特集 真珠湾攻撃【2】作戦は山本五十六の発案
- ※主要参考文献:戦史叢書「ハワイ作戦」防衛庁防衛研修所戦史室(朝雲新聞社)
航空魚雷を抱いて空母赤城から発進する97式艦上攻撃機。撮影日は不明だが、真珠湾攻撃時ではなく、それ以前の訓練中の写真と思われる。真珠湾攻撃で使用された91式航空魚雷改2型は、直径45センチ、長さ542.3センチ、重さ838キロというサイズで、弾頭部には204キロの爆薬が込めらていた(米海軍史料センター提供)【時事】
作戦は山本五十六の発案
空母機動部隊を編成し、米太平洋艦隊の本拠地を航空戦力でたたくというハワイ攻撃作戦は、山本五十六連合艦隊司令長官の発案だったとされる。
当時、各国海軍は艦隊同士の砲撃戦で勝敗を決する戦いを「常道」と考え、航空部隊は補助的戦力としか位置付けていなかった。強力な航空打撃力を備えた空母機動部隊を編成するという発想を持っていたのも日本と米国だけだったが、米国にも日本がいきなりハワイを襲う可能性を考える者はほとんどいなかった。しかも、太平洋艦隊の根拠地であるオアフ島の真珠湾は水深が12〜14メートルしかなく、投下後いったん数十メートルの海面下に沈んでから目標に向かう航空魚雷での攻撃は困難と思われていた。
日本海軍は魚雷の沈下を抑える安定装置を開発する一方、猛訓練で搭乗員の技量を高め、世界で初めて浅深度での航空魚雷攻撃を可能にした。
