1. ガン代替療法のすべて「第10章 エジアック」
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このページは、リチャード・ウォルターズ著「ガン代替療法のすべて - ガン治療の真髄に迫る」の訳者 松本丈二さん、大滝百合子さんと、出版社である株式会社三一書房のご好意により、「第10章 エジアック」(全文)の転載許可をいただいて作成しています。書籍の詳細に関しては、「エイジアック関連書籍集」を参照してください。
※同書は、Essiacをエジアック、Rene Caisseをリーン・ケイシーと訳しています。
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第10章 エジアック
アメリカン・インディアンの治療法を参考に、何十年も臨床経験を重ねてエジアックの調合法が開発されました。ガン細胞を攻撃する物質や、血液を浄化する物質が含まれているといわれています。
無害なハーブティー、エジアックはカナダの看護婦リーン・ケイシーによって使用されたガン治療法です。ケイシーは1920年代から90歳で亡くなるまで何千人ものガン患者の治療に成功しました。その治療サービスにお金をもらうのを拒むかわりに奉仕としての協力は歓迎しました。オンタリオ州ブレイスブリッジの看護婦であったケイシーは一般医に「絶望的」だとか「末期」だとか言われてあきらめられていた多くの例を含む何百もの寛解例を報告しました。そのほかにも数え切れないほど延命効果や痛みの緩和を助長した例があります。ケイシーはエジアックを皮下注射か経口投与することによって広範囲のガンに対して著しい結果を得たのです。
このハーブ療法の処方は、オンタリオ・インディアンの医療家に乳ガンを治癒してもらった病院患者から1922年にケイシーが教えてもらったものです。1938年、カナダ国会で行われた合法化のための投票ではエジアックはたった3票の不足のため否決されてしまいました。何年もの間たくさんの著名な医者がケイシーの薬の有効成分を声を大にして支持しました。たとえば、昔ジョン・F・ケネディー大統領の直属の医者を務めた、マサチューセッツ州ケンブリッジにある名高いブラッシュ医学センターの設立者チャールズ・ブラッシュ博士は「エジアックはガン治療に有効である。」と宣言し、それを使って自分のガンを治したことを明らかにしました。1990年4月6日に公表された声明のなかでブラッシュ博士は「私は今日でもこの治療法を勧めます。それは事実、もともと下部の腸に発生した私自身のガンをエジアックだけで治癒したからです。」と証言しています。
そのような支持にもかかわらず、リーン・ケイシーはカナダの権力からの告発と迫害の恐怖にいつもさらされて生活していました。今日ではエジアックはアメリカとカナダでは販売禁止ということになっています。しかし、オンタリオのレスペリン株式会社はカナダ衛生福祉局の特別な許可のもとにカナダの患者にエジアックを販売しています。カナダ衛生福祉局はエジアックをまだ「無効なガン治療法」と思っているのですが「同情的理由に基づく緊急販売」は認めているのです。別の会社はケイシーが手書きした本物のハーブ療法の処方と前立腺ガンを含む特定のガンに効くケイシーの処方の8つのバリエーションを持っていると言われています。その会社は最近、いろいろな販売社を通じてエジアックを入手可能なものとしました。たくさんのハーブ販売社が元来のものとまったく同一なエジアックティーを売っていると宣伝しています。使いたいと思っている方はすべての会社の背景を慎重に秤にかけて、注意してすべての主張を検討すべきです。
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リーン・ケイシーは正確なエジアックの処方を生存中に公に明らかにすることを拒みました。独占的な医学権力がこの処方の信用を台なしにしようとするか、あるいは莫大な利益を得るために使おうとするだろうと思ったのです。さらに、ケイシーはガンに冒されている患者にいつでもすぐに使えるように安全にエジアックを確保したいと思いましたが、医学専門家は最初実験室でマウスにテストすることを要請してきました。また、ケイシーは、もし、カナダの医学権力がエジアックはガンに効くと最初に認めれば、正確な処方と調合方法を公表すると何度も申し出ました。しかし、医者や政治家はハーブ混合液の中に何が入っているのか最初に知るまでは、現実的にどんな認可も与えることはできないと議論するのです。その結果、同意には至りませんでした。
エジアックに含まれる基本的なハーブは、ゴボウの根、ターキーダイオウ(インドダイオウ)の根、ヒツジスイバ、そしてスベリニレの樹皮です。鍵となっている活性物質であるゴボウの根はホクスセーハーブ療法の主要な物質でもあります(第9章参照)。ホクスセー療法の章で論じたように、2人のハンガリー人科学者が1966年に「注目すべき抗腫瘍活性」をゴボウの精製分画のなかに報告しました 1。これに加えて、これもすでに紹介しましたが、名古屋大学の日本の研究者は1984年にゴボウが新しいタイプの脱変異原物質を含んでいることを発見しました。この物質は代謝活性の有無にかかわらず、細胞の突然変異を独自の方法で減らすことができます。この性質はきわめて重要なので、これを日本の研究者は「バードック(ゴボウ)因子」という意味でB因子と名付けました 2。エジアックに含まれる別のハーブであるターキーダイオウの根は肉腫37の動物実験系で抗腫瘍活性のあることが証明されました。しかし、ハーブ療法家はハーブに含まれている物質の相乗的相互作用が治療効果に貢献していると信じていて、1種類のハーブから単離された1種類の物質はこの相乗的効果を示すことはできないと指摘しています。
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ガン患者との仕事を通してケイシーは、エジアックは痛みをかなり和らげながら腫瘍の塊をより正常な組織の大きさへと分解していくことを発見しました。多くの患者の場合、2、3回の治療の後、腫瘍が膨れ上り、固くなるでしょう。しかし、その後、腫瘍は柔らかくなり始めるのです。患者はまた多量の膿と肉質の物体の排出もよく報告しました。死んだ組織の塊が乳ガン、直腸ガンそして内科的ガンの患者で抜け落ちたのです。このようなことが起こった後、腫瘍が消失するものと思われます 3。
