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終戦特集(20)〜ポツダム宣言受諾

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8月15日、グアム島の捕虜収容所で玉音放送を頭を垂れて聞く日本軍将兵【AFP=時事】

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▼ポツダム宣言受諾

 1945(昭和20)年に入ると、連合軍は都市爆撃を強化し、本土の国民も直接の戦争被害を受けるようになった。資源は欠乏、国内の工業生産力も著しく低下し、戦争遂行が難しいことは明らかだったが、同年1月に政府は本土決戦への方針を固める一方、10代の少年から40代までを召集して本土決戦の戦力とした。7月26日、米英中3国首脳による日本への無条件降伏勧告「ポツダム宣言」が発せられた。日本政府はこれを黙殺しようとしたが、広島(8月6日)、長崎(8月9日)への原爆投下、ソ連対日参戦(8月8日)などに追い詰められ、8月14日の御前会議でポツダム宣言受諾を決定し、連合国側に通告した。この事実は、15日正午の玉音放送で国民に伝えられた。太平洋戦争の人的被害は正確に分かっていないが、日本では民間人も含めておよそ250万人が死亡し、アジア諸国での死者は1800万人に上ると推定されている。

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