スイスの秘密口座を脱税に利用していた米国の富裕層顧客リストをUBSが米国政府に引き渡すことが決まりました。

今回引き渡されるのはアメリカ政府が脱税していると疑っている4450人のUBS顧客の口座情報です。

このリスト公開を目前に裕福層は脱税した事実を駆け込み自白すると見られています。

これでUBSがアメリカで展開していた、スイスの秘密口座をセールス・ポイントにした裕福層獲得作戦は完全に失敗したと言えるでしょう。

また数々の伝説や逸話や悲劇のエピソードに満ちたスイスの銀行界の商習慣が概ね終わりを迎えることもこの決定は意味します。
米国国務省が作成した「第二次大戦当時ドイツにより略奪・隠匿されたゴールドその他の資産の返還の働きかけについて」と題された報告書(1997年5月)ではスイスの秘密口座の歴史に関して次のような著述があります。(以下レポートの一部を抄訳)

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第二次世界大戦中、米国および連合国はドイツの軍事作戦の維持に際して中立国の果たす役割の重要さに気がついた。ドイツはボール・ベアリング、鉄鉱石をスウェーデンに、精密機械と爆薬をスイスに、クロームをトルコに依存していた。それらの品目を輸入し、対価を支払うのにスイスなどの中立国が重要な役割を果たした。

ドイツは支払のために大量のゴールドならびに外貨を必要とし、さらに占領した国から没収した財産を保管する場所が必要だった。戦争による物資の供給力の低下はインフレを招き、欧州大陸全体であらゆる貨幣の価値の毀損が起こる可能性があった。

このためドイツは早くからスイスの秘密口座の利用価値に注目し、外貨を秘密裡に持ち込んだ。

これと時を同じくしてユダヤ人は迫害を逃れ、資産を守るため大量の金融資産をスイスの銀行に預け入れはじめた。

1943年1月に英国の戦時経済省(Ministry of Economic Warfare)はドイツが占領国で略奪したゴールドをスイスの銀行を経由して売却していると宣言し、米国はそのような経路で入手されたゴールドを購入すべきでないと主張した。

迫害を逃れるため難民化したユダヤ人はポーランドなどの国境で持っていた資産を没収された。ドイツは占領した国に住むユダヤ人のあらゆる資産も没収し、その一部はナチの党員の個人的な利益のために使われた。

オランダではユダヤ人が欧州から逃れるための「出国許可証(exit permits)」が活発に取引されており、これは英国の戦時経済省によればドイツの資金調達の手法のひとつであると理解された。

ドイツ降伏後、米国と連合国はスイスなどの中立国に預けられたドイツの資産の管理に関して検討を開始した。国務省の推定ではドイツの対外資産は次の各国に預けられていた:

スイス 6億ドル
ポルトガル 3500万ドル
スウェーデン 5100万ドル
トルコ 5100万ドル
スペイン 未確定

1945年のパリ補償会議では「中立国に預託されたドイツの在外資産はドイツの所有権から分離され、フランス、英国、アメリカの当局が合意し、中立国との間で決められた手続きに基づいて処分される」とうことが規定された。

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結局、不当に略奪されたユダヤ人の富や不正に蓄積されたナチスの富の返還は戦後すぐに始まったソ連と米国の覇権争いや没収に際しての法的根拠の確定の難しさなどから難航します。

スイスの秘密口座にお金を預けたユダヤ人のうちの一部は強制収容所で命を落としました。そして引き取り手の無いそれらの資産は実質的にスイスの銀行の「みなし自己資本(quasi-capital)」となり貸付原資や投資の際のコスト・フリー・キャピタルとなったのです。

スイスには銀行が顧客の秘密を守る法律があり、これを破ると刑事犯となります。ところが1997年にUBSの夜警をしていたクリストフ・メイリという若者がこの鉄の掟をやぶる事件を起こします。
Christoph_Meili_1997

(出典:ウィキペディア)

彼はある日スイス銀行の幹部が引き取り手の無い資産に関する書類をシュレッダーにかけているのを目撃します。そしてナチス時代の帳簿の一部を守るため自宅に持ち帰り、ユダヤ人協会にこの事実を報告します。スイス当局はメイリを銀行法違反の疑いで取り調べようとし、メイリはアメリカへ政治亡命します。結局、メイリはアメリカではちゃんとした職に就けずホームレスになってしまいます。

こうしたスイスの銀行における引き取り手の無い秘密口座資産の着服は元FRB議長で現在オバマ政権のアドバイザーとなっているポール・ボルカーがリーダーとなって調査が行われました。

そのひとつの動機はスイス銀行によるS.G.ウォーバーグ(英国の投資銀行)やオコナー・パートナーズ(シカゴのクウォンツ・ヘッジファンド)の買収、さらに後にはUBSによるペイン・ウエバー(米国の証券会社)の買収などでスイス資本がアメリカの資産運用のビジネスに参入してきたことに対し、アメリカのユダヤ人コミュニティから「昔のいかがわしい取引の真実を告白することなく、アメリカで金融サービス業を展開するのは許せない」という声が上がったからです。

つまりスイスの銀行界は国際展開を積極的に押し進めたがために逆に懐を探られる結果となったのです。そもそも法体系がぜんぜん違うアメリカの顧客にスイス風のサービスを提供するという、守れない約束(over promise)をしたことが災いしたという次第。