ケイシーはエジアックに使われるハーブのうちの1種類が腫瘍の成長を小さくし、他のハーブは破壊された組織を廃棄したり、悪性化に伴う感染を除去することで血液を浄化する働きをしていると理論立てました。更にまた、エジアックはこの自然界が意図したように正常細胞が異常細胞を破壊できるようにすることで身体にもともと備わっている防衛システムを強化するのだろうと推論しました。
たとえ、消失しなくても腫瘍は退縮を余儀なくされ、6回から8回のエジアックの治療を受けたあとでは、転移や新しい再発の危険性がずっと少なくなった状態で腫瘍を外科的に除去できるようになるとケイシーは主張しました。ケイシーはこう述べました。「もし、外科手術の後、少しでも悪性細胞が残っているという疑いがあるなら、再発を防ぐのに必要な低抗力を身体に供給するために少なくとも3ヵ月間、週に1度エジアックを投与するべきです。」
ケイシーは次のように記しています。「乳ガンの場合、1次腫瘍成長はふつう反対側の乳房の乳腺か、1次腫瘍と同じ乳房か、あるいは両方ともに浸潤します。経口か皮下注射によってエジアックが投与された場合、2次成長は最初の大きさにまで退縮し、一時的に膨れますが、腫瘍が局部に限定されてしまったとき、ぐらぐらして柔らかくなり、再発の危険なしに除去できるようになります 4。」ケイシーは常に医者の指導のもとに絶望的に重症な患者にエジアックを何千回も注射してきたという経験からこう話しているのです。
1983年トロント大学小児病院の神経外科部長であるE・ブルース・ヘンドリック博士はカナダの最高権力を持つ衛生関連大臣にエジアックの「科学的臨床試験」に乗り出すように促しました。カナダ衛生福祉大臣にあてた手紙で、ヘンドリックはエジアック療法のあと中枢神経系の腫瘍を外科的に治療された10人の患者のうち8人が「放射線療法と化学療法を含む一般的な治療を受けずにすんだ」と報告しています 5。しかし、今日ではカナダの患者がエジアック療法を受けるには、難しいあるいは不可能に近い官僚的迷路をくぐり抜けなければなりません。
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エジアックの物語はケイシーがオンタリオ州のハイリーバリー病院の外科看護婦として働いていたころ、奇妙な傷の入ったしわだらけの乳房をした年とった患者に気付いた1922年に始まります。ほぼ80歳だったその女性にどうしたのかと聞くとその女性は30年くらい前に乳房に腫瘍ができたが、インディアンの友人がハーブ薬で治癒してくれたのだと答えました。この女性とその夫はオンタリオへ行き、そこで医者は進行ガンであるという診断を確認し、乳房は外科的に除去されるべきだと言いました。その指示に従うかわりにインディアンのハーブ療法家に賭けたいと思い、その女性はインディアンの採鉱キャンプヘ戻り、毎日調合薬を飲みました。するとその女性の腫瘍はだんだん退縮してゆき、ついに消失しました。それから20年以上も後、ケイシーが病院で偶然にその女性に出会ったとき、その女性はまだ完全にガンのない状態だったのでした。
ケイシーはその女性にハーブの作り方を教えてくれるように頼みました。後にケイシーは「私はもし自分がいつかガンになるんだったらこれを使おうと思ったのです。」と書いています。
1924年、ケイシーの叔母、ミレザ・ポトビンは進行した胃ガンだと診断され、長くて6ヵ月しか生きないだろうと言われました。インディアンの調合薬のことを思い出し、リーンは叔母の医者であったトロントのR・O・フィッシャー博士に、死にかけている自分の親戚にこれを試してもいいかと許可を求めました。2カ月間、ハーブ混合液を飲んだ後、ミレザ・ポトビンは回復し、健康を取り戻し、その後21年間生き続けました。
すぐにケイシーとフィッシャー博士は共同して医者から末期だとしてあきらめられたガン患者を治療し始めました。これらの患者の中にも劇的な改善をした人がたくさんいました。リーンが実験室に仕立て上げた母の家の地下室で夜も週末も働きました。リーン・ケイシーとフィッシャー博士は、ヒトのガンを移植されたマウスで実験することによって、ハーブの組み合わせを効力が最大になるように修正していきました。リーンがこのハーブ療法をエジアックと名付けたのはこのときのことです。(エジアック < Essiac > とはケイシー < Caisse > を後ろから綴ったものです。)
リーンの治療した最初の例のひとつとして糖尿病を合併した大腸ガンの女性があげられます。更に悪くなるのを避けるために1925年にその患者はインスリンの使用を止めました。エジアック療法をやっていると最初はその女性の腫瘍はほとんど大腸を塞ぐほど大きくなり、固くなりました。その後、エジアック注射を続けていくと腫瘍は柔らかくなり、小さくなり、消失しました。非常に奇妙なことに、その女性の糖尿病もエジアック治療中に消えてしまいました。
インスリンの発見者のひとりとして世界的に有名なフレドリック・バンティング博士は1926年にこの臨床例を再検討しました。ケイシーによると、バンティング博士はエジアックはどういう作用機序にしろ、膵臓の分泌腺を正常機能にするように刺激することによって糖尿病的条件を取り除いたに違いないと結論したということです。もしこの報告の結果が本当ならエジアックは糖尿病治療にも使える可能性があるかもしれません。
1926年、9人の医者は、ケイシーがエジアック・ガン治療法を大規模にテストすることを許可するようにカナダ連邦保健省に陳情しました。その署名済みの陳情書には、エジアックは腫瘍を小さくし、絶望的な患者の寿命も延ばし、たとえ「他のすべてのものが試みられたがすべて効果がなかった」という場合でさえ「注目すべき有益な結果」を示したと証言しています。
これに対する返答としてオタワの保健福祉省は看護婦ケイシーを逮捕するか、免許なしで医学を実行するのを止めさせるため、公式な条文で武装した2人の医者を調査のために送りました。リーンが末期の患者だけを扱っているし、自発的に試してみたいという場合のみ受け付けていると説明すると、2人の検査官は引き下がりました。2人のうちの1人、W・C・アーノルド博士はケイシーの臨床報告に大変心を打たれたので、トロントのクリスティー・ストリート病院でマウスを使って実験を続けるようにケイシーを説得しました。その一連の実験で、ヒトのガンを移植されたマウスに長く生きたり、腫瘍が小さくなるといったエジアック注射への反応がみられました。
