世川行介放浪日記

日々の雑感。昔話。時事問題への言及。

頭に来るなあ、まったく

2010年06月20日 01時13分14秒 | Weblog

 わけのわからない、
 偉そうな口ぶりの「コメント」が入ってきた。


 僕の日記のどこを読んでいるんだ?

 書き上げたんだよ。
 自信をもって書き上げたんだよ。
 小沢本を出すに決まっているじゃないか。
 何が「敵前逃亡」だ。

 ふざけてんじゃないよ。

 高い家賃の部屋を出る出ないには、
 こっちにはこっちの事情があるんだ。

 お前の知ったことか。


 僕は、包みも隠しもしない。
 全員には語れないから、
 <50人>には、
 原稿を見せ、
 家賃のことも、
 書き終わったらここを出ることも、
 ちゃんと言ってある。

 そんな「名無しの権兵衛」をやりながら、
 知ったような口をたたかないでくれ。


 なんだ、その高慢ちきな言い方は。

 僕が、そんな高慢ちきな言い方を、
 <悪態幽霊>以外の読者に対してしたことがあるか。

 同じことを言うにも、
 もっと違った言い方をするんだよ。

 「我々」なんて、複数で書いているが、
 「我々」とは、誰と誰と誰のことだ。
 言ってみろ。

 人を糾弾するときは、
 複数でやるんじゃないよ。
 お前一人が、名を名乗って言って来い!

 ついでに、
 名を名乗って、
 <50人>に、
 世川の小沢本はどんな出来栄えですか、と聞いてみろ。
 みんな、きちんと教えてくれる。

 人がいい気分で、
 完成直前の感傷に浸っているのに、
 何の因縁をつけてくる気だ。
 無礼者が。 

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さて、そろそろ、旅の仕度だ

2010年06月19日 22時45分18秒 | Weblog

 やっと、「小泉時代と民由合併」の構想がまとまった。
 ここ数日、切り口を考えていたが、
 なかなか決まらず、少し悩んでいた。

 今夜から、一気に、飛ばす。
 月曜日の朝には、<70人>に送るようにしたい。

 それが終われば、
 大方は終了、
 あとは10日ほどかけて、手直しするだけだ。

 今月一杯に、きちんと完成させたい。


 僕としては、
 小沢一郎に関して、もう、これ以上の書きようはない、
 と思っているので、
 Sさんところの会社が書き直しを要求してきたら、
 どんな小さな出版社でもいいから、
 このままで出してくれる出版社をあたろう、
 と考えている。

 自慢をするみたいだが、
 これだけのものを書いたのだ。
 一つくらいは、酔狂な出版社もあるだろう。

 ただ、
 9月の党首選までに出版したいと考えていたが、
 あと二ヶ月じゃあ、
 ちょっと無理だな。


 考えたら、
 小沢一郎に関しての初めての文章である、
 『小沢一郎への想恋歌』という小文を、この日記に書いてから、
 もう、3年近く経つ。

 早いものだ。

 思いもよらず、
 途中からは、
 小沢一郎一色で走ってしまった。

 その間も、
 人は寄ってきちゃあ逃げていき、
 女ヘンは目まぐるしく変わり、
 それに伴って居住地も変わり、
 とても、
 55歳や56歳の男の生活ぶりではなかった。

 結構、大変だったけど、
 僕らしくて、よかった。

 この2〜3ヶ月、
 落ち着いて作文に取り組めて、
 感謝している。


 それも、もう、終わる。

 せめて、墨田の花火が終わるまでは、この町にいたいな、
 と思っていたが、
 なんか、そんな感じでもなさそうなので、
 書き終わったら、
 旅の仕度に取り掛かる。

 衣類の荷が増えたので、
 動くとなると、ちょっと大変だが、
 「女」と「思い」と「ついた垢」は、
 いつも、その土地に捨てていくことにしているので、
 出る時は、また、元の裸一貫だろう。

 
 7月いっぱいくらいは、ここにいられたいいのだが、
 放浪こそが、わが生き様。
 これには、自信をもって生き続けよう。

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「所沢市民」さんの「コメント」に

2010年06月19日 15時25分47秒 | Weblog

 過日、
 「権兵衛」さんの忠告に従って、
 徹底的な絞り込みをやって、
 「ナイショ話通信」や「原稿」の送信先を、50人にまで減らした。

 一つには、
 当時の僕は、とても時間に追われていて、
 意見や批判の返ってこない相手に送るのが、
 時間的に惜しかったことがあった。

 一昨日一緒に飲んだ「苅尾邦彦」さんにさえ、
 返事がないことを理由に、送信をストップして、叱られた。


 もう、大方が片付き、
 時間的な焦燥も少なくなったので、
 数日前から、受信メールの点検をして、
 再度送信すべき相手を確認していた。

 感心したのは、
 大半の人が、
 姓名を名乗り、在住地、年齢、などを明記し、
 自分の何らかの考えを書いている事実だった。

 感心した。
 <ネット幽霊>たちに、爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。


 僕は、だいたい、
 届いたメールを一度読んで、
「ああ、この人は信用できる人だな」
 と思うと、
 そこで、その人の経歴も年齢も失念し、
「この人は、信用していい人」
 それしか記憶に残さない。

