 塔の上に人がいる!」
 群衆の一人が指さした。その方向を全員が一斉に視線を向ける。
 広場の東の外れに塔が立っている。人が住むためのものではなく、見張りのために建てられたものだ。その塔のてっぺんに男が一人立っている。その男が身に着けているマントには見覚えがあった。
 ――ルシオだ!
「公爵、フィオナ様とラファエル王子の婚約の話はおやめくださいぃぃ!」
 ルシオの言葉を聴いた公爵の眉間に皺が刻まれる。フィオナ嬢は表情を変えることなく塔の上にいるルシオをただ見つめている。
「あの声はルシオ先生じゃないか?」
「そうだ、先生の声だ!」
 声の主がルシオのものだと多くの人が気づきはじめた。ルシオがこの街では有名人であることがわかる。しかも、人々の反応からすると決して敵視されているわけではないようだ。
 広場にいた衛兵たちがルシオを捕縛すべく塔の方へと慌てて駆け出していく。ヴァイオレットも人波をかきわけて塔へと急いだ。
「塔の入り口はすべて閉鎖していたはずだろうが! 担当は何をしていたんだ!」
 ヴァイオレットを牢に入れた衛兵が怒りを部下たちにぶちまけていた。ヴァイオレットは、ざまあみろと横目で見ながら気づかれないようにさっと通り過ぎる。
 その間もルシオは両手を大きく広げ、人々に訴えかけた。
「ラファエル王子とフィオナ様の婚約は大変危険です! エリアス王国はいま武力を背景にして大義なく、他国へ次々と攻め入っています。この婚約が成立すれば、必ず我が王国もエリアス王国が行う私利私欲のための戦争に巻き込まれます!」
 人々のざわつきが一段と大きくなっていく。しかし、ルシオの声を遮るのではなく、みなルシオの話を聞こうとしている。
「王位継承候補の第一王子が婿に入るなど聞いたことがありません! きっと何か企みがあるはずです! それに――グラディアス公、あなたは力を持ちすぎている!」
 ルシオは一呼吸おくとさらに言葉を続けた。
「お嬢さまを他国の王子と結婚させることで、さらにあなたの力は強大なものになります。しかし、国王陛下までもがあなたの力に不信感を抱きはじめています! このままでは諸侯からも疎まれる存在になるでしょう。命のやりとりが行われるのはなにも戦場だけではございません。必ず無数の暗殺者から命を狙われます! 強大な力を手に入れることが、結果として自ら身を滅ぼすことになり、グラディアス公のいない王国など死に絶えたも同然です。必ず滅びるでしょう!」
 ルシオは政策批判ともいえる意見をはっきりと言い切った。
 一般市民が国の政治体制を批判をすることは重罪である。政治は貴族が行うものであり、平民が口出しできるものではない。もちろん、それはこの国においても例外ではなく、身分の区別は明確であった。
 ルシオの言葉はあまりにも過激すぎた。あまりの内容に群衆はみな一様に驚きで黙りこんでしまった。公爵だけではなく、王国の滅亡まで示唆するその発言がどれほどの罪になるのか容易に想像できたからである。

 ヴァイオレットはようやく塔の前にたどり着いた。塔の周りではルシオの教え子たちが多くの衛兵たちと戦っている。あちこちで剣を交える金属音と勇ましい声が聞こえる。少年たちは善戦しているようで、衛兵たちは必死の表情で戦っている。
 ヴァイオレットは塔の右側面に梯子《はしご》のようなものがバラバラに散乱していることに気づいた。
 ――そうか、ルシオは互いを組み合わせられるように梯子を細工したんだ。そうすれば、運ぶのも容易だ。牢から出た後にこれを使って塔のてっぺんまで昇ったんだ。