1935年、ブレイスブリッジのタウン議会はリーン・ケイシーのために、1ヵ月1ドルの家賃で古いブリティッシュ・ライオン・ホテルをガン病院として転用してくれました。その後、7年以上にわたってケイシーはこの建物で何千もの患者を治療しました。この建物は町によって、税金の未納のため再入手されたものです。この独自な計画はブレイスブリッジのA・F・バステドー博士が大腸ガンの末期患者をケイシーに診せたことから始まりました。この患者が回復したのを見て、バステドー博士はあまりにも強い印象を受けたので、ホテルの建物をリーンが使えるようにすることをタウン議会に説得したのでした。
この病院がオープンしてからまもなく、ケイシーの72歳の母フリセルデは肝臓ガンだと診断されました。心臓が弱かったため、手術はできないと言われました。オンタリオで最も優秀な専門家のひとりロスコー・グラハム博士は数日間の命だと言いました。リーンは毎日エジアックを母に注射しはじめました。母自身はガンだとは知らされていませんでした。10日間の治療の末、フリセルデ・ケイシーは回復の兆しを見せはじめ、ついには完全に健康を取り戻し、エジアックの量を減らしていくことができました。その後、心臓病で安らかに眠るまで18年間生きたのでした。
リーンは何年かたった後で、このように回顧しています。「普通ならば生きることのできなかったはずの18年間の命を母にあげることができたということは、私の仕事すべてに対する報いだったのです。医学界の手の前に私が我慢してきた多くの告訴を補うものでした 6。」
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ケイシーの印象深い結果がアメリカ中に知れ渡ったあと、シカゴの優秀な診療家が、ケイシーをノースウェスタン大学医学部のガン病院理事ジョン・ウォルファー博士に紹介しました。このような事情で、1937年、ウォルファーはリーンのために、5人の医者の指示に従って30人の末期ガン患者を治療する手筈を整えました。リーンは新鮮に準備されたハーブ混合液の瓶を持って国境を超えてシカゴまで通勤しました。エジアック療法を1年半も監督したあと、シカゴの医者たちはそのハーブ混合液は患者の命を延ばし、腫瘍を小さくし、痛みを和らげることができると結論しました。
ロサンゼルスの医者エマ・カーソン博士は1937年に24日間を費やしブレイスブリッジ病院を検査しました。最初はブレイスブリッジに2、3日だけ滞在しようと思ったという懐疑的な研究者であったエマ・カーソン博士は臨床記録を詳細に検討し、400人以上の患者を調べました。博士は詳しい報告書に以下のように記しています。
エジアック療法について得られた議論の余地のない結果にかなり精通している何人もの著名な医者や外科医たちは私に、リーン・M・ケイシーのガンの「エジアック療法」は「現在発見されているもののうちで」最も慈悲深く、最も満足できる、そして最も成功頻度の高いガン絶滅のための治療法であることを認めました。
私はまるでガンを患った経験がまったくないかのように立派に仕事をしている患者の家へ訪れ、データを検討しました。人々は自分たちが正常状態に回復したのは明らかにケイシー先生のエジアック療法のおかげだと断言しました。……人々は強調して言うのです。「もし、ケイシー先生のエジアックガン療法がなかったら、自分たちは地上から姿を消しているでしょう。」と。
最初の数週間のあいだ、それぞれの患者がどのように回復していったか調査し、議論の余地のない改善の記録を調べていくうちに、……私はほとんど自分の見たものを信じることができませんでした。しかし、私はいくつかの深刻に悪化していた例をみるにつけ、自分の目を信じざるを得ませんでした。
ケイシー先生の患者のほとんど大多数は外科手術、ラジウム、X線、硬膏などが無効であり、不治だと言われたあとに治療を受けに来ています。エジアック療法から得ることのできる本当の進歩と実際の結果にはまったく驚かされましたし、この確信を説得力のあるものだと確認するために調査が行われるべきです。
もうひとり独立にブレイスブリッジ病院を調査した人がいます。トロント大学の指導者で解剖学の教授ベンジャミン・ギャット博士がその人です。1930年代に何十回もその病院を調査したあと、ギャット博士は結果を次のようにまとめました。
このような場合、痛みをコントロールすることはとても難しいので、痛みが軽減されることは顕著な特徴だと考えられます。真のガンの例を調べると、多くの難しい例で出血をすぐにコントロールできることがわかりました。口唇と乳房の開いた傷が治療に反応しました。頸部ガン、直腸ガン、膀胱ガンは消失しました。名声の高い医者と外科医に診断された胃ガン患者は正常な生活に戻りました。
……私には完全に効果のあった患者と部分的に効果のあった患者がそれぞれどのくらいの数にのぼるのかはわかりません。しかし、腫瘍を破壊することによって回復をもたらす治療法をこの病院で目撃したことは重々承知しています 7。
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ブレイスブリッジの看護婦たちは、これまでいつも味わってきた逮捕されるという恐怖から解放したうえでケイシーが自由にエジアックでガン患者を治療できるという許可をもらうために、1938年、オンタリオ州議会に法案を提出しました。患者自身、患者の家族、多くの医者を含む5万5000人以上の人がその法案を支持して署名しました。しかし、その法案は3票の不足のため、可決にはいたりませんでした。
このことは王立癌委員会の創立のきっかけを作ってしまいました。多くの人はこれを司法的な馬鹿らしいまねごとだと信じていました。外科、放射線、そして診察専門の6人の一般医からなり、オンタリオ最高裁判所裁判官に率いられたその委員会は代替療法の偏見のない調査を要請され、1939年3月に公聴会が開かれました。
387人ものケイシーの患者が証人として証言するために現れたにもかかわらず、わずか49人だけが、証言を許されました。患者と元患者は、一般医によって致命的だと諦められたあと、リーン・ケイシーは健康を取り戻してくれ、命を救ってくれたと次々と証言しました。
アニー・ボナーは子宮ガンと大腸ガンだと診断され、ガンはラジウム治療の後に腕が普通の2倍に膨れ上がり、黒色になるまで広がったと証言しました。腕を切除するべき前の夜には90ポンド(約41キログラム)に痩せ衰えましたが、切除する代わりにエジアック療法を試したいと思いました。4ヵ月のハーブ療法のあと、腕は正常に戻り、体重も60ポンド(約27キログラム)も増え、150ポンド(約68キログラム)になりました。一連のX線検査でガンがないことがわかりました。しかし、王立委員会はア二ー・ボナーの例を「放射線による回復」と記しました。
