尖閣諸島発見は中国人が76年も早かった―中国報道、新証拠と主張

  中国新聞社など中国メディアは21日、「魚釣島は中国人が日本人よりも76年早く発見していた」と報じた。江蘇省南京市で見つかった古書が新たな証拠で、日本の学界も「震撼(しんかん)させる」と主張した。

  山西省に住む書籍収集家の彭令氏が2005年秋、南京市内の骨董(こっとう)街で、「記事珠」の題名がある古書を購入。同書には1808年に清国人の沈復が琉球に出向いた際の記録があり、尖閣諸島の沖合いを航行した際の描写もあった。中国大陸と台湾の学者が記述を細かく研究した結果、中国人がすでに尖閣諸島を知っており、中国側に属するとの認識があった証拠と断定した。

  同書を研究したのは、台湾国文研究所の蔡根祥教授、江蘇省社会科学院文学研究所のの蕭相〓元所長らで、部分的にしか残っていない沈復著の「浮生六記」の欠落部分が、「記事珠」に写されていたという。(〓はりっしんべんに「豈」)

  彭氏は同書の内容を知らなかった2006年春、10万元(約133万円)の最低価格でオークションに出品したが、落札しなかった。彭によると、尖閣諸島に絡む内容が判明してからは、「60万元で買いたい。(私が買い取ってから)蘇州博物館に寄贈する」などの連絡があったが、蘇州博物館に問い合わせたところ、「まったく知らない」との回答だったので、売らなかった。2009年には日本人から「1000万元(約1億3300万円)で買いたい」との申し出があったが、拒絶したという。

  記事は、「日本は魚釣島(尖閣諸島)の主権を主張する理由のひとつは、日本人の古賀辰四郎が1884年に同島を発見したことだが、沈復は1808年に魚釣島を発見していた。日本人より76年早かった」と紹介した。

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◆解説◆
  古賀辰四郎は1856年に福岡県で生まれ、後に那覇に移った。1884年に尖閣諸島のうち魚釣島、久場島、南小島、北小島を日本政府から30年間無償で借り受け、開拓事業に従事した。

  日本政府が尖閣諸島の領有権を主張する根本的な理由は、「1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとした」こと。中国(清国、中華民国、中華人民共和国)は特に正式抗議をしなかった。台湾を含む中国側が尖閣諸島の領有権を主張したのは、米軍からの沖縄返還が具体的になった1970年代から。

  日本政府によると、同諸島の領有を主張する中華人民共和国政府および台湾当局が挙げている、いわゆる「歴史的ないし地質的根拠」は、国際法上有効な論拠とは言えない。

  日本政府が同諸島領有を決定した1895年の閣議についは、「正式に対外発表されておらず、手続き上、完全だったとは言えない」との指摘もある。(編集担当:如月隼人)

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