世川行介放浪日記

日々の雑感。昔話。時事問題への言及。

インデックス(2009_12_06作成)

2020年06月21日 22時40分18秒 | Weblog
「百人町暮色」(全18回)を順番に読む→
「小沢一郎私論」(7/13〜10/16,2009)を順番に読む→
「小沢一郎私論 外伝 水沢紀行」(8/22〜9/08,2009)を順番に読む→




       お知らせ


   講読料送金先口座の変更

     記号   10570
     番号   76388131
     名義   イノウエカズヒロ

   他銀行から送金する場合は、

   
     店 名     058
     口座番号   7638813

   となるそうです。


   それから、
   僕の私的メールアドレスは、以下の通りです。
   「コメント欄」には書けないが、ひとこと言いたい、
   という人は、
   こちらに送信して下さい。

       segawakousuke@yahoo.co.jp


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味方百人敵百人

2010年06月22日 04時29分59秒 | Weblog

 もう、連日、
 裁判だとか、内容証明だとか、
 中身を知らない連中が、言葉だけをもてあそんで、
 何か脅しになったような気分ではしゃいでいるのを見ると、
 馬鹿馬鹿しいのを通り越して、ウンザリし、
 あと20枚が、なかなか先に進まず、

 その上、
 1時間に1回くらいは、「悪態コメント」削除作業をやらせられ、
 も〜、お前ら、いい加減にしろよな、
 と、怒鳴ってやりたくなっていた。

 そんな憂鬱な時間が、いたずらに過ぎ、
 深夜3時ごろ、「コメント欄」を見たら、
 見知らぬ名前の長文が入っていて、
「また、悪態コメントかよ。勘弁してくれよ」
 と、
 読み始めたら、

 これが、もう、
 笑って、笑って、笑いが止まらなくなった。

 僕が、明日でも書こう、と思っていたことを、
 余すとこなく、
 しかも、ユーモアたっぷりに、
 書いてくれていた。

 大笑いしたら、
 すっかり、元気が出てきて、
 しかも、最後に、
 負けるな、
 と書かれていて、
 よーし、今夜は徹夜で書くぞ、
 と、雄叫びをあげた。

 ありがとう。「駆け付け三杯 こと とも」さん。
 感謝してやまない。
 どんなドリンク剤よりも、効いた。

 続けて、「東京新聞の一読者」さんからも「コメント」があって、
 深夜だというのに、ありがたいなあ、
 と感謝しながら、
 あることを思い出した。


 どこの家にもあるのだろうが、
 今は解散した僕の家にも、
 家訓、
 というものがあって、
 長男の僕は、
 いい加減な歳から、すっぱく言われ続けた。

「お前が、有頂天になって、
 この世に敵はいない、
 とうぬぼれた時には、
 どこかの蔭に、たくさんの敵が、息を潜めてお前を睨んでいる。
 だが、
 お前がまわり中からやられて、
 もう自分は独りぼっちだと落胆した時には、
 お前の敵と同じ数だけ、
 どこかの蔭で、お前を応援している人間がいる。
 世の中、
 味方百人、敵百人。
 おごらず、くじけず、だ。
 これが、この家の家訓だ。忘れるな」


 僕は、10数年前に、集団社会から身を引いて、
 単独者の道を歩き始めたから、
 戦う相手は「貧乏」だけで、
 そんな家訓を思い出す必要もなかった。

 さっき、
 二人の「コメント」に、
 10数年ぶりにその言葉を思い出し、

「そうか、
 味方百人敵百人、か」

 ベッドに寝ッ転がりながら、
 小さくつぶやいていると、
 また一つ、思い当たることがあった。
「そうか、
 2000年の小沢自由党の658万票も、
 味方百人敵百人だったんだな」

 なんか、すごい大発見をしたような気になった。


 そして、あれこれ思いにひたりながら、
「僕は、別れたたった一人の息子に、
 この家訓を伝えたのだったかな?」
 と考えた。

 話したような、話していないような、
 不確かものしか、なかった。

 そうだな。
 いつか、あいつともう一度会う時があったら、
 父親らしく、
 これがうちの家訓だ。
 味方百人敵百人。
 驕らず挫けずだぞ。
 そう言って教えてやろう。

 そんな夢みたいな光景を、
 ちょっとだけ想像したら、
 息子が恋しくなった。

 そんな日があると、
 本当に、いいだろうな。

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戦国倭人伝(3)

2010年06月22日 01時15分35秒 | 【小説】戦国倭人伝


               前章 三   
      ――天正九(1581)年春、呂宋(ルソン)――



 身を焦がすような赤い太陽が、頭上にある。
 大賑わいの大通りを、暑苦しい洋装の南蛮人や半裸の現地民の群れに混じって、明らかに日本のものとわかる衣服をまとった数人が歩いている。
 若い。みな、二十代半ばの青年たちだ。
「ねえ、噂には聞いていたけど、こうやって毎日来ていると、本当だということがよくわかるね。澳門(マニラ)よりもこちらの方がずっと賑やかだ」
 少しつり上った眼と小骨の張った両頬を持つ女が、並んで歩く青年を見上げて、男のような口調で話しかけた。
「ああ、今は呂宋(ルソン)が南海交易の中心地になっているようだな。ポルトガルよりもイスパニアの国力が強くなっている証拠だ」
 涼しげな眼をした長身の青年が答えた。
「では、若、わしが、」
 連れの男がそう言い残すと、立ち並ぶ露店の一つに向かった。
「頼むぞ、六造」
 若と呼ばれた青年は立ち止まり、六造のすることを眺めた。
 六造は露店を覗き込むと、売り子に身振りを交えて語りかけながら、一つ一つ商品を指差し、その値段を聞き、それを丹念に帳面に書き記し始めた。
「長旅もここが最後だから、おじじさまに何ぞ土産でも買おうか」
 珍しい果物を指差して女が言う。
「止めておくがいい。いつも苦虫を噛み潰したような顔をしているおじじのことだ、土産など持ち帰っても喜ばぬ。なあ、与五」
 男は笑った。
「はあ、どう答えればいいのやら、……」
 与五と呼ばれたもう一人の連れが、答えに困った顔で頭を掻いてみせた。
 南海の群島の一つであるルソン島をイスパニア艦隊が占領したのは、わずか十一年前、元亀元(1570)年のことだった。織田信長が、浅井長政・朝倉義景連合軍との間で姉川の戦いをやる一方、長島一向宗の勃発に苦戦していた年だ。
 イスパニア軍は武力でルソン群島を属国とすると、イスパニアの王子の名を取ってフィリピンと命名した。そして、マニラを東洋貿易の中心地と定め、ここを拠点に活発な対明交易を展開した。
 イスパニア商人は、植民地であるメキシコのアカプルコ銀山やペルーのポトシ銀山から採れる銀を、大量にマニラに運んで、明の品々と交換した。その影響で、明では、それまでの銅銭に代わって銀貨が広く流通し始め、税の銀納制度が敷かれるようにまでなる。
「ねえ、あれは日本人じゃないのかい?」
 女が、粗末な木造りの露店が並ぶ路地にできたわずかばかりの蔭を指差した。
「ほう、」
 若と呼ばれた青年が、女の指差す方を見た。
 たしかに、上半身は裸、腰には汚れた布を巻いただけの貧しい身なりをした一人の青年が、蒼ざめた顔で横たわっている。
「行き倒れかなあ、」
 そう呟いて駆けようとする女に、
「止めておけ、正姫(ちょんひ)」
 男が制止した。
「どうせ銭儲けをたくらんで海を渡ってきた強欲者だろう。そんな平(ひら)の者になど構うな」
「そうだね」
 正姫と呼ばれた女は、素直にうなずくと、行き倒れから目を逸らした。

 彼らの声は、行き倒れの青年の耳にも届いていた。
「腹が減った……。
 何でもいい、食い物をくれ……、」
 彼は、言葉にならない声でそう呟いていたが、その声はあまりにもか細過ぎて、若なる男に率いられた一団には、届かなかった。
「俺を放って往かないでくれよ」
 彼は惨めったらしい声でそう呟いたが、その声も、もちろん届かない。
 青年は餓えていた。
 今日でもう丸三日間、満足な食事をとっていない。咽喉に猛烈な渇きがあったが、水が貴重品である灼熱のこの町では、水一杯を恵んでもらうにも、乞食のように何十度も頭を下げ、無数の罵声と憐憫の視線を受けなければならない。その気力さえも、青年は失っていた。
(疲れた。
 本当に、もう、疲れた―――)
 馬のように長い顔をしたその青年は、心の内で投げやり気味に呟きながら、この半年間を振り返った。
 主人の言いつけで、身の丈にも余る夢を抱えて遠い祖国から船に乗り、マニラの町に着いたところまではよかった。金銀もかなり持っていて、異国の商船で賑わうこの港町で重宝な品々をあれこれと手に入れた。
 祖国でも、若いくせしてなかなか目利きの才のある男だと言われてきたから、買い求めた品物には自信があった。堺に戻って商えば、三倍五倍にはなる。いや、ひょっとしたら売り方次第では十倍にもなるかもしれない。どっちにしても間違いなく大儲けできるはずだった。
 ところがある夜、どこで噂を聞きつけたのか、顔を薄い布で隠した十数人のならず者が宿を襲ってきた。
 陽に焼けた褐色の肉体に腰布を巻いただけ、胸から腹のあたりは毛むくじゃらな男たちだった。
 彼らは、意味のわからぬ異国語で何やら喚き散らし、青年を乱暴に殴りつけ、縛り上げ、買い付けた荷も残っていた金銀も、すべて残らず略奪して去った。
 異国の人間はよそ者に無慈悲だ。その翌日には宿からも追い出され、残ったのは、それほど頑強ではない肉体一つだけとなった。
 仕方なく、港の人夫働きに出た。
 しかし、慣れない炎天下での人夫働きで、あっという間に体調を崩した。
 暑気あたり、などといった生やさしいものではなかった。激しい目眩と下痢が続き、高熱が出、やがて、歩くことさえままならなくなった。
 そんなことは、一攫千金を夢見た男たちが群がるこの町では、ごくありふれた光景に違いない。青年が蒼ざめた顔で横たわっている三日間、路地を行きかう人々は誰一人青年に視線を向けようとはしなかった。