証言したケイシーの他の患者ウォルター・ハンプトンは病理学者によって唇のガンだと診断されました。ラジウムを断わり、エジアック療法を実行した結果、正常にまで回復しました。ウォルターはまったく手術を受けていないという事実にもかかわらず(分析のため微小な塊を採取してはいますが)、委員会はこの例を「外科手術による回復」と分類しました。このような例は数えればきりがありません。
回復の原因を偽って記すのに加え、たとえその患者が2人以上の資質のある医者によって絶対にガンだと診断されていたとしても、王立委員会は数えきれない例を「誤診」と決めつけました。
このような不誠実な戦略を使って、委員会は「あげられた証拠はガン治療法としての『エジアック』の有効性に関してどんな好ましい結果も正当化することはできない……」と結論したのでした。
1942年、自分の医学的仕事のため投獄されるのを恐れ、落胆したリーン・ケイシーは病院を閉めました。その後、三十余年以上にわたって自宅から離れて、厳格な秘密状態でガン患者を治療し続けました。記録によると、1950年代じゅう、ケイシーはカナダ保健省による調査対象にされていたのでした。
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1959年、70歳の時、ケイシーはマサチューセッツにあるブラッシュ医学センターに招待され、そこで18人の医者の指導のもとにエジアックで末期ガン患者と実験マウスを治療しました。3ヵ月後、ニューイングランドのエリートのために奉仕してきた著名な医者チャールズ・ブラッシュ博士とその研究指導者チャールズ・マックルーアーは、マウスの実験でエジアックは「腫瘍の決定的な退縮と細胞形成において明らかな変化を起こすことが示された」と結論しました。「臨床的には、病理学的に証明されたガンに冒されている患者においてエジアックは痛みを和らげ、腫瘍の成長を後退させます。患者は体重が増え、一般的健康状態の改善を示しました。注目すべき有益な結果がたとえ『手は尽くした』という場合にさえ得られました。エジアックはそのような場合でも延命効果があるし、生命の質(クオリティ・オブ・ライフ)を高めることが証明されました。……医者はエジアックは根治療法だとは言わないけれども大変有益であると言っています。」
1973年から1976年の間にスローン・ケターリング癌研究所ではエジアックに含まれるハーブのひとつ、ヒツジスイバがテストされました。ケイシーはどのようにしたら注射液を作れるかという詳しい解説付きで多量のハーブをスローン・ケターリングに送りました。1975年6月10日、スローン・ケターリングの副所長チェスター・ストック博士はリーンにこのような手紙を送っています。「エジアックで治療されたいくらかの肉腫180を持つマウスに退縮が起こったことを示す2つの実験データを同封します(強調は著者) 8。」これらの有望な結果にもかかわらず、テストは中止を余儀なくされました。恐ろしいことに指示通りにハーブを煎じるのではなく、科学者はそれを凍らせていたからです。
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1977年、リーンはエジアックの処方をカナダのレスペリン株式会社に売りました。レスペリン株式会社が行ったエジアックのテストは最初は将来性があるように思われましたが、何年間も長引いてしまいました。政府を通す場合、エジアック療法を求めている患者は、最初、後援してくれる医者を探し、適切な公式書類を提出してもらわなければなりません。医者はレスペリン株式会社からエジアックを購入するのに便宜を図るため、カナダ保健福祉省の保健保護部と連絡を取る必要があります。医者の申請書はだいたい以下のようなものでなければなりません。「私は(ある身体の一部や器官)を冒されている(どういう種類のガン)をもった患者を診察しました。緊急という条件でエジアックで患者を治療する許可をいただきたいと思います。」医者はその申請書を以下の宛先へ送付しなければなりません。The Health Protection Branch, Bureau of Human Prescription Drugs, Director's Office, c/o Emergency Drug Division, Tower B-Second Floor, 355 River Road, Place Vanier, Vanier, Ontario K1A1B8. しかし、医学権力が圧力をかけてきたり馬鹿にするのを恐れ、多くの医者はこのようなことをしたがりません。たとえ必要書類が提出されたとしても、エジアックの使用許可がいつも出るとは限らないのも事実です。
カナダの保健福祉省の保健保護部によって1982年に出版された報告書によると「エジアックがガン治療に有効であるという証拠を支持する臨床証拠はまったく存在しない。」と断言してあります。事実を覆い隠したこのような非難は80年間の臨床記録と観察証拠そして実験室での研究をも無視していることは明らかです。この報告書は次のようなものです。
1982年、このような状況のもとにエジアックを購入した112人の医者は個人的臨床例の報告を提出するように頼まれました。74人の医者が87人のガン患者について報告しました。そのうち78人にはまったく効果がみられませんでした。
残りの9人の例を調べた結果、ガンが進行しているもの(4例)、患者が死亡したもの(2例)、病状が安定化したもの(3例)であることがわかりました。
最後の病状が安定化した3例では全員が以前に何らかの形でガン治療法を受けており、それが原因となって病状が安定したものと思われます。
この報告書はなぜ112人のうち74人だけが返答したのか説明していません。他の38人の医者はおそらく、エジアックの使用に好意的であるということを提出すれば、一般医が馬鹿にするということや仲間からプレッシャーが来ることを恐れたのではないでしょうか。
