世川行介放浪日記

日々の雑感。昔話。時事問題への言及。

「『編集長』、そろそろ出番ですよ」だってさ

2010年06月11日 14時57分06秒 | Weblog

 昨夕から、今朝にかけて、
 「コメント」欄では、
 <幽霊>相手のやり取りがあったみたいなので、
 今朝、
 また、掃除をしておいた。

 まあ、「幽霊コメント」と言っても、
 せっかく、時間と頭をつかって書いただろうから、
 武士の情け、一日ぐらいは命を与えてやろう、と考えてきたが、
 路線変更。
 即刻削除だ。

 それと、
 今回、それに関した「コメント」で、
 保存の意味が薄い、 
 と思われるものも、削除処理しておくから、
 怒らないように。


 感動しようとする心しか感動しない。

 これは、けだし名言だ。

 馬鹿にはつける薬がない、という冷酷な事実を、
 心優しい<未知の読者>も知っておいたほうがいい。
 僕は、
 この小林何とかの「コメント」を読んだ時、
 ハハーン、
 と思い当たるものがあったが、
 不確かなや余計なことは書かないのが、僕の主義なので、
 触れずにおいた。


 僕は、一年間ずっと、主宰者の立場で見ているから、よくわかるが、
 こういう「幽霊コメント」の特徴は、
 実に簡単なのだよ。

 <幽霊>は、
 僕の「日記内容」に対しては、
 絶対に言及してこない。
 それと少しずれたところだけを書いてくる。

 それは、何故かと言うと、
 「フィリピン」も、「編集長」も、「えび」も、「シチズン」も、「山陰のセールスマン」も、
 「勉強嫌いの馬鹿」だからだ。
 彼らの共通項は、そこだ。
 難しいことや本質的なことを考える能力も気力も、
 まるでない。

 だから、この阿呆たちが、「幽霊コメント」を投げてくるのは、
 女ヘン日記の後だけだ。


 僕は、
 歌舞伎町の無学な韓国女たちのその無知な生き方を、
 愛して、愛して、愛し抜いた男だが、
 この阿呆たちの無知と無恥は、
 大嫌いだ。

 日本の国民なら、馬鹿でない限り、
 家に余分なお金があれば入れる駅弁大学の名前だけもらった分際で、
 自分は知識人だ、みたいな顔をして、
 阿呆丸出しの、「ハートのない文章」を書く。

 お前らに、
 僕の文章が、正当に解読できるわけがない。
 引っ込んでいろ。


 この連中は、
 あっちこっちに、
 小沢一郎が好きだ、と書いて、
 それで自分はネット言論の免罪符を手に入れた、
 と、勘違いする。
 可愛らしくて、
 僕は笑う。

 小沢支持者にも、ピンからキリまであって、
 ここは、
 「上質の小沢支持者」しか投稿できない規則になっている。

 来るな。

 なにが、「編集長、そろそろ出番ですよ」だ。

 人から聞いた話だから、嘘か本当か知らないが、
 お前らごときのかく乱に、
 もはや、
 この日記世界は、動じたりはしないのだよ。

 そんなことより、

 お前たちのアイドルの「フィリピン馬鹿」が送ってきた画像を送ってやるから、
 どこか送信先を指定しろ。
 フィリピンの「未成年淫行罪」で逮捕される証拠写真だ。
 きれいな口をたたく前に、
 そっちをきれいにしたらどうだ。
 社会的地位のある花形ディレクターの地位が剥奪されるぞ。

 フィリピンの馬鹿。

 僕のこの言葉の意味を、
 よく考えておけ。

 いつも言っているが、
 本気で喧嘩をやる時の僕を、
 一般的な日本人の行動様式で考えるなよ。
 そういう時の僕は、
 お前らが想像しているよりも、
 もうちょっと怖ろしい男だ。

 高尚な論争であろうと、
 くだらない喧嘩であろうと、
 僕には、同じことだ。
 やる時は、
 独力で、
 とことん、
 死ぬまで戦うことに決めている。


 お前らごときとは、
 くぐってきた修羅場が違う。

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原点としての<不良少年>  「河野」さんの「コメント」に

2010年06月10日 14時24分54秒 | Weblog

 「不良」という言葉を、
 初めて「わがことのように」に受け止めて読んだのは、
 坂口安吾が太宰治について書いた、
 『不良少年とキリスト』(だったかな?)という一文を眼にした時だった。

 二度目に、その言葉を考えたのは、
 映画監督深作欣二の、一連のヤクザ映画を観た時だった。


 <不良少年>とは、
 社会の枠組みに、どうしても心が順応できない、
 そんな哀しい性(さが)の男たちのことを言うのだな、
 と思うようになった。


 自分の中で、
 若い、少々のデタラメや放埓を許される<熱い夏>が過ぎた時、
 もう一度、
 <不良少年>である自分のことを考えた。

 人は、成長して、
 社会の集団規範に組み込まれ、
 ネクタイを締め、スーツを着込み、
 仕事場のデスクに一日の半分近く向かい、
 多少窮屈感をおぼえながらも、それに従って生きていかざるを得ない。
 それが、
 成人が誰でもが歩く当たり前の道であろうし、
 それについていく努力をしない人間がわがまま者、
 なのだが、

 しかし、
 若い日、
 熱い思いで見た、あのギラギラとした夏の<夢>は、
 大人の社会では受け入れられないからといって、
 まったくの無価値であったのか?
 自分はそんな「無価値を信じて」、青年期を生きたのか?

