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終戦特集(7)〜ドーリットル爆撃隊、日本本土を空襲

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ドーリットル爆撃隊が撮影した横須賀市街。米国立公文書館提供【時事】

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▼ドーリットル爆撃隊、日本本土を空襲

 1941(昭和16)年12月の真珠湾攻撃以来、日本軍は太平洋戦域で快進撃を続けた。米国軍部は国内の戦意を高めようと、日本本土の空襲を企てたが、航続距離の短い通常の空母艦載機での実行は難しい。そこで、航続距離の長い陸軍の中型爆撃機B25を空母に載せ、日本本土を奇襲する作戦を立てた。指揮を命じられたジェームズ・ドーリットル中佐は42年4月18日、日本軍の哨戒線ぎりぎりまで近づいた空母ホーネットから16機のB25を率いて飛び立ち、東京、川崎、横須賀、神戸、名古屋を爆撃することに成功した。ドーリットル爆撃隊は当初から空母への帰還を考えず、中国大陸に離脱した後、搭乗員はパラシュートなどで脱出した。しかし、8人が日本軍の捕虜になり、うち3人は処刑された。日本側は爆撃の被害を秘密にしたが、戦後の調査で死亡約90人、負傷約460人、全半焼家屋290戸という大きな損害が明らかになった。また、本土爆撃に大きなショックを受けた日本軍部は、制海圏拡大を狙って同年6月にミッドウェー作戦を発動したものの大敗。以降、戦局の主導権を米国が握ることになった。

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