さらに「まったく有効性を示さなかった」78人の患者の医者が痛みの軽減を示したかどうか、あるいは食欲が改善したかどうかといったことも定かではありません。これらの要素はガン治療における重要な部分なのですが、そのような研究では一般に有効例として数えられないのです。かなりひどい病態の87人の患者は全員、リーン・ケイシーがかなり頻繁に進行ガンの患者に投与していたようにエジアックの筋肉内注射を受けていたのでしょうか? この報告書の批判家は、だれひとりとして筋肉内注射を受けていなかったと言っています。ハーブ混合液は正しい方法で調合されたのでしょうか。あるいはスローン・ケターリングで行われたようにハーブが凍結されたり、傷害を受けたりしたことも十分に考えられます。患者は十分な回数の経口投与を受けたのでしょうか? どれも謎に包まれたままです。3人の例で「病気が安定化」されたといいますが、これは何を意味するのでしょうか? ガンの成長が止まったのでしょうか? もしそうなら、それはかなり重要な事実です。「ガンが進行している」4人の場合と「患者が死亡した」2人の場合はなぜ「何も効果がなかった」グループとしてではなく「残り」として数えられたのでしょうか? これは実際にはいくらかの有効性を示したことを意味しているのではないでしょうか。そして、もしそうならどのような有効性でしょうか。この報告は何もそれについて述べていません。
このような貧弱に意図的に書かれたものをちょっと分析するだけで、客観的でかつ科学的であると称している研究の多くに偏見が行き渡っていることがはっきりします。
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リーン・ケイシーの伝記作家ギャリー・グラムはカナダ政府の報告書を徹底的な偽りだと述べています。この報告書の中で「死んだ」とリストされている患者で実際に生きていて健康な人もいるし、その多くがこの報告書の研究の最初の年1978年に、命を救ってくれたとケイシーに心から感謝を言うためにケイシーの自宅の戸口の上り段に現れたとグラムは言います。グラムはこの報告書をエジアックの名を汚すためにカナダの医学権力が行ったさらなる駄目押しであるとみています。ロサンゼルスのカイロプラクター(脊椎指圧師)であったグラムはケイシーの話を調査するのに3年を費やしました。1988年に出版されたグラムの著であるケイシーの伝記『天使の声』 9(情報源参照)のなかでグラムは、リーンによる治療によって完全寛解を達成したある女性からエジアックの処方を入手したと書いています。グラムによると、この女性はケイシーに手書きのエジアックの処方をもらったと言います。グラムが言うにはこの匿名の女性はガン治療におけるエジアックの有効性を認めさせ、世界を変えようと努力しました。1970年代の終わりごろ自分の事例をあげて最終的にはミシガン州最高裁判所までもっていきましたが、その後、米国連邦捜査局(FBI)と食品医薬品局の役人から常にいやがらせを受けることとなってしまいました。
その後、そのミシガンの女性の処方の正しさをケイシーの親友であったオンタリオの女性メアリー・マックファーソンに確認してもらったとグラムは言います。1930年代、ケイシーがブレイスブリッジの看護婦であった頃、ガンであったマックファーソンの母を治癒したあと、マックファーソンは何年間もケイシーの近くに住み、一緒に働きました。マックファーソンは電話で、グラムに会ったのは事実だし、リーンがしばしば使ったバリエーションがあるけれども、グラムの処方は実際に正しかったと認めました。
グラムの批判者は、その本に綴じ込まれている指導書の中でグラムが与えた処方は正確でないと言います。少なくともひとつの鍵となる材料が欠けていて、さまざまなハーブの比率がひどくばらばらになっていると非難します。批判者はグラムの言っているエジアックは真のエジアックではなくそれは患者に害を与える危険性があると断言するのです。
しかし、グラムはこれをきっぱりと否定しています。グラムは自分自身を多大な個人的法的危険性にまでさらしていることを指摘しています。自分が主張しているものは正しい処方だということを公にするために、治療法の詳細を秘密あるいは独占している他の代替療法医と違って自分だけが代替療法の分野でガン治療法だと言われているものを正確に詳細に公に発表していると言い切っています。カナダの権力によってアメリカとカナダの国境でグラムの本は何千部も没収と取り押さえにあいました。カナダ権力はこの本は不許可の薬を宣伝しているというのです。この本は力のあるカナダの政治家の大変な努力のおかげで、ついにカナダでの発売が許可されましたが、没収された何千もの本は今もって解き放たれてはいないとグラムは言います。
グラムによると、この本に載っている指示にしたがって作られたハーブ薬は多くのガン患者とエイズ患者の健康回復に貢献しました。このハーブティーを飲んで、非常に低いT細胞の数が正常値まで増えたエイズ患者もいると報告されています。
カナダの雑誌『ホームメーカーズ』に1977年に掲載されたケイシーについての重要な記事の共著者であるシーラ・スノーは、グラムの言うエジアックは「リーンが1930年代に使った方法で、何百人もの患者にブレイスブリッジの病院で処方されたものです。また、これが臨床試験のためにレスペリン株式会社に売られたものであるということは、かなり根拠のあることです。」と信じています。1991年7月『カナダハーブ医学誌』に出版されたエジアックについての論文で、スノーはグラムによって記述された指示とまったく同じ方法を掲載しました。その中でシーラ・スノーは次のように述べています。「多大な個人出費と時間とエネルギーをかけてこの巨大な責任をとる勇気……小さな仕事ではないのです!……を行使したことに対して私たちはグラム博士に大きな感謝の借金を負っているようなものです。」
リーンが1959年に働いたブラッシュ医学センターの設立者のひとり、チャールズ・ブラッシュ博士は1991年8月3日と日付のある手紙の中でこのように報告しています。「たくさんのガンの手術を受けた1984年以来、私自身エジアックを飲み続けていますし、エジアックを全面的に信じています。もちろん、それぞれの人の病歴が違うように人によって状況は違いますが。……ある人には少ししか効かないかもしれませんし、またある人では時間がかかるかもしれません。そしてガンが治癒されたかどうかにかかわらず、エジアックは少なくとも身体を丈夫にするという簡単なメカニズムによって命を延ばすことがわかっています。」