 
 違う。
 そうであるはずがない。

 と、僕は思った。


 僕は、それから、
 <不良>という言葉を、
 チンピラ、
 青二才、
 と、
 自分の心の中で、置き換えた。

 ネクタイを締めて、スーツ姿であろうとも、
 <精神のチンピラ>、
 <思考の青二才>、
 であり続けることは不可能か、
 それを自分自身という存在で試してみたい。
 熱く、そう思った。


 まあ、
 その挙句が、今のこんなザマだから、
 そんなことは試さないほうが方がよかったのだが、
 しかし、
 それは、初めからわかっていた結果であって、
 本当は、
 自分が、
 どうしても、そう生きたかった、
 それだけの話だ。

 僕もまた、
 深作欣二のヤクザ映画で、
 一人残らず、銃弾に斃れる、甘っちょろい<夢>を見た男たち、
 の一人にすぎない。


 あの時期、
 周囲を見渡すと、
 僕と同じように、
 自分の体内で暴れ狂う<荒ぶる鬼>に手を焼いているな、
 と思われる男たちが、
 何人か、いた。


 そんな一人、
 高橋和巳は、反逆思想小説『邪宗門』の主人公に、
「君も平和が欲しいのか」
 と叫ばせ、
 作詞家阿久悠は、北原ミレイという女性歌手に、
「捨てるものがあるうちはいい」
 と、濁った声で歌わせた。
 
 黒鉄ヒロシという漫画家も、
 そんな一人だった。
 ナンセンスを地で行ったようなギャグ漫画を書き散らし、
 僕たちの鬱屈した心を和ませてくれた。

 僕が記憶している彼のギャグ漫画は、
 『平凡パンチ』か『プレイボーイ』で、

 勤めを終えて部屋に帰ってきたOLが、
 衣服を脱ぎ投げ、下着姿になり、
 大きなおならをして、
 タバコをスパーと吸って、
「あ〜」
 と、一息ついているその押入れの中で、
 恋人らしき男が、
「今出て行ったら、
 間違いなく殺されるなあ…」 
 と、ぼやいているものだった。

 青年の女性に対する甘美なイメージを、
 ものの見事に打ち砕く作品で、
 大爆笑して読んだ記憶がある。


 近年、
 その黒鉄ヒロシの姿を、テレビで見るようになった。
 彼の肉声を聞くようになった。

 一言で、感想を言うと、
「お前。
 あの<不良青年>を、どこに置き去りにしてきたんだ?」
 というものだった。

 無残、

 としか言いようのない代物だが、
 本人は、
 そんな自分に気づかず、
 自分が何か、社会にとって「いいこと」を語っているように、
 得々としている。

 それは、黒鉄ヒロシだけではなく、
 不良中年管理職の哀歓を描いてヒットした、
 『課長島耕作』の作者も同じだ。
 晩年の阿久悠も、そうだった。

 彼らは、
 何を間違えたのか?

 それは、はっきりしている。

 僕たち読者が共鳴したのは、彼らの<精神の不良性>であるのに、
 彼らは、
 自分の<思考の健全性>が評価されている、
 と思おうとしたのだ。

 こういう間違いを生じさせる源にあるのは、
 彼らの中の<上昇志向>だ。

 若い日、
 自らの<上昇志向>を否定したはずの人間が、
 いつの間にか、
 <上昇志向>に、全身を絡めとられていく。
 ここに、彼らの悲劇と喜劇が、ある。


 <永遠の青二才>を持続して生きることは、
 実に困難だ。
 ひょっとしたら、
 それは、不可能なことなのかもしれない。
 太宰治が、自死を選ばざるを得なかったのは、
 そんな不可能性に気づいたからかもしれない。

 しかし、
 どうせ短い人の一生、
 一人くらい、
 <永遠の青二才>という行路を、
 「悲しい顔をせず」に歩く男がいたっていいだろう。

 僕は、
 いま、
 自分にとって、おそらく、
 最初で最後本、くらいの気持ちで、
 小沢一郎に関する本を書いているのだが、

 自分に言い聞かせるのは、

 政治に積極的な関心を持った人間にではなく、
 かつての僕のように、
 いま、
「政治なんかくそくらえ!」
 と思っている<不良少年>読者を心に抱きしめながら書かねば、
 この本は、駄目だぞ、
 という、
 その一点だ。

