日本時間12月8日午前3時10分、オアフ島カフク岬に達した第1次攻撃隊の総指揮官・淵田美津雄中佐は、米軍の迎撃がないことを確信。搭乗機から信号拳銃を発射し、各隊に「奇襲」(敵の反撃がない状況で攻撃を仕掛けること)の要領で展開するよう指示した。
 同3時19分、淵田中佐は無電で「全軍突撃せよ」を意味するモールス信号のト連送を攻撃隊の各機に発信、続いて同3時22分、機動部隊に向け「奇襲成功」の略語であるトラ連送を送信した。この電文が、後に「われ奇襲に成功せり。トラ、トラ、トラ」として世に知られるようになった。
 第1次攻撃隊のうち、まず急降下爆撃隊は二手に分かれ、本隊はオアフ島の中央部を突っ切って島の南部にある真珠湾内のフォード島海軍飛行場とその南東のヒッカム陸軍飛行場へ、別動隊は北部にあるホイラー陸軍飛行場の爆撃に向かった。雷撃隊と水平爆撃隊は米軍の艦艇群を求め真珠湾に向けて飛行したが、その途中、米軍戦闘機が迎撃してくる気配はまったくなかった。