「若。調べ終えましたぞ」
 六造が戻ってきて、若と呼ばれる青年に帳面を差し出した。
 青年は渡された帳面にすばやく目を通すと、
「よし、これなら光秀の殿も満足するだろう。
 念のために明日もう一度調べて、終わったら日本に帰るぞ」
 そう言った。
 一同の顔がほころんだ。
「やっと帰れるんだね」
 正姫が、うれしそうに言った。
「好いた男の顔が見れるな」
 青年が少し目尻をたらし、兄のような笑みでからかった。
「馬鹿を言わないでよ。私にそんな男なんかいるわけないじゃないか」
 正姫が少し顔を赤らめて。否定した
「船に戻るぞ」
 若と呼ばれる青年に率いられた日本人の一団は、大通りから去っていった。

 青年は、相変わらず、青空を虚ろに眺めている。
(あと二日もすれば、この場所で、間違いなく俺は餓えて死ぬだろうな。
 俺が戻らねば、旦那さまはさぞかしがっかりすることであろう)
と思った。
 彼に渡海の銭を提供してくれた主人の顔、が浮かんだ。
 ここで朽ち果てるのかと思うと、やりきれなくもあったが、それ以上に、
(だが、もうどうでもいい……)
 投げやりな気になっていた。
 あとほんのちょっと投げやりな気になったら、身体ごと地の底に引きづられていきそうな、そんな予感がする。
 近くで人の大声がした。
 青年は何気なくその方向を見た。
 金色の髪をした三人の男が、しゃべりながら通り過ぎるところだった。
 おそろしく背の高い男たちだ。髪の毛は縮れ、鼻は天狗の面のように高い。
(どこの国の人間だ。
 イスパニアか?
 ポルトガルか?)
この賑やかな港町には、様々な国の人間が集まっている。青年には、その男たちが南蛮人であることだけはわかったが、南蛮人などどこの国の人間も同じに見えるから、彼らの国名までは、皆目見当がつかない。
 通り過ぎかけた男たちの一人が、青年を認めると立ち止まって、他の二人に声をかけ、青年を指差した。
 笑い声が起こった。
 この三人はこんな光景には慣れていなかったのだろうか、一人がもの珍しそうに青年に近づいた。
「from CHINA?」
 深い緑の眼をした男は、腰をかがめて青年の顔を覗き込みながら、訊いた。
 しかし、異国の言葉を知らぬ青年は、何を言われているのか理解することができない。
(食い物を施す気がないなら、とっとと向こうに往け)
心の中でそう毒づきながら、彼はただ、気だるそうな眼で、青い空を見上げ続けた。
 青空に、祖国の賑やかな港町の光景が甦ってきた。
(あの町に、たくさんの品を持って帰るはずだった……)
 成功者になろうとしてなれなかった口惜しさが、心をよぎった。
 夏祭りの力強い太鼓の響き、港の長い残橋いっぱいに繋留している商船の群れ、陽春の大通りを着飾って歩く娘たち―――、
 青空に次々と浮かんでくる何もかもが恋しく、懐かしかった。
 また、猛烈な飢餓感が襲ってきた。
 青年は、異国の男たちに視線を移し、この町に来てから覚えた一つの異国語を、餓えて乾いた唇から発した。
「ZIPANG……、
 ZIPANG……」
 金髪の男が顔色を変えた。
「What?
 ZIPANG?
 ……Oh、you say,ZIPANG?!」
 その声に、残りの二人も、顔を見合すと、あわてて腰をかがめた。
 青年の身体が揺すぶられ、耳元で声がした。
「From ZIPANG……?」
 先刻までの小馬鹿にした表情が消え、三人は、真剣な眼差しで青年を見つめていた。
 しかし、男たちの驚きの様子を、まるで彼方の景色のように遠く眺め、もう一度、
「ZIPANG……」
 小さく呟くと、青年は意識を失った。

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戦国倭人伝(2)

