きっと、だいじょうぶ。

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/6 社会性=西野博之

 フリースペースには、親たちからさまざまな相談が持ち込まれる。

 「このまま不登校でひきこもっていたら、友だちもできず、社会性が身につかないのではないでしょうか」

 その一方で、子どもたちからは、こんな声が寄せられる。「人間関係に疲れた」「トイレに行くにも一緒にいることを求められて、息苦しい」「信じていた友だちが陰で悪口を言っているのを知って、傷ついた」「“キモイ”とか“死ね”とかいう言葉が飛びかったり、皆で無視したりする集団の中にはもういたくない」

 つい先日、私たちの身の回りで、悲しい事件が起きた。「友だちがいじめられているのを、止められなかった」という遺書を残して、中学3年の男の子が自らの命を絶ったのだ。その数日後には、女子高で1年生の女の子が授業中に隣の席の子を刺して重傷を負わせた。

 学校に行けなくなったことで、守られる命もある。

 先月公表された警察庁の統計によれば、小学生から大学・専門学校生まで含めると、日本の学生・生徒が昨年1年間に自死した数は、945人にものぼる。

 多くのおとなたちは、大勢の人の中にいれば社会性が身につくという「幻想」を抱いている。だから不登校になって、集団から離れるのが心配だと口をそろえていう。

 でも現実は、たくさんの人たちの中にいても、存在を無視され続けている子どもたちがいる。ばい菌のように扱われている子どもたちがいる。心にも体にも暴力を受けている子どもたちがいる。

 集団に居続けながらも「人はこわい」「人は信じられない」「生きている価値はない」、そんな悲しい感情をつのらせている子どもたちがいる。

 友だちがいじめられているのを見ていることに耐えられず、学校に行けなくなった子はダメなのでしょうか。

 私は思う。社会性は数の問題ではないと。たくさんの人の中にいても、心を閉ざし、人を憎み、恐れている生活の中に社会性は生まれない。

 たとえ家庭の中から出られなくても、ちゃんと話を聞いてくれる、丸ごとの存在を受け止めてくれる人がいる。「あなたが生まれてくれて、ありがとう」を伝えてくれる人が、家庭や地域の中に一人でもいてくれたなら、そこに社会性は芽吹くのだと思う。

 「人は信じられる」。そう思える心がはぐくまれることが、なによりも社会性を生み出すもとなのではないだろうか。(NPO法人フリースペースたまりば理事長)=次回は7月4日

毎日新聞 2010年6月20日 東京朝刊

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