 ドタドタと大きな足音を立てて巨体の衛兵が塔にやって来た。隊長と呼ばれていて、ヴァイオレットに難癖をつけてきた男だ。
「まだ、ルシオを捕まえられんのか! こんなガキども相手に何をやってるんだ、何を!」
 傍にいた部下が申し訳なさそうに何度も頭を下げて、現状を報告してから、塔の入口へと剣を抜いて駆けていった。
「まったく自分は遅れてきたくせに、偉そうにしてんなあ」
 背後からの声に衛兵隊長の男は慌てて振り向いた。
「お、お前は! そうか、貴様もルシオの一味だったのか!」
 隊長は剣を抜いた。眉をつり上げ、ヴァイオレットを睨みつける。
「お、いいねぇ。さっきは人目が気になってオレを殺せなかったんだろ? ここなら思う存分できるぜ」
 ヴァイオレットは両手を広げてみせた。隊長は顔を真っ赤にして、剣を頭上高く振り上げる。
「クソガキがああぁぁ!」
 怒りにまかせて振り下ろす。しかし、剣先は石畳を叩きつけ、耳鳴りがするほどの金属音とともに手に痺れが伝わる。ヴァイオレットは身を翻してあっさりと剣をかわしていた。
「そんな大振りじゃ、目を閉じていてもよけられる。お前、剣術学んだことあるのか? よくそれで衛兵隊の隊長が務まるな」
「なんだと!」
 挑発を受けて、隊長の怒りは最高潮に達した。こめかみと額に太い血管が浮かび上がり、頭部からは湯気が出てている。
 その顔を見てヴァイオレットは「ぷっ」と吹き出した。
「なんて、顔してんだよ。それじゃ、戦う前に頭の血管が切れて死ぬぞ」
「もう許しちゃおけねえ」
 隊長はうなるように言うと剣を構え直した。
「ああ、お互い遠慮なしでいこう」
 ヴァイオレットは準備運動のように右肩を軽く回す。
「ぬおおおおおお!」
 隊長は大声を張り上げて、縦に横に剣を振を振り回した。しかし、刃はむなしく空を切るばかりだ。
「だから、そんな大振りじゃ当たらないと言ってるだろ。少しは人の言うことを聞け」
 相手の単調な攻撃に嫌気がさしたヴァイオレットは口をすぼめる。
 何度目かの空振りで隊長は大きくバランスを崩した。ヴァイオレットはそこを見逃さない。一気に懐深く飛び込んで、隊長の脇腹に右手を押し当てた。その瞬間、隊長の腹から背中へ衝撃が突き抜け、体が大きく後ろにふっ飛んだ。
 仰向けになって倒れた隊長は、すぐに立ち上がろうとするが、上半身を起こしたところで、ごほごほと激しく咳き込んだ。まともに呼吸ができずに苦しがっている。
 ヴァイオレットはその様子を見て、隊長はしばらく動けないはずだ、と判断した。苦しんでいる姿を見て、多少は気が晴れた。次はルシオの状況だ。顔を真上に向けて塔の頂上に視線を走らせた。
 すると、二人の衛兵がルシオの背後にそっと迫っていたところだった。塔の入口をかためて、内部への進入を防いでいたマーヴィンたちだったが、ついに入口を突破されてしまったようだ。
「危ない! 先生、後ろ!」
 ヴァイオレットよりも一瞬早く気づいたマーヴィンが塔のてっぺんに向かって声を張り上げた。
 ルシオは背後の衛兵の存在に気づくと、さっと身を反転させながら剣を抜いた。そして、足場の悪さを感じさせない、見事な身のこなしで二人を相手に戦った。ひらりひらりと衛兵たちの攻撃をかわしていくうちに二人を斬った。
 ルシオのあの硬い掌とマメは間違いなく剣術の修行によってできたものだ。生半可な剣の腕で作られる手ではない。下っ端の衛兵がいくら束になったところでルシオを斬ることはできないだろう。