2010年06月22日 00時31分18秒 | 【小説】戦国倭人伝
           前 章 二  
       ――元亀二(1571)年、夏――



 蝉が鳴き狂っている。
「誰ぞ、あの長袖(僧兵)どもを黙らせるよい知恵はないか。
 あれば遠慮なく申せ。耳を貸す」
 岐阜城主織田信長は、ことさら焦った様子も見せず、普段と変わらぬ口調でそう言うと、一同を見渡した。
 この日、反織田勢力に強く肩入れする比叡山延暦寺の僧兵たちをどうしたらよいか意見が聞きたいとの信長の意向で、織田家の主だった武将が岐阜城に呼び集められていた。
 大広間には、家老の林通勝、尾張軍団の雄である佐久間盛信を筆頭に、柴田勝家、池田恒興、丹羽長秀、木下藤吉郎といった中堅の将が並び、末席あたりには、新参の明智十兵衛光秀の姿もあった。
「はっ」
 一同が面を伏せた。
 駿河の雄今川義元を桶狭間で打ち破ってからの信長は、美濃を平定し、足利十五代将軍義昭の後見人として上洛すると、畿内平定にまい進していたが、その道程は決して順風満帆というわけではなかった。むしろ、古い権威を守ろうとする者たちの死に物狂いの抵抗にあって、随分と難儀な目に遭っていた。
「長袖どもだけではない。あの戯け公方も一泡吹かせるような策を考えよ」
 信長は一人の男の顔を思い浮かべながら、憎々しげにそう言った。
 反織田闘争の首謀者は、信長から戯け公方と罵詈される足利十五代将軍足利義昭だった。
 元々は足利義昭殿を十五代将軍位に就かせるために上洛した信長だったが、その思い描く幕府のあり様があまりにも違いすぎていて、わずかばかりの間に、この二人は、誰よりも激しく憎悪しあう間柄となった。
「あの将軍さまに一泡吹かせる策になりますると、さてさて……、」
 木下藤吉郎が少しおどけた声で首をひねってみせた。
「なにぶんにも、今の織田はまわりじゅう敵だらけでございますからのう……」
 信長の幼馴染を売り物にしている池田恒興が嘆息した。
 将軍義昭は、天(あま)の下を統べる器量など微塵も持ち合わせていないくせに、無類の策謀好きとでも言えばいいのか、人を操る策謀を何よりも好んだ。人心攪乱によって乱を起こそうとするその心性は、京の町にたむろする心卑しい公家によく似ていた。
 しかし、十五代続いた足利将軍家の残光のおかげで、信長によって近畿から阿波(徳島県)に追い返された三好三人衆、世間知らずの田舎大名にすぎない越前(福井県)の朝倉義景ばかりでなく、名将と誉めそやされた甲斐(現山梨県)の武田信玄までもが、大規模な織田包囲網を組織した。 
 そして、その反織田包囲網の陰にいたのが、比叡山延暦寺(天台宗総本山)や西山本願寺(浄土真宗)の仏僧たちだった。
 畿内の息のかかった小大名たちが次々と織田軍に屈服するのに焦った僧たちは、無知な僧兵や門徒をあおりに煽って反織田闘争を大掛かりにした。そのため、それまで劣勢だった朝倉や近江の浅井長政、阿波に逃げ帰っていた三好衆が急に勢いづき、信長は、京都の四方を敵に囲まれる破目となった。
「何ぞ知恵はないのか?」
 信長が訊いた。
「……、」
 どこからも声が返ってこない。
 遠い昔、あまりの無法ぶりで、「意にならぬもの。賀茂川の水、双六の賽、山法師(比叡山の僧兵)」と白河法皇を嘆かせた比叡山延暦寺の僧兵たちは、人に道を説くもおこがましいならず者ばかりではあったが、仏を背に負っているだけに厄介な存在で、誰も迂闊な発言はできない。
 信長は無表情を装いながら、将からの答えを待った。
「……」
 蝉の声ばかりが響く広間で、宿老の林通勝はうつむいたきりだった。いつもは討ての殺せのと勇ましい言葉ばかり口にする柴田勝家さえもむつかしい表情で沈黙を守り、他の将にいたっては、いかにも思いあぐねたような表情を作ってみせて、信長の視線を懸命に避けていた。
「ふん。どうやら今日は、知恵なき者ばかりを集めたようじゃな」
 このような席での家臣の沈黙を信長は一番嫌う。長く続く沈黙に、信長が軽い皮肉を口にした。
 だが、そう言う信長も今回は策の持ち合わせがなかった。もし信長の胸中に有効な策があったなら、信長がまずそれを口にして、それを聞いた諸将たちの間で役目の奪い合いが始まり、お調子者の木下藤吉郎あたりが厚かましい台詞で役目を奪い取るというのが、これまでの織田家の作戦会議のありようであったからだ。
 しかし、その皮肉に、信長の気性の烈しさを知っている重臣たちは、思わず居住まいを正した。
「されば、」
 林通勝があわてて意見を述べた。
「帝に御仲介を願い奉って、比叡山とは一時和睦を結ぶということにしては如何でござろうか?」
 その意見に、居合わせた多くの将がうなずいた。
 林通勝の策は、当時としては一番まっとうな策だった。永禄十三年に織田・徳川連合軍と朝倉・浅井連合軍が命運をかけて戦った姉川の戦さの後、敗走して比叡山に立て篭もった朝倉・浅井の連合軍に苦しめられた時も、「将軍勧告の和議」によって織田軍は難逃れをした。
 その時は、信長の密命を受けた明智光秀が単身京に走り、二日かけて義昭殿を懐柔し、朝倉・浅井軍を自国に引き上げさせたのであった。
 しかし、
「ふん。
 ぬしは相変わらずだのう。その無能でよく織田の筆頭家老が何十年も務まるものじゃ」
 信長は林に憎々しげな視線を投げつけると、その策を一蹴した。
「考えても見よ。あれから一年しか経っておらぬ。二度も同じ策が使えるか。そんなことをすれば、ますます奴らを増長させるだけよ。そんな生ぬるい手では話にならぬ。
 林よ。策とは知恵を使うものじゃ。ぬしには知恵を紡ぐ頭がないのか」
 信長は、嫌悪する相手に対しては容赦のない辛らつな皮肉を投げつける男だった。二十三年前、父の信秀が病死すると、信長が織田の嫡男であるにもかかわらず、弟の信行をかかえて信長に反逆した林通勝を、信長は内心嫌っていた。
「はっ、……」
 宿老でありながら主君から人前で辱しめられて、林はうなだれた。
 それから、柴田勝家、丹羽長秀などが歯切れ悪くぼそりぼそりと意見を述べたが、どれも信長を満足させられるものではなかった。
「……、」
 織田家に仕官してわずか三年の新参者である明智光秀は、ことさらに発言することもなく、ただ諸将の意見に耳を傾けていた。
 状況的には相当きわどい場所に追い詰められているにもかかわらず、織田の将たちが口にする策はどれもみな、愚にもつかぬものばかりであった。ただ、信長という頭脳を失うと何もできぬ愚将たちが、それでも信長の歓心を買おうとない知恵を絞って意見を述べあう光景に幼児めいたものを感じ、光秀は小さく微笑んだ。
 明智光秀は、信長と同じ三十八歳。寡黙な男だったが、微笑むとたわんだ目袋が柔和さを感じさせる。
 彼は、三年余前に、信長の正室お濃の方の斡旋により目通りを許され、足利義昭(当時は義秋と名乗っていた)上洛支援の利を説き、実質的には信長上洛の糸口を提供し、以後、織田家と足利幕府の二つから禄を貰う身となっている。
 その光秀の笑みを、上座の信長が目にとめた。
 信長の表情が歪んだ。
 信長は家臣たちに視線を向けると、
「もうよい。
 ぬしたちの無能はよくわかった。ぬしたちの言葉に耳を貸すは時の無駄じゃ」
 少し苛立った声で家臣たちの発言を封じた。
 その言葉に、お調子者の木下藤吉郎が、ここぞと膝を進め、何やら口を開きかけた時、
「光秀。そなた、よい策はないか」
 信長が、末席の光秀に声をかけた。
 突然の下問に、諸将の視線が光秀に集中した。
「はっ、」
 と答えながら、光秀が困惑の表情を見せた。
「そなたも知恵なしか?」
 信長が哂うように言った。
「……!」
 その哂いに、光秀の眼が激しく光った。
 光秀は居住まいを正し、
「されば、いっそ比叡山など焼き払ってしまっては如何か」
 信長を見つめ、そう言い放った。
「何?……」
 思いがけない返答に、信長が驚愕の表情を浮かべた。
 一瞬、大広間が静寂に包まれ、そして、すぐにざわめきが起きた。
「何を恐れ多いことを言わっしゃる!
 北嶺(比叡山の別称)には尊い御仏、薬師如来がおわす。帝でさえ一目置く高僧も大勢住んでおられる。伝教大師(最澄)の開山以来八百年の伝統ある重宝文物もあまたある。それを焼き払えなどとは言語道断、鬼畜にも劣る所業じゃ」
 白い眉を震わせて即座に異を唱えたのは、織田家一の格式を誇る長老の佐久間信盛だった。
 佐久間信盛は異常なほどに激昂していた。
「そんな非道ができるくらいなら、何も、ここでこうやって我らが頭を痛めたりはせぬ。新参とは申せ、そなたも織田の家臣なら、少しは考えてものを言わっしゃい」
 まるで戯(たわ)けでも見るような眼差しで光秀を睨みつけた。
「そのとおりだ。
 東大寺を焼いた松永弾正のような悪業をなしては、織田の家名に末代まで傷がつく。織田の家臣にあるまじき発言だ」
 すかさず、先刻信長に辱められたばかりの林通勝が、佐久間信盛に同調の声をあげた。
 二人とも、物ごとの真実が見えぬ老人たちだった。尾張(愛知県西部)という狭い世界だけで生きてきた彼らは、比叡山の僧侶たちが織田を憎むのは、仏の道などとは何ら関係なく、信長の上洛によって、畿内にあった自分たちの山門領を奪われた恨みによるものであることを、一つも理解することができないでいる。
 光秀はそれとなく周囲を見渡した。
 言葉にはしないものの、ほとんどの武将が二人と同じ考えらしく、大きく肯いている。
(……、)
 光秀の表情が一層険しくなった。
 光秀は強い口調で切り返した。
「仏?
 それが一体、何ほどのものでござるのか。
 人は死ねば死にきりでござるぞ。仏を信じ、南無阿弥陀仏や法蓮華経の念仏を唱えれば、人は死して極楽に往けるなど、かの坊主どものたわ言でござるよ。
 そのようなたわ言で民百姓の心を惑わす坊主どもこそ外道。
 叡山の僧坊、宿坊をごらんあれ。坂本の宿をご覧あれ。どこもかしこも、仏の道とは名ばかり、酒色に溺れた罪深き悪僧どもの巣窟と化しておる。しかも、坊主の分際で天下の政にまで口をはさみ、殿の行く手を妨げてきた。
 だいたい、考えても見られよ。仏の理屈で、何故、織田が悪で、朝倉や武田が善なのか。殿が、織田が、一体、仏の教えの何に背いたと言うのだ。山門領を取り上げられた逆恨みだけではないか。
 そんな、現世の欲にすぎぬ手前勝手な理屈が仏の理屈ならば、仏の理屈こそ悪。かような外道など、一人残らず焼き殺してしまえばよろしかろう」
「何と……?!」
 髭面の柴田勝家が唖然とした顔で光秀を見つめた。
「なんぞ異論がございまするか?」
 光秀が柴田勝家を睨み返した。
「……、いや、」
 光秀の視線を受けた柴田勝家は、瞬間、気弱な表情になって面を伏せた。
 柴田勝家だけでなく、居並ぶ諸将たちは光秀の過激な意見に驚きかえった様子だった。それまでの明智光秀は、織田家中においては、将軍足利義昭と織田家をつなぐだけが役目の温厚な男と見られていたから、彼らが驚くのは無理もなかった。
 座に重い沈黙が落ちた。
「ハハハハ――」
 その時、大広間に哄笑が響いた。
 信長だった。
 居並ぶ者たちは、驚いて信長に視線を走らせた。
「光秀が比叡山を焼き討ちにせよとはな。
 面白い。
 実に面白い。
 どうやら、わしは光秀という男を勘違いしておったようだ」
 信長は目を細めてそう言った後、笑顔で一同を見渡した。
「……?」
 居並ぶ重臣たちは、その言葉をどう理解してよいかわからず、複雑な表情となった。
「わかった。もうよい。
 叡山の長袖どものことはとりあえずこれまでじゃ。いましばらく様子を見よう。
 明日は浅井・朝倉をどうするかを話し合うゆえ、皆、今夜は屋敷に戻って、ゆっくりと考えてくるがよい」
 信長は、重臣たちの困惑など気づかぬ顔で、愉快そうに笑いながら立ち上った。
 残された武将たちは、腰を上げると、光秀とは眼を合わさぬようにしながら、一人二人と立ち去っていった。