 どこまでやれるのか、自信はないが、
 それも自分の選んだ道なので、
 もう少し、頑張ってみる。



            <付 記>

 さっき、
 二見伸明さんが、電話で、
 「小沢一郎政経フォーラム」後のパーティー席上で、
 小沢一郎氏に僕を紹介してやるよ、
 と言ってくれた。

 こんなみすぼらしい浮浪者の姿を見せて、
 「LEE」さんや、「Y家の母妻」さんたちに失望を与えるのは、
 非常にすまない気でいっぱいだが、
 行ってくることにして、
 さっき、
 「T・I」さんに、お願いのメールを送った。

 心配の「コメント」を幾つかもらって、
 すまなかった、です。

 まあ、
 当日出席の<未知の読者>で、
 ヨレヨレ放浪者に声をかけても恥ずかしくない人は、
 そんな男の姿を見かけたら、
「お〜い、ラブラブ!」
 とでも、声をかけてやってくださいな。

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「コメント欄」の掃除をしておきました

2010年06月10日 03時17分35秒 | Weblog

 実を言うと、
 僕も、
 菅政権になって、
 小沢一郎のいない政権光景に少し気落ちして、
 作文に、いまいち元気がなくなって、
 困っていた。

 昨夜から、やっと元気が戻り、
「よし。
 やるぞ!」
 と、
 今日の昼すぎまで、必死に書いた。

 今週中には書き上げて。
 「小沢政経フォーラム」に行く人たちの励みになれば、
 と思っている。


 さっきまで眠っていて、
 起きてパソコンを開いたら、
 どこかの馬鹿から、
 わけのわからぬ「コメント」がいくつも送られていて、
 何人かの<未知の読者>が、「うんざりコメント」を書いていた。

 何を舞い上がっているのかは知らないが、
 まあ、狂気の沙汰だな。

 当方、
 「削除の法則」に従って、
 全部、削除させてもらった。

 おまけに、
 (文章に)見覚えのある「どこかの馬鹿」が、
 それに合わせた格好をして、
 なにやら書いていた。

 もう、ここに来るな。

 お前たちの悪態ブログ(まだやっているのか?)があるだろう。
 <幽霊>は全員、あそこに連れて行って、
 「世川罵倒大会」でも開いて、
 思う存分、僕をののしれ。
 優勝者には、
 馬鹿がよこした「フィリピン娘のヌード写真」を贈呈してやる。

 それが、お前たちには一番お似合いだ。


 折角、「良質のコメント」がたくさん届き、
 開放してよかったな、
 と喜んでいたのに、
 またお前たちが、ぶち壊そうとする。

 今度は、もう、
 そうはさせないから、
 <馬鹿>と<阿呆>と、<小林広徳>は、
 ここに来るな!
 
 「小林広徳」という名を名乗っているから、
 自分は<幽霊>ではないと思われている、
 なんて勘違いしなさんな。

 お前の文章には、
 <品性>が、ない。

 と、
 悪態退治は、ここまで。


 僕は、
 一旦は、こんどの「小沢一郎政経フォーラム」を欠席しようと思っていたが、
 <50人>の一人の「T・I」さんが、
「二見さんも講演するし、
 小沢本のためにも、今回は行ったほうがいいから、
 自分が参加券を用意するから行きましょう」
 と便りを下さって、

 それなら、そうしようかなあ、
 と、
 考え始めていた。

 たしかに、
 その気になりかけていた。

 先日、ここの「コメント欄」を見るまでは……。


 しかし、
 僕にとって、
 鬼よりも怖い、
 「LEE」さん、「Y家の母妻」さんが、
 柄にもなく、かわいい声で、
「わたしたち、出席しま〜す」
 と言う。
 他にも、何人か、行くらしい。


 あそこに来る人は、
 みんなスーツ姿か、
 それに類した盛装で、
 僕のような、
 一目で、
「あっ、
 放浪者!」
 とわかる格好の人間は、
 会場に、一人しか存在しない。

 僕は、
 「LEE」さんも、「Y家の母妻」さんも、
 その姿かたちを知らないが、
 
 僕の知らない向こうで、

「ねえ、「Y家の母妻」さん。
 あれよ、
 あれ。
 隅っこで、人目を避けるように壁に寄りかかっているあのオヤジ。
 汚らしい格好のあのオヤジが、絶対に、世川よ」

 なんて言われながら、「LEE」さんに指さされている光景を、
 想像しただけで、
 もう、身がすくむ。
 震える。
 恐怖でいっぱいになる。

 その上、
 「Y家の母妻」さんが、
「声をかけて、あんな男と知り合いなのかと、
 不審の眼で見られたら、恥ずかしいから、
 絶対、知らんぷりして帰ろうね」
 なんて言ったとしたら、
 これは、もう、
 地獄絵だな。

 やっぱりやめようかなあ、

 と、
 ウジウジ思い悩んでいる、
 今夜の世川行介君であります。

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起きるな

2010年06月09日 11時11分19秒 | Weblog

 不思議なもので、
 鳩山内閣が崩壊してから、
 政治現場に、まったく関心を失い、
 ニュースを見ることもなくなり、
 今度の内閣で誰が大臣に就任したのかも知らないで、
 今日まで来ている。

