Fair Use
著作権法の大家、中山信弘氏のこの記事が熱いです。
著作権法30条以下に権利の制限事由として、権利侵害にならない行為をあらかじめ限定列挙しているのが現在の規定の在り方です。フェアユースはそのような考え方ではなく、自分がフェアだと考えたらリスクをとってビジネスを始めればよく、文句のある人がいれば、後で裁判所で決着をつけましょうというアメリカ的な考え方です。つまり、フェアかどうかの判断をまず自分がリスクを負うことで新規ビジネスに投資ができるということです。(中略)
フェアユースというのは、条文の在り方の問題というよりも、裁判をどう見るかという日本人あるいは日本企業のマインドの問題です。法的リスクをとるマインドがない限りはフェアユースの規定を入れても意味がありません。
また、実務的には、マインドの問題以外にも、裁判所がフェアユースの判断にどれだけ慣れているのかという問題があります。今のアメリカの裁判官は、 200年の判例の積み重ねの中から何がフェアかを見つけ出していけばいいわけですが、日本にはその積み重ねがありませんから、裁判官がこれからフェアの概念・観念をつくっていくことになります。それは裁判官にとっては重荷かもしれませんが、やらざるを得ないことですし、十分に可能なことだと思います。
転職後 3 年近くたった今でも、仕事の仕方の殆どは前の会社で教わったと思ってますが、その本質は悪く言えば「根性」、良く言えば「リスクのとり方」でした。なので、法律の中にリスクの概念(リスク回避じゃなくてリスクテークの概念)が組み込まれている国と、そうでない国が戦ったら、絶対勝てるわけないなーと思います。
この方も書いてますが、そもそも中山氏みたいにシステムに認められて極限まで偉くなった人が戦わないと、世の中が変えられないという時点で、結構きつい。
年功序列と終身雇用も、徹底的なリスク回避も、いわば突然変異を防ぐ仕組み。周りがハイハイ言ってくれる世界には淘汰圧も存在しない。それに気付いた時の恐怖感は、今も忘れません。
小学校の先生に、「山田君と二度寝君で今から 5,000 万年でどれだけ高等生物に進化できるか勝負ね。但し二度寝君は突然変異禁止よ。その代わり規制で淘汰圧を弱くして上げるから。」とか言われたら、モンスターペアレンツじゃないうちの両親でも、斧を持って学校に殴りこむと思います。
騙されたことに気付くのは、4,000 万年くらい経ってからだと思いますが。
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