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きょうのコラム「時鐘」 2010年6月22日
博打(ばくち)とは「博を打つ人」を指し、バクチウチと言うのは「馬から落ちて落馬した」に等しい重言だという
賭博の研究で知られる志賀町出身の法学者、尾佐竹猛(おさたけたけき)(1880〜1946)がそう指摘している。戦前の最高裁に当たる大審院判事を務めた人で、名著「賭博と掏摸(すり)の研究」によると、1300年前に「博戯(ばくぎ)」という言葉が初めて登場する 賭博は禁止されながらもはびこり、江戸時代に全盛となった。その背景を「秩序立って物事をするより乾坤一擲(けんこんいってき)の快挙を欲し」あるいは「細かい計算でわずかの金を得るより賭博が近道」と考える悪しき国民性にあると分析する 射幸心はいつの時代だれにもある。が、大相撲の力士は猛げいこで土俵に埋まっているお金を掘り出す努力の仕事と言われた。賭博の一獲千金で出世より金儲けを夢とするなら、別の仕事に就いたほうがいい 「一本刀土俵入り」のように博徒と因縁浅からぬ角界だった。今も、江戸時代かと錯覚する現状が次々露呈する。賭博で脅され、裏社会に貢ぐのは落馬どころではない。底なし沼に落ちてはい上がれない醜(みにく)く太った馬に等しい。 |