終戦特集(11)〜インパール作戦
激戦地となったコヒマから英軍兵士が持ち帰った日本兵の遺品。三輪車に乗った子供の写真の裏側(右)には名前や生年月日などが記されている【時事】 ※写真をクリックすると拡大します |
▼インパール作戦1944(昭和19)年3月、太平洋方面の戦局悪化を背景に、インドから中国への「援蒋ルート」(蒋介石政権に対する米英の補給路)を分断しようと、日本軍はビルマ(現ミャンマー)からインド北東部アッサム地方のインパールへ攻め込んだ。ビルマとアッサム地方の間には1500−2000メートル級のアラカン山脈が横たわり、補給が極めて困難なことから、現地部隊の幹部からも作戦に反対する声は強かった。しかし、第15軍司令官の牟田口廉也中将が作戦実施を強く主張したため、十分な準備もないまま強行された。侵攻部隊はアラカン山脈を越え、一部将兵はインパール北方のコヒマまで進出したものの、各所で英軍の頑強な抵抗を受けて進撃は停滞。7月になってようやく作戦中止が決まったが、飢餓に苦しむ兵士たちは雨季でぬかるむ道に足を取られ、撤退は悲惨を極めた。この作戦は正確な参加人員すら分かっていない。攻撃の主力となった3個師団約5万人のうち、2万人以上が戦死・戦病死したと推定されている。 |
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