 さっき、
 ネットニュースを見たら、
 菅直人が、「官僚排除するつもりはない」と言っていて、
 また、枝野幸男が経団連を訪問したと書いてあり、
 そうか、
 この内閣は、革命内閣ではなく、
 昔ながらの自民党的政治を踏襲する内閣なのだな、
 それを民主主義政治だと信じている古典的政治家たちの内閣なのだな、
 と、納得した。

 激しい革命過程に生じる「小幅な揺り戻し現象」が、
 この国でも始まったのだ。


 こんな内閣が、
 鳩山内閣よりも価値があると評価する国民が多いらしいと知って、
 とりあえあず、いち下りたぁ〜、
 みたいな気になった。

 きっと今頃は、
 ネット世界で、
 この保守内閣について、
 大勢の政治好き人間たちが、
 ああだこうだと論評を投げ合っているのだろう。
 僕には、何の興味もないが、
 それはそれで、結構な話だ。


 僕は、石川啄木の短歌が好きで、
 特に、次の一首は、
 これまでの人生、
 ある時は、新宿歌舞伎町の交差点で、
 またある時は、上野公園のベンチで、
 何十度となく、口にした。


    人がみな
    同じ方角に向いて行(ゆ)く。
    それを横より見てゐる心。


 こういう時の孤独は、
 まんざら捨てたものでもない。
 

 若いころ、
 確か、吉本隆明の小論で、
 石川啄木の、こんな詩を知った。


           起きるな

    西日をうけて熱くなった
    埃(ほこり)だらけの窓の硝子(ガラス)よりも
    まだ味気ない生命(いのち)がある。

    正体もなく考へに疲れきって、
    汗を流し、いびきをかいて昼寝してゐる
    まだ若い男の口からは黄色い歯が見え、
    硝子越しの夏の日が毛脛(けずね)を照し、
    その上に蚤(のみ)が這(は)ひあがる。

    起きるな、超きるな、日の暮れるまで。
    そなたの一生に冷しい静かな夕ぐれの来るまで。

    何処かで艶(なまめ)いた女の笑ひ声。


 僕は、石川啄木や吉本隆明のように優れた文学者ではないから、
 彼らが過去に高尚に説いたことを、
 俗な言葉で、しかも、舌足らずの表現でしか言えないが、

 今のどうでもいい揺り戻し政治現場について、
 あれこれ語るのは、時間の浪費だ。
 毎日毎日政治について語るのが「人の誠実」ではない。


 少し休めばいい。
 その心を休ませればいい。

 世俗を忘れて、寝っ転がり、
 君たちの好きな小沢一郎が、
 いま、どこで、何をしているのか、
 そして、これから何をしようとしているのか、
 その時、自分はどう動くか。

 そんな空想の時間を、もっと増やせばいい。

 その方が、
 ずっと、精神の生産性は上がる。

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黒い網タイツ

2010年06月09日 01時21分52秒 | Weblog

 政変が起きて、人が大騒ぎをしている時期に、
 女ヘン日記では申し訳がない、
 という感じで、
 ここ数日、女ヘンから遠ざかっていたが、
 まあ、そろそろ、いいだろう。


「世川のおじさん」
 17歳の乙女が、話しかけてきた。
「うん?」
「あのね」
「うん」
「私、
 おじさんの日記、読んでるよ」

「ええっ!」

 と叫んだのは、
 僕でなく、女のほうだった。

「あんた。
 本当に、この人の日記読んでいるの?
 ママには、一回もそんなこと、言わなかったじゃないの」
「読んでる」

 ちょっと…、
 ちょっと、待ってくれ…、
 お前、本当に、あれを読んでいるの?
 自分の母親が、<40歳>と呼ばれ、
 僕からラブラブ攻勢を受けているあの日記を、
 本当に読んでいるのか?

「うん。
 読んでいる。
 なかなか面白いよ」

 新宿の喫茶店に、
 さむ〜い風が、走った。 

「お姉さんも、この人の日記が面白いって言っていたけど、
 何が書いてあるの?」

 ばか。
 ばか、ばか。
 自分の娘に、そんな説明をさせるな!

「ふ〜ん。日記の内容ネ、」
 と、
 17歳の小悪魔は、
 母親の質問には答えず、
「フフフ……、」
 僕を見て、微笑んだのであった。

 眼が、
「世川のおじさんの、スケベ〜」
 と言っていた。


 昨日、昼、
 <40歳>の姉さんと3人で、お茶する約束だった。
 ところが、
「姉さん、来られないって電話があった」
「じゃあ、今度にしよう」
「代わりに娘と三人で…、」
「お前ナ。
 お前の娘と三人でお茶飲んで、
 何か会話ができるのかよ。
 ラブラブなんて言ったら、軽蔑されるぞ。
 今度にしよう。今度に」
 と、僕は断ったのだが、
「来てよ!」 

「あんたネ。
 来る時に、網タイツ買ってきてよ。
 あんた、私の網タイツ姿が見たいって言ってたでしょう。
 今度穿いて見せてあげるから、
 買ってきて」
「ふむ」
「ついでに、下着も買ってきてよ。
 私、黒のTバック」
「ばか。
 そんな買い物、ごめんだ」