 この数日、
 ああ、そうか、この人はこういう人だったな、
 なんてことを思い出して、
 一人一人に対して、また親近感をあらたにした。


 とりあえず、
 また、
 70人に戻すことにした。
 20人ほどに、
 たぶん、今夜のうちに、「書きかけの原稿」を送るので、
 突然届いた方は、
 おお、来たか、
 と、
 読んでやってくださいな。


 僕は、
 「HNと名前だけ」の人には、
 返信も含めて、絶対に、便りを送ることはしないので、
 皆さん。
 それは、怨まないでくださいよ。

 姓名を名乗ること、
 住んでいる大体の地域を書くこと、
 大体想像できるくらいの年齢を匂わせること、
 そして、
 自分の考えを少しは教えること、

 これくらいは、
 ネット世界の交際としては、
 「人としての最低の礼節」だ、と思っているので、
 それがないものは、
 <悪態幽霊>と見なして、拒絶させてもらっている。
 ご了承ください。


 しかし、
 また逆に、
 昨夜、
 「京都の読者」という方が、
 姓名も何も書かず、

   「昨日、気持ちばかりですが購読料を送らせていただきました。
    世川様もどうぞお身体お気をつけくださいませ。
    ご本の出版を楽しみにしています。」 
                    
 という短いメールをくれていた。

 僕は、
 この人が、どこの誰だか、まったく知らないから、
 この人のメールアドレスに送って、
 どんな人の手に渡るか、まったくわからないが、
 この人になら、それでもいい、
 と考え、
 さっき、「書きかけ原稿」を送った。

 57年間、生きてきて、
 人を信じるとは、そういうことだ、
 という気がする。


 一昨日、昨日と、
 「小沢一郎政経フォーラム」関係の馬鹿話ばかり書いていたら、
 メールもコメントも激減して、
 勇ましい「LEE」さんからの反撃もなく、
 やれやれ、馬鹿ばっかり書くもんじゃないな、
 と、自分の頭を掻いていたが、
 今朝起きて、
 昨日のアクセス数を見たら、
 驚いた。

 僕がこの日記を書き始めて、最高のアクセス数と、閲覧数、
 だった。

 いったい、何が面白いんだ?


 僕は、
 この日記の一日のアクセス数が1000を超えることに、
 少し、危惧を抱いていて、
 また、悪態幽霊たちの虫が騒いで、
 何か書きたくなってくるのではないか、
 と、
 対処法を検討中。

 正直な話、
 精々1000以下で止まっていて欲しい。

 

 「所沢市民」さんが、
 二大政党についての意見を求めてきていた。

 僕は、最初にも書いているはずだが、
 別に、小沢一郎の政策全部を支持しているわけではない。
 具体的な政策については、彼とは異なる考えを、いくつか持った人間だ。

 僕が書いているのは、
 小選挙区制と二大政党制に<政治改革の夢>を見た小沢一郎、
 その<夢>の成就のために16年間を悪戦苦闘してきた小沢一郎、
 であって、
 僕自身が、その夢を見たわけではない。

 誤解のないように。

 僕は、
 いちいちの政策については、
 さほど興味は持っていない。
 過渡期においてはいろいろあるさ、
 と思っている。


 ただ、
 二大政党については、
 小沢一郎が言っていることは、よく理解できる。

 これは17年前に描かれたシナリオでしょ。
 彼のシナリオでは、
 小選挙区制が定着すると、
 おのずと二大政党に移行せざるを得なくなるわけで、
 現実、
 そのように16年間動いてきている。


 あなたは、

     「現在のように、振れ幅の大きな政策を出し合っているようでは、
      日本に二大政党制が実現できたとしても、
      国が疲弊するばかりではないでしょうか。」

 と書いていますが、
 しかし、
 現在は過渡期の一時期に過ぎない、
 という認識に立つならば、
 これが二大政党の本質的な欠陥だ、とは断言できないはずです。

 小沢一郎が、提唱しているのは、
 「健全な二大政党」
 であって、
 現在数が多いだけのだらしない自民や民主による二大政党の話、
 をしているわけではないはずだ。
 と、僕は思っています。
 だから、僕たちは、
 次の政界再編が起きるかどうかに関心を示すわけです。

 二大政党制という構想を、
 もっと深く読んでもいいのではないですか?

    「それよりも、参議院の権限を小さくしなければ、政治に山場が多すぎて、
     政策はどうしても大衆がその場その場で喜ぶような政策しか打ち出せない
     ように思います。」

 と書いていますが、
 その意見に理があるとして、
 一体、現実の政治現場で、
 それをどのように実現させたらいいのか、
 あなたには、その具体的な手順が提示できますか?
 利点と欠陥を、国民に納得いくように、きちんと提示できますか?
 そして、その賛同者を結集できますか?

