広島市議会が旧市民球場(中区)廃止条例案を可決した22日、地元商店街や経済界、野球関係者には、さまざまな思いが交錯した。戦後復興のシンボルとして歩んできた球場への惜別の言葉が相次ぎ、新たなにぎわい創出への「第一歩」との受け止めも広がった。
75年の広島東洋カープの初優勝など「市民球団」の歴史を刻んだ球場。野村謙二郎監督は「市民球場という場所はなくなるが、心の中にはいつまでも残る」と受け止める。高校球児の「あこがれの地」でもあり続けた。完成は1957年。広島県高野連の阿蘇品太浄理事長は「老朽化で解体は仕方がない。今夏の広島大会では、選手たちに記憶に残る試合をしてほしい」と願う。
一方、カープの本拠地が昨年3月にマツダスタジアム(南区)に移ってからは、一帯のにぎわいは失われたという。市中央部商店街振興組合連合会の望月利昭理事長は「廃止条例案が可決されほっとした。多くの人たちでにぎわう場所に育てるため、商店街も努力したい」と意気込む。
広島商工会議所の大田哲哉会頭は「跡地を活用した新たなにぎわいづくりのスタートラインに立った」とのコメントを出した。
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