 僕は、
 上野の「ABAB」に行った。
 地下に、女性下着売り場があると教えられ、
 そこに行った。

 みんな女。

 僕以外に、
 60歳過ぎの男が、
 若い、孫くらいの異国の娘を連れて、
 実にカラフルな下着を、
 あれもこれもと、
 娘の言われるがままに買い漁っていた。

 今の僕って、こいつと一緒かよ…、
 と思うと、
 なんか、自分が、みじめだった。


 それにしても、
 カラフルな世界であることよ。
 今どきの娘たちは、
 こんなものを身にまとって日々生きているのか。
 淫乱どんすの世界だな。
 性犯罪が多発しているのが納得できた。

「すいません」
 と女店員に声をかけ、
「あの〜、
 ここ、網タイツって、売っていますか?」
「ええ、ございますよ」
 店員は、やけに事務的な声で、答えた。
「では、
 MLサイズを一個下さい」
「色は、何色?」
「みな、何色を穿くのでしょう?」
「普通は黒ですね」
「では、それを…、」

 まあ、
 待っている10分ほどの長かったことよ。
 すれ違う女性客たちが、
 汚物でも見るかのようなさげすんだ視線で僕を一瞥するのが、
 よ〜く、わかった。

 なぜ、ノーと断らなかったのか、
 自分の優柔不断さが恨めしかった。


「え〜、
 つかぬ事をお聞きしますが、
 これって、一個いくら位するんですか?」
「620円です」
 なんだ、
 そんなに安い助平小道具だったのか。
「じゃあ、もう一個」
「あら、もう一個ですか?」
 と、僕を見た女店員の眼は、
 思わず職業の表情を捨てて、
 軽蔑の視線になっていた。
 しまったな…。


 ということで、
 僕は、黒の網タイツをお土産に、
 昼下がりの新宿に向かったのであった。

 しかし、
 実の娘、しかも、まだ17歳の娘の前で、
「ほら、助平網タイツ」
 などと渡せるわけがない。

 隠して、隠して、
 娘が席を立った間に、そっと渡した。

「ああ。網タイツ。
 買ってきてくれたの?
 ありがとうね」

 お前。
 頼むから、そんな大声で言わないでくれよ。


「あんたね。
 これは、あんたが初めて私にくれたプレゼントだから、
 あんたのためだけに穿くよ」
「そうか」
「あんたと一緒の時につけて、
 あんたが帰るときは、脱いで渡すから、
 次に会いに来るまで、私だと思って、あんたの部屋に置いておいて」
「ハア?」
「浅草の部屋の壁に飾って、
 それを私だと思って、頑張って、いい本書いてよ」

 お前なあ。
 僕は、
 変態下着男なんかじゃない。  
 何を考えているんだ。何を!
 
「でも、いい考えでしょう」

 うん。
 そう言われてみると、
 それもいいかな…。
 なんてことを、言うわけないじゃないか。

 固く辞退して帰ってきた。


 どうも、最近、
 この女は、
 僕が、「わがまま女に弱い男」だというのがわかってきたらしく、
 わがままの度合いが激しくなってきた。
 自分ががっちり羽交い絞めを喰らっているような、
 そんな気のする時もある。

「あんたね。
 浅草なんかで、また韓国女とつきあったら、
 今度は、もう許さないからね。
 絶対、ラブラブしてあげないからね」
「わかってるよ…、」


 もし、
 17歳の娘が、
「あのネ、ママ。
 実は、世川のおじさん、
 浅草でまた韓国の女ができてね、
 <キスママ>と<西浅草の女>の間で揺れているんだよ」
 なんて言ったならば、

 僕は、
 いったい、
 どうなるのだろう? 

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自分の言葉で、自分の考えを

2010年06月08日 22時23分56秒 | Weblog

 「友納」さん。

 今日、ATMに行って、
 あなたと思われる人からの、購読料、
 確かに受け取りました。

 ありがとう。

 あなたが、HNではなく、
 本当の姓を書いてくれていたこともわかって、
 僕は、それも本当に、嬉しかったですよ。


 せっかく、あなたが初めて送ってくれた購読料でしたので、
 数日前からなくなって、
 少し、肩や眼が痛くなっていたので、
 ナボリンSを買わせてもらいました。

 少し楽になりました。
 それも本当にありがとう。


 あなたも、今日の日記を見たと思うけど、
 今日も、何人かの<未知の読者>氏が、
 自分の意見を書き込んでいます。
 あなたも、
 遠慮せず、
 あなたの思うことを、書き込んでくださるよう、
 希望してやみません。
 
 
 「コメント欄」に、
 平野貞夫さんのザ・ジャーナルの文章の紹介が、
「消すなら消せば……、」
 と横柄な「コメント」付きであったので、
 御要望に従って、さっそく消去させてもらった。


 この「名無しの権兵衛」は、
 僕が、
 平野貞夫さんには、
 たくさんの取材をして、
 その内容を、今度の小沢本に使わせてもらっていることや、
 政局について、
 たまには平野さんに直接電話で質問をして、
 それを元に、<50人>に、
 「ナイショ話通信」を送ってきている事実、
 を知らないらしく、