 心配そうにルシオを見つめているマーヴィンにヴァイオレットは声を掛ける。
「大丈夫だ。あの程度なら何人塔に昇ってもルシオがやられることはない。それより、ここから逃げる準備をしたほうがいいんじゃないか?」
 思わぬ助言にマーヴィンは訝しげな表情をヴァイオレットへ向ける。
「あなたは我々の味方なんですか?」
「味方なんかじゃないさ。ただの見物人だよ」
 顔から疑問符が消えないマーヴィンに対してヴァイオレットは言葉を加える。
「ルシオはおもしろい奴だってことがよくわかった。あんなこと言える奴はそうはいない。ここで死なせるには惜しい存在だ。もっとルシオが暴れるのを見てみたいね」
 マーヴィンにはヴァイオレットの真意がまったく読めなかった。しかし、いまは深く考え込んでいる暇はない。とりあえずこの男が敵ではない、とだけ理解した。
「ここから……生きて……帰れるわけがないだろうがぁぁ」
 息も絶え絶えになった衛兵隊長が声を絞り出す。まともに立つこともできずに片膝をついていて、ぜえぜえと肩で呼吸をしている。
「あらら、意外とタフだねえ。もう少し痛みで悶絶するかと思ってたよ。さすが衛兵隊長、立派、立派」
 ヴァイオレットはすっかり存在を忘れていた隊長へ向けてパチパチと手を叩いた。
「てめえだけは絶対に殺してやる」
 隊長はやっとの思いで立ち上がる。しかし、体がふらふらと左右に揺れて、まったく安定ない。
「無理すんなよ。今度は手加減しないから、確実に死ぬぞ」
 見ちゃいられないとばかりにヴァイオレットは片目を瞑って、右手を縦に振った。
 ふらふらの隊長を見て、にやけていたヴァイオレットの表情が突然険しくなった。鼓膜が何かを捕らえたのだ。
 神経を耳へ集中させる。
――蹄の音だ。
 それも一頭や二頭の蹄音ではない。馬の集団がここにやって来ている。
 間違いない。
「ついにグラディアス騎士団のお出ましだ」
 ヴァイオレットの頬を一筋の冷たい汗が流れ落ちた。
 蹄の音がだんだん大きくなる。もうすぐそこまで近づいて来ている。
 塔の頂上にいるルシオからはすでに騎士団の位置が確認できたようで、緊張のこもった声が地上へ発せられる。
「騎士団がすぐ角まで来ている! もういい、みなはここから離れるんだ!」
 ルシオの言葉に少年たちはみな首を横に振る。最後までルシオと戦う覚悟でいるのだ。
「来た!」
 建物の角から、次々と騎士が姿をあらわした。全員が銀の鎧で全身を包み、顔全体を兜で覆っている。その姿は人型をした金属の塊と形容するのが最も適しているだろう。数は十騎。一人を先頭に三列縦隊で進む。彼らがまたがる馬は黒毛の大型馬で統一され、一歩一歩に気合いがみなぎっているのがわかる。まさに威風堂々。騎士団からものすごい重圧感と威圧感をこの場にいる全員がひしひしと受けている。
 騎士団の登場に仲間であるはずの衛兵たちも息を呑んだ。
「こいつは確かにすごそうだ」
 ヴァイオレットは乾いた唇をなめる。グラディアス騎士団の存在はあまりにも有名だ。公爵自らが団長を務め、常に王国軍の先駆けとして敵陣を突破する百戦錬磨の最強騎士団。
「下がれ、ヒューゴー」
 騎士団の先頭にいた男が冷たい口調で告げた。ヒューゴーは背筋を緊張させる。
「は、はい……申し訳ございません」
 いまだに震える足をかばいながら、ヒューゴーと呼ばれた衛兵隊長はすごすごと引き下がった。
「ひゅー、騎士団まで登場してくるなんてルシオは人気者だねえ」
 口笛まじりにしゃべるヴァイオレットを、兜の隙間から鋭い視線がとらえる。