 おそらく、無理でしょう。

 僕は、
 それは、あなたの「夢想」にすぎない、と思う。

 
 政治の改革にはいろいろな改革案があって、
 それはそれで幾つあってもいいわけで、
 小沢一郎は、
 17年前、
 盟友羽田孜と、
 自分たちが自ら責任をもってやれることをまずやろう、
 と考え、
 現在のシナリオを組んだのですよ。

 そして、
 みんな気づいてはいないけど、
 現在の政治は、
 激しい紆余曲折を経ながらも、
 彼らの描いたシナリオで動いてきたわけで、
 その事実を忘れて、
 これだけの地殻変動が自然に生じたかのように勘違いして、
 その過渡的過程の不備欠陥を指して、
 あれは本質的に間違っている、
 もっと他にいい方法がある、
 といった指摘は、いかがなものであろうか、
 と、
 僕は、思います。

 人は、
 <夢>を「夢想」に終わらせないために、
 考え、語り、動き、悩み、
 たまには血も流すのですよ。


 あなたのご希望通りの回答にはならなかったと思いますが、
 ご容赦ください。

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1票を  「小沢一郎政経フォーラム」参加報告書(3)

2010年06月18日 19時34分49秒 | Weblog

 少しまじめに書くと、

 昨日の二見伸明さんの話は、実によかった。

 僕は前日に、電話で、
「二見さん。
 いま、小沢一郎をその最上部で語れるのは、
 日本に、僕とあなたしかいません。
 明日、一つだけ、
 二見さんの口から訴えてほしいことがあります」
「何かね」
「平成の政治家で、
 「生活が一番」という視点を訴えた初めての政治家が小沢一郎であったこと、
 それを、二見さんの口から言っていただきたいです」
「わかった」

 二見さんは、僕より20歳近く年配の人だ。
 それにもかかわらず、
 二見さんは、
 その講演の中で、
 若輩者の僕が要望したことを、
 力を篭めて訴えてくれていた。

 感激した。


 昨日のフォーラムは、
 さながら、「小沢支持者総決起集会」であった。
 その席上で、
 二見さんの、
 核心を突いた小沢論が展開されたことは、
 評価されるべきだ、と思う。

 政情に動じがちな人間は、
 その都度、「目新しい言葉」を欲しがるが、
 本質を見極めた人間の原点は、
 いつも動かない。
 一つのことしか言わない。

 昨日、
 二見さんは、
 自分の小沢擁護論の基本を、
 これまで語り続けてきた原点を、
 噛んでふくむように、聴衆に説いていた。

 この人はいいなあ、
 と思った。


 二見さんと小沢一郎が、控え室で交わしたという短い会話も聞いたが、
 原点を持った二人には、
 今さら、
 格別の変わった話は、
 する必要がないのだ。


 僕は、
 先日も書いたし、
 今度の本にも書いているが、
 一番しんどかった自由党時代の658万票獲得の時、
 総投票者数は5800万人だった。
 つまり、
 投票者の1割強が、
 筋金入りの小沢支持者だった。

 これは、
 1割も、
 という言い方ができると同時に、
 9割近くは反小沢、
 とも言える。

 どちらにしても、
 ここが、小沢一郎評価の基本線である事実を、
 しっかり、腹に叩き込んでおかなければいけない。


 いま、
 小沢支持者たちが、
 こんどの参院選で、どうしたら大勝できるか、
 なんてことを、
 ワイワイガヤガヤ、ネットで騒いでいる。

 僕は、
 こいつらは阿呆だ、
 と思っている。

 選挙を本当に戦ったこともない連中が、
 ネットの上だけで、そんな馬鹿話をいくらしたって、
 誰が今さら心を動かして、
 票を投じるのだ?
 そんな書き込み、本当の選挙には、何も効果もありゃしない。


 僕は特定局長時代、
 100票だけ、自分の票を持っていた。
 どんな選挙でも、僕の頼むとおりに書いてくれる人たちだ。
 大都市であろうと、田舎であろうと、
 それは、
 信頼関係がなかったらできゃしない。
 しかも、
 信頼関係の維持ということは、
 とても大変なことだ。

 ネットで、匿名でしか書けないような人間に、
 誰が、
 その言説を信用して、
 自分の大切な1票を預けてくれるものか。
 自分以外の有権者を軽く見ている、としか思えないその姿勢は、
 人として、おこがましい限りだ。


 僕は、
 僕の主張に耳を傾けてくれることの出来る、
 小沢一郎支持の<未知の読者>に言いたい。

 自分の周辺で、
 自分以外に、
 1票だけ、
 小沢一郎を心から声援してくれる票を取るのだ。
 「生身の人間」の賛同を得る努力をするのだ。

 多くを望む必要はない。
 たった1票でいい。

 そうすれば、
 小沢支持者は、2割を超える。

 いまだかって、
 岩盤のような支持者を2割以上獲得した政治家は、
 いやしない。
 あの熱狂的支持を得た小泉純一郎だって、
 6年過ぎたら、1割にも満たない支持者に転落した。
 それに比較して、
 1割の小沢支持者は、10年以上続いている。
 「持続する支持者」を得ることは大変なことだ。