ブラッシュ博士は「この病院で私と一緒に研究していたとき、リーンは私に真のオリジナルな処方を与えてくれました。」と続けました。さらにこの真の処方をカナダのバンクーバーのラジオ・プロデューサー兼ブロードキャスターであるエライン・アレキサンダーに教えたと付け加えました。エライン・アレキサンダーは20年間エジアックの話を追い続けていて、自分の番組のなかでエジアックで治癒されたたくさんの患者にインタビューしているという経歴の持ち主です。記録によると、1988年11月、ブラッシュはケイシーのハーブ処方をアレキサンダーに渡し、アレキサンダーはその後、これを製品化して販売会社を通して売るように手筈を整えました。アレキサンダーのエジアックは、ガン治療において評判が高いということは何も言わないで、厳格に栄養剤という条件で別の名前のもとに発売されることになりました。
調合の方法、材料の正確な比率、そして正確な量と、どれをとってもエジアックの効力に欠くことができないとアレキサンダーは指摘しています。アレキサンダーが言うには、ケイシーは実験を通して何年もかけて徐々にエジアックを改良しました。グラムのエジアックは「初期の原始的エジアック」でケイシーはその後、それを強化して完璧なものにしたのだろうとアレキサンダーは信じています。アレキサンダーはさらに市場に出回っているいろいろなエジアックの「一見もっともらしい複製物」はかなり危険なこともありうると主張しています。
エジアックを使って完全寛解したか、著しい改善が見られたガン患者の証言証明はエライン・アレキサンダーを通して入手することができます。これらの注目すべき手紙は最近15年間の事例を記録しているもので、膵臓ガン、乳ガン、卵巣ガン、食道ガン、総胆嚢ガン、膀胱ガン、骨ガン、リンパ腺腫、転移性黒色腫といった多くのタイプのガンの事例が記されています。
ブリティッシュ・コロンビア州クレストンのミューリエル・ピーターズは自分のエジアックの経験を伝えるためにエライン・アレキサンダーに手紙を書いた1人です。1981年、背骨の末端にある3角形の骨である尾骨にオレンジ大の悪性腫瘍があると診断され、1週間後、手術を受けました。外科医は「すべて取り去りました。」と言いましたが、ミューリエルによると「医者が腫瘍を見つける前に、すでに神経終末に囲まれた背骨にまた腫瘍ができ始めたのです。だからそこは除去できませんでした。」外科手術の後、29回も放射線療法を受けました。1982年9月、下腹部に麻痺を感じ、バンクーバーにあるガン病院に行きましたが、外科部長から腫瘍は背骨中に広がってしまっていて、手術もできないし、何もできることはないと言われてしまいました。
3ヵ月しか生きられないと言われたガン患者が「南部のほうのどこかで」治癒されたという噂を義理の兄弟が聞いたというので、ミューリエル・ピーターズはその手掛かりをたぐり寄せました。1ヵ月後、メキシコのティファナにあるバイオメディカルセンターを訪れ、ホクスセーハーブ療法を、始めました。3ヵ月以内に腹部の麻痺がとれましたが、そのあと「どの鎮痛剤も効かない非常に苦しい痛みが3ヵ月間」続きました。その後、主治医を通してレスペリン株式会社から得たエジアックを液体として飲み始めました。12ヵ月後、その痛みは和らぎました。「それ以降はずっと良い方向へ向かいました。」
次の1年半の間、ミューリエルは毎日、エジアックを飲みました。また、ハーブ薬用液、ビタミン剤、新鮮な野菜、特に緑黄色野菜、そして果物を強調した特別な食事からなるホクスセー療法も続けました。ミューリエルはこう説明します。「この2つは互いに補いあっているように思いました。食事療法とビタミン剤なしで、どちらかのハーブ液だけで十分かどうか本当に疑わしいのです。身体はガンが破壊したものを再建しなければなりませんから、健康な食品が身体を作るのに必要とされるのです。」
エジアックとホクスセー療法を組み合わせた自分自身の計画を始めてから約1年後、ミューリエルはテストを受けるためにバンクーバー癌病院に再来しました。診察した医者は信じられない様子で、「理由はわからないのですが、あなたの身体の中で著しい変化が起こっています。」と言いました。ミューリエルはこう回顧します。「その医者が部屋を出て行ったとき、担当の看護婦が私にこのような変化をもたらすために何をしているのかと聞いたので、私は『食事療法とビタミン剤をやっているのです。』とだけ答えました。看護婦は『自分で?』と聞くので『いいえ、指導してくれる医者がいるんです。』と答えたら、こう言うんです。『そうですねえ、メキシコのいかさま医者のところへ行かなくても、たくさんの医者がやっていますからね。』」
1989年9月に行われた総括的な医学検査によると、ミューリエル・ピーターズは、ガンなしの優れた健康状態であることがわかりました。68歳のときこう記しました。「私はブリティッシュ・コロンビアのなかで一番健康です。命あることと生活できることに感謝しています。……私は生命というものがどんなものか、すっかり学びましたから。」1991年1月に行われたX線検査と血液検査によるとミューリエルは完全寛解状態にあることが確認されました。これは手術不能な「絶望的」ガンだと診断されてから9年後でした。
エライン・アレキサンダーは、オタワのカナダ保健保護部のある腫瘍学者と話したことがあるバンクーバーの医者に1990年に会ったと言いました。アレキサンダーによると、その政府の腫瘍学者が「このオフィスではエジアックが脳腫瘍、特に脳幹の腫瘍に対して効果があることは知られています。」と話したとその医者は言いました。エジアックの批判者は、エジアックの効力についての自分たちの意見を疑いなく支持する証拠とするためにでっち上げた話だといってこれを信じようとはしないでしょう。しかし、ギャリー・グラムもエジアックの脳腫瘍に対する効力について注目すべき同じような話をしています。グラムはこう回顧します。2歳の娘が手術不能な進行した脳腫瘍だと診断され2週間しか生きないと言われたと、ある男性が電話してきました。グラムによると、この男性はエジアックを知るきっかけとなったケイシーの伝記を書いてくれたことに対して感謝の電話をしてきたというのです。その娘はハーブ療法により救われ、5歳のとき完全に健康になりました。これらの話は単なるひとつの偶然なのでしょうか? グラムとアレキサンダーはお互いに話したりしてはいません。この2人の関係は、もし関係があるとすれば、自分こそが「正しい」エジアックの処方を持っていると思っている一種のライバル関係でしょう。ですから、このふたりがガン治療について以上のようなエジアックの有効性を説得するために、同じように脳腫瘍に効いた話をでっち上げようと言って「ノートを見せあった」と言い張るのは馬鹿げたことでしょう。