「なんだ貴様は?」
「ただの通りすがりだよ。なんだかおもしろそうなことやってるから見てたんだ」
「ここは遊び場ではない。すぐに立ち去れ」
 ケッとヴァイオレットは短く息を切る。
「人から命令されるのは嫌いなんだ」
「そうか」騎士は腰の剣を抜く「後悔することになるぞ」
 そう言って剣を頭上へと掲げた。すると、いままで列を作っていた騎士団が一斉に四方八方へと動きだした。塔をぐるりと囲むように等間隔で陣形をとった。
「騎士団の狙いは私だ! みなは早く逃げなさい!」
 塔の上からルシオが必死の形相で叫んだ。
「その通りだ」
 騎士が頭上の剣をヒュッと空気を斬るように振り下ろした。
 それを合図に騎士団の手元から放たれた何本もの矢が空を翔けていく。
 そして――一本の矢がルシオの胸に突き刺さった。
 矢に射られたルシオの体は一瞬硬直したのち、前のめりに倒れた。塔のてっぺんの斜度はきつく、ずるずるとルシオの体は端へと滑っていく。この高さから落下すればまず命が助かることはないだろう。
 しかし、騎士団は落下を待つことなく、すぐに第二矢を射るべく弓を構えた。
「やめろぉぉぉぉぉー!」
 マーヴィンの叫びを合図に、少年たちは懐から拳ほどの大きさの丸い塊を取り出して、騎士団に向かって投げつけた。いや、狙いは騎士ではなく馬だ。
 丸い塊は馬の顔や体に当たるとぐちゃりと潰れた。硬いものではなく、潰れることが目的で作られているようだ。
 突然、馬たちが悲痛な叫びを上げて激しく暴れだした。上体を大きく仰け反らせたり、首や体を上下左右に大きく振ったりするなど、暴れ馬と化したのだ。
「やった!」少年たちから声が上がる。
 騎士たちは弓を射ることよりも自分の馬を落ち着かせることを余儀なくされた。馬たちの混乱は簡単には収まらなかった。なかには馬から振り落とされる騎士もいた。
――なんなんだ、あの塊は? 鍛えられた騎士団の馬たちがこんなに暴れるなんて。
 不思議に思っていたヴァイオレットだったが、強烈な刺激臭を鼻がとらえたことで謎が解けた。
――唐辛子だ。大量の唐辛子が練りこんであるんだ。
 ヴァイオレットが食べてしまった唐辛子とおそらく同じものだろう。それを細かくつぶして液体状にしたものを、玉子のようなものに注入しておく。そうすれば、投げつけた衝撃で周りが壊れ、中身が飛沫する。それが目や口に入ったときの激痛はもちろんのこと、皮膚に触れただけでもヒリヒリと痛みが走る。
 しかし、作戦がうまくいったとはいえ、喜んでばかりはいられない。これには殺傷力はなく、あくまで時間を稼ぐためのものだ。おそらくルシオが相手を混乱させ、その隙に逃亡するために考案したものだろう。だが、少年たちは逃げない。ルシオを守るために、騎士団と戦うために使用したのだ。
「ああ、危ない!」
 少年の一人が悲痛な声を上げた。
 少年たちはみな一斉に塔を見上げる。
 とうとうルシオの体は落下を回避できないところまで来ていた。
 胸から上はすでに空中にあって、両腕がだらりと伸びている。ルシオの意識は戻らず、体が滑り落ちていくのを阻むものもない。
 がくん、とルシオの体が左右に一度振れると真っ逆さまに落ちていった。
 少年たちの息が止まる。ルシオの死を覚悟して目を瞑ってしまう者もいた。
 しかし、ルシオは宙で止まった! マントが塔の途中階に設置された鳥の彫刻に引っかかったのだ。大きく羽をひろげた鷲のくちばしの先に運よくマントが巻きこまれている。お陰でルシオの体は宙吊り状態となった。