 ただ、
 それは、
 現在のように、「小沢一郎悪人説」が信じられている現況では、
 至難に近い。

 だからこそ、
 そうした小さな積み重ねが、いま、求められる。
 と僕は思う。


 隣の一人に、
 自分の言説を信頼してもらうことは、
 とっても難しいことだ。

 大きな話はいらない。

 いま、
 小さな努力こそが必要だろう。



 小沢一郎政経フォーラムに参加して、
 500人もの小沢ファンたちを目の当たりにして、
 「少し小沢ファンに優しくありたい」と考えてきた僕は、
 そんなことを、
 思った。

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赤坂の爆竹、新宿の愛情

2010年06月18日 19時13分48秒 | Weblog

 再認識させられた。

 僕は、日記の上では、

「君の文章は論理的じゃない!」
「お前はあっちこっち向いたつまらない奴だ!」
「こいつは馬鹿だ!」
「あいつは阿呆だ!」

 と威勢よく書きまくっているが、

 生活現場では、

「ああ、そうなんですよね」
「いやあ、あなたもおっしゃるとおりです」
「はい、はい。僕も同じ考えです」

 ただのお調子者のお愛想男にすぎなかった。

 反論ゼロの3時間を過ごしてしまった。

 もしも、僕が、
 流行作家にでもなって、
 「日本猛女伝」とか「平成烈女総覧」といった類の本、
 を書く機会があったら、
 きっと、どこかに、
 この日の光景を書くことであろう。


 つくばから、
 神の声が聞こえてきた。
「だから、
 <未知>のままにしておきなさい、って忠告したじゃないですか。
 「未知との遭遇」でいいものに出逢った例は、皆無なのに…、」

 ごめんね、研一郎。
 君の言葉に耳を貸さず、Tシャツでフォーラムに参加した僕が馬鹿だった。

 「四国のK」さんが、
「そこに「うば桜」さんが加わっていたら…、」
 と、書いて寄越していた。
 そうだよ。
 あの人まで来た日には、
 間違いなく、
 地獄、だったな。

 その女性たちが、
 <烈女たちのヨンさま>である小沢一郎さま、二見伸明さまに、
 愛の歌をうたう。
「小沢さんって、本当に素敵!」 
「小沢さんは、本当はハンサムンなのよね」
「二見さんて、すごくダンディ」
「二見さんにもう一度国政に帰ってもらわなくちゃ」

 このような素晴らしい女性陣に熱愛されていることを知ったら、
 小沢一郎さまは、二見伸明さまは、
「フフ、僕は、しあわせだなあ」
 と、自分の鼻でも撫でるのだろうか?

 ……。

 そうだよね、研一郎。
 みんな、考えることは一緒、だよな。
「政治家になんか、ならなきゃよかった…、」
 あっ、
 駄目ですよ、小沢一郎さん。
 いくら、口下手で、正直な発言しかしないのが信条だと言っても、
 そこまで正直に思いを口にしちゃ。


 12年ぶりくらいに、
 「日本人オンナ」と向かい合って口を利いて、
 それは、僕の人生において、記念碑的な数時間であって、
 ……、
 ふむ、
 感想は、控えておこう。
 

 昨日の僕は、とても忙しかった。

 赤坂から新宿区役所に飛び、
 転出届を出し、手続きが終わったら、5時前だった。
 よし、
 これで、いつ放浪生活に戻っても、大丈夫だ。

 
 数日前、
 <未知の読者・苅尾邦彦>さんが、
「世川さん。
 たまには<40歳>さんのお店に行ってあげましょうよ」
 などと、優しいことを言ってくれていて、
 6時半に、会った。

 実は、僕は、
 ちょっと、恥ずかしい話だが、
 前日、丸一日、
 絶食したのであった。

 別に、、貧乏だったからではない。
 最近お腹が出てきて、どうもみっともない。
 昨日は、その姿を人目にさらす。
 腹の出っ張った放浪者じゃ、格好がつかない。
 一日絶食すれば、少しは出っ張りも少なくなうだろう。
 と考えたからだ。

 それなりの効果はあった。
 が、
 おかげで、腹ペコ。
「もうたまらないよ!」
 二人で、ホルモン屋に入った。

 そして8時。
「もう、来てもいいよ」
 の電話を受け、
 「LEE」さまが、ご親切に、「コメント欄」で紹介までしてくれた、
 歌舞伎町の中国クラブ『カリーナ』に向かった。


「えっ、この人?!」

 <40歳>が、もっと美人かと思っていた苅尾さんは、
 ちょっと衝撃を受け、
 急に黙り込んだ。

「おとなしい人なのね」
 <40歳>が心配そうに言う。

 ば〜か。
 お前のせいだ。


 昨夜、
 その店は、
 女たちが、盆と正月が一緒に来たみたい、と言うくらい、
 満員御礼、の状態だった。
 テーブルどころか、カウンターも満席で、
 来る客来る客を断わっていた。 
「あんた。気をつかって帰らなくてもいいからね。
 威張って座っていて」
 <40歳>に釘をさされ、
 僕たちは、11時15分まで、飲んだ。

 いつも、貧乏な僕相手だったのに、
 今日は、普通の料金をとってもいいと知った<40歳>は、
 上機嫌で、
「この子にもビールいい?」
「私もビール飲んでいい?」
 と、
 僕ではなく、
 苅尾さんに、甘えきっていた。

