こんにちは。紫陽花の花がきれいですね。
6月1日から新しく編集部に加わりましたSです。
遠い昔、まだ大学生の時代に渡仏し、今年3月31日まで、「クーリエ・アンテルナショナル」で編集委員を務めていました。とても厄介な引っ越しを終え、薔薇の花がきれいに咲いた頃、長い間暮らしていたパリを離れて帰国しました。
「クーリエ・ジャポン」は月刊誌ですが、「クーリエ・アンテルナショナル」は週刊誌です。創刊されたのは1990年ですから、ちょうど今年(11月です)に20周年を迎えます。そしてほぼ同じ頃に、「クーリエ・ジャポン」は5周年を祝います。
「クーリエ・アンテルナショナル」の生い立ちなどについては、2005年秋に、創刊間もない「クーリエ・ジャポン」のブログでお話しましたので、ここでは詳しく触れませんが(詳しくは→① ② ③)、今やフランスを代表する週刊誌の一冊になっていると言っても、決して大げさではありません。
高級日刊紙「ル・モンド」の子会社ですが、「クーリエ・アンテルナショナル」以外にも、月刊旅行雑誌「ULYSSE」や、欧州委員会の依頼で、イタリア、ポルトガル、ポーランドの3誌とタイアップし、EU参加国27国の政治・経済ニュースや社会問題などを10ヵ国語で紹介するウェブ・サイト「PRESSEUROP」を展開しています。
「クーリエ・ジャポン」と「クーリエ・アンテルナショナル」という、言ってみれば兄弟誌の間には、当然いろいろな交流があります。
僕は、パリで仕事をしていた当時アジア部の責任者を任されていましたが、「クーリエ・ジャポン」と定期的に連絡を取り合うことも、僕に任された仕事でした。東京の編集部の人々と、特集やさまざまな企画のアイデア、予定などの情報を交換したりしていました。
といっても、これは僕一人がいつもすべてをこなしていたわけではなく、記事の版権問題の処理や写真、イラストなどは、東京とパリの担当者どうしが直接メールのやり取りをし、編集部員の間でも、直接、僕を仲介にすることなく、担当の国や地域のニュースに関して意見を交換することも少なくありませんでした。
また、「クーリエ・ジャポン」編集部の人たちがパリの編集部を訪れることも珍しくありませんし、「クーリエ・アンテルナショナル」からも、毎年帰国していた僕自身はもちろん、編集長をはじめ他の編集者が東京の編集部を訪問することも折々ありました。
僕の帰国以後は、僕の後任で日本を担当する女性が同じ仕事を務めています。編集部どうしの交流も、以前と変わることなく、いや、きっと以前以上に活発になっていくことだろうと信じています。