「引っ越しました。お近くにお越しの際はぜひ、お立ち寄りください」というハガキをもらった。でも、ハガキをもらった人間が次から次へと新居に現れたら……これは「住所録を訂正して」という程度のごあいさつ。言葉通りに“お邪魔”したら、それこそ「常識外れ!」と思われてしまう。
しかし、今回の「我々、夫婦、念願の田舎暮らしを実現しました。ぜひ、お寄りください」というケースは幾分違った。本気で「おうち訪問、大歓迎!」ではあるまいか?
想像するに……自分でまいた種から芽が出た。双葉が出た。うれしくて、愛らしくて……双葉に顔を寄せ、夫婦で互いに記念写真でも撮っているのではあるまいか。
常々「自給自足、ゴミを出さない生活が人間の本来の生き方」と主張していた知人。リタイアを機に、東京を離れ、北関東の、最寄りの駅から25キロ離れた、農園付きの農家に引っ越した。
さて「理想の田舎暮らし」とは、どんなモノなのか?
でも、当方、悲しいことに「大都会のその日暮らし」。暇もなければ、カネもない。そのままにしておいたら……その知人、脳卒中で倒れてしまった。隣町の病院に入院したが、奥さんはまだ運転免許の練習中。地域との交流がままならないうちだから「動き」が取れない。パニックだ。
彼が退院して「理想の農家」に戻って暮らすことはなかなか難しい。だからと言って、東京に戻る家はすでにない。農家を売りに出しても、そう簡単には売れない。
「実は、奥さん、移住には反対だったんだ」というウワサも聞いた。「土を基礎に生きるべきだ!」と理想肌の夫に言われると、反対できなかった。隣の家まで300メートルも離れている。奥さんはストレスで押しつぶされ、親しい友人にケータイで「行きつけの美容院がないなんて……地獄よ」と嘆いたらしい。
友愛主義の前首相が「この世界から足を洗ったら、農業をやりたい」とつぶやく。「南アフリカ大会が終わったら、農家になりたい」と言ったサッカーの監督もいる。今や、農業人が理想……?
でも、指導者の「突然の田舎暮らし」は一時逃避の手段ではあるまいか?
田舎には「自然」がある。都会には「便利」がある。
でも、どちらにも「圧倒的な理想」なんてないはずだから。(専門編集委員)
毎日新聞 2010年6月22日 東京夕刊
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