 ―――その夜、内密に信長から光秀に呼び出しがあった。
 しかも、通された岐阜城三階の茶室には、信長ただ一人、小姓さえも遠ざけられていた。
「来たか」
 平伏する光秀を、信長は低い声で迎えた。いつもの透き通るような声ではなかった。
 面を上げた光秀に、
「光秀よ。
 わしも、あれこれと思案しながら、実のところ、叡山の焼き討ちまでは考えなかった。だが、今日そなたが申したように、奴らを黙らせるにはそれが一番の方法だ。いや、きっと、それよりほかに方法はない。坊主どもを皆殺しにすれば、戦さなどしたことのないくせに策謀好きな戯け公方は腰を抜かすに違いない。
 それに、この世に坊主などはいらぬ。益体(やくたい)もない仏を隠れ蓑にして悪行の限りをつくす長袖どもに、民百姓に説教を施す資格などない。
 あやつらに汚された延暦寺や坂本の宿を灰になるまで焼き尽くせば、極楽におる仏とやらも慌てて坊主どもを諌めに戻ってくるやもしれぬ。それこそ功徳というものであろう」
 そこで一旦言葉を切ると、信長は光秀を見つめ、自分に言い聞かせるかのように、今度は噛むよう言葉を続けた。
「しかし、この国では、仏をないがしろにする者は、朝廷、大名は言うに及ばず、町人百姓からも憎悪の眼を向けられる。松永弾正がその格好の例じゃ。あれほどに優れた武将が、東大寺の大仏殿を焼いたがために、まるで鬼のごとき男と忌み嫌われるようになった。
 仮に、延暦寺を焼き、長袖どもを皆殺しにしたとなったら、我らは天下万人の非難を浴びる身となるのは必定。それも、松永弾正ごときの比ではない。
 光秀、そなた、そこまでの覚悟があるか?
 本当に、叡山焼き討ちの指揮がとれるか?」
 不安の混じった眼だった。
 無理もなかった。
 信長には天下平定の野心は旺盛だったが、その具体的構想はいまだ明瞭な画像を結んでいなかった。
「天下布武のためでござれば……、」
 光秀が答えた。
「天下布武?」
 聞きなれない言葉に信長が問い返した。
「武をもって天の下を治めるの意でござる。
 もし、殿にその志があれば、この光秀、その程度の誹謗などわが身一身で受け止めてみせまする」
 光秀はこともなげに断言した。
「本気か?」
 信長はもう一度光秀の眼を覗き込んだ。
 眼が合った。
「……、」
 信長の瞳に、光秀の顔が映っていた。
 光秀は、瞳に映るもう一人の自分に向かって、今度は無言でうなずき返した。
「そうか、天下布武か……、」
 光秀の本心を確認した信長は、何度も小さくうなずいた後、居住まいを正すと、力強い声で言った。
「よし。
 きっかりひと月後、叡山焼き討ちにかかる。
 わしは当日になって万の兵を率いて坂本の宿に向かう。すべてはそなたに任せるゆえ、さっそく焼き討ちの準備にかかれ。
 ただ、この企ては誰にも伏せ、明智の兵だけで仕度をするのだぞ。事前に漏れては大騒ぎになる。敵はもちろん、味方の将兵たちにも、絶対に、それと気取られるでない」
 そう命ずる信長の顔は上気していた。

 比叡山焼き討ちは、当日まで誰にも気づかれることはなかった。
 信長の心中を事前に察して先走りするのを自慢とする木下藤吉郎も、さすがに、それだけは想像しかねたようだった。明智の軍でも、副将として従ってきた光秀の舅妻木範煕(のりひろ)以外には、誰にも伏せられた。
 九月十二日、
 明智軍は、早朝から坂本の宿に陣取り、比叡山の出入り口を固め、往来を一切禁じた。聖地比叡山の永代安泰を信じきっている僧や遊女、馬借たちには、朝倉・浅井相手の戦さ準備、といった感触しか持たなかった。
 信長からの伝令が、矢継ぎ早に光秀の陣に送られてきた。信長は誰にも理由を語らず、近江の金ヶ森城から坂本の宿に向かって、三万の大軍を走らせている、とのことだった。
「まもなく、大殿が坂本に御到着でございます」
 何人目かの伝令がそう告げた。
「そうか、…」
 光秀は小さくうなずくと、
「家々に火を放て!」
 と、武装した家臣たちに命じた。
 信長が指揮を執ると、仏僧殺しの汚名は信長ひとりに集中する。光秀はそれを避けようとしたのだった。
 千の雑兵が宿の家々に松明を投げ込んだ。
 あっという間に、坂本の宿は火焔に包まれた。
「火だっ!」
 思いがけない事態に、逃げ惑う者たちの悲鳴が沸き起こった。
 しかし、そんな叫びには眼もくれず、
「叡山目がけて火矢を放て!」
 光秀は続けて命じた。
「あの叡山に火矢を……?
 殿、それは一体、」
 一軍を率いる遠山景玄(後の明智秀満)が、驚愕の表情で問い返した。
「よいのだ。
 殿の仰せのとおりにするのだ」
 躊躇する景玄の肩を、光秀の心の暗黒を熟知している副将の妻木範煕が、撫でるようにそっと抑え、
「叡山に火矢を放て!」
 晴れ晴れとした表情で将兵に号令をかけた。凛とした大声だった。
「おおっ!」
 将兵たちの間から、歓声があがった。
 夕暮れの薄い闇の中を、流星の群れにも似た数千数百の赤い火矢が、比叡山の麓めがけて一斉に飛んだ。
 まもなく、比叡山のふもと付近から、赤い炎と白い煙が絡み合いながら噴き上げた。
 彼方からいくつも叫び声が聞こえた。
 光秀は、床几から立ち上がると、大きく軍配を振った。
「延暦寺まで一気に駆け上れ!
 誰かれの遠慮はいらぬ。出遭う者はことごとく斬り捨てよ。堂はすべて焼き払え。仏像は一つ残らず火に焼べよ」
 光秀の下知に、
「おうっ!」
 千を超す妻木範煕の軍兵が、勇ましい雄叫びを挙げて比叡山へと駆け登った。
「叡山を灰にしろ!」
「仏像を焼き尽くせ!」
 そんな声が谺した。
 織田の他の将兵たちがためらって及び腰になっているのを尻目に、妻木範煕の軍兵は、比叡山の堂という堂の戸を片端から開け、松明を投げ込み、驚きふためいて飛び出てくる者は、僧であろうと、遊女であろうと、問答なしに斬り捨て、その数は五百を超えた。

 僧たちの巣窟比叡山は灰燼に帰し、千人を越える生命がこの世から絶え、歴史ばかりを誇ってきた、下らぬ根本中堂や山王二十七社も焼け落ちた。
 夜目にも赤く燃え盛る叡山を見つめながら、信長が、
「光秀よ。とうとう我らは後戻りのできぬ坂を登ったのだな」
 呟くように、そう言った。
「これから先も、有象無象の古き権威の亡者どもが、我らの行く手に立ちふさがってくるのであろうな」
 今度は、小さく笑った。
 それは、何かをふっ切った者だけが見せることのできる、美しい笑みだった。

 比叡山討伐のあと、光秀は近江志賀一郡と坂本城(滋賀県大津市)を賜った。
 信長が家来に城を与えたのは、それが初めてだった。古くからの家来である柴田勝家も池田恒興も、城を与えられてはいなかった。つまり、光秀は、織田家で最初の城持ち大名になった。

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戦国倭人伝(1)

2010年06月22日 00時02分33秒 | 【小説】戦国倭人伝

            前 章 一
       ――西暦五百年初期、大和之國――


           一

 晩冬の西陽が、長谷之列木宮(はつせのなみきのみや)と呼ばれる檜造りの王宮を、薄赤く染めている。
 一人の老人と一人の中年男が、王宮の板戸を開けて、今まさに山の端に落ちようとしている陽を眺めていた。
「これで最後の戦さにしたいものだな」
 顎に長い髭を蓄えた白衣の老人が言った、「あの者たちから大和の地を奪い返してから、もう二十年経つが、なかなかあの一族を根絶やしにできぬ。殺しても、殺しても、次から次へと新王を名乗る者が現れおる」
 歯がゆそうな口調だった。
「大王よ。そう急(せ)くな。
 仕方がないのだ。奴らはこの百年の間にずいぶんと血分けを進めた。根絶やしにするのには、今しばらく時がかかろうぞ」
 隣の戦さ姿の中年男がなだめるように言った。
「わかっておる、」
 大王と呼ばれた老人は小さくうなずいた。
「しかし、大臣(おとど)よ。わしももう老いた。
 時がないのだ。わしの生きてあるうちに、神武の一族はもちろんのこと、百年前、皆を裏切って神武一族につき、わしらを出雲に追い払った物部と大伴の血も、根絶やしにせねば気が済まぬのだよ」
 神武一族という言葉を口にした時に、老王の眼は憎悪で光った。
「あやつらは、この百年の間に、海の向こうの者たちに、自分たちが、わしらの祖の血統を受け継いだ身であるかのような偽りを、言い触らしてきた。
 ……、わしらの血の流れに、自分たちの血を滑り込ませたのだぞ。しかも、倭(わ)をヤマトと呼び改めさせ、勝手に神武一族などと名乗りおって、」
「うん、……」
 大臣の平郡真鳥(へぐりのまとり)も、それにはうなずいた。

 老王の激しい憎悪は無理からぬものだった。
 かれは、遠い昔、大和の地を核として倭(わ)と呼ばれる国を創設した一族の後裔だった。
 かれらの祖は、いにしえの頃に日本海の向こうの朝鮮半島から、質の良い砂鉄を求めて渡ってきて出雲地方(島根県東部)に住み着いた職人集団だった。
 出雲と伯耆の境目(現在の島根県安来市付近)には良質の砂鉄があった。
 製鉄には大量の木炭が必要だが、雨量の多い山陰地方は、いくら樹木を伐採しても山林に復元力があり、木炭には事欠かない。そこに大集落ができ、一大部族が誕生するのは当然のことだった。
 かれらはその製鉄技術で他部族を凌駕し、出雲を出、中国山脈を越え、難波や大和の地にまで進出していった。そして、先住部族の長たちと合議制国家である倭国を樹立した。
「大臣よ。わしらの祖は、大臣を軽んじての専横は許さぬと決め、それを守り続けたのだぞ」
 老王が誇らしげに言った。
「そのとおり」
 平郡真鳥が応じた。
「国とは血ではない。限られた一族の者だけのためにあってはならぬ。血の違(たが)う者たちが身を寄せ合うことのできるのが国のあるべき姿だ、と考えたのだぞ。
 われらの祖は、血の異なる者たちが集いながら、それでいていつまでも戦さのない国を創ろうとしたのだぞ」
「然り」
「それで民も幸福であったものを……、」
 倭の平和は二百年ほど続いた。
 しかし、百二十年ほど前、合議員の一人でありながら権力慾に捉われた一族が、倭国の独占に奔った。
 かれらは、同じく有力部族である物部と大伴の一族を味方につけると、倭王一族や、自分たちに従わぬ他豪族を抹殺にかかった。
 欲望は人の力を倍加させる。権力慾に燃えた彼らは獰猛な戦闘集団と化し、合議制を重視する倭国の構成員たちを武力で殺戮していった。
 あっけなく王朝が交代し、肥沃な難波、大和は、神武一族のものとなった。
 しかし、政権を奪取しながらも、日本海の向こうの宗家の視線を気にした神武一族は、倭王朝を武力で滅ぼしたことを伏せ、倭王朝の血の中で王位継承が行われたように報告した。
「わしらの祖を惨殺したくせに、まるで、わしらの祖の血を引く正統な血であるかのように言いふらすなど、赦し難い」
 百余年前を想像して、老王は吐き捨てるように言った。
 戦さに敗れた倭一族は、大和を捨て、本拠地である出雲に逃げ帰り、以後、自国をかためるのに専念した。
 当然小競り合いは続いたが、製鉄技術に長けた倭一族は武器が豊富で、国の守りが堅く、神武王朝の出雲浸入を許さなかった。
 そんな風にして百年の時が流れた。