 何か
 鬼の首でも取ったかのような口調で、
 「転載コメント」をよこしていた。

 坊や。

 僕たちは、
 たくさん勉強してるのだヨ。

 それを知らないのは、お前さんだけ。
 

 そんな関係だから、
 ここに平野貞夫さんの文章が残っても、
 それは一向に構わないのだが、

 この「名無しの権兵衛」は、
 今回、ここの「コメント欄」を開放した意味が、
 ぜんぜんわかっていないみたいなので、
 ちゃんと、教えておいてあげよう。


 ここを、
 そこいらの「お友達サロン」と一緒にしないでくれ。

 僕がこの「コメント欄」を開放したのは、
 <未知の読者>諸氏の<肉声>を聞くためであって、
 「どこかの第三者のご高説」を転載するためではない。

 第三者の意見をここで披露したかったら、
 人さまの意見を、まず、自分が一回咀嚼して、
 それから、自分の言葉で言い直して、
 そして、
 それに対する自分の意見をくっつけて、書いてくるのだよ。

 そんな、どこかのサロンの人の意見のまるまる転載など、
 お断りだ。

 まあ、
 そんな「なあなあネットサロン」に慣れきった怠惰な精神には、
 今から、
 ここで、
 何が始まるのか、
 何を始めようとしているのか、
 きっと、
 想像すらできないだろうが、

 お前さんごときのでしゃばる場所でないことだけは、確かだ。

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「友納」さんへ

2010年06月08日 11時55分48秒 | Weblog

 何度も同じことを書くみたいだが、

 僕はこの数週間、
 毎日750ほどあったこの日記のアクセス数を、
 何とか400くらいまでに減らして、
 良質の<未知の読者>だけの空間にできないか、
 と考え、
 日記を一日一回だけの掲載にしたり、
 女ヘンを書き散らすなど、
 あれこれやってきた。

 うまくいったかな、
 と思った瞬間もあったが、
 途中で「鳩山政変」が勃発し、
 それについて書いたら、
 また増え始め、
 その上、
 この日記を<小沢支持者>に開放したら、
 昨日、
 3年前この日記を書き出してから、初めて、
 一日のアクセス数が1000を超え、
 閲覧数は5700という数になっていた。

 で、
 あきらめた。

 なるにまかせることにした。


 もうこうなったら同じだ、
 と開き直って、
 二見伸明さんに、
 「コメント欄」開放の趣旨を話し、
 <小沢支持者>への激励文を依頼した。
 もちろん、快諾を得た。
 近日中に掲載する予定だ。


 「友納」さんという人物が、「コメント」をくれていた。

 彼からの最初の「コメント」は、
 たまたま、
 僕が「コメント欄開放」を掲載した直後に届いていたので、
 流し読みして、
 即刻削除処分にした。
 まさか、あのように誠実な「コメント」が返ってくるとは、
 思ってもいなかった。


 「友納」さん。

 今回の「コメント」を書くには、
 あなたは、本当に考えたのだと思う。
 あなたのその誠実さを僕は評価しますよ。

 これからは、
 愚痴りたいことがあったら、
 ここの「コメント欄」に書けばいい。
 誰かが、必ず、
 あなたの苛立ちを癒す「コメント」を返してくれるはずだ。
 それは、僕が保証する。

 なぜなら、
 僕の敬愛する<50人>は、
 君のそんな心を絶対に放っておかないからだ。

 <50人>を選ぶのに、
 僕は1年の時間を要した。

 大勢の彼や彼女たちから届けられる「私的メール」や「コメント」を、
 その文字面や文章の巧拙ではなく、
 文章の底流に流れている<精神の質>を見つめて、
 何度も何度も、自分の中で、ふるいにかけ、
 <50人>を選んだ。
 
 いま、
 僕がこの日記を、
 胸を張って、<小沢支持者>に開放するのも、
 この<50人>の存在を信じているからだ。


 「友納」さん。

 あなたも、
 この<50人>の<正しい心>を信じていい。

 あなたが孤独感の沼でもがき苦しんで、
 ここにその切なさを書いたなら、
 きっと、<50人>のうちの誰かが、
「頑張れ。くじけるな」
 と、
 あなたを励ます言葉を、
 口先だけでなく、
 真実の声で、
 送ってくれるだろう。


 ここを、そうした<良き空間>にするために、
 あなたの力も、貸してくださいよ。

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「コメント欄」開放記念に

2010年06月07日 10時34分37秒 | Weblog

 この日記の「コメント欄」を、
 <小沢支持者>に開放した記念、
 と言っては何だが、
 まあ、一つの記念に、少し書いておきたい。


 今よりもずい分若い頃、
 ある先輩に、こんなことを言われたことがある。

「お前くらいに扱いに困る男はいない。
 人間というものは、
 役職か金には、必ず色気を見せるものだ。
 どちらかをちらつかせたら、だいたい、みんな、転ぶ。
 周りの特定局長を見てみろ。
 今度役につけてやるぞと言うと、すぐになびく。
 断る奴なんて、いない。
 だけど、お前は、
 その二つを、ぜんぜん欲しがらない。
 お前みたいな男をどう扱っていいかわからないから、
 上の人間は、どんどんお前を、
 あいつは可愛げのない奴だと嫌うようになる。
 少し考えを変えて生きないと、損をするぞ」

