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きょうのコラム「時鐘」 2010年6月21日
あの坂本竜馬が「先生」を「生生」と書き間違えた手紙の下書きが発見されたという。大政奉還に向けた後藤象二郎あてだったので緊張したのではないかとの声があった
そうだろうか。別の解釈をしたい。例えば、竜馬は象二郎など「先生」と思っていなかったからではないか。あるいは、単なる呼びかけで「先生」と書こうとしたので、雑になったのではないかなど。凡人にもよくあることだ 中国へ旅行すると、だれでも「先生」と呼ばれる。真剣な敬称ではなく、名前の知らない相手は皆「先生」にするようだ。聞き流せばいいのだが、あまり続くとこそばゆくなる。先生と呼ばれるほどバカじゃなし、と 色っぽい女性に「せんせ」とよばれて鼻の下を伸ばすセンセイもいる。選挙に落ちた政治家は「センセイ」から「ただの人」になる。最近は逆で「ただの人」が「センセイ」になるから、ややこしい 政治に命をかけた坂本竜馬を尊敬する政治家が多い。恥ずかし気もなく「命がけでやる」と言う議員を見ると、こちらが恥ずかしくなる。「センセイ」のイスを守る人、奪還をめざす人、入り乱れての暑い日が始まる。 |