 二十年前、
 今の老王の代になった時、彼は、各地に潜んでいたかつての倭国構成員の裔(すえ)たちに呼びかけた。
「百年の恨みを晴らそうぞ。
 今一度、倭を取り戻すために戦うのだ。同胞(はらから)よ、起て」
 倭一族は、一斉蜂起した。
 彼らは出雲地方に蓄えていた鉄製の武器を携えて、春の中国山地を越え、再び大和に向かった。
 あらゆる利権を同族だけに集中させようとはかる神武王朝の専横は厳しかったので、呼応する兵は膨れ上がり、九州でも筑紫の磐井一族が立ち上がり、決起は成功した。
 倭一族は、仇敵である神武一族のほとんどを殺し、物部や大伴の一族を大和地方から放逐すると大和の王宮に入り、かつての合議制国家を再開した。

 これが老王が今この王宮の主になった経緯だ。
 しかし、一度政権の味を知った神武一族も負けっぱなしではいなかった。
 神武政権の重鎮であった物部麁鹿火(もののべのあらかい)と大伴金村が核となり、近江地方に身を潜めながら、越の国高向(福井県坂井郡丸岡町)にいた神武の薄い血を引く手白香皇女(てしらかのひめみこ)の夫男大迹(おおどの)を、大王に就くようにと口説き落とし、政権奪回を仕掛けた。
「平群の大臣(おとど)よ。男大迹は今何処に?」
「まだ弟国(京都府乙訓郡)から動いておらぬ模様だ。戦さは物部麁鹿火と大伴金村に任せるつもりなのだろう」
 戦さ姿の平郡真鳥が答えた。
「新王を名乗って二十年、弟国に入って八年か。
 金村たちは、男大迹のような、神武王と血のつながりもない者を新王に担いで、どうする気なのだ?
 手白香皇女がわしの姉だ、などと触れておるそうではないか」
 老王が首をかしげた。
「奴らは、血などはどうでも良いのじゃよ。自分たちの意のままになる大王を作るためならば、どんな嘘でも平気につく。奴らは、戦さにさえ勝てば嘘も真実になる、と本気で信じておるのだ」
 この二十年間老王の片腕として倭政権を支えてきた平郡真鳥も、老王の言葉に煽られて気が昂じてきたらしく、吐き棄てるように言った。
「やはり、戦うしかないな」
「もちろんだとも。
 気の重い話だが、倭を本当にわれらのものにするためには、男大迹(おおどの)だけではなく、新王を名乗ってくる者は殺し尽さねばならないのだ」
 真鳥は断言した。
「そうじゃな」
 老王が深いため息をついた、「往くか」
 二人は踵を返し、待機している軍兵の元に向かった。
 王宮前では倭政権が誇る軍団が老王の登場を待っていた。
「おお、大王じゃ」
 軍兵が歓声をあげた。
 老王は兵たちに片手を挙げて応えた。
「今度こそ、神武一族を、物部を、大伴を、一人残らず滅ぼすのだ」
 居並ぶ有力豪族を前にして老王は叫んだ、「この国はわれらのものだ。再び神武一族に渡してはならぬ」
 その声を受けて、倭国軍は戦さ場に向かった。

 戦いの朝になった。
 神武軍と倭国軍は、三輪山ろく(奈良県桜井市)の草原を挟んで対峙していた。
「大臣の父よ。
 あれを御覧なされ」
 平群真鳥が戦場に着くと、息子のしびが味方の陣を指差した。
 敵を前にしながら兵たちが動こうとしない。
「どうしたのだ? 誰も動かぬではないか。
 何ぞ面白い策でも講じたのか」
 真鳥は無邪気そうに訊いた。
「いや、……」
 しびが首を横に振った。
「父上よ。そうではありませぬ。動かぬのではなく、わが兵たちはみな、動こうにも動けぬのです」
 声が重い。
「なに?」
 真鳥は、不可解な表情で息子を見つめた。
「昨夜、蘇我から味方の兵たちに、戦勝を祈念する酒が届けられましてな。せっかくの志でもありましたので、兵たちに一献ずつ振舞ったのですが、その直後から、身体の不調を訴えるものが続出しました」
 しびが説明した。
「蘇我から届けられた酒で、か?」
 事態を把握できず、平群が困惑の表情になった。
 その真鳥に、しびが口惜しそうにうなずいて見せた。
「まさか、蘇我が……、」
 蘇我一族は、九州の磐井一族とともに、倭政権の一翼を担っている有力豪族だ。真鳥は絶句した。
 その時、喊声が起こり、鳴り物が響き渡り、前方から物部軍と大伴軍が突進をはじめた。
「敵が攻めてまいりました」
「しかし、どうすればよいのだ……、」
 武勇をもって鳴らしてきた真鳥も、予想外の事態に判断を下しかねた。
「大臣、あちらを……」
 傍らの将がうろたえ気味に叫んだ。
「何だ?」
 真鳥は右に視線を移した。
「蘇我が……、」
「何?」
 見ると、味方であるはずの蘇我一族の軍が、敵の神武軍に向かわず、こちらに向かって攻めてきているではないか。
「蘇我が裏切ったのか?!」
 真鳥が驚きの声を発した。
「蘇我が……、あれだけ固く倭国再建を誓い合った蘇我の一族が、大伴金村ごときの口車に乗ったというのか?!」
 あまりにも大きすぎる裏切りに、平群真鳥は蒼白な顔で歯軋りをした。

 三輪山ろくの戦さは、大伴金村の指揮する神武軍の圧勝に終わった。
 金村の懐柔に乗って倭国政権を裏切った蘇我一族が、倭国軍の兵士たちに振舞う酒の中に毒を仕込んだのが功を奏した。
 戦さらしい戦さもなく、倭国軍は壊滅させられた。
 勢いに乗った神武一族の大軍は、その足で長谷之列木宮に殺到した。
 倭一族は戦うすべもなく、王宮の親衛隊長である平群真鳥の息子平群しびと、後に神武一族から「武烈王」という悪名で呼ばれることになる老王は、神武一族の雑兵たちによって惨殺された。


                   二

 三輪山ろくの戦いから二月が経った朝、春の陽光を浴びた西国の平野は、鮮やかな緑一色に染まっていた。
 空では薄い青の中に白い雲がいくつも浮かび、西方にそびえ立つ山脈(やまなみ)から降りてくる春の風が、草原を柔らかく撫で、海に向かって走っていく。
 それは、昨日と変わらぬ平和な朝の光景だった。
 しかし、叫び声が平穏を破った。
「神武一族が攻めてきたぞ!」
 出雲平野の東方にある草原に、戦さ姿をした兵士たちが姿を次々と現し始めた。
 大仰な鳴り物の音と共に、広大な草原がまたたく間に神武軍の兵で埋まっていく。
 神武軍の先頭にいるのは騎馬隊だった。
「進め!
 倭王の一族を皆殺しにするのだ」
 神武軍の大将である物部麁鹿火(もののべのあらかい)が叫んだ。
 騎馬隊が動いた。
 神武軍の兵たちは思うがままに火矢を放ち、つい今しがたまでは緑一色だった草原を、またたく間に赤く塗り替えていった。

 戦場は平野ばかりではなかった。
 倭軍は兵力を平野に集中させていたが、それを見透かしたように、昨夜のうちに日御碕(ひのみさき)の陰に潜ませていた百を超す神武軍の小船が、一斉に沖合に姿をあらわし、平野裏手の入江に突入してきた。
 先頭の船に仁王立ちをしているひげ面の指揮官が、右手を大きく振って、
「かかれ!」
 と叫んだ。
 神武軍内では、陸は物部、海は大伴と決められていたが、倭一族制圧後の力関係にも影響するだけに、物部に負けまいと、大伴の指揮官は勢い込んでいる。
 一艘の小船には武装した十人ほどの兵士が乗っており、彼らは神戸(かんど)川の河口に着くやいなや浅瀬に飛び降り、大刀を振りかざして川べりの集落に向かった。
 壮年の男たちは平野の戦いに出払って不在だ。予想もしなかった不意の襲撃を受けて、無力な老人や女子供は慌てふためいた。
 その老人や女子供に神武軍は襲いかかった。
「殺せ!」
「一人も生き残すな。皆殺しにしろ!」
 神武軍は無慈悲な殺戮集団だった。出会う民を手当たり次第に大刀で斬り、槍で突き刺した。
「助けてっ!」
 いたるところで悲鳴が響いた。
 神武軍の小船は続々と入江に着けられ、兵の数は時間を追うごとに膨れ上がっていった。兵たちは、眼に入る家という家に火を放った。粗末なわらぶき小屋は火の回りが早い。集落はあっというまに劫火に包まれた。
 入江の集落の民をあらかた殺戮し終わると、
「ここはもうこれくらいでいい。王宮へ急げ!」
 ひげ面の指揮官がまた叫んだ。
「おうっ!」
 神武軍の兵は海側から平野へと雄叫びを上げて怒涛のごとく走った。

