特集 真珠湾攻撃【6】これは演習ではない
- ※主要参考文献:戦史叢書「ハワイ作戦」防衛庁防衛研修所戦史室(朝雲新聞社)
ハワイ上空を飛行する99式艦上爆撃機。この写真を撮影したのは、本土から飛来した米陸軍のB−17爆撃機で、手前に主翼とエンジンが写っている。このB−17はまったくの非武装だったため、日本軍機を発見してもカメラのシャッターを切ることしかできなかった(米海軍史料センター提供)【時事】
これは演習ではない
ハワイの米軍が最初に異変を感じたのは、日本時間12月7日午後11時12分(現地時間で12月7日未明)に、掃海艇が真珠湾の湾口で小型潜水艇の潜望鏡を発見した時だった。これは、空母機動部隊とは別にハワイへ送り込まれた日本の特殊潜航艇5隻のうちの1隻で、さらに同8日午前2時15分、駆逐艦が小型潜水艇1隻を撃沈したと報告している。ただ、この情報が米太平洋艦隊のキンメル司令長官に伝わったのは同8日午前3時10分ごろだった。
オアフ島にはレーダー警戒網が設置され、同8日午前2時32分ごろ、レーダー操作員は北方に多数の機影を認めた。しかし、当直将校が訓練中の味方機か本土から飛来予定だったB−17爆撃機だと勝手に判断し、司令部への報告を怠った。
同8日午前3時25分、日本軍急降下爆撃隊の最初の攻撃がヒッカム陸軍飛行場に対して行われた。その3分後、海軍哨戒航空部隊指揮官のべリンジャー少将は、全艦艇に対し「真珠湾が空襲を受けている。これは演習ではない」と伝達したが、もはや手遅れだった。