 だが、この奇跡に喜んだのも束の間だった、古いマントはビリビリと音を立ててすぐに破れてしまったのだ。再びルシオの体は地上へ向けて落下をはじめる。ついに地面に全身を強く叩きつけられ、体がぐにゃりとくの字に折れ曲がった。
「先生ぇぇ!」
 マーヴィンが慌ててルシオのもとに走り寄って、上半身を起こす。ルシオはぐったりとしていて意識はない。しかし、ルシオの口元に耳を近づけるとわずかだが息があることがわかった。
「生きてる!」 
 他の少年たちも駆け寄り、四人でルシオを抱えあげた。そして、お互いに目で合図を交わすと全力で走り出した。それに倣うかのように少年たち全員が騎士団に背を向けて走る。大将を失った彼らには逃げる道しか残っていない。必ず逃げ延びて、ルシオの命を救うのだ。
「ルシオを逃がすな! もう馬は放っておけ!」
 騎士団は馬を静めることをあきらめ、降馬した。重い鎧を装備しているとはいえ、ルシオを抱えている少年たちに追いつくことは難しいことではない。ヴァイオレットも遅れて、少年たちの後を追う。
 迫り来る騎士団の追撃を食い止めるべく、少年の一人が騎士団に斬りかかった。
「やめろー!」
 ヴァイオレットの叫びもむなしく、少年の体は右肩から左脇腹にかけて斬られた。騎士は、衛兵たちとはくらべものにならないほど強く、少年たちの剣の腕では時間稼ぎにすらならない。
 さらに最悪の事態が待っていた。前方から五人の騎馬が現れたのだ。ここには脇道もなく、行く手を完全に塞がれてしまっている。どうしようもなく、マーヴィンたちは立ち止まった。
「くそっ!」
 マーヴィンは悔しさで地団駄を踏んだ。騎士団の強さは想像を超えている。しかし、このままあきらめるわけにはいかない。どんなに無残に斬り捨てられようとも最後まで戦う覚悟はできている。それを示すようにマーヴィンは剣を抜いた。
「もう止めなさい!」
 強く凛とした女性の声が前方を塞いでいる騎士団の奥から聞こえた。騎士たちは厳かに中央から分かれると、白馬に騎乗した公爵令嬢フィオナの姿が見て取れた。
 フィオナ嬢は手綱を軽く引いて、ゆっくりとマーヴィンたちの前で馬を止めた。
「ルシオの弟子たちよ、悪いようにはしない、これ以上の抵抗は止めなさい」
 後ろから追ってきた騎士たちはフィオナ嬢の登場に慌てて剣を収めると、片膝をついて頭を垂れた。
「畏れながら申し上げます。お嬢さま、この者たちは王国の平和を脅かす存在です。厳しい対処が必要かと存じます。ここは我々騎士団にお任せ願います」
 フィオナ嬢はきっと鋭い視線を騎士団に向ける。
「ならば聞こう。厳しい対処とは何か? このような子供たちを皆殺しにすることか? 祝典の日に多くの命が失われることを私は望みません」
 フィオナ嬢の強い口調に騎士たちはさらに頭を深く垂らした。
「ははっ。しかしながら、こればかりは――」
「――すばらしい!」
 騎士の言葉を遮るようにヴァイオレットが大きく拍手をしながら現れた。感心したように何度も頷きながら、マーヴィンとフィオナ嬢の間に立った。
「いやいや、さすがは公爵家の御令嬢だ。これ以上ことを大きくしては街の混乱にもつながるし、もし王国自慢の騎士団がか弱い少年たちを皆殺しにしたという話が諸国に伝われば悪影響を及ぼすだけ! 実にすばらしい、ご判断だ!」
 高らかに言うと、ヴァイオレットはさらに大袈裟に手を叩いた。
 芝居がかったヴァイオレットの態度に騎士は発憤して剣先をヴァイオレットの喉元に突きつける。
「部外者が余計なことを!」