 ――その平野でも一方的な殺戮が続いていた。
 兵士の数は互角だったし、倭軍の手にしている刀や槍は神武軍のそれよりも強い鉄でできていたから、本来ならあっさりと敗れるはずはないのだが、騎馬隊の迫力と、火矢のすさまじさに押され、神武軍の兵と直接刃を交わすことができず、なす術を失っていた。
 騎馬隊の放つ火矢によって、草原は赤い炎を噴き上げている。
 神武軍の総指揮官である物部麁鹿火が叫んだ。
「あの松林の中の道を攻めろ。きっと、敵の王宮に続いているはずだ。
 馬を先頭にして、王宮まで一気に駆け抜けろ」
「はっ」
 炎の中を、戦さ慣れした千を超える神武の軍兵が隊列を組んで突進した。もし小高い場所からそれを眺めたならば、神武軍の兵列は火焔の中で踊り狂う大蛇のように見えたに違いない。
 まもなく、倭軍陣営の一角が崩れた。
「おおっ。やったぞ!」
 神武軍の間で歓声が起きた。
 崩れた一角に神武軍が殺到し、兵たちは戸惑い乱れる倭軍を尻目に、王宮の見える集落に突進した。
「王宮が危ない」
 倭軍の指揮官の声がした。
「王宮を守れ!」
 その声を受けて、倭軍の兵たちは集落に向かおうとしたが、一丸となって社に迫る神武軍の勢いに押されてそれができない。
 やがて、
 集落のあちこちから女の悲鳴が聞こえ、大きな館から煙がのぼった。
「王宮が焼けた。
 もう駄目だ。
 みんな、山に逃げろ。立久恵(たちくえ)に逃げろ!」
 倭軍の将が悲痛な声で叫んだ。
 それを合図としたかのように、倭軍が一挙に崩れた。倭軍の兵たちは戦いを放棄して、西方へと走り出した。
 たしかに、西方には緑に染まった山脈があった。
 ただ、出雲平野から山脈まではかなりの距離がある。懸命に駆けたところで無事にそこまで逃げ切れる保証はない。
 しかし、そんなことを考える余裕もないまま、倭の軍兵たちは途惑う民の手を引きながら山脈に向かって、必死の形相で走った。その後を神武軍の馬や兵が追う。
「うっ」
 倭の民や兵の背中に、矢や槍が突き刺さり、一人、二人と、声もなく倒れていった。

 燃えさかる王宮の際(きわ)で、深手を負った老人が、数人の兵に抱きかかえられていた。
「わしにかまうな。
 われらは敗れたのだ。もう、戦さは終わりじゃ。お前たちだけでも逃げろ」
 長い白髪を後ろで束ねた老人は、両脇の兵に言った。
「しかし、……」
 この老人は老王の弟だった。彼は、出雲を出て大和に駐留する兄の大王に代わって、出雲一帯を統治していた。
 兵士たちの眼にも、右肩からおびただしい血を流しているこの老人が、かなりの重傷で、もう手の施しようのないことはわかったが、それでも、老人を置き去りにして自分たちだけ逃げることには、ためらいを見せた。
「往け!
 わしよりも、女こどもを一人でも多く山に落ちのびさせよ」
 老人は厳しい口調で兵に命じた。
「……、はい」
 その声の激しさに兵たちは姿勢を正すと、逡巡を振り捨てて、老人を残し、西南の方角へと走った。
 老人は地べたに横たわった。
 王宮に乱入してきた敵兵に斬られた肩から、血が流れ落ちて止まらないが、もはや痛みは感じなかった。
(――倭の一族よ。
 わが同胞(はらから)よ)
 彼は心の中で、山脈に逃げる者たちに語りかけた。
(今日のこの忌まわしい出来事を、決して忘れるな。
 今よりは、わしらをこのような目にあわせたあの酷たらしい者たちを、神武を、大伴を、物部を、蘇我を信じるな。
 そして、あの者たちが信じるいかなるものも信じるな。我らを裏切ったあの者たちを憎め。あの者たちを許すな。あの者たちを呪え。
 何十年、何百年経とうとも、この憎しみを失わず、憎悪を抱き続けよ。人は憎しみだけを支えにしても生きていける)
 肩から流れ出る赤い血のように、激しい怒りと憎しみが、老人の肉体で奔流していた。

 ――やがて、痛みも感情もない静寂が訪れた。
 老人の眼には、いくつも雲を浮かべた青い空だけが見える。
 白く薄い雲はそれぞれに異なる形をして、平野の一角で繰り広げられている惨状など知らぬげに浮かんでいる。
 肩から流れる血を押さえる気もなくして、老人はじっと四月の青空を見つめ、朦朧とした意識の中で微笑みながら呟いた。
「それにしても、何と美しい雲であることか。
 わずかの間に七様にも八様にも形を変えてゆく――」
 八雲立つといわれた美しい青空、それが老人の見た最後の光景だった。

 出雲の倭國は、壊滅状態になった。
 わずかに、大和の地で惨殺された老王の血を引く少年を守って、百人ほどの男女が、西の山に逃げ込んだ。
 山ふところは伐採のため禿山になっていて歩きやすかったが、奥に入り込むに従って雑木や蔦が往く手を遮り、急ぐ者たちの足取りは鈍った。
 自らも手傷を負いながら先導する将が、一同を励ました。
「若王を守るのだ。急いでもっと奥山に走れ」
 倒れる者や遅れる者が出てきた。しかし、それらにかまっているゆとりは、誰にもなかった。
 山の奥に入り込むにしたがって、人数は減っていった。
 背後に人の崩れ落ちる気配を感じながら、
「すまぬ。許してくれ」
 先導する将は、振り返ることもなく小声で呟いた。
 敗残者の彼や彼女たちは、山中をさまよい続けた。
何処といって行く当てもなかった。ただ行き場を失ったまま、山中をさまよっていた。

 ――やがて陽が落ち、闇が次第に濃くなってきた。
「歩きずくめで辛かろうが、まだ安心できぬ。神武の追手の届かぬ奥山まで逃げるのだ」
 先導する将は、悲痛な声で皆を励ました。
 不意に、頬を、冷たいものが打った。
「雨か……、」
 皆から重いため息が漏れた。
「とうとう雨まで降ってきた。
 のう、みな疲れ果てておる。どこか行き場所を決めねば、数が減るばかりじゃぞ」
 別の将が困惑気味に言った。
「ふむ、……。
 確かに、このままではどうにもならぬな。雨をしのぐ洞窟でもないものかのう」
 先導していた手負いの将が立ち止まり、雨空を見上げ、付近に視線を移しながら答えた。
「そうだ。
 三瓶に向かおうぞ。
 三瓶なら山も深いから、神武の軍も追っては来れぬだろう」
 若王を背負った男が提案した。三瓶は出雲の西方にある高山だ。その奥地に足を踏み入れた者の話を聞いたことはない。
「……、ふむ、三瓶か。あそこならば、」
 将が一同を見渡した。
 疲れ果てた哀れな顔ばかりがそこにあった。
「どうだ、三瓶に潜むか?」
 将はみなに問うた。
 未知の土地に対する不安はあったが、目的地もなく彷徨っているよりはましだ。皆が無言でうなずいた。
「よし、三瓶に向かおう。
 そうと決まれば気が楽になった。一休みしようぞ。みな、洞窟を探せ」
 将が決断を下した。
 一同はさらに西へと向きを変えた。
「神武の一族め。二度にわたっての汚らしい仕打ち。この、追われる者の怨みは、絶対に忘れぬぞ」
 誰かが重い声で、呪いの言葉を口にした。
「そうだ。われらの一族の血が続く限り、この怨みは消さぬ。いつの日か必ずこの怨みは晴らしてみせる」
 別の誰かが応じた。
「……、」
「……、」
 憎悪の念だけが突き進ませる、暗い行進だった。
 それぞれの心に怨みが充満して、もはや、誰の口からも、言葉は出てこない。
 無言の逃避行は続いた。
 遠くで獣の咆哮が聞こえた。
 やがて、雨だけではなく、肌寒い夜風が彼らを打ち始めた。男の背中で寝息を立てていた若王が小さく身震いをした。それなのに、身を横たわらせるための洞窟は、一向に見つからない。
「山に花咲け
 平(ひら)に怨降れ
 渓谷(たに)に水湧け
 平に憎満ちよ……」
 突然、詠うような呪うような声がした。
 血だらけの足をした若い女だった。兵である夫をこの戦さで失ったばかりだ。
 その声に別の一人が続けた。若王の護衛兵である彼は、妻子を置き去りにして山に逃げ込まざるを得なかった。
「怨こそ証し
 憎こそ証し
 雨を溜めては河と成せ
 河は溢れて平覆え
 怨を矯めては仇を為せ
 山咲く花で平覆え……」
 彼らは泥濘に足を滑らせながら、西の三瓶へと、歩を進めていった。

 その日を限りに、倭王と呼ばれた者の一族が,平野から消えた。

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新しいネット世界創設のためにこそ

2010年06月21日 19時29分35秒 | Weblog

 「特盛一合」とかいう「名無しの権兵衛」が、
 何やら「コメント」を書いてきている。
 心配するな。
 消しはしない。
 こちら側の証拠品として、厳重に保管しておいてやる。


 何をそんなに大騒ぎしているのかね。

 訴えを受ける当人の僕が、「やれよ」と言っているだから
 さっさとやればいいじゃないか。

 どこの誰のHNか知らないが、前置きが長すぎるぜ。


 少しまじめに言うとだな、

 僕は、
 この裁判は、
 ネット表現における重要な判例になると思っているので、
 積極的に受けるつもりでいる。

 この国におけるネット表現のあり方に一石を投じてみたい、
 と考えているので、
 多くの人が注目している中で、
 真摯に対応するつもりだし、
 裁判の経過についても、
 逐一報告していくつもりでいる。

 僕の心配なんかいらないから、
 どうか、
 できるだけ早く、やってくれ。


 それにしても、 
 「直面している問題」だとか、
 「悪質」だとか、
 思わせぶりな言葉ばかり使って、
 あなた、誰だい?