 しかし、
 苅尾さんの隣には若い女をつかせるのに、
 僕の隣には、自分と年増しか置かない。
「それは、もう、昼間ゲップが出るほど堪能したから…、」
 と言おうとしたが、
 気の弱い僕は、言えなかった。
 丸一日……か、と思うと、
 少し哀しかった。

 もう、すっかり女房気取りで、
「あんた。
 何かうたって」
 と命令するばかりか、
「あの歌。いつものあれ」
 なんて調子で、
「この人の歌、聴いたことない?
 この人ネ、うまいのよ」
 苅尾さんに亭主自慢までする始末。

 こんな日に、自分のお客がいて、よっぽど嬉しいんだなあ、
 女の気持ちがよくわかり、
 声をかけてくれた苅尾さんに、感謝した。

   流れたくない 流れたい
   愛したくない 愛していたい
   何を信じて生きてく女
   春はいつ来る  渋谷 新宿 池袋

 <40歳>の要望に応えて、
 僕のテーマソングである、
 『盛り場ブルース』という山手線ソングをうたい終わると、
 女は、無言で、何度も、満足そうに、首を縦に振っていた。


 帰り、
 女はエレベーターにまで乗り込んで、見送りに来た。
 女が手を伸ばして一階のボタンを押すと、
 目の前に、
 双つの豊かな胸があった。
 手を伸ばしたら、
 不思議だ。
 すっぽりと、僕のてのひらに入る。
「今日のブラジャーは柔らかくていいな」
 そう褒めると、
「ばか…、」
 僕を見ずに、
 苅尾さんの顔を盗み見て、照れていた。


 と、まあ、
 あわただしく、しかも、刺激的な一日が過ぎ、
 部屋に着いたら、零時半。

 <キスママ>が、電話をくれて、
「ご苦労様。
 今日は疲れたでしょう。
 ゆっくり寝てくださいね。
 明日会いましょう」

 ふ〜む。

 自立した強い女と、
 自立していないけど優しい女、
 男にとって、どっちがいい女なんだろう、
 てなことを考えながら、
 酔っ払いの僕は、
 すぐに眠りに入りましたとさ。

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「小沢一郎政経フォーラム」参加報告書(2)

2010年06月18日 12時25分09秒 | Weblog

 昨夜は、よく眠ったので、
 「小沢一郎政経フォーラム」に出かけた昨日を、
 もう少し、報告する。
 

 小沢一郎は、非常にゆとりを感じさせる挨拶をして、
 会場を沸かせていた。
「みなさんが、静かにしろとおっしゃるので、
 静かにいたします。
 これからの参院選の応援は、
 川の上、小さな村、大都市の裏町に行って、
 静かに参院選の応援をするつもりでおります。
 静かにね」
 と、
 皮肉たっぷり。
 会場は爆笑。

 小沢一郎のあいさつには、
 前回のフォーラムの際の発言でもそうだったが、
 今の民主党議員たちが「政権を知らない」ことに対する不安と、
 「自分だけがそれを熟知している男だ」という自負が、
 充満していた。

 二見さんが、
「控え室で話していたのと同じだな。
 政権を知らない議員が多すぎるってこぼしていた。
 これから全国行脚をやるよって言っていた。
 自分しかやれないって自信にあふれているよ」


 僕と二見さんは、
 小沢一郎が各テーブルをあいさつ回りするのを、
 待っていた。

 ところが、
 小沢ファンという人たちも、
 これもまた、自分のことしか考えない「精神の田舎者」ばかりで、
 小沢一郎とのツーショット撮影希望者が、
 長蛇の列になって、全然切れない。

 小沢一郎は、笑顔を作ってカメラに向かうばかりで、
 出席者との団欒ができない。
(まあ、田舎から出てきて、
 帰った自慢話にそれを望む気持ちもよくわかるが、
 少しは、他の人たちの気持ちも考えてはどうかい?)
 前回もそう思ったが、今回もそう思った。

 でも、
 仕方ないか。


 二見さんを囲んでおしゃべりをしている僕たちは、
 40年ぶりの中学校の同窓会で、恩師を囲んで団欒している男女、
 のようであった。
 40年経つと、みんな老けるのだ。

 名演説を終えた二見先生のところにも、
 つぎつぎと人が訪れ、
「用意してきた名刺が、あっという間になくなったよ」
 二見先生は、嬉しい悲鳴をあげていた。

「世川さん。
 この方が、あんたを訪ねて来られたよ」
 二見さんが、そう言って、見知らぬ婦人を紹介してくれた。
「世川さん?」
「はい、そうですが…、」
「いつも、日記を読ませていただいています」
「それはありがとうございます」

 その婦人は、バッグから、名刺でも探しているのだろうか?
 ごそごそしていたが、
 白い紙包みを探すと
「これ、日記の購読料です」
「あの〜、お名前は」
「いいの」
 それだけ言うと、去っていった。
 その後姿を見つめながら、
 ありがたいなあ、と思った。