 お言葉どおり、
 目茶嫌われて、
 業界から追放された。


 小沢一郎という政治家が、
 本気で、
「総理大臣なんかならなくてもいいよ」
 と思っているのが、
 いつの頃から、
 僕には、よくわかった。

 そして、
 そう思う彼の根底にあるものも、
 僕には、よく理解できた。

 この無欲は、
 ある意味、大欲と同義だ。

「阿呆な<世界>をこのまま続けるならともかく、
 改革して、まともな<世界>に直す気になった時、
 俺抜きでやれるものならやってみるがいい。
 悪いけど、
 この改革は俺にしかできないよ」

 そんな自負だ。

 今、振り返って、
 僕の心を小沢一郎に結びつけた最初は、
 これではなかったのか、
 と思う。


 僕は、
 業界を追放され、
 その業界も、それからすぐに崩壊してしまった。
 今では、僕は、
 あんな業界と心中せずに、
 貧しいネット売文業者になった自分を、
 神のはからいである、
 と感謝している。

 
 小沢一郎が、
 戦い続け、
 負け続け、
 たたかれ続け、
 それでも戦い、
 でもやっぱり、
 栄華半年、苦節5年、みたいな、
 いいとこなしでここまで来て、

 いつ潰されるのか、
 と、
 ハラハラドキドキしながら、
 しかし、
 いつも不死鳥のように甦る姿を見る時に、

 若い日の僕にはなかった強靭さを感じ、

 おい、頑張れ。
 あんたくらいは節を通して、勝ってくれ。
 と思ってしまうみたいだ。


 僕は、この一年間、
 自分の思考を小沢一郎に集中させているみたいなところがあって、
 その過程で、
 これまで気づかなかったことに気づき始めた。


 その一つは、

 僕だけでなく、
 中高年の小沢一郎支持者という人たちもまた、 
「おい。頼むから、あんたくらいは節を通して、勝ってくれ」
 という思いで、小沢一郎を見つめているのではないか、
 ということだ。

 理よりも感情を優先させる日本社会に生きる時、
 自分の<熱い思い>を成就することは、
 難しい。
 たいがいの中高年は、
 分厚い壁の向こうに自分の声を通すことができなかった無力感や後悔を抱えて、
 いまの歳を迎えているのだ。

 そうした人たちにとって、
 小沢一郎という政治家の存在は、
 自分の<見果てぬ夢>の象徴であり、
 もっと言うなら、
 <おのが無念>の象徴なのだ。
 だから、彼や彼女たちは、
 熱い視線で小沢一郎を見つめてしまうのだ。

 と、書いた時、
 僕は、
 歌舞伎町という、無法と自堕落の場所で、
 小さなため息をつきながら生きるオーバーステイの韓国女たち、
 を描いてきた自分が、
 何故、いま、懸命に、
 そうした無頼とは遥かにへだたった理念に生きる小沢一郎を書こうとしているのか、
 その本当の理由に、
 やっと気づき、

 まだ落ちぶれ果てていない自分の精神に、
 少し、安堵するのだ。

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小沢一郎を愛してやまない<未知の読者>諸氏へ

2010年06月07日 02時13分40秒 | Weblog

 僕はこれまで、

「自分は小沢ファンではない。
 だから、小沢ファンと一線を画して生きる」

 と言い続けてきた。

 しかし、
 いつだったか、
「小沢ファンに優しくありたいと思うようになってきた」
 といったことを書いたことがあるような気がする。

 それからは、
 少し優しい男になった気ではいるのだが、
 まだまだだった。

 しかし、
 今回、
 小沢一郎が、
 自分のなした不手際からではなく、
 鳩山首相の幼稚な政治運営のとばっちりで、不本意に幹事長職から下り、
 これからは僕たちの前に姿を見せなく時間が多くなりそうだ、
 と思った時、

 では、その間、
 あの、小沢一郎と<同じ一つの夢>を見ている小沢支持者たちは、
 どこで、どんな会話を交わして生きていけばいいのか、
 くだらない小沢びいきたちの集会所で、
 ひいきの引き倒し会話をかわすのか?
 と思ったら、
 彼や彼女たちが、不憫になった。

 特に、
 テレビ報道などで、
 小沢批判者ばかり登場させ、
 小沢擁護者の意見は登場させないみたいな、
 ああいう卑劣を見せつけられると、
 僕のようなへそ曲がりは、
 カチン、と来る。