   ・本人の同意を得ずに、実名を公表した。
   ・勤め先を匂わせることを書いた。
   ・相手を貶める目的で病状を書いた。
   ・住所や携帯番号、知人の名前等、更に個人情報を暴くと恫喝した。

 何だ?
 この「恫喝」ってのは?

 「恫喝」って言うのは、な、

    世川さんが敗訴するであろうことは素人でも容易に想像できます。
    そうなれば、当然のことながら放浪日記も続けられなくなります。

 通常、こういうのを、言うんだぞ。
 

 上の4点は裁判で争うんだろう?
 争えばいいじゃないか。
 十分争ってあげるよ。
 何も、
 事前に教えてもらわなくて、けっこう。
 裁判の場でいいよ。


 <未知の読者>諸氏。

 あなた方は、優しい心の人で、
 あまり喧嘩をしたことがないだろうから、教えてあげる。

 以下の文章だ。

    本当に世川さんを応援しているのであれば、放浪日記の継続を
    望んでいるのであれば、許容範囲を超えた表現を世川さんが書
    いた時には、きちんと指摘するのが正しい読者のあり方なのでは
    ないでしょうか。

 このような一文が、なぜ書かれているか、と言うと、
 誰が知恵をつけているのか知らないが、
 この「名無しの権兵衛」の脅し文章によって、
 皆さんから、
「世川さんは少し書きすぎだった」
 という「コメント」が来るのを待っているのだよ。

 そして、
 裁判で、
「このとおり、読者からも、異論が出ています」
 という証拠として提出したいのだよ。


 お前な。
 子供相手の喧嘩じゃないんだよ。
 馬鹿なことを書いて寄越すなよ。
 見え透いていて、涙が出る。

 何度も言うが、
 ごちゃごちゃ前置きはいいから、
 何でもおやり。
 僕は男だから、
 きちんと受けて見せる。
 やってみれば、わかることだ。


 <未知の読者>諸氏。

 僕たちは、
 この日記を通じて、
 新しい「信頼できるネット世界」を作ろうと語り合ってきた。
 それを阻害しにかかってきたのは、
 あの<悪態幽霊>たちだ。

 これには、断固戦うのが、
 僕の責任だ。

 安心しなさい。

 僕は、
 きちんと戦ってみせるから、
 僕の戦いぶりを眺めていてくれ。


  <付記>

 誰かが、「特盛一合」は、
 あの「小林広徳」の新しいHNだろう、
 とおしえてくれた。

 そうだとしたら、
 本当に、
 ご苦労な人たちだ。

 世川さんの本の完成を遅らせるつもりみたい、
 とも書かれてあった。

 僕は、自分の日記以外のネット情報は、
 研一郎ちゃんに任せてあって、
 この間も、
 研一郎ちゃんが、
「世川さんは、見なくていいです」
 と言ったので、何も見ないし、知らない。


 ただ、
 みんなよくやるねーと思うばかりだ。




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小さな予告

2010年06月21日 15時39分53秒 | Weblog

 一日の大半を部屋で過ごしているので、
 身体はナマり、
 恥ずかしくも、腹ばかり出てくる。
 これじゃあいかん、と考え、
 今日は、1時間半ほど、浅草を歩いてきた。

 今日の空は、すっかり夏の空で、
 雲はわずかにしかなく、
 陽射しもきつく、
 歩くと、タラタラ汗が流れた。

 しかし、
 さまざまな風景を眺めていると、
 硬直した心が解きほぐされ、
 少し、優しいこころになったような気がした。


 昨夜も、
 どこかの馬鹿が、
「裁判にはお金がかかるぞ」
「弁護士を雇うお金はあるのか」
「読者から裁判費用を出してもらうのか」
「裁判をしている男の書いた本を買う人間がいるのか」
 そして、
「今まで悪態をついた人たちに謝罪して、裁判を許してもらえ」
 と書き送ってきていた。

 馬鹿だねえ、こいつらは。
 ホント、ネットでHNでわめくことしか知らない、喧嘩のど素人だ。
 まったく何にもわかっていない。
 笑いが出て、止まらないよ。

 お前らみたいに、
 金でしか人が動かないようなちゃちな人脈を生きているんじゃないんだよ。
 なんで、僕が、裁判にお金をつかうんだ?
 ば〜か。

 御託はいいから、
 来るなら早く来い。
 いつでも受けてやる。

 昨日書いたとおり、
 「元山陰のセールスマン」だとか、「うつ病休職中の家久来澄夫」だとか、
 「豊後の小兵衛」だとか、「生け贄」だとか名のらならければ、
 あれ以上のことは、ネットに書かない。

 それ以外のHNの時は、
 お前だとわかっていても、削除処分だけで許してやる。


 といった話は、どうでもよく、


 小さな予告だ。


 僕は、『郵政』という本を書いてから数年間、
 大阪を皮切りに、北陸を放浪していた。
 生きる張りみたいなものが、急速にしぼんで、
 まったく明日が見えなくなり、
 ただ生きているだけの放浪生活だった。

 雪の北陸をさすらいながら、
「国家とはなんだろう?」
「日本民族とは、いったい、どんな体質の民族だろう?」
 といったことを、
 毎日みたいに考えて過ごした。


 昔、高橋和巳という文学者がいて、
 吉本隆明あたりからは、
「小説はいいけど、評論はつまらない」
 とこき下ろされていたが、
 まさしく、その小説を、僕は耽読した。

 激しい下降思考の小説を書く人で、
 中でも、
 『邪宗門』という長編小説の、
 『あり得べからざる歴史』とかいった章は、
 大本教らしき教団が、
 占領国米国に抵抗して、最後は全員死に果てる、
 という、
 滑稽かつ悲愴きわまりない結末で、
 深い感銘を受けた。

 もう一人、
 半村良という伝奇小説家が好きで、
 彼の『太陽の世界』シリーズとか、『石の血脈』とか、よく読んだ。
 そうした一つに、『御産山秘録』という伝奇小説があって、
 織田信長時代から昭和までの「ヒの一族」を描いたものだったが、
 その荒唐無稽ぶりを愛した。
 ただ、この人の小説は、
 いつも、最後が尻切れトンボみたいに終わるのが、難点だったが。


 放浪生活も終わりの頃、
 K・Hさんという、
 後に『地デジ利権』を書いた時のスポンサーになってくれた人に招かれて、
 名古屋に講演に行った。

 その帰り道、
 ここは織田信長の土地か、と思った時、
 フッと、
「そうだな、
 明智光秀を描きたいな」
 そんな気になった。

 といっても、
 真正面から向かった明智光秀ではなく、
 半村良の伝奇小説みたいに、
 高橋和巳の『邪宗門』みたいに、
 この世に生じなかった「大嘘」を描いてみたくなった。

 そして、それから半年近く、
 千葉の「腐れ縁」の部屋に居候して、
 毎日、ネットカフェに通って、
 あれこれ、頭に浮かぶ限りの嘘を文字に変えて、
 書き上げた。

 懇意にしていた某出版社の人が、
 ある大手出版社に紹介してくれたが、
「うちではこんな種類の本はやりません。
 それなりの出版社があるでしょう。
 そっちをあたってくれ」
 と言われ、それきりになり、
 それからすぐ、『地デジ利権』執筆にかかったので、
 すっかり、
 その存在を忘れていた。

 先日、
 メールを整理していたら、
 その原稿が、残っていた。

 出版社から、
「これは駄目です」
 と捨てられた原稿をここに掲載するのどうか、
 とは思ったが、

 当時の僕は、「小沢一郎は悲運の将である」と意識していたので、
 原稿を書きながら、いつも、
 小沢一郎の悲運、ということを考え、

 荒唐無稽な時代小説の中で、
 小沢一郎の<無念>が描けたらなあ、
 と思った。


 しかし、
 それからの僕は、
 直線的に小沢一郎について書き始めたので、
 もう、
 こんな原稿に、何の意味もないのかもしれないが、
 自分なりに愛着があるので、
 ここに断続的に掲載することにした。