 突然、
「小沢先生はお時間が来ましたので、お帰りになります」
 というマイクの声がした。
 それでもまだ、撮影希望者の列は続いている。
「二見さん。
 どうしましょう?」
「帰る前に紹介するよ」
 二人で歩き始めたら、
「駄目だ。
 もうSPが周りを囲んだよ」
 二見さんが言った。
 それでも二人で近づこうとしたが、
 この写真マニアたちは、どうしようもない連中ばかりで、
 人を寄せ付けない。

「あきらめますか」
 と、立ち止まったら、
 目の前に、一度会ったことのある小沢一郎の秘書氏が見えた。
 仕方ない、こちらに頼もう。

「あの〜、
 僕は世川行介と申す者ですけど」
「ああ、世川行介さまですね。
 いつもお世話になっております」
 お世話なんぞをした覚えは、ただの一度もないが、
 覚えてくれていたなら、それは好都合だ。
 事情を話して、
「書き終わったら、原稿をお送りしますので、
 小沢先生が、それを読んで、内容を諾と判断なさったら、
 本の巻末に掲載したいので、
 対談かインタビューをお願いしていただけないか」
 そう頼んだ。
 二見さんが、
「XXさん。頼むよ」
 と、声をかけてくれた。

 何しろ、今日の講師先生の口ぞえだ。
「わかりました。
 必ず、小沢に伝えておきます」
 という答えで、
 一番の要件は、何とかクリア。
 僕はひと安心。


「折角会えたのだから、お茶でも飲みましょうよ」
 というお言葉に従って、
 LEEさん、宮口久美子さん、「Y家の母妻」さんと、
 二階のラウンジに入った。

 宮口さんが、
「世川さん。
 韓国の女の人より、日本人の女のほうがいいでしょ?」
 と聞いてきた。
 僕の彼女は、みんな、まだ40代で、
 国籍の問題ではないけどな、
 と思ったが、
 それを口にすることは、
 東京にミサイルを撃ち込むみたいなものだから、
 よしておいた。

 それから、2時間、
 無口(!)な淑女陣を前に、世川君は、おしゃべりをした。
 そのテーブルは、すさまじい熱気で、
 さしもの世川も、馬抜けの但馬の繰り返しであった。

 一番無口な宮口さんが、
「女ヘンなんて、
 あんた、何を書いているのよって感じで、流し読み」

 あっ、そうだったの。
 可哀相な<40歳>。


 僕はタバコを吸っていたのだが、
 僕のライターが、ふとした弾みに、LEEさんの手に渡った。
 もし、LEEさんが、
 世川の<40歳>ってどんな女だろう、
 なんて考えて、店を覗きでもしたら、
「やべ〜」
 の世界だが、
 僕は気の弱い男だから、
「あのー、LEEさん。それは僕のライター」
 なんて、うかつなことは言えない。
 僕は、だまって、そのライターの行方を目で追い続けた。
 が、
 再び僕の元には戻ってこなかった。

 しかも、
 そればかりか、
 懸念したとおり、
 「コメント欄」の一番最初に書かれてしまったよ。
 トホホ。


 いま、
 T君から、
 浅草到着!
 の知らせがあった。
 続きは、また後で。

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「小沢一郎政経フォーラム」参加報告書(1)

2010年06月18日 01時46分50秒 | Weblog

 一度には書けないので、
 分けて書く。

 それくらいに、
 圧倒された数時間だった。


 やはり、僕は、放浪の児である。
 誰に何と言われようとも、
 やはり、Tシャツだ。
 それ以外の衣装は、僕ではない。

 僕は、
 Tシャツを着て、部屋を出た。


 10時に赤坂に着いて、
 二見さんに電話した。
「いま、何処ですか?」
「赤坂の某所」
「何してるんですか?」
「講演を前にして、心を落ち着けている」
「もうそんなことしたって、無駄でしょう。
 ホテルまで来て、お茶しましょうよ」
「いや〜だね」

 二見さんは、
 とても冷たい人だった。


 で、 
 11時まで、
 近くの喫茶店で、
 独りで時間つぶしをした。

 世川君にも、恥らう気持ちはあって、
 あまり、自分の姿を人目にさらしたくなかったので、
 11時ギリギリに、顔を伏せて会場に入り、
 奥の方に少し空席があったので、
 講師先生二見伸明さまのご尊顔の見えやすい場所に、席を取った。 


 始まった。

 講師二見伸明先生は、
 いささか緊張していて、
 お得意の江戸弁もお忘れになって、
 実に丁重な言葉遣いで話し始めた。

 開演数分後に、
 時間厳守を守れない無礼な女性が二人、
「すみません」
 と、
 僕の左隣の空席に座った。

 なんて、失敬な女たちであろう、
 と舌打ちしながら、

「チェッ、
 見破られたよ」

 僕はもう一つ、舌打ちをした。

 これまで顔を知らないが、
 でも、何故か、
 その二人が、
 「LEE」さんと「Y家の母妻」さんに間違いないことが、
 僕には、すぐにわかった。

「やべー、やべー」

 僕は、
 隣の女性二人に、まったく無関心を装って、
 たまに、居眠りをしているふりなんぞをしながら過ごし、
 二見さんの講演が終わるなり、
 走って逃げた。

 まずは、無事通過。


 パーティー会場に行ったら、
 ここにも一人、内気な人がいて、
 乾杯の音頭をとった後、
 小沢一郎とのツーショット希望者行列の蔭に隠れている。

「こんなところで、何しているんですか?」
「いや。
 別に…、」
「シャイな二見さま。
 向こうでお酒でも飲みましょう」
 と、
 腕を引っ張って、
 明るいライトの下に行った。