ですから、この2人のエジアックはどちらかが正しくてどちらかがまちがっているというよりも、ケイシーが何年間もかけて基本的な調合法を使って実験し、エジアックであると称している最近の製品のいくつかはケイシーの処方の主な変種を複製したものであるというのがありそうな話だと思います。この説を確認するのにはこの本の話題を超えた徹底的な探偵的な仕事が必要となるでしょう。読者はどのような主張も思慮深く検討するべきでしょう。今日、市場に出ているエジアックと称されているものの多くは主要なハーブさえ含んでいないばかりか、1種類以上の間違った材料に置き換えられているので注意が必要です。
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リーン・ケイシーによって開発されたカナダのハーブ療法はこの章ではすべてのガンへの「魔法の一発」として勧めようとは思いません。ケイシーの患者の何%が5年以上生存したのかについてのしっかりとした証拠はありませんし、現在販売されているエジアックあるいはそれに類似したハーブ処方の有効性についての信頼できる統計的データもまったくありません。ケイシーが劇的で魔法に近い治癒を達成したことは疑いないのですが、一方ではケイシーが扱った知られざる割合の患者は、おそらく治癒するにはあまりにもひどすぎ、病気に屈服してしまったのもまた事実でしょう。
ケイシーがパイオニア的な仕事をした1920年代、1930年代に比べて、この世界は限りなく汚染されています。水、空気、食物を発ガン物質、有毒な化学物質、そして放射性同位体が汚染し、私たちの身体の細胞の中に永久的に存在し、自然免疫力を弱め、おそらくガンの寛解をより難しいものとしているでしょう。このような理由で、エジアックだけ使用するのではなく、栄養的方法などと組み合わせることが、最も意味のあることに思われます。
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エジアックについてもっと知りたい方は、 Elaine Alexander, 6690 Oak Street, Vancouver, British Columbia V6P 3Z2, Canada 電話:604-261-1270 (補足参照)
参考文献
Calling of an Angel, Gary L. Glum 著, Silent Walker Publishing (P.O. Box 92856, Los Angeles, CA 90009, U.S.A. ; 電話なし), 1988. 以下の宛先で著者に直接注文することもできます。P.O. Box 80098, Los Angeles, CA 90080 ; 213-271-9931. 本物だと名を売っているエジアック調合のための指導シート付き。 (補足参照)
The Treatment of Cancer With Herbs, John Heinerman 著, BiWorld Publishers (Orem, Utah), 1984. 絶版。以下の著者の住所に直接、コピーを注文してください。 P.O. Box 11471, Salt Lake City, UT 84147, U.S.A. ; 801-521-8824.
"Could Essiac Halt Cancer?" Sheila Snow Fraser, Carroll Allen 著, Homemaker's, June-July-August, 1977.
"Old Ontario Remedies-1922: Rene Caisse ESSIAC," Sheila Snow 著, Canadian Journal of Herbalism, July 1991.
訳者からひとこと
エジアックの入手先については14ページを参照して下さい。
- ※14ページの内容
- Healing Spirits, 9198 St. Rt 415, Avoca, NY 14809 U.S.A.
上記のハーブ専門医ローズマリー・グラッドスターがエジアック(第10章参照)の入手先として最適であると推薦するハーブ会社です。
【ガン代替療法のすべて「第10章エジアック」125〜139ページ転載】
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- C.A. Dombradi and S. Foldeak, "Screening Report on the Autitumor Activity of Purified Arctium Lappa Extracts," Tumori, vol. 52, 1966, p. 173, cited in Partricia Spain Ward, "History of Hoxsey Treatment," contract report for the U. S. Congress, Office of Technology Assessment, May 1988.
- Kazuyoshi Morita, Tsuneo Kada, and Mitsuo Namiki, "A Desmutagenic Factor Isolated From Burdock (Arctium Lappa Linne)," Mutation Research, vol. 129, 1984, pp. 25-31, cited in Patricia Spain Ward, "History of Hoxsey Treatment," contract report for the U. S. Congress, Office of Technology Assessment, May 1988.
- Sheila Snow Fraser and Carroll Allen, "Could Essiac Halt Cancer?" Homemaker's, June-July-August 1977, p. 19.
- "Essiac as an Aid in Surgery," Bracebridge Examiner, 13 March 1991.
- Gary L. Glum, Calling of an Angel (Los Angeles: Silent Walker Publishing, 1988), p. i.
- "Essiac Added 18 Years to Her Mother's Life," Bracebridge Examiner, 6 February 1991.