 で、
 皆さん。

 小沢一郎が、
 もう一度、政治の表舞台に顔を見せる日まで、

 この日記の「コメント欄」を、
 小沢一郎について語り合う場所として、
 平成政治について語り合う場所として、
 開放します。

 今から3年半、
 シャッポが誰であれ、
 「民主党政権」を持続させなければ、日本は変わらない、
 そして、
 政権交代を、その名にふさわしいものにできる政治家は、
 小沢一郎一人だけだ、
 と、僕は信じています。

 ですから、
 皆さん。
 遠慮なく、自由に書き込んでください。

 僕も、
 今まで以上に、小沢一郎について書きますし、
 公開できる情報(ナイショ話)も、極力公開するよう心がけますし、 
 皆さんからの意見に回答する必要があれば、
 誠心誠意、回答します。


「ネット上に、
 小沢一郎について、
 平成政治について、
 きちんと語り合っている場所がある。
 本当の小沢一郎を知りたかったら、あそこを覗け」
 と言われるような空間にしてやって下さいな。


 ただネ。
 君たち。

 世川さんは、貧乏なネット売文業者だから、
 たまには日記の購読料も送るのだぞ。

 
 それから。
 最後に、もう一ト言。


 <悪態幽霊>たち。

 これは、お前たちに向けて書いた文章ではないからね。
 勘違いしなさんなよ。
 お前たちには、永久に開放しない。

 かき乱しにくる<幽霊>は、
 当然、
 これを排除する。
 今まで以上に、<馬鹿>と<阿呆>は、ここにいらない。
 もう、つべこべなしの「即刻削除」だから、
 来る時は、たんと覚悟してかかっておいで。

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休息こそが、元気の源

2010年06月06日 13時11分53秒 | Weblog

 愛する人と迎える朝って、
 なんか、こう、
 言葉には言い表せないものがある。

 さっき、目覚め、
 研一郎ちゃんの裸の胸を見たら、
 言葉が出る前に、
 思わず、
 眼をそむけてしまった自分がいた。 

 これは愛情なのだろうか、
 恥じらいなのだろうか、
 それとも、
 ただの嫌悪なのだろうか。


 昨夜は、新政権の組閣内容が報じられ、
 途中途中でT君が電話で教えてくれていたので、
 大まかなところは知っていたが、
 ネットで一覧に反小沢議員の名が網羅されているのを見て、
「まあ、よく、やるものだねえ」
 と、
 感心した。

 これじゃあ、
 全国の小沢ファンが、
「わかっちゃいるけど腹が立つよ」
 と叫びたくな気持ちも理解できるなあ、と思った。


 新人事を見て思ったのは、
 これは反小沢と言うよりは、
 パフォーマンス好きの議員大集合内閣なのだなあ、
 ということだった。

 つまり、
 マスコミ受け狙い内閣なのだな、
 と思った。

 まあ、
 今回、小沢一郎が新内閣に期待した一番は、そこなのだから、
 その意味では、
 菅直人は、小沢一郎の期待通りに頑張っているわけで、
 真の意味での「小沢傀儡内閣」であるわけで、
 それはそれで、とてもよいことだ。

 
 政治家の好き嫌いを言ってはいけないのだが、
 僕は学生時代に、菅直人が市川房枝のところから当選して以来、
 彼を眺めてきたが、
 一ト言で言うなら、
「この男は、いいとこ取りに走る男だなあ」
 という思いを禁じえず、
 あまり好意が持てないで来た。

 後年、
 映画『仁義なき戦い・代理戦争』のビデオを観ていて、
 僕の愛した成田三樹夫扮する松永が、
 室田日出男扮する早川組長のことを、
「わしゃあ、あげえなエエトコ取りするような男は、好かんけんのう」
 というセリフを吐いた時、
 なぜか、
 室田日出男とは似ても似つかぬ菅直人の顔を思い浮かべたのを、
 今でも覚えている。

 まあ、そんなことは、僕の個人的感想であって、
 日本政治の本質とは、何の関係もないことなのだが。


 ただ、
 フッと、
 この新政権によって、
 政界再編が早まるのではないのか、
 と感じた。
 
 石原慎太郎が指摘したように、
 この新内閣は、
 左翼政権の匂いをこれから濃くしてくるだろう。

 僕は、すでに朽ち果てたオールド左翼思想を信奉する人間たちを、
 彼らは55年体制の亡霊たちである、
 と、
 ずっと嫌悪してきたから、
 石原慎太郎の侮蔑の視線も、よくわかる。
 
 一方で、
 自民党が凋落していくことは、
 これも明らかで、
 あの政党はもうどうしようもないのだが、

 シナリオライター小沢一郎が夢みてきたのは、
 二大政党制であったわけだから、
 次の参院選の後、
 そういう動きが加速されるのではないだろうか。


 ただ、僕は、
 小沢一郎に対する検察審査会の、
 2回目の結論が出るまでは何も始まらない。
 何かが始まるとした、そこからだ。
 それまでは、何を語ってもしょうがない。
 と思っているので、

 当分は、
 作文に専念するだけだ。


 休息こそが、元気の源。
 イライラは美貌の敵。

 小沢ファンの皆さんも、
 ここは少し、
 棘だらけになった心を休めてはいかがでしょうか?

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