SohTaniguchi

谷口 創

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Twilog ホーム » @SohTaniguchi » 2010年03月13日

2010年03月13日(土) 25 tweets

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結局の所、オタク文化圏も欲望に従順な文化受容のバリエーションに過ぎないのではないか。

posted at 10:32:39

RT @kshimoyama: 「日本型コミュニティアート」は、グローバリゼーション・高度情報化社会・大量生産大量消費といった世界に対応したアートフォームである。

posted at 09:53:24

RT @edtion1: ヨウジヤマモト、東京でメンズコレクション19年ぶり開催決定 - 2010年03月11日 - ファッションニュース - Fashionsnap.comhttp://bit.ly/9vTzpD

posted at 09:51:59

RT @NamHyoJun: 5月から6月くらいに、上海でソロショーしまっす。皆様5月から上海万博あるので、ご一緒に見てやってくださいな(はあと)

posted at 09:46:40

本日です!RT @0000arts: 【次回展示告知】【RT歓迎】0000 SPOT 0002 宮田雪乃・金光男「つぎのとなり」3月13日ー19日(12:00-22:00・最終日は〜20:00・月曜休廊)オープニングパーティー13日18:00〜

posted at 09:45:12

一言で言えば、僕ら若い日本人のリアリティとは「対外的な影響に対する一次的な無抵抗性」であって、抵抗するに足るナショナル・アイデンティティーの根拠が「ない」ということです。

posted at 05:01:48

ですから本気で考えていかなければなりません。「そんなものはっきりとない」のであれば、「ない」と断言出来る程のロジックを組まなければ。「私の部屋のこの感じにリアリティがあってえ~」などとふわふわしている場合ではないですよ。

posted at 04:43:48

しかし、海外の人(アーティスト含む)に「作品を見てもらう」場合、「アイデンティティ」は必ず聞かれるような問題なのです。「アイデンティティ」は「アート」における大ルールの一つ。そして「アート」は「向こうの」スポーツです。

posted at 04:41:49

以上のことは、「日本人」「アーティスト」としてどう海外に僕らの「アイデンティティ」を説明するか、という課題から導き出されたロジックであって、必ずしも全ての人に当てはまるものではないのかもしれません。

posted at 04:39:40

「好きな食べ物第一位」が「マックのポテト」であったような僕らの日本人としてのリアリティ・感性をこれから本気でプレゼンテーションしていかなければならないのではないか。

posted at 04:37:47

そしてそれは村上・椹木タッグがプレゼンテーションしたような「悪い場所」としての「日本」像を具体的に更新することになるかもしれない。幼少期からマックに犯されていた僕らに「拭い去れない醤油臭さ」など「存在しない」。

posted at 04:34:17

80年代生まれ以降の僕らがこれからやっていかなければならないのは、そうした「日本」というナショナリティの「前提」が「ない」ことをいかに強くプレゼンテーション出来るかということであり、それが「一回りした後の」「ない」なのだと説得することである。

posted at 04:31:22

そして「ナショナリティ」という「コンセンサス」のない状況=「たがが外れた」状況が「動物的」≒「幼児的」欲求に従順な「未成熟」な「ユーザー」を生み出す訳であって、その「具体例」を取り上げて、「日本のオリジナリティ」とすることは強度的に脆弱である。

posted at 04:29:10

よって、島宇宙のバトルロワイヤル、蛸壺化等の「内乱」問題は具体的に形として現れた「次の問題」であり、「日本というコンセンサスがない」ことこそが最も「コア」な部分である。むしろ、「日本という特性」によって皆が共有出来ない状況こそが「内乱」を引き起こすのである。

posted at 04:26:25

したがって、「日本」という「ナショナリティ」の意識が「希薄」で突き詰めれば「ない」としか言い様のない状況が行き着く「結論」であり、とりあえず現段階ではそのようにプレゼンテーションする他ない。

posted at 04:23:21

ヲタだろうが、ギャルだろうが、普通の女子大生だろうが、ファッションピープルだろうが、その「大前提」は共有している訳であって、その後の身の振り方が異なるだけである。したがって、「「日本」としての「オリジナリティ」が先立ってある訳ではない」ことこそ考えられるべき問題である。

posted at 04:21:01

「グローバリズム」を様々な方面で「無自覚」「無抵抗」に引き受けている(3)のクラスタは、「向こうの真似事」=「西洋の模倣」として「日本」とは「遠い」問題として遠ざけられているのだろうが、むしろ問題なのは「では何故無抵抗にグローバリズムを引き受けられたか」という大前提の方である。

posted at 04:17:46

しかし、自分のリアリティに引き付けて考えれば、圧倒的に数が多いのは(3)であり(←「だって洋服着てるんでしょ?!」)、それが視野から覆われているのは「不自然」である。

posted at 04:15:40

そうした「リアクション」「アレンジメント」のヴァリエーションにこそ、「日本性」は託されるのであって、そう考えると(1)~(3)のパターンは「並列」なはずなのだが、「何故か」(3)が語られることは「少ない」。

posted at 04:13:56

例えば、(1)に該当するのが、「日本精神」や「伝統」、あるいは「昭和ノスタルジー」といったフィクションとしての「日本」に縋る層であり(2)がオタクや2ちゃん・ニコ厨界隈、J-ROCKファンなどのクラスタ(3)が「海外」にストレートに憧れるファッション・ピープルやギャルである。

posted at 04:11:26

より具体的に言えば、その「バリエーション」は、「グローバリズム」を(1)「懐古的に拒否する」か(2)「主体的に視野から覆い、嫉妬する」か(3)「憧れつつ結果的に捻れる」のとりあえず3つである。

posted at 04:08:36

従って、現在「日本的」だと感じられている事項の多くは、「対外的な影響」に対する「リアクション」の結果的な「バリエーション」なのであってそれ自体が「国家」としての自立的な特性な訳ではない。

posted at 04:06:13

というのも、「日本」という概念それ自体が「海外」を参照項に「せず」、自立的に定義されたことなど、一度もなかったのでありその「オリジナリティ」を「原理」レベルで導き出すことは「不可能」だと思っているからだ。

posted at 04:04:32

初めにはっきり言っておくと、私個人は「日本性」「日本的」という形容を全面に押し出して、「日本」という対象が確固として「ある」かのように語る言い方は「胡散臭い」と思っている。

posted at 04:02:50

もう夜中の4時だが、今0000で話されていた「ナショナリティ」の問題は非常に重要なので、文字に残しておくことにする。

posted at 03:53:41

last update 06/22 20:58

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