「止めなさい! そなたは何者だ? ルシオと親しいものか?」
「とんでもございません。ルシオとはついさっき初めて会ったばかりです。ただ、衛兵隊長さんに個人的な用がありまして、ここに来ただけです。あとは事の成り行きを見てた、ただの野次馬ですよ」
 ヴァイオレットは肩を竦めておどけてみせた。
 フィオナ嬢に騎士の一人が耳打ちをする。やがて、フィオナ嬢は静かに頷いた。
「わかった。残念だが、そなたが行った衛兵への反抗行為は罪です。そなたを拘束する」
 すぐさま騎士がヴァイオレットの腕を掴んで後ろ手にさせた。
「痛っ!」
 ヴァイオレットは顔をしかめた。さらに、膝裏を蹴られて固い地面に跪かせられた。
「痛てえなあ、なにすんだよ!」
「黙っていろ!」騎士の厳しい声が飛んだ。
 ヴァイオレットと騎士がもめているのをよそに、マーヴィンがフィオナ嬢の前に一歩進みでて、両膝を地面につけた。
「お嬢さま、お願いです。どうか、先生の命だけは……命だけは助けてください! 先生はお嬢さまの身を一番案じておられたのです……そのことはお嬢さまもおわかりのはずです!」
 マーヴィンは切れ切れになる言葉を搾り出すかのようにつなげた。
「ルシオ先生のお気持ちは私たち以上にフィオナ様ご自身がおわかりのはずです。お願いです、先生を死なせないでください。先生はこれからも王国のために必要な人です。私たちはどうなってもいいですから、先生だけは……先生だけは……」
 最後は言葉にすることができずにマーヴィンはその場に泣き崩れた。ほかの少年たちも同様に涙を流し、両膝をついて懇願した。
 フィオナ嬢はじっと少年たちを見据えた。暖かい風が通り過ぎた後、フィオナ嬢は口を開いた。
「わかった。すぐに医者を用意しよう」
 フィオナ嬢の言葉にマーヴィンたちは一斉に顔を上げた。
「しかし、ルシオの発言は王国に混乱を招く可能性があるものだ。傷を癒すことができたならば査問会を執り行い、その内容によっては重罰に処せられることも考えられる。その際は、そなたたちも素直に受け入れよ」
「はい、ありがとうございます!」
 マーヴィンは鼻水を垂らすほどに顔をくしゃくしゃにして、何度も頭を下げた。絶望から少しだけ希望の光が射したのだ。
 ルシオの体は用意された荷馬車に乗せられて、公爵の邸へと運ばれていった。邸に常駐している医者に治療させるためだ。
 これですべて丸く収まった。めでたし、めでたし……とはいかなかった。ヴァイオレットの両腕は太く硬い縄で縛り上げられていたのだ。
「おいおい待てよ! なんでルシオの弟子たちは両手を軽く縛っているだけなのに、オレはこんなに頑丈な縄で縛るんだよ! 体に食い込んで痛いじゃないか」
「黙れ」と騎士は冷たく言うとヴァイオレットの目に黒い布を当てた。
「目隠しまでするのかよ! オレはただ衛兵たい……んぐ、んぐ!」
 ヴァイオレットはとうとう口まで塞がれてしまった。
「さあ、この者たちを連れて行け!」
 高らかに声が響くと同時に体を縛り付ける縄が強く引かれた。目隠しで視界が完全に遮られているため進行方向がよくわからない。そのため何度もバランスを崩しては、体を地面に擦り付けられるはめになってしまった。しかも、その度に縄が体に食い込み、強烈な痛みが走る。
――ちくしょう。これも全部ルシオのせいだ!
 ヴァイオレットは痛みと怒りに奥歯を食いしばった。


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