第1次攻撃隊で行動が最後になったのは、総指揮官・淵田中佐が率いる水平爆撃隊だった。水平爆撃隊49機はオアフ島の西側をぐるりと大回りし、ほぼ真南から真珠湾上空3000メートルに侵入。日本時間12月8日午前3時35分から停泊中の艦船目掛けて800キロ爆弾を次々に投下した。
 水平爆撃はいったん決めた爆撃コースをそれると照準が外れてしまうので、爆撃態勢に入ってから敵戦闘機の迎撃を受けると命中精度が著しく低下する。しかし、真珠湾上空に迎撃する米戦闘機の姿はなく、雲のため目標を見失った攻撃機が3度も照準をやり直す余裕まであった。
 第1次攻撃隊の迎撃に上がった米戦闘機は4機に過ぎず、いずれも同8日午前3時30分までに日本軍制空隊によって撃墜されていた。地上や艦艇からの対空砲火も散発的で、オアフ島上空の制空権は完全に日本軍が握っていた。