 ビールを飲みながら、
「二見さん。
 途中でいっとき、勇ましさがなくなりましたね。
 二見さんでも緊張するんだ」
 とからかうと、
「そんなことはない!」
 二見講師さまは、口を尖らせた。


 そのうちに、
「あの〜。
 二見さんですよね」
 熟女が二人、
 二見さんに声をかけてきた。

 あら、
 どこかでお見受けしたそのお顔。

 はい。
 いさぎよい僕は、ここで観念いたしました。


 思ったとおりの人たちであった。

 二見さんに、
「この人が、
 長年二見さんに恋い焦がれてきた「家の母妻」さんです」
 と、紹介すると、
 助平なおじいさんは、
「ああ、あなたが!」
 と、
 眼を輝かせた。
「そして、お隣は、「LEE」さんです」
「おお、あなたが!」
 目尻を垂らした。

 3人で記念撮影までなさって、
 おめでたいことであった。


 と、
 そこに、
 また一人、

「私、宮口久美子よ」


 「世川行介放浪日記・烈女3人組」が勢ぞろいなさって、

 駄目ですよ、二見さん。
 「ぎょ!」なんて叫んだりしちゃ。


 二見伸明さまは、
 感動と恐怖のあまり、
 顔をそむけ、
 ただ偶然目の前にいただけの人と、突然の会話を始め、
 世川君は、
「しまった。
 逃げ遅れた…、」
 と、唇を噛みながら、
 凍った笑顔を3人に向けましたとさ。


 案の定、
 3人とも、淑女で、
 きわめて無口な方ばかり。
 折角の初対面なのに、
 つい、会話が途切れがちになり、
 し〜ん。
 し〜ん。

 これはいかん。
 これではいかん。

 サービス精神旺盛な世川君は、
 何とか話題を作り、
 3人の口を軽くしようと、一人でしゃべり続け、
 とうとう、
 ほとんど料理を食べずに過ごしましたとさ。

 どうも、無口な女ってのは、苦手だなあ。
 少しくらい、何かしゃべってよ。

 心の中で、
 世川君は、3人にそう訴えたのだけど、
 声は届かなかったみたいでした、
 ネ、二見さん。



 フフフ。
 この続きは、また明日。

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遠足

2010年06月17日 08時56分06秒 | Weblog

 とてもおりこうさんの僕で、
 予定通り、8時半に眼が覚めた。

 まあ、1時間半もあれば、遅刻することもないだろう。

 外は、まあまあの日和。

(「Y家の母妻」さんは、もう電車に乗っているのだろうか?)
(ご老公は、まちがいなく、いま電車の中だな)
 なんてことを考えながら、
 空を仰いだ。

 待ちに待ってた遠足だ。
 ってとこかな。

 行ってくる。

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あっ、寝過ごした

2010年06月17日 02時26分33秒 | Weblog

 最近「コメント」が増えてきて、
 ついこの間、200を超えたと思っていたら、
 あっという間に、400に接近していて、
 先日から、
「400人目のコメント主は誰かなあ」
 と、
 密かに楽しみにして眺めていた。


 今日、
 めでたく、400人を突破した。

 で、
 誰だったかというと、

 「ひろ」さんだった。

 本当は、
 400人目の記念に何かプレゼントしなくてはいけないのだが、
 何もなくて、
 ごめんね。

 まあ、僕の真心で我慢しておくれ。


 私的メールの受信箱が、
 いま、1964通で、
 この2000人目も、
 僕は楽しみにしている。

 さらには、
 送信済みメールは3687で、
 この4000人目も、ちょっと楽しみ。

 まあ、
 これくらいが、
 毎日パソコンに向かい合っている僕の、ささやかな楽しみだ。
 

 昼下がりに寝て、夜中に目覚め、
 コンビニに行って、ゴミ袋を買い求め、
 さっきまで、ゴミ出しをしていた。
 冷凍食品生活なので、
 すぐにゴミがたまる。

 そして、
 深夜1時から、
 コインランドリーで、
 明日穿いていくズボンを洗濯したところ。


 「未知の読者の何番目か」さんが、
「いくらなんでも、Tシャツってのはないでしょ。
 気の利いたYシャツは持っていないの?」
 と書いてきたので、
 クリーニングをしておいたYシャツを睨みながら、
 目下、
 どちらにしようか思案中。

 まあ、
 誰もわかってくれないだろうが、
 僕は、やっぱり、放浪ルックが一番気に入っていて、
 これこそが、10余年の僕であり、
 それ以外の僕はなかったわけだから、
 今さら、人並みの格好なんぞ…。

 だけども、
 花のお江戸の赤坂の全日空ホテルの宴会場で、
 そんな姿では悪いかなあ、
 などと考えると、
「ああ、集団社会って、
 ホント、七面倒くさいなあ。
 <野垂れ死をも許される自由>は、
 いったい、どこに行ったんだ」
 と、
 思わずぼやいてしまう。

 
 それにしても、

 朝昼逆さの不規則生活に慣れきった僕は、
 明日、
 きちんと、朝に起きれるのだろうか?

