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竹山生誕100年で企画次々/平内
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商工会女性部と協力し、小湊駅前に「竹山」「100」の文字が入った花壇を完成させた青年部のメンバー(18日午後) |
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竹山について語る孫の哲子さん。生誕100年を盛り上げようと、さまざまな活動に取り組む商工会青年部の熱意を喜ぶ |
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18日に生誕100年を迎えた津軽三味線の名人・初代高橋竹山は若者を大事にし、若者に支持された人だった。魂を揺さぶる音色は、今も多くの若者を引きつける。地元の平内町で今、生誕100年を盛り上げようと熱心にイベントやPR事業を仕掛けているのは、同町商工会青年部の若者たちだ。8月には竹山の弟子らとともに記念コンサートを開く。「今また若い人が動いてくれた。じっちゃが、一緒に仕事しているような感じがする」。竹山の孫の高橋哲子さん(58)は感慨深げに語った。
「若い人にも聴いてもらえるような芸をやらなければ、そのうち誰も聴いてくれなくなる」。生前、竹山は何度もそう話したという。
1964年に音楽鑑賞団体「労音」での初の舞台となった塩釜公演で、若い聴衆と出会った。この公演が反響を呼び、各地の労音を回った竹山の演奏は、真剣に耳を傾ける若い聴き手によって磨かれた。
人生の節目となる大きな仕事で、常に若者とかかわりがあった。63年には、竹山の演奏で、キングレコードから初の津軽三味線の独奏だけのLPレコードが発売されたが、担当したのは入社2年目の若手ディレクターだった。哲子さんは「じっちゃには、若い人への優しさがあり、受け入れる心の広さがあった」と振り返る。
今年2月、町内で初の生誕イベントとなる「高橋竹山とキャンドルナイト」を開いたのは、同町商工会青年部だった。少ない予算を情熱でカバー。雪で造ったスクリーンと手作りのろうそくが幻想的な雰囲気を醸し出し、好評を博した。
青年部のメンバーは20歳から40歳の30人。多くが平内町出身だが、竹山の活躍はほとんど知らず、演奏を生で聴いた部員は少ない。
「三味線の名人だとは聞いていたけど、門付けのこととか、あそこまで苦労した人とは知らなかった」と部長の田中大さん(37)。「自分たちでも分からないということは、子どもはもっと分からない。平内町の宝、世界の竹山を後世に伝えていかなければ」。危機感が原動力となった。
青年部のメンバーは毎日のように夜遅くまで会議を重ね、竹山Tシャツや竹山にちなんだ菓子の製作などPR事業の実現に向け取り組んでいる。
18日は商工会女性部と協力し、小湊駅前に、100個のマリーゴールドの鉢植えなどで「竹山」の名前と生誕100年の「100」を表現する花壇を完成させた。
青年部のヤマ場は8月16日だ。弟子や哲子さんがメンバーの竹伸会などと実行委員会をつくり、生誕100年記念コンサート「竹山100年の旅音楽祭」を町立体育館で開く。二代目高橋竹山や高橋竹童ら弟子が集結し、華々しいステージとなる。入場無料のため、来場者数の予想がつかないが「ぜひ成功させたい。平内を知ってもらうチャンス」と青年部のメンバーは意気込む。
「竹山を知らない世代が動いてくれる。青年部の熱意がうれしい」と哲子さん。生誕100年が、若い世代が竹山と出会うきっかけになることを願っている。
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