苦く悲しい「つなぎ」なき勝利
【金子達仁】2010年06月17日

 氷雨の降りしきる国立競技場。観客の大半は在日のコリアン。水たまりで止まったボール。すくいあげた原博実の右足。1―0。終了のホイッスルが鳴った瞬間、まだ学生だったわたしは号泣した。日本が北朝鮮に勝った。押されっぱなしだった試合に勝った。試合のレベルはお粗末だったけれど、W杯メキシコ大会に少しだけ近づいた。嬉(うれ)しくて、信じられなくて、号泣した。

 だから、喜ぶファンの気持ちは痛いほどにわかる。大いに喜んでいい。サッカーというスポーツにより深く興味と愛情を持ってもらえれば、この勝利は大きな意味を持っていたということにもなる。

 わたしは、喜べない。

 守って守って守り抜いたという点、そして試合自体のレベルが低かったという点において、今回のカメルーン戦と85年の北朝鮮戦は似た部分がある。だが、決定的に違っていたのは、北朝鮮と戦った日本はできることをすべてやって、それでも守るしかなかったのに対し、南アフリカでの日本は、やれることを排除して守りに徹したということである。

 自陣にボールがこぼれる。そこからつなごうという意志を、カメルーン戦での日本選手はまるで見せなかった。ただひたすらにクリア。つなごうとすればつなげる状況で、また普段であればつないでいる選手までもが、地域リーグの選手でさえやらないような意図なきクリアを繰り返した。

 つまりは、アンチ・フットボールだった。

 わたしが技術を重んじる少年サッカーの指導者だったら、頭を抱えている。普段からボールを大切にしろ、つなげと教えてきたのに、自国の象徴たる日本代表が、勝つためにはただ蹴っておけというサッカーをやってしまった。しかも、勝ってしまった。勝利に感動する子供たちに、今後どうやってボールをつなぐ大切さを教え直せばいいのか。

 「それしかできなかったのだ」という声もある。わたしは、違うと思う。それしかできなかったのではない。それしかできない状態にチームを貶(おとし)めてしまったのだ。日本には、日本の選手にはもっと楽しいことができるのに、自ら可能性を廃棄してしまったのだ。

 皮肉ではなく、本心から思う。この勝利は、日本代表の勝利ではない。岡田監督の勝利だった。勝ち点3と引き換えに、日本サッカーは大きなものを失った。日本=退屈。日本=アンチ・フットボール。この試合で張られたレッテルを剥(は)がすには、相当な時間が必要になることだろう。

 こんなにも苦く、こんなにも悲しい勝利があることを、わたしは初めて知った。(スポーツライター)

▼金子達仁氏オフィシャルウェブサイト
http://www.tatsuhitokaneko.jp/

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