終戦特集(16)〜硫黄島守備隊が全滅
硫黄島の南端にある摺鉢山に砲撃を加える米艦艇。猛烈な砲爆撃のため、山の形が変わったといわれる。45年2月撮影。米国立公文書館提供【時事】 ※写真をクリックすると拡大します |
▼硫黄島守備隊が全滅硫黄島は東京の南1250キロの洋上に浮かぶ小さな火山島で、米軍がB29爆撃機の基地としていたマリアナ諸島と日本本土のちょうど中間地点にある。そのため、日本は防御拠点としてこの島を死守する必要がある一方、米軍はここをB29の中継基地にしようと進出の機会を狙っていた。1945(昭和20)年2月16日、約2万人の日本軍守備隊が立てこもる硫黄島に、米海兵隊2個師団が上陸を開始。米軍は上陸前に徹底した爆撃と艦砲射撃を行ったが、日本軍司令官の栗林忠道中将は島内にトンネルを張り巡らせた地下陣地を構築し、徹底的に抗戦した。米軍は約6万1000人の兵力をつぎ込みながら、面積が22.4平方キロメートルしかない島を占領するのに1カ月以上も掛かった。日本軍守備隊は捕虜となった約1000人を除いて全滅したが、激しい抵抗を受けた米軍側の死傷者は約2万9000人(うち戦死約6800人)に達し、太平洋戦争で連合軍が反撃に転じて以降、米軍死傷者が日本軍を上回った唯一の戦いとなった。 |
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