 もちろん、
 僕は小説家としては全然値打ちのない男で、
 たいした作品ではないから、
 興味のない方は、
 すっ飛ばしてもらって結構だ。


 まあ、近いうちに、掲載してみる。
 文句が多かったら、すぐに、やめるので、
 遠慮なく、言ってきてくださいな。


 
     <追 記>

 「ひろ」さん。
 あまり、かたく考えなくてもいいよ。
 あれで、あなたの好意は十分に伝わっている。

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父の日に

2010年06月20日 19時33分26秒 | Weblog

 或る信頼する<未知の読者>女史が、
 さっきメールをくれた。

「もう、わかったから、
 あの二人を、これ以上叩くのを、やめてあげて。
 これ以上あなたに洗いざらいやられたら、
 あの二人は、一般社会で生きていけなくなる。
 人はそこまでやってはいけません」
 長くもない文面に、そんな「内心の声」が、
 ガンガン響いていた。


 その人の言葉なので、
 彼らが、くだらないコメントを送りつけてこない限り、
 という条件のもとで、
 やめる。

 彼女に感謝するんだな。

 そして、二度とここに書き込むな。


 <豊後の小兵衛>さん。

 あなたもだ。

 仮に、
 本当に、仮に、の話だが、
 もし、
 昨夜僕を怒らせた「高慢ちきなコメント」に、
 あなたが少しでも関与していたとしたら、
 僕は、
 これまで心の奥に抱いてきたあなたへの「敬意」、
 を、捨てる。

 承知してくれ。


 僕の中では、
 あなたは絶対に、卑怯者ではない。
 少し単細胞だが、義侠に生きる九州男児だ。
 そんな男として映ってきた。

 そうでないことを祈るよ。


 若い頃、
 死んだ父親にこう言われた。

「お前の父親として、
 一つだけ、お前に忠告しておきたいことがある」
「はあ…、」
「お前は、人一倍気性の激しい男だ。
 人と喧嘩すると、殺すか殺されかまでの喧嘩をしようとする。
 だけど、
 それは、もう、やめておけ。
 相手に逃げ道を与えてやれ。
 勝つとわかった喧嘩のときこそ、
 相手に逃げ道を与えてやるんだ。
 逃げ道を失って負けた相手は、必ずお前を憎む。
 大人は、憎悪の残る喧嘩をするもんじゃない」

 僕は、その忠告に、不満だった。
 言い返した。
「しかし、お父さん。
 負けた奴は、逃げ道を与えたら、必ず力を取り戻して、
 もう一回、こっちをつぶしに来るんだぜ。
 勝つときは徹底的に勝たなきゃ駄目だ。
 そんな甘い喧嘩をしたら、最後に必ず負ける」

 父親は、そんな僕の性格を哀しむかのような表情で、言った。
「それでもいいんだ。
 次の喧嘩も、相手に逃げ道は与えてやるんだ」
「そんな……、」

 僕は、生まれて一度も父親に逆らったことのない孝行息子だったが、
 その言葉は、どうしても納得できなかった。
「……、」
 父は、僕を、実にまじめな顔で見つめて、
 そして言った。

「それが、紳士というものだ。
 男は、紳士を生きるんだ。
 紳士でない男は、男じゃない」
 
 
 それから20数年、
 僕は、たくさんの戦いをして、
 勝ったり負けたりしたから、
 父親の忠告どおりの戦いをしたかどうかは、自信はないが、
 どんな戦いをしている時も、
 父の言葉は、僕の脳裏をかすめた。


 今日、信頼する<未知の読者>女史からのメールを見て、
 また、死んだ父親のあの言葉を思い出し、
 少し、身を正した。


 テレビをつけたら、
 ニュースで、
 今日は「父の日」だ、
 と報じていた。

 「父の日」に、
 死んだ父親の、あの言葉、
 を思い出させてくれた女史に、
 深く感謝した。


 ありがとう。

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受けてやるから、かかって来い

2010年06月20日 15時41分23秒 | Weblog

 昼過ぎに、
 岩手県北上市の平野直哉さんから、
「世川さん。
 いま、わずかですけど、購読料を振り込んでおきました。
 カッカせずに、頑張って書いてください」
 そんな短い電話で、眼が覚めた。

 それでも、昨夜から未明にかけて、
 3分の1ほど書いた。
 今から、また、ひと頑張りだ。


 昨夜は、
 無礼なコメントとの間隙を縫って、
 「生け贄」というHNが、3つも「悪態コメント」を寄越して、
 すぐに削除してやったが、
 ある<未知の読者>から、
「あの「生け贄」というのは、家久来澄夫の新しいHNですよ」
 というお知らせメールが届いて、
 納得した。

 僕を刑事裁判にするのだと、張り切っているという。
「何のことだ?」
 と、研一郎ちゃんに電話で聞くと、
「世川さん」
「うん?」
「世間知らずの子供なんです。
 簡単に言うと、飲み屋での口論を裁判所で白黒つけてもらおう、
 ということです」
 あの男の頭では、名誉毀損が刑事事件になるそうだ。
「ああ、そうかい」
 それで納得した。


 家久来澄夫よ。

 僕は、この人生で、三つ、
 足掛け10年くらい、裁判所に通った。

 来るなら来てみるといい。
 お相手しよう。

 しかし、
 裁判は、HNではやれないからな。
 お前のお世話になったというNHKや、
 お前が、自分の後ろ盾だと<豊後の小兵衛>さんに自慢している、
 小沢一郎ファンの産経新聞元副社長とやらも、
 実名で、みんな名が出て、迷惑かけることになるからな。
 それくらいは、覚悟して、
 かかって来いよ。

 <豊後の小兵衛>さんの話では、
 精神病で休職中らしいが、
 あまり、妄想と現実を一緒くたにすると、
 自分が恥をかくぞ。

 もう、少しは気づいていると思うが、
 お前のことは、
 そのアウトラインは、<豊後の小兵衛>さんから聞いて知っている。
 僕がそれをネットに書かないのは、
 お前じゃなくて、<豊後の小兵衛>さんを困らせたくなかったからだ。

 自分が困ったら誰でもいいから人を売りたがるフィリピン馬鹿とは、
 生き方の根本が違うんだよ。

 お望みなら、
 <豊後の小兵衛>さんから教えてもらった何でも、書いてやるよ。
 なんなら、
 お前から彼に宛てたメールの転送されたものを、
 ここに掲載してやろうか?

 何がして欲しいか、
 お望みを言って来い。

 
 だいたい、
 僕がお前をからかって、「名誉毀損」なら、
 お前たちが僕に対して投げかけた言葉は、何になるんだ?
 そこいらも、ゆっくり、裁判所で語り合おうか。
 お前は休職中、
 僕は無職の放浪者。
 お互い、時間は、たっぷりあるからな。
 やろうぜ。


 <豊後の小兵衛>さん。

 あなた。
 取り巻きにこんな事ばかりさせていて、
 それでいいのかね。

 あなたも、
 小沢支持者を名乗って、
 平野貞夫さんや二見伸明さんと懇意にしてきて、
 そのあなたが、
 こんな馬鹿を取り巻きにやらせているとわかったら、
 あなたの信用は、地に堕ちるよ。

 僕は、
 相手が誰であろうと、
 つまり、たとえ相手が国家であろうとも、
 売られた喧嘩は買って、
 一歩も引き下がらず、
 ここまで生きてきた。
 だから、
 どんな喧嘩でも受けて立つし、
 受けた限りは、
 自分が死ぬまでは、戦い抜いて見せてやる。

 しかし、
 あなたは、
 本当に、
 それだけの腹をくくって、僕に向かって来ているのか?

 僕が戦うと言う時は、
 本当に、戦うのだぞ。 
 あんなうつ病休職中(あなたの言葉だ)の家久来澄夫なんか、
 僕にとってはただのカスだから、
 あんな男が何をしようが、どうでもいいが、
 あなたのことは、少しは大事に思ってきた。

 ネットであろうと、裁判所であろうと、
 いつでも喧嘩は買ってやるが、
 腹をくくってから、向かってきてくれ。



 先日、
 「かに」さんから、
 バージニアスリムを50個差し入れしてもらったが、
 さっき、全部なくなった。
 全部なくなるまでに書き上げよう、と考えていたが、
 駄目だったな。

 人間、なかなか、計画通りにはいかないものだ。

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ありがとう(付記追加)

2010年06月20日 02時03分33秒 | Weblog

 ありがとう.
「信濃路」さん。
 僕の真意をそれほどまでに理解して下さって、
 お礼を言います。


 今日は、構想が決まったら、
 溢れるように文字が出てきて、
 この調子なら、今夜中にでも書き上がるかなあ、
 と、嬉しくてね。

 この執筆には、
 書き直し書き直しで、結構長い時間を費やしたから、
「長い航海が、もう少ししたら終わるのか、
 長かったなあ、よく書き終えたよなあ」
 なんて、
 いろいろなことを考えて、
 ちょっと、感傷的になっていた。

 あんなのをもらったものだから、
 カチンときて、
 それから、
 何か、溢れていた言葉が止まって、
 あ〜あ、
 もう、明日にするか、
 なんて思っていたら、
 あなたからの「コメント」だった。


 ありがとう。
 また言葉が湧いてきた。
 今から、徹夜で頑張りますよ。

 心にしみ入るような「コメント」をくれて、
 本当に、ありがとうね。


     <付記>

 掲載後に、
 さっきの「コメンテーター」を名乗った人物が、
 アンケートをとれ、
 と言ってきた。

 取ったらいいだろう。

 ただし、
 購読料を送金した人からアンケートを取れよ。
 <幽霊>は、アンケートの対象には、ならない。

 そして、
 お前の「悪態コメント」は、そこまでだ。
 あとは、全部、即刻削除だよ、

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