 なんか、
 そっちの方が心配だな。

 これで、
 明日の夕方、
「寝過ごしてフォーラムには行けませんでした」
 なんて書いたら、

 「悪態コメント」よりもすごい「コメント」が、
 津波のように押し寄せて来るのだろうな。

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雨の歌舞伎町

2010年06月16日 13時17分56秒 | Weblog

 初めての<未知の読者>女史からメールがあって、

「老眼で、黒字に白は、眼が疲れてたまらない」

 と書かれていたので、
 個人的には、結構、「夜空の花火」も気に入っていたが、
 人様の健康が、一番なので、
 変えることにした。

 「K・Y」さん。
 これなら大丈夫ですかね?
 まだしんどかったら、メールください。


 「ひろ」さんという人が、
 謙虚な「コメント」をくれていて、
 人柄の良さがこちらにも伝わって、
 とてもいい朝の始まりだった。
 余計な解説を書くと、
 あれは、「百里を行く者は九十(里)を半ばとす」
 と読ませるのではないのかな?


 さっき、
 明日の「小沢一郎政経フォーラム」の講師先生である二見伸明さま、
 とお話をした。
 ザ・ジャーナルに掲載の文章を送ってくれていたので、
 その御礼と、明日の話になった。
 
 何度か「コメント」で名を記憶している「Y家の母妻」さんが来ると知って、
 彼女を感激させる名講演にしたいと、
 はりきっておられた。

 僕から見たら「年輩女性」でも、
 二見さまから見たら、「うら若い淑女」であった。
 事象は、見る角度によって評価が変わるものだ。
 なんてね。
 
 ぼくは、明日、
 勇気をもって、
 Tシャツで出席することにした。
 二見さんが小沢一郎に紹介してくれるというが、
 Tシャツ姿の57歳を見たら、
 小沢一郎、
 顔をしかめるのではなかろうかい?

「ヨレヨレのお前なんかに、自分のことを書かれたくないよ。
 原稿をみんな、焼却処分にしてくれ!」
 なんて言われた、どうしましょう。



 昨日、夕方、
 <40歳>から電話があった。
「仕事、忙しい?」
「ああ、まともに眠っていない。疲れた。
 お前は?」
「もう、二日も店に行っていないの」
「どうしたんだ」
「歌舞伎町、不景気でね、
 お客が誰も来なくなった。
 電話しても、誰も来てくれないのよ。
 お客もいないのに店に出るのが悪くて、店に行けないの」
「そうか…、」

「あんた。
 今夜新宿に出て来れない?」
「行ってやりたいけど、今日、僕は、お金がないよ」
「お金なんかいいから、
 店に来て、私の隣に座っていてよ。
 もう、私、つらくてたまらない」
「そうか…、」

「だけど、
 今日、僕は、本当にお金がないぞ。
 3000円とか4000円の世界だ」
「お金は、いいから、来るだけ来てよ」
「わかった」

 僕は、
 7時半にもなってから、浅草を出た。
 雨が降っていた。
 身体中が、疲労感で、歩くのも億劫だった。
 やれやれ、こんな雨の中を新宿行きか…、
 少しため息が出た。

「ありがとうね」
 女が言った。
「いや、いい」
「さっき、店に入ったら、
 みんなが、お久しぶり、って言うんだよ。
 嫌になっちゃう」
 いつも陽気なこの女には珍しく、ぼやきが出ていた。

「僕は、昔、
 お前に何度も命を助けてもらった。
 お前にどんな恩返しでもしたい。
 だけど、お金だけは、今の僕には無理だ。
 頻繁に来てやることはできない。
 すまないなあ」
 僕は、心から、詫びた。
「いいのよ。
 あんたが今夜来てくれただけで、私、感謝しているから」
「すまないな」
 僕はもう一度、詫びた。

 歌をうたう元気もなく、
 2時間ほど、
 ぼそりぼそりと話しながら、過ごした。

 10時を過ぎた。
「僕は、仕事が残っているから、帰るぞ」
 ポケットの中の4枚の千円札を、女に渡した。
「本当に、これだけしかない」
「あんた、大丈夫なの?
 電車代は?」
「SUICAがあるから、帰るのにお金はいらない」
 僕は立ち上がった。

 エレベーターの前に立った時、女が言った。
「あんた」
「うん?」
「今日は本当にありがとうね」
「お金がある時ならよかったけどな、
 ただ酒を飲みに来たみたいで悪かったな」
「私ね、
 あんたとの電話を切った後、
 涙が出たよ」
「うん…、」
「ありがとうね」
 すぐにエレベータが来た。


 貧乏は、いけねえな。
 早く、小沢本でも売れて、
 お金持ちになりたいもんだ。

 雨の区役所通りを歩き、
 ポケットの、何一つ買えない額の小銭を確かめながら、
 そんなことを、
 少し、真剣に、思った。

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