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終戦特集(18)〜沖縄戦

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沖縄本島南部海岸で、日本兵が潜むと思われる洞くつに火炎放射を浴びせる米軍戦車。撮影日時不明【時事】

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▼沖縄戦

 1945(昭和20)年4月1日、米軍は陸軍4個師団、海兵隊3個師団など約20万人の兵力をもって沖縄本島への上陸を開始した。日本は陸軍約8万6000人、海軍約1万人で迎え撃ったが、そのほかに中学生以上の沖縄県民2万−2万5000人が兵士として戦場に投入された。また、高等女学校の生徒ら女子543人も臨時の看護婦などとして従軍した。「鉄の雨」を降らせる米軍の物量攻撃に対し、日本側は爆弾を抱えて戦車に体当たりする自爆攻撃などで対抗。米軍は沖縄本島を南北に分断する形で進んだため、狭い南部には10万人以上とみられる一般県民が取り残され、米軍の激しい攻撃の中、まさに地獄絵が展開された。女性や子どもなど非戦闘員の集団自決なども発生し、およそ3カ月の地上戦で県民の戦没者は沖縄全体でおよそ15万人と推定されている。日本軍の戦死者は現地召集の兵士も含め約9万4000人、米軍も約1万2000人に上った。海軍守備隊の指揮官だった大田実少将は多くの民間人を巻き込んだ悲惨な状況を目の当たりにし、自決する前に本土へ送った報告電文の最後を「沖縄県民かく戦えり。県民に対し後世特別のご高配をたまわらんことを」という言葉で結んだ。

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