- "Cancer Commission Was Nothing But a Farce," Bracebridge Examiner, 9 January 1991.
- Glum, op. cit., p. 136.
- Ibid.
【ガン代替療法のすべて「引用文献」388〜389ページ転載】
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【著者】
- リチャード・ウォルターズ Richard Walters
- 医学・健康関係のライターとして活躍中。ニューヨークのコロンビア大学を卒業後、ヨーロッパ・北アメリカ各地をくまなく旅し、健康状態が文化によってどのように違ってくるのかについて調査。『ロンジェビティー』や『トータル・ヘルス』といった著名な雑誌はもとより『タウンセンド・レター・フォー・ドクターズ』にも記事を掲載。現在(1997年)までに二冊の本を執筆。母がガンで亡くなってから代替療法に興味を持つ。旅、調査、そして学び続けることがモットー。現在は妻とともにニューヨーク在住。
【訳者】
- 松本 丈二 Joji Matsumoto
- 筑波大学生物学類卒業、マサチューセッツ大学アマースト校化学部卒業、コロンビア大学大学院生物科学部博士課程終了(Ph.D.)。ケンブリッジ大学医学部研究員を経て、神奈川大学理学部生物科学科助手。ガン化の分子生物学、遺伝子転写機構の分子生物学、無機物質の分子矯正医学、昆虫ホルモンの生理学、嗅覚の分子神経生物学の研究をはじめ、ホメオパシーの生物学的分子機構の研究がある。蝶を愛するナチュラリスト。訳書に『ガン代替療法のすべて - ガン治療の真髄に迫る』(三一書房)、『バイオパイラシー - グローバル化による生命と文化の略奪』(緑風出版)、著書に『ホメオパシー医学への招待 - 現代医学を超えた21世紀の代替療法』(フレグランスジャーナル社)、『自然史食事学 - 自然の歴史に学ぶ最高の食事法』(春秋社)、『本物の自然食をつくる[レシピ集]』(春秋社)がある。
- 大滝 百合子 Yuriko Otaki
- 筑波大学人間学類卒業、教育社会学専攻。マサチューセッツ大学アマースト校社会学部卒業。コロンビア大学大学院社会学部にて修士号取得、博士課程中退。医学社会学的視点からハーブ療法や食事学に興味を持ち、主に代替療法の分野で活躍。訳書に『ガン代替療法のすべて - ガン治療の真髄に迫る』(三一書房)、『本物の自然化粧品を選ぶ - 完全ナチュラルコスメ宣言』(春秋社)、『ストレスに効くハーブガイド』(フレグランスジャーナル社)、著書に『自然史食事学 - 自然の歴史に学ぶ最高の食事法』(春秋社)、『本物の自然食をつくる[レシピ集]』(春秋社)がある。
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この本は、「OPTIONS: The Alternative Cancer Therapy Book」(1992年11月初版)のほぼ全日本語訳です。1991年にリーンの処方はレスペリン株式会社からデイビット・ドビー(エイジアック・プロダクツ社)に譲渡され、その後、エイジアック・インターナショナルを通じてハーブ・ティーとして販売されたことから、増刷後の「OPTIONS」の情報源には、アレキサンダーとエイジアック・インターナショナルが紹介されています。アレキサンダーは1996年に他界していますので、その処方を引き継いだフローラ社の連絡先を下記に記載します。また、エイジアック・インターナショナルは2000年にエイジアック・カナダ・インターナショナルと改名し、2002年にはエイジアック・プロダクツ社を買収し新にエイジアック・カナダ・インターナショナル社を設立しましたので、現在の連絡先を下記に記載します。
Flora Manufacturing & Distributing Ltd. (フローラ社/フロー・エッセンスの製造・販売元)
住所:7400 Fraser Park Drive, Burnaby, British Columbia, Canada V5J 5B9
電話:604-436-6000
URL:http://www.florahealth.com/
ESSIAC CANADA INT'L INC. (エイジアック・カナダ・インターナショナル社/エイジアックの製造元)
住所:P.O. Box 23155 Ottawa, Ontario, Canada K2A 4E2
ESSIAC Canada Int'l Inc.(エイジアック・カナダ・インターナショナル社/エイジアックの販売元)
住所:164 Richmond Road, Ottawa, Ontario, Canada K1Z 6W2
電話:613-729-9111
また、"Calling of an Angel"の著者であるギャリー・グラムは、2000年秋に本とエイジアック・ティーの販売を中止しました。一時、グラムはWebサイトで感動的なリーンの伝記を公開していましたが、現在サイトを閉じてしまったようです。
私は、「ガン代替療法のすべて - ガン治療の真髄に迫る」を読み、エイジアック同様、日本では馴染みのない様々な療法の情報に触れ、驚きと感銘を受けました。訳者の松本丈二さんは、"あとがき"に「私個人としてはこの本はジャーナリズムの観点からみても医学、科学の観点からみても、一流の本だと確信しています。」と書いています。(376ページ) また、"訳者からひとこと"に「……日本にも代替療法が存在することは確かです。二見書房からでている帯津良一編著の『ガンを治す大事典』は、一般療法や権力構造に対する検証などには重点を置いていないという点でこの本とは性格を異にする面もありますが、かなり参考になる本だと思います。実際に、マクロビオティックやゲルソン療法など、『ガンを治す大事典』および『ガン代替療法のすべて』の両方ともで取り上げられているものもあります。個人的な意見になりますが、日本のガン患者の方はこの本『ガン代替療法のすべて』とともに『ガンを治す大事典』を参考にしていただければ、代替療法と一般療法の関係をより深く理解したうえで、利用できる日本の方法あるいはアメリカで行われているものでも日本で実行可能な方法を、総合的に考慮できるようになるのではないでしょうか。」と書いています。(12ページ) この本は三一書房には在庫がなく、重版予定もないとのことですが、まだお読みでない方は、図書館などを利用してご一読をお勧めします